○
公述人(藤井米三君) 私が御依頼を受けましたのは、地方財政の見地から
昭和三十三
年度の
予算について意見を述べよということでございました。そういたしますと、どうしても自治庁の作っている地方財政計画ということがまず第一に問題となるのでありますが、自治庁の地方財政計画は近年だんだん地方財政の実数と実額が接近してきておりますけれ
ども、まだまだ私は接近の度合いが足りないと思います。もう少し財政計画を実情に合わせたものに作り直す必要がある。
〔
委員長退席、
理事剱木
亨弘君着席〕
これは計画と申しましても、地方団体をこれによって拘束し得る部分は全部ではないのでございますから、どっちかというと地方財政の見通しといったほうが性質のいいものなんであります。そういうものであればもう少し実情に近づけた方がいい、そういうふうに私は思います。
これを若干具体的な
数字で申し上げますと、
昭和三十一
年度の決算でこれを純計いたしまして、地方財政の歳出規模は一兆二千二百六十六億なんで、前
年度より八百九十七億ふえております。ところが自治庁で作られている
昭和三十三
年度の地方財政計画は一兆二千三百七十二億でわずか百億しかふえていないというような実情でございます。これをおもなるものにつきまして、人件費について見ますると、三十一
年度の決算で四千七百七十八億、ところが自治庁の計画では四千七百三十三億と、かえって三十三
年度の方が減っているというふうなことになっております。毎年人件費が二百億くらいは自然増が地方団体であるわけですから、もっとやはり全体として六百億かあるいは一千億くらいは、三十三
年度の計画は大きくなくてはいけないかと思うのでありす。こういう点でやはりもう少し皆さんの方で自治庁の方へ請求されて、実情に近づけるように指導して計画を立てるようになさったらどうかと、こういうふうに思うのであります。
それから第二に、
日本の財政は国からたくさんのものを地方へ回しまして、そうして地方で出すようになっておる。来
年度の
予算が一兆三千億、国の
予算はそうでありますけれ
ども、その中の五千億ばかりは地方団体に回っていって、国が直接支出するのは、出すのは八千億だと、こういうことであります。ですから地方団体と国とが非常に結びつきが多くて、そうして直接出す率からいえば、地方団体の方が多いので、ですから
国民所得に対する財政の規模とか、あるいはいろいろの人件費だとか、あるいは防衛費とか、社会保障費だとかというような大きな費目について、妥当であるかどうかということを大局的に判断するということになりますると、どうしても地方財政と中央の財政とを一緒にして、それの純計をとって大きく仕分けて見るということが必要なのではないかと思うのであります。そういたしますると、
政府が
提出しておる現在の資料というものが、その点において不足しておると思う。国の財政を根本的に、統一的に判断をするについて、資料が不足しておるのではなかろうか、こういうふうに思います。
そこで私は今一枚刷りのガリ版で刷ったものを皆さんのお手元にちょっと配った。これはほかのことのために特に私が作ったのを利用さしてもらっておるわけですが、その三表です、「国と地方を通ずる
経費の推定」という推定を私がやってみたのであります。こういたしますると、国と地方との全体の財政規模を推定合計いたしますると、二兆一千億という
数字に上っておる。
国民所得八兆五千億に比較さるべきものは決して一兆三千億の国家
予算ではなくて、地方
予算と総合いたしましたこの二兆一千億だと思うのであります。これを人件費と、社会保障費と、恩給費と、公債費と、公共事業費と、それから防衛費ですか、それから物件費とその他と、こういうふうに大まかに分けたのです。こういう大まかな分け方が妥当であるかどうかというのは、これは
研究問題でありまするけれ
ども、ただやはり財政問題を統一的に大局的に判断するのには、大きな費目を、十くらいですな、十以下くらいの大きな費目に分けて、この両方の純計をとって
一つやってみることが必要ではなかろうかと思うのです。これは私がやったので、もっと正確にやれば……、
民間人としてはなかなかできにくいこともありますので、もっと
政府の方で正確な
数字を立てて
提出されることが、私はいいのではないであろうかと、そういうふうにかねがねこれは、私はいつも地方財政の問題をやるたびにこの点を痛感いたしまして、何べんも私自身やっているのでありますけれ
