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藤山国務大臣 九月三日に
東京を出立いたしまして、
カナダ、
ワシントンを訪問し、同時に第十三回
国連総会に
出席して参りました御
報告を申し上げます。
カナダに参りましたのは、
カナダ政府からの招待がありましたので参ったわけであります。オタワに参りまして、
ディーフェンベーカー総理初め、
スミス外務大臣、
フレミング大蔵大臣、
チャーチル通産大臣等と
会談をいたしました。この参りますときに、
日本と
カナダとの間の
通商貿易の拡大ということを話しますことが
一つの
目的であったわけであります。
御
承知のように、
カナダと
日本との
貿易関係は最近著しく
改善はして参っておりますけれども、まだ二対一、
日本が倍の
輸入をいたしておるような
状況でございます。従いまして、私といたしましては、今日の
日本の
貿易振興の見地から見ましても、特に
硬貨圏において、しかも
日本が
輸入超過の国が、もっと
日本の品物を買ってくれるということが当然であり、またさしあたり最も必要な
輸出振興の
一つの
方途であるわけでありますから、その
意味において
カナダ政府とも
懇談をいたしたわけであります。
カナダ政府は、御
承知のように昨年
ディーフェンベーカー総理が内閣を組織せられまして、さらに本年の選挙において多数をとって、安定した
政治をやっておられるわけでありますが、色彩から申しますと、どちらかといえば、
保護貿易主義のような感じをわれわれも抱いておったわけであります。しかしながら
懇談してみましたところが、
カナダ政府といたしましても、現在のような事態において必ずしも旧来のような
保護貿易政策をとるという
考え方はないのだ。ただ
カナダ国内における
産業の健全な発達の上からいって、特に
カナダは御
承知のように
工業等もまだ必ずしも十分発達いたしておりません。
農林水産関係の
輸出でもって国を立てておる国でありますから、若干発達しかけてきております
中小企業、たとえば
織物等のような
業者が、
日本がもし不秩序な
輸出をするのであればやはり影響をこうむるから、そういう点について
日本側も十分な注意をしてもらいたい。そうしていたずらにそれらの
業者と
摩擦の起らないようにしてもらえば、
カナダ政府は、必ずしもあなた方の想像しているように
産業保護の
立場で
関税等の問題を考慮するというような、いわゆる昔の
保護貿易政策をとっておるのではないというような
説明もあったわけであります。従いまして私としましては、むろん
日本としても、
カナダの
業者の方々と
摩擦までしてやるということは、
お互いに共存の
立場からいって適当でないので、できるだけ
オーダリー・マーケッティング等をやると同時に、
日本も最近はかなり
綿糸製品以外の
諸般の
工業製品等が技術的にもあるいは質的にも発達してきておりますし、また価格の上においても低廉な場合が多いのであって、そういうものの新
販路開拓によって、できるだけ
カナダの
業者と
摩擦を起さないようにして、そうして
日本の
輸出を伸ばすという
方針をとっていきたいから、ぜひともそれに協力してもらいたいということで、円満な
話し合いをいたしたわけであります。なお、当時御
承知のように
英連邦の
経済会議が行われまして、十三日からモントリオールにおいて約十日間これが開かれておったのであります。
カナダのその
会議に
出席する
態度等についても、今申し上げたような
趣旨、また単に
イギリス本国だけを尊重するという形でなく、
アメリカとの
関係、
日本との
関係をも考慮してこの
会議に臨むのだというような
趣旨のことを申しておりました。なお直接
日本と
カナダとの問題は主として
経済問題でありまして、その他に
政治的な特殊の問題はございません。むろん
日米加漁業条約等の
運用等の問題もございますけれども、その他に特段の大きな問題はございません。
国連総会等においては、常に
カナダもしくは北欧三国というようなものは、われわれとともに手を携えて
国際政治の上で緊密な連絡をとっておりますので、
ディーフェンベーカー総理もしくは
スミス外務大臣等に対しましては、その点を力説いたしまして、今後ともできるだけ共同の
立場をとって、相連絡しながら
国際政治の問題について十分
世界平和のために貢献していくということにおいては、
趣旨は一致いたしております。なお
カナダにおきましては、御
承知のように、先般
アメリカとの間に
中共貿易の問題でいろいろ議論が行われました。また解決を見た点もあるようであります。それらに対しまして、
カナダの
中共貿易に対する態度なり、あるいはただいま起っております
台湾海峡を
中心にした
問題等について、
意見の
交換をいたしたわけであります。私といたしましては、その
意見の
交換を通じて非常に得るところがあったと考えております。
次に
ワシントンに参ったわけであります。
ワシントンに参りました
目的につきましては、すでに出発前に申し上げておる
