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1958-08-11 第29回国会 参議院 社会労働委員会国際労働条約批准等に関する小委員会 閉会後第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十三年八月十一日(月曜日)    午後一時四十七分開会   ————————————— 昭和三十三年七月四日社会労働委員長 において本委員を左の通り指名した。            勝俣  稔君            草葉 隆圓君            斎藤  昇君            柴田  栄君            片岡 文重君            藤田藤太郎君            山本 經勝君            中山 福藏君 同日社会労働委員長は左の者を委員長 に指名した。    委員長     藤田藤太郎君   —————————————    委員の異動 七月八日委員山本經勝君死去された。 七月十一日社会労働委員長において山 下義信君を委員に指名した。   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     藤田藤太郎君    委員            勝俣  稔君            草葉 隆圓君            片岡 文重君            山下 義信君   事務局側    常任委員会専門    員       増本 甲吉君   説明員    労働政務次官  生田 宏一君   参考人    日本ILO協会    副会長     川西 実三君    日本ILO協会    理事      鮎沢  巖君   —————————————   本日の会議に付した案件 ○国際労働条約批准等に関する件   —————————————
  2. 藤田藤太郎

    委員長藤田藤太郎君) ただいまから、国際労働条約批准等に関する小委員会を開会いたします。  本日は、国際労働条約批准等に関する調査上の参考に資するため、特に参考人の御出席を願い、御意見を拝聴することになっております。  参考人各位には、酷暑の折柄、しかもお忙しいところ出席いただきまして、まことにありがとうございました。本小委員会においては、目下社会労働委員会からの要請により、本問題について調査中でございますが、その参考に資するため、各位の御出席をお願いして、御意見を拝聴いたすことになりました。その具体的な事項については、あらかじめお手元に御送付申し上げておきました通りでございますが、時間の関係もございますので、先に御意見発表をお願いいたしまして、次に、各委員質疑に答え願いたいと存じます。御了承をお願いいたします。  次に、委員各位にお諮りいたします。議事の進行上、参考人全部の意見発表が済んでから質疑を願うことにいたしたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 藤田藤太郎

    委員長藤田藤太郎君) 御異議ないと認めます。それでは、参考人各位から順次御意見発表を願います。まず、日本ILO協会会長川西実三君からお願いいたします。
  4. 川西実三

    参考人川西実三君) この席には、幸いに労働問題の国際的にもその権威を認められておる鮎沢さんがみえておりますので、私の率直な気持から申せば、お示しいただいた、四つの問題について、皆様方鮎沢さんのお話を先に聞きになれば、それでもう十分じゃないかという感じがするのでありますが、御招集を受け、また委員長の発言の御要求もありますので、露払いと申しますか、前座という意味で、四つの問題につきまして、私自身が平素感じておりますことを率直に述べさせていただきたいと存じます。  第一番の、国際労働機関存在意義ということにつきましては、このILO目的というのは、労働憲章並びにフィラデルフィア宣言にも示されておりますように、世界の永続する平和の基礎であるところの社会正義確立する。こういうことにあるのであります。それじゃ、社会正義確立ということはどういうことをいうのかといえば、これは、大きな社会不安を醸成して、結果的には世界の平和及び協調を危殆に頻せしめるような不正あるいは困苦欠乏というようなことを伴うところの労働条件をこの地球上から駆逐しようということを意味するのだろうと思います。そうしてILOは、その方法として、世界八十九国に及ぶところの加盟国政府代表のみならず、産業生産の直接関係者であるところの労働者使用者、この三つの方面の代表人たちの協力によって、きわめて民主的な討議をして決定をする。こういう方法をとっておるのであります。従って極左とか極右の全体主義と申しますか、そういうことから生じやすい暴力というようなことによって、あるいはその物質万能主義というのもそのうちに入るだろうと思いますが、世界の平和が脅かされておるような今日の状態におきましては、政治的のイデオロギーというようなものを超越して、さっき申しましたような、きわめて平和的な、民主主義的な努力によって、一歩一歩社会進歩を推進しようとするという点にILO存在意義というものが非常に大きいと思うのであります。現在の世界経済の当面しておりまする大きな問題は、一つ技術革新のもたらすところの諸問題の解決、それからもう一つは、後進地域経済水準引き上げるということにあると思うのであります。そしてこの二つの問題の解決は、単なる政治的の立場だとか、何か特定国の利害と結びつくというようなことでは達成することができないと思うのであります。このことのために、正義及び人道の感情と、世界の恒久平和を要求しておる、しかも世界的基礎に立ちまして、社会進歩努力を長年続けてきたILOのような機関の手を通じて初めていろいろな雑音抜き目的を、助けられる方の側をよく理解して、円滑に平和のうちに解決ができるのである、こういうふうに思うのであります。大体まあこれがILO存在意義として私の感じておりますることでございます。  それから第二の、日本経済発展国際労働機関との関係につきまして、この日本経済発展貿易伸展なくして求め得られないということは、国土の狭小、資源の貧弱、膨大な人口という日本実情からして、今さら私があらためて申し上げる必要もないことだと思うのであります。しからば、その貿易伸展するというためにはどうするか、これは、日本から出すところの、日本生産するところの商品というものに対する国際的信用を高めるとともに、活発な海外との交流が行われなくてはならないと存ずるのであります。特に日本商品に対する信用を高める必要がありますが、これは、品質の改善とか価格の適正ということに対する努力はもちろんでありまするが、公正な労働条件確立への努力ということが、間接のようでありますが、非常に大切なことであると思うのであります。ついせんだって大原総一郎さんが、たしか繊維の問題で海外諸国を回られて、会議に出られた感想を朝日新聞で読みましたときにも、心ある実業家はそういう点にも着目し、重点を置いておられるように私は感じておったのであります。ともかく私にはそういうふうに思えるのであります。しからば、公正な労働条件というのは一体どういうことなのかといいますと、これは、国際的にその権威の認められておるところの国際労働機関がしたところの諸決定、あるいは条約であるとか、あるいは勧告であるとか、あるいは決議であるとかいうようなものにこれを求めるということが妥当な適当なことであろうと思うのであります。こういう事柄に関連しましては、相当古い話にもなりまするけれども、鮎澤さんとともに、私ども大正九年の創設以来、スイスにおって数回の労働理事会総会等に携わり、またその後ILOの本部から、あるいは局長、あるいはモレットというような人たち日本にも直按やってきたときのことを思い出すのでありますが、往々にしてこの会議等におきましては、公正な労働条件というものについて日本が疑われて、ソシアル・ダンピングの問題だとかというようなことで受身の立場に立ったことがありますが、モレットというさっき申し上げたような人は、日本に来ての調べに、日本のために非常に有利な報告をしてくれて、そういう烙印を押されずに済んだことを今もって思い出すようなわけであります。いずれにいたしましても、公正な労働条件ということが、ただ商品価格という問題だけでなしに、あわせて日本貿易伸展の上に大切なことであるということを言わざるを得ないと思うのであります。  さらに、これはやや小さいことのようでありまするけれども、ILOの諸会議には、各国政府代表のほかに、さっきも申しましたように、使用者代表労働者代表等が参加されるのでありまして、このILO会議における討論を通じまして、あるいはその他公私の接触の機会におきまして、日本経済実情について認識を持たせるということは、引当の意義があるものと考えるのであります。  それからILOが、第二次大戦争の後における新しい活動の分野の一つにおきまして、後進国に対する技術援助の問題を取り上げておりますが、この援助活動の一環として、すでに幾多の日本人の専門家が、中小企業手工業等関係で、東南アジア諸国、たとえばタイとかインド等に派遣されておりますが、日本経済発展が将来アジア諸国との交易の発展いかんに非常に関係が深い。依存というほどでなくても、重要な関係を持つことを考えてみますると、このILOの新しい活動に対して日本が積極的に協力するということは、日本に対するアジア諸国認識を高めさせる意味において、大きな意義があると考えるのであります。  第三番目の近代国家における労働基準引き上げ及び社会立法必要性についてでありますが、近代国家必須条件一つとして、国民福祉向上がすべての政策の目標でなければならないということは、フィラデルフィア宣言の明示するところでありましてそうしてこの国民福祉向上というのは、具体的には、労働条件引き上げ社会保障その他社会政策立法の推進にあると思われるのであります。従って、労働基準引き上げ社会立法の増進は、近代国家としての必須条件と言わなくてはならないと存じます。近代国家必須条件一つは、産業構造近代化である、すなわちオートメーションなり、それから近ごろやかましい原子力の平和利用など、生産技術の著しい向上によるところの物的生産力の上昇であります。そうしてこの高まるところの生産力をさらに上昇せしめて、国民経済を拡大して、再生産への道に向ける必要があるのでありまするが、そのためには、旺盛な有効需要購買力の旺盛なもの、こういうものが存在しなければ、た生産産がどんどんふえていくということだけでは、かえってある意味において不幸を招くというようなことがないとはいえないのであります。従って、賃金その他の労働条件引き上げ労働時間を短縮させ、社会保障制度によって購買力を与えるというような手段を通じて、消費を衰えさせないのみならず、消費を刺激して有効需要を促進するというようなことは、高まる生産性をより、そう伸展させ、精神的の自由と、物質的の福祉とを実現するという近代国家の要件を具現させるところの道であるといわなければなるまいと思うのであります。  それから最後の、国際労働基準国内労働基準調整の問題でありますが、原則的には、国内における労働基準というものは、そのおのおのの国の情勢条件というものを考慮して、当該国意思によって決定さるべきものと思います。しかしながら国際労働基準——これは、さっきも申しましたように、結局ILO条約勧告等の形において決定したもの、この国際労働基準なるものが、世界各国政府代表並びに労働代表産業代表——つまり使用者代表等、この三者が集まって、民主的に十分討議をして決定をしたものであるという以上は、国内事情によってさっき申し上げたように決定される、べきものでありまするけれども、またこれを十分に尊重するということも理の当然であろうと思うのであります。特に現在の世界情勢におきまして、ことに日本のような国におきましては、孤立した国民経済存在は事実上あり得ないし、世界経済との交流によってのみ国民経済発展が期待できるというような状態におきましては、公正な競争条件確立という点からも、国際労働基準尊重実施が望まれるという点は、初めにも申し述べたところであります。  で、具体的な個々の労働条件、たとえば、時間とか賃金とかいうようなものにつきましては、当該国の特殊の事情によって左右される面が相当大きいと思うのでありますが、同じ労働問題におきましても、基本的な問題、労働者の基本的の権利と申しますか、強制労働の禁止とか、あるいは移住の自由とか、いろいろありましょうが、ともかく基本的人権というような種類に属するものについては、どちらかと申せば、私の考えから申しますると、国内事情等もありましょうが、国内事情に優先して、国際労働基準というものに合せるように努力することは必要ではなかろうか、こんなふうに思うのであります。  私自身国際労働協会の副会長という資格出席をさせていただいておるので、その資格においては、今まで申し述べたようなことは、あるいは権限と申しまするか、言葉の過ぎたような点があるかもしれません。個人的な意見が一緒になって、聞き苦しいようなことがあったかもしれません。率直に御参考に申し上げるという意味において、以上御清聴をわずらわした次第でございます。
  5. 藤田藤太郎