ども、
最後になって若干費目のわからないところがいつも出てきてしまうというのが、今までの私の経験でありました。
それからもう
一つ私は資料が不足していると思うのであります。といいますのは、国の財政の中で、公共事業費ですね、あるいは住宅費、あるいは文教施設費というような、そういう
設備投資に回る部分と、
一般の
経費とは、人件費や物件費とは性質が違うと思うのです。分けてみれば片方は
消費的な
経費、経常勘定と申し、片方は
資本的な事業勘定ということが言えると思うのであります。それと国鉄とか専売とかというような、
政府の直接の
企業会計、農業
金融公庫とか、開発銀行、
輸出入銀行とかというものの
政府関係機関の
金融機関を通じて、民間に供給されるところの財政融資ですな。公共事業と
政府の直接の
企業の財政融資ですが、この三つが合さって、
政府の
企業勘定ということが言えると思います。その規模がいろいろの
企業会計、国鉄なんかの自己
資本分、あるいは開銀や
輸出入銀行の自己
資本分が非常に多くなるわけです。
一般の
消費的な経常的な
経費というものは、この意味で既定的な、そう年々変ってこないような
経費でありますけれ
ども、片方の
投資勘定といいますのは、よほど
政策判断のきくところの
経費なんでありますから、国の大きな
経済動向というのはそちらできまる。そうして
日本の官民合せての、
政府部門と民間部門と合せての総
投資の中で、
政府部門の地位というものが、割合というものが大体四割から年によっては五割を占めているというような状態なんでありますから、国会の論議もどちらかというと、今までは
一般会計の方に集中されすぎたと思うのでありますが、実際から言えばこういう
資本勘定の方に、地方財政のこともよくやらなくちゃいかんし、
資本勘定の方もよくやってもらわなければいかんというふうに私は思う。その意味でも
政府の資料が不足しているのじゃなかろうかと、こういうふうにこれもかねがね思っております。
それから地方財政の問題につきましても、これも長い間の問題でありますけれ
ども、貧乏な団体と富裕な団体、農業圏と大都市圏との財源調整の問題であります。これは平衡交付金以来相当
日本ではしめられましたけれ
ども、まだまだ私は不十分だと思うのであります。大体財政需要というものは、人口の割合に比例するものでありますけれ
ども、ところが地方税の収入の方では非常にアン
バランスが、富の処分がアン
バランスだ、
資本主義の発達というものが地域的に非常に不十分だ。たとえば東京都の税収入全部をとりますと、これは東北六県と、関東の東京と神奈川をのけたところの五県と、これに北陸四県、これに長野県と山梨県と、年によっては岐阜県まで加えたくらいの税収入があるわけであります。人口は、今私が申し上げました地域の人口というものは、東京都の三倍以上でありますけれ
ども、税収入はそういうような状態だということになっております。ですからこの財源調整の問題、標準的な行政ということを標準にして、そうしてある団体はどのくらい財源が余るか、ある団体はどのくらい財源が不足かということが調整されてしかるべきだ。地方財政交付金の制度なんかもいい制度でありますけれ
ども、まだ財源調整のし方が現状では不十分だ、ことにいわゆる神武景気以来、何が一番税収入でアン
バランスかといえば、大きな
法人税であります。たとえば青森県や岩手県の
法人税というものは、県税として三億円くらいしかとれない。ところが東京都は五十倍ぐらい、人口は東京都が六倍ぐらいです。人口は六倍だけれ
ども、
法人税というものは五十倍もとれる、年によっては六十倍もとれる、こういうような状態であります。なかなか財源調整というものは、制度的にうまくやりましても、なかなか調整が不十分だということになっておる、ですから、東京都は三十一
年度の決算でも、多くの地方団体が
赤字を出しておるのに、三十億近く黒字を出しておる。そうしてなおかつ国家公務員よりは東京都に勤めている
人たちのレベルというものは、ベースというものは二割ぐらい高いのだということになっております。それから私が数年前に計算したところによりますると、東京都の
予算面に表われたところの旅費ですね、それから費用弁償、食糧費というふうなものも、大体交際費と同じような性質のものです。そういうものを合せますと、それが
