○
担当委員外委員(大谷贇雄君) ただいま大川先生からお尋ねがありました問題に関連をいたしまして、この際御質問を申し上げたいと思います。実は、栃木県の佐野市の問題につきましては、私も
関係者の一人で、原告であります。そこで、昨日当
委員会におきまして裁判所の総務
局長さんに出てもらいまして、一体裁判がかように三年間に遅延した、また、ただいま
お話がありましたように、芦田先生のごとき、元総理として、また、
国家に非常な枢要な働きをなしてこられた、この方の被疑事件が十年間もそのことにかかっているというようなことは、
国家のためにも私はまことに遺憾千万である。どのくらい新日本の再建のために力尽しをいただける十分な、十五分、二十分の才幹をお持ちの方が、個人といたしましては十年間も憂いに閉ざされたる御生活をしておられた、
国家としても非常に損失である。従って何がゆえにかくのごとき事件が遷延をされておったかということをお尋ねをいたしたところが、非常にむずかしい事件であって、その書類等の作成にも、また、調査にも非常な時日を要した。しかも判事が足らぬということでありまして、その点につきましては、私どもも判検事の方の非常に少いということについて、これはもっと増員をしなければならぬじゃないか、われわれもまた、
国会として御協力を申し上げるのだということを、実は昨日申したことであります。実は、佐野の問題は、御
承知の
通り、前代未聞の再選挙が行われたのでありまして、当時二十八年の四月の参議院選挙におきまして、宇垣元大将が第一位で、私は第五十位の六年議員の一番どんじりであった。そこで私に続く人は八木秀次、天理教の柏木庫治、楠見義男君ということでありました。ところが、佐野市の市役所の選管が次点で落ちました、今、
国会に出ておりまする平林君を、日本社会党と書くべきものを日本共産党と書いた、これはわずか一時間そういうことが四十カ所の佐野の標識にあったわけです。そこで発見をして、すぐに書きかえたわけです。ところが、平林君は、こういう共産党と書かれなければおれは当然当選したのだということでもって、従って、全国区選挙は無効である、こういう訴訟を起したのでございます。そこで、これは大へんなことになるわけです。宇垣一成さん初め、全部当選した人、横川政務次官さんも全部これはだめになってしまうというような事態に相なったのでございます。ところで、従って、せっかく当選を、
国民の負託を受けて私どもは当選したものを、もしそういう選挙は無効であるという訴えが可能であるとするならば、せっかく
国民が負託をしてくれたこの
国会議員の諸君が失格をしてしまう事態になるのであります。選挙のやり直しをやらなければならぬ、こういう無効であるならば選挙をやり直さなければならぬ大事件でございます。おそらく日本始まって以来の、宇垣一成初め五十三名の者が全部再選挙をしなければならぬ、失格するのであるということであれば、これは大問題である。そこで
国会におきましては、佐野の三万票の票数をそろばん勘定をはじいて、もし再選挙になっても影響をしない者はそういう場合にはやらぬでもいい、そうしてそれに抵触する者はやるのだということを、これば
国会できめて、私どもは非常に抵抗しました。そんなあほうなことはない、そんなことをきめるということは、裁判所が判決を有利にするような形になるじゃないか、そんなあほうなことはないというて、関根久藏さんも私も八木さんもみんなこれは反対をしたけれども、これは多数に押し切られてしまい、とうとうそういうことをやっておる。そこで、一年半私どもは当選したかせぬかわけのわからぬ状態に置かれてしまっておる、その間の苦痛というものはほんとうにそれは何ともかとも言いようのない実は苦痛を帯びたのであります。しかもその中におきましても、私のごときはたったあの佐野で八票よりもない、何も縁も何もない行ったこともなければ、聞いたこともない、佐野の源佐衛門の鉢の木の所かしらぬと思ったくらいで、何も知らぬ、万が一選挙無効であるということになって再選挙せんならぬということになったら、そんなものはあきまへんわ、カッパがおかに上ったようなものだ、えらいことになったものだということで、横川先生よく御
承知でございまするが、何ですか、ほんとうに苦しみ続けました。私どもの弁護士の牧野良三先生なんかは絶対そんなあほうなことはない、裁判所がそんな無効な判決を下すはずがない、良識があるのだから、そんなことはないという言葉にわずかに慰められてきたのでありますけれども、しかし、その不安というものは絶えず脳裏につきまとうて実はおった。ところが、
