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参考人(
宇田川謹二君) 私は当日十日の日でありまするが、その前日に町の協
議会を開きまして、各種
代表から
町民大会を町の
責任において開いてくれという要請がございましたので、
議会の協
議会にはかりました。そういたしましたところが、これは町でやるべき問題ではない。十五
組合、いろいろ商工
業者も入っております。もちろん
漁業協同組合も入っております。佃煮
組合あるいは魚市場
組合も入っておりますが、十五
組合が主催となって、町及び
議会がこれに対して協賛をするのが穏当ではないかということで、私
どもの
議会は
結論が出まして、あくる十日の午後零時より
町民大会に入ったのでございます。そうしてそのときに議長が選ばれまして、
陳情者の中から議長が選ばれまして、その人が議長席に坐り、
町民大会を宣言、
決議の決定をいたしまして、十台の
バスにこの
決議文を手交する人
たちが乗ったのでございますが、町としては、そんなにたくさん行ったのでは困る。十五台の要請があったのでありまするが、十日の日の朝の連絡でありまするので車がないということにいたしまして、十台だけしか頼まなかったのであります。非常に小言を言われましたが、とにかく一人でも少ないという
ようなことから、その
ように措置をとりました。なお、警察としては、署が違う、葛南署でございますので、
千葉県でございますので、私はどうも形勢が変だと察知いたしましたので、葛南署の
署長に
電話をいたしました。自宅からこれは
電話をかけたのでございます。ところが署僚がおりまして、いろいろきょうのコースを
報告いたしまして、極力押えるつもりだということの連絡は申し上げておきました。そういたしますると、その情報がおそらく小松川署を通じ、本庁の方にいかられたことと思います。で、その日の大会の模様は、制服の警官は一人もおりませんでした。私服が四、五名おりました。これは管轄内であります。その大会が終りまして、十台の車に乗りまして、まず国会の
川島先生にきょうの大会の様子をお知らせして御協力を願おうじゃないかということで、われわれ
代表五、六人で
川島先生にお会いしたのであります。そうすると、何人ぐらいか、実は七、八百名の人数が来ておる、数ははっきりしないが、とにかく十台ですから、何とか先生お骨折りを願いたい、よしそれでは私は現場へ行こうということで、旧自由党本部の前にあの一団を誘動いたしまして、そしてあそこに待機させたのであります。その前に私
たちの返事が、川島幹事長の、閣議が非常に長引きましたので時間がずれたのであります。その間に参議院の国会の裏でございますが、あそこへわれわれが入ったと思いまして、あの同勢が入ったそうでございます。そうすると仲間同志で押し合ったかどうかその
事情ははっきりしませんが、しりもちをついてガラスを一枚こわし、さらに植木をひっこ抜いた
ようでございます。要するに時間が長いためにしびれをきらしたという形でございます。そうして
川島先生に自由党本部の前に来ていただきまして、六月の二十日までに
沈澱槽を作る。そうして、そうした場合に上水にも毒がある場合には、これを科学的
調査をいたしまして、絶対無害であるということがわからなければ
放流させないということを言明を得ましたので、みんなが拍手をもって車に乗りまして、そして今度は
都庁へ行く道順でございました。これは私
ども考えますと、
都庁へ行ってあのできたばかりのところで待っておるとどうも形勢が変ですし、さっき浜中さんがおっしゃいましたが、みんな酒気を帯びておるということでございましたが、絶対酒気は、一滴も飲ましておりません。漁師のことでありますから、顔はまっかでございます、日に焼けて、そして言葉が荒い、
浦安語を使いますので、ちょっと酔った
ように感じるかもしれませんが、その
連中を都へ連れて行ったんではこれは一大事と存じまして、麹町の署の、きょうお見えになっておりますか、方と相談いたしまして、そして宮城前の広場に一応待機をさせまして、役場の小さい車に乗りまして
都庁へ七、八人、大会の議長、町会の議長、私
どもその他
組合の
代表七、八名と思います。
都庁の玄関で都長官の
知事にお会いしたい、いなければ副
知事にお会いしたいということを通じましたところ、門衛が、待っておりますうちに出て参りまして、副
知事も
知事もおらない。それではどなたか
関係の
責任者を出していただきたい、そういうことを申しますと、なかなか出て参りませんで、私
ども石の上に三十分、四十分も立ったままおったのでございます。非常にしびれをきらして、一体どうしたんだという
ようなことがありました。まあま
あとにかく静かに話をして、そして
決議書をお渡しすればいいんだからというので押えまして、そして
最後に出ておいでになったのが
施設課の
関係の方でございます。そういう
事情であれば、それではすぐ
会社に
電話をかけて、水はとまっておるはずだが、出ておるはずはない、しかし出ておるとすれば
会社へ
電話をかけてとめさせるということでありましたので、私は今まで