予算の表面に出ておるだけを見ましても、岩手県と青森県の県税を合せたくらい、これくらいなものになっているということになっております。それから今度は、税の徴収も東京都は非常にゆるやかで、たとえば数年前でしたか、何十億に上るというものを、なかなか滞納して納めないというので、かなり簡単に棒引きしたこともありました。そういうような事情で、税の徴収もゆるやかで、公務員のべースも高い、その他いろいろ問題になるような費目もいろいろあるというようなことで、なおかつそれだけ
年度の財源が余ってくる、こういうようなことになっているわけであります。その点しからばこれをどういうふうに調整するかと申しますると、これはたとえば数年前に義務教育費が半額国庫負担になりまして、その前は東京都なんかにはいかなかったのでありますから、東京都や大阪、神奈川県というようなところには義務教育費の国庫負担をやめるということもいいのです。あるいは税を、さっき言いましたように
法人税が一番アン
バランスが激しいのですから、
法人税の税率を国の方へ重くして、地方の方は軽くするということは、これも
一つの
方法であります。あるいは、たとえば東京都では江戸川だとか足立だとか、葛飾というような貧乏な地方区には東京都の方から区に調整金を流して、そのかわりに目黒とか世田谷とかあるいは中野とか杉並だとかというような税収入の多いところから区税を取り、上ったものを取り上げてそして財政調整をやる。だから東京とか大阪で取ったところの地方税をまた国の方に出してもらって、そして財源を豊かにして、もっと貧乏なところへ出すというふうなことも
一つの
方法であります。で、考えればいろいろ
方法があります。ところがこういうことに対して東京都の
人たちが、東京都や大都市圏には特殊な財政需要が要るのだ、民生的な失業対策費だとか、生活保護費だとか、あるいは糞尿の処理費だとかというような特殊な財政需要があるのだということを言われるのですけれ
ども、しかしそれは、民生関係は大都市に余計要りますけれ
ども、今度は、東京都には災害復旧費というものは要らないのです。それから河川の費用も農業の費用も、そういうふうなものは東京都にはあまり地域の狭いところで、大きな川もないところですから要らないのです。ですから公共事業関係というものはいなかの方に、面積が広くて人口の少いところへ、北海道みたいなところでたくさん要りますけれ
ども、人口の密集したところは保健衛生費だとか、民生費だとかというものが余計要るのです。そこらを相殺すれば財政需要というものは、人口割りになる。東京都の
人たちは、もう
一つ、つまり年々三十万人ぐらい人口が増加するから、それに伴って学校も増設しなくちゃならぬし、病院も必要だという、
設備投資が必要だということを言う、それは確かにそうなんだ。そうでありますけれ
ども、それならばいなかの方はどうかといいますと、それは病院にしろ、学校にしろ、
道路にしろ、神武天皇以来非常にレベルが低いのでありまして、そのレベルを縮めるためにどれだけの努力をまたしなくちゃならぬかということ、この間も、きのうでありますか、自分で自動車をかってヨーロッパ大陸、アフリカ大陸、それからアジアと、
アメリカと三回横断された人の話を聞きましたのですけれ
ども、民主主義が発達して政治のよくいっているところほどいなかの
道路はいいのだ、中小
企業の
人たちや農家の
人たちが便益を受けるような
道路がいいのだ、共同の施設がいいのだということをいわれる。いなかの
道路を見ることによってその国の政治がうまくいっているかどうかということがよくわかるのだということを申されたのです。まことにその通りだと思う。そいう点から申しますると、
日本の終戦後のやり方というのは、いわゆる
重点産業主義でありまして、鉄とか石炭だとか、電力だとか、あるいは肥料だとか海運だとか、いわゆる
重点産業主義でありまし
て、ほかのことはよほどおろそかにやられてきたのだ。ソ連や中共が重工業主義をとっておるけれ
ども、ある
程度それに似ているようなやり方で、その他のものは相当おろそかにされてきた。けれ
ども国力がこのぐらいまで回復して、若干余裕ができたのでありまするから、もっとこういう点でお互いが考え直さなければならぬのではないかと思うのです。もう
