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秋山俊一郎君 第二班の報告を申し上げます。
第二班は
清澤、梶原両
委員と私の三人で、八月三日から九日までの七日間にわたり、新潟、山形、秋田の各県を視察して参りました。
八月三日上野出発、新潟県新津において、新潟県の七月水害の被害状況を県当局並びに新津市及び
関係町村より簡明に
説明を受け、あわせて災害対策についての陳情を聞きました。
その後新津市を出て阿賀野川川口近くの新井郷機械排水場を視察いたしました。この施設は、国営阿賀野川農業水利事業計画により国によって施行されたもので、
昭和二十九年排水機六基の据付を終っております。事務所において土地改良区理事から事業の概要を聞きましたが、今回のような降雨量をみると、なお計画中の未設置のポンプ三台の増設と、これに伴う排水所までの排水路の拡張工事を実施しなければ、排水の目的を達し得ないとの話がありました。
次に水害の現場である北蒲原郡の佐々木村におもむき、福島潟の増水はんらんによる家屋の浸水で避難収容されている農民を佐々木村小学校に見舞い、続いて収容農民の部落である鳥穴、砂山の水害状況を視察いたしました。両部落の床上浸水七十八戸、救難収容人員三百二十五名でございました。さらに福島潟のはんらんにより、八月三日現在なお湛水状態にある稲作を巡視いたしました。佐々木村の水田の冠水面積は三百七十二町歩、浸水面積四百六十八町歩で、浸水期間一週間以上に及び収穫全く不能と見られるものがあり、家屋の床上浸水百六十三戸で、農業倉庫の浸水があったとの報告がございました。
次に豊栄町に入り、いまだ湛水中の水田及び浸水後の根腐れを起している水稲の被害、排水ポンプ場、用排水路の現状等を見ながら町の災害対策活動の模様を聴取いたしました。この辺は低湿地が多く、堤防上に構築された土のうの延長十八キロ、俵数約十六万俵に及ぶとのことでございます。豊栄町の被害面積は、町の調査によると、水稲の冠水五百七十三町歩、浸水二千四百六十三町歩等であります。現地の視察を終り豊栄町公民館において、災害復旧対策に対する国の援助、助成
措置に特別の配慮を希望する要望がございました。
翌四日は、新潟市より村上市経由、岩船郡朝日村の下中島における三面川の三百二十メートルにわたる堤防決壊箇所を視察いたしました。すでに建設省の応急対策工事で水路の堆積物の排除作業が行われておりましたが、決壊箇所より水田に河水の貫流が続いておりました。朝日村の被害は、田の流失と土砂流入が百十八町歩、冠浸水が千二百四十町歩で、水稲の減収見込み一万五千石に達し、農作物一億九千万円余、林産物二百六十六万円余の被害見込みで、そのほか道路、堤防等の決壊損失約百カ所余りであるとの
説明でございました。
今回の七月水害は、すでに御
承知のごとく、台風十一号の通過に伴うその後の停滞前線の活動によるものでありまして、東北、北陸地方に大量の降雨があり、新潟県では七月十九日から二十八日にわたり、下越地方中心に最高約六百八十三ミリの雨が記録され、特に阿賀野川、加治川、三面川をはじめ、平野部の中小河川がはんらんし、穂ばらみ期に当る水稲その他の農作物、耕地、農林業用施設等に大きい被害を発生しております。県の調査による新潟県全体の被害状況は、水稲作付面積十七万町歩余に対し、流失埋没二百三十八町歩余、冠水面積一万三千町歩余、浸水面積三万町歩余で、減収見込み石数約三十三万石余、しかして耕地二千八百万円余、農業用施設四千二百万円余、林業用施設四千五百七十万円余等を合せて約三十五億円余の被害見込みでございます。土木