通りでありまして、
日本が
岸内閣として長期に政権を担当して参ります以上、当然最も緊密に連絡し、
日本外交の基底をなす
日米協力の建前を進めていく上において、
日米間の
相互了解と、そうして
懸案になっておりますいろいろな
問題等につきまして、
お互いに
意見の率直な
交換をするということで参ったわけであります。しかしながらそれらの問題を進めて参ります上におきましては、具体的な
両国間の
懸案の
問題等を例示をいたして話すつもりでおったのであります。
ワシントンに参りまして、
ダレス長官と十一、十二の
両日約二時間にわたって
会談をする約束をして参ったわけでありますが、しかしながらこの時間は必ずしも多いというわけではないのでありますから、従って予備的に私が話します
問題等につきまして、事前に
マッカーサー大使と打ち合せをいたしながら時間の節約をはかるために話をいたしたわけであります。それらの問題につきましては、
日米間の問題の焦点であります
日米安全保障の問題、あるいは
両国の
経済関係の問題、極東の
情勢に関する
問題等に関して
話し合いをいたす予定をもって、あらかじめ準備をいたして参ったわけであります。参りますと、
ダレス長官の方から、十一日、十二の
両日の話では時間が十分でないだろう、従って
自分としては第一日を
日米間の
安全保障条約の問題を
中心にして、沖縄あるいは
小笠原その他の
政治的な問題を話し、二日目は
国際情勢を含めて
中共との問題、あるいは現在の
台湾海峡に起っている
問題等について
話し合いをする。そうして
経済問題に対しては時間がないだろう、それで一ぱいだろうから、
ディロン次官と別に話をしてくれ、そしてその
話し合いは
十分ディロン次官を通じて聞くからということのあれがありましたので、私も十分な時間を以上のような問題について
ダレス長官と話しますことは適当と考えましたので、
経済問題は向うの言います
通りディロン次官と話をすることにいたしたわけであります。
ディロン次官に会見をいたしましたのは二日目の十一時半からということでございますが、順序上
ダレス長官との話から御
報告を申し上げたいと思います。
ダレス長官と会いまして、そうして
日米間の
諸般の問題を
いろいろ話をしたいということで、まず第一に
安全保障関係の問題について
日本側の
意見を申し述べたわけであります。
安全保障問題については、昨年
岸総理が渡米されまして、
アイゼンハワー大統領に対してこの問題を話しておられます。当時その
話し合いの結果として
日米安保委員会ができまして、一年間運営されてきたわけであります。それを通じまして、
日本国民の
願望と現在の
安全保障条約を適切に運用する
方途を
委員会で
審議したのであります。この
委員会が満足に進行してきたということは
両国のために喜ばしいということを申し、また
ダレス長官も同じことを繰り返して私に申しておられました。私はさらに進みまして、
安保条約ができた当時と今日の
日本の
状態というものは大
へんに変っている。第一、
日本は当時
国際社会に復帰をしておらなかった。一昨年暮れ
日本は
国連に加盟をし、昨年はさらに
国連の
中枢機関である
安全保障理事会の非
常任理事国の地位を選ばれて獲得したのであって、その結果として
日本は
国連内においても
国際経済、
社会、
政治の問題について重要な役割を現在果しつつある。これは全く
安保条約制定の当時の
日本の
国際的地位と違っておるわけです。同時に
日本は当時
日本自身の守りをするのにも手薄であったのだ。今日では自衛隊というものがある程度数もしくは質において充実してきておって、そうして
日本国内の安全を守るということに対する
努力はできるようになってきたのだ。そこで
日本のこれらの
自衛力の増強というものも当時の
事情とは全く変っておるわけであります。その点も考えてもらわなければならぬ。
第三に、
経済力においても、当時
日本の
経済は復興の過程にあって、われわれが今日から回想してみても、今日と当時の
日本の
事情は大
へんに違っているということは申すまでもないところである。ところが
日本の
経済力というものはまだまだわれわれは完全に充実したとは思っておらぬ。それは底が浅いものであって、必ずしも完全ではないと思う。しかしながら当時とは
経済力の
充実程度も十分違っておるのであって、
日本の
政府の
施策さえよろしければ、
世界の大きな不景気の波というようなものが来てもそう動揺しないような
状態にもなりつつあると思う。
なお、
社会的な面においても、戦後の荒廃した
気持が自然に落ちついてきて、すさんだ
気持もなく、着実に
日本国民全体が
努力を続けて、そうして
独立国家としての
世界に対する貢献をしようという安定した
気持になりつつあるんだ。こうした
条件が当時と全く変りつつあるのであって、その面から考えてみると、当時それらの
条件の満たされておらなかったときに作られた
安全保障条約というものは、必ずしも今日の
日本の
国民の
気持には相応しておらないんだ。従って
