○森八三一君 私の申し上げましたのは、知事とか市長とかいうような、地方に例をとりますれば、そういう
立場の人を対象に申し上げたのでありまするが、立法上いろいろ考慮しなければならぬことは、法定するとすれば当然これは重要な問題であるわけでありまするが、すでに本院におきましては、全会一致をもちまして具体的に立法をして可決をしておるというような歴史もあるわけでありますので、そういうようなすでに院議をもって
決定されておるという事実を参考に願いますれば、必ずしもこれはそう長時間かけて論議を尽しませんでもおおむねの結論は出てくると思います。中央の政府につきましては、歴代の内閣が今総理のお話しになりましたように措置をされておりまするので、これは私
ども今ここで直接問題にしようとは思っておらないのでありますが、これとてもそういうような方針とか申し合せによって措置するということではなくて、法定されておりますれば、きわめて明確なことでもございまするから、あわせて
一つ十分趣旨を御了解である限りはすみやかにその趣旨が具現されまするように配慮を願いたい。その配慮は、中央政府の方は一応現実の問題としては具体的に措置されておりまするが、地方につきましては、そういう措置が今とられておらないというところに問題がある。しかも明年はそれが大多数改選になるということでありますので、改選の前にそういう措置をしておくということが、これは非常に将来論議を起さないポイントになると思うのであります。現に衆議院ではそういうような論議のもとに、それだけではありませんけれ
ども、そういうことが
一つの議論の中心としてあの
法律案というものが廃案のうき目を見ておるというふうにも聞いておるのでありますが、選挙の前にそういう措置をしておくことが大切であるというように
考えますので、十分御考慮を願いたいと思います。これは希望として、御同感である限りは実現するようにという注文をいたしておきます。
その次に、昨日もこの席で御論議があったようでありますが、非常に重要な米麦の価格の問題についてお伺いをいたしたいのであります。私も米価審議会の
委員といたしまして、数日間このことに関係をして参りましたが、今のような姿で
国民生活、
国民経済全体に重要な関係を持っておりまする米麦価格の問題を論議しておりましたのでは、いたずらに
国民からも疑惑を受けまするし、また、世評も政治米価だ、何だかだと言って悪評を浴びせかけるということでありますので、この際、こういう問題についてはすっきり割り切っていくという態度に出ずべきではないかと思うのであります。もちろんそのときの情勢によりまして、行政上いろいろの措置をしなければならぬことはあるとは思いまするが、基本的な米価、基本的な麦価というものについては、これはすっきりした計算ができる。その上にそのときの事態によって、あるいは不作の対策を立てるとか、いろいろ問題はありましょう。これは政治的に考慮されてしかるべきだと思いますが、基本米価、基本麦価というものについては明確にすべきものであると思うのであります。そういう観点から
考えて参りまするというと、何と申しましても、現在の
法律に明定されておることは一応守っていかなければならぬ。
法律が
不備であるとすれば、これを
法律を修正するという態度に出ずべきであると思うのであります。そこで具体的に
一つ総理の所信をお伺いいたしたいのは、二十六日の日に、米価審議会は麦価に関して政府の諮問にお答えをいたしました。それが二十七日の
閣議で
決定をされたのでありまするが、
決定の結論は、政府の諮問案
通りに
決定をされたのであります。現在の食糧管理法には麦の価格のきめ方について食糧管理法の四条の二、並びに施行令の二条の三というところにきわめて明確な規定があります。四条の二の原則規定は、麦の価格につきましては、昭和二十五年と六年の政府買い入れ麦価というものの平均を基準として、その後の物価指数の変動をかけ合せてはじき出すパリティ計算によって出てくる金額を下ってはならない。これが第一、その次に、生産事情及び経済事情を参酌するということが明定されております。
最後に押えとして再生産を確保することを旨として定む。こういうように
法律は規定をいたしております。そこでその第二に申し上げました生産事情を加味するということは、どういう方式で、どういう
考え方で加味するかということを施行令の二条の三に規定をいたしておるのであります。今回政府の計算せられましたのは、そういうことで計算をして参りまして、
最後にことしの生産事情、すなわち作柄というものを勘案せられました結果、特別加算という名称で十円を差し加えるという案であったのであります。その特別加算の
