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参考人(
鮎沢巖君) 私は、四十年来先輩として尊敬申し上げておる
川西さんの
お話をただいま伺いまして、
川西さんが初めに大そう御親切なことを言っておられましたが、そっちを度外視しても、
川西さんの
お話を伺えば、私があえて蛇足を加える必要は全然ないと申して、引き下っても差しつかえないと思うのでありますが、せっかく、お招きをいただきましたから、最初からお断わりいたしますが、蛇足を付け加えさせていただきます。
なお、申しわけのようでございますが、実は
参考人としての
出席の御通知をいただきましたときに、
意見を求める事項は
国際労働条約批准等について、これだけいただいておったものですから、その面は少しばかり条文を研究しましたり、そしてこういう点は強調して申し上げてみたいというように思って参ったのでありますが、ただいまいただきました
四つの点をもう少し前にいただいておりましたら、多少
具体性を持った数字について、あるいは
国名等もあげて、あるいは
事項等もあけて少しばかりあるいは
お話ができたかとも思いますが、それは単に申しわけにすぎないのです。
そこで、ただいま
川西さんの
お話を伺っており、それから前にちょっとこれを拝見してノートを取りましたような点について申し上げて、後にいろいろな点について、これは十分に御質問をいただいて、そしてそれに対する明快なお答えを
川西さんにいただく格好になるかと思います。
最初に
国際労働機関の
存在意義について。ただいま
川西さんがおっしゃいましたように、第一回の
国際労働会議というのが開かれましたのが大正八年、
一九一九年のことでございます。そうしますと、顧みますと、もうたちまち四十年、四十年の歴史を持った
国際労働機関というものは、その
存在意義というものをりっぱに歴史的に証明しておると思うのでありますが、
皆さん御記憶のように、あの
戦争が勃発しますと、その当時まで数百をもって数えた公式な、つまり各
政府が加わっておるところの
国際機関や、あるいは大きな
国際商工会議所とかいうような団体がいずれもくずれて崩壊し去ったときに、たった
一つ国際機関として
戦争中その
存在を保っておったのがこの
国際労働機関なのです。それは、かの仕事が
堅実性を持ったため、あるいは
各国これに参加しておるものが、これだけは守りぬこうという
意思を持って貫いておったためでございます。もちろん、
交戦国の両側からそこに出て、角を突き合せるという場面はなかったのでありますが、
国際労働機関自体は
存在しておった。そして
活動を継続しておったということは、
皆さん御記憶の
通りでございます。
労働問題というものが、各
国内において今日なお非常に重要な問題になっておる。国際的にいよいよ
重要性を加えておるときに、
国際労働機関というものの
存在意義が非常に大きいということは申すまでもありませんが、それを具体的に二、三のポイントをあげてみますと、多少アカデミックなことになりますが、あるいは多少専門的と申しますか、になりましょうが、
国際労働機関ができます以前は、いずれも
各国の国の
代表ということは国の
政府の
代表であって、
国際連盟ができましたときにおいても、
国際連盟が改まって、
国際連合になりましても、
連合ではリーグ・オブ・ネーションズとか、ユナイテッド・ネーションズ、
国民の
代表組織のごとく考えられておるときに、実は
政府の
代表、
政府の間に結ばれた
組織であるということが、その後の経験によりましても、それにはいろいろな巨大な問題が含まれておる。
政府が常に安定して、一種類の
政府だけが、たとえば自由党あるいは
保守党であっても、または
社会党であっても、その
政府がずっと永続してある国の支配に当っておりますれば、そこに
安定性のようなものがあるのでありますが、このいずれの国におきましても、大体
一つ三つ、ある国は十以上政党などがありまして、政権を争っております。そうしてあるときに長い間、たとえば
保守党が政権を握っておったとする、しかるにその
保守党が倒れて、今度は
社会党になった。そうすると、
保守党の時代に作ったところの重要な
条約、あるいはその
保守党政府が支持してできました
国際条約等を、
社会党の
代表になりますというと、あれははなはだ
国民のために、あるいは
世界平和のために好ましくないものであるからということで、それをくつがえそうと試みます。そういうようなことが行われますというと、
国際会議における
安定性、
国際条約なり国際的な取りきめの上に動揺が起ってくるというようなこと、それは改めることはできませんが、しかし、もしその
国際組織が人民の、
