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末高公述人 私、早稲田大学の教授
末高信であります。
今から二十年前に、健民強兵施策の一翼をになって始められましたこの
国民健康保険制度が、現在全
国民に対し、健康で文化的な生活を保障する
社会保障制度の最も重要な一環として寄与をしていることは、まことに意義深いものがあると
考えるのであります。そして、現在
医療保障のうちに占めるこの
国民健康保険制度の役割が、一そう完全に果されまするよう、
国民健康保険法の全面的
改正が今行われようとしているわけでございます。私
ども、
国保という方式を通じて、
医療保障が推進せられることを首を長くして待っております者といたしまして、まことに慶賀にたえないものがございます。
さて、この
法案は、各
市町村に対し、
国民健康保険制度の設立を
義務づけるということが第一点。第二点といたしまして、そのためにその裏づけといたしまして、
医療給付に対するところの
国庫補助率を
引き上げる等のことをその主要の
内容とするものでありまして、そのいずれもが、
国民医療に対する国の
責任を果すための当然の施策であります。この方針は、方針そのものとして私の全面的に賛意を表するところでございます。
しかしながら世上、この
法案に対しまして種々の批判が行われております。その
一つは、
国民健康保険を
国民医療のための
中核的の
制度として、この際飛躍的に発展させるためには、この
法案に盛られている
程度の
改正では物足りないとするものであり、他の
一つは、特定の、特に技術的の点につきまして、一部の
方々からの反対でございます。けれど私
ども国民大衆の
立場に立つ者といたしましては、この
法案はその大筋においては承認せらるべきものであると
考えるものであります。
以下、それら世上に行われておりますこの
法案に対する批判ないし反対に関連いたしまして、私の所見を述べさしていただきます。
第一の部門は、
国民健康保険制度はこの
法案の
程度では不十分であり、この際
給付率はこれを少くとも七割とし、
給付に対するところの
国庫の
補助率は、これを少くとも三割にせよという主張でございます。
まず最初の問題といたしまして、この
法案では
給付率を最低五割と規定している問題でございますが、
社会保障制度審議会におきましては、
国民健康保険診療の本人の
負担を三割、従って
給付率を七割とすべきことを、すでに勧告いたしております。まことにこの七割
給付は望ましいことは論がないのでございますが、現在多数の貧弱
町村におきましては、かりにこの際
国庫負担率を一挙に三割
引き上げましても、なお
保険料とかあるいは
保険税でもってまかなう部分を四割ということになるわけでございまして、この四割を
保険料、
保険税でまかない得るということであれば、問題はきわめて簡単でございます。ところが貧弱
町村におきましては、四割を
保険税ないし
保険料でもってまかなうということは、現実においてはできがたいものが多々あると思うのであります。従って、当分の間
給付率を最低五割ということに法定いたしまして、余裕のある
町村におきましては、
給付率を六割あるいは七割という工合にすることを、国の施策として、推進するということは、もちろん望ましいことでありますが、
法律の体系といたしまして、五割——今日
給付率でいう最低の線を引いたということは、やむを得ないのではなかろうかと思うのであります。特に未開始の
町村におきまして、いきなり七割
給付の
制度ということが強制せられるということになりますと、それ自体おびえてしまいまして、その
町村が
国民健康保険制度を開始することがなかなかできない、かえって逆効果を来たすのではなかろうか。私
ども今日念願いたしますことは、この
国民健康保険制度を通じての
社会医療の全
国民への浸透、徹底ということが第一の問題である。その問題を
一つとらえますと、七割
負担を今日肯定するということは、なかなかむずかしいのではなかろうかと思うのでございます。
次は
国庫負担を二割五分——
国庫の
補助率を均等二割、
調整交付金の形において五分保留いたしまして、平均いたしますと、二割五分ということになる。貧弱
町村に対して三割、四割を投入するということは、望ましいことでございますが、それがための方策として、いろいろ、たとえば再