考え方がどういう基準に基いて計算をされたかということをだんだんお尋ねいたしますると、施行令の二条の三にはきちんと基準年次の生産、その年の生産予想というものを勘案してきめるという明確な算式が示されておる。その算式によってはじき出したものを二十五年、六年の平均麦価に物価指数をかけて出て参りました金額に加えるということで、一応生産事情というものは加味されるという形にいたしておるのであります。ところが、その計算に、全国各都道府県をながめますると、北陸地方のように基準年次に比べて一〇二%、一〇四%というような生産をあげておる県もありまするし、愛媛県や高知県あるいは九州北部のように、八〇何%という生産の県もございます。そこでそういうような府県別にながめた作況の不同な指数というものをならしまするために、分散度係数というものを
一つ新しく取り入れて、それではじき出しておられる結果が、今申しますように十円ということに相なったのであります。ところが
法律にはそういう分散度係数というものを使うということは書いておりません。ただ
最後に、経済事情を参酌して定めるということは書いてありますが、分散度係数というものは、これは経済事情と見るべきではない。これはあくまでも生産事情のしんしゃくである。だからそういう計算を取り入れてやるということはおかしいじゃないかという議論が
一つございました。私もその論議は理論としては正しいと思います。そこで審議会は、政府の出しておる金額には触れませんで、やはり
法律を守っていくという現政府の態度、これは私は当然だと思います。これは勤評の問題にいたしましても、労働問題にいたしましても、
法律を守っていくという
岸総理の態度に敬服いたしております。その
通りであります。当然のことであります。そこで、そういう
法律の規定というものをきちんと当てはめて計算をした結果、三十円でも、四十円でも出てくる。それをつけ加えるということでなければならぬということでございませんので、一応それはそれとしてつけ加える。しかし、その次に書いてある経済事情を参酌した結果こうなる、こういう
判断でございますれば、これは一応
法律を順守してやっておるという姿になると思うのでありますが、そういうことでなしに、
法律に明定されておる以外のファクターをもってきて計算して、こうなりましたということでは、少しおかしいのではないかと思いますのでございます。でございますから、麦価の問題は一応すでに告示をされてしまったのでございますが、そういうふうな
法律に定められておることを別のファクターで修正をするということはいかがな問題であろうと思います。
米価の問題に移りまするが、米価の問題につきましては、これは総理は十分こういう専門的なことは御記憶がないと思いまするが、また、御記憶もあろうかとも思いまするが、最初には昭和九年から十一年まで、三カ年間の自由経済時代の平均をとることが物価の基礎にするのには一番妥当であるということで、これは商工物資から農林物資あらゆるものの統制時代には、九年−十一年の平均を基礎として、その後における物価指数その他の変動を加味して、公定物価というものが定められて参ってきておりました。米についても同様なことで、ずっと進行してきておったのであります。ところが、昭和二十七年になりまするというと、昭和九年−十一年というような戦前の数字を持ってくることはもうすでにナンセンスだということで、学者の
諸君を政府がお集めになりましていろいろ御考究の結果、昭和二十五年と六年の平均をとることが一番
実態に即するということで、昭和二十五年、六年の政府の買い入れ米価というものの平均をベースにして、それを基準価格としてずっと昭和三十一年まで計算をされて参りました。麦の場合にはそのことが
法律に明記してあるのです。昭和二十五年、六年の平均を基礎として、パリティ方式によって算出すべきであるということが明定してあります。米についてはそういうことはございません。しかし、その趣旨はずっと取り入れられまして、昭和三十七年以降、それでずっと計算されて参ったのであります。ところが、昭和三十二年差の米の計算をするときに、その昭和二十五年、六年の平均をとることはまた
実情に即さなくなったということで、昭和二十九年から昭和三十一年まで、最近三カ年の平均をベースにして計算をされたのであります。そこで、本年の米価を計算するときに、昭和二十五年、六年をとることは、去年のいきさつからいって妥当でないといたしますれば、問題点が
一つ残りまするのは、麦についても、昭和二十五年、六年をとることは、妥当でないということにならなければおかしい、そのことは
法律に明定されておるからやむを得ずやるということでは、これはいかがなものであろうか。もし昭和二十五年、六年の平均をとることが妥当でないという結論でございますれば、去年からことしまで一カ年間、その間に
