○栗林
委員 私は、
松浦委員長を
不信任するという
日野委員の
動議に賛成の意見を申し上げたいと思います。
吉川委員の
反対討論を聞きますと、
理由が非常に薄弱だというお説でございますけれ
ども、私は、
日野委員の
動議の
説明には非常になまぬるさを感ずるのでございます。もっとそのものずばり、何ら遠慮会釈なく
反対理由を述べるべきであろうと思う。こういう点がどうも、古い人方は、きついことを言いましても、お互いに顔なじみでありますから、こういう点でお互いに相通ずるものがあるやにうかがわれて、新人であるわれわれとしては、非常に了解に苦しむところであります。私は
日野委員の
説明以上に賛成の
理由を討論として申し上げたいと思います。
御
承知のように、当
委員会においては、一昨二日と三日の両日にわたって、農業災害に関する問題や
米麦価に関する問題が真剣に
審議、質疑が行われたのでございます。そうして、
米価におきましては、本四日午前十時より開かれる
閣議にかけて
最終的に買い入れ
価格をきめるということが
農林大臣の
答弁によって明確になったのでございます。そこで、当
委員会は
米価についてはすでに
政府決定の以前に当
委員会の
決議をもって
国会の意思を
政府に伝えるということが慣例になっておると伺っております。それゆえに、わが党は
赤路氏を通じて
米価に関する
決議案を
提出したのでございます。ところが、
松浦委員長は、
自民党の三役に
連絡しなければならない、党に
相談したいからしばらく待ってもらいたい、そういう口実を設けて、最初は、昨日は午後八時まで休憩になりました。私
どもは神妙に八時まで待っておったのでございます。ところが、八時になっても何ら音さたがない。そうしてついに十二時まで待たされてしまったのでございます。十二時直前になりまして、
委員長はようやく、明日は八時半から
委員会を開く、こう宣告されまして、十二時直前に散会になったのでございますが、この
米価に関する
決議は、本日十時から
閣議で
決定されるのでありますから、当然、前日、きのうのうちに
決議を行わなければ、この
決議はほとんど無価値になると思うのです。これは常識で判断してもわかることだと思う。ところが、
委員長初め与党の
皆さんは、この
米価決議案に対して
反対するわけにもいかない、といって賛成するわけにもいかない、そういうジレンマに陥ったと見えまして、これをやみに葬ろうという策動が行われたことは明白でございます。従って、賛成するとともできない、
反対することもできない、それならば
委員会を流してこの
決議案をやみに葬むることが上策であると考えた
委員長は、きのう十二時ぎりぎりまでこの
委員会を引っぱっていたではありませんか。危なくあと五分でこの
委員会は流会になるところであったではありませんか。辛うじて本日八時半に開くということが
決定されましたけれ
ども、本来から言うならば、きのうのうちにこの
決議案というものが
審議されなければならないものでございましょう。そういうような
委員長としての御配慮をしなかったということは、これは、自分
たちの都合を考えて何とかこれをやみに葬り去ろうとする、そういう意図の現われであると私は断ぜざるを得ないのであります。こういうような
委員長の
態度は、少くとも民主
国会の常任
委員長としては、私はきわめて不適格なものであると考えるものであります。
その次に、きょうは八時半から開会されるというので、私
どもほとんど
全員が出席をしたのでございます。きのう
農林大臣の
答弁によりますと、十時の
閣議で
米価がきまるという御
答弁であったにもかかわらず、突如九時に
閣議が開かれて、われわれが十時前に何とか
決議を上げたいと、それぞれ
理事会を開き、あるいはいろいろと
相談しておるさなかに、
閣議は九時から開かれて、
米価はきまったという情報が伝えられたのであります。同時に、その真偽をただすために、
農林大臣の出席を求めて
農林大臣にただしてみたところが、その
通りでございますというあいさつでございました。きのうのことはきのうのことにしましても、きょうは八時半に
委員会を開くと言った以上は、少くともわが党から出しましたこの