    委員長藤田藤太郎君) どうもありがとうございました。  それでは次に、日本ILO協会理事鮎澤巖君にお願いいたします。
  6. 鮎沢巖

    参考人鮎沢巖君) 私は、四十年来先輩として尊敬申し上げておる川西さんのお話をただいま伺いまして、川西さんが初めに大そう御親切なことを言っておられましたが、そっちを度外視しても、川西さんのお話を伺えば、私があえて蛇足を加える必要は全然ないと申して、引き下っても差しつかえないと思うのでありますが、せっかく、お招きをいただきましたから、最初からお断わりいたしますが、蛇足を付け加えさせていただきます。  なお、申しわけのようでございますが、実は参考人としての出席の御通知をいただきましたときに、意見を求める事項は国際労働条約批准等について、これだけいただいておったものですから、その面は少しばかり条文を研究しましたり、そしてこういう点は強調して申し上げてみたいというように思って参ったのでありますが、ただいまいただきました四つの点をもう少し前にいただいておりましたら、多少具体性を持った数字について、あるいは国名等もあげて、あるいは事項等もあけて少しばかりあるいはお話ができたかとも思いますが、それは単に申しわけにすぎないのです。  そこで、ただいま川西さんのお話を伺っており、それから前にちょっとこれを拝見してノートを取りましたような点について申し上げて、後にいろいろな点について、これは十分に御質問をいただいて、そしてそれに対する明快なお答えを川西さんにいただく格好になるかと思います。  最初に国際労働機関存在意義について。ただいま川西さんがおっしゃいましたように、第一回の国際労働会議というのが開かれましたのが大正八年、  一九一九年のことでございます。そうしますと、顧みますと、もうたちまち四十年、四十年の歴史を持った国際労働機関というものは、その存在意義というものをりっぱに歴史的に証明しておると思うのでありますが、皆さん御記憶のように、あの戦争が勃発しますと、その当時まで数百をもって数えた公式な、つまり各政府が加わっておるところの国際機関や、あるいは大きな国際商工会議所とかいうような団体がいずれもくずれて崩壊し去ったときに、たった一つ国際機関として戦争中その存在を保っておったのがこの国際労働機関なのです。それは、かの仕事が堅実性を持ったため、あるいは各国これに参加しておるものが、これだけは守りぬこうという意思を持って貫いておったためでございます。もちろん、交戦国の両側からそこに出て、角を突き合せるという場面はなかったのでありますが、国際労働機関自体存在しておった。そして活動を継続しておったということは、皆さん御記憶の通りでございます。  労働問題というものが、各国内において今日なお非常に重要な問題になっておる。国際的にいよいよ重要性を加えておるときに、国際労働機関というものの存在意義が非常に大きいということは申すまでもありませんが、それを具体的に二、三のポイントをあげてみますと、多少アカデミックなことになりますが、あるいは多少専門的と申しますか、になりましょうが、国際労働機関ができます以前は、いずれも各国の国の代表ということは国の政府代表であって、国際連盟ができましたときにおいても、国際連盟が改まって、国際連合になりましても、連合ではリーグ・オブ・ネーションズとか、ユナイテッド・ネーションズ、国民代表組織のごとく考えられておるときに、実は政府代表政府の間に結ばれた組織であるということが、その後の経験によりましても、それにはいろいろな巨大な問題が含まれておる。政府が常に安定して、一種類の政府だけが、たとえば自由党あるいは保守党であっても、または社会党であっても、その政府がずっと永続してある国の支配に当っておりますれば、そこに安定性のようなものがあるのでありますが、このいずれの国におきましても、大体一つ三つ、ある国は十以上政党などがありまして、政権を争っております。そうしてあるときに長い間、たとえば保守党が政権を握っておったとする、しかるにその保守党が倒れて、今度は社会党になった。そうすると、保守党の時代に作ったところの重要な条約、あるいはその保守党政府が支持してできました国際条約等を、社会党代表になりますというと、あれははなはだ国民のために、あるいは世界平和のために好ましくないものであるからということで、それをくつがえそうと試みます。そういうようなことが行われますというと、国際会議における安定性国際条約なり国際的な取りきめの上に動揺が起ってくるというようなこと、それは改めることはできませんが、しかし、もしその国際組織が人民の、国民意思を十二分にそこに代表することができるようになれば、それだけもっと現実に即した形のその国際立法もでき、あるいは国際的な取りきめもできるのじゃないかということであります。そういうようなことを職能代表——ファンクショナル・レプリゼンテーションというようなことを申しますが、それは単にアカデミックなものでなくて、現実に行われておる——完全と申しません、またきわめて原始的な形だと学者は申すでありましょうが、この国際労働機関が、先ほど川西さんから御指摘のありました、三部制になっております。政府代表のほかに、使用者代表労働者代表というものがあって、労使関係というときには、決して政府意思一つで物事は動いて参りませんで、そこには有力な使用者団体意見、それからまた、有力に組織された労働組合側意見というものを十二分に取り入れませんと、せっかくきまったことが実施されないというようなことで、またそれは国内においてしかり、それが国際会議にまで出して、国際的な取りきめがそういう基礎の上に行われるということは、技術的に申しますと非常な進歩である。そうして、それは非常に有効なことであったということをこの四十年の歴史が物語っておるのであります。この基礎は、まずこれからも長くくつがえないし、くつがえしてはならないというようなことで、このILO国際労働機関の一特徴として非常に強調されている点でございます。これに対しまして、最近問題がなかったのではありませんが、そうした性格がいかに重要な問題であるかということは、なお幾つか起りました最近の事態が証明しつつあると思うのであります。  国際労働機関が、最初には国際連盟という、あの平和条約によって作られた機構の一部をなしておった。それでそのために、国際連盟がその存在が危殆に瀕し、あるいはその権威が疑われるというようなときに、国際労働機関もそのことから災いを受けておったのでありますが、御存じのように、戦争が始まってから、有効な措置をとりまして、国際労働機関国際連盟と離れて独立した組織になって、国際連盟がやがて解体しましても、国際労働機関は残っているというようなことがありました。なぜその事実を私申しますかといいますと、この国際連合についても、今日またわれわれが非常な期待をかけ、信頼をかけ、これだけはどうしても世界平和のために守りぬきたいというときに、いろいろな問題が起るのでありますが、そういうことがあるにいたしましても、この労働の問題、労働ということは、戦争を通じて、平和を通じて、常になされなければなりませんし、労使関係は常に機徴な、デリケートな問題でありますが、そういうようなことが国内レベルのみならず、国際的なレベルにおいて処理されるという機関があるということが、国内の平和のみならず国際平和の上に重要である。その点もやはりこの際指摘されるべきではないかと思うのであります。  それから、国際連合のことを申しましたが、そのついでに、連合は幸いにして世界のまずすべての独立国家がこれに所属しております。