国会は二回開かれておるのですから、その二十五年、六年の平均をとることは妥当でないなら、
法律を修正するという
手続はこれは当然おとりになってしかるべきではなかったろうかと思う、その
手続はおとりになっておらぬ、そうしてことし、最近三カ年をとらずに、去年と同じように二十九年から三十一年まで、一年飛ばしたその前の数字を持ってきていらっしゃるのであります。そうして説明を聞きますると、昭和二十九年から三十一年までの平均が比較的平年作を物語るようなことで妥当であろうという御説明ではございまするが、昭和三十二年までの最近三カ年間をとりますると、結論の数字は変ってくるのであります。そこで変って参りますということから、生産者にしてみますると、いかにも政府は安い米価、安い米価に抑えるために、そのときそのとき御都合のいい数字を持ってきて、
あとから理屈をくっつけてはじき出しておるのだ、去年は昭和三十五年、六年をとることは妥当でないということで、二十九年−三十一年の平均にした、ことしは最近三カ年でなくてやはりその数字を基礎にしている、いかにもそのときどきの財政上その他の都合によって、安い数字、安い数字が出てくるようなことばかり
考えているのではないかというようなことの疑惑を持つのであります。こういうような疑惑を生むようなことを今後も繰り返しておりましたのでは、これはとうてい
国民生活にきわめて重要な関係を持つ米価の問題をすっきりして参りまするわけには参りかねると思う。どうしてもここで基本米価についてはもう論議をいたしませんでも、数字的にきちんとはじき出せるような方式というものを
考えなければならぬと思うのであります。そのことは
あとでお尋ねをいたしたいと思いまするが、いずれ昭和三十三年産の政府買い入れ価格についても御
決定になるのでありまするが、その際に今申し上げましたように、基準価格のその基礎となるべき数字の取り方について、昭和二十七年までの経過、その後昭和三十一年までの経過と、三十二年のおとりになった対策と、そうしてまたことしのものというようにいろいろ変遷がございまするが、昭和三十二年産米と三十三年産米を比較いたしました場合に、最近三カ年をとるということになりますると、一石で六十五円上るのです。これは物価指数の関係で、そのために政府は約二十億円の財政負担がふえます。このことは確かに財政上問題ではあろうと思います。確かに考慮しなければならぬ問題点ではあろうと思いますけれ
ども、六、七年間踏襲してきた二十五年、六年のことをやめて、昨年は最近三カ年をとったといたしますれば、ことしも最近三カ年を、たとえその結果、上ろうと上るまいととらなければ、たまたまそれか上るというような
実情が出てくるものですから、なおさらもって生産農民としては不快な感を持ち、いいかげんなことをやっているのだ、こういうことの
判断をすると思うのであります。さて二十九年−三十一年の三ヵ年間の平均がほんとうにベターなもので、いいものかということを議論いたしますると、これはその道の
専門家の大川博士に聞きましても、その他に聞きましても、そんなことは断定できません。ことに昭和三十年は御武以来の大豊作の年です。そういう年が中にはさまっておるときに、それへ持ってきて一番都合のいい平潤の
状態を現わしているという説明は、これはどうしてもできません。それから二十九年から三十一年までをとるか、あるいは最近三カ年、三十二年までを入れることにするかということは、論議は論議をしても水かけ論だということを申しておるのであります。そこで御
決定をなさりまするときには、できるだけ生産農民に不快な感を持たせませんで、便宜主義的にやっておるという感じを持たせませんで、一俵でも多く法規の命ずる統制のルートに乗せまして、消費者に対する増配ができるように御工夫をいただきたいと思う。その結果がたまたまこの計算をしますと、上るということから、ちょっと感じが悪いのですけれ
ども、上ろうと下ろうと、とにかく最近三カ年をとるということがありますれば、やっぱり最近三カ年をとるということにことしは
考えてもらいませんと、非常に結果的にまずいのじゃないかという感じを持つのでありますが、これは
専門家でない総理として理論的にどうお
考えになりますか、これは
食糧庁長官や
農林大臣に聞きまするというといろいろ御説明はあります。私も耳にタコができるほど聞きましたが、そういうことでなくて、ずっと経過を今申し上げましたように、去年は二十五年、六年の平均が適当でないからやめたと、最近三カ年間をとりましたと、ことしも三カ年をおとりになる方がやっぱり生産者としては納得がいくのじゃないかとこういうように感ずるのでありますが、
農林大臣の御
報告を得られまして、最終
閣議決定の際にどうお
考えになりまするのか、そのお気持だけを
一つ聞いておきたいと思うのであります。