国民の
意思を十二分にそこに
代表することができるようになれば、それだけもっと現実に即した形のその
国際立法もでき、あるいは国際的な取りきめもできるのじゃないかということであります。そういうようなことを
職能代表——ファンクショナル・レプリゼンテーションというようなことを申しますが、それは単にアカデミックなものでなくて、現実に行われておる——完全と申しません、またきわめて原始的な形だと学者は申すでありましょうが、この
国際労働機関が、先ほど
川西さんから御指摘のありました、三部制になっております。
政府代表のほかに、
使用者の
代表と
労働者の
代表というものがあって、
労使関係というときには、決して
政府の
意思一つで物事は動いて参りませんで、そこには有力な
使用者団体の
意見、それからまた、有力に
組織された
労働組合側の
意見というものを十二分に取り入れませんと、せっかくきまったことが実施されないというようなことで、またそれは
国内においてしかり、それが
国際会議にまで出して、国際的な取りきめがそういう
基礎の上に行われるということは、技術的に申しますと非常な
進歩である。そうして、それは非常に有効なことであったということをこの四十年の歴史が物語っておるのであります。この
基礎は、まずこれからも長くくつがえないし、くつがえしてはならないというようなことで、この
ILO、
国際労働機関の一特徴として非常に強調されている点でございます。これに対しまして、最近問題がなかったのではありませんが、そうした性格がいかに重要な問題であるかということは、なお幾つか起りました最近の事態が証明しつつあると思うのであります。
国際労働機関が、最初には
国際連盟という、あの
平和条約によって作られた機構の一部をなしておった。それでそのために、
国際連盟がその
存在が危殆に瀕し、あるいはその
権威が疑われるというようなときに、
国際労働機関もそのことから災いを受けておったのでありますが、御存じのように、
戦争が始まってから、有効な措置をとりまして、
国際労働機関が
国際連盟と離れて独立した
組織になって、
国際連盟がやがて解体しましても、
国際労働機関は残っているというようなことがありました。なぜその事実を私申しますかといいますと、この
国際連合についても、今日またわれわれが非常な期待をかけ、信頼をかけ、これだけはどうしても
世界平和のために守りぬきたいというときに、いろいろな問題が起るのでありますが、そういうことがあるにいたしましても、この
労働の問題、
労働ということは、
戦争を通じて、平和を通じて、常になされなければなりませんし、
労使関係は常に機徴な、デリケートな問題でありますが、そういうようなことが
国内の
レベルのみならず、国際的な
レベルにおいて処理されるという
機関があるということが、
国内の平和のみならず国際平和の上に重要である。その点もやはりこの際指摘されるべきではないかと思うのであります。
それから、
国際連合のことを申しましたが、そのついでに、
連合は幸いにして
世界のまずすべての
独立国家がこれに所属しております。でありますから、その
国際連合の
普遍性、ユニバーサリティーということは問題になっておらないと申していいのでありますが、
国際労働機関が、今日
世界の平和を脅かすといわれる
イデオロギーの衝突ということが絶えず問題になっているときに、あの
国際労働機関の中にその二つの異なった
イデオロギーがなるほど火化を散らし、しのぎを削って、ずいぶん危なく見えることもございますけれども、しかも両者が一堂に会して、そうしてそこで十分に討論をいたしまして、冷静に、武力とか暴力とかに訴えることなく、最も重要な
経済の
関係の問題としての
労働問題がそこで議せられるということが、
労働機関の
存在意義というものを非常に高めておると言って差しつかえないと思うのです。
もう
一つ、先ほど
川西さんからも十分に御指摘になりましたが
後進国の問題、それから貧困の問題、そういうふうなものと戦うべく
労働機関が、特に戦後におきまして実に目ざましい画期的な事業を行なっております。その具体的な内容をただいま申し上げませんが、
先ほどお話のありました、
フィラデルフィア宣言という中にも、
世界の一国あるいは一カ所における貧乏ということは、
世界中の問題として
世界にそれは累を及ぼす。その貧乏を退治して、その貧乏と戦っていくということに全力を尽す
組織が、この
ILOがそうした
一つの
組織になっております。そういうようなことから国際的に
ILOの
存在意義ということは、そういう点からも十分に申されるかと存ずる次第でございます。
第二の、
日本経済の
発展と
国際労働機関との
関係についてでございますが、これも、