一つこういうことを申しますと、東京都で集まった税金を国に取り上げるということになると、これは自治権の侵害じゃないかということを東京都の
人たちは申されるのです。ですけれ
ども、皆さん、東京都というものはほんとうに自治体でありますか、人間の膨大なる集合体ではありましょうけれ
ども、しかし自治体である以上は、そこに住んでいる
人たちは共同でこの自治体をよくしていこうという意識がなければ自治体たる資格はないのです。ところが東京都に住んでいるお互いはそういう意識を持ち合せるにはあまりに膨大になり過ぎているのです。だから東京都に住んでいる
人たちは自治体意識というものはきわめて薄い。そのかわり国家意識というものはきわめて強いと思う。これは毎年々々の選挙の結果にはよく現われている。私は東京都の
人たちの判断が一番正しいと思う。ですから東京都で集まった税金が国家
目的によく使われるということを東京都の選挙民は私は考えるだろうと思う。決して東京都の
理事者や、あるいは一部の人の都合のいいようになるということを考えてはいないのではないか。財源調整の点については東京都に住んでいる
人たちは私は賛成だろうと思っておるわけでありますが、現に東京都自身が、さっき申しましたように特別区の中野区とか、あるいは世田谷区の区長さんなんかに言わせると、東京都というものがだんだん区でやっている
仕事を取り上げて、区税なんかを取り上げて、そうして多くの自治権というものを侵害してきているのだということを切実に言われるわけなのであります。東京都自体が現にそういうことをやっている。今度は東京都から国の方で何かすると、それは自治権の侵害だというのは大へんふに落ちぬ議論ではないだろうかと私は考えるわけであります。
それから第四番目に申し上げたいことは、これは
最後でありますけれ
ども今各地方団体で、たしか木下大分県知事が最初におやりになったのが先べんだと思うのですけれ
ども、地方団体で敬老年金というのが、どちらかというと今はやりものになっていて、どこでもやられている。だんだん盛んになりつつあるということなので、非常に歓迎されていて、どこでも大へん喜ばれているということ、東京都でもそれを考えられているということで、私も大へんうれしく思っているわけであります。それだけにやはり国家として早く今問題になっているところの
国民年金制度を作らなければいけないという機運に私はきているので、
政府は
昭和三十四
年度からやるということを声明されているので、これをぜひ申しわけ的でなく、実質的にやっていただきたいということを私は
一つ希望したいと思うのであります。そうしてその内容といたしましては、どうも年金というのは、これはイギリスから始まりましたものですから、イギリスでは
国民の九割が被用者、月給取りでありますから、月給取りは掛金をすることが楽でしやすいのです。だからどうもこういうことを考える
人たちが掛金主義になりやすいところがあるので、これは
日本では大へん工合が悪いのではないだろうか。
日本ではまだまだ中小
企業者や農家の数が多いので、ああいう
人たちは掛金をすることがなかなかむずかしい。金はないというわけではないけれ
ども、掛金をすることがむずかしいということがありますので、ですから掛金した部分もありまするけれ
ども、一定の
基本額については掛金しないで、無醵出制で、一定の
基本額だけは
国民のすべてに上げるという、たとえば六十五才以上の御老人の方に全部上げるという制度が
日本の事情に私はふさわしいと思うのであります。つまり無掛金主義、それになお掛金したい人は、醵出したい人は醵出さして老後にもっともらえるように用意すればいいのでありまして、とにかく一定の
基本額については無掛金主義ということがやはりいいんじゃないか。その財源をどうするかといいますと、たとえば社会党ではそれを資産割り、所得割り、平等割りと、今の村の
国民健康
保険の制度と同じようなことを考えておりますけれ
ども、資産割り、所得割りという算定がまた非常にむずかしいと思う公平に査定するということが狭い
一つの市町村でもなかなかむずかしいのでありまするから、これを広く全国に及ぼして公平に査定をするということが、これはなかなか私はむずかしいと思う。特別な社会保障税を取れということもありまするけれ
ども、しかしながらあとで申しまするように、今では所得税を納めていない人が
