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説明員(江口俊男君) 長官がただいまよんどころない用事で退室いたしましたので、警備
局長でございまするが、かわってお答え申し上げます。
ただいま
お話しのございました和歌山におきまする勤評阻止のためのデモ行進から発しました事案につきまして詳細にという
お話でございまするが、御期待に浴いまするか、ただいままでわれわれの手元でわかっておりまする範囲につきまして御報告を申し上げます。
八月の十五日及び八月の十六日におきまする民主教育擁護国民大会の状況でございまするが、これは日教組が九月中旬から本格的に実力行使を行おうという前段の闘争の一環といたしまして、民主教育を守る会、これは御承知のように総評とか日教組が中心に相なっておる会でございまするが、この会の主催により行われました大会でございまして、八月十五日、十六日の両日にわたり和歌山県下二十五カ所に四万六千名を集めましてこれを行おうという
計画であったようでございます。全国の総評傘下の各単産あるいは
地方の代表、日教組、文化人というものを、その
計画によりますと、二万二千名、和歌山県下の教組、地評、父兄等を二万四千人動員する。合せて四万六千人の動員におり大々的に勤評阻止の決起大会及びそれに続く示威運動をやろうという
計画であったのであります。ところが、それが実際どう行われたかということを申し上げますというと、流血の惨事を起した十六日の前提として、十五日のことから申し上げまするが、第一日の十五日は、予定は十時でございましたけれども、実際上は午後一時から五時までの間、二十五カ所の予定のところを十六カ所でいわゆる分散会——あちこちに分れていろいろな会議を持っておるのであります。和歌山市内十五カ所、橋本市におきまして一カ所、合せて十六カ所でいわゆる分散会——分れ散る会を行っております。その後、和歌山市を初め五市一町におきまして決起大会、十六カ所に分散しておったものが、和歌山市ほか五市一町に集まりまして決起大会を行いまして、その後デモ行進が行われたのであります。その参加人員は、主催者の発表あるいは報道
関係の報道と、いろいろ数字に違いがございます。私どもとして警察当局から報告を寄せられました数は、これは一々どうして数えたかということについては多少の疑問はございまするけれども、その日の参加者は一万五百七十七名、四万六千名の動員
計画に対し、参加人員は一万五百七十七名ということに相なっております。従いまして、
計画に対し二二・五%でございます。しかも一万幾らという数字は、デモに参加をした数字でございまして、午後一時から始まった分散会にはさらにそれより少い数字でございます。なお、特徴といたしましては、他県から和歌山に入られました方々が多い。これも一万数百名のうちで六千六百名余に上っておりまするから、全体の六割三分以上が和歌山県以外のところからこの大会に参加をされたというような
事情でございます。
また、第二日の十六日も、この大会といたしましては、教育を守る会としての主催といたしましては、和歌山市で二千八百名が九ヵ所に分れて分散会をやっておられます。従いまして、この会自身の行動につきましては、十五日のデモ及び十六日の分散会、この両者を合わせましても、そう大した混乱は起しておりません。しかしながら、後に述べまするように、十五日の晩のデモ行進も十六日のものほど問題は起しておりませんけれども、多少の場所につきましてジグザグ行進をやりました際に、警察官がこれを出て規制をいたす、その際にやはり旗ざお等に当りましてけが人が出たという状態でありまして、全然問題がなかったという意味ではございませんが、十六日に比べまして、十六日のいわゆる学生、青年を中心にしたデモに比較しいたしまする場合、これはやはり世間の目から、それと比較しては問題がなかったというふうに考えられておる事柄でございます。しかしながら、ただいま申し上げたように、全然事件がなかったという意味でもございませんので、順序として十五日のデモのことを多少申し上げたいと思います。
八月十五日、これは和歌山市内のことでありますが、大会——いわゆる決起大会が終了いたしました
