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1958-09-26 第29回国会 参議院 文教委員会 閉会後第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十三年九月二十六日(金曜日)    午後一時二十七分開会   —————————————   委員異動 九月十一日委員紅露みつ君、大沢雄一 君及び寺本広作辞任につき、その補 欠として西田隆男君、佐野廣君及び近 藤鶴代君を議長において指名した。 九月十二日委員谷口弥三郎辞任につ き、その補欠として大野木秀次郎君を 議長において指名した。 九月二十五日委員西田隆男君及び佐野 廣君辞任につき、その補欠として山本 利寿君及び紅露みつ君を議長において 指名した。 本日委員下井太郎辞任につき、その 補欠として林屋亀次郎君を議長におい て指名した。   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     竹中 勝男君    理事            後藤 義隆君            中野 文門君            松永 忠二君    委員            川村 松助君            紅露 みつ君            下條 康麿君            山本 利壽君            吉江 勝保君            岡  三郎君            高田なほ子君            湯山  勇君   国務大臣    文 部 大 臣 灘尾 弘吉君   事務局側    常任委員会専門    員       工楽 英司君   説明員    文部省初等中等    教育局長    内藤譽三郎君   —————————————   本日の会議に付した案件教育文化及び学術に関する調査の  件  (教職員勤務評定に関する件)   —————————————
  2. 竹中勝男

    委員長竹中勝男君) それでは、これより文教委員会を開会いたします。  まず、委員異動について報告いたします。九月十一日紅露みつ君、寺木廣作君、大沢雄一君が、また、九月十二日谷口弥三郎君が辞任され、その補欠として西田隆男君、近藤鶴代君、佐野廣君、大野木秀次郎君が選任されました。また、九月二十五日西田隆男君及び佐野廣君が辞任され、その補欠として山本利壽君及び紅露みつ君が選任されました。ついで本日平井太郎君が辞任され、林屋亀次郎君が選任されました。   —————————————
  3. 竹中勝男

    委員長竹中勝男君) 午前開会いたしました委員長及び理事打合会の経過について報告いたします。  本日の議題は、公報掲載通り教職員勤務評定に関する件であります。  次に、社会党側から、臨時国会において勤務評定問題についてあっせんを行なった学長ググループ及び読売調査団の中から適当な人を選び、参考人として出席求めること、教育行政のあり方について岸総理出席求めることについて提案がありましたが、各会派検討の上、次回理事会において協議を行うこととなりました。次回の委員会は九月三十日に聞き、教育文化及び学術に関する調査承認要求を行うことにいたします。なお、時間は追って公報でお知らせいたします。  以上報告通り取り扱うことに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 竹中勝男

    委員長竹中勝男君) 御異議ないと認めます。   —————————————
  5. 竹中勝男

    委員長竹中勝男君) 教職員勤務評定に関する件を議題といたします。質疑の方は順次御発言を願います。
  6. 中野文門

    中野文門君 勤務評定に関する事柄は、衆参両院におきましても種々今日まで論議をされて参っております。なお、一般社会におきましても、一国文教政策の最も重要問題として、これまたいろいろな角度から意見が述べられ、討議が加えられておることは申し上げるまでもないのでございます。私は、この機会文部省当局お尋ねをいたしたいと思います。私の質問言葉はなるべく簡素にいたしますが、御答弁は努めて詳細にお願いを申し上げたいと思います。  先般行われました勤務評定問題に対するいわゆる九・一五事件と申しますか、闘争状況につきまして、この席でお尋ねを申し上げるのでございます。全国的にながめますと、ほとんどのところが平常通りの当日授業が行われたように拝承いたしますが、一部の府県におきましては、全日授業打ち切り、正午授業打ち切り、あるいは登校拒否等が行われたのでありまして、私をして言わしめるならば、国家のため、日本における教育界のために、まことに残念に存ずるのであります。  そこで、この機会に、九・一五闘争状況を詳しく御当局から承わりたいと思います。お願いを申し上げます。
  7. 内藤譽三郎