国民の三分の二以上にもうなっているわけでありますから、そのすべての人から所得を査定して社会保障税をとるということも、査定の問題で非常にむずかしいのですから、そういうふうに掛金しないでも、また特別な社会保障税をしないでも、その一定の
基本額だけは
国民のすべての人に、つまり今の税金全体を原資としてやる。ちょうど軍人恩給のそれと同じように原資の——元本はそれと同じようになりますが、それは私は
日本の事情にふさわしい。お互いがお酒を飲みましても、たばこをのみましても、私
どもやはり養老年金税を納めているのだという
考え方が私は
手続からいっても、事務からいっても一番簡単だし、また
日本の実情に一番よく合っていると思うのであります。それから今度は受ける人、これを所得によって職業の区別はむろんしてはいけないし、男女の区別もむろんあってはいけませんけれ
ども、所得の区別をするかどうかということです。これはこの方面で一番先進国であるスエーデンでもこれを始めるときに問題でありましたけれ
ども、結局やはり
基本額については、そういう差別をしないということになっているようであります。で、私はやはり
日本でも差別をしないことがいいんじゃないか。社会党の案を見ますると、現在もう掛金する余裕のない六十五才以上の人に対しては十八万円までは、一家の総所得が十八万円までが二千円だ、十八万円をこえて三十六万円までは一千円だ、次に三十六万円以上は上げないということになっておりますけれ
ども、そうしますと、十八万円以下と、ちょっと十八万円をこえたところでえらい相違になる。また三十六万円をちょっとこえたところとこえないところではえらい相違だということになります。だれが正確にこの人の総所得は十八万円であり、この人は三十五万円だということを査定することができるか。これは今の所得税徴収の実情から見てとてもこんなことはできっこない。ですから、やはり一定の
基本額だけは貧乏な人にも金を持っている人にも差し上げるということが私はいいんじゃないか。そして金額としてはだんだんこの方面の皆さんの御意見で今そういうふうになりつつあるようでありますけれ
ども、この際月額二千五百円、年間三万円
程度のものがいいんじゃないか。そこにも一枚刷りで差し上げたものの中に、「将来人口の推定」というところがありますけれ
ども、大体今は五百万人ですから、六十五才以上の方は。千五百億の財源があればこれは可能なのであります。千五百億の財源といえば相当の大きな財源でありまするけれ
ども、すでに
昭和三十二
年度は一千億
減税して一千億積極
施策をやって、それにもかかわらず、なおかつ
政府の歳入見積りよりは一千億くらいよけい取れておるということを大蔵省は言っておられるわけです。それから三十三
年度におきましても、やはり大蔵省の歳入見積りというのはいつも四百億か五百億は内輪に見積られておるのでありますから、やはり少くとも五百億くらいは、景気はよくありませんけれ
ども私は何ができるだろう。これからだんだん
日本の
国民所得が三十三
年度は八兆五千億で、それから毎年七%くらいは伸びていくだろうということがまあ
一般の推定になっておると思う。年間やはり六千億くらいのものが所得が伸びていきますと、国税はそれの一四%ですから、大体八百億くらいのものが伸びていく。国税が伸びていくということになりますから、で私はその半分を、だから八百億毎年国税が伸びればそのうちの半分ですな。あるいは七百億でもいい、その三百五十億を、それを四年分集めればこの制度は私はできるかと思う。そこちょっと一枚刷りで第二表というところをごらんいただきたいと思うのでありますが、
政府の
経費をそこで二大分類した。これもきわめて大胆な分類でありますけれ
ども、大まかな判断をするにはこういう分類がいいかと思う。つまり
国民所得が上り、生活水準が上るにつれまして、財政支出の方も増加していくところのいわゆる自然増的な
経費、これは公務員の人件費であります。あるいは生活保護費の単価を上げるというふうなことで、そこにまあ
道路税を入れておきましたけれ
ども、1のイ、ロ、ハ、ニの「雑件の五割」と書きまして、そのほかと分類してあるのは、「主として
運営費」というのはこれは間違いでありまして、これは消して「主として人件費」としていただきたいのであります。そういうふうなものが大体自然増的な
経費が六千四百七十四億としたのでありまするけれ
ども、大体は国の