川西さんが十分に御指摘になりましたから、また蛇足を加えることになりますが、この間の
戦争が、持てる国と持たざる国の戦いであるといわれた。私は、その講論は大へんな根拠を持ったとか、それが
戦争を正当化したものであるとかということを申しているのではありませんが、いろいろな点において、
日本が持たざる国であることは事実であります。今日におきましても持たざる国、
日本はその国柄からこの
四つの島々にこれだけの人口を擁して、
日本は持たざる国です。この国の
経済が単にこの
四つの島々においてなされるところの
経済でありますならば、われわれは自滅するのみであります。
日本の
経済が成り立っていくのは、どうしても
国際経済でなくてはならないということ、国際的な
日本としての
発展ということなしには、
日本の前途は実に暗黒なものであるということであります。そういうときに、
基礎的に重要であることは何であるかというと、
産業に、
労働に従事する労使間の調整が堅実に行われているということでなければならぬ。そういうことの
機関として、国際的に
組織されたる
ILOなんでありますが、その
ILOがどんなふうにそれでは機能を発揮していくかということに関しまして、
ILO協会等でも、ずいぶん全国を回って、たくさんの方の御支持を得ているのでありますが、残念ながら
ILO協会のために、あるいは
ILOのために最も大きな戦うべき困難は何かといいますと、それに関する無知識、無理解です。実にわかっておらない。それで、
条約の批准なんというと、何だか非常に専門的なこと、これは外務省のお役人に頼んでおけばいいというように考えるのでありますが、むしろこの無理解が、これはまあ
労働運動の方に十分にございますと言いたいのですが、必ずしもそうでない。いわんやと言うと多少悪いことになりまして、あとで取り消しますが、他の方面におきましては、これは
使用者団体あるいは
政府関係の方々がそのために非常に御援助をして下さっていることを私ども感謝しなければならないのであります。
それで、
日本経済の
発展に関して、戦前と戦後との経験を考えてみますと、戦前
日本は、第一次大戦の後には、
世界三大海運国の
一つとして、あるいは八大
産業国の
一つとして、または五大強国の
一つとして、
世界に雄飛するようになりました。あの第二次大戦において一敗地にまみれて、
日本は国際的に信望を失い、そうして
経済的には非常に打撃を受けまして、その間に
日本の
経済的な、
産業的な
組織が壊滅したような状態になったのでありますが、その後最近において、私海外に出る機会を得まして参りますと、一時私どもがあの虚脱的な状態に陥って、非常に心配し、絶望したときとはまるで違った、
日本の
経済的な地位というものが非常に高まっております。それは、いろいろな面で具体的に申されますが、
国際連合が発表しておるあの統計年鑑あるいは国際
活動の面において、
日本はまたやはりほとんど以前の指導的な地位についておる。
国際労働機関の
理事会に常任理事の席を持っておる国が、以前は八カ国であったのが十カ国になって、
日本がその十カ国の
一つとして加わるようになったのでありますが、それは、いろいろな政治的なあるいは沿革がありましてそういうことになった。事実
日本の今日の
経済は、確かに
世界においてまた非常に指導的な
重要性を持っておるということであります。
戦後も、
日本の海外の
発展ぶりは、数字的には今日まだ非常に、小さくて、まだまだこんなことで満足したり、得意がったりしては相ならないのでございますけれども、しかるにもかかわらず、
日本の輸出品が海外の市場に広がっておることは、皆様も海外をお回りになりますと、南米へおいでになり、アフリカにおいでになり、アジアの奥地まで入って行っても、
日本品が入っておるということであります。そうしてそのときに、戦前にありましたような同じような非難を
日本がまたこうむっている。それは、トレード・マークやいろいろなパテントを盗用するというようなことのほかに、
日本が受けている、そしてある程度は何か根拠があるのじゃないかと思われるような形のソーシャル・ダンピングのそしりであります。ソーシャル・ダンピングということは、
労働条件をことさらに低下させ、あるいは低い
労働条件をことさらにそのままに維持して国際競争に臨むことがソーシャル・ダンピングと定義されているのでございますが、
日本が
国際労働機関というようなところの常任理事として、常に名誉あり、責任ある地位を持っておりながら、もし
国内が法律において実施し、あるいは慣行として行なっているところが、
世界の国々から見て実に言語道断な非人道的な、非文明的なことであるということであっては相ならないはずであります。国の名誉からも、それが持つ責任からも、そして実はその基準が国際的な
