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参考人(
茅誠司君) 私は、
最初にごく簡単に
南極地域観測はどういう
意味を持っているかということを申し上げたいと存じます。
この
事業は、
地球観測年と申しまして、二十五年ごとに
地球をよく調べると、国際的によく調べるという
事業の
一環として行われておるものでありまして、
地球観測年が昨年の八月からことし
一ぱいにわたって行われているわけであります。で、
地球全体を非常によく調べる、ことに最近発達しました
科学の
計測の結果
——計測機械が非常にりっぱになりましたので、それを使って調べるということの
一環でありますが、
地球をよく調べますのには、どうしても極地をよく調べるということが必要であります。と申しますのは、たとえば
南極にして申しますと、
南極の面積は
アメリカ合衆国の一・八倍ほどでありますが、非常に大きな氷におおわれておりまして寒い。その寒い所から気流が流れ出て参りまして、いろいろの
気象条件を
地球に与えるのでありまして、
南極をよく知るということが
地球全体の
気象条件を知ることの非常に大きな手がかりになります。また、
太陽からエネルギーが放射されまして、
地球に来るのでありまして、われわれはそれによって生きておるわけでありますが、
太陽から出て参りますいろいろの光とか熱とか、そのほかいろいろのこまかい
粒子が飛んでくるものでありますが、御
承知の
通り地球は
一つの
磁石でありまして、
地球の
南極に
磁石の
北極がございます。
地球の
北極に
磁石の
南極がございます。そういう点で、
太陽から
電気を帯びました
粒子が飛んで参りますと、それは
北極または
南極だけに集まるのでありまして、その中間のところに飛んでくる
粒子の数は非常に少いのであります。そういう
粒子がどういう役目をするかと申しますと、たとえばそれが空気中の酸素とか窒素とかに当りましてそれを電離いたしまして、従って
電離層というようなものを作り、それが電波の反射、つまり
電気通信ができますのはそういう
電離層があるからでありますが、そういう
電離層を作る。従って
太陽からも、
太陽にいろいろの爆発その他の
現象が起りますと、それはすぐに
北極、
南極に
一等大きく響いて参ります。従って
太陽からの
活動の、
地球に与える影響を調べますのには、
南極もしくは
北極に参りまして
観測するのが一番便利なのであります。たとえば
デリンジャー現象と申しまして、
太陽に
黒点が現われてからしばらくしますと、
無線通信ができないというような状態が起りますが、それは
黒点から
粒子が飛んで出まして、それが
地球の外層に当りまして
電離層を撹乱するからであります。そういう
現象を
南極に行って調べますというと、非常に変化が大きく出ますので、
南極の
観測が非常に重要だということになります。こういう
意味におきまして、
南極地域における
観測が
地球観測年の
一環としてきわめて重要であるということなのであります。この
地球観測年におきましては、
南極を徹底的に調べたいということで
計画が作られまして、この
アメリカの一・八倍に当る全
地域に、私は正確な数を記憶いたしませんが、二十点近くの点が作られまして、その
基地を
各国が担当して、そこで
基地を設けて
地球物理学的な
観測をするということになりまして、
日本が与えられましたのは御
承知の
プリンス・ハラルド海岸におきますところの一点であります。一昨年の十一月の初めに参りまして
予備観測を行い、そして十一名の
越冬隊員を残したのでありますが、昨年は十月の末に
出発いたしまして本
観測のために参ったのでありますが、
気象条件が非常に悪くて氷が厚く、従って
宗谷が
基地に近づくことができない、ただ
越冬隊員を収容して帰ってきたということにとどまったのであります。その後
地球観測年は本年
一ぱいで終りますけれども、
南極地域に
各国が相当大きな
基地を設定いたしまして、金をかけたのでありますが、十分な
観測ができないうちに
地球観測年は終りますので、ぜひこの
観測を継続したいという
希望が起って参りました。と申しますのは、現在は
太陽活動の非常に盛んな時期なのでありまして、この盛んな時期が来年もまた続く、
