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国務大臣(
藤山愛一郎君) 御
答弁申し上げます。第一の、日本の外交の三原則、自由主義諸国の一員としての
立場、またアジア人としての
立場、そういうものを貫いていくということ、及び国連を中心にした外交をやる、その間に矛盾はないかという御
質問かと思うのであります。私
ども、日本が自由主義を樹立し、信奉しております、各人が自由を享楽する
立場に立って国家の経世をやっておることは、日本の基本的な
立場であります。従って、志を同じうする自由主義の
立場に立っておる国々と協調して参りますことは、これは当然のことと思います。同時に、日本が地理的にも経済的にも、あるいは歴史的にも、長い問の慣習からいいましても、アジア人でありまして、思考の
方法から申しましてもアジア人を抜けないこともまた事実であります。また、地理的に日本の島がアジアに属することも間違いないことであります。従って日本人の
考え方、日本人の
立場というものがアジアにあることも、これまた消し得ない事実なんです。従って、日本としてはそれをはっきりやはり認識して参らなければならぬと思うのであります。そうしてその
立場に立ちまして、アジアの諸国の
人たちと手を握って親密にしていく、またアジア人の共感を持ちますこともまた事実なんでありますが、そういう
意味において、われわれはアジア人とともに手を握っていく、こういうふうに
考えております。従って、それらの
立場を今後国際的に表わす、また、
活動していきます場合に、国連という舞台を主として使っていくということも、これはまた当然のことだと思うのでありまして、その間に矛盾はないと
考えております。われわれといたしましては、国連において非常任理事国になったわけであります。非常に大きな
責任を国際社会の上に持ったわけであります。申すまでもなく、国連は世界の平和を終局の
目的として、十分国際間の協調を保ちながら、円満に世界の諸般の問題を片づけていくということにあるわけでありますから、従って、その中心にあります非常任理事国の一員というものは非常に大きな
責任を持つと思います。国際社会に復帰いたしましてわずか二年ともならない今日でありますから、日本としてはやはりこの非常任理事国として
活動をいたすためには、十分将来にわたって日本がこの
活動において、国際社会の信用を得るようにして参らなければならぬと思うのであります。そういう
意味からいいますれば、日本は公正な
立場に立ちまして、大国といわず、小国の意図も十分正しくこれを汲み取りまして、そうして発言をしていくという態度を持って参らなければ、国際信用を高めていく、また理事国としての信用を高めていくわけに参らぬと思います。同時にアジアにおける一員であるという
立場も、これはまた、先ほど申し上げましたように現実の
立場であります。あるいは自由主義陣営の一員であるという
立場も現実の
立場なんでございまして、そういう面からアジアの
人たちとも協力して参るということを努めて参りたいと、こう
考えております。次に、安保
委員会の問題でありますが、安保
委員会につきましては、御承知のように昨年六月
岸総理がアメリカに行かれまして、アイゼンハワー大統領と会合をせられました。そのときにいろいろ安全保障の問題等について、また安保条約の問題についていろいろアメリカと話をされたわけであります。その結果は、共同声明にありますように、両国はこの安保条約の運営その他についても、さしあたりハイ・レベルの構成の上において、十分力を尽して、そうしてこの運営をうまくやっていこう、また、将来にわたって両国の
国民の願望に従って、安保条約をどういうふうに
考え直していくかという問題等も、論議しよう、こういうことで安保
委員会ができたことは御承知の
通りであります。従って、今日まで五回会合をしております。アメリカとしましては、日本における
立場を十分にこの
委員会におきまして汲み取ることができるように、われわれとしてはこの
委員会を活用し、また日本人の願望というものを、この
委員会を通じてアメリカ側に伝えていくということにやって参らなければならぬと思うのであります。そういう
意味において、まだ五回しか開いておりませんが、これは引き続き継続的にやっていくうちに、だんだん効果を上げてくることになり得るように持っていかなければならぬと思うのでありまして、岸・アイゼンハワー共同声明の結果として、軍隊の撤退問題等が中心になって、今日まで論議が多く費やされたのでありまして、将来も運営としては、この
委員会のできました
一つの
意味であります両国の願望に沿っていろいろな問題を