あと、和歌山商業高等学校の門の前から参加者が約七千七百名、八千名近くのデモ隊でございます。これが午後六時十分から本町公園横まで三、四キロの間をデモ行進を行なっておりまするが、全学連、国鉄を主といたしまする集団が、途中、医大の病院の前ほか八ヵ所で、まあ二、三分の短かい時間でありまするが、二、三分間にわたり十五メートル幅の
道路一ぱいになったり、あるいは場合によっては多少の余地を残し、三分の二というような
程度のジグザグもございましたが、そういう
程度のことを行なっております。そのために電車及び自動車の通行を阻害したというような場所が出ましたので、これらの場所におきましては交通整理の警察官によりましてこれを圧縮、規制をいたしております。ちなみに十五日のこのデモ行進は、先ほど申し上げましたように、
計画において、これは県内全部で四万六千名、それから示威行進の許可届の
内容におきましても三万六千名でございましたか、八千名でございましたか、相当数が出るということで、事件が起るという意味合いではなくても、あの和歌山県としましては、和歌山県の警察全部から人間を呼び出してきましても、五百名あるいは千名という警備の要員を抜き出すということは非常に困難で、そういう意味から、事件を予測したわけではないけれども、十五日は人数が多いという意味で、特に近畿管区学校から四百十八名の応援を得て、総数六百四十九名でこの警戒に当っておるのであります。ところが、先ほど申し上げたように、その日は多少のジグザグはあったけれども、事件になるようなことはなく、警察側に、旗ざおに当って十七名がけがをした、一人脳しんとうを起してひっくり返ったのがございまするが、これは大した傷なく終っております。デモ隊側におきましても十二名の負傷者が出たというふうに発表をされておりまするが、これはその数及びその
程度について確認はいたしておりません。しかしながら、要するにこの問題——その日におきましては両者に大した事柄はなかったというふうにわれわれ承知いたしておるのであります。
ところで、次に御
質問のおそらく重点であろうかと考えまするが、翌八月十六日におきまする、これは、きのうの大会に
関連した会ではございまするが、大会そのものの
内容ではございません。それを機会に行われた「
勤務評定阻止、平和と民主主義を守る青年、婦人、学生全国大会」というものが別個に行われております。この和歌山におきまする八月十五日の
勤務評定反対国民大会の行事の一環として行われたことには間違いございませんが、今申し上げたような名前の別の集会が行われまして、この中心は——この名前は今申し上げたような「
勤務評定阻止、平和と民主主義を守る青年、婦人、学生全国大会」というのでありまするが、その中心は全学連及び社会党の青年部、あるいはいろんな女子の
団体、中央青年学生共闘会議の
内容をなしておりまする総評の青婦協あるいは全青婦、全学連、社会党青年部、民主青年同盟、目農青年部準備会と、こういうものが
内容をなしておりまするが、約九百名で会議を持ちまして、そうして、これは和歌山市の城北小学校というところで集まって会議を持ったのでありまするが、これが午後四時から七時までの間デモをやりたいという許可を前もってとっておったのであります。ところが、会議が六時二十分ごろまでございまして、デモをやったのは六時二十三分からデモに移っております。その間いろいろのことがございまするが、
あとで申し上げます。一応、筋を申し上げますというと、六時二十三分からデモに移り、その後デモ隊の不法行為を規制しようとする警察官を旗ざを、丸太でなぐるというような暴行を加えて混乱に陥ったほか、さらにそこで検挙をされておりまするから、その検挙者の釈放を要求しまして、和歌山の西警察署に押しかけてすわり込みに入った。そのデモ隊を排除しようとする警察官との間にまた摩擦を起しまして、以上の実力規制をした場所と、実力排除をやった警察前の広場とにおきまして、双方に相当数の負傷者を出したという事件がただいま御
質問になりました事柄の大筋でございます。
そこでこの会議の状況を以下多少詳しく申し上げてみたいと考えます。日時は御承知のように八月の十六日午前十時から午後六時二十分までが会議、場所は和歌山市の城北小学校、参加
団体は、先ほど申し上げたような青年、学生、婦人というようなものを中心とする九百名、討議は統一行動の組み方などという事柄について討議をしたようであります。それが大会の状況で、大会の済んだ