日本国民としては
国際社会に出て貢献している以上は、もっと自主的な
立場でもって
安全保障の問題を考えたい、また考えなければ
国際社会に対する独立した国家としての行動もしにくいのであって、そういう面から、大局から判断してこれらの問題についての
改善を
日本国民の
願望として考えておるのだということを申したのであります。
ダレス長官としては、
自分は
安全保障条約の生みの親であるから、
安全保障条約というものがあのときに制定されてよかったし、また、それがうまく運営されてきておるというふうに思う。しかし同時にあなたの言われるように、
日本の今日のすべての
状況が当時と全く違っているということも、
自分もまたよく理解するところである。それから話は
安全保障条約に関するいろいろな問題について
話し合いをいたしたのであります。
私は過去一年間幸いにして国会に
出席をいたしまして、
皆様方の論議を通じて
国民の意のあるところを
承知いたしておるつもりでありますので、それらの論議の
点等につきましていろいろ
アメリカ側に申したわけであります。その結果
ダレス長官は、それでは
自分としてもこの問題について
一つ真剣に考えてみよう。そこでこれを考えるならば、
外交交渉においてこれらの問題を取り上げて考えていくことが適当であると思うので、あなたが帰国後に
通常外交ルートによってこれらの問題について
話し合いを進めてみたいという
考え方を表明されたわけであります。これが
安全保障条約に関する私の
話し合いの全貌でございます。
なお、
沖繩の問題につきましては、土地問題の
解決等に対する
アメリカ政府の
努力を感謝いたすと同時に、
沖繩の
国民は
日本の
国民なのであって、われわれは同胞だと思います。
施政権の返還を将来当然予期しておるのであって、
沖繩の
人たちは戦前においても
経済的に必ずしも恵まれておらなかったのであって、これらの者は本土の方から十分な補給と
援助をしなければならなかった。今後われわれとしては、
沖繩の
産業開発その他についてもできるだけ協力をしていきたいと思う。それらについて十分な理解をしてもらいたい。そういう点については
ダレス長官は、今後
日本の
考え方、またそうした
方策等があるならば、
外交ルートを通じて
アメリカ政府にも働きかけてもらいたいということであったわけです。
その他の
BC級戦犯の赦免の問題もしくは
小笠原帰島連盟の意のある
ところ等を申し上げました。これらの問題は、いずれも
アメリカにおいても
議会関係等もあるから確言はされませんでしたけれども、とにかく
小笠原帰島問題については、
十分外交上において
補償方法等において相談をした上で議会に諮るということを言われたわけです。
なお、翌十二日の
ダレス長官との
会談は、
国際情勢一般につきまして、
共産諸国と
自由主義諸国との間の
諸般の
問題等につきまして、いろいろな
情勢の分析その他の
交換をいたすと同時に、現在起っております
台湾海峡の問題あるいは
中共に関する
アメリカ側の
考え方等について
懇談をいたしたわけであります。それらの
懇談を通じて、
アメリカ側の考えておるところもある程度はっきりわかりましたし、今後
日本の
施策の上に非常に利益であったと存じます。
デイロン次官との
経済問題の話につきましては、
東南アジア開発基金の問題の話をまずいたしたわけであります。この問題につきましては、私の聞きたいところは、
アメリカが二国間の
援助計画以上に、集団的に
援助をする方式を昨年以上に考慮しつつあるかどうかということが
一つの点であります。申すまでもなく、皆様御
承知の
通り、
ラテン・
アメリカに対して、あるいは
中近東に対しての
援助方式というものが多角的な
援助方式を採用するようになりつつあります。従って、もし
東南アジア方面にそうしたことが起ってくるならば、そうした
中近東、もしくは
ラテン・
アメリカ方面と同じような
考え方でこれらの問題を処理するだろうかという点であったのであります。
デイロン次官は、
アメリカの
考え方はその点について若干変ってきておる。しかしながら、これは
アメリカが
指導者になって、そうした形を作るというようなことは、
アメリカとして必ずしも考えていない。当面二国間の問題として
援助計画が出てくれば、それは
ケース・バイ・
ケースで、できるだけのことを
東南アジアの将来の幸福のために考えていくのであって、それは進んで進めて参りたいと思う。もし、集団的な機構による
援助計画というものが
当該地域において、
話し合いによってできてくるならば、今言ったように
方針の
変更等もあるし、
財政等も見合いながらわれわれはそれを考えていくというのが
ディロン次官の私に対する回答、
話し合いの筋であります。私といたしましてはその点について得るところがあったと存じております。
なお
日本の
財政経済等の実情について十分詳しく話をいたし、
日本の
財政というものは決して現在悪い
状態ではないんだ、ある
意味から言えば
世界でもりっぱな
