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有沢説明員 私、三月二十六に日本を出発いたしまして、六月の十九日に帰って参りましたが、その間、約六週間は、
生産性本部の
アメリカ経済視察団の団長として
アメリカに滞在いたしましたから、これは別のお話といたしまして、この
チームが五月七日に解散いたしまして、翌日の五月八日から
原子力視察に任務を切りかえまして、
アメリカの
ワシントン、それからピッツバーグの
シッピングポート、
ニューヨークの付近の
ブルックヘヴンの三カ所を視察いたしました。元来、
原子力委員として
原子力事情の視察に当りましては、一つは、欧米の
原子力施設を視察するということ、それから第二には、
原子力の災害に対する補償問題が、どういうふうに各国において規定されておるか、この補償問題につきまして調査をするということ、それから第三には、英米はともかくといたしまして、主として
ヨーロッパ諸国の
燃料供給の対策といいましようか、
燃料対策はどういうふうに考えておるか、それから最後に、
ヨーロッパの諸国が
原子力の
平和利用の開発の方針としてどういうふうな考え方をしておるか、この問題につきまして主として調べてくるという目的で参つたわけであります。
アメリカにおきましては、
アメリカの
原子力委員会の
オフィスが
ニューヨークにありますが、その
ニューヨークの
オフィスをおたずねいたしまして、
ヴァンスという委員にお目にかかりました。この方は法律の
専門家でありまして、
ヴァンスさんと一時間半くらいお話をいたしましたが、
いろいろ話が出ましたけれども、私の記憶に非常に強く残つておりますのは二つの点であります。一つは、
アメリカの
産業会議で、同じく委員の
デーヴィスさんが、それより数カ月前に、
アメリカの
原子炉は一九六二年ないし六五年ごろになって初めて
在来発電とコストの上からいって
コンパラブルになるだろう、こういうふうなことを申しておったのでありますから、一体この見解は
アメリカの
原子力委員会の見解か、それとも
デーヴィスさん個人の御意見かということを尋ねたのであります。
ヴァンスさんは、私の質問に対して直接にはお答えにならなかったのですが、
いろいろ話としましては、これを要約いたしますと、
デーヴィスさんはそう言っているけれども、しかし、それよりももっと早く
在来発電と
コンパラブルになるというふうに考えている人々も大勢おるということを知っていてもらいたい、ということを申したことであります。それからもう一つの点と申しますのは、
ウラン精鉱、イエロー・ケーキを
コマーシャル・
ベースで何か入手するような方法は近き将来考えられないだろうかという質問に対しましては、これは非常に明確に、近い将来に必ずそういうことになるだろう、もっとも、その際においても協定に基くライセンスを必要とすることはやむを得ないけれども、
コマーシャル・
ベースで入手することはじき近い将来必ず実現する、こういう非常に断定的なことを申しました。そして、事実これは私がまだ
ヨーロッパにおる時分に、この手続がとられたと思います。そういう点。それから、あとはいろいろ雑談をいたしましたが、それは興味のある点もありますけれども省略いたしまして、
アメリカでは、意見をいろいろ聞きただしたという点におきましては、
AECの
ヴァンスさんからのみでありまして、あとは
ブルックヘヴン、
APPR——これは動かすことのできる可搬式の
原子炉であります。これを視察いたしまして、このときも、その主任のラフールという方から大へん親切な説明をいろいろしていただきました。それから
シッピングポートに参りまして、
AECのフリンズさんとウェスチングハウスの
レンゲルさんの二人の案内で、あそこの炉の構造とか、燃料の生産の過程であるとかいうものにつきまして、非常に詳しく説明をしていただきました。それより前に、
生産性本部の
チームとして、サンフランシスコの近くにありますGEのサンノセの工場とヴァレシトスの炉と、それからオークリッジの工場を見、さらに
シッピングポートの炉を見てみまして私が非常に強く感じましたのは、
原子物理の原理に基いていよいよ核分裂を平和的に利用するということになりますと、非常に複雑な、そして非常にデリケートな
工学関係の技術が要るんだということを強く感じたのであります。帰って参りまして、このことを
工学関係の方々に聞いてみますと、日本でもそれだけの技術は十分に
工学技術として発達しておるから心配は要らない、こういう話でございましたが、私自身には、
工学関係の技術が非常に複雑で、かつむずかしい問題を含んでいるように思われたのであります。
それから、もう一つの
ブルックヘヴン、ここは御承知のように、
アメリカ東部の九つの大学がスポンサーシップをとりまして、