予算の半分はそういうもので、あとは
政策の判断のきく、あるいはこれからあまりふえない農業
保険費だとか、国債のうちでも国債費というのはそれほどふえないでしょう。今国債を募集していないから。賠償費も三十三
年度あたりで平
年度化するとも思うのであります。そういうようなことでふえない
経費等は
政策判断でどうにもなる
経費というものが半分あるわけであります。ですからつまり毎年々々八百億か七百億か、あるいは場合によれば千億くらいな
国民の国税がふえるわけでありますから、その半分とすれば四カ年分ですね、これをためれば、養老年金制度というものが実現できるのであります。そして四カ年分ためて養老年金をやれば、
日本は社会保障制度が大体備った国だということで、世界でも恥しくない国に大体なれるかと私は思うのであります。この方面が一番おくれているわけであります。そうしてその次にまた四年分くらいのものをためまして、今度は住宅をよくするとか、あるいは
道路をなお一段よくするとかいうふうなことにやっていけば、私は国の
経費というものが最も
重点的、集中的に使われて、
日本のお互いの生活あるいは
日本の前途というものに対して、何年後には何がどうなるという希望が持てますから、
日本の前途に希望が持てるんじゃないか。そうして人々の気持というものがすっかり落ちついてくるのじゃないかということ。それでこういう大
方針がきまってないから、しかし税の方では相当な余裕があるからということで、いろいろな利益団体、圧力団体というものがそれをめがけていきまして、おれのところにも少し、おれのところにも少しということになりまして、ことしの遺族会の奮闘を皆さんがごらんになって、来年はみんな
国民のすべてが
一つおれもやってやろう、おれもやってやろうと、それぞれ計画を私は立てておるかと思う。こういうことになってはどうも困るわけです。ですからやはりここで
重点的に大
方針として四年間くらいで
一つ国民年金を実現するのだ。その次には住宅をよくするのだとか、その次には
道路をまたよくするのだとか、そういう大
方針を
一つ国会の大
方針としてきめていただきたいと私は思うのであります。
ここで問題になりまするのは
減税であります。それほどになるのならば
一つ減税したらどうだという意見であります。税は
昭和二十四年ごろまでは非常に重かったんで、
国民のほとんどすべてが所得税を負担しておりましたけれ
ども、まあ基礎控除が上り扶養控除が上りまして、三十三
年度はああいうような何がありまして、今では勤労者のうちの総数の半分しか負担してない。農家は八人か十一人に一人しか所得税を負担してない。中小
企業者も六人に一人しか負担してないということになっておるわけで、つまり
国民の三分の二以上は所得税を負担してない。間接税の酒、たばこはこれは多くが飲みますけれ
ども、大衆課税と言われておるけれ
ども、しかしこのごろはだんだん御婦人の方もビールを飲んだり、たばこを吸ったりいたしますけれ
ども、まだやっぱり
日本の婦人の大部分は酒もたばこも飲まない。それから男の人も三人に一人か四人に一人は酒もたばこも飲まない。そうすると酒たばこを飲む人も、これも少数派だと私は思う。そうすると
減税は直接税でも間接税でも、結局
減税論というものは
国民の正確な投票をやったら少数派になる。ただしかし、
減税派は世論、輿論としては有力です。なぜ世論、輿論としては有力かというと、世論、輿論と申しましても、世論に声を上すことのできる者は
国民の限られたる部分です。
国民の大多数というものは、まだまだ
日本では声なき民なんであります。それで新声社の論説
委員でも、あるいは国会議員の皆さんでも、個人
経済から言えば月に二千円くらいもらうよりは
減税してもらった方が私はいいんじゃないか。だから皆さんでも個人
経済から言えば
減税論者かとも思うんでありますけれ
ども、広く
国民全般を見渡しますれば、もはや所得税を納めてないところの
国民の三分の二以上の人の気持から言えば、
減税はこの
程度にやめてもらって、そうしてそれだけの余裕があるんならば、それを有意義に使ってもらいたいということの方に必ず私はなるんじゃないだろうかと、こういうふうに思います。ですから
一つこの点をよく国会の皆さんでお考えいただきたいというふうに思っております。どうか少し長くなりましたが……。
〔
理事剱木
亨弘君退席、
委員長着席〕