○曾祢益君 その問題について、自由主義的に云々の点については、私は非常に異論があるのですが、あなたのお気持についてはややわかりました。そこで、この問題についてはしばらくおきまして、第二に、これと関連があるのは、やはり大国の小国に対する
内政干渉の問題だと思います。これはいろいろ法律論それから政治論、いろいろあると思います。平和論からも論じなければならない。その最も典型的なのは、すでに岡田君が十分に質問された点に関連するのですが、少くとも
米英の今度の
派兵の論拠が、五十一条を援用している。それ全部でないにしても。これらについては明確な
態度を法律的にとっておかなければ、国際連合という
一つの機構は、これはくずれると思う。そこで、今、非常にあいまいな五十一条の解釈は、私はこういうふうに解釈するから、これに対するお答えを願いたい。
第一に、五十一条は五十二条の存在と切っても切れない、いわゆる地域的取りきめというものとのうらはらであって、それなしの集団的自衛権ということはおかしい。従って、この地域的取りきめが、まず
アメリカと
レバノンの間にあったのか。あるいはイギリスとヨルダンの間にあったのか。これも非常に問題だと思う。第一、
アメリカと
レバノンとの関係においては、アイク・ドクトリンという
一つの政治的な宣言がある。それをシヤムーン大統領が受けた、受けたことが
レバノンの内乱の原因になったわけです。それが果して法律的に見て、あれは慣行上、地域的取りきめ五十二条に該当するかどうか。これが第一問題だと思う。私は該当するということは言えないのじゃないかと思う。それから、今度は、イギリスとヨルダンの場合でも、イギリスとヨルダンとの間のいわゆる同盟条約は、少くとも破棄通告してある。だからその場合にかかってくるのは、ヨルダンが
アラブ連邦の一国であるからバクダッド条約の関係を援用して、そうして地域的取りきめというのか。これも果してそう言えるかどうか疑問だと思う。どっちの場合もはっきりした地域的取りきめがあったとは私は言えないと思う。第二は、ない、ないからすでに問題ではないんですが、その場合でも、先ほど議論があったように、五十一条を発動するためには、少くとも
武力攻撃というものは厳然としてなければいけない。それを
日本政府の
立場から、いや、
間接侵略の場合なんか云々というのはおかしい、もっと厳格に解釈すべきである。これは経過的にみても、チャプルテペック条約のときには、これは
侵略の危険があった場合には云々ということがあったのですが、厳格に
武力攻撃があった——これは原則として
外部からの
武力攻撃ということになるわけです。
外部からの
武力攻撃がないときに、五十一条の集団的自衛権を発動されたのでは、危険でたまらないと思う。平和に対するこれは脅威です。そういうことになれば、断じて自衛権として認められないと思う。だからその二つの
理由から、五十一条を、さすがに
米英も明確にこれだけを援用することはできなかった。法律的にまことに根拠がないのです。それから、自国の利益を保護するために
出兵するに至っては、これは昔の
日本軍閥のやったことと何ら変りはない、そんなのは全然話にならない、これは平和の破壊です。
それから第三に、その国から
要請があった場合、これは法律論の域を離れた問題だと私は思う。これはもっと大きな
世界平和の維持という点から
考えるならば、皆さんはどうか知りませんけれ
ども、私は今度のケースは、エジプトに対する
英仏の
侵略よりも、むしろハンガリー
事件に似た
事件で、果してゲレ政権から
出兵の
要請があったのか、あるいはカダル政権を無理やりに作って
出兵の請求をさせたのかもしれない、ああいう大国が、いかにその国の
政府から
要請があったにせよ、ないにせよ、大国がある政権を維持し、その政権の突っかい俸のために兵隊を出すということは、これは認めてはいけない、そういうことは、
アラブ世界のみならず、中東のみならず、全
世界的に
日本の正しい議論としてそういうことは認められない、こういう
一つの道義的規範というものをはっきり確立しなければいかぬ、だからあらゆる点からみて、
米英の
出兵は何らこれは合理づけられないのです。だから
アメリカだって、
レバノンの
事態だけのときには、むしろシャムーンから頼まれては大へんだというわけで、
大騒ぎしてシャムーンから
要請がないように、ないようにという工作をやった、だが、たまたま
イラクのあれがあったので、
イラクの
事態が
レバノンに波及しては困るということと、もう
一つは、裏心としては、
イラクの
革命があれほど完全にすっぱりいかないだろうからという、まだそういう救う道があるかもしれないというので
出兵した、こういう政治的動機があっての
出兵は、断固としてこれを排撃すべきだ、だからそういう
一つの規律を作って、即時無
条件撤兵をすべきである、それでピリオドを打つのだ、そういうことをしないで、
政府の方は、現状を何とかすべきであるのに、こういうふうにそこでさっと体をかわそうとするから、そういうつじつまの一合わないものが出てくる。そこでやはりはっきりと、大国の
出兵はいかぬ、それは
内政干渉である、断じてそれはいけない、ことに
レバノンの場合は、
レバノンの
事件については、国際連合の安全保障
理事会で扱っているのに、集団的自衛権の発動とは何ごとですか、これは明瞭に国際連合の
権威を失墜する——これは
アメリカの行動は、あえて強い言葉で言えば反逆です。そういうことを理論づけた上で、しからばどうするかということにしていかなければ、
日本の外交の姿というものは全くすっきりしない、みじめなものになると思う。こういう過去のことを言ってもしょうがありませんから、それは言いませんが、とにかく朝令暮改か朝令昼改か知りませんけれ
ども、こういう姿は断じて国民として認められない、こういうことは今後ともあるから、はっきりしたそういうりっぱな
一つのノルマをここに作っていただきたい。しかる後に、それじゃ
事態をどうしたらいいか、これはいろいろなるべく国際連合の
ワクの中で話をつけることに
努力した方がいいと思うのです。だから安全保障
理事会の
会議でも何でもやってみて、それがどうしてもいかなければ、それは大国
会議が国際連合の外でやられる場合もあるだろうし、あるいはまた、国際連合の緊急総会もあるだろうし、そういうあらゆる手段を通じて、そうして国際連合がこれ以上紛糾を拡大させないように対処していくということが、道義的な判断があった上に
考えられないと、そこが非常にあいまいもことして、
日本の操というものは貫けないと思うのです。こういう
意味において、私は今、五十一条なりその他の、
米英の行動をいろいろジャスティファイする理屈はありましても、それがいずれも成り立たない、これは法律論から見ても成り立たない、いわんや平和論から見て成り立たないということを
考えるのですが、それに対する
外務大臣のお答えをいただきたいと思うのです。