AECと協約を結んで
共同研究を行なっておる
研究所でございますが、ここでは、次長のデープさんから、この
研究所の機構につきまして午前中詳しく話を聞きました。後に
ヨーロッパへ参りまして、
フランスの
サクレーの
研究所、それからジュネーヴに参りましてセルンの
研究所を見ましてその機構の話を聞きましたことによりまして私の感じました点は、こういう
共同研究の体制を運営するということは、なかなかむずかしい問題がある、その点では、
ブルックヘヴンは大へんうまくいっているのではないかという印象を受けました。また
サクレー、
セルンともにうまくいっているように感じました。それぞれ特徴はありますけれども、
共同研究を組織化して経営していくという点には、なかなかむずかしい問題がある。たとえば、施設の利用の仕方におきましても、施設をフルに利用する。それにはどういうふうにしたらいいかというふうな、
マネージメントといいましようか、
研究所の
マネージメントについては、日本においても、従来のように
研究所をただばく然と動かしているというふうなことでは実はいけないんじゃないか、
マネージメントについてもよほど研究を進めていかなくてはならないということを感じたことを、つけ加えておきたいと思います。
実は
アメリカでは、もう五日ばかりしか日がなかったものでございますから、あまり十分なことはわかりませんでしたが、特に施設に関する視察に多くの時間をさいたものでございますから、最初持っておりました補償の問題、この補償の問題も、もうすでに
アメリカではきまつたものがありまして、それに関する資料は、すでに
原子力局の方へ十分送つてあるという話でございましたから、私自身は、それ以上はあまり
関係者から聞くことをしなかったわけであります。施設に関するこまかいことは、
アメリカで私に同行して下さいました
ワシントンの
原子力アタッシェの
田中事務官が、
同国原子力施設視察報告——私から依頼してありましたが、それを送つてきておりました。こういう資料は、今
報告書を準備中でございますから、それにつけまして、いずれ
報告書完成の上、皆さんにごらんいただきたいと考えておる次第でございます。
それから
ヨーロッパに参りましては、
イギリス、
フランス、ベルギー、ドイツ、オーストリア、スイス、イタリア、これらの諸国を回って、先ほど申しましたように、施設の視察、それから
原料供給の問題、あるいは補償の問題、パネルの問題というような点を聞いて参りました。
イギリスには比較的長く、一週間以上滞在いたしまして、AEA、
ハーウェル、
中央電力庁、コールダーホール、
リズレーの
工業化本部、こういう所、それから
原子力保険委員会の会長さんの
シルバーサイドさんにもお目にかかりました。
イギリスで私が主として問題にしておりました点は、
イギリスの炉は、御承知のように
天然ウラン・
黒鉛減速・
ガス冷却型のものでありますが、
イギリスがなぜこれを採用して、これの開発に力を注いでおるかという点でございます。これを聞いてみますと、これは
原子力公社の方々、それから
中央電力庁次長の
ダックワースさん、そういう方々の意見をまとめてお話し申し上げる次第でありますが、それは一つは、
イギリスがこの
原子力の開発、むろん、この場合には軍事的な利用をも含めてのことでございますが、この時分には、技術的な問題として、やはりこの
天然ウランを燃料にするということしかできなかった、それから
黒鉛減速の場合も、重水を入手することが非常に困難であったので、重水を利用するということも避けなければならない、従って、結局技術の問題と
材料入手の問題から、
天然ウラン・
黒鉛減速ということになって、
ガス冷却を
使つたということは、実は相当
自分たちは重要にこれを考えている、ですから、今後
天然ウランの低濃縮の燃料に置きかえられるということはあつても、
ガス冷却はやはりこれを維持するつもりだといいましようか、これで一貫していきたいということを申しておったのであります。従ってここで問題になりますことは、
イギリスでは、あらゆる型の炉を十分比較研究した上で、この型が最もいいというので現在の型に落ちついた、こういうわけではないのであります。技術的な点あるいは経済的な点からいって、たまたま
天然ウラン・
黒鉛減速・
ガス冷却型に落ちついたということであります。しかし、委員の方々の話では、そういうふうに、その点からいいますと、非常に制約された形で出発をしたことでありますけれども、そして、それの開発をずっと進めてきたのでございますけれども、今日の成果を見てみると、決してわれわれは早まつていなかったようにも思うということをつけ加えて力説されております。
それじや、今後どういうふうに、将来はどうだろうかということになりますと、これは