保険の方式はどうか、つまり各
保険者から
保険料を
徴収いたしまして、
国庫でもってあるいは中央政府でもってこれをプ—ルしておきまして、事実赤字が出た、欠損を生じたところの
町村に対しては、これを再
保険の形でもって補給するということはどうかというような御
議論も、前にあったかと思うのでありますが、均等二割
国庫負担、あとの五分はいわば
保険料というような形におきまして、国でもって保有いたしまして、それで
重点的に三割、あるいは、これは限度がないのでございますから、倍ならば四割もの、
調整交付金を入れましてのその
町村に対する資金の投入が可能である。こういうふうに
考えますと、今日のところは、私はこの
程度やむを得ないのではなかろうかと思うのであります。しかし、ただいまの
法案におきましては、二割の均等
負担と五分の
調整交付金ができるという形で規定せられておりまして、必ずしも国の
義務規定になっておらないということが、確かに物足らない点でございまして、これはさっそく、国の
義務であるということを明らかにする。そうなりますれば、
補助金なんというようななまぬるいことであってはならない。国が
国民皆
保険あるいは
社会医療の推進ということに、
ほんとうに施策の
重点を指向するんだということになりますれば、当然国の
義務として、これは国の
負担という形において明確に規定すべきことではなかろうかと思うのであります。
なぜ私が、
法案におきまして、五割の
給付の
程度において当分しんぼうをすべきであるということを申したかと申しますと、もちろん
給付率の七割、従いまして、別に
国庫負担の三割ということは望ましいこととは思うのでございます。私もその一員でありますところの
社会保障制度審議会が、全会一致をもって総理大臣に勧告をしている線でございますから、筋としてはまさにそうあるべきでございます。しかしながら、
国民の
医療、
国民全体に対しての
医療を確保するというのは——この席でどうかと思いますが、
国保だけではないのですね。
国民健康保険だけが推進されれば、それで
国民医療、
国民皆
保険が完成するというものではないと思うのであります。たとえば
医療機関の適正配置、無医
町村の解消、あるいは
医療制度の合理化、さらに現在漸減しつつあるところの結核の死亡率、これに対してさらに追い打ちをかけるという
意味におきまして、
重点的に結核予防対策にも国の資金を投入しなければならない。それぞれによりまして、初めて
国民の健康というものが守られるんだということを
考えますと、
国民健康保険に対する
国庫の
負担率を、総計して二割五分の
程度においてこの際始まるということは、やむを得ないのではなかろうかと思うのであります。しかし、これに関連して私が特に申し上げたいことは、予防
給付というものが
国保の
給付内容の中に入っておらないことであります。すべての病気はまず予防からでございます。あらゆる災害は予防からであって、特に病気におきましては予防からでございます。その予防をおろそかにいたしまして、病気になってから、さて注射だ、手術だということは、ここにお医者さんの
方々がたくさんおられると思うのでありますが、もはや手おくれの感なきを得ないのでありまして、ぜひ予防
給付に対する——これはある限定を必要といたしましょうが、
社会保険として、特に
健康保険の
義務的な
給付として取り入れるということが必要ではなかろうかと思います。
第三の部門は、一部の
方々から特に技術的とでも申すべき御反対があるやに聞いております。現に本日の私の前にお述べになられました
公述人の
方々の御
意見の中に多々それを見るのでありますが、それらの
方々の御
意見に触れて、御
意見を反駁しようとか、あるいはそれを批判しようとかいうのではございません。それが世上最も重要な問題であり、当衆議院におきましても
法案決定におけるそれがかぎであると
考えられますので、私一人の市民として、また大学に職を奉ずるところの教員としての見解を申し上げてみたいと思うのであります。第一は、
保険医療機関を都道府県知事の
指定とすることは困るということ、第二点は、中立の裁定
機関を規定しなければならないということ、それから第三は、本人
負担の部分の支払いの最終
責任者を
保険者にしなければならない、被
保険者に置いておくことは困る、その他いろいろ問題があるようでございますが、問題はその三点にしぼることができるのではなかろうかと思うのであります。