太陽活動は大体十一年を周期とし行われておるのでありますから、
ほんとうを申しますと、十一年間
南極にあって
観測するというのが理想的なんでありますが、それではあまりに長過ぎるというので、とにかく現在よりも、まあ何年かわかりませんが、いま少し
観測を続けたらどうかといった話が起りまして、ICSUと申しましてインタナショナル・カウンシル・オブ・サイエンティフィック・ユニオン、
国際学術連合と訳しますが、そこで
南極地域特別委員会というものが作られまして、それには
南極地域の
観測に従いました国から
委員が選出され、またそれに関係を持つ
国際学術会議の中から
委員が選ばれるというようなことで
委員会が作られたのでありまして、その第一回はことしの二月オランダで開かれたのであります。
日本からは
永田東大教授が
委員として推薦されましたが、
南極に行っておりまして留守でありましたので代理を派遣しているのであります。その結果、国で申しますとアルゼンチン、オーストラリア、ベルギー、フランス、英国、ニュージーランド、南アフリカそれから
アメリカ及び
ソ連、これらの国々が引き続き
南極にとどまりまして
観測を継続するということになったのであります。
日本としては、どうするかということが非常に問題になりましたがまずこの問題は、
学術会議の中に
南極地域観測特別委員会というものがございますので、そこで審議いたしまして、学者の
希望といたしましては、その
専門家の
希望としましてはぜひ継続したいということをきめたのでありますが、それをことしの四月に行われました
学術会議の総会において審議いたしました。
学術会議におきましてもずいぶんと
論議がございまして、相当費用のかかるこういう
南極地域の
観測をするよりも、国の
科学研究に使う方が有利ではないかというような
意見も多々あったのでありますが、相当長い
討論、十分な
討論を重ねました末、
学術会議としましてはこの
観測をやるということを
希望したいという
決議が出たのでありまして、それを
内閣総理大臣あてに申し入れたのであります。
計画はどういうのであるかと申しますと、今度は十二名の
隊員を一年越冬させたいというのが主眼であります。昨年の本
観測の場合には、三十名の
隊員を一年間越冬させてそして
観測したいというのでありましたが、不幸にして氷の
状況が悪くて近寄ることができず、ついに
越冬隊を残すことができないで引き揚げてきた次第であります。そういう
状況を
考えまして、今度は十二名の
越冬隊員を残す。十二名というのは、どういう点から
考えたのかと申しますと、現在
昭和基地にはむねが三つございます。パネルの家が三つございまして、それはベッドが十二ございます。それから
発電機室の別の
建物がいま一むねございます。そういう点から申しまして、十二名が越冬するには今さらに
建物を建て増す必要はない。それから
食糧は、この十二名が一年間食べていくのに十分な
食糧が、種類はあまりありませんでしたが、十分ございます。さらにそのほかに
非常食糧として一年分とってございます。燃料も一年分ございます。そういう点から申しまして、十二名が越冬するということが可能なんじゃないか。越冬するには、
観測器材その他
食糧でも不足のものがございますので、そういうものを運ぶとしまして約三十トン、
観測器材が三トンほど、残り二十七トンほどの
越冬器材を運ぶといたしますと、十二名が一年越冬することができるであろう。この十二名の者並びに三十トンの
荷物を運ぶにはどうしたらいいかというような問題になるわけでありますが、過去二年の経験にかんがみまして、氷の
状況は相当悪い
地域であります。しかしながら、
昭和基地と申しますのは、ほかの
ソ連の
基地等に比べますと、
気象条件はきわめていい
土地であります。ただ不幸にして氷の
条件が悪いために近寄りにくい。たとえば
ソ連の
基地におきましては、
最低温度がことしはマイナス八十度をこえたことがございます。それから風も秒速六十メートル近いことがございましたけれども、
昭和基地におきましては大体北海道の
旭川程度の
気象条件でありまして、零下三十五度くらいが
一等低い
温度でありまして、風も三十メートル
程度のものでございました。そういう、