ダックワースさんなんかは特にそのことをはっきり申されましたが、一九六七年ごろまでは、むろん、このガス・クーリングのものが経済的にいっても、
安全性といいましようか、技術的にいっても一等いいと自分は考えている、それから、六五年から七〇年にかけましては、これは
イギリス型の炉の改良がさらに行われると考えられるので、その七〇年ごろまでは、まだほかのものと十分競争し得るのだ、それから、七〇年以降になると、これはほかの型の炉、たとえば
濃縮ウランの炉がどれほどの発展を遂げるかということを自分はほとんど
予測ヂができないので、それから後ははっきりしたことは申し上げることができない、こういうふうな見方をしておるということであります。
それから、次は
災害補償の問題でありますが、この問題につきましても、
原子力公社それから
中央電力庁、それから
リズレーの
工業化本部、それから
ハーウェルでも聞きましたが、それらを総合して申し上げますと、
災害補償は、
原子力保険によってこれをカバーする方針である、なぜ保険によってカバーすることがいいとわれわれが結論に達したかというと、それは、やはり国民の心理的な問題が最も重要である、と申しますのは、一つは、初めから
原子力災害に対しては保険が十分かけてある、その保険は民間会社の保険で、従って、災害が起ればすぐさま支払いが行われる、民間が事務的にてきぱきと処理してくれるという信頼が国民の間に持てるから、この保険制度が最もいいとわれわれは考えている、これを国家が何かするということになると、なかなかそうてきぱきした賠償といいますか、補償が迅速に行われにくい点があるので、国民がかえつて不安を持つようになるだろうから、従って、保険によるがいい、こういう第一の結論になっている、その
原子力の保険は、しかし、従来の一般の保険とは別個独立の
原子力保険とする必要がある、これは災害が非常に大きいということ、あるいはその危険率がはっきりしない等々の理由によりまして、この
原子力保険は、これを別個独立の
原子力保険として発展させる必要があると思う、その点につきましては、まずロンドンの保険業者の方も、
原子力保険委員会というものを設けておりまして、それの会長さんは、ヨークシャー・インシュアランスの会長の
シルバーサイドという方でありますが、その会長のもとで、ずっとこの別個独立の
原子力保険というものを確立するように今検討を加えておる。
それから、もう一つ政府として考えていかなければならぬのは、その独立の
原子力保険をどういうふうにつけさせるかという問題であります。その問題は、事故の責任をだれときめるか、つまり、事故の発生した場合に、いろんなクレームが出るわけでありますが、そのクレームがだれに向つて発せられるかという問題。これもいろいろ議論がされたそうでありますが、結局、議論の結果としましては、それは
原子力を利用しておるその主体、
原子炉の設置者に引き受けてもらうのが合理的であろうということになって、そういう
災害補償の体制を考えておる、まだこれは法案にもなっておりませんが、そういう構想が今できておるという話でございました。それじや国家は何もしないのか。国家補償といいましようか、これは御承知のように、
アメリカの方では保険もつけます。保険がたしか六千万ドル。しかし、災害がそれ以上に及んだときには、五億ドルの限度で国家がその補償に当るということになっておりますが、
イギリスの方は、その国家補償のことについては何も規定がありません。それですから、それじや国家は一体どうするのか、何もしないのか。たとえば、保険金額が五百万ポンドになっております。だから、もし災害が五百万ポンド以上に上つたときには、国家が一体どうするのか、何もしないのかということを尋ねましたところ、われわれの方は、大体保険金額を五百万ポンドにきめたことも、これは大きな保険金額で、そんな大きな災害が起るということはあり得ないのだ、ただ、これは
シルバーサイドさんたちの話でも明らかになりましたが、大体五百万ポンドでいいと思う、けれども二百万ポンドでも十分だ、どんな災害が起つても、その災害の範囲は二百万ポンドでおさまると思うが、ただ、
イギリスの保険プールからいいますと、約一千万ポンドばかりの保険を引き受けるだけの能力があるという話であったので、結局、その両者の間で話し合いの結果、その中をとつたといいましようか、五百万ポンドにした、こういう話でございます。それでありますから、五百方ポンドでももう一ぱいの話で、非常に大きな額なんです。そんな大きな災害が起ることはあり得ない、そのあり得ない災害に対して、それが起つたときに国家がどうするかということは考える必要はないじゃないか、もし万々が一に起り得べからざる災害が起つたということになれば、実際にそういう災害が起つたときにどうするかということを考えればいいんであつて、起り得るとは考えられない問題についてまで今から考えておく必要はなかろう、こういうのが、