でありますから、その国際連合普遍性、ユニバーサリティーということは問題になっておらないと申していいのでありますが、国際労働機関が、今日世界の平和を脅かすといわれるイデオロギーの衝突ということが絶えず問題になっているときに、あの国際労働機関の中にその二つの異なったイデオロギーがなるほど火化を散らし、しのぎを削って、ずいぶん危なく見えることもございますけれども、しかも両者が一堂に会して、そうしてそこで十分に討論をいたしまして、冷静に、武力とか暴力とかに訴えることなく、最も重要な経済関係の問題としての労働問題がそこで議せられるということが、労働機関存在意義というものを非常に高めておると言って差しつかえないと思うのです。  もう一つ、先ほど川西さんからも十分に御指摘になりましたが後進国の問題、それから貧困の問題、そういうふうなものと戦うべく労働機関が、特に戦後におきまして実に目ざましい画期的な事業を行なっております。その具体的な内容をただいま申し上げませんが、先ほどお話のありました、フィラデルフィア宣言という中にも、世界の一国あるいは一カ所における貧乏ということは、世界中の問題として世界にそれは累を及ぼす。その貧乏を退治して、その貧乏と戦っていくということに全力を尽す組織が、このILOがそうした一つ組織になっております。そういうようなことから国際的にILO存在意義ということは、そういう点からも十分に申されるかと存ずる次第でございます。  第二の、日本経済発展国際労働機関との関係についてでございますが、これも、川西さんが十分に御指摘になりましたから、また蛇足を加えることになりますが、この間の戦争が、持てる国と持たざる国の戦いであるといわれた。私は、その講論は大へんな根拠を持ったとか、それが戦争を正当化したものであるとかということを申しているのではありませんが、いろいろな点において、日本が持たざる国であることは事実であります。今日におきましても持たざる国、日本はその国柄からこの四つの島々にこれだけの人口を擁して、日本は持たざる国です。この国の経済が単にこの四つの島々においてなされるところの経済でありますならば、われわれは自滅するのみであります。日本経済が成り立っていくのは、どうしても国際経済でなくてはならないということ、国際的な日本としての発展ということなしには、日本の前途は実に暗黒なものであるということであります。そういうときに、基礎的に重要であることは何であるかというと、産業に、労働に従事する労使間の調整が堅実に行われているということでなければならぬ。そういうことの機関として、国際的に組織されたるILOなんでありますが、そのILOがどんなふうにそれでは機能を発揮していくかということに関しまして、ILO協会等でも、ずいぶん全国を回って、たくさんの方の御支持を得ているのでありますが、残念ながらILO協会のために、あるいはILOのために最も大きな戦うべき困難は何かといいますと、それに関する無知識、無理解です。実にわかっておらない。それで、条約の批准なんというと、何だか非常に専門的なこと、これは外務省のお役人に頼んでおけばいいというように考えるのでありますが、むしろこの無理解が、これはまあ労働運動の方に十分にございますと言いたいのですが、必ずしもそうでない。いわんやと言うと多少悪いことになりまして、あとで取り消しますが、他の方面におきましては、これは使用者団体あるいは政府関係の方々がそのために非常に御援助をして下さっていることを私ども感謝しなければならないのであります。  それで、日本経済発展に関して、戦前と戦後との経験を考えてみますと、戦前日本は、第一次大戦の後には、世界三大海運国の一つとして、あるいは八大産業国の一つとして、または五大強国の一つとして、世界に雄飛するようになりました。あの第二次大戦において一敗地にまみれて、日本は国際的に信望を失い、そうして経済的には非常に打撃を受けまして、その間に日本経済的な、産業的な組織が壊滅したような状態になったのでありますが、その後最近において、私海外に出る機会を得まして参りますと、一時私どもがあの虚脱的な状態に陥って、非常に心配し、絶望したときとはまるで違った、日本経済的な地位というものが非常に高まっております。それは、いろいろな面で具体的に申されますが、国際連合が発表しておるあの統計年鑑あるいは国際活動の面において、日本はまたやはりほとんど以前の指導的な地位についておる。国際労働機関理事会に常任理事の席を持っておる国が、以前は八カ国であったのが十カ国になって、日本がその十カ国の一つとして加わるようになったのでありますが、それは、いろいろな政治的なあるいは沿革がありましてそういうことになった。事実日本の今日の経済は、確かに世界においてまた非常に指導的な重要性を持っておるということであります。  戦後も、日本の海外の発展ぶりは、数字的には今日まだ非常に、小さくて、まだまだこんなことで満足したり、得意がったりしては相ならないのでございますけれども、しかるにもかかわらず、日本の輸出品が海外の市場に広がっておることは、皆様も海外をお回りになりますと、南米へおいでになり、アフリカにおいでになり、アジアの奥地まで入って行っても、日本品が入っておるということであります。そうしてそのときに、戦前にありましたような同じような非難を日本がまたこうむっている。それは、トレード・マークやいろいろなパテントを盗用するというようなことのほかに、日本が受けている、そしてある程度は何か根拠があるのじゃないかと思われるような形のソーシャル・ダンピングのそしりであります。ソーシャル・ダンピングということは、労働条件をことさらに低下させ、あるいは低い労働条件をことさらにそのままに維持して国際競争に臨むことがソーシャル・ダンピングと定義されているのでございますが、日本国際労働機関というようなところの常任理事として、常に名誉あり、責任ある地位を持っておりながら、もし国内が法律において実施し、あるいは慣行として行なっているところが、世界の国々から見て実に言語道断な非人道的な、非文明的なことであるということであっては相ならないはずであります。国の名誉からも、それが持つ責任からも、そして実はその基準が国際的なレベルに上るということが国の経済産業的権衡を保持するゆえんでありますならばそうなのです。そういうことへの理解が不幸にして不徹底だと思うのであります。そういうことであります限りは、日本経済発展のために、日本国際労働機関に十二分に協力を与えるということが必要であるということは、申すまでもないと思います。戦前日本社会進歩は、一方において、あるいはいろいろな面における慣行において、国際労働機関に負うところが非常に多かったことは、今、一々申し上げているひまもございませんしいたしますから申し上げませんが、そういう点を考えますというと、国際日本でなければならない日本国際経済でなければならない日本経済は、国際労働機関というものをないがしろにしては相ならないということが申せると思うのであります。  第三の、近代国家における労働基準引き上げ及び社会立法必要性について、という点でございますが、国の名前をあげたりいたしますというと、今は何でも世界中に響く時代になりましまから、慎重でなければいけませんけれども、まあ南米の諸国であるとか、あるいは中近東の諸国であるとか、バルカンの諸国であるとか、あの国が安定を欠いている。その不安定状態は何から来るかということを見ますというと、それはいろいろな原因がございますけれども、一つは、この社会問題の上に、あるいは社会立法の上に、十分なことがなされていないということのようであります。