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宇田川参考人 私、
浦安漁業協同組合組合長宇田川でございます。このたびは
浦安のために諸
先生方に御尽力いただいたことを切に感謝いたします。
去る五月十二日、
本州製紙に向い第一回の
交渉を行なったのでございます。そのときに
総務課長さんは有害であるということをはっきり述べたのでございます。そうして有害であるけれ
ども、魚が死ぬとか貝が死ぬとかいう問題に対してはどのくらい離れてそれだけの力があるのか、まだそれまではわからないけれ
ども、有害であるということは、第一回の
交渉に
総務課長ははっきり申したのでございます。そうしてわれわれは再三にわたって
会社に
交渉に当ったのですが、
会社としては依然として誠意なく、また都へ参りますれば、
建設局の方へ参りますと、これは
水産課へ行って
水産課からよく資料を出してもらってやらなければだめだと言う。
水産課の方へ参りますと、
施設課が
許可したのだから
施設課へ話して
許可を取り戻せとか、ほんとうにあいまいなことを言ってわれわれをじらしていたのです。やむなく二十二日にわれわれ団体八
カ組合が
会社に第一回の
交渉に向ったのであります。そのときには
組合員が八
カ組合で約手人参りましたのですが、そこにおいて
総務課長が参りまして、
工場長に会わせてくれと申しましたら、今会わせるからちょっと待ってくれと申しましたが、
工場長そのものがどこにいるのやら、なかなか出てこなかったのであります。そういうふうにして
組合員はさんざん
会社にじらされ、また県へ行ってさらに都へ行きますと、都ではそういうふうなことを言ってわれわれをごまかしていたのです。そのために二十四日に第一回のああいうごたごたが起きたのです。そのときには
組合代表八名、
町長さんもまじりました。そのときにまじった人がここにおりますが、
工場長、
総務課長、その他二、三名見えました。その中に小松川の
警察署長もまじりました。そうしてこの問題については、
会社側としては今まで
皆様方に御迷惑をかけたということをわびをし、今後進んでいくにはどういうふうにしたらいいかということについて、各
代表者一名ずつで八名、
町長をまじえ、
あと会社の方をまじえていろいろ話し合ったが、何しろ一千人の人間がおるので話もなかなか進まなかったというようなことで、三つの項目を出したわけであります。第一は、黒い水を出すこと、新しい
機械を使うことは、これは
話し合いをしなければ絶対だめだということ、第二は、白い水についても、これは
会社としては無害だと言うけれ
ども、われわれとしては確かに有害だと思っている、しかしながらこの水に対しては一日も早く
設備を完備して当るようにということ、つまり第二は、一日も早く完全な
設備をすること、第三は、
補償についてはお互いに話し合ってきめること、二十四日に大体そういう線で
工場長と各
組合代表と話し合ったのでございます。そうしてそのきまりのつくまでは絶対に新しい
機械の悪い水は出さないと言ってきめたにもかかわらず、
会社側としてはその
交渉を
——われわれは県並びに都庁に向い、また
水産課に向い、
施設課に向いまして涙を流して訴えた。ところが
指導部長は無害か有害かということがわからないうちはだめだというように言っておられたのですが、われわれは何回となくお願いし、そうしてようやく
水産課として、では一応
被害調査をしようというわけで
被害調査をしたのが六月の五日でございます。そのときに都の
水産課と
施設課の
係官、また
千葉県としては
水産課と
水産試験場の
係官等が参りまして
試験した結果惑いということがわかりまして、すでに六日に私が都に参りまして、都の
指導部長と会いまして、
指導部長は
雲話においてとめることを言った、こういうようなことを述べましたのですが、あまりにも簡単じゃないか、われわれの死活問題にもかかわらず
電話でもって、
口頭でとめるではあまり簡単じゃないか、
書類をもってなぜとめなかったと言いますと、彼はその水が果して有害か無害かということがわからないうちには
書類では出せないのだ、しかしながら行って見た
調査の結果確かに悪かった、あのひどい、よごれた水を出すということは悪かったということにおいてさっそくきょう、君らの来る前に
会社に向って
機械をとめろということを言ったというようなことで、非常にあいまいのようでありましたけれ