    説明員内藤譽三郎君) 九月十五日の概況について申し上げます。  当日の学校運営状況は、全国的に見まして、一部の府県におきまして正午授業打ち切りが行われました。これは、県で申しますと、青森岩手山形福島群馬埼玉東京、新潟、京都大阪、兵庫、和歌山、鳥取、山口愛媛高知、この十六都府県の一部の学校において正午授業打ち切りが行われ、大体、他の府県におきましては平常通り授業が行われております。学校数で申しますと、この、今申しました十六都府県の全部がそうじゃなくて、ただいま申しましたように一部でございます。小学校中学校のうち、全日授業打ち切りのあったのが、福島県で一校という報告でございます。高等学校で、県立高等学校二校、計四校が全日授業打ち切りでございます。それから、正午授業打ち切り学校数は、関係府県総数が一万百六十八校ございますが、そのうちの約一割の千九十八校です。高等学校では五十校が打ち切りが行われておるのであります。合せまして千百四十八校が正午授業打ち切りをやっております。午後三時以降授業打ち切り合併授業とか、時間短縮等、不正常授業を行なった学校は、小中学校で七百校、県立高等学校で二十八校、七百二十八校でございます。それから、他日に授業を振りかえた学校数は、小中学校で八百、県立高等学校で一校、計八百一校であります。大体ただいま申しましたように学校数の一割前後が正午授業打ち切りであります。特にそのうちで、正午授業打ち切りのうち著しいところは、東北の山形岩手——岩手が非常に多かったようでございます。それから群馬大阪和歌山高知、この六つの府県におきましては、正午授業打ち切り学校数が特に多かった。それから登校拒否、または早退影響も一部地区を除いてはとんと影響はなかった。影響があったと認められるのは次の八県でございまして、山形福島群馬京都和歌山山口愛媛、福岡、これもごく少数でございます。  それから集会開催状況教職員勤務状況につきましては、大部分が午後三時以後の集会が多かった。教員参加状況は、私どもの調査によりますと十五万程度、せいぜい教員総数の二割前後と見られたのであります。しかもこれが全部じゃございませんで、この十五万のうち、その七割は勤務時間外に参加しておる。しかし青森岩手山形埼玉東京京都大阪山口愛媛の九都府県においては、相当数のものが校長承認を得ることなく勤務時間内に教員組合の、この一斉授業打ち切り行動参加していることが注目に値すると思います。  以上が大体のことであります。
  8. 中野文門

    中野文門君 九月十五日の勤務評定反対闘争に、承わりますと京都市の高野中学でございますかにおいては、中学生が校内で学生大会を持ち、これは校長が許可したとも聞いておりますし、しないとも聞いておりますが、当日校庭で中学生学生大会を開いて勤評反対の勢力を結集し、さらにまた中の学生がその前後の機会学校内のガラスその他に一石を投げて、むちゃなことをやったということを聞いておるのでございますが、この勤務評定反対闘争の一翼と申しますか、一部に、あるいは高等学校生徒、さらにまた中学校生徒参加したという事柄につきまして、文部当局の方で何らか御調査があるようでございますれば、この際御説明求めたいと思うのでございます。  高野中学の場合は、九月十五日大会をもってそのままの勢いで、中学先生が先頭に立ってプラカードを押し立てながら、そのままの勢いで当日のデモ参加をしたというふうにも承わっておりますが、状況いかがでございますか、お尋ねを申し上げます。  さらにその九月十五日闘争で、宮城県の、これは地方新聞に出ておったようでございますが、ある女の先生が、理由は私ども存じませんが、その日教組の指令に反対と申しますか、仲間先生行動反対したと申しますか、結局闘争参加しなかったのでございまして、その女教員に対して、しかも信徒の面前で、ある政党の党員が髪の毛を引っぱりながら、これに相当な暴行を加えたということが地方新聞に出ておるのでございます。いろいろとこの九月十五日を中心にしたあの事件に、こまごまとした事柄はずいぶん全国的にはあったろうことが予想されるのでございますが、ただいま私がお尋ねをいたしましたことは、私みずから十分調査をした案件でございませんので、もし文部省当局の方にそうした事柄について何らか今日御報告等が参っておるようでございますれば、ついでながらこの機会に承わっておきたいと思うのでございます。
  9. 内藤譽三郎