どこの国でも、近代の文明国家というものは、一言にしてウエルフェア・ステート——福祉国家ということを望んでおる。一言にして言えば、すべての社会努力社会進歩というものは、福祉国家ということの内容を充実することだと思うのであります。その中で一番大きな部分を占めるものは何だろうというと、どうしても労使関係です。労使関係の上に、法律として、あるいは労使間の慣行として、すぐれた健全なものを持っているということがどうしても大切です。それが行われていない国は、国として実に不安定な状態になっており、国際的にも実にその劣勢な地位にあるわけであります。日本は、いろいろな意味で、外観的には大へん進んでいるようでありますが、内容的には、あのてんぐの面は裏から見ると穴ばかりのもので、日本人になって事実その内容を見ますというと、日本の立法にしましても、たとえば社会保障なんどにしましても、ずっとレッテルを張ってありまして、何でもあるようでありますが、その内容を見ますというと、実に貧弱で、はあ、それで一体どういうことになるんですか、これだけのことです、というと、また二度あぜんとするような状態。これではならない。日本はもう武器を放棄したる日本である。交戦権を放棄して、世界諸国家の公正と信義に信頼して立ち上るという国である。そういう国で、福祉国家としての実をあげるということは、何よりも大切なことである。余談になるようでありますが、、西ヨーロッパで、もし共産軍が入ってきても、共産主義が入ってきても、何らの動揺を起さないであろうと言われる国はイギリスだということをよく聞きました。それは、イギリスに大へんな武器、武装、その面の防備があるからかというと、そうじゃなく、あそこの国は、社会福祉の上において、社会保障というようなことにおいて、共産諸国家が暴力革命をもってようやくやり遂げ、あるいはやり遂げ得ないことを、無血革命のイギリスは完全雇用を実施し、社会福祉というものを行なっておる、こういうのです。その社会福祉ということの一々内容を取り上げてみますというと、百数個にわたる国際労働条約の基準に自然に沿ったものであるということもまた、言葉をかえて申すことができると思うのであります。どうしても、近代国家における労働基準引き上げということは、国際労働機関と切り離してはなかなか考えにくいことであるというようなことが申せるんじゃないかと思います。  最後に、国際労働基準国内労働基準の調整についてでありますが、先刻私は、日本が持たざる国であるということを申しました。日本は、どうしても国際的な協力ということを、日本だけのためではなくて、世界日本と同じ、あるいは日本よりも持たざる国であることろの国はたくさんあると思います、それらとの協力が必要なのであります。そこで、国際労働機関労働保護に関し、あるいは労使関係等に関する条約等を作って、非常に高いレベルのもので日本などでは、持たざる国の日本では、とても手が届かないようなものをするのじゃないか、ただ、そういうものを一種の国家的虚栄心のようなことで指導しようとするところに無理はないか、というふうな考え方がなきにしもあらずということを聞くことも、耳にすることもあるのでありますが、しかし、国際労働機関の懸賞を見まして、それから今まで四十年のずっとなし来たったところを見ますと、決して悪平等でなかった。すべての国に同じことを機械的にしいてはおりません。第一回の国際労働会議において、労働時間が各国一日八時間、一週四十八時間という条約ができるというときに、日本は新興国家で、日本の工業はようやく緒についたばかりだ、工場法を施行してわずか二、三年という日本が、とても進んだそういう条約にはついていけないということで悩みましたが、あのときも、日本に対する特殊の条項というものが作られて、国内では、ことに進歩主役の人々や労働運動の人々からもごうごうたる非難がありましたが、そういうことが行われますし、労働条約、勧告を作る際に、そうした、その国の異なった経済情勢等を十分に考慮することということが、国際労働機関憲章の第十九条に書いてございます。「一般に適用する条約又は勧告を作成する場合には、総会は、気候条件産業組織の不完全な発達文は他の特殊の事情によって産業条件が実質的に異なる国について充分な考慮を払い、且つ、これらの国の事態に応ずるために必要と認める修正があるときは、その修正を示唆しなければならない。」その他、こうした考慮は十分に払われまして、理事会においては、常任理事として日本政府代表を出しており、使用者側も労働者側も副理事として有力な代表を持っている日本でありますから、この点の心配はまずないと申してよいと思うのであります。前例がそういうことであると同時に、今度は日本くらいに非常なヴァイタリティ、活力を持った国はない。戦前の日本を知って、戦後に訪れた人々は実に驚いて、ことに最近、異口同音に言いますことは、日本経済的回復、これは世界の「きょうい」だ、「きょうい」という字は三つの英語がある。一つはワンダー、みんなをびっくりさす、もう一つはメネス、脅威、世界を脅かす、二つの意味できょういだというようなことを言う。この経済的な底が浅いと言われながら、底力を持っている日本でありますから、その日本には、好むと好まざるにかかわらず、二つのプレッシャーが内外から加わっております。これは、強力に組織された、目ざめたる労働運動、これが国内にあって、これは除き去ろうとしてもできません。そうすることは日本進歩を阻害するものである、これは守り続けていかなければならないものでありますが、そのプレッシャーがあることはお互いによく存じておりますし、そのプレッシャーが正しい方向に、健全な方向に向っていくようにこれが導かれていく、その点について皆さんの御指導を非常に私どもは感謝している次第であります。もう一つは、海外からそういう面の強力な圧力がかかっております。何回となく国際労働会議において、それからその他の会議において、日本に対するごうごうたる非難やその他がございます。先刻モレット氏の報告の話がありました。日本はソーシャル・ダンピングをやっている事実はない。日本は非常に勤勉であり、その産業近代化と合理化と機械化ということが日本進歩発展を物語るものだという報告でありましたけれども、果してその通りのことがいつもいつも言われるかというと、近ごろ海外からたずねてくる人がたくさんありますししますから、どうか日本に来て、日本から大いに学んで、教えられて帰るというようなことを実現したいと思うのであります。  つまらないことをたくさん申し上げましたが、最後に申したいことは、私はやはり愛国者として、わが日本を愛するのあまりにそういうことを叫びたいのでありますが、このアジアに二十数カ国の新しい独立国等ができて、日本はその新たに目ざめた新興諸国家の間で、あるいはアジア、アフリカの諸民族二十九カ国の代表が集まって、あの人間の歴史の上に打ち立てられたバンドン会議等がありましたが、日本はではそこでどういう役割を演じておるのだろうか、今まで演じた日本の役割というものは、むしろはなはだ小さなものであった。ほとんど存在は意識されなかった。これからは、どうか日本は、その中で日本というものの存在意義があるものになるようにしたい。そのときには、やはり四つに取っ組んで、その問題についてりっぱな解決が、あるいは健全な道が示されなければならないものがある。それは労使関係です。日本労使関係においてどういう国内立法を持ち、国際機関とはどういう関係があるかという点について、どこを突つかれても突っつかれるようなことがないようなことが、幸いにして皆さんの御援助によってできることを私は望んでおるのであります。  ありがとうございました。
  7. 藤田藤太郎