一つ考え、ことに安保条約等についても再検討するというような面で進めて参りたいと思っております。それから、アジアに対する経済協力の
関係はどうであるかという御
質問が、前段と後段とにまたがってあるようでありますが、アジアの日本が一員であることは申し上げた
通りであります。また、アジアがいわゆる後進国であり、あるいは植民地経済から悦却したばかりの国であり、あるいはまだ完全に脱却をしていないという国々なんであります。私は、
政治的の独立を完成しましたアジアが、実質的に
政治的独立を達成していくのには、どうしても経済的な裏打ちがなければならぬと思うのでありまして、その
意味におきまして、日本が、アジアの、これらの植民地経済から脱却しよう、またしなければならぬ、そうして自己の経済を建設しなければならぬというのに、日本は経済の上におきましては、過去八十年の経験からして若干の先輩であり、また経験も持っており、知識も持っておるわけでありますから、そういうものに対して協力をして参るということは、当然われわれがアジアの一員としてやらなければならぬ仕事だと思うのでありまして、ただ日本といたしましては、むろん日本
自身の戦後におきます財政金融の
関係がありますので、日本自体も相当に困難な苦しい中をたどっても、き切り開いてもきておるわけでありますので、資金的に非常に大きな援助を日本がするということは、今日むずかしい
関係にあることは御承知の
通りだと思います。が、しかしながら、若干でも、乏しい資金のうちでも、やはり共感をし、またともに経済を打ち立てていくという
意味から言えば、ある場合には犠牲を払って、そして援助をして行かなければならぬのではないかと思うのであります。そういう
意味におきまして、インドの経済五ヵ年計画というようなものに対するインドの資金不足に対して、日本が先般百八十億の円借款をしたのも、そういう気持であります。インドも、日本が苦しい中でそういうものを十分にやってくれたという非常に大きな感謝もあり、また、これがインドの経済建設に貢献することを
認めて、インド側においても喜ばれておるようなわけであります。しかし、資金的には今申し上げましたように、余裕がないのでありますから、常時における協力としては、やはり技術的な協力、あるいは経験による、人的資源による、その経験を生かしてのサービスによる協力ということが非常に大きいことだと思うのであります。そういう
意味において、今後のアジア協力をやって参らなければならぬと思うのであります。今回五十億円のアジア開発基金を積みましたのも、御承知のように、昨年、
岸総理が東南アジアからアメリカ、再び東南アジアを回られて、開発基金の構想を持って出発されたのであります。これにつきましては、それぞれの国のいろいろな意見が来ております。あるいはバイラテラルの方がマルティラテラルよりいいんだという意見もあります。あるいは日本が何らかの
政治的意図を持って、これをやるのではないかという誤解もあったようであります。あるいはそれぞれの国におきまして、いろいろな
考え方で、いろいろな批評もありましたが、しかし、この事自体、こういう資金がアジアの経済建設に必要であるという点については、やはりアジア自体が、必ずしも十分な資金を生み出し得ない現状においては、必要だろうということは
認められておるわけであります。日本としましては、そういう
状態でありますから、今後これらのアジア開発基金の問題につきましても、できるだけその構想を進めて行くつもりなんでありまして、そういう
意味において、日本も乏しいながらも、わずかの資金でもこれを出して、そして基金のいわゆるこんぺい糖のしんにでもなるならば、また、それによって、それをこんぺい糖のしんにして、まるいものを作って行かなければならぬという気持でやっているわけであります。これらの基金を活用し得るときが必ず近くくるのではないかと、こう
考えております。日韓問題につきましては、御承知のように、日本と韓国との間のいろいろな問題がございます。戦時財産の処理の問題もあります。あるいは李ラインの問題等もあります。そして問題を過去において数回交渉をいたしておったんでありますが、そのたびに中途で決裂をするというような
状態であった。これはやはり両国が、その場合に両国とも誤解のない友好、親善な、あるいは友好親善に進み得て、会談をスムースに運び得るような状況下に置かなければならぬのでありまして、その
一つの大きな障害は、相互に抑留しておる者の釈放の問題であり、ことに日本側から言えば、李ラインというような不法な海に引かれました線によって、抑留漁夫が数年にわたって釈放を見ないということは、日本側としては非常な困った問題なのでありまして、これらの問題を解決しなければ日韓の正式な
話し合いもできず、また、
