○
説明員(
内藤譽三郎君) ただいま
お尋ねの
道徳教育講習会の実情について御
報告を申し上げたいと思います。
実は道徳
教育につきましては、御承知の
通り昭和三十三年度の予算におきまして四百万円の予算が
承認されました。これによって指導者の講習会を行う計画を立てたのでございます。これは年度当初におきまして計画したものでございます。特に御承知の
通り、道徳
教育は去る三月に
実施要領を発表いたしまして、この
実施要領によって今日
日本の各
学校において道徳
教育が推進されているわけです。これで、現在私どもの
調査では、七、八割が道徳
教育が
実施されておりまして、なお残りの二、三割につきましても準備をしておりますので、九月からこれを
全国一斉に
実施することにいたしたわけです。これに伴う指導者講習会でございます。
で、道徳
教育の
内容につきましては、私ども各方面からの批判を受けておりますが、
内容については、どこからも今日まで
反対がなかったのであります。
日教組の講師団の
方々も
内容は賛成である、かようにおっしゃっておるのであります。
そこで、第一の会場は
東京で行われたわけでありますが、
東京会場は九月の六日から始めたわけでございます。当初会場はお茶の水の女子大学に会場を予定しておりました。ところが、幼稚園から
高等学校までが
授業を継続しておりまして、子供たちが退避訓練等をいたしております。私どもは当日の情勢を分析してみますと、約六千人の
デモ隊が押しかけて、ピケを張って実力行使によって道徳
教育指導者講習会を妨害するという情報を得たのであります。そこで、私どもは上野の
東京国立博物館に会場を変更したのであります。で、この会場変更につきましては、できるだけ刺激を与えないで、混乱を未然に防ぎたいというような
考え方から、会場は秘密にしておりまして、当日
文部省に全員集合いたしまして、
文部省から国立博物館に輸送したのであります。
当日は、
文部省の前とお茶の水大学と上野の国立博物館と、約六百ないし八百の
デモ隊が押しかけて、実力によって講習会を排除しようという傾向が現われたのであります。私どもはやむなく警官隊の出動を要請いたしまして、七時半に
文部省に集合し、バスで国立博物館に行ったようなわけであります。で、当初五日の計画でございましたが、集合時間が非常に早かったので、予定
通り講習会は順調に進行いたしまして、最終日に予定しておりました反省会と閉講式を第四日目に繰り上げて四日で終了した。
で、
デモ隊の動員
状況は、初日が七、八百で、だんだん減って参りまして最終日の四日はほとんど
日教組の方は見えなかった。で、初日は全学連、
日教組、総評、特に総評は二日目から出動いたしましたが、最終日は全学連が
中心でございまして、これが上野の国立博物館の正門前に集結いたしまして、バスが一方に集結しておりましたので、警官隊がそちらに気をとられている間にバスの運行前に
学生諸君が十数名飛び出しまして、バスの前にはだかってしまった。そして寝ころがってしまったので、やむなくバスの進行が一時中止せざるを得なかった。しかし、幸いに事故もなく、ともかく四日間の講習会は終ったわけでございます。
次に、仙台会場でございますが、仙台会場は九月の十五日に予定しておったわけであります。ところが、十五日は御承知の
通り教職員の一斉
ストが計画されておりましたので、できるだけ混乱を避けるという
趣旨から、一日ずらせまして十六日から開講したわけであります。で、初日は第一女子
高等学校において開かれた。ところが、
デモ隊がピケを張りまして、当時第一女子
高等学校では定期試験が行われておった。ところが、このピケ隊のために入場ができないで、ついに定期試験が延期せざるを得なかった。かような
状況下におきまして
学校側といたしましては、
教育上支障があるという理由で、会場変更を余儀なくされたわけでございます。そこで、第二日目は第二
高等学校に会場を変更せざるを得なかった。で、各方面を物色いたしましたが、適当な会場は全部押えられておりまして、ついに第二
高等学校以外になかった。で、第二
