○
平林剛君 極東
委員会の政策決定が後に変更になった
理由、これがどこにあるか、それは
所有権を認めるという立場に立って現実問題として
返還してきたのではないかと解する、こういう
政府の判断については、私はなお疑問を持っておるのであります。なぜかといいますと、極東
委員会の政策決定によって、はっきりと終局的に賠償物件として
処理すべきものであると意思表示された現実が
一つある。これはきわめてはっきりしておる。その後一九四五年十二月七日に、中間賠償計画によるポーレー大使の声明によりますと、これは日本で集積された金その他の
貴金属をサンフランシスコの合衆国造幣廠に輸送する際に発せられたものと承知いたしておるのでありますが、その中で、後日これを占領費の支払いに使用するか、輸入品のために使用するか、賠償のために使用するか、または
返還するかについての決定に対して、何らの影響を及ぼさないと、こういう声明がございます。この声明を、私の
解釈に従えば、少くとも一九四五年十二月当時においても、
接収貴金属を少くとも占領費の支払いに使用するか、輸入品のために使用するか、賠償のために使用するか、あるいは
返還するかと、表面に現われただけでも四つの
方法があったわけです。おそらくこういう幾つかの
方法によって
処理されるということが当時の連合軍の
考え方ではなかったかと、これは想像できるのであります。これが、その意思が、後に
接収を解除した、私はこの事実は認めるのです。解除された事実は認める。しかし、それが果して前の日本人の
所有権を認めて
返還をしたのであるか、あるいはその他の
事情であるか、これは私は
政府の言う
通りには認められない。明らかに
接収当時の政策を変更したものであるということは認める。しかし、その変更した
理由がどこにあるか。この中には、ヘーグの陸戦規則による立場で変更したかもしれない。しかし、これはもし
占領軍の立場に立てば、日本はポツダム宣言で無条件降伏したのだから、これを越えることがあるのだといってがんばることができたはずなんですね。良心的にこれに基いて返したという
理由も、成り立つかもしれない。しかし、それ以上のファクターがあったのじゃないか。たとえば、
接収当時の政策変更は、結局、その後のわが国の占領費の支払いとか、賠償その他全般的なものを含めて、対日
関係を考慮して
返還をされたのじゃないか、こういう想定も成り立つわけであります。
私は、その
意味で、単に私有財産だから
返還せよ、こういうことだけでなく、これは一部の
国民が主張はしております、
接収を受けた一部の
国民はこれを主張しておるけれ
ども、それ以上のいろいろの
事情が相重なって
返還されたとみなすこともできないことはない。俗な言い方をすると、今日まで相当の賠償をわが
国民は共通の責任として負担をしておるわけです。国家に帰属するものは別にして、
民間四十三億円に相当するものは、
国民が賠償をかわって払ってやっておる。あるいは
国民の血税から、占領費の支払いなどについても
処理をしてきた。そういう総合的な諸判断から、
接収が解除された、こう見るならば、単に私有財産だから返せということをわれわれは認めるわけにはいかないのじゃないか。
国民が賠償やその他の税金によってこれが負担をすることによって返ってきたということに相なりますと、こういうところからも割り切れない気持を
国民は抱くわけなんです。
私の言わんとするところは、私有財産だからただ
返還せよ、こういう
国民の主張は当らないし、また
接収を解除した
理由が、単にヘーグの陸戦規則だけによって
もとに返すということだけではないのだ、こういうところにあるわけですが、これについてあなたのお答えを
一つ聞いておきたいと思います。