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辻原委員 私は、
大臣ともこの問題について今後互いに
かなり論議をしなければいかぬと思います。それはこだわらない
立場で論議したいと私は思います。今、
教職員との間に和気あいあいのうちに話し合いをしたい、これは私は双方ともそういう
気持があるだろうと思います。しかし、やはり片方において
一つの問題を投げかけて、波紋を投じている側の責任というものは私は相当
考えてもらいたいと思う。波紋を投じて、そうして
かなり意図的なものをもってやらかしておいて、それに屈服しないで刃向ってくる者は、これはいけない、こういうふうにきめつけてかかるところに、私は問題があるのではないかと思う。
それともう
一つ言いたいことは私は
文部省は非常に卑怯であったと思います。それはなぜかというと、現在とどまるところを知らない、尽きるところを知らないような泥沼の形で、各県各県がそれぞれ異なった形において、
教育委員会と
教職員との間に抗争が行われておる。それに対するそれぞれの
立場を固執するという形で問題が展開されておるというこの
実情を見るときに、
文部省はみずからが解決をしていかなければならぬ問題を各都道府県の責任に帰したということが、さらに問題を複雑化している。当初われわれが聞いたところによれば、これについて
文部省が責任をもってやるのだという。ところがだんだん
事態が推移したのを見れば、
教育委員会がどこやらで
一つの試案を作ったというものが、どういう経路か知らぬけれども、各府県に持ち帰られて、それが
一つの尺度になっておる。そしてあれは何々県の
教育委員会が自主的にやっているのですから、こういうことで逃げている。ところが裏に回ってみると、どんどん
文部省から電報も来れば、
指導官も飛んでくる。
文部省へ行けば、だらしがないとしかりとばす。そんな
勤務評定もようやらぬような県には補助金もやらぬぞ。私はそういうことがないとは言わさぬ。現実にあるのです。そういうような行き方を裏面でとって、表面は私どもは単なる
指導、助言をしておるのでありますというようなことでは、ますます
事態は紛糾するばかりです。あなた方が信念を持っているということならば、何で
文部省が全責任をもってこの問題に当らなかったか。こういうことも、私は今日になったら言わなければならぬ。さらに言えば、これは
大臣が今言われたように、
法律にあるからということを、
大臣のみならず、地方に行ってみても、そのことを非常に金科玉条として言われるのです。ところがおそらく私は、
文部省部内の当時地方公務員あるいは
教育公務員特例法の関係を扱われた人は、記憶があるだろうと思う。どだいその時分の
勤務評定などというものは、今と目的も何も全く違うじゃないか。かつての不合理な、人中心の人事
管理というものは民主主義にそぐわないという
意味で、
一般原則としてこの
勤務評定というものが言われた。その
勤務評定は何も表にしてやるというような
勤務評定ではなかったはずです。そういうことは、アメリカにおいても、イギリスにおいても、なかなか言うべくして行われないということ、当時アメリカが、
日本に持ってきた
法律の責任者などが言っておったはずです。だからこそ、人事院において
研究しても成案ができない。
文部省において
研究しても成案ができない。じんぜん日を送った。しかしその間にいわゆる
勤務評定と言えば言えなくもないような人事
管理が行われていなかったかというと、決してそうではない。そこに世間の大きな誤りがあると思う。人事を、何も持たないで、これは気に入ったからやるというようなことは、戦後行われていなかったと思う。少くとも現在の評定の中の第一項等にあるような、いわゆる人事に対する
一般的な
調査、こういうものは人事
管理の資料としてあったと思う。言うならば、それとても私は
一つの評定であったと思う。しかし今問題になってることは、できもしない複雑なこと、人間の徳性というものを分析するような、全く千人に一人しかできないような、ノーベル賞をもらうような博士がやるようなことを、
小学校の校長さん、中
学校の校長さんにやれというところに問題がある。こういうことで論議されて、これは
反対ということになってきておる。それらを
考えないで、ただ
法律にあるからやらなければならぬのだ、こう押しつけてるところに、私は
一般の世論にも誤まってる点がありまするし、またそれらの背景を順次積み上げてこなかった、これに
反対する側にも手抜かりがあったと思う。だから、
勤務評定の問題は、もっと、ほんとうに、人事
管理の一具体的
方法、一
方法論なんですから、そういう観点に立って論争すれば、これは私は
大臣にしても、はたとお気づきになる点がたくさんあると思う。ですから、
法律にきめられたからやるんだ、私はこの
法律を守る所管
大臣だからという言い分は、もっと極端に言えば、そういう
一つの言いぐさというものは、これは事の半面だけを御
承知なさって、あとの半面はヴェールで包んでる言い分だと思う。そこに私どもは非常に不満がある。しかしこれは論議になりまするから申し上げませんけれども、しかし今からでも、私はそういう
一つの新しい
立場に立ってもう一度見直すということには、時期を失していないと思う。
法律だからやるんだ、いかに
法律であってもやれぬことはやれぬじゃないかというこのぶつかり合いを、
文部省はほおっておくという手はないでしよう。
大臣は単なる
行政屋ではありません。政治家なんです。そういう
立場からも、私は
事態の解決になにがしかの
努力をすべきであろうと思うのであります。
大臣の御所一見はどうでありますか。 一