関係では、堤防決壊三百十二カ所を含み五億円余等でございます。県では七月二十七日災害救助法を佐々木、笹神、豊浦の各村に適用し、救助活動を実施したとのことでございます。
被害の大要は右の
通りでございますが、視察の町村からはもちろん、そのほか被害のあった西蒲原郡村上市、岩船郡荒川町等からそれぞれ災害対策についての諸
措置を要請する陳情がありました。
なお新潟県当局からは、総括して農林水産業施設の早期復旧と高率補助の適用、病害虫防除対策、特に農薬散布機に対する助成、収穫皆無地の救農土木事業による現金収入対策、被害農家に対する自律農維持創設資金の貸付、天災融資法による資金の融通、農業災害補償制度の活用、食糧対策、植物防疫及び土のう等災害防除機材に対する特別助成等について、それぞれ特別の援助がほしい旨の要望がございました。
次に山形県でありますが、四日午後山形市に着き、県庁において知事はじめ
関係部
課長から、県内農林水産
事情について
説明を聞きました。
山形県の農業は、水稲を主軸として最近飛躍的な
生産力の伸展が目立ち、積雪寒冷地の立地条件にかかわらず、よく三十年産米以来平均反収三石を上回り、東北の最高反収を示しております。この
生産力の伸びは、農政諸施策の浸透と、農業技術の発達に負うところがもちろんであります。
食糧管理
事情についてみますと、水稲作付面積九万八千町歩、三十二年産米
生産高二百九十七万石、供米実績百八十六万石で、予約申込に対し一〇四・二%の達成率であり、三十三米穀年度の県内需要四万三千六百トン(二十九万石余)、配給辞退を見込んだ有効需要量を七四・四%と推定し、残り二十一万トン(百五十四万石余)を県外搬出に充てております。県における平均受配率は、右のように七四・四%の推定でございますが、最近六月までの実績で置賜、最上両地区はそれぞれ五二%、三六%という低調で、受配率五〇%以下の小売業者が約二〇%に達すると推定され、卸売業者の六月までの米穀購入状況は所要量の六一%の低率であります。以下のことは
生産県における配給辞退の深刻な実相を如実に示しておりまして、予約集荷対策とともに配給面の問題の深刻さを思わせ、食糧管理制度の基本的問題の一端を提示しているようでございます。
県における積寒地農業の振興策は、各般にわたり県独自の諸施策が進められておりますが、国の助成に基く積寒対策事業、新農山村建設総合対策事業その他による振興、改良事業が各地区で実施されているのが見受けられ、相当の効率的運用が行われておるようでございます。積寒法による農業振興総合施設助成の対象地域は三十二地区に及び、二十八年より三十年までの事業実績は、国の補助二千五百万円、事業費総額約七千万円で、団体営土地改良事業は、灌排水、客土、農道その他について実施され、計画による事業費一千百万円余で、その達成率は三十二年度までに二九%でございます。要事業量に対し国の助成の増額が必要と認められるのでございます。
海岸砂地地帯農業振興臨時
措置法に基く事業は、防災林五町歩の設定、畑地灌漑、客土等百六十町歩が実施され、このほか新農山村建設事業その他の振興策も積極的に行われているようでございます。
なお山形県における七月の水害は、新潟県等と同じく七月十九日より二十九日にかけて豪雨を見て、鳥海山系で八百ミリの降雨があり、最上川中下流、東田川、飽海地方で被害が大きく、農作物
関係で水稲の冠浸水二万二千町歩余、畑地の冠浸水二千八百町歩余で、その被害見込金額五億七千万円余、耕地
関係一億六千万円余、その地の農林水産
関係の被害を合せて八億三千万円余に見込まれるとの
説明がありました。
災害救助法の適用は最上郡戸沢村、飽海郡遊佐町の二カ町村であります。被害に対して山形県当局から農林水産業施設災害復旧対策についての早急な助成