最高裁判所はついに全国区選挙無効であるという判決を下されてしもうたのであります。ほんとうは私どもは全く天を恨んだのです。かくのごとき、大岡越前守であるならばさようなことはなかったであろうにと恨んだのでありましたけれども、仕方がない。一たん判決を下された以上は、これは仕方がありません。天の命やむを得ざるものと観念をしたのでありますが、そんなところで選挙をしたって、ほかの方は近いところの人はあるいは徒歩の力で行くのですが、しかも私どもの所属していた自由党の佐野支部はあそこで候補者を一人立てた寺田甚吉という人を、一万票とっても当選しやしない人を立てた、奥さんが女優さんだものですから、松竹の女優さんや大映の女優さんがオンパレードで来てたくさんかり出されてきている、ほんとうに孤立無援の私どもは、何ともかとも言えぬような選挙を実は戦わざるを得ないことになった。そこでこれは天はやっぱり正しき者を知ってくれたのでございましょう、私はたった八票よりしかないところでございましたが、八は開いてしまって四千六百票をちょうだいしまして、私はずっと上に上って、まことにありがたいことだと実は感謝しておりますが、その間の苦痛たるや、まことに何ともかんとも言いようのない、ほんとうに地獄の底にぶち落されたような実は悲痛な日を送りました。万が一にも佐野市で、あの一部で、しかも佐野市の人は二重投票を使っておるわけです。二へん投票権を持っておる、こういうことは許されるか許されないか知りませんが、二へん投票権を行使したわけなんです。そこで、私どもは、選挙をいたしまして当選をさしていただいたわけでありまするが、そのときに楠見君は無言の抵抗をしました。かくのごとき、大岡越前守はいまさざるかということで、彼はかくのごとき選挙には自分は立たぬということで、そこで楠見君は立候補しなかったのです。私は楠見君の心情まことによくわかります。そこで平林君はついに当選をされたのです。というようなこと以後、関根久藏さんは御
承知の
通り、選挙違反が起つて、昨年の恩赦があるまでは、これまた実にその苦痛をなめられた。再選挙失格せずんば――私ども一たん当選したのが失格してしまったわけですから、無官の太夫になってしまった。それで出直して再選挙をやった。関根久藏さんのごときは、この間まで延々その選挙違反のために苦しみ続けてこられました。幸いに恩赦があったので助かったわけなんです。もしそういうことが行われなければ、関根さんだって選挙違反を起さなかった、これはああいう判決があったために選挙違反が起ったということも言い得るわけでございます。そこで、これは実はこの柏木天理教さんが、かくのごときことは、当然この天の理に基いてこれは
国家の賠償を要求すべきものである、一千万円か二千万円くらい
国家に対して賠償を要求しようじゃないか、この間の苦しみなんていうものは、ほんとうにたえがたいし、また、選挙管理
事務を取り扱う者の責任がいかに重大であめるかということの注意を喚起するためにも、当然これは訴訟を起すべきであるといって、発意によりまして、私どもは同調いたしまして、関根久藏、大谷贇雄、八木秀次、柏木庫治、楠見義男君、ことに楠見君のごときは失格をしてしまったのです。ああいうことがなければ当然一年有半というものは、
国会議員としての職責をもって、
国家のためにも、
国民の代表として尽し得たのであります。従って、楠見君としては無念の涙を胸にのんで、そうしてかくのごときばかなことはないということで、無言の抵抗を示してやめてしまった。一年有半の議席を持つべかりし楠見君は、ついにその席を去って、私どもは深甚の御同情を申し上げた。従って、近く総選挙が行われる、来年は知事選、あるいは県市会議員の選挙が行われます。この際において、どうしても選挙管理
事務、これはむろん手薄なんです。気の毒なんです。気の毒ではあるけれども、あやまちを犯したということに関しては、これはたださなければならぬのであって、全国の選挙管理
事務に従う
方々が、こういう
機会においてほんとうに慎重な、細心な注意をして臨んでいた。たくということが必要であるという建前と、また、これは当然こういう楠見君等に対して損害を与えたのであるから、従って、
国家としては賠償をするということがこれは金の問題でない、金でいえば、千万円や二千万円、三千万円もらったところでこの償いというものは果せないのであります。私のごときは、半年以上もその後、病気をしてしまったというようなことでございまして、
国家賠償法に基くところの損害賠償の請求の訴訟を起しておりましたところが、先ほど大川先生から
お話の
通り、また、先ほど私が申しましたるごとく、いまだに準備手続が済んだというだけであって、まだ弁論に入っておらぬというような状態でありまして、私どもは、はなはだ遺憾とするのであります。その間において、それは皆様方に申し上げることではありませんが、その間において、大谷さん、あなた取り下げてくれ、こんなこと初めてのケースだから取り下げてくれということを、自治庁の者が私に申しました。けしからぬ話です。これは他の
委員会において申しました。けしからぬ話です。また、沢田竹治郎さんは、当時政府側の弁護士でありました。その沢田竹治郎先生は、私どもの
立場を理解されまして、弁護を引き受けて下さったのです。その沢田さんは政府側の弁護士たったから、あなた不適格だと言ってやめさせようとした。その沢田弁護士が来まして話をされた。これは私どもそういうことをするということ
自体が、これが人権じゅうりんであめると私は思うが、その間の一つ人権擁護
局長さんの
御所見を承わりたいと思います。また、そういうことでありますので、私どもはこの裁判、芦田先生のことといい、かくのごとくおくれておるものが非常に多いのでありまして、むろん裁判所の判事さんたちが手薄なことはよく
承知しております。私どもは、実はこの判事さん方に対しまして深甚の感謝、敬意を表しておるわけでありますけれども、私は
国民のために、私はこの際お尋ねを一つ申し上げたいと思う次第でございます。