    説明員内藤譽三郎君) ただいま京都高野中学校事例及び高等学校の話が出ましたので、簡単に御報告させていただきます。  京都市の高野中学校においては、九月十五日朝、一時限の授業終了後、生徒会代表から生徒大会開催校長に要望したが、校長はこれを認めなかった。そのため一部の生徒教室ガラスをねじ曲げる等乱暴を働いたのでございます。この事態に対して、校長はやむを得ず第二時限からの生徒大会開催を認めざるを得なかった。生徒大会におきましては、勤評反対等の決議を行なって、生徒大会終了部落解放同盟に属しているところの子弟約百名が、区の教育委員会に押しかけてデモを行なっておるのであります。なお、この学校教員は正午から一斉早退をしておるのであります。  それから、高等学校事件といたしましては、京都府立洛北高等学校というのがございますが、これは九月十五日第二時限までの授業を行なって、その後生徒会代表生徒大会開催について要望された。これに対して校長開催を認め、生徒大会は午前中開催された。この生徒大会においては、社会科学研究部中心となって、勤務評定について討議し、大半生徒態度を保留しておるにもかかわらず、教組勤評反対闘争を支援するということを一方的に決議してしまった。なお、この生徒大会開催に当っては、生徒会の役員が学校の各出口を固めて、一部の生徒の帰宅を防ぐ等の動きも見られたのであります。この学校教員六十五名中十四名を除き大半は正午から一斉早退をしたため、校長は午後の授業をやむを得ず中止した。  最後福島県の事例でございますが、宮城の仙台の新聞に載っておると言われた事件でございますが、これは福島西白河郷大野木隈戸小学校における女教諭暴行事件でございまして、この隈戸小学校において、九月十五日の朝、同校教諭吉田稔二十二才が、同僚の田中宜子教諭、これは三十二才、これに対してきょうは授業はないので、教組措置要求大会参加するように説得したところ、田中教諭校長の許可を受けないではそういうことはできない旨を主張して教室に行ってしまった。このため吉田教諭田中教諭教室まで追いかけ髪の毛を引っぱる等の乱暴を働いた、これについてはただいま警察の方でも調査中であるようでございます。なお、吉田稔教諭橋福島教員組合の県の執行委員をしておるというふうに聞いております。
  10. 中野文門

    中野文門君 引き続きまして文部大臣お尋ねをいたしたいのでございます。先ほども当文教委員会理事会で、社会党の方から適当な時期の文教委員会に、例の九月十五日事件あっせんに出られた学長グループの召喚と申しますか、出頭を求める話が出たのでございます。いずれそういう機会がかりにあるとするならば、そういう席でも今私が述べようとする事柄が問題になろうと思うのでございますが、ここでお尋ねをいたしたいのは、あの緊迫した九月十五日直前のころ、一部の学長グループ人たち文部大臣に面会を求められて、九月十五日闘争を中止することを中心にしたあっせん行為に出られたということが新聞紙上等で報道されておるのでございます。その学長グループあっせんの意図、あるいはどのような腹がまえを持ってあっせんに乗り出されたのか、このようなことにつきまして世上いろいろと、あるいはかりに新聞をとらえてみましても、新聞新聞によりましてはその発表報道の仕方が多少変っておるのでございます。この機会にいわゆる学長グループあっせん問題について、具体的に文部大臣とどのような話があったのか、この際詳細に承わりたいのでございます。
  11. 灘尾弘吉