イギリスで私の会いました方々の御意見を取りまとめると、そういうことになると思います。
それから
安全性の問題につきましても、私は技術のことはあまりよくわかりませんし、ことに温度係数のプラスの問題などということは、全然私はその当時聞いていなかったものですから、そういう問題でなく、炉の安全についてはどういうふうに考えるかということを聞いてみました。これにつきましては、
原子炉の運転をどういうふうに安全に行うかということ、これが第一だ、災害の問題を考えるにしましても、
原子炉の運転をどうして安全に行うかということが第一の問題である、もし災害が起るということになれば、補償の問題、補償の問題というけれども、それよりも民衆に与える心理的影響と、それから政治問題とが最も重要になってくる、実際の災害はそう大きくなくても、それが民衆に与える心理的な影響とか、それに関する責任といいますか、政治問題、そういうものが最も大きな問題になるのだから、従って、われわれとしては補償の問題もさりながら、
原子炉の運転をいかにしたら安全に行うことができるかということにもつぱら考慮を払つているんだ。この点につきましては、こういうことも申しました。何しろ
原子力の利用に関しては、まだわからないところがたくさんある、全部が全部わかつてからでなければ
原子力の利用をしない、そういう態度も一つあるだろうけれども、しかし、それでは
原子力の
平和利用はずっと将来におくれてしまうだろう、
イギリスとしては、
原子力の
平和利用については、むろんわからないところもあるけれども、それこそ一歩々々手探りに経験を積み重ねることによって、安全にこの
平和利用を進めているんで、その点において、最も重点を置いているのは、
原子炉運転をいかに安全に行うかということである、今度日本と
アメリカ、
イギリスとが協定を結ぶということになつた後は、一つ
原子力公社と日本の
原子力研究所とか、あるいは日本の
原子力委員会などと、どうしたら
原子炉の運転を安全に営んでいくことができるかということについて腹蔵なく意見を戦わして、そしてお互いに協議してやつていこうじゃないか、こういうふうなことを申しておりました。その際、
原子炉の安全運転について何が大切かと聞きますと、それは、何といっても必要なスタッフを十分整えるということである、そうしてプロセスの詳細にわたって本部、たとえば
中央電力庁なら
中央電力庁、あるいはAEAならAEAの本部の方のコントロールが徹底するようにするということ、そうして一人々々の受け持つ範囲がなるべく狭い方がいい、そうして範囲を狭めることによって見のがしをしない、過失を犯さないといいましようか、その担当者が見のがしをしないように持っていくことが必要である、なるべく必要なスタッフを十分持つということ、それからもう一つは、同時に幾つもの
原子炉開発計画を持たないこと、ですから、
工業化本部でもできるだけ少い数の施設開発に研究調査を集中して、一つの調査研究を幾年もの間やつて研究と経験によって
安全性を保証するように努めている、それからもう一つの点は、これは
原子力の災害に対する重要な立法に際して最も重要なことであるがという前置きのもとに話をして下さいましたのは、法律に基いて
原子炉の
安全性を検査する熟練した科学技術者をどうして見出すかということである、炉の設計図をチェックできる技術者というものは、
イギリスは今日相当たくさん持っておりますが、しかし、実際に運転する
原子炉の
安全性を検討できる
専門家となりますと、十分というわけにはいかない、従って、結局
原子炉を建設する技術者と、法律に基いてこれを検査する技術者とが同一人になりかねないという問題がある、これはやはりまずい、チェックの関係からいってもまずい、ですから、法律に従って
原子炉の
安全性を検討する技術者、実際に安全に運転する
原子炉の
安全性、それを検査する人と、設計をする人あるいはそれをチェックしていく人は、実は別個の者であることが最も望ましい、こういうことでございました。こういうことは、これからいよいよそういう問題が現実化していくわが国にとりましても、大へん重要な注意点でなかろうかと私感じて参つた次第でございます。
大体
イギリスではそういうことでございますが、
イギリスの考え方といいましようか、全体を通じての考え方は、
イギリスは経験主義に基いて一歩々々前進をしている、こういう感じを受けたのでございます。先ほど言いましたように、そう観念的に先走つてどうのこうのということではなくして、経験に基き、その経験を積み重ねるという形で一歩々々前進をしておる、こういうふうに考えたのでございます。それから、もう一つ気づきました点は、
イギリスのいろいろな施設を見ますと、特に
ハーウェルの