そこで、まず
医療保険機関指定の問題でございますが、現行法におきましては、
保険医の
指定は
市町村長が現に行なっておるわけでございます。その
契約の
内容——
給付をどうするか、その他
契約の
内容につきましては、
医療担当者と
保険者との
契約に待つというのが現行法なのでございます。そういう現行法のもとにおきましては、もちろん
保険者の側にも、それから
医療担当者の側にもうまみがある——はっきり俗な言葉を使わせていただきますとうまみがある、というのは、小さな
地域の力
関係になりますからして、その
契約内容をどういう工合に持っていこうかということについてのうまみが双方にあると思うのであります。お医者さんの方が強い場合、
医療担当者の側が強い場合におきましては、
医療担当者にうまみのある
契約内容になり、それから
保険者の方の強い場合におきましては、
保険者によって
医療内容がたたかれたりあるいはつまみ食いをする、えり好みをするというような例が、従来全然なかったわけではないと私
考えております。今度の
法案におきましては、
医療内容は
健康保険程度に一応基準が引かれておりまして、
医療内容その他につきましては
契約の余地がもうないんですね。それは
健康保険の水準においてこれをやるんだとなっております。そういたしますと、これをどのお医者さんにお願いするかということを、
市町村長というような方よりも一段上級でもって、全県下に目の届く知事にされることが、むしろ私は適当であると思うのであります。そこでその
方々の御主張によりますと、登録制にしろという
お話でございますが、登録制というものは登録のための帳簿にその
方々が文字を書いてくれば、自分の名前を書いてくれば、当然なるというものではないのです。いかなる登録制でも録を受け付けるか受け付けないか、あるいは登録制を拒否するか拒否しないかということは、登録簿を備えておる側において権利を持っておるのが普通でございます。でありますから登録制ということになると、かえって私は主張されておる
方々の利益を害するということに理解するのです。私はあらゆる他の登録
制度というものを知っておりますけれ
ども、登録というのは単に登録簿に字を書いてくれば当然登録が行われるというものではなくて、登録簿に字を書いていただくかいただかないか、その登録を認めるか認めないかということは、結局登録簿を備える側において権利を持つのが普通の姿であります。もちろん登録というものをそういう工合に御理解にならないで、登録簿に字を書いてくれば当然
保険医として機能を果すことかできるというようにお
考えになる方もあるかもしれませんが、それは
一般にいう登録の概念とはほど遠いものがあると私は
考えているのであります。そこで従来の
契約形式が温存せられるということは万々あり得ないと思うのでありますが、現在の
契約形式が温存せられた場合、どういうことになるかというと、現在の
契約形式は非常にうまくいっておるところが大多数であるということは、私自身も承認するのでございますが、そうでない場合も多々あるのであります。たとえば
医療担当者側におきましては、
協力費の名におきまして
保険の
単価よりも
実質的に上回ったものを請求せられている、その請求に応じなければ
国民健康保険を認めない、あるいは直診の新設は今後一切まかりならぬという一札を入れさせなければ
協力を絶対にしない、こういうような事例が必ずしも少くない。こういうことでありますると、せっかく
国民皆
保険——
医療担当者も
保険者もそれから被
保険者も、打って一丸となって
国民健康保険の形式でもって皆
保険を推進しようという場合におきまして、かえって汚点を残すのではなかろうか。今度の
改正案は、それら従来存在しているところのいろいろな弊害を一掃するということを目的といたしておりまして、私ただいま申し上げましたような理由から、これが
指定方式が最善唯一のものであると必ずしも申し上げるわけではありませんが、少くとも一歩前進という
意味において、けっこうなことではなかろうかと思うのであります。
それから次に、中立の裁定
機関を設けなければならないということでございますが、その、苦情処理ですね。
医療担当者と
保険者との間の苦情というものは一体どこに発生するかというと、請求書に対して点数が減点されるかされないか、この点だろうと思うのであります。手術のやり方が間違ったとか、あるいは投薬の処方せんが妥当でなかったということについては、