    国務大臣灘尾弘吉君) お尋ねのいわゆる学長グループ方々と私が会見いたしましたてんまつについてお答えいたしたいと思います。速記をとったわけでもございませんので、どういう言葉を使ったということになりますと、正確な点は……その要旨についてお答え申し上げたいと思います。九月十三日に私のところへ下中弥三郎氏と蝋山政道氏と上代タノ氏、この御三方がおいでになりまして、いわゆる学長グループ皆さん方相談の結果来たのである、こういうことであったわけでございますが、その御趣意は十五日に迫っておりますところの、いわゆる勤評ストを何とか回避したい、日本教育のために、また学童のために何とかストを回遊したい、そのためにわれわれは相談をして今日来たようなわけである。御要旨は、私と日教組委員長小林さんと、この学長グループ方々、三者会談といいますか、そういう会談を持って、そこで一つよく話し合ってストを回遊のために最後努力をしたいものである。こういうふうな御趣旨であったように私は伺ったのであります。そのときの十三日のお話では、学長グループと称せられる方々の御相談では、十五日の混乱を避けますために勤務評定実施は現存の段階において進行を停止する、そうして審議会を設けまして、大体一年ぐらいの期間をもって、内容方法等について検討をする。こういうふうなことをお考えになっておられたように伺ったのであります。これも書いたものをいただいておりませんので正確に申し上げることは困難でありますが、要旨はそういうところにあったと思うのでございます。その際、いろいろ御懇談もいたしたわけでございますが、当日は私のそれに対する同等をお求めにならなかったのでありまして、なお小林委員長その他の向きに対しましてお会いになった結果をまた持って連絡をするから、その際に一つ大臣の返事を聞かしてくれというふうなことで、当日はお別れをいたしたわけでございます。そうして、その後小林委員長とも会見せられ、また、自民党の本部で川島幹事長及び赤城官房長官会見をせられて、また院内で社会党鈴木委員長会見をせられたように伺っておるのであります。  当日は、日教組の方も回答が相当時間がかかったようでございまして、十三日には百度お目にかかるということは初めは予期いたしておったのでございますけれども延期せられることになりました。十四日の午前十一時にそれでは文部大臣の部屋でお目にかかろうということにいたしたわけでございます。  それから、翌日になりまして、午前十一時ごろに下中さんと上代さんと蝋山さん並びにそのときには茅東大学長及び矢部拓大総長、この五人の方が小林委員長とお会いになりました後に私のところにおいでになったのであります。その際のお話では、ちょうど前の晩に放送もありましたけれども、日教組の方の回答は、現在、実施中の勤務評定白紙に返す、それから審議機閥を設置して、勤評可否を含めて審議する、こういうことを政府の責任において全国一斉に措置する、これが認められる場合には九月十五日に全国一斉行動を取りやめる、こういうふうな趣旨のことが日教組回答としてもたらされた、かように伺ったわけであります。  そこで、私に対しましての回答をお求めになったわけであります。  私は大体次のような趣旨のことを申し上げました。いろいろ私も考えましたが、大体こういうふうな考え方をしておりますから、それを御了承願いたいということで申し上げたのであります。もちろん今回の勤評に関する十五日のストを回避するということにつきましては、だれしも考える問題でございます。私自身といたしましても、最後の瞬間までそのことのなからんことを望んでおった者でございます。従いまして、りっぱな学者皆さんがこの問題を御心配になって奔走をせられているというその御努力に対しましては、心から敬意を表しておった次第でございます。またありがたいと思う次第でございますが、ただいろいろ考えましたけれども、文部大臣として勤務評定の問題に関する態度、方針については、従来しばしば公けにいたしているところであります。国会におきましても、御質問によりましてお答え申し上げており、また世間に対しましても声明をしておる、こういうようなことでございますので、これを私は十五日、つまりあすに予定されました日教組闘争を解かせるために、その態度を変えるという考えにはなれないということを申し上げ、私としましては今回の日教組勤務評定実施に対するあの反対闘争は、私から申せば一から十まで間違っておるのではないか、ああいうふうな反対闘争を是認するわけには参らないということをしばしば申したことでございますが、この間違った勤務評定反対闘争というものに対しまして、これを回避するために政府が何らかのことをするというふうにはなれないということを申し上げたのであります。日教組闘争態勢を解くということは心から望んでいるところでございますが、これは無条件一つ闘争態勢は解いていただきたい、こういうふうに考えます、これを解くというために政府が何かのものをここに打ち出してくるということは政府としては考えられない。従いまして、いろいろの事情を思いますときに、そういう状態のもとに三者会談をいたしましてもこれという結果を見出すということは私は困難であろうと思いますので、この学長グループ皆さん方の御尽力、御努力は多といたしますけれども、そういう方向においての会談ということは一つ御容赦を願いたい、こういう意味のことを申し上げたわけでございます。私は今回の勤務評定に対する日教組の十五日のストというものは、あくまでも間違った行動である、そういうことを不明確にするようなことは私として忍びがたい、何かそこにあいまいになってくるというふうなことはどうも、容認いたしかねる問題でございますので、さような趣旨でもってお答えを申し上げましたようなわけでございまして、まことに遺憾なことでございますけれども、学長グループ皆さん方の調停の御努力はそれでもって一応打ち切られるというふうなことになりました次第でございます。  その点一つ御了承をいただきたいと思うのでございますが、それに関連いたしまして私まことに残念に思っておりますことは、何かこういう方々会見いたしました際に、私が非常に御無礼な態度をとったというふうなことが新聞に伝えられております。この点は、学長グループ皆さんがどういうふうにおとりになりましたか、それは私にはわかりませんけれども、私としましては少くともこういう方々がこの問題を心配して立ち上られたということに対しましては敬意を払っておる者で、決して御無礼な応接をしたつもりはないのでございます。その点新聞にああいうふうなことが伝えられたことは全く残念に思っております。ことに何か学長諸君に対して資格を云々したというようなことが取り上げられておるようでありますが、おいでになりました三人の方あるいは五人の方に対しまして、私はさようなことを申した覚えは全然ございません。敬意と礼儀をもって応接したつもりであるわけでございますが、話が合わなかったということはお互いに遺憾なことでございますけれども、事実はそうであったということを申し上げまして御了承いただきたいと思います。
  12. 中野文門