健全財政を堅持しているんだということを申し述べますと同時に、さらに
貿易問題について
日本が
輸出で食べていかなければならぬ、
アメリカとの
貿易はやはり現在
輸入超過になっておるのであって、これらの観点から見ても、
日本商品をもっともっと買ってもらわなければならぬ。たまたま
日本の方で秩序ある
輸出方策をとらなければならぬけれども、しかしながらそれをとりながらも、なおかつ上院等において
業者からの問題提起があり、いろいろ
関税問題あるいは
輸入制限
問題等が
審議されるのだから、これらのものは
日本としてもできるだけ善処をするが、
アメリカ政府としてもそういう問題について高所大所からみんなを指導し、また
日本が
輸出貿易に依存していかなければならぬ
立場というものを十分
政府として理解して善処をしてもらいたいということを申し述べたわけであります。
ワシントン政府としても当然
日本が
輸出貿易で食べていくのであるし最近では
日本のオーダリー・マーケッティングというものがだんだん軌道に乗っていることは
自分たちも認める。従ってできるだけそういう国内におけるいろいろな議論に対して、
日本の実情等を
説明しながら
一つ指導して参りたいということを申しておったわけであります。
以上が
ワシントンにおきます
会談の内容であります。
引き続いて私は
国連の十三回総会に
出席いたしたわけでありますが、
国連の総会は十六日に開かれました。私は国会等の
関係で帰国を急いでおりましたので、十八日に冒頭演説をいたしまして
日本の第十三回
国連総会に対処いたします
考え方を申し述べたわけでございます。
当時、開会と同時に、各国
代表団の関心はやはり
台湾海峡の問題、それから
中近東の問題の二つに大体しぼられておったと思います。核実験禁止の問題についてもむろん重要な関心を持ち、
日本代表団としても深い関心を持っておったわけでありますが、しかしこれは御
承知の
通り十月三十一日から三国間で
協定を始め、
話し合いをするという
状態でありましたので、それを期待する態度を持っておるわけであります。ただ
中近東の問題につきましてもあるいは
台湾海峡の問題につきましても、これらの問題が将来
国連等において相当な問題になるような予感もするので、従ってそれらの問題についてはみな非常に注意深く見守っております。しかし何としましても
中近東に関しましては、九月三十日のハマーショルド
報告が出る前は、その
報告を見た上にしよう、また
台湾海峡の問題は、ワルシャワにおける米中
会談の結果、平和裏に
会談の成立する日を成功を祈りつつ見ていようということでありまして、何か波乱含みではありますけれども、あらしの前の静けさと申しますか、私のおりましたときには底流においてそれらの問題がいろいろ心配されておりましたけれども、冒頭演説における例のごとき激しいやり合いはございましても、総会全体の空気としては時期待ちというようなことで、みんなが見ておったというようなことでございます。われわれ
代表団といたしましてもそれらの点を考慮しながら、今後の活動に備えていくという
状態で
努力いたしておるわけでございます。
なお総会
出席に当りまして、例のごとく総会劈頭には各国の
外務大臣がすぐ集まって参ります。ことしは昨年よりもさらにふえておりまして、
出席の通知をいたしております国が五十数カ国あったようでありますが、私のおりましたときにすでに四十二カ国ほどの各国の
外務大臣がニューヨークに集まってきておったわけであります。私といたしましては、
東南アジアの
外務大臣あるいは国務大臣等閣僚の席にある方々と昼食会等をして
意見の
交換をし、またその他の会合にも
出席をいたしまして、それぞれ
共産圏、
自由主義諸国の
外務大臣と、昨年参りましたから大体顔見知りになりつつありますので、それらの者と余暇に
話し合いをいたしました。が、特に私といたしましては
日本が近接地域であります
台湾海峡においてただいま問題が起っておりますので、
アメリカと同時に極東にかねて深い利害
関係を持っております、しかも
中共を現に
承認いたしておりますイギリスの
考え方等を聞いておきますことは、今後の
日本の外交政策を考えて参ります上に非常に有益になるかと思いまして、特にロイド外相とは二時間にわたる
懇談を申し入れたわけであります。快くロイド外相は時間をさいて会見をしてくれたわけであります。この会見におきまして
中共並びに
台湾海峡に対しますロイド外相のいろいろな
意見また英国の
立場等につきまして私的に
懇談をいたしました。非常に有益であったと私は考えております。ただ私的の
会談でありますからその内容を申し上げるわけにはいかぬのはまことに残念であります。何かそういう私的な
会談で、申し上げないためにいろいろの誤解のあったということは残念だと思っております。あまり私的な
会談の内容を申すと、
相手国の
外務大臣がこれから会ってくれなくなると困ります。その点は皆さんの御了承を願いたいと思います。
以上をもちまして大体私の今回、回って参りました
報告といたします。