研究所なんかでもそうでございますが、かなり旧式の機械とか施設が一方ではあります。むろん最新式の施設もありますが、それと並んで、かなり旧式のものがそのまま残つております。たとえばアイソトープのハンドリング・ルームなんかでも、マジック・ハンドでこれを操作する。あの鏡に写してやるのと、直視してやるのとあるのですが、それが両方ともある。それで、どうしてこんな古いものを残しておくのだといって、私、係の人に聞きましたら、しかし、今でもこれは使えるのだよ、こういうのです。このことは、
イギリスの工場を見ましても、そういう感じを私は受けた。非常に新しい機械もありますが、古い機械もやはり使つておる。使い得る限りは使つておるというのでしょうか、そういう点は、
原子力の研究の施設につきましても同じ考え方でやつておるものと思われた。この点は、私非常に印象深く見て参りました。それから、もう一つ第三の点としては——これは私
イギリスに長くいたわけでもなく、またたびたび伺つたわけでもないのですから、ただ感じとしてでありますけれども、AEA、
ハーウェル、
リズレー、
中央電力庁など、これらのいろいろの組織機関が、
原子力の
平和利用促進を一体になってやつておるという感じを非常に強く受けました。たとえば
リズレーで、あそこの比較的若い人々と昼食をいたしまして、このときはかなり腹蔵なく話をした。先方の
イギリス人もいろいろ日本に対して非難がましいと申しましょうか、不服といいましようか、そういったものもどんどんぶちまけてくれました。この席上で、あなた方はそう言うが、一ぺん日本の事情も見てもらいたい、あるいは注意もサゼスチョンもいただきたいから、日本にあなた方来たらどうか、日本に来る可能性があるだろうかと聞きましたら、それはむろん可能性はあるけれども、それはAEAで聞いて下さいというのでございます。つまり、決して分を越えない、しかし、その分野その分野、自己の引き受けている分野においては一生懸命やつているという感じを受けたのであります。それから、保険の点で
シルバーサイドさんに会いました。いろいろな点が多少わかりましたけれども、保険のレートにつきましては、一体どのくらいのレートにするのか、あるいはレートがどういう要因できまつてくるか、別個の、特別の
原子力保険というものはレートは一体どういうふうなことできまるか、あるいはその標準がどこにあるだろうかということをいろいろ聞いてみましたけれども、結局、それは今の段階では申し上げることはできないといって、どうしても私は聞き出すことができませんでした。そのほかは、保険のプールをしていく、このプールには
アメリカを入れるとかいろいろありますが、そう大して重要とも思えません。
イギリスは大体その程度にして、あと
フランス、ベルギー、ドイツというふうに参りましたが、これらの各
原子力庁または
原子力委員会に参りましてお話を聞きました点は、一つは燃料をどうするか、災害の補償の問題はどうなっているか、それから今後の開発方針はどうかという三点であります。それで、私大体
ヨーロッパ大陸の諸国——
フランスは多少違つておりましようけれども、それでも
イギリスと日本ほどの開きはないと思いますので、大体
ヨーロッパ大陸諸国においては、日本とおつつかつつに
原子力平和利用に関するスタートを切つた。その意味から言うと、いわゆるレッス・ディヴェロープド・カントリー、比較的おくれて発展をしつつある国である。ですから、こういう国々が一体原子燃料をどういうふうに考えておるか。燃料は、
フランスを除きますと、ベルギーにもコンゴがございますが、イタリアとかドイツなどにはない。そういう国は燃料をどうするつもりであるかということ、それから開発方針としましてどういうふうに考えておるだろうかということを聞くことが参考になると思いましたので、そういうところに問題を集中いたしまして訪問をして参りました。
最初
フランスの
原子力庁に参りましてその問題を聞きましたが、補償の問題については、まだ十分自分の方では考えていないという話でございます。もっとも、方針としては保険というふうなことになるだろうけれども、まだ十分考えていない、結局、それは民間の会社が炉を持つようになりますのはまだ数年後のことであるから、今そう急いでどうということは考えなくてもいいように思っておるという話でありました。それから燃料は、
フランスは自国内で相当できますので、供給政策という問題は大した問題ではない、ただ、
濃縮ウランの使用という問題は、今のところはまだ考えてないという話をしておりました。それから、開発方針につきまして特に私
フランスで感じましたのは、
フランスの
原子力の、特に動力の開発方式はユーラトムのタームでやっていくのだ、むしろ
フランスはユーラトムのナショナリティというものが確立されることを非常に希望しておるのだ、こういうことを申しました。これは、私
イギリスでもユーラトムと
イギリスとの関係につきまして若干話を聞いておりましたが、
フランスに参りまして