    中野文門君 ただいまの御説明で、学長グループあっせんのいきさつについてはよく了解が私はできたのでございますが、ただいまもお言葉にありましたように、何かあの学長グループの出現に当りまして、文部大臣が非常に無礼な扱いをしたというがごとく言われておったことはまことに私遺憾であろうと思いますが、遺憾に思います。さらにまた学長グループのいわゆる国民と申しますか、一般新聞報道等によって受けました出時の印象は、どうも文部大臣がんこである。大学の学長さんといえばすはらしいりっぱな方々ばかりである。これらの人々が相寄って九月十五日闘争を何とか一つ円満にして、しかしただこれがまあまあで、双方がおさまるような内容のものでないことは当然でございます。何となれば、日教組中心にしたこの勤評闘争反対が単なる勤務評定問題の反対だけでなしに、あるいは道徳教育講習会反対あるいは学力テスト反対と、何でもかんでも文部当局の行わんとする事柄を全部反対をいたしておるような姿を見ますと、単なるこれは勤評問題のみの範疇によってこうした問題が考えられないように私は思うのでございます。言葉を急ぎますが、その学長グループあっせんに対しまして、世間では日教組の方も一歩後退をして、そして学長グループあっせんにまかせようとしたのだと、あるいはその他の社会党方面からもそうした動きがあった。にもかかわらず最後のどたんばまでこのあっせん問題に対しまして、文部大臣が、これは老いがんこ——まだ老いではございませんが、あなたのがんこ一徹でもってせっかくのこのあっせんのチャンスをはずして、結果として九・一五闘争が展開されたというふうに世間の多くの人は私は見ておるのではないかという心配を持つのでございます。特に日教組は、その学者グループあっせんに対しまして、日教組条件付参加を応諾したが、文部大臣が全く応諾の意思がなかったのだというようなことも伝えられておるのでございますが、重ねてこの問題につきまして、私は文部大臣のいわゆる日教組条件付参加を応諾したということであったのかどうか、そういう点につきましてお話を承わりたいと思います。
  13. 灘尾弘吉

    国務大臣灘尾弘吉君) 新聞やラジオで、日教組学長グループに対する回答内容が出ておりましたが、私が学長グループ方々から伺いました点では、現在の実施中の勤務評定は、これを全部白紙に返す。それから審議機関を設置して勤評可否をも含めて審議する、こういうふうなことが日教組が提示せられた条件のようであります。この内容につきましては、実は七月の下旬であったと思いますが、私と政務次官と局長、課長並びに日教組委員長、副委員長書記長書記次長この四人ですが、懇談機会を持ったことがございます。その際に小林委員長から勤評を全部一つ白紙に戻して、そうして一年ぐらい審議期間をおいてやるかやらぬかを含めての審議を尽す。そういうふうにして、それで結論が出れば、その結論には日教組も従うと、こういうことを言われたことがあります。学者方々の仰せになりましたのは全くそれと同様の趣旨であったと思うのであります。つまり、もし譲ったということが言い得るとしまするならば、審議会結論には服する。それがやるべしということになればそれに従う。こういうことを言われた点が従来の態度から見て変った点である、こういうことになるかと思うのでございまして、私としましてはその当時小林委員長にも申したのでありますが、そのお話政府として応諾するわけにはいきかねる。とにかく一つ勤評実施の線は認めて、これに賛成してもらいたいものだ、その上でまた話し合いをすることもけっこうだ、頭から白紙に返して一年間さらにやるとかやらぬとかいうような論議を繰り返すつもりは政府にはないというようなことを申しまして、話し合いが物別れになった事実があるのであります。それと同じような趣旨のことを今回日教組の方では学者諸君に対して回答をせられたもののように私は受け取っておるのでございます。
  14. 中野文門

    中野文門君 ただいま御答弁の中に審議機関という言葉が出たのでございますが、これがまたいろいろと今日論議をされておるのでございます。先般の九・一九闘争の直前でございましたか、千葉県、長崎県では研究機関を設けることによって、九月十五日の闘争の事態を回避したようでございます。そこで、その千葉、長崎では審議会を設置するというような話も出たように聞いておるのでございますが、そこでこれは内藤局長でもどなたでもよろしゅうございますが、千葉、長崎で研究機関を設けるということで九・一五闘争の事態を回遊したという事実につきまして詳細承わりたいのでございます。
  15. 内藤譽三郎

    説明員内藤譽三郎君) 長崎県におきましては、十月一日に勤務評定書を提出予定になっております。で、この十月一日に予定通り勤務評定書は提出する。しかし、今年間はいろいろ研究をするということで、研究期間とする。それから、さらに今後いろいろと内容等について改善すべき点があれば改善したいというような、そういう意味の、実施後の経過によって、研究するための研究機関を今から持つ、こういうことでございまして、一応九・一五闘争を回遊したわけでございます。それから、千葉県におきましては、特にPTA等から強いあっせんの要望が出まして、千葉県におきましても、予定通り勤務評定井は提出すると同時に研究機関を設ける、かような趣旨闘争を解いたと聞いておるのであります。
  16. 中野文門