    委員長藤田藤太郎君) どうもありがとうございました。  それでは、参考人の方に対する質疑をお願いいたします。
  8. 片岡文重

    片岡文重君 暑い折でもありますから、簡単に二、三お尋ねしておきたいのですが、両先生のお話を伺っておりますと、それぞれのお立場から御解明いただきましたけれども、結論とするところは、やはり日本は今、公正な労使関係といいますか、慣行を早急に樹立しなければならない状態に差しかかっておる、こういうことは言われるのだが、一方国際間における日本のそういう面においての立場はどうであろうかといえば、必ずしも諸外国の特に先進諸国の労使の問題については、納得される状態日本のそれはなっておらない。従って、早急にそういう方向に持っていくべきではないか。特に常任理事国となって、責任ある立場に置かれた日本は、その責任を完全に、かつ円満に遂行するためにも、まず自国のそういう労使の公正な慣行を樹立すべきである、こういうふうに結論づけられておられると思うのですが、さように了承してよろしいでしょうか、すわったままで大へん恐縮ですが、よろしゅうございますね。そうしますと、すでにこれから私がお尋ねせんとすることは御理解いただけるかと思うのですが、今日民間労働組合における日本の労組法なり調整法なりは、それほどおくれた水準にあるとは私どもは考えておりませんし、着々これが常識化され、おくれた使用者も次第に目ざめつつある状況であると、大ざっぱに言って考えられますが、それに反して、政府職員や公共企業体の職員等のそれは……先だって国際機関代表の方々が日本を視察されましたときにも、特に国鉄、全電通等の労働者の諸君の組合運動が相当不自由であり、規制をされておるという御見解を表明されて、公労法の改正を暗に示唆されて帰ったと思うのですが、私どもがILO条約の問題を真劔に、かつ早急にこの暑さの中で勉強いたしておりまするのは、このおくれた日本労使の面における改善を早急にしたい。そのために障害となっておる問題があるならば、それを一つ一つ打開していきたいという希望から、このILO条約の問題を取り上げて検討いたしておるわけでありますが、さしあたって、少し短兵急にお尋ねをするようになりますけれども、八十七号条約でございますか。これが、今日公労法関係労働者諸君に与えておる不自由な状況が、果してわれわれが考えるだけのものであって、今日日本経済状態や、あるいはまた国際間に置かれたる日本経済水準からいってやむを得ないものだ、こういうふうにお考えになられるか。あるいは、先ほど御解明いただいた御結論のように、当然責任ある理事国の一員として、これらの問題については、さらに積極的な政府の措置が望ましいとお考えになられますか。そういう点について、特に今労働省としては、労働懇談会にこの問題については諮問をされて、労働懇談会でも、近い機会に意思の表明があるやに聞いておりますが、しかもまた、その表明されるであろうところの意思も、おおよその推定は私どもにもつくと思うのですが、これらの問題について、少し質問が大ざっぱになって、重なってしまいましたけれども、一つ両先生のそれぞれの御立場で御意見を伺えたら仕合わせだと思います。
  9. 川西実三

    参考人川西実三君) ただいまの問題につきましては、私は、先ほど申し上げました最後の問題について私の考え方を申したわけですが、それは、労働者の基本的権利というような問題については、その国の事情と食い違うような点があっても、国内事情にどちらかというと優先して、基本的な問題については、その国内事情が他より劣っておるとするなら、それを改善していくように少くとも努力すべきじゃないかという感じを持っておる、こういうことを申し上げたわけであります。それで具体的に、八十七号がどうだとか、あるいは官公吏、公企業はどうであるかというような問題につきましては、実は私は、そういう方を深く研究しておるものではありませんし、それから、私の立場と申しましても、ILO協会の副会長というだけの立場でここに出席しておるわけでありますし、それから、労働省に設けられておる懇談会なり小委員等には、これはそれぞれの権威者がなって、ずいぶん手間ひまをかけておられて、そうしてそれに対しては、前の石田労働大臣あるいは今度の倉石大臣にしても、その研究の成果というものをよく参酌し、尊重して、御二人のうちに言葉の差異があったとかなかったとかということは、これは私は、新聞だけの知識しか知りませんから、どっちとも言えませんが、そういうような状態でありますので、今、私自身が、自分の立場の上からいっても、あるいは自分自身がその問題について精密に、この国際労働会議において決議されたあの条約の解釈は、日本のこれこれの現行条文と比べてどうであるかどうかというようなことを前提にして意見を述べるというようなことは、第一の資格の上においても、また次の力の上においてもありません。ただ言い得ることは、さっき申しましたように、どちらかというと、そういう基本的な問題について、もし労働条約の解釈が、有権的な解釈が、日本の現行法規が、その団結権の自由とか争議権の何とかいうことについて、日本の解釈の方が誤まっておるというようなことであるならば、それはそれを改めるような努力をすべきじゃなかろうかというのが、さっき申し上げた趣旨であり、ただいまの御質問に対しましても、それ以上をお答えすることは、私としてはできません。
  10. 鮎沢巖