米価決議案を早く
審議に乗せて、そうしてこれに対する結末をつける
努力をするのが
委員長の職責であろうと思う。それを、九時、九時半まで延ばして、
政府の方から早く
閣議を開いて
米価を
決定したという通知がくればよいというような
態度で
閣議決定をお待ちになっておった。九時半ごろになって、
閣議で
決定したというので、もはやこの
決議を扱うことは無価値になりますので、やおら
委員長は立ち上って、この
処置をどうするとかいうような
話し合いが行われたようでございます。
私は、
米価に関しては、先ほ
ども申し上げましたように、各先輩、各
委員からも伺っておりますが、
米価に関しては、常に当
委員会は何らかの
決議を上げて、
政府決定以前に
国会の意思を通じてあると聞いておるのでございます。そのことが今回に限ってなされずに、やみからやみに葬り去られたということは、この
責任はきわめて重大であろうと思うのでございます。かくのごとく、党利党略にとらわれて
委員会を運用する
委員長、
政府と通謀して
決議をなさしめなかったような行為をあえてした
松浦委員長の
態度は、明らかに一
党独裁に通ずる思想であって、私は、かくのごとき
態度は、少くとも民主
国会における常任
委員長としての適格性がないと断ぜざるを得ないのでございます。これが
松浦委員長を
不信任する
日野委員の
動議に賛成する私の意見でございます。
さらに、第二に申し上げたいことは、
松浦委員長は、先ほど
日野委員が
説明されたように、去る六月二十三日の全国
米価要求
農民大会に出席されました。そうして
農民大衆にこういうようなあいさつをされておるのであります。
農民諸君の要望には
委員長としてできるだけ自分も
努力すると、
農民の要求にこたえる覚悟であるという
意味のあいさつをされたことを覚えておられると思う。今回の
米価審議会の
答申は、きのうの私の質疑の
過程で申し上げてありますが、今までにないやわらかい
答申でございます。いずれの新聞も、おおむね
政府の原案を認めた
答申であると報道しておるのでございます。ただ、
答申の第一の末尾にある「
基準年次については、再考を要するものと認める。」、この再考を要すると認めるという点は、二十九、三十、三十一、この三カ年間を
基準年次としておるが、これは妥当なとり方ではない、従って、二十九年をやめて三十二年を入れて三カ年間の平均を
基準年次にとるべきであるということが、口頭をもって
説明されてあるのでございます。こういうことも
米価審議会においては異例の
措置であろうと私は考えております。
政府がこの
答申をあるいは牽強付会の解釈をして、
基準年次について再考を要すると認める、こういう
答申に対して、あるいは再考すればいいのだから再考した、そういうようなことになれば大へんだというので、この解釈に明確な区切りをつけるために口頭で注釈を加えてあるはずです。それが三十二年を含める三カ年を
基準年次とすべきであると
説明されてあるのでございます。それでありますから、これを入れて
米価をはじき出すと、わずか石当り約六十五円の増になるという
説明があったのでございます。六十五円でありますから、ことしの集荷目標は二千九百万石といたしましても、約十九億の金です。だから、これは
足鹿委員も指摘された
通り、
米価審議会からは、今までは常に、
政府の
諮問案は不適当である、妥当ではない、こういうようにきめつけられた
答申であったはずです。ことしは、そうではなく、おおむね妥当であるような
答申であります。ただ、違うのは、この
基準年次について再考せい、二十九年をやめて三十二年にせい、このように
説明がされておるのです。してみれば、
政府はたびたび
米価審議会の
答申を尊重すると言明されておるのでございますから、せめて今回米審が
答申されましたこの第一項の末尾にあるこの三十二年を入れて
基準年次をとるというこのごとくらいは実施に移すということでなければ、尊重ということにはならないと思うのです。このことも
農民が強く要望しておるところでございます。その
農民の要望にこたえて、
米価審議会はさらに
審議をしてこういう