    中野文門君 さらに続いてお尋ねを申したいのでございますが、勤務評定実施規則の定まってない道府県が北海道、神奈川、長野、京都大阪、兵庫というふうに承知をいたしておりますが、これらの道府県のその後の勤務評定実施規則をめぐる作業の状態はどのようになっておりますか。きょう私新聞を見たのでございますが、大阪、兵庫におきましては、昨日でございますか、勤務評定実施規則の試案の全部を発表して、大阪府にあっては三十三年度中に実施をする、兵庫県にあっては三十三年十月十五日以降に実施するということを発表したという新聞を本朝拝見をいたしたのでございますが、この北海道、神奈川、長野、京都大阪、兵庫の、このことに関するその後の状況を御説明願いたいと思います。
  17. 内藤譽三郎

    説明員内藤譽三郎君) ただいまお述べになりました六県のうち、長野県はすでに八月中に勤務評定の試案を出しまして、いろいろと意見を聞いておるのであります。で、これに対して勤評趣旨の徹底につきましては、組合側も了承いたしまして、各地区的にいろいろと意見を取りまとめまして、公聴会あるいは地教委の教育長、関係PTA等、関係各方面の意見をまとめておりますので、近く試案が、正式の勤評の規則が決定されるだろうと、かように考えておるのであります。これは遠からぬ時期に規則ができるだろうと思っおります。それから、今お述べになりました兵庫と大阪でございますが、大阪につきましては、すでに試案を発表しておると思います。それから、兵庫県につきましては、昨日試案を発表いたしたのでございまして、大体大阪、兵庫同じような歩調で、いろいろと今日までPTAあるいは公聴会あるいは地教委の委員会、あるいは教育長等の意見を十分間いた上で今日発表になりましたような試案ができたわけでございまして、これも両府県とも近い将来に実施できるだろうというふうに考えておるのであります。残りました北海道、京都、神奈川の三道府県でございますが、北海道におきましても、いろいろと事務的に検討が進められておりまして、何らかの意思表示が近くされることを期待しておるのであります。神奈川におきましても、関係者非常に御努力を願っておりますので、比較的早い時期に神奈川におきましても勤評実施の方向に向って努力が進められておりますので、具体的な方向がきまるだろう、かように考えております。  なお、京都府におきましても、いろいろと勤評実施について御努力を願っておりますが、京都府はまだ管理規則もできておりませんので、管理規則を先にいたしまして、勤評は管理規則の後にいたしたいということで、まだ京都府におきましても具体的な動きが出ておりませんが、勤評実施の方向に向っていろいろと御努力を願っておりますので、残りの六都道府県におきましても、実施の方向に向って努力している、かように考えております。
  18. 中野文門

    中野文門君 勤評闘争の問題に関しましては、あるいは勤評そのものの本質の問題、あるいは勤評作業の研究の問題点、いろいろと勤務評定そのものにつきましての質問も申し上げたいのでございますが、私自身勤務評定はいかなる社会のいかなる職域にも何らかの意味における勤務評定ということは、言葉は変ってもあることが当然であるという考え方を、私自身がいたしておるのでございます。そこで、そうした考えから申しますと、この勤務評定全面反対ということは、私はおそらく五十万教師と申しますか、この日教組の大部分の先生方は、全面反対だと、何が何でも勤評反対というような哲学的な考えを持って判断をしておる人はそう私は、そうじゃありません、ほとんどないのではないかと思うのでございますが、しかしながら、教育長協議会等におきまして、勤評実施規則の草案と申しますか、そのような内容等につきまして、いろいろとこれまた批判検討は、各界各層でやられておりますが、私は勤務評定は、いかなる社会にもあるのだと、ましていわんや教育の社会におきましても、あるいは長い間、校長さんもでき、教頭さんもでき、いろいろと職階の進んでいかれるときに、いわゆるだれかが勤務を評定されたことに間違いがないと思うのでございまして、願わくば全面勤評反対というような考え方を、日教組あるいはこれをめぐるところの総評その他の各種団体が放棄されるように、文部大臣は十分なるところの、一つ何と申しますか、啓蒙という言葉は相手団体に失礼でございますが、一つお話を持ち込まれて、進んで手をにぎり合って勤評問題が円満に解決されるように御努力が願いたいと思うのでございまして、勤評問題につきましては、私の質問は以上で終りまして、さて勤評々々で明け募れておりましたところが、今度さらにその問題が解決してない今日現在、道徳教育講習会、子供たちに道徳を教えるそのことについての代表を集めて文部省主催で講習会をやろう、こんな私はりっはな計画はないと思うのでございますが、勤評問題の片づかないただいま、あの東京、仙台——奈良で本日も行われておるのでございますが、道徳教育指導者講習会でございます。この道徳教育指導者講習会にも、これまた日教組、これをめぐるところの総評あるいは全学連その他の各種団体が勤評闘争より以上のまた力をもってこれに反対をいたしておるのが現状のようでございます。さらにまた学力テストの仕事につきましても、その仕事をやるとかやらぬとかいって、これまた反対をいたしておるようでございます。私はこの席で引き続いて文部御当局お尋ねいたしたいのは、東京、仙台及び奈良でただいま行われておりまする道徳教育指導者講習会の実情につきまして詳しく経緯を承わりたいと思うのでございます。
  19. 内藤譽三郎