    参考人鮎沢巖君) ただいま御質問になりました点は、責任者である政府の当局の皆様や、それから政府から顧問としていろいろと御相談を受けていらっしゃる学者等の間で、いろいろ御議論がありますが、まだ、最後的なこれがもうきめ手である、これがもう動かない、最後的な決定であるということには、達してないと思うのであります。従いまして、私ごときが一個の私見を申し上げるのは、大へん出過ぎたことにも相なりますと存じますが、お答えを申します前に、私のお答えが、果して御満足のいけるようなお答えになりますかどうかと思いますが、さかのばって考えて、そしてそこのところにだんだんと話が返っていくと思いますが、多くの国々の労働法や労使関係における慣行というものは、年を経て、自然に長い間の経験から、苦しんだり悲しんだり、悩みの闘争の結果できたものでありますものですから、それで、かなりしっかりとした、そういう長い経験から得たところの慣行であったり、あるいはそうしてようやく達した立法であるものですから、ある事態が起っても、その国の人々は、それに一応納得していくというようなことがあるのですね。しかるに日本のは、ポツダム宣言というものを受諾してあの戦争が終ったと、ポツダム宣言の中の一条項というのじゃなくして、思いつきのような格好で入っておるのでありますけれども、日本に基本的な人権を保障して云々という、そういう——全体ポツダム宣言というものは、日本に対する懲罰的な条項が多かった。たった一つ日本を改めて、日本に大きな改革を施してやろうといったような意味で含まれた一つの条項がございましたが、それからスタートして、あのマッカーサー元帥の一九四五年十月十一日だかのあの指令によって、政府が、急に労働組合法その他の労働立法をやることになった。で、占領下に行われたことは、日本のためにと思ってやってくれたこともずいぶんたくさんあると思うのです。それで、労働の面においては非常に熱心であって、そういうようなものがあすこにありありと表われたと思うのであります。同時に、占領下において行われたことで、占領軍の圧力というようなものが加わって行われたことのために、やはりある程度の性急さ、笑話で言うとインベイシャンスというようなものがあったということは、これは何ぴとも客観的に顧みていなめないことだと思います。で、あの法律を作ることに関しまして、最初に筆をとった、あのときの作業を負わされました私もその一人でありましたから、あの経過を、実はその内部のこまかいいろいろな面を存じておりますが、そういうこと等があったことは、いなめないのです。そこで、日本に現在行われています、先ほどおっしゃった労働組合法それから労働基準法等には、そうしたあとがなお残っている。そこで、御記憶のように、最初日本労働組合法の中に、労働者が組合を作る限りは、少くともこれだけのことはミニマムとして保障しようじゃないか、最低限度としてこれだけのことを保障しようじゃないかということは含まれておったわけでありますが、その面は、あるいは多くの人が考えるように、司令部で作ったのじゃなくて、日本人の、まあ私どもが作ったものなのであって、それを持って行った。そうして向うで——アプルーヴアルを経ずに何事もできなかった。たった一部分直されたのは、警察吏あるいは監獄史等がストライキをやったり、組合を作ってやってはいけないというので、そうならないようにというのが、マッカーサーなどの方から回ってきまして、それが直ったほかは、大体日本案です。  こういうことがありますが、あの立法は、憲法以前であった。その翌年になってからできました憲法を見て、その憲法は起草について、やはり日本人がいろいろな案を作って出したりしましたか、出てきて、これが日本の憲法だよと言って、総理から渡されたときに見ると、私どもが作ったものと大へん違うのでびっくりしましたのですが、労働に関してなお一つびっくりしたことは、ほとんど思いもよらないくらいの三つのものが、基本権として保障された。労働に対する権利が、結社権と団体交渉権と、そうして団体行動権、罷業権とは書いておりませんけれども、大体罷業権を含めているものと、こう解釈をされておって、それは間違いないと思うのです。憲法の中にその三つの権利がはっきりうたわれて、並べられているという例は、世界に実に少いと思うのです。ドイツなんかにしましても、結社権はあるのですが、団体交渉権であるとかあるいは罷業権であるとかいったようなことは、西ドイツのあの基本法にすらうたわれておりません。それで、結社権ということは、罷業権までは含むものであるかということは、ドイツの法学者の間で、二つの異なった意見があったりするようでございます。憲法にそれだけのことが保障されていて、労働組合法では、あの結社権と団体交渉権ははっきりしているが、争議権ということは言外に含めているものとして、そうしてそういうように労働委員会関係したりあるいは労働運動に関係をしている人は、そういうふうに解釈しまして、あの立法のもとに三つの権利が保障されていると言ったのでありますけれども、はっきりと文句に表われているのは、結社権と団体交渉権だけだったと思うのですが、罷業権までが含まれているということは、これは憲法が出て、初めてそこで発見するような格好であったと申して差しつかえないと思うのであります。  そこで、今、国内で問題になり、国際会議にまで問題になっています点は、この公務員法下にいる官公吏と、公労法下にいる公共企業体の職員を合せて、二百四十万ほどが、それが憲法によって与えられたと思って信じていた基本権、それが、すべてじゃありません、若干侵害された、あるいは剥奪されている。結社権はみんな持っているのですね。二百四十万人みんな持っている。団体交渉権はニュアンスがあって、段階的に差があったりいたしますけれども、これもあると言っていいでしょうけれども、罷業権があるかということ、それを剥奪された格好であるので、憲法上の問題として、国内運動、つまり労働運動等は、政府がそれを剥奪した、それは憲法によって保障された基本権を剥奪された、単に悪法であるのみならず、憲法侵害になるから、法律にならないというような解釈から行動して、そのまま問違った法律を守ることは、却って国のためにもならないし、国を健全に保とうと思うならば、悪法は守らない方がいいといったような解釈があるやに承知しておりますが、有権的な官庁の、たとえば最高裁とかいうような所で、それが憲法に合致するやいなやということの判決等が出ますまでは、その点はだいぶ争われると思うのでありますが、これは一面国内法上の問題でありますが、国際条約に約束された——もし日本がその条約を批准したならば、それを守らにやならないというときに、あの憲法の手前、現在ある公労法なり、あるいは公務員法なりというものは、あれは合意性を有するものであるかいなかということになりますと、これは議論の分れるところであって、私は、現在の国際組織からいたしましたら、日本国内で憲法の解釈をして、そして国内で大へん議論の分れるところでありますから、断言するのはよほど愚かなことになりますと思いますが、たとえばこれらのことは公共の福祉に反してはならないという憲法の条項の中に幾つかあって、そしてそういう条件付の基本権とか人権とかいうものは、そういうようにはっきりしているので、そういう条件が特にうたってないところの三つ労働の基本権である結社権と団体交渉権と争議権、これは独自に行使していいのであって、それにもとる、それを侵害しているあの立法は、これは憲法違反であるという考えが一方あるのに対して、そうじゃなくて憲法第十二条でしたろうか、そこの中に約束されてる日本国民に与えられた権利というものは、公共の福祉という原則にみ合致致しなければならないものなんだということで、それがブランケット・カバリッジで全体がカバーされているのであると、だから、そういう立場から、いやしくも国の行政に当って、その責任の地位にあるものが罷業等を行なっておるということは、これはあり得ないのだという解釈からそういう立法が行われたと、この解釈を多分政府はおとりになるのじゃないか。他の国々では、たとえばアメリカあたりでありますと、公務員は争議はできません。イギリスでもできません。ドイツでもできない。いわんやソ連等じゃこれはもってのほかのことであったりするもんですから。それじゃ他の国はやってるから正しいのか、私はそんなことを申しておるんじゃなくて、先刻川西さんがおっしゃいましたように、各国それぞれの発達があって、そこの国の法制というものはできるものでありますが、不幸にして日本はまだその慣行としても、あるいは法律としても日が浅いものですから、それでみんなが納得するような形において法律が実施されておらない。事実二百五十万というような官公庁関係の人々がゼネストをやるとかいうようなことが行われますというと、これは国家的にゆゆしいことだったりいたしますものですから、そうするというと——私は、マッカーサーの指令がいいことであったなんて申してるんじゃなくて、日本の治安を保つ責任者としてああいうふうなことをマッカーサーはして、その罷業をとめにゃならないと思ってしたんだと思うのでありますが、諸外国でも、イギリスの一九二六年のゼネストの経験などを見ますると、あれだけじみな、じみちにものをやっていくイギリスは、あの二六年のゼネストにおきましても実に静粛に行われて、あのとき私ロンドンにいたのですけれども、そんな大々的な騒ぎが、歴史的な騒ぎが行われたのはほとんどわからなかった。にもかかわらず、二十年間イギリス労働運動をなわでしばり上げたような格好の立法があった。それはイギリスといったような国は、もう最初の立法から百五十年もの歴史を持っているイギリスでああいうことをやる、ですから、イギリスではそのために血を流したりするというようなことはございませんで、それでとにかく二十年間そのもとに服して、あの立法は取り去られましたけれども、国家公務員のゼネストとかストライキとかいったようなことは考えられない、なされないということ。で、私は法律で禁ずるとか、あるいはストライキが行われるとかいうことは、それが基本ではなくて、それは問題の現われで、病気ならば症状であって、病気自体ではない。ただ症状をとめてしまって、苦痛を叫んで、大きな叫び声を上げるのをとめてしまって、叫び声を上げなくなったからそれで安心してはならないので、病気をなおさずに、ただ病人が叫び声を上げることだけをとめたり、熱が上ったりすることだけをとめたりするのではよくない。むしろ、やはり熱が出たら叫び声を上げるなり、うなったりする方が、その方が問題の所在がはっきりしている、そうやって問題の所在をとらえていくという形において、ストライキなんというものはやはり認められてしかるべきことではないかと思うのです。大へん長くなって相済みませんが、問題が非常にデリケートでありますものですから、デリケートな私の考え方を申し上げておるのですから、ストライキということについて、私ストライキ自身が倫理的に社会道徳としていいことであるか悪いことであるかということを考えるべきものではなくて、しかし、かりにここに一つの機械を作ったといたします、たくさんの人がそれに乗って行くといたします、それにある人数以上が乗って行くと、途中で必ずごわれて大きな事故が起るということがあるときには、どこかにある組織があって、急に汽笛が鳴り始める、動かそうとしても動かないというようなふうに、飛行機なり汽車なりができておったら、非常な事故や悲劇的なことが起らずに済むだろう。産業組織というものが、非常な非人道的な、それではとても従業員の健康を保つことはできない、健全な生活を保障することができないといった状態のもとに運営されていって、しいてそれが山にさしかかるようなときに、その機械が汽笛を急に上げて動かなくなって、そのために多数の人が事故を起さずに済んだということだったら、そういう機械は、その発明を非常な高価を払って買うんじゃないかと思うのです。それがゼネラル・ストライキであると申しているのではなくて、そうするとゼネストの方をやっているようでありますが、つまり、症状であるものと病気自体というものを、二つに分けて考えませんと、そうでないと、私も法律を少しばかりやってみたりして、そんなことなら、法律で禁じたらいいじゃないかと、言うのです。法律は制度であって、みな納得するということがはるかに大切なんです。でありますから日本の官公庁関係にしても、これでもしみんな罷業を許すということになって、毎年々々年中行事のように、二百五十万の官公庁関係の人がストライキを繰り返すのでは、非常に困りましょうから、そういうことにならないように済むような状態ができて、その面に最善の努力が行われて、そしてストライキをとめるとけっこうであるということにすると、伝家の宝刀であるストライキをやらないで済むであろう、でありますから、逆に、私は法律がどうであるとかあるいはあの国際条約を批准しておるかしてないかということよりも、それを審議する前に、日本の現在の状態において、たとえば争議が起ろりとするとき、それを調停する組織とか、あれでよかったろう、あそこに多少無理があった、大いに無理があった、あるいは政府がエスケープ・クローズであるそれにしょっちゅうよって、隠れみのに隠れては、職員に与えるべきものを与えずにのがれているということが繰り返されて、政府がそれに対して信望を、国民の信頼を失墜するということがもしあるとすれば、そういう点を改めずして、そうしてただ罷業に関する立法だけをいじくり回すというようなことは、非常なあやまちを犯すもとになるのではないかと思います。  大へん長く相なりまして和済みませんでしたが……。
  11. 片岡文重