あとのデモ行進の状況は、公安条例によりまするデモ行進の許可は届けてある午後四時から七時までの間として許可をされておったのであります。ところが、今申し上げたように、大会がなかなか済まない。済んだのが六時二十分であります。その間に所轄署長は、時間がなくなるということを心配しまして、時間がなくなればやはり時間外ということでデモ隊との間に摩擦が起るということを心配いたしまして、どうしても一時間くらいはかかると、こう見にゃならぬので、六時に大会の方に、デモをやるなら早くやらなければ時間切れになるぞということを警告いたしております。しかしながら今いったように、六時二十分までかかって、六時二十三分からデモに移ったような次第であります。そして六時二十三分、全学連を先頭にしまして、日教組の青年部長の井田保という人が指揮をとって、約五百名が示威行進に移ったわけであります。大会には九百名で示威行進は五百名、これは多少他
府県から参られた人のうちで脱落者が出たために数が減っております。これが会場を出発いたしまして、まず一番目に市電の宇治停留所というところがあるそうでありますが、そこ附近で電車の軌道の上で約四分間ジグザグ行進をしています。第一回、ここで電車が九台その間立往生をしたというわけであります。しかしながら、そこでは警察は規制に入っておりません。四分間で、時間が短かったためでもありましょう。まあ済むのを待って、手をつけておりません。ところが、午後の六時五十三分ごろ、本町二丁目、これは
御存じの方もございましょうが、和歌山市では最も繁華な所でありまするが、その付近に差しかかるや再び旗ざおを、この旗ざおは各
団体ごとに全部で二十五本くらいを持っておる。長さはいずれも一間半くらいあったようであります。これを横にかまえまして、道幅、先ほどいったように、これは十五メートルくらいございますが、そこでは道幅一ぱいにジグザグ行進を始めたのであります。ここで警察としては広報車を使って何べんも警告をいたしておりまするが、これを無視して、約十二分間ここではジグザグ行進が行われております。当日はちょうどお盆の日で人出も相当ございまして、ジグザグ行進によって交通が著しく阻害されたというふうに警察は認定いたしたわけであります。この間電車が四台、バスが七台、自動車が三十五台というものが両方から通れずに、このジグザグ行進の前後に停滞したというような状況でございました。
ところが午後の六時五十四分ごろ、これは派生的なことでございまするが、たまたま同時に起ったために、いろいろ問題になりますので申し上げますが、スクーターでその本町二丁目の所をデモ隊と並行して南の方に行こうとした、これは氏名がわかりませんけれども、普通の通行者でございまするが、これがデモ隊と並行して南進しようとしましたのに対し、そのデモ隊員が、じゃまだといってスクーターをけったということであります。ところが、このけられたスクーターに乗っておった男が、まあ元気な人といいますか、非常に憤慨しまして、スクーターをおりて、けったデモ隊員を捕えようとして飛びかかったというか、文句を言いにいったわけであります。ところが、デモ隊は人数が多いものですから、それを巻き込んでもみ合ったというような状況になりましたから、この際警察側は一個分隊が出まして、これが救出にかかっております。それからほぼ時を同じうして、その直前ということになっておりまするが、日本教育対策
協議会という会の宣伝カー、これは
勤務評定賛成といいますか、
勤務評定反対に対して反対ということを目標にして八月八日にできた会でございまするが、その
協議会の宣伝カーが、一ぺんは警察の警告によりましてデモ隊とトラブルを起すことなく行き過ぎたのですけれども、急にまた引き返してきて、徐行しながらも、
道路一ぱいに広がっているデモ隊に向ってかかってきたわけであります。かかってくるといっても、スピードを増して突っ込んだというようないろいろな
考え方がありますけれども、ただいままでの調べではそういう
事情はありませんが、デモ隊に向って差しかかってきた。そうすると、デモ隊に押されて、一ぺん十メートルぐらいうしろに後退しております。しかしながら、さらに一たんとまったけれども、その宣伝カーがさらに角度を変えて進行しまして、やはりデモ隊の前方でありますか、あるいは横から接触をして、そのためのけが人というものは出ておりませんが、そのために旗の奪い合いというか、宣伝カーの上と下のデモ隊との間に日の丸の旗の奪い合いというような混乱が
