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説明員(
山本幸雄君) 先般御
質問がありました
柳士長の
公務災害認定に関する件なのでございます。
柳士長は、
勤務といたしましては、
武器中隊、
整備中隊所属で、小
火器関係の
工場の
事務に従事をしておる
士長でございます。
先般
お話がございまして、三十一年の九月十四日に
発病をした、こういう御
質問でございましたので、その点につきまして
調査をいたしたわけでございます。いろいろ調べてみたわけでございますが、九月十四日の当日の
柳士長の
行動を詳しく調べてみますと、時間がありますれば詳しく申し上げてもけっこうでありますが、いずれにせよ、ただいま申し上げましたような
工場事務室の
事務に従事しておる。そういたしまして、東千歳の
部隊に出ておりました
巡回修理班から
電話連絡がありまして、
作業要求書に不明な点があるから
説明をしてくれ、こういうことで来たので、その
電話を受けまして、たまたま部品を受領に来ておった車に乗りまして行っております。帰りもまた車に乗りまして、戻ってきておるのであります。そういたしまして、その夕方、
本人は
ギターをひくことが得意のようであったようでありまして、その
ギターを友人の
高橋士長に六時から六時三十分までの間に教えている。一応十四日の
行動はそういうふうになっております。ただこの
ギターは、いつもは——一週間ほど前からやっておったそうでありますが、いつもは一時間くらいのところを、この日に限りまして、どういう
関係であったか、あるいは
本人の気持が悪かったのか、三十分くらいでやめておるようであります。
そういたしまして、十五日の朝になりまして、頭が痛いので
診断を受けたいということで、
事務に出ておらぬわけでございます。ここで十四日であったか十五日であったかということが、この前も問題になったわけでございますが、
部隊患者名簿というものが
中隊にございまして、
部隊患者名簿を持っていきまして
医官に
診察を受けて、営内休、つまり党内で休養をせよという
はんこを押されて、この
部隊患者名簿が戻ってきておりますが、これが九月十五日付になっております。それから、もう
一つ、
個人医療記録というものが
医務室にあり、それはお医者様のカルテに当るものでございますが、これも九月十五日付、こうなっておるのでございまして、一応この
記録から見まして、
柳士長が
頭痛を訴えたのは十五日であったと、こう
認定をするわけでございます。そういたしまして、十五日の日に朝、頭が痛いということを申し出たので、
医務室で
渡辺二佐という
医官が
診察をいたしまして、熱がそのときやや微熱で、三十七度二分であった。
頭痛を訴えるのみであったということで、かぜという
診断を、この間
お話したごとく、いたしております。そういたしまして、アミノピリンあるいはフェナセチンという解熱剤を服用せよということで、二日分を与え、
ピラビタールの
注射をいたしております。これも解熱の薬のようでありますそういたしまして部屋に帰ってこれは休んでおった、こういうわけでございます。
十六日は日曜日でございますが、この日はやはり
体温が少し、三十七度八分くらいに上っておりまして、この日も同じように
ピラビタールを
注射をして
渡辺二佐の指示によりましていたしまして、
医務室に
入室ということに決定をして
入室をいたしております。十七日になりまして、
体温が三十七度ということで、朝、
渡辺医官が八時十分ごろに再び
診察をいたしておりますが、このときの
診察で
心内膜炎と
診断をいたしまして、クロロマイセチンを服用せしめ、あるいはその他の
リンゲル、
ビタミン剤の
注射をいたしております。そういたしまして、
札幌地区病院の方に九時三十分に入院をいたしまして、直ちに
近藤医官の
診察を受けておりますが、これはここでは尿毒症ということになっております。さらに
リンゲル、ブドウ糖、あるいは
ビタカンファー等の
注射もいたしまして、
中山医師というのが自後つき添いまして、フシトミンの
注射その他の
注射をやっておりますが、午後五時になりまして、この
中山医師が
交代をいたしまして、
光銭医官というのと
交代をいたしております。それから間もなく
容態が悪くなり、直ちに
近藤医官に
連絡をいたしたのでありますが、間もなく
容態が変って、五分ぐらいで
死亡をされた。
そこで、十九日の解剖が北大でなされまして、その結果
急性黄色性肝
萎縮症によるところの
心臓麻痺であると、こうなつたわけであります。
医師の所見では、この
急性黄色性肝
萎縮症というのは非常にそういう
認定、判定のむずかしい
病気だそうでありまして、むずかしい
病気だということでございます。
経緯は大体さようなことに、
調査の結果なっているわけでございます。
さらに、もう
一つ、なぜ昇進をせしめたかという
お話がございましたが、これは
柳士長は大
へん平素の
勤務成績優秀な
隊員でございまして、この
武器中隊一士七十四名中第三番目というりっはな
隊員であったようでありまして、その
隊員で
死亡した者で、
平素の
勤務成績優秀な者というものは、先般
お話がございましたような
施行規則の三十条第三号によりまして、
保安官の
昇任に関する訓令というものが出ておりまして、成績優秀な者を一階級
特別昇任させるという
規定がございますが、この
規定の適用によりまして、
柳士長が
陸士長に
特別昇任をした、こういうことになっているわけでございます。
この
公務災害の
認定の問題は、御承知の
通り、その
死亡あるいは傷害というものの原因が
公務に起因するものなりやいなや、つまり
公務との
因果関係があるかないかということによって、
公務災害の
認定というものがなされる
性質のものかと考えますが、この場合は、
柳士長の任務は、先ほど申しましたように、
工場事務室における
事務でございまして、これをずっとやっておった。その前に非常に過労になるような事態というものもあまり見出されない、こういうことで、どうも
公務とこの
病気発病ないし
死亡というものとの間の
因果関係というものの発見には、非常に困難があるわけでございまして、その
関係からいたしまして、この問題は
公務災害と
認定しがたいという結論になったようでございます。
なお、現地の方といたしましても、一応やや同情的な言葉を遺族の方に申し上げて、いわゆる誤解を招いたことと思いますが、この
公務災害の
認定は、
陸幕長に一応
認定権があるわけでございますが、この
公務災害認定の件ば、下の方から
公務災害に
認定をしてもらいたいという申請というものは一応出ておらなかったということでございます。
以上、さような
経緯でございまして、大
へんお話には沿えないようなことでございますけれ
ども、
公務災害の
認定につきましては、相当困難を
伴つて、むずかしいということを報告さしていただきます。