フランスの
原子力庁の方が、ユーラトムのナショナリティというような言葉を特に使
つたのでありますが、このナショナリティということを言われたので、相当びつくりしたのであります。行くまでは、ユーラトムというものは——むろん設立されているということは知っておりましたけれども、そんなにユーラトムの機関というか、組織は活動ができなかろう、あるいはできるにしても、急にはできなかろうというふうに考えておりましたが、
フランスでいきなり、このユーラトムのナショナリティで
自分たちは動力の開発を進めていくつもりだ、こういうふうに言われたので驚いたわけです。この驚きは、ブラッセルの
原子力委員会に行って同様の開発方針を聞いたときも、やはりベルギーの
原子力開発はユーラトムのタームで行うつもりだ、そうしてコンゴ領に出る鉱石は一九六〇年になりますと米英との協定が切れるから、それから後は、このコンゴ領の鉱石は全部ユーラトムでこれを処理するつもりだ、こういうふうに申しました。日本ももしユーラトムからの許可を得るならば、コンゴ領でできるイエロー・ケーキを買い取ることもできるだろう、こういうことを申しておりました。私が
アメリカから
ヨーロッパに渡る前日でございましょうか、
ちようどニューヨーク・タイムズに出ておりました
アメリカとユーラトムとの
原子力平和利用に関する一般協定の、内容じゃないですが、内容はまだ発表されておりませんでしたけれども、夕刊紙にそれの推測記事というよなものが載つておりました。とにかく、そういうものがいよいよ
アメリカの譲歩によって成立したのだという記事が出ておりました。譲歩した点は査察の点である、インスペクションの点であるということも出ておりました。けれども、その案文は全然わかりませんでした。ブラッセルに参りましたときに、大使館の方にそのことを——ユーラトムの仮事務所がブラッセルの郊外にありますので、そこで手に入るまいかと聞きましたら、それは実は数日前に手に入
つたので、その案文を外務省の方に送つてあるという話でございました。このことは、一方から申しますと、
アメリカはユーラトムというものを国際協定の相手方として認めておるということでございますから、ユーラトムというものも、その意味から申しますと、相当国際協定を結び得る独立の一つの存在をここに持っておるということでございます。これは非常に重要なことであると考えなければなりませんが、それが、
ヨーロッパへ行ってみますと、事実
フランスもベルギーも、みなユーラトムの条件で開発を進めていく、こういうふうに言っておるわけであります。このことは、ドイツに参りましても、またイタリアに参りましても同様でありました。ドイツでは
原子力庁次長のシュヌアーさんにお目にかかりまして、実はこのシュヌアーさんと午餐をともにいたしたものでありますから、かなりざつくばらんな話をいたしたのでありますが、われわれが
アメリカと一般協定について折衝しているときに、あなたの方はあとから出てきて、
アメリカの言いなり次第の条件でというか、
アメリカのすでにでき上っているパターンをそのままうのみにして米独一般協定を成立さした、それでわれわれと
アメリカとの交渉は非常に困
つたのだということを申し上げました。一体あなた方はインスペクションの問題をどう考えているのかと聞いてみますと、そのインスペクションの問題が非常に政治問題である、しかし、われわれはこのインスペクションについてもそうであるが、ユーラトムと
アメリカとの協定の規定に置きかえるつもりである、米独の間に一般協定ができて、このパターンから申しますと、結局日本が
アメリカと結んだのと違いないのですが、しかし、ドイツはそのインスペクション等につきましては、ユーラトムと
アメリカと結んだ協定に置きかえるつもりだ、こういうのであります。従って、インスペクションは、
アメリカのインスペクションを直接受けることなくして、ユーラトムのインスペクションを受ける、もっとも、スタンダードは
アメリカとユーラトムとの間できめたスタンダード、まあ
アメリカの示したスタンダードといってもいい、シュヌアーさんはそう言っておりましたが、その
アメリカのきめたスタンダードを実施する機関としては、ユーラトムが実施するという形で現実のインスペクションが行われるのだ、こういうふうに考えておるので、自分の方にはそういう政治問題はないのだ、こういう話でございました。
さらにイタリアへ参りまして、イタリアの開発方針につきまして先の会長さんの話を聞きましたときにも、また
原子力災害の問題を聞きましたときも、すべてユーラトムのシステムで自分のところはいくんだ、だから
災害補償め問題も、一国でどうということでなくて、ユーラトムでその問題を考えていくのだ、こういう話でございました。私が