国民の人道問題として、これを解決して参らなければならぬわけであります。従って、先ほどお話のありましたように、
岸総理が昨年アメリカに立たれる前に、ある程度の話を固められたのでありますが、その後進まなかったわけであります。しかるに、十二月三十一日に、これが相互釈放の協定ができたのであります。日本側といたしましては、その相互釈放の協定にできました必要の措置を、すでにとっておるのであります。がしかしながら、韓国側におきましては、会談の日ときめられました三月一日までに、抑留漁夫を二回にわたって帰してくれたのでありまするけれでも、最終的に全員を帰す段階になって参りません。私
どもは友好にこの会談を開く、正式会談を開きますのにも、これらの問題が解決しておりませんことは好ましいことではないのでありますから、従って、先月二十七日に、抑留漁夫の送還について明確な意思表示をしてもらいたい、そうでなければ、三月一日の会談は延ばすより仕方がない、で、日本側としては、いつでもそれらの時期が明示され、また漁夫の送還がでごますれば、会談を開く用意を持っておるのでありまして、従って、代表団等を任命して待っておるわけであります。その後、韓国側といたしましては、今日まで、数日前まで何らの積極的なそれに対する処置を通知して参りません。そこで私は先般、金大使が帰任されましたときに、金大使に一度話をしたいからということを、また日本側の真意も伝えたいからということを申したのであります。昨日の午後三時半に会談をすることができたのでありますが、帰任以来、病気であったので会談ができなかったことは遺憾だったということを、金大使も申しておられました。私といたしましては、日韓会談を開く前に、ぜひ釈放が完全に行われ、そうして日本人も、韓国側が十分約束を守って釈放したという信頼の念と協力の気持をもって、
国民がこの日韓会談に臨みたいと、こう思っておるのだから、ほかに他意があるわけでない、従って、その点について十分な
一つ努力をしてもらいたいし、もう相当の期日もきておることであるし、もし技術的に船等の面があるならば、日本側は、これに対して努力をする用意があるのであって、配船等の都合その他についても、日本側はできるだけの便宜をはかるからということを申したのであります。そういうようなことで、韓国側としては、あるいはそれらの抑留漁夫の牲名その他の調査等に、だいぶ違った
名前もあったりなんかして、そういうことに手間取っておるので、決して故意に引き延ばしておるのではない、それらの事情は十分、日本側も了承してもらいたいというようなことを発言しておられます。私といたしましては、金大使に対して、十分日本側の意向を京城の政府に伝えるように申したわけであります。それから中共貿易につきましては、先般、民間三
団体が中共に行かれまして、第四次協定を締結して帰ってこられたのであります。(「簡にして要を得て下さい、大きな声で」と呼ぶ者あり)はい。御承知のように民間協定でありまして、まだ三
団体の方から正式に、政府に対してはお話を承わっておりません。来週早々承わるような機会を得るかと思うのでありますが、中共との貿易を促進して参り、しかもそれを円滑に遂行して行くためには、できるだけ政府も協力するにやぶさかでないのであります。ただ、政府は中共を承認しないという
立場ははっきりいたしておりますので、その
立場に立って、この問題は、貿易が円満に遂行されるということとにらみ合せて参りたい、こう
考えておるわけであります。それから移民の問題につきましては、移民
政策全般を検討し、今後、移民という問題、移民の行政を促進して参らなければならぬのであります。ことに日本が大きな、農村におきましても、あるいは工業におきましても、産業の転換というような問題を、東南アジアなり、あるいは今日の新しい科学の発達のために
考えて参らなければならぬとすれば、あるいは農村における二、三男対策とか、都市における過剰な中小企業者を海外に出すとか、いろいろな移民も、過去の移民行政にさらにプラスされてくるわけでありまして、こういう問題については、大きくこの際再検討をして、そして日本の移民
政策というものを十分強力に進めて参る必要があろうと思います。ただいまお話のありました。パラグァイの問題でありますが、パラグァイは、かねて日本に対して、移民の問題を提起しておりますのとあわせて、商船隊を作って、そしてパラグァイにおける河川の航行を自国船によってやりたい、現在、隣国の船によってやっておりますものを自国船でやりたい、それには、日本の協力を得て、河川用の船を作りたい、また、河川におけるドックを作りたいという希望があるわけであります。そういう希望を日本が十分くみ入れてくれるならば、パラグァイとしても、先ほどお話のありましたように、毎年五千人で、三十年間に十五万人ぐらいな受け入れは可能であろうという話であるのであります。これは、移民