措置、被害農家対策としての農薬に対する助成、及び営農資金対策の特別な配慮等について、国の援助が要望されました。
右の
説明の後県庁において県内農林
関係団体から次のような要望がありました。米穀予約売渡制度の強化、酪農経営安定、夏秋蚕調整と補償、新農山村建設対策要綱に基く共同利用施設の不動産取得税及び固定資産税の免除、余剰米対策及び配給米
価格の時期別格差の設定、開拓地干害農家に対する災害資金の融資等であります。
翌五日は、山形市南山形地区の積寒法による水田の区画整理事業を視察し、続いて天童町の成生地区の畑地の交換分合の実態と営農状況を見ました。町役場で
関係者より事業実施上の問題点、希望等を聞きましたが、この種事業には
関係農民に対する啓蒙運動と
趣旨徹底が成否の分れ目であり、交換分合実施後の登記について、換地計画処分的
取扱いができないものであろうかと希望
意見が述べられ、この地区は新農山村建設事業の特別助成を受けたが、その助成の増額を要請するとの希望がありました。
その後東根の山形県の総合種畜場、尾花沢の冷害試験地、新庄の
農林省農業総合研究所積雪支所、同農村工業指導所を視察して、それぞれ所管業務の内容及び運営状況を調査いたしました。続いて萩野にある
昭和開拓地に参りました。この開拓地は
昭和二年入植が行われすでに三十年余の歴史を持っておりまして、陸稲、トウモロコシその他の作物が見事に成育しております。私たちはトラクター耕耘による試作圃を見学しました。
ついで最上川に沿い一帯の稲作の作況を見ながら、川の中流部の最上郡戸沢村の水害
事情を村長の案内で視察いたしました。この村は最上川沿いで流域の一番狭隘な所で水害の常襲地帯の様相を強く認められ、恒久対策を実施する必要があるようであります。
六日は午前酒田市及び市周辺の水害状況及び酒田市西荒瀬宮の海砂丘地帯の畑地灌漑の実施状況を見ました。宮の海畑地灌漑施設は、西荒瀬土地改良区が国の助成を受けて二十八年及び二十九年の二カ年で施工し、その
関係面積三十五町歩、給水源タンク三カ所、五反歩ごとの放水栓が七十七カ所に設置され、砂地地帯でもナガイモ、ナス等の蔬菜類までりっぱに生育し、類似地帯に対する畑地灌漑の必要性をよく認識されました。
この後庄内平野の中心地に位する米穀保管倉庫である国立の庄内倉庫及び庄内経済連の歴史ある山居倉庫を視察し、最近の米穀の集荷、保管、収容
事情を食糧事務所長から伺いました。
現地の視察を終り、酒田市役所において市政の概要を聴取いたしました。その際酒田市袖浦地区の砂地地帯改良について、東北開発のうちに採択願い、果樹園五町歩未満までの国の助成
措置を要望する土地改良区の陳情がございました。
六日午後秋田市に着き、県庁において県内農林水産
事情を県及び
関係機関から伺いました。
八郎潟の干拓は秋田市に
農林省の八郎潟干拓事業所が設けられ、事業の推進がはかられております。この干拓事業は御
承知のごとくオランダの干拓専門家ヤンセン等の調査を契機とし、ネデコと技術援助契約を結び、
昭和三十二年着工の運びとなったものであります。八郎潟は面積二万二千町歩で、そのうち干拓造成面積一万七千町歩、造成耕地一万四千町歩で、入植農家四千七百戸と四千三百四十戸の地元増反農家を予定し、年間米三十四万石、麦一万一千石の増産が計画されて、
昭和三十九年度まで向う七カ年の建設計画で着工されております。水深きわめて浅く、最深部で四、五メートルにすぎず、湖底は平坦で潟の流域も潟面積の三倍
程度で、干拓適地として代表的であり、建設工事費も反当り十二万円余りであります。
次に秋田県の食糧管理
事情について申し上げますと、いわゆる米産地特有の
事情が強く支配し、公定
価格を自由