レベルに上るということが国の
経済的
産業的権衡を保持するゆえんでありますならばそうなのです。そういうことへの理解が不幸にして不徹底だと思うのであります。そういうことであります限りは、
日本の
経済の
発展のために、
日本が
国際労働機関に十二分に協力を与えるということが必要であるということは、申すまでもないと思います。戦前
日本の
社会的
進歩は、一方において、あるいはいろいろな面における慣行において、
国際労働機関に負うところが非常に多かったことは、今、一々申し上げているひまもございませんしいたしますから申し上げませんが、そういう点を考えますというと、国際
日本でなければならない
日本、
国際経済でなければならない
日本経済は、
国際労働機関というものをないがしろにしては相ならないということが申せると思うのであります。
第三の、
近代国家における
労働基準の
引き上げ及び
社会立法の
必要性について、という点でございますが、国の名前をあげたりいたしますというと、今は何でも
世界中に響く時代になりましまから、慎重でなければいけませんけれども、まあ南米の諸国であるとか、あるいは中近東の諸国であるとか、バルカンの諸国であるとか、あの国が安定を欠いている。その不安定状態は何から来るかということを見ますというと、それはいろいろな原因がございますけれども、
一つは、この
社会問題の上に、あるいは
社会立法の上に、十分なことがなされていないということのようであります。どこの国でも、近代の文明国家というものは、一言にしてウエルフェア・ステート——
福祉国家ということを望んでおる。一言にして言えば、すべての
社会的
努力、
社会的
進歩というものは、
福祉国家ということの内容を充実することだと思うのであります。その中で一番大きな部分を占めるものは何だろうというと、どうしても
労使関係です。
労使関係の上に、法律として、あるいは労使間の慣行として、すぐれた健全なものを持っているということがどうしても大切です。それが行われていない国は、国として実に不安定な状態になっており、国際的にも実にその劣勢な地位にあるわけであります。
日本は、いろいろな
意味で、外観的には大へん進んでいるようでありますが、内容的には、あのてんぐの面は裏から見ると穴ばかりのもので、
日本人になって事実その内容を見ますというと、
日本の立法にしましても、たとえば
社会保障なんどにしましても、ずっとレッテルを張ってありまして、何でもあるようでありますが、その内容を見ますというと、実に貧弱で、はあ、それで一体どういうことになるんですか、これだけのことです、というと、また二度あぜんとするような状態。これではならない。
日本はもう武器を放棄したる
日本である。交戦権を放棄して、
世界諸国家の公正と信義に信頼して立ち上るという国である。そういう国で、
福祉国家としての実をあげるということは、何よりも大切なことである。余談になるようでありますが、、西ヨーロッパで、もし共産軍が入ってきても、共産主義が入ってきても、何らの動揺を起さないであろうと言われる国はイギリスだということをよく聞きました。それは、イギリスに大へんな武器、武装、その面の防備があるからかというと、そうじゃなく、あそこの国は、
社会福祉の上において、
社会保障というようなことにおいて、共産諸国家が暴力革命をもってようやくやり遂げ、あるいはやり遂げ得ないことを、無血革命のイギリスは完全雇用を実施し、
社会福祉というものを行なっておる、こういうのです。その
社会福祉ということの一々内容を取り上げてみますというと、百数個にわたる国際
労働条約の基準に自然に沿ったものであるということもまた、言葉をかえて申すことができると思うのであります。どうしても、
近代国家における
労働基準の
引き上げということは、
国際労働機関と切り離してはなかなか考えにくいことであるというようなことが申せるんじゃないかと思います。
最後に、
国際労働基準と
国内労働基準の調整についてでありますが、先刻私は、
日本が持たざる国であるということを申しました。
日本は、どうしても国際的な協力ということを、
日本だけのためではなくて、
世界に
日本と同じ、あるいは
日本よりも持たざる国であることろの国はたくさんあると思います、それらとの協力が必要なのであります。そこで、
国際労働機関が
労働保護に関し、あるいは
労使関係等に関する
条約等を作って、非常に高い
レベルのもので
日本などでは、持たざる国の
日本では、とても手が届かないようなものをするのじゃないか、ただ、そういうものを一種の国家的虚栄心のようなことで指導しようとするところに無理はないか、というふうな考え方がなきにしもあらずということを聞くことも、耳にすることもあるのでありますが、しかし、