国民健康保険自体は関与できない問題でございます。これは医学、医術の問題でございまして、もしそういう問題が発生すれば、おのずから場は別のところに求めなければならない。
国民健康保険が
関係する点は、いわばあくまでも経済的な点でございます。一面においては、
保険料をどういう方法でもって集めるか、賦課方式をどうするか、従ってある世帯に対してどれだけの
保険料を課せられるか、課せられたものが不当であるか不当でないかというような経済的紛争、それからまた
医療担当者と
保険者との紛争というものも、他の部面の紛争はかりにあったとしても、
国民健康保険は関知すべきではないのでありまして、要するにどれだけのお金が払えるか、払えないか、払うべきであるかということの紛争であろうと思うのでありますが、これは診療報酬審査会において一応やっております。これがいわば中正な方式、ちょうど中央労働
委員会におけるように三者構成になっておりまして、
医療担当者の方はそれぞれの母体から推薦を受けたところの者が参画をして御
議論が尽されているわけでございます。従いまして、そこでの決定になお不服があるということになりますると、第二審的な
意味でもう一段上級のものもあるいは必要ではなかろうかというふうにも
考えられるのでございます。この点、
医療担当者側の御主張のように、上級のものをもう
一つ、つまりすべての紛争を一審で決定をするということは、それがいかに三者構成でもって民主的なものであろうとも、なかなか御納得のできない
方々があるかもしれない、少くとももう一審、一級だけ紛争を処理するところの
機関を設けるということがむしろ当然のことではなかろうか、かように
考えているわけでございます。
それからさらに、一部
負担の支払いの最終
責任が被
保険者にることは困る、これはやはり
保険者でなければならないということでございます。この
改正案におきましては、一部
負担も
窓口払いに統一いたしております。そこで、事実
負担能力のない者、支払い能力のない者につきましては、減免の規定を設け、一時金を持っておらないという方に対しましては、猶予の規定があるわけでございます。ところが、診療
担当者であられる
方々が
窓口において認定をいたしまして、その認定に従いましてすべて
保険者がかぶるということになりますると、一体どういう弊があるでありましょうか。私はあえて申し上げますが、たとえば、どうもちょっと取れないということになりますと、まあいいよということになる。そういたしますると、自然お医者さん方の中では、開業しておられる方がかなりたくさんございますので、隣のお医者さんはそういうように非常に寛大に扱ってくれるので評判がいい、それじゃ私の方の医院でもそれをやらなければならないだろうということになるおそれが絶対ないということを確認ができれば、私は、
窓口で認定したその認定に従いまして減免あるいはその他のことをやっていいと思うのでありますが、これもそこで一応決定したことが、第二審的な
意味におきまして、三者構成でありまするところの協議会等におきまして、事実これを減免すべきかいなかということを村内全体、町内全体公平にこれを観察いたしまして、その減免を決定するということの方がむしろ妥当な方針ではなかろうか、かよう
考えますので、これは一応
医療担当者の方に
徴収の努力をしていただくという
意味におきまして、現在の
法案に盛られているところの規定に対しまして賛意を表するものでございます。第二十八国会におきましてこの
法案が流れたために、
国民皆
保険の推進のテンポは非常に鈍ってしまったのであります。東京、大阪のような大都市における
国保財政は一齊に見送られているのが現在の状態でございます。このことは大都市の住民、わけても零細企業の
方々あるいは五人未満で零細企業に従事しているような一番
医療保障を必要とする
方々が、
医療保障のお預けを食っているという
立場に追い込まれているわけでありまして、
医療保障の推進という
立場から申しまして、これほど遺憾のことはないと
考えるのでございます。
以上、いろいろの点につきまして
意見を述べたのでございますが、私は今日の段階におきましては、大筋といたしましてはこのたびの
改正案に対して賛意を表する、すみやかなる成立を希望するものでございます。