高等学校は一万数千坪ありまして、警備の
状況がよくなかった、特に生垣でございましたので、なかなか警備の点が困難であるということを承知の上で第二
高等学校において授講せざるを得なかった。ところが、第二
高等学校は案の定生垣でございましたので、
デモ隊が
学校に侵入いたしまして労働歌や革命歌を高唱し、あるいはスピーカーにおいて喧騒をきわめた。
デモも行い、ジグザグ行進等を行なって
学校の正常なる
授業ができない、かような
趣旨から二日間受講いたしましたけれども、ついに会場変更を再び余儀なくされたのであります。そこで、最終日におきましてはついに適当な会場はなく、やむを得ず旅館において講習会を続けざるを得なかったという実情でございます。特に私どもは、この会場を通じまして宿舎の前には、早朝四時か四時半ごろから
デモ隊が集結いたしておりまして、面会を強要し、あるいは大きな声で労働歌、革命歌を歌っておりまして、近所の御迷惑にもなり、旅館からも非常な苦情が出た。
デモ隊の押し合いへし合いのためにいつもバスは三十分ないし一時間くらい遅延した。かような
状況で、
デモ隊のために板べいや樹木が損傷をいたしまして、旅館からも宿泊を拒否された、これ以上宿泊は遠慮してほしいというような強い御要望がありましたけれども、損害賠償等一切の責任に任ずるからということで、四日間の講習会を継続したわけであります。バスにつきましては、ほとんど全部総評関係の
方々によってバスの契約をされてしまい、バスの余裕がなかった。七時までにしか契約ができなかった。しかもこのバス会社ではほんの数社でございまして、あと全部総評関係に握られてしまったというような
状況で、輸送においても非常に困難をきわめた。ともかく四日間の行事を一応曲りなりにも終了いたしまして、仙台会場は終ったわけでございます。
次に、奈良会場でございますが、奈良の会場におきましては、前二者の経験を十分に反省いたしまして、宿舎と会場を二つに分けていく行き方においては、警備の点についても大へんであるし、また無用な摩擦と混乱を避けるという
趣旨から、宿舎と会場を
一つにしたのでございます。当初奈良学芸大学を予想いたしましたが、ここにも子供たちがたくさんおりますし、子供たちにも迷惑をかけたくないと存じまして、つい最近まで米軍が使用いたしましたC地区のキャンプがございますが、このC地区のキャンプに集結いたしまして、ここに三百五十四名を収容いたしまして、宿泊できるようにし、食事を外から運搬しておるような
状況であります。初日は二十四日でございましたが、二十三日の午後三時半ごろまでには全部の収容を終ってしまいましたので、無事に入場ができたわけでございます。ところが、これをかぎつけました全学連、総評、
日教組のグループが二十四日の早朝から五百名ないし七百名の者が
デモをかけてまず安眠を妨害した、そして五時から六時に至る間裏門の有刺鉄線を五十センチほど切ってしまった、ここから十数名の者が闖入いたしまして、これが正門によるところの
デモ隊と相呼応してこの場内に聞入をはかったわけでございます。そして数百の者によって正門の片方の門が押し倒されてしまった、こわされてしまった。ついに警官隊の出動によってようやく
デモ隊を押し返したような次第でございます。で、初日は一応無事に済みましたけれども、依然としてきのう、きょうも行われておるようなわけでございまして、門を修理いたしましたが、さらに昨日は別の門がこわされてしまった。それから、ラウド・スピーカーを三つ備えつけまして、これで受講生に妨害を加えておる。特に現在は全学連の
生徒が非常に多いのでございまして、初日は約十九人を住居侵入の現行犯で逮捕したわけであります。そこで、門がこわれましたので、やむを得ず、ここに三寸角の丸太で正門を閉鎖しよう、こういうことで三寸角の丸太を一メートル五十程度積み上げ、そうして正門からの入場を阻止するようにいたしましたけれども、これも昨日夜半以来
デモ隊が全部これを解きほごして場内に侵入しようとしてまた門を倒したというような
状況でございます。大へん私どもも遺憾に存ずるのですが、本日までの
状況はさようでございます。