政策を推進する上におきまして、日本の国内態勢を十分検討することも必要でありますが、同時に、受入地側の希望なり、あるいは受入適地というものがあることが必要なんでありまして、そういう際でありますから、パラグァイの問題は相当大きく検討されて、しかるべきだと思うのであります。従って、昨年若干の調査団の
予算がつきましたので、昨年の秋、それぞれ船舶その他の専門家を加えまして、杉氏が団長になってパラグァイに参ったわけであります。その結果として、今申し上げたような船の面についても、それ自体において、パラグァイ
自身が外国船舶に払っていた運賃というもの、しかも、それは外国船舶が独占的にしていた航路なんであるから、それが自国船でやれるようになれば、それだけ非常に大幅に外貨の節約にもなるというような見地から、いろいろなコマーシャル・べースによる採算も、ある程度とれるのではないかという見通しもついたわけであります。で、調査団が帰って以来、われわれとしては、こういう問題を将来ともに推進して行きますために、現在、大蔵省といろいろと
話し合いをいたしておるのであります。しかしながら、何と申しても、各方面からの経済協力という問題がたくさんあるわけでありますから、そういうものとも、にらみ合して参らなければなりませんけれ
ども、移民
政策の非常に大きな今日の必要性から
考えましても、パラグァイ問題は重点的にこれを取り上げて、現実に進めて行くことが必要だと
考えて、ただいま相談をいたしておるわけであります。なお、東南アジアに対する経済外交の再検討をする必要がないか、協力の
方法はどういうことにあるのかというような点で、賠償における経済協力を含めての御
質問であるようであります。ビルマ、フィリピン、今回のインドネシアの賠償に、それぞれ民間経済協力の取りきめができております。これらの推進に、これらの現状から申しますと、率直に申して、あまり実績をあげておらぬのであります。実績をあげておりません点につきましては、いろいろな点があるのでありまして、むろん、日本の
事業家、商社等の国外における投資
活動、あるいは合弁
事業等に対する協力
活動の経験も薄いということもあります。あるいはそれぞれの国におきます外貨事情のために、協力
関係を打ち立てても、それらがコマーシャル・べースの上にうまく乗るのかどうか、また、乗った場合にでも、そういうものに対する果実の送金等というような、いろいろな技術的問題も、ただいま申し上げたような日本の
事業家の協力に対する心持とあわせて、そういう問題があるわけであります。そういうようなことで、必ずしもこれは活発に進んでおりません。がしかしながら、やはり日本がアジアの経済建設に寄与する以上は、日本としても、しかもこういう経済協力の協定もできていることであります。たとえそれが民間の協定でありましょうとも、できるだけ政府もあっせんをして、それが成り立つように、便宜な
方法をはかって行くことは当然でありまして、そういう面については、政府は
責任を持つ
立場にはおりませんけれ
ども、あっせん、仲介の労等をとって、そうして、そういうものができ上って行くように努力をして参らなければならぬと思うのであります。次に、エカフェの総会を来年日本に招致するということを提唱して、果して招致できるか。これは今後の問題でありますので、エカフェ
関係各国の協力を
求めなければならぬわけでありますが、日本において国際
会議を開きますことは、特に東南アジア各国の
人たちも、日本を総会あるいはいろいろな理事会等の開催国にすることは、喜んでいる国々が多いように思うのでありまして、私
どもは、できるだけこれが実現を見るように努力をして参りたいと思っております。なお、外貨
予算につきましては、大蔵
大臣、通産
大臣からお話があると思います。焦げつき債権でありますが、私の
関係だけを申し上げておきたいと思います。現在、焦げつき債権のありますものは、韓国に四千七百万ドル、エジプトに千二百万ドルでありましたか、それからアルゼンチンの五千五百万ドルは、すでに三分五厘の利息でもって十年賦で、昨年、年賦償還の第一回を受けております。エジプトの方は、これはスエズの
関係でできたものでありまして、エジプト綿と米とを買えば、スイミングリーになるようであります。また、台湾にあります二千三百万ドルでしたか、これも、台湾から米及び砂糖の輸入ができて参りますと、スイミングリーになってくる予定でありますので、そう心配はないと思います。ただ、残りますものは、韓国に対する四千七百万ドル、これは正式会談において、日本側としては十分日本の主張を貫いて行きたい、こう思います。