国際労働機関の懸賞を見まして、それから今まで四十年のずっとなし来たったところを見ますと、決して悪平等でなかった。すべての国に同じことを機械的にしいてはおりません。第一回の
国際労働会議において、
労働時間が
各国一日八時間、一週四十八時間という
条約ができるというときに、
日本は新興国家で、
日本の工業はようやく緒についたばかりだ、工場法を施行してわずか二、三年という
日本が、とても進んだそういう
条約にはついていけないということで悩みましたが、あのときも、
日本に対する特殊の条項というものが作られて、
国内では、ことに
進歩主役の人々や
労働運動の人々からもごうごうたる非難がありましたが、そういうことが行われますし、
労働条約、勧告を作る際に、そうした、その国の異なった
経済情勢等を十分に考慮することということが、
国際労働機関憲章の第十九条に書いてございます。「一般に適用する
条約又は勧告を作成する場合には、総会は、気候
条件、
産業組織の不完全な発達文は他の特殊の事情によって
産業条件が実質的に異なる国について充分な考慮を払い、且つ、これらの国の事態に応ずるために必要と認める修正があるときは、その修正を示唆しなければならない。」その他、こうした考慮は十分に払われまして、
理事会においては、常任理事として
日本の
政府が
代表を出しており、
使用者側も
労働者側も副理事として有力な
代表を持っている
日本でありますから、この点の心配はまずないと申してよいと思うのであります。前例がそういうことであると同時に、今度は
日本くらいに非常なヴァイタリティ、活力を持った国はない。戦前の
日本を知って、戦後に訪れた人々は実に驚いて、ことに最近、異口同音に言いますことは、
日本の
経済的回復、これは
世界の「きょうい」だ、「きょうい」という字は三つの英語がある。
一つはワンダー、みんなをびっくりさす、もう
一つはメネス、脅威、
世界を脅かす、二つの
意味できょういだというようなことを言う。この
経済的な底が浅いと言われながら、底力を持っている
日本でありますから、その
日本には、好むと好まざるにかかわらず、二つのプレッシャーが内外から加わっております。これは、強力に
組織された、目ざめたる
労働運動、これが
国内にあって、これは除き去ろうとしてもできません。そうすることは
日本の
進歩を阻害するものである、これは守り続けていかなければならないものでありますが、そのプレッシャーがあることはお互いによく存じておりますし、そのプレッシャーが正しい方向に、健全な方向に向っていくようにこれが導かれていく、その点について
皆さんの御指導を非常に私どもは感謝している次第であります。もう
一つは、海外からそういう面の強力な圧力がかかっております。何回となく
国際労働会議において、それからその他の
会議において、
日本に対するごうごうたる非難やその他がございます。先刻
モレット氏の報告の話がありました。
日本はソーシャル・ダンピングをやっている事実はない。
日本は非常に勤勉であり、その
産業の
近代化と合理化と機械化ということが
日本の
進歩と
発展を物語るものだという報告でありましたけれども、果してその
通りのことがいつもいつも言われるかというと、近ごろ海外からたずねてくる人がたくさんありますししますから、どうか
日本に来て、
日本から大いに学んで、教えられて帰るというようなことを実現したいと思うのであります。
つまらないことをたくさん申し上げましたが、最後に申したいことは、私はやはり愛国者として、わが
日本を愛するのあまりにそういうことを叫びたいのでありますが、このアジアに二十数カ国の新しい独立国等ができて、
日本はその新たに目ざめた新興諸国家の間で、あるいはアジア、アフリカの諸民族二十九カ国の
代表が集まって、あの人間の歴史の上に打ち立てられたバンドン
会議等がありましたが、
日本はではそこでどういう役割を演じておるのだろうか、今まで演じた
日本の役割というものは、むしろはなはだ小さなものであった。ほとんど
存在は意識されなかった。これからは、どうか
日本は、その中で
日本というものの
存在が
意義があるものになるようにしたい。そのときには、やはり
四つに取っ組んで、その問題についてりっぱな
解決が、あるいは健全な道が示されなければならないものがある。それは
労使関係です。
日本は
労使関係においてどういう
国内立法を持ち、
国際機関とはどういう
関係があるかという点について、どこを突つかれても突っつかれるようなことがないようなことが、幸いにして
皆さんの御援助によってできることを私は望んでおるのであります。
ありがとうございました。