    片岡文重君 われわれのやはりこの国家秩序を維持していく上には、いろいろ学説もありましょうし、判例等もあるかもしれませんが、やはり一たん国会でもって議決せられました法律というものは、たとえそれが後世の史家の批判によって悪法であるとされましても、やはりその時代に生きる者は、その悪法のもとに拘束されざるを得ない、やはり悪法もまた法であるという考え方に立っていかなければ、国の秩序というものは私は維持されていかないと思う。従って、その一たん定められた法律は、厳としてその法の威厳を保つべきであるし、国民もまたそれに従っていき、どうしてもこれに服し行ないということであるならば、国民多数がこれを改廃する方向に、民主的に持っていくでありましょうから、私たちは、そういう方向で物事を処置していきとたいと考えております。で、そういうあくまでも法順守の建前から物事を考えてなりますと、今、鮎沢先生おっしゃったように、憲法では保障されておる労働者の基本的な三権というものが、行政に携わる政府公務員はともかくとして、一つの企業の従事員である公労法関係労働者諸君の、労働者としての権利というものは、非常に大きく拘束をされておるとまあ考えます。特に団体交渉権は保障されておる、公労法にもこれは保障されておるといいますけれども、しかし、その組織の面からいえば、やはり職員でなければ交渉委員になることも許されておりませんから、団体交渉を自由なる意思のもとに行わんとする労働者意思を、必ずしも百パーセントに具現し侍るかどうかということになれば、これまた大きな疑問が出て参りまするから、こういう点からいっても、完全に団体交渉権も保障されておるとはいえませんし、団結権の面においても、一方では労働者の方ではこれを守るべき何ものも持たない、実力行使をやってはいけない、ストライキをやってはいけない、それで使用者の法を振りかざした馘首という威力の前には、従って何ら抗することができない、一方的な力によって団体交渉権も阻止されておる、こういう状態に置かれておりますが、この状態は、国際労働機構の建前から、公正な労使の慣行を樹立するということが望ましいことであり、そのためにこそ国際労働機構というものは、長い間真剣な御努力をなさっておられると思うのですが、残念ながら、この常任理事国にまで選任せられた日本の国では、この八十七号なり、九十八号というものが、いまだに批准を見ず、しかもいつ批准されるかわからないような状態に置かれておる。この条約を批准するためには、公共企業体等労働関係法の改正が先行しなければならない、こういう状態に置かれておるので、今のところ、どうにもならないという状態にあるようです。で、民間の学者の一部にも、また労働省でも、争議権を許したならば、すぐにストライキをやるのではなかろうか、争議権がなくてさえ職場集会等をやっているのだから、これで法律で許したならば、どんなことをされるかわからぬ、まあまあそういうものにはやらぬ方がよかろう、こういうことで今の膠着した状態に置かれておるようですが、しかし、先生おっしゃったように、実力行使をする、職場集会をやる、こういうことは、まさに先生のおっしゃるように、私も一つの症状であって、これは病気の本質ではないのです、自体ではない。是正しなければならないのは、やはり病気の本質である。病源がどこにあるか。それをなおさなければ、これは発熱をとめることはできないでしょうし、苦痛をとめるわけにも参りません。ところが、その病状を突き詰めていくと、特に公労関係の場合には、たとえば仲裁委員会にしても、第二次岸内閣になって倉石労働大臣が、労働大臣に就任された早々の御声明の中に、仲裁裁定は実施するのではなくて、仲裁裁定は尊重するのだと、早くも吉田内閣当時の仲裁裁定に対する表現と全く同じ表現を使われております。で、もっとも吉田さんは、これは仲裁裁定に従うかいなかは国会できめることだとおっしゃっておりますけれども、御承知のように国会できめることは、予算上資金上障害が出てきた場合だけであって、それ以外は政府できめられることなんですから、例外とするところをもってすべてを表現するようなやり方は、まさに言いのがれであって、おそらく倉石労働大臣、すなわち岸内閣のこの仲裁裁定に対する考え方は、実施にあらずして尊重という隠れみのを存分に活用される御意思であろう。そうなってくると、病気の本質といいますか、病源というものは、やはり遮蔽されたままで、その発熱することも許さない、声を上げることも許さない、こういうやり方に私はなってくるのじゃなかろうかと思う。ということは、少くとも今日の、戦後非常に経済回復もし、国際信用も高まりつつあるという日本の特に公労協関係労働者を遇するやり方としては、はなはだ断を得ないのではないかと考えます。こういうことについて、鮎澤先生はどういうふうにごらんになっておられますか。
  12. 鮎沢巖