    説明員内藤譽三郎君) ただいまお尋ね道徳教育講習会の実情について御報告を申し上げたいと思います。  実は道徳教育につきましては、御承知の通り昭和三十三年度の予算におきまして四百万円の予算が承認されました。これによって指導者の講習会を行う計画を立てたのでございます。これは年度当初におきまして計画したものでございます。特に御承知の通り、道徳教育は去る三月に実施要領を発表いたしまして、この実施要領によって今日日本の各学校において道徳教育が推進されているわけです。これで、現在私どもの調査では、七、八割が道徳教育実施されておりまして、なお残りの二、三割につきましても準備をしておりますので、九月からこれを全国一斉に実施することにいたしたわけです。これに伴う指導者講習会でございます。  で、道徳教育内容につきましては、私ども各方面からの批判を受けておりますが、内容については、どこからも今日まで反対がなかったのであります。日教組の講師団の方々内容は賛成である、かようにおっしゃっておるのであります。  そこで、第一の会場は東京で行われたわけでありますが、東京会場は九月の六日から始めたわけでございます。当初会場はお茶の水の女子大学に会場を予定しておりました。ところが、幼稚園から高等学校までが授業を継続しておりまして、子供たちが退避訓練等をいたしております。私どもは当日の情勢を分析してみますと、約六千人のデモ隊が押しかけて、ピケを張って実力行使によって道徳教育指導者講習会を妨害するという情報を得たのであります。そこで、私どもは上野の東京国立博物館に会場を変更したのであります。で、この会場変更につきましては、できるだけ刺激を与えないで、混乱を未然に防ぎたいというような考え方から、会場は秘密にしておりまして、当日文部省に全員集合いたしまして、文部省から国立博物館に輸送したのであります。  当日は、文部省の前とお茶の水大学と上野の国立博物館と、約六百ないし八百のデモ隊が押しかけて、実力によって講習会を排除しようという傾向が現われたのであります。私どもはやむなく警官隊の出動を要請いたしまして、七時半に文部省に集合し、バスで国立博物館に行ったようなわけであります。で、当初五日の計画でございましたが、集合時間が非常に早かったので、予定通り講習会は順調に進行いたしまして、最終日に予定しておりました反省会と閉講式を第四日目に繰り上げて四日で終了した。  で、デモ隊の動員状況は、初日が七、八百で、だんだん減って参りまして最終日の四日はほとんど日教組の方は見えなかった。で、初日は全学連、日教組、総評、特に総評は二日目から出動いたしましたが、最終日は全学連が中心でございまして、これが上野の国立博物館の正門前に集結いたしまして、バスが一方に集結しておりましたので、警官隊がそちらに気をとられている間にバスの運行前に学生諸君が十数名飛び出しまして、バスの前にはだかってしまった。そして寝ころがってしまったので、やむなくバスの進行が一時中止せざるを得なかった。しかし、幸いに事故もなく、ともかく四日間の講習会は終ったわけでございます。  次に、仙台会場でございますが、仙台会場は九月の十五日に予定しておったわけであります。ところが、十五日は御承知の通り教職員の一斉ストが計画されておりましたので、できるだけ混乱を避けるという趣旨から、一日ずらせまして十六日から開講したわけであります。で、初日は第一女子高等学校において開かれた。ところが、デモ隊がピケを張りまして、当時第一女子高等学校では定期試験が行われておった。ところが、このピケ隊のために入場ができないで、ついに定期試験が延期せざるを得なかった。かような状況下におきまして学校側といたしましては、教育上支障があるという理由で、会場変更を余儀なくされたわけでございます。そこで、第二日目は第二高等学校に会場を変更せざるを得なかった。で、各方面を物色いたしましたが、適当な会場は全部押えられておりまして、ついに第二高等学校以外になかった。で、第二高等学校は一万数千坪ありまして、警備の状況がよくなかった、特に生垣でございましたので、なかなか警備の点が困難であるということを承知の上で第二高等学校において授講せざるを得なかった。