○久保等君 私は今
総裁が劈頭に言われた、工作工場の工場
計算等の問題についても、むしろ非常に意外に思っているくらいだと言われたことについては、私も実はそのままに感じておるわけです。いわば設備の問題にしてもそれからあそこに働いておられる従業員の方々に対しても、今まではとにかく、従業員の方々はだんだん老齢化していく。ところがこれに対する対策についても、訓練あるいは新らしい技術を身につけられるような方途は全然
考えていない。また設備はこれまた十年一日のごとく古い設備をそのまま使っておる。こういう扱い方をしていけば、当然そういう工場で、近代化をどんどんしている
電気通信事業の機器の修理ができるはずがないと思う。そういう扱い方をして結果的にどうも使いものにならない、あるいはやらしてみれば非常に時間がかかるということでは、私は全くこれは工場に働く従業員の方々に対して申しわけないと思う。工作工場の扱いの問題については、もう少し生かして使う方法を積極的に
考えなければいけないと思う。これは設備についても当然ある
程度近代化していかなければならない。またそこに働く
人たちについても、技術の習得については特別の考慮を払わなければならない。それは工作工場の工場
計算の問題のらち外の問題だと思う。
電気通信事業が技術というものをほんとうに採算を抜きにして、ときと場合によっては
考えていかなければならない、という重要な公共事業であるとするならば、これは当然そういうものに対する設備資金なり、あるいは人員の訓練その他の問題については、よほど積極的な私は考慮を払わなければいけないというふうに実は思うのです。ただ現実の最近における動きというものは、極端なことを言えばなるがままにまかしておった。局舎なんかについても、これは非常にひどい局舎です。
総裁もよく御存じだと思うのです。工作工場で非常に近代化されたりっぱな工場だと言われるものは
一つもない、率直に言って、どこをごらんになっても。九州の佐賀だけは最近見ておりませんから、これは焼けた
あとの佐賀は知りませんが、しかし、全国的に大体もうほとんどが建物そのものが非常に悪くて、そこで日日働いておられる方々にはお気の毒だという
状況の中にある。ですから工作工場で働いておる
人たちは、今申し上げたように非常に不安動揺の中に置かれておる。しかも、片方においてそろばん片手にしりをたたかれるという情勢にあることについては、むしろ私はこういった工作工場という形で運営してきたことについて、現場の工作工場ではなく、本省あたりにおける私は
責任者たちの扱い方の問題について、強い反省をお願いしなければならないというふうに
考えておるわけです。
私は、結論からこの問題について申し上げますならば、もうからないというか、割が悪いからこれを縮小していくという
考え方ではなく、積極的な
意味を持たす。従って、
内容を申し上げますならば、今申し上げた設備、人員の問題についても、これをむしろどんどん拡充していく、あるいは
内容を充実していく、こういう方向に特別の
一つ御配慮を願いたいと思うのです。ここ何年か非常にしわ寄せされたような形で、たまりにたまった
状態が、今日の私は
状態になって現われておると思う。従って、それを表面的にいえば、今度作られた試案を批判をしておるような批判が当る結果になっておると思うが、その
内容にあげて来たったゆえんは、私が先ほど申し上げたような、今までに基本的な運営の方針ができていれば、
一つ民間の方が早いようだし、能率もいいようだということで
一つ一つ切り落した結果、消極的な扱いになってきた結果が、今日のような情勢になっておる私は大きな原因だと思う。そういう
意味で、技術的な
立場でこの工作工場の
内容をむしろ充実していくのだ、これを育成指導していくのだという
立場をぜひ
一つおとり願いたいと思う。
さらに私は、付け加えて技術の問題について
総裁に申し上げるのは、まことに釈迦に説法のような話で恐縮なんですが、
電気通信事業の建設部門における問題についても、今言った工作工場の問題と同じような問題が、やはり本質的にあるのじゃないかという気がするのです。それは何かと申しますると