    参考人鮎沢巖君) 大体御同感です。つまり、どうか政府としては罷業権を奪われておる公共企業体等の職員に関する裁定等は、これは尊重するということばかりじゃなくて、実際に実施するということで、そうして百万に余る公共企業体の職員たちは、安心してその調停に服し、その裁定に信頼するということができるようにしていただきたいと思います。あの点、あるいは多少立法を改めて、あれは少し急いでできた立法じゃなかったかと思うのですが、あそこは、いよいよ問題がむずかしくなってから持って行って、医者の所へ、もう死にかけているような病人を持っていくようなことにしないで、そうなる前に、しょっちゅう医者に健康診断をしてもらうような格好のことがないといけないと思うのです。あれは、よけいなことになりますが、たとえばアメリカのTVAといったようなものを見て、大体そこをモデルにして作ったものです。あのTVAの場合だったら、組合の方にも長い間の訓練があって、使用者側にもそういうものがあって、あれは公共企業体ですが、そういう問題については、十分理解があるものですから、で、そこへ議に上るときには、もう十二分にそしゃくされたものが出てきていますから、あそこで口角あわを飛ばして議論するなんということはないで済む。そこが非常に……。それでは高い給与でも払っているかというと、そうでもない。公共企業体にせよ、公務員にせよ、とても国家として手に負えないようなものを要求しているのか、そうでなくなるように、これらは一挙にはできない。やっぱりかすに時をもってしなければいけませんが、そういう慣行が生まれ得るようにしなければ、もしその間に立法措置が行われるとしますれば、あの組織を少し改めて、そうしてこう段階的に、定期的に、いよいよ死にかけた病人になったというときに持っていくような格好ではなく、そういう組織があって、そうして、これは込み入ったごとになりますから略しますけれども、それにはもう少し親切な措置がとられておることが必要だ、官公庁にしましてもそうだ。
  13. 藤田藤太郎

    委員長藤田藤太郎君) 参考人に対する質疑は、この程度にいたしたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  14. 藤田藤太郎

    委員長藤田藤太郎君) 御異議ないものと認めます。  参考人各位には、長時間にわたりまして貴重な御意見をお聞かせ下さいまして、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。ありがとうございました。  次に、政府側に対する質疑をお願いいたしたいと思います。質疑のある方は順次お願いいたします。きょうは生田政務次官、辻法規課長、渋谷官房長、宮本国際労働課長がお見えになっております。
  15. 片岡文重

    片岡文重君 これは政務次官に一つお尋ねしておきますが、今、川西鮎沢参考人の方々から、いろいろ国際労働機構に関する御意見も伺ったわけですが、これを幸い同席されてお聞きいただいたのですから、国際労働機構に関する両参考人の御解明も御理解いただいたと思いまするので、その上に立ってお尋ねをするわけですが、今、労働省としては、このILO条約の数々の未批准の条約がございますが、その中で、今問題になっておりまする団結権の問題やら行動権の条約やら、いろいろあります。で、労働懇談会等にもいろいろ諮問をされて研究をされておられるそうですが、どうも私どもが不安——不安といいますか、危惧されるといいますか、前内閣から若干違った方向に今の内閣は行きつつあるのではないか。それは国内労使の問題を先に考えて、この国内労使の問題を解決といいましょうか、政府の意図するような方向に持っていったあとでなければ、この国際労働機構への条約批准は行わない。少くともそういう手続はとらないというように、今の倉石労働大臣は考えておるやに、これは直接伺ったことでなくて、新聞等によって私どもは承知するわけですが、この点について、一体今政府としてはどういうふうにお考えになっておられるのか。日本の国際労働機構に置かれている立場からいって、そしてまた、戦後十余年にわたる日本組織労働者の成長した現状からいって、依然としてその成長には目をおおい、そうして常任理事国としての責任というようなことは、これは無形の問題でもあるから次のことである。とりあえず国内における国鉄や教組の行き方をまず政府の意図する方向に規制して置いて、その規制が成り立った上に立ってこのILO条約労働機構関係の方針は考える、こういう行き方をされるのか。ないしは、やはり世界の一員として、特に常任理事国として日本立場から考えれば、国内国内であるが、やはりこの日本の置かれている国際的な責任を十分に果すという意味から、ILO条約の批准については、さらに積極的な努力をされる、そうして国内労使慣行については、政府としてでき得る限りの善意の努力をする。少くとも実施という決意が尊重に後退をするようなことではなしに、あくまでも実施は実施という面で行くというこの相互信頼の上に立った行き方をとる。国内労使関係には、そういう信頼の上に立った行動をとる。国際関係は国際関係として前進を続ける、こういう御方針でおられるのか。政府としての御相談がなされておるならば、その点を一つ表明をしていただきたいと思う。
  16. 生田宏一

    説明員(生田宏一君) お尋ねの第一番目の、前内閣と基本的に態度が変っているかどうか。これはもう全然変っておらないのでございます。  それから今お話の、国鉄、全逓のお話でございますが、そういう持って回った考え方を政府がすることはないと思います。しかし、福祉の改善でございますとか、労働行政の高水準への努力をするということは、われわれとしてもそれは第一にやらなければならぬことでございますが、努力をいたして参るつもりでございます。しかし、政府が意図するような状態にまず置いておいて、それから法規の問題をいじくるというような、持って回ったような考え方はしないと私は思うのでございます。(「思うのでございますか」と呼ぶ者あり)
  17. 藤田藤太郎

    委員長藤田藤太郎君) それでは、政府側に対する本日の質疑は、この程度にいたしたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  18. 藤田藤太郎

    委員長藤田藤太郎君) 御異議ないものと認めます。  本問題に対する本日の調査は、この程度にいたしたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  19. 藤田藤太郎

    委員長藤田藤太郎君) 御異議ないと認めます。  それでは散会いたします。    午後三時三十九分散会