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清澤俊英君 ところがそう言われると、それは一応筋は
通りますが、
答申はそういうふうに言うてない。私がさっき言っているように、
答申は、
猟具に適さないというのが前提だ。結局は
空気銃などを持って猟をするのは遊びなのだ。私の
議論は遊びということが前提になっている。だからやめさせるならば、これを教育により、よい道徳環境を作ってやって、そしてやめさせる。そういう
方向に向けることはまことにけっこうなことだと、こうは思うが、こうやって
一つの
法律を作ってこれは
銃器と同一のものだ。しかもそうやってとめる反面には、これは猟に不向きなのだ、遊び道具だから、こう言っている。遊びということになると、火銃の場合も同じことが出てこなければならない。こういうことを私は誓うのです。そこで、均衡の破れたものが出てきやしないかと思う。そうでしょう。あなた首をかしげておられるけれ
ども、会社の重役などが二等車でふんぞり返って出かけて、
岩手や新潟にきて一等旅館に泊って
銃砲撃をしている。あれは商売じゃありませんよ。あれは娯楽ですよ、遊楽ですよ。運動ですよ、そして
一つのレクリエーションです。これと何ら変らないじゃないかというのです。それが本質であるならば、そっちの方も考えなければいけない。こういうことなのです。これが有益鳥を撃たないとだれが保証できるか、いなければ何でも撃ちます。下手をすると、畑で草をとっている人の尻っペたを撃つということで、年々数人の人が殺傷されている。
空気銃による殺傷より、その方の殺傷の方が率が多いのではないか、
警察庁どうですか、ここの表には出ておりませんが、
空気銃で人を誤殺したという件数と、猟銃で誤殺したという件数とは、どちらが多いか少いか。誤殺するなどということは、えてしてたまさか都会から遊びに来た人の方に多い。
答申には禁猟区を設けるとか、
保護区を設けるとか、いろいろなことを言っておられるが、これは子供の、人間
生活上の
一つの特権だと私は思う。それが、たまたま
空気銃の製造の能力というのですか、銃の効用能力というのですか、そういうものがだんだん向上して参って、今弊害を生じておるが、基本的に考えれば、
空気銃というものはおもちゃなんです。やはり一方においてそういう遊びというものに考えてやるならば、この方にも子供の方に対しても遊戯用としての
考え方がでてこなければならない。そうするには、
空気銃の性能を中心にして、私は解決ができるのではないかというのが、私の
質問の中心なんです。おわかりですか。そういうことを考えられなければならない。そういうことを考られるとするならば、この法案をある程度修正して、皆さんの御賛同を得て修正してやる。第二の国民をただ頭から押えて、たくさんの
犯罪者を作るだけが能ではない。
警察に一ぺん厄介になるということは、これはもう非常に青少年教育という点から弊害が多いのです。なるべく
警察等にやっかいにならないように、
一つ育てていく、また、そういう殺伐なことはいけないというならば、少し文部省あたりでも金を出して、
林野庁にたのむなんということじゃなく、国がもっと本気になってそういうものに対して教育すべきである、時代の推移とともに教育していかなければならないことなんです。そうして学校の先生とPTAとほんとうに手を握っていけば、こんな法案改正などいたさなくとも、
取締りの本質はでき上る。
法律で押えることだけをやって、それで
取締りの
目的が達せられるものではありません。先般来、私はしばしば申し上げます
通り、われわれ少年の時代には、日曜になれば、ノリの握り飯を腰にぶら下げて、科になればキノコ取りに行く、夏になれば川ヘフナ取りに行く、冬から春先にかけては呼び鳥に行くとか、鳥の卵を取りに行くとか、これは、われわれが大自然に融合する遊びであったと思う。最近は山に行ってごらんなさい。青物取るべからず、落葉踏むべからずと立入
禁止の札が立ってしまっておる。魚取りに行けば、佐藤さんの話じゃないけれ
ども、ドジョウ一尾もいやしない。
空気銃を持って山野に遊ぼうとすれば、こんな
法律が出てこれもだめだ。町のまん中に行けば自動車が道一ぱいに飛び回っておるような始末です。だから青少年の心持はだんだんすさんできて、毎百の新聞を見てごらんなさい。鳥やドジョウならばまだいいけれ
ども、その青少年が自分の仲間を飛び出しナイフで突っついて殺したなんというのが、毎日出ているじゃないか。これは重大な教育上の問題である。少しは考えていかなければならないと思います。これは青少年の環境から生まれるやはり感情が原因していると思うのです。何もかも青少年の伸びるところをとめられたところから生ずる結果であります。私は、そういうことを非常に今考えておるのです。それで、あなた方が差しつかえないと言われるならば、
空気銃の性能を落して、どのくらいに性能を直したらよいものかぐらいのことは大体わかると思うのです、だから差しつかえないものぐらいのを
一つ持たしておいて、それでもあやまちを犯す者は国がもっと金をかけて、大事な子供なんだから、頭から抑えないで、情操教育や道徳的教育をやって、
犯罪防止をすべきでないか、そうすれば完全な
目的が達成されると思いますが、次官どうです。そういうことを考えて、やはり僕の申し上げるように、合同修正をしてやるぐらいのことは、私は賛成していただけると思うのだ。