会社に何回うそをつかれておるかわからない、今までその手で何回うそをつかれているかわからない。
漁民がそれでは
納得できないから、あなた気の毒だけれ
ども工場の方へ行って、そうして
機械をとめてきて下さいと言いましたら、それじゃ
自動車で行きますというのでわれわれより三、四十分先に
工場へ都の車で飛んで行っております。これは後になりますと、この時間のズレの問題が焦点になると思いまするが、そうして一方私
どもは宮城広場へ参りまして、皆さん今都長官には会えないけれ
ども、こういう
事情になって現場へ行って
機械をとめてもらう
ようにしてきたから、とにかく静かにして
都庁へはみんな寄らずに行こうじゃないかと、
ようやく説得いたしまして、車を連ねて東の方へ向って参ったのでございます。そういたしますると、コースといたしましては
本州製紙の本社の方へ行く予定でございました。しかしあの事務をとっているところへ行って、どうも険悪な空気が漂っておりますので、これは酒の上ではございませんが、とにかくこれはいかぬというので、
都庁は交通上非常にあの
通りが狭いからほかの次のコースに移ろうじゃないかということにして、その車はずっと
江戸川橋まで参ったのでございます。その間警察官の防備は小松川管内に入りますと相当ありました。これは私としてはむしろ感謝したのでございます。非常に
事件の空気を察知して、ごうして配置してくれるかということを察知したのでありまするが、とにかく今井橋のところへ来まして左へ曲ることが非常につらいので、どうかこれは寄らずに行こうじゃないかと言ったのでありまするが、そのときの
状況といたしまして、あくまでも左へ曲らなければどうしてもおさまらないという空気が出たのでございます。非常に気が弱かったのでありまするが、これをまっすぐ
浦安へ帰されたならば、さらに問題が大きくなって、より以上の問題が起きてはいけないと思いまして、左へ曲りまして
本州製紙の
工場の門のところへ参りました。そうしますると、私が車の上から見ますると鉄門の中の方でプラカードを二人か三人持っておりまして、入っちゃいけない入っちゃいけないと、こう振っておったのでございます。そうしますると、漁師のみんなが車から降りて、われわれ書類渡しに来たのに入っちゃいけないとは何ごとだということの
ようでございました
——よく聞き取れませんでしたが。これは大
へんだというので、再び私は車の方に
——二台目の車に放送するしかけがございまして、そこへ参りまして、絶対に暴力は困る、
器物破壊も困る、男らしく正々堂々と厳正に一つきょうも行動しなければいけないということを何百回叫んだかわからないのでございます。ところがすでに問題は、この門を越えてなだれ込んでしまったわけでございます。そういたしまして、まず守衛の部屋はこわれておる。さらに進みますると、警官が奥の方におりましてそれと衝突し、すでに、私が
あとから行ったら、もう乱闘の最中でございました。一応、また考えてみますると、いろいろ町であるいはまるでおとりをおいてカモを池へ引き込んで、そうしてあの暴動を起したんではないかということが非常に町の中で私に対して小言がありました。そういうことは絶対にないんだ、あなた方静粛にと言ったのにどうしてあの
ようなことをやったかと言いましたが、とにかくその
ようなことで乱闘になり、そのうち検束者を
最初四名出したのでございます。そうしますると、暗くなっては私はこれはいけないと思いまして、暗くなるといけないので、何とかして検束者を
署長さん帰して下さいよ。いや、所、番地、姓名だけ聞くだけでいいんだから、調べれば帰すからということでありました。所、番地、姓名だけの問題でしたら、四人くらいはどんなにおそく書いてもすぐ書けると思います。これもあざむかれたのでございます。いくら帰してくれと言いましても帰してくれません。そうしますうちに、
交渉時間が
経過いたしまして暗くなってくる、おなかはすいてくる、もうこれはこらえきれなくて、
連中は近所のそば屋やあるいは酒屋へ行って、そこで初めて酒を飲んだのでございます。そうして私
どもの静止するのを聞かず
——私も警察の白いカーの上で拡声機を持ちまして、どうかこのしらが頭に免じて助けてくれ、絶対暴力をやめて退去してくれということを私も続けて連呼いたしました。大会の議長、
責任者もおれが困ると、すぐこれはここでもって退去しなければ重大
事件になるし、困ると言ったのですが、聞きません。で、
最後に機動隊でいよいよこれは退去命令を出すべきだというので、人垣を作って門の方へ追い出したのでございます。そのときの乱闘にさらにまた三人ですか
——現在八人留置されておりまするから、四人と思います。その検束者を出し、また警官側でも危篤の人も、一名入院さしたという情報も聞きました。私
どもでも一人瀕死の重傷を負っておるという
状態で、
被害者は
漁業協同組合の
調査によりますと、重傷三十五名、軽傷百八名という
ような大きな
事件が起きまして、
ようやくにして十一時三十分ごろ私
ども最後の車で帰ってきたという
状況でございます。まことに申しわけないと思っておりますが、以上何らの偽わりもなく、ありのままに開陳いたしました。御了承願います。