価格が下回る等の現象が見られます。
昭和三十二年産米の作付面積十万七千町歩、
生産数量三百三十一万石、
政府に対する売り渡し
数量二百六万石であり、このうち百五十万石が県外搬出
数量で、残りが県内需要となっております。集荷画では軟質米の規格外買入れの問題があり、県においては産米改善運動を
昭和三十一年より実施して品質の向上に努めているとのことであります。配給の面では全国でも有数の配給辞退の多い県でありまして、卸し売り業者の販売実績を見ますと、十一月より三月までの間の時期において、所要量に対する売却の比率は三〇%から四〇%、配給日数四日から五日余りであり、需要期に入った六月の実績でそれぞれ七九%、十一日
程度の実情であります。
国有林事業について見ますと、秋田営林局管内でも秋田杉の中心地は米代川中上流の流域一帯に広がっていて、搬出された木材の製材、加工は能代市で盛んに行われているようであります。秋田県の国有林野面積は三十九万一千町歩、民有林四十一万町歩で、その合計八十万一千町歩、森林蓄積総数は二億五千万石で、全国比は面積において三%、蓄積で四%に達し、府県別にも重要な部分を示しております。
私たちは翌七日、秋田市より約二十キロの八郎潟まで直行し、船越において西部干拓の現況の
説明を受け、サンドポンプによる堤防構築工事を視察しました。さらに潟の東部沿いに馬場目川を渡り、干拓計画の東部承水路の中ほどに位置する三倉鼻高台より八郎潟の全景を展望して、干拓計画の全貌を概観しました。干拓に伴う漁業補償については、昨年暮に二千七百戸の漁民との
話し合いもつき、財産補償を合せて総額約十八億円の補償金が今後三カ年の間に支払われる計画になっております。
続いて能代市経由米代川に沿ってさかのぼり、正午すぎ二ツ井の七座営林署に着き、管内の国有林の現状を伺いました。なお、その際二ツ井町長等より現在のまま営林署を存置してほしい旨の陳情を受けました。
その後大館市におもむき、市役所において当地区の米の配給辞退の実情を市長初め
関係団体から聴取しました。秋北地区は大館市、北秋田及び鹿角の両郡の地域でありますが、米の受配率は最も悪い一月期は三〇%余り、十月より三月までの平均は四七%でありまして、需要期の四月から六月に至り九五%に達しますが、しかし配給辞退の深刻さを示し、辞退の多いころは公定とやみ米の
価格差一升につき三十——二十円、八月に入ってもなお十円余りやみ米が格安で辞退の原因になっています。この地区は産米四十四万石に対し
政府売り渡し米十八万石で、その残りの農家保有米に余裕を持っているようで、なお余剰米の集荷の必要を感ぜられ、産米の課税対象の適正、検査買い入れ制度の検討、農家の封建性による家族の安売りの対策
措置を講じてもらいたい等の、食糧管理制度についての改善策の要望があり、また小売業者に対する生活の保障、援助をお願いしたいとの陳情がございました。なお県からも余剰米対策を強く推進し、集荷を積極的に行い、可及的多くの米を食管ルートに乗せることがその根本策であるので、これに対する国の施策の再検討と制度運営の改善を要望するとの話がありました。
ついで翌八日は、十和田湖畔の
水産庁十和田湖孵化場でヒメマスの孵化事業の施設を見ました。三十二年度の成績は採卵二百八万粒、分譲四十万粒で、放流されているものは百二十七万尾、採卵用親魚の漁獲は約三千尾で組合員五十九名によって行われています。この施設は事務所を除き和井内貞行氏より
水産庁が年間三十万円あまりで借用しているもので、地元からは国の買い上げを希望し、あわせて施設の拡充を望む旨の話があるそうであります。
視察を終り、和井内より十和田南を経て大館に着き解散をしました。
右、視察の概要を報告申し上げます。