ヨーロッパを回りまして、六カ国の中でオランダとルクセンブルグは回りませんでしたが、あとの四つの国々の話から申しますと、日本と大体同じ時期にスタートを切つたこれらの諸国は、開発方針としてはユーラトム・システム、ユーラトムの体制で開発を進めていく、また、補償の問題もこのユーラトムで考えていく、こういうような意向が強く現われていたのであります。ですから、その点から申しますと、
ヨーロッパの諸国はおくれた出発はしておりますけれども、六カ国がお互いに協力をしてやっていくという体制を整えているのでありまして、また事実、もう
アメリカとはユーラトムの名において協定を結ぶことに成功しておるわけです。それでありますから、これらのおくれて出発した国々は手を携えてやっていくことができる、こういうことが一応考えられたわけでありますが、そうしますと、それとほとんど同じ時期にスタートを切つた日本は、一体どうなるのだということを強く感ぜざるを得なかったのであります。
そこで、この日本の問題を考えますと、どうしても国際
原子力機関をたよりにすることになるというので、私ウィーンにかなり期待を持って行つたわけであります。ウィーンの国際
原子力機関のコールさんが
ちようどアメリカにお帰りになっておりましたので、直接事務局の方にはお目にかかりませんでしたが、古内公使あるいは藤岡君に会いましていろいろお話を聞きましたところ、
原子力機関が急に動き出すということはなかなかむずかしい、むろん徐々に発展はしつつあるけれども、しかし、かなりゆつくりした発展であるということであります。この国際
原子力機関に来ておりますオフィサーの中には、国際連合から移つてきておるオフィサーもおるそうであります。これらのオフィサーの考え方は、とにかく国際機関ができて、それが一応の働きを始めるまでにはまず五年はかかると考えてもらわなければならぬ、そういう考えを持っておるそうでありますが、これに反しまして、国際
原子力機関の役員といいましようか、メンバーといいましようか、オフィサーになっておる科学者たちは、早く国際
原子力機関としての機能を果すようにしなければいかぬというので、かなりあせつておるそうであります。しかし、何といいましても、この機関は国際機関でございまして、各国のいろいろな利益が対立もしておりますれば、なかなかうまく一致しない点もある、従って、このサイエンティストの希望するようには、なかなか事態が急に展開しない、やはり今の国連から来たオフィサーたちの見ておる、徐々に動いていくという動き方をしておると見なければなるまいという話でございました。しかし、それにつきましても、この機関をなるべく早く発展させるためには、この機関に対してある具体的な仕事といいましようか、それを与えることが必要だと思う、
ちようど日本からは、私が行くよりも数カ月前でございましょうか、イエロー・ケーキを国際
原子力機関から分けてもらえるだろうかということを、まだ正式ではないのですが、内々向うの意向を聞きただす意味で先方に伝えたそうでありますが、そうしますと、コール事務総長初め
関係者は非常に喜びまして——イエロー・ケーキを分けてくれという一つの申し出がありますと、その申し出に従ってこの国際
原子力機関は何か動きをしなければいかぬ、この
原子力機関が動くということになりますと、イエロー・ケーキという燃料材料を分けるにつきましては、やはり一般的な基準、規則とか方針とかいうものを作らなければならぬわけです、個々のケースではありますけれども、個々のケースとして取り扱うわけにはいかない、やはり一般原則を作らなければいけない、そういう一般原則を作ることがこの際非常に必要だ、ことにこの燃料を分けるということは、この機関の非常に大きな使命になっておるわけですが、その使命を果すべく、一つの申し出が現実にあったということになれば、どうしても
原子力機関は一般原則を早く作るというふうに動き出さざるを得ない、その意味において、ここに具体的なオファーというか、申し入れがあるということが必要だ、ところが、日本から内意を探るという意味において出てきておつたイエロー・ケーキの申し込みも、いつの間にか立ち消えにな
つたのは非常に残念である、こういうふうなことを申しておったのでありますが、まあ、この点は私非常にわかると思います。ところが、この国際
原子力機関に対して現実の申し入れをし得るような国がどこにあるかということを考えてみますと、やはり
原子力平和利用がある程度発達した国でなければならぬし、また非常に進んでおる国、英、米、ソというふうな非常に進んでおる国は、むろん申し出をするはずがない。非常におくれておる国も、今はまだ、たとえば燃料を分けてくれというようなことを申し入れる段階ではない。ですから、ある程度発達をしておる国といたしますと、
ヨーロッパの諸国か日本か、インドも入るかもしれません、そういうふうな国々に限られる。ところが
