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戸叶武君 この問題に
関連しまして……。今、
松本次官が農林省の方に当ると言われておりましたが、農林省に当る前に
外務省の体勢を整えなければ、当っても効果がないと思うのです。今の
外務省のやっているところの移民政策は、率直に言って、戦前の移民屋さん、と言っちゃいかぬが、移民
関係の残党を組合した形であって、新しい形における移民体制というものが、失礼だが、確立されていないと思うのです。私は三年間続けて
アメリカを尋ねるたびに、サンフランシスコからロスアンズエルスに至る一帯を、自動車旅行その他をしまして、この移民
関係も調べて参りましたが、一番最初に、前に曾祢さんが言ったような、ウォーレン加州知事が問題にしているのは、大体レヒュジーの難民救済の形で、
農業労働者として受け入れた段階のことかと思います。その問題と、それからこの
農業実習生
——那須さんなんかのたしか
農業実習生の問題、この短期
農業労働者の問題とがありまするが、こういうレヒュジーの
人たちを、難民救済を受け入れたときから問題は深刻にあったと思うのです。
一九五六年の九月に、いやそうです、私がサンフランシスコでもって講演会をやりましたときに、その席上において、当時今来で問題になったところの川崎キャンプ逃亡事件というのがあり、
日本の朝日
新聞でも大きく二、三回報じておりましたが、その中心人物が二人ほど尋ねてきまして、つぶさにこの川崎キャンプの事件の真相というものを泣いて伝えました。そこで当時の総領事館に行って総領事と折衝しましたが、総領事はひた隠しに隠して、真相を知らしてくれません。私はそれよりすぐ前に事実の真相は詳細に大体わかっておったのでありますが、その席に隣の部屋にいた
海外協会の人に、別個な今度は会見をやって聞いてみると、その人もよく知っているのです。総領事が知らないはずはないのです。非常にひた隠しに隠している。しかも、その言うところにおいては、あの逃亡した人間は共産系の人物だというようなことを暗示する始末でありますが、これなんかを見ましても、移民なり何なりを
向うへ送ってしまうと、総領事館はほとんどかまわない。
現地をたずねることもしなければ、どうして
現地を見舞わないのだと言えば、自動車がない、ガソリン代もろくにくれられていない。これは至る所で聞く悲鳴です。事実また、
外務省は非常に頭のいい
人たちばかりそろっているけれ
ども、大蔵省と折衝して金をとるなんてめんどうくさいことをやるような人はあまりいないので、お坐なりの仕事きりやっていないから、いつまでたっても
外務省の外地における活発な仕事などというものはできないというのも事実でありましょう。
そういうようなので、しかも、キャンプ事件の真相を見ましても、中間におけるところの
日本人の一世、二世等のブローカーが、相当のひどい搾取をやっているのであります。古いバスの、非常に、あんなボロなものは
日本でもないようなもので、小さいキャンプに押し込んでいく。そうしてまかないをやる。そうすると、そういう真相がわかるのは、
日本人の青年にまかないの仕入れから、まかないまでまかせる。五十セントくらいの原料でもって二ドルくらいとる。そういうようなピンはねをやる。それから事実上至る所に、
労務者をあっせんした場合においては百ドルないし百五十ドルくらいの手数料をとっている。これは
農業労働者というものがどこへ行っても足りないのです。ですから、そういう習慣というものがあるのです。それから、
日本に来ましても、和歌山、広島等においては選考のことを曾祢さんが非常にやはりうるさく言いましたが、選考に非常に情実が加わる。非常な物品上のいろいろな問題まである。そうしてボスに結びついて相当の運動をやった者が、選考の中へ入っていく。それで
農業労働者としての
責任者や何かという、実際はそういう運動の上において効果の上ったものが行くというような、選考に対して非常にルーズなことがやられている。失敗すると、そういうことが
あとで問題になると重大な問題だと思いますが、あれは共産党なんだのと、和歌山県の青年も言っているような始末。
こういうことはその場のこととして
処理できるかしれないが、しかし、この朝日
新聞に、
新聞に載せないでくれといって、これは
外務省側から折衝したのは、やはりそういうようなことで記事を載せないでくれというようなことを言ったそうですが、全くこれは
日本の
政府なり、その
関係者の不見識から来ているのだと思います。しかし、その当時その問題を大きく取り扱うと、非常にセンセーショナルに
アメリカにはね返ると思いまして、私は遠慮して、非公式な形であるが、当時の移住