気象条件は非常にいいのでありますけれども、不幸にして地勢、風その他の点から氷が吹き寄せられるところでありまして、
海岸から相当遠くまで氷がはみ出ております。しかしながら、大体八十海里
程度のところまでは船が閉じ込められるおそれがなくて入り得る。その
程度のところから
荷物をかりに
ヘリコプター等で運ぶことができれば、十二名の
越冬隊員並びに三十トンの
荷物を運ぶことができるのじゃないかということで、いろいろと検討いたしてみますというと、
ヘリコプターで、
バートールF21という
ヘリコプターと、それから
シコルスキー58というへリコプターはともに一トン半近くの
荷物を八十海里近くの
行動半径において運ぶことができます。そういう
シコルスキー58ないし
バートールF21というものを持って行ったといたしますれば、それを二機持って行ったとしますれば、
十分向うに一カ月以上滞在することができますので、十分その
期間に運ぶことができると
考えます。現在までの
気象条件から
考えまして、
正月の初めから二月の中旬近くまで滞在したといたしますと、
ヘリコプターの安全に行動できる時間は百時間もあると
考えられるようでございますので、今申しました
程度の
荷物を運ぶということはきわめて可能、安全に実行できるという見通しが立ったのであります。そういう点で、今度は
宗谷の
砕氷能力をさらに強めるということを
考える必要はなく、
ヘリコプターの力によってこれを実行できるのではないか。しかしながら、
気象条件から見まして、
昭和基地の
気象条件、ことに氷の
条件は昨年は相当よかった。つまり、
予備観測のとき、一昨年の暮れから昨年の
正月、つまり
南極の夏にかけては相当
気象条件がよくて近くまで接岸することができた。その前の年はなおよかったようであります。その前々年は相当悪かったようであります。ことしはかなり悪かった。そういうような
条件をいろいろと
考えてみますというと、
ヘリコプターを持って参りますと、
気象条件がかなり悪くて氷が相当はみ出ておりましても、十二人、三十トン案というのは実現できる。しかし、幸いにして
気象条件がなおよければ
宗谷は砕氷して接岸し、そこから
雪上車をもって運んでいくことができる。さらにそれ以上の
荷物を運ぶこともできるだろう、そういう
準備を整えて行ったならばどうかということで
準備を進めたのでありまして、
学術会議におきましては、そういう点についてずいぶんと
論議がございました。ことしの
失敗と申しますか、
失敗を顧みてみますのに、ことしは二十人を越冬させる、三百五十トンの
荷物を運ぶ、そのためにいろいろの
準備をして行ったのでありますが、ついに実行することができなかった。これは結果論でありますから、大へんわがままな批評かもしれませんが、もしわれわれが最小限の案を
最初実行する、たとえば一番
最初に
越冬隊に
荷物を落す、手紙を落す等のことをする、その次に
越冬隊員を収容する、その次に数名の
隊員を
基地に送るというようなところから始めて、工合がよければ逐次接岸していって
荷物を運ぶというようなやり方をかりに
考えていったとしますれば、ある
程度の、たとえば六名
程度の人間が、
越冬隊員を残すことができたのではないかと思うのでありますが、御
承知の
通りに、
宗谷が
最初に閉じ込められてしまいまして、小さい案を実行しようとするときには、すでに時おそかったというわけであります。今度はまああつものにこりてなますを吹くということになるおそれがあるかもしれませんが、最小限実行可能な案というものを頭に置きまして、それを実行することを目標として、進んで
条件がよければ、その上で逐次大きな案に変っていく、そういう
準備をして行ったならばいいのじゃないか、そういう
考えに立って
準備を進めたのであります。そういうわけで
学術会議におきましては、その
説明が大部分の会員の了承するところとなりまして、
学術会議としては、つまり学会の立場からは、ぜひこれを行わせていただきたいということで
政府に対して申し入れをしたのであります。幸いにいたしまして、閣議におきまして、これが認められたということになりましたので、われわれ今そのためにいろいろ
準備している最中でございます。詳しいことは御質問ございましたならば、なお申し上げたいと存じます。