ヨーロッパの諸国は、先ほど申しましたように、ユーラトム・システムでやつていこうということになっておりますから、これはちょっと今国際
原子力機関に対して申し入れをするほどのことはない。少くともその必要はないように思われます。そうしますと、結局日本かあるいはインドか——インドも入れていいと思いますが、そういうふうな国々から何か具体的に国際
原子力機関に申し入れをするというふうなことがなければ、やはり国際
原子力機関の活動がそう急速に展開するというふうには考えられないということになるのじゃないかと思うのです。このことは国際
原子力機関を日本としましてはたよりにする必要がある点から申しましても、国際
原子力機関が一日も早く発展して、その活動を全面的に開始するように希望するわけであります。しかし、それをするのには、この国際
原子力機関の発展を促進するような動きを、よほど日本自身が示さなければいかぬじゃないかということであります。ほかの国がやることによって
原子力機関がやがて早く発展をするであろう、それを期待して、日本がこの国際
原子力機関に対して消極的な態度でいたならば、なかなかこれはそう急速な発展はないだろう、こういうふうに実は考えられたわけであります。まあ、最近日本では、この国際
原子力機関に対しまして
天然ウランを幾らか分けてほしいというふうな申し入れをしたらどらか、こういう機運も動いてきておるのでありますが、これは大へんけつこうな話じゃないかと私は考えております。
補償の問題は、
ヨーロッパ大陸の諸国は、まだ実はその構想も非常にラフな構想で、まだ責任を持ってお話ができるような構想さえもないという話でございましたが、まあしかし、
フランスにしても、ドイツにいたしましても、ある程度の構想は持っておるようでありまして、大体がみな
原子力の保険ということ、またその保険も保険プールを作る、そのプールは、先ほど申しましたように、ユーラトムはユーラトム諸国でプールを作る、そのプールの中に、資金の関係、保険引き受け能力の関係からいって、やはり
イギリスとか
アメリカを引き込まなければなるまいというようなことが言われております。それからドイツの方では、保険のほかに、なお国家の補償ということも考えておるという話ですが、シュヌアーさんは、国家の補償ということも必要であろう。それじや、その補償額をどのくらいに考えるかということを聞きますと、冗談だったと思いますが、自分は五億マルクと考えると言うので、五億マルクというのはどうしてはじき出したのかと言いますと、それは、
アメリカが五億ドルだからドイツは五億マルクである、こういうふうなことですから、そらまじめにこれを受け取るというわけにも参りません。しかし、国家補償のことを多少考えているということは言えるかと思います。
それからイタリアに最後に参りまして、イタリアではセンの総裁マッティニーさんにお目にかかりました。
ちようど国際入札が済んで、これからいよいよそれの審査が始まるという直前に行つたものでありますから、センの総裁マッティニーさんは大へんこれが御自慢でございまして、国際的なエキスパートが集まつた審査会によって、
イギリス、
アメリカ、カナダ、
フランスあたりから出てきておるこの発電炉が、今日の段階では経済性と
安全性の点からいってどれがいいんだということが、国際的な規模で実はきまるんだ、これは、いわば世界的に重大な決定であるというふうにマッティニーさんは申しました。そして私に向つて、あなたの国では
イギリスの炉を買うようだが、もしこの結果と反するようなことになつたらどうするんだというふうなことを、笑いながらですから、むろん冗談ですが、そういうことを言っております。つまり、それほどこの国際入札に基く炉の決定というものが世界的な意義を持っておるのだということを誇示するというのでしょうか、自慢する意味においてそういうことを言つたと思いますが、そういうふうに、これを非常に大きな問題として考えてお
つたのであります。
これで一応各国を一わたりいたしたわけですが、結局、視察をしたり、先方のいろいろな人にお目にかかって話を聞いたりした感想は、この
原子力平和利用については、基礎的な研究を非常に力強くやつておるということが一つ。それからもう一つは、その
平和利用について非常に熱意を持っているといいましようか、これをどうしても促進しなければならぬという考え方をしているということ。この点を非常に強く印象づけられた次第でございます。しかし、それにしましても、これを日本に当てはめて考えてみますと、日本の方は何といいましようか、観念的に少し先走つている。そして推し進めるべきところの推し方が足りないのじゃないか、あるいはそういうふうな感じを非常に強く受けました。こういうことにつきましては、持って帰りました材料等をよく調べまして、そして文書をもって
報告書を提出いたしたいと考えております。
大へん長い間時間を費しまして申しわけございません。