局長その他に警告をやりました。やってもきかないんです。
外務省の
人たちは聡明であって、謙虚な形において他からの話を聞くというような考え方はあまり持ち合わせていないんです。農林省なんかも、この問題においてはもう前々から
外務省に対しては憤りを持っております。これが古い時代の、戦前における拓務省と
外務省、
外務省と農林省、この満洲
関係の移民の問題でもずいぶん悲しい歴史があるんですが、今なおそれは消えていないんです。なわ張り争いをやっているだけで、親切な形において
日本の移民の問題と取っ組んでいない。
しかも、この
農業労働者の問題でも、ちょうど一九五五年の正月に、今ベルリンにいるであろう法眼君が総領事をロスアンゼルスでやっていたじぶん、私は
アメリカ側の
農業団体なり何なりに折衝いたしまして、
カリフォルニアにメキシカンの八万五千人からのもののせめて一割、一割といかなくても、五分でも
日本人を迎えられないかというようなことを、非公式ながら方々飛び歩いたこともあるのであります。いろいろの形で、
国務省のマーフイ氏やいろいろな
人たちの好意によって、年に一千人くらい入れられるところまでいったのでありますが、来た連中というものは、五人とか十人程度の分散した、これはまだ農家の家庭的な雰囲気の中において人間的なあたたかい待遇を受けているので、ノイローゼにはかからないようでありますが、去年あたり行って、
カリフォルニアのキャンプの集団的な
農業労働に従事している者をたずねた
人たちの報告によると、非常に殺風景な生活で、何らの慰安もなく、何らのそこには情味もない。全く青年たちが
日本で想像する農村と違う。前に曾祢さんが
指摘したような、オーバー・ワークな仕事に従事していながら、ほんとうに疲労困憊に陥っているというようなことも聞きましたが、そういうことに対して、総領事はそれらにあたたかい手を差し伸べるだけの自動車も、ガソリン代もないらしくて、ほんとうに
アメリカに入った同胞というものに対する親切なめんどうはあまり見ていないようです。
今のロスアンゼルスの総領事なんかは、代々、比較的いい人が行っておりますが、サンフランシスコの前の総領事なんというものはひどいものだったと私は思うのです。昔の代官のような考え方で、戦前にああいう習慣をつけてしまったから、なかなか抜けないのだといって、
日本の一世や二世の人も嘆いておりましたが、それに、戦前は一万二千エカーからの農地を持っていたたとえば甲府田
農場の甲府田さんや、その他いろいろな有力者もおりますけれ
ども、この
人たちに何ら相談もしない。また、そういう
委員会なり何なりを設けて、そういう
農業労働者たちにおいても、先に入った
カリフォルニアにおける開拓者との結びつきということも、あまり考えていない。そしてほうりっぱなしだ。こういう移民政策が続けられる限りにおいては何らか私はいっか不祥なことが起きるのじゃないかという憂いを非常に持っているのです。
それから、短期
農業者だけでなくて、この
農業実習生の、
日本に帰ってきてからはいい評判だけを聞いたが、ずうっと
アメリカの農家なり、
アメリカ人に会ってみると、あまりいい評判はない。ただ見物に来たので、働こうとか研究とかの意欲というものを持っていない。これは
アメリカを見るだけであって、この
アメリカの大規模な
農業を持ってきても
日本じゃ一つも適用しない。私はむしろデンマーク、北欧あたりを見たいのだが、そこは行けないから
アメリカに来たまでのことだというような、投げやりな態度です。これではいかぬと思って、この
人たちとも会いまして、接触を持って、幾たびも面会もしました。ところが、さっき曾称さんの言った、飛行機をおりたときの風景はもっと派手で、アロハのシャツを着て、カメラをぶらさげて、そうしてたばこものみほうだい、酒も飲みほうだい。
アメリカの青年はもっさまじめです。真剣です。何か農村における有閑階級の、ヨタモノの世界旅行というような感じをほうふつさせるような情景を見たときに、ほんとうに涙が出ました。一体だれが選んで
アメリカに送ったのか、だれが教育し、だれが訓練して
アメリカに送ったのか、そこの
責任の所在を僕らははっきりしなければいけない。
しかも、外地のことは、移民の問題は
外務省のことだ、農林省はあまり出てもらわないように。
海外協会その他でも、
外務省の外部
団体的に各県に作ったけれ
ども、その作り上げ方と運営の仕方にも幾多の疑念がある。私は、こんな形にすると必ず問題が起きると思うのだが、もっと具体的な事例をあげろと言えば、もっと具体的な事例をあげますけれ
ども、
外務省はこのような移民政策を何ら反省することなく、今後も継続していくつもりですか、私はこのことをお聞きしたい。