ところが、第二高等学校は案の定生垣でございましたので、デモ隊が学校に侵入いたしまして労働歌や革命歌を高唱し、あるいはスピーカーにおいて喧騒をきわめた。デモも行い、ジグザグ行進等を行なって学校の正常なる授業ができない、かような趣旨から二日間受講いたしましたけれども、ついに会場変更を再び余儀なくされたのであります。そこで、最終日におきましてはついに適当な会場はなく、やむを得ず旅館において講習会を続けざるを得なかったという実情でございます。特に私どもは、この会場を通じまして宿舎の前には、早朝四時か四時半ごろからデモ隊が集結いたしておりまして、面会を強要し、あるいは大きな声で労働歌、革命歌を歌っておりまして、近所の御迷惑にもなり、旅館からも非常な苦情が出た。デモ隊の押し合いへし合いのためにいつもバスは三十分ないし一時間くらい遅延した。かような状況で、デモ隊のために板べいや樹木が損傷をいたしまして、旅館からも宿泊を拒否された、これ以上宿泊は遠慮してほしいというような強い御要望がありましたけれども、損害賠償等一切の責任に任ずるからということで、四日間の講習会を継続したわけであります。バスにつきましては、ほとんど全部総評関係の方々によってバスの契約をされてしまい、バスの余裕がなかった。七時までにしか契約ができなかった。しかもこのバス会社ではほんの数社でございまして、あと全部総評関係に握られてしまったというような状況で、輸送においても非常に困難をきわめた。ともかく四日間の行事を一応曲りなりにも終了いたしまして、仙台会場は終ったわけでございます。  次に、奈良会場でございますが、奈良の会場におきましては、前二者の経験を十分に反省いたしまして、宿舎と会場を二つに分けていく行き方においては、警備の点についても大へんであるし、また無用な摩擦と混乱を避けるという趣旨から、宿舎と会場を一つにしたのでございます。当初奈良学芸大学を予想いたしましたが、ここにも子供たちがたくさんおりますし、子供たちにも迷惑をかけたくないと存じまして、つい最近まで米軍が使用いたしましたC地区のキャンプがございますが、このC地区のキャンプに集結いたしまして、ここに三百五十四名を収容いたしまして、宿泊できるようにし、食事を外から運搬しておるような状況であります。初日は二十四日でございましたが、二十三日の午後三時半ごろまでには全部の収容を終ってしまいましたので、無事に入場ができたわけでございます。ところが、これをかぎつけました全学連、総評、日教組のグループが二十四日の早朝から五百名ないし七百名の者がデモをかけてまず安眠を妨害した、そして五時から六時に至る間裏門の有刺鉄線を五十センチほど切ってしまった、ここから十数名の者が闖入いたしまして、これが正門によるところのデモ隊と相呼応してこの場内に聞入をはかったわけでございます。そして数百の者によって正門の片方の門が押し倒されてしまった、こわされてしまった。ついに警官隊の出動によってようやくデモ隊を押し返したような次第でございます。で、初日は一応無事に済みましたけれども、依然としてきのう、きょうも行われておるようなわけでございまして、門を修理いたしましたが、さらに昨日は別の門がこわされてしまった。それから、ラウド・スピーカーを三つ備えつけまして、これで受講生に妨害を加えておる。特に現在は全学連の生徒が非常に多いのでございまして、初日は約十九人を住居侵入の現行犯で逮捕したわけであります。そこで、門がこわれましたので、やむを得ず、ここに三寸角の丸太で正門を閉鎖しよう、こういうことで三寸角の丸太を一メートル五十程度積み上げ、そうして正門からの入場を阻止するようにいたしましたけれども、これも昨日夜半以来デモ隊が全部これを解きほごして場内に侵入しようとしてまた門を倒したというような状況でございます。大へん私どもも遺憾に存ずるのですが、本日までの状況はさようでございます。
  20. 竹中勝男

    委員長竹中勝男君) ちょっと速記をとめて下さい。    〔速記中止〕
  21. 竹中勝男

    委員長竹中勝男君) 速記をつけて。  ただいま暴風雨警報も発令されておりますし、参議院の職員諸君のことも考慮しなければならないと思いますので、本日はこの程度で散会をいたします。次の日程において継続することにいたします。    午後二時三十六分散会