ども、そこを去りまして今度は
水産課に参りましたところが、ちょうどそこに
設備課長がおりまして、
設備課長のところに参りましたところが、
設備課長としてはまだとめてない。しかしながら
指導部長はとめたというような、そこにおいてあいまいな話でありまして、きょう私が来たのは、
今浦安の
漁民、町民は、きのう検査をして、あの悪い水に対してきょうもとまってないということで
——私が来たときにもまだ水はごうごうとして出ていた。それについてきょう皆さんとここで約束をしてとめてもらわなければ、私は家に帰って命がないのだ、また
組合員は私の帰ってくるのを待っているのだ、そして私が帰りましてどうしても水がとまらないということであれば、また問題が起きても困るというようなことにおいてお願いしたところであります。そのときはちょうど時間で二時近くでございましたが、事が重大であるから
機械をとめろという命令を
設備課長からすぐそこで
本社へ向って
電話をかけたのであります。そして
本社から
工場へかけて、そのときもわれわれはとめたということを聞いて安心して帰ってきたのでありますが、朝起きてみますと
組合員が、
組合長まだ水がとまってないじゃないかということで、朝早く、皆押しかけて参ったのです。それについて責任あるわれわれとして十人ばかりでもって
会社へ押しかけた。ところが
会社では
機械がとまっておる、水も出てなかった。話を聞きますと夜中の十一時じぶんに
機械がとまったということであったのでございます。そうして今度は話のつかないうちに、九日の十一時五十分に、
会社側からとめてある新しい
機械を回す、水を出すというような、あまりに不敵きわまる
電話をよこしたのであります。そうしてそのときにちょうど町
会議員の
方々も
委員会を開いたのでございまして、そしてそのときに
会社、
千葉県、都、川島幹事長のところへ参りましてお願いし、その九日の日にも都としては
会社に対して
勧告をした。また通産省の方方も、
電話でもってとめたといっておりながら、また十日においてもただいま水をとめたと言いますが、決してとめておりません。ああいうふうなうそを言っては、言わないとわれわれをごまかす。またこういうおえら方のいるところで、ああいうごまかしを言っておるのですから。決してとまっておらない。そのために十日の日に町民大会というものはでっち上ったのであります。そして十日にでっち上った町民大会できめられた決議文を国会、都、
本社、
工場へ届けようということにきまったのでございます。そうして国会へ参りましたときに、川島幹事長先生が、
本州製紙問題については僕にまかせろというように言われて、それはスムーズに帰りました。都庁へ参りましたところが、都庁ではとめてある、なにとめてないというようなことで、そのときに私が合ったのが指道部長と
設備課長でございます。その方二人が何を言うかと思ったら、とめてある、きのうとめたじゃないか、あなた方はとめたとうそばかり言って、われわれをいつもだますじゃないか、
電話をかけると言いましたが、
電話ではだめだ、あなた方はわれわれの死活問題がわからないのかと言ったところが、
指導部長は、それではさっそく自動車で
工場へ向うということで参ったのであります。私
どもは四十分
あとから参ったのであります。そのときも私はなぜ憤慨したかというのは、二十四日以来
会社は鉄条網を張り、そうして角々、急所急所には二人、三人ずつの
会社の
方々を置き、立ち入り禁止の札を張り、そういうことをしてわれわれの言う要望を聞かずに
運転をしたのであります。そのために十日のああいう問題が起ったのでございます。
会社そのものは金があるとはいいながら、われわれ
漁民、農民をあまりにも踏みつぶしていたじゃないかと思うのでございます。そうして十日のああいうことが起りまして、警察側としましても、
東京都から命令を受けておる
会社が、われわれ零細
漁民が行くのを百メートルも二百メートルも奥で待って、われわれが
会社側の表門に到達したときに門を締め、立ち入り禁止の札を立て、プラカードを張った。そういうふうなあまり不逞きわまることをしたもので、われわれ
漁民としても、われわれはとめたのですが、やむを得ず十日のようなああいう
事件が起きたのでございます。
どうぞ衆議院の
皆様におかれましては、この汚水問題についてはよく御協議されまして、
浦安、大きくは日本のために、お救い下さるよう切にお願いする次第でございます。