一つの現象としてたまたまその時間に起っております。そういう状況におきまして、午後六時五十五分ごろ、警備隊二百六十四名が現場に出動しまして、警じょうを横にかまえて、その混乱の収拾、ジグザグ行進の規制、制止ということに移ったのでありますが、この際に全学連、民青同などを中心とするデモ隊の者に旗ざおをもって立ち向われたわけであります。この状況は、旗ざおをもってなぐりかかる者もあれば、近くに工事場があって、丸太ん棒があったそうですが、それを投げる者もあるという状況で、警察もそれを排除しつつ、しかもデモ隊を右側の方に押しつける、そして交通ができるようにするという行為に移ったわけであります。この際抵抗しました者や、あるいは積極的に警官に対して傷害を負わした者を公務執行妨害罪と傷害罪の現行犯といたしまして三名ここで検挙をいたしました。この混乱のために双方に多くの負傷者が出た模様でありますが、デモ隊側の負傷につきましては後ほど申し上げますけれども、こちらの方で何名どのくらいの傷があったかということにつきましては、わからないのであります。そして、こういう騒ぎがあったために、デモ隊はさらに脱落者が多く、約三百名ぐらいにその後は減っております。そして、その後は
道路の左側を平穏に行進をいたしております。そして午後七時に、公安条例による許可の時間がここで終るのでありますが、七時にデモ隊は医大の付属病院前に差しかかっておりましたので、警察がそこに行って、広報車をもって、時間が切れたから解散しろということを警告したのであります。
そこで七時五分ごろ、この医大病院前にデモ隊が停止しまして、今度は、三人さっきつかまったから、これの釈放要求のために警察に対して抗議せにゃならぬということで、労働歌を高唱して、その病院前で気勢を上げておったのであります。この時期におきまして見物人が一千名ほどそこに集まっておったそうでありますが、見物人の中から、ここは病院の前だ、病院の前でやかましいじゃないかというようなことや、お前
たちは良識がないのか、それでも学校の先生かというような非難を浴びせかけたので、そこを引き揚げて、七時三十七分ごろ、警察署に抗議のために参っておるのであります。午後七時三十七分、まあ七時半ごろ署に参りまして、表玄関からどかどかと入ろうといたしましたけれども、警察部隊の一個小隊でそれを阻止して、入れておりません。それで午後七時四十五分ごろ、警察署前の歩道上に、警察署を背にしまして、六列横隊にすわり込んでおります。それで西警察署では、すわり込みの三百名に対しまして、マイクを通じて、そこは
道路で交通のじゃまになるから早く解散するようにということを、警告の回数にして百数十回、時間にして二時間弱行なっております。その間、やはり先ほどの見物人がこちらの方にも参りまして、この場合は、あるいは五百人といい、あるいは千名といい、はっきり数えておりませんので、五百名ないし千名の見物人がそのうしろを取り巻いて、口々にデモ隊に罵声を送っております。あるいは、大きな石はその辺にはないわけでありますが、砂等をかき集めて、また、中にはピンポン玉くらいの石もあったかというふうに
あとで申しておりますがそういうものを投げつけるというような行為があったので、警察はそのたびにこれを制止し、一方にはデモ隊員に対して解散を警告するという状態で、約二時間近く経過いたしました。
それから、九時二十分ごろに、先ほどの宣伝カーでデモ隊の前部と接触したという例の日本教育対策
協議会の者なども、その民衆の中に交ってきて、そのデモ隊があくまでもすわり込むならば、しかも警察がちっとも何もしない、なまぬるいというようなことで、自分
たちで出してやろうかというようなことまでいったような
事情もあって、警察としては、片方からはなまぬるい、なぜやらぬかということや、あるいは片方では、やはりあくまでもすわり込もうというような中に立って、約二時間近く両方を制止し、しかも解散を警告しながら時間が過ぎたのであります。しかしながら、こういう状態をいつまでも続けていくということは、民衆とデモ隊との接触というか、紛争を起すおそれが十分あり、かつまた交通上の支障もこれ以上放置できないという意味合いにおきまして、九時二十五分に至って警察官は実力行使に入っております。もうその時間になるとデモ隊も約二百名に減っております。それに対しまして警察官は、いわゆるその実力排除ということになると、人数が非常によけい要るのであります。まことに丁寧に、しかも十分に排除するためには、一人当り数人の警察官が要るそうでありまするが、この場合は二百名に対しまして二百八十五名が……。もちろんこの場合は素手であります。この場合に警棒で云々というようなことを一般に伝えられている向きもございますけれども、この場合は、すわり込みを排除いたします際には警棒は使いません。むろんさげていきません。素手でこれを排除いたしております。ただ排除する人員も、今申した通り二百名に対して二百八十五名でありますから、型通りのきちんとした形で排除できないで、ある
程度の、トンネルみたいなものを作って、そこに一人ずつうしろの方に送って出すというような
やり方であったようでありまするが、やはり方々でもみ合いになっております。この際うしろで見ていた民衆といいますか、そういう人々が、いつまでも警察がやらぬということで、じりじりしておった連中でございますけれども、一緒になってやはり引きずり出した者もあり、さらにうしろの方に突きやるというような行為も皆無ではなかったようでありまして、これを見ました場合におきましては、警察はそれを制止いたしておるのであります。ここでもやはり双方にけが人が出たものと思われます。そうして九時四十五分ごろすわり込みのデモの全員を排除いたしましたために、そのデモ隊は一たん、すわり込んでおった場所の筋向いの市役所前の庭に集合して、さらに三三五五、教育会館に向いました。そこで解散をしたのであります。このときは、すわり込んだ者について一名検挙をし、一名は、これは共産党員でありまするけれども、自動車を運転をしてきていて、どうしても退かない。それで交通妨害だということで任意に同行をしました上で、これは女でありましたので、すぐ釈放いたしております。従いまして、前の本町二丁目におきます実力規制の場合に、傷害及び公務執行妨害の現行犯として三名、この場合に一名というものを逮捕して、計四名がその晩としては逮捕いたしたわけであります。
負傷者の状況でありまするが、警察側に六十五名出ております、十六日の分として。そのうち二名は入院をいたさせましたが、ただいまは退院をいたしております。傷の状況等、いろいろございます。打撲傷、擦過傷、脳しんとうというようなことでいろいろございまするが、特色としては、本町二丁目の実力規制の場合は、やはり警棒で青竹を受けたということで、警棒につばがないものですから、何といいますか、手首のところのけがが相当多い。それから、実力ですわり込みを排除した際におけるけがは、やはり擦過傷や打撲傷のほかに、かみつかれた——咬傷というけがが多いようでございます。それから、デモ隊におきまするけが人は百数十名の多きに上ったというふうに報道もされ、また発表もされておりまするけれども、残念ながら、この点につきましては、私もこれは事柄のいかんを問わず、けがということについては、それが警察官側であろうとも、デモ隊側であろうとも、きわめて慎重に調べなければいかぬということで、数回の督促を現地にいたしておりますけれども、初めのうちは、どうしてもデモ隊側のけが人の数あるいはその
程度ということについて知ることができない。会いに行っても断わられる、家としても会わせないというようなことで、このことにつきましては十分な
調査を希望しながらも、その結果を得られていないという現状でございまして、まことにその点は残念であります。しかし、われわれの方で確認している相当なけがというものにつきましては四名ございまするし、また、この問題について、県の警察本部長並びに所轄の署長及び数十名の警察官というものを相手に告発をしておられるものの
内容から見て、七人けが人が出ているということについての告発状でありますから、それはやがて検察庁の調べ等ではっきりとなるものと考えておるのであります。
以上が十六日の事案で、私
たちのわかっておりまするところの大筋でありまするが、これは先ほど申し上げた十五日及び十六日に行われました国民大会の一環としての行事でございまして、国民大会そのものの進め方なり性格なりというものについて、私
たちが十分の研究が足りておったか、足りなかったかというような事柄からも、この問題を惹起した、あるいはこれの処理に当って双方に多くの負傷者を出したというような事柄を引き起したのじゃなかろうかという事柄につきましては、なお検討する必要があろうかというふうに考えておるのであります。
以上で大体……。