答申をされておる。してみれば……(「わかったわかった」と呼ぶ者あり)いや、あなた方がわかっても、
松浦委員長がわからないのだ。(笑声)
松浦委員長は、
農民の要望にこたえると大見得を切った以上は、せめてこの程度の
答申を実現できるような配慮をされることは当然だと思う。
さらに、
足鹿委員はきのうの質問で何と言いましたか。
大臣は、大事な
基準年次の点になりますと具体的な
答弁をしない、これでは尊重ということにならないではないか、これでは
審議が進まないではないか、従って、この
審議を
軌道に乗せるために、これを
委員長の御配慮で何とか
話し合いを持たなければ
審議が進まないじゃないか、かように
足鹿委員が
発言された。これに対して、
委員長は、適当に
措置する、考慮するという約束をされてあったはずでございます。そのことが何らなされておらないではないか。八時まで待たせ、十二時まで待たせ、本日は八時半から招集をして、そうして、
閣議決定をされてから、
決議をさせないような、そういうような魂胆で
委員会を運用しようとする
松浦委員長のこの
態度は、断じて許すことができない。
農民に対してもまた申しわけないことではないかと私は考える。きのう何とかして、
足鹿委員の意見をいれて、
委員長が
話し合いの場をちゃんと作って、
基準年次についてもう少し
話し合いをしたならば、本日のようなこういう場面は出てこなかったと思う。
皆さん、きのうの
大臣の
答弁はこういう
答弁であった。
基準年次について、二十九年度は凶作の年ではあるけれ
ども、三十年は豊作の年だから、それに見合うために凶作の年も入れなければならない、こういうような
答弁をされて、みんなに笑われた。二十九年は作況指数九二を示すごとく凶作に近い年であった。従って、パリティとして
基準年次をとる場合に、このように凶作に近い年を
基準年次に取り入れることは妥当性に欠けておる。これがパリティの原則です。パリティの常識ではありませんか。それですから、昨年はこの三カ年間の平均でやったが、ことしは二十九年をやめて三十二年を入れるのが当りまえだというのがわれわれの意見であり、またわれわれが
政府に対して言うところの筋である。
米価審議会の内容もそのように聞いておるわけです。(「わかったわかった」と呼び、その他
発言する者あり)わかったらやってくれたらいいじゃないか。わからないからこういうことになっているんだ。三十年はなるほど作況指数は一一九を示しておる。従って、このように豊作の年を
基準年次に入れることは無理だとするならば、三十年も捨て、二十九年も捨てて、三十一年、三十二年、この二カ年間を
基準年次にとってもよいわけなんです。ところが、なぜそれができないかというところに問題がある。まず第一に、三十二年を入れると、
米価が高くなる。
政府は
米価をできるだけ安く押えたい。
政府の低
米価政策から言うならば、三十二年を入れることは非常に困る。そこで、三十二年はあくまでもこれを排除して、二十九年の平均
価格は九千百二十円で一番安いから、これを
基準年次に入れれば、資本家は安くなるにきまっている。(「資本家が安くなるのか」と呼ぶ者あり、笑声)そういうように、できるだけ
米価を安くしたいから、二十九年を入れて三十二年を入れないのが、与党
自民党の
米価政策の実体じゃないか。従って、これらの問題について、
基準年次については何とか話しいの場を作り出そう、こういうように
足鹿委員から話が出ておる。これを
委員長は何ら取り上げて具体的に
相談の場を作らなかったではありませんか。私は、このような
委員長の
委員会の
運営の
態度は、先ほど申しましたように、民主的
国会の常任
委員長としてきわめて不適格性が満ち満ちていると断ぜざるを得ない。従って、私は、この際
松浦委員長にやめていただいて、そうして
自民党の
皆さんの方からでよろしゅうございますから、私もそれに賛成でございますから、もう少し民主的な良識のある方を
委員長に推薦していただきたい、こう思うわけであります。
私は
日野委員の
動議に賛成意見を述べたものでありますけれ
ども、どうか
自民党の
諸君も
日野委員の
動議に
全員賛成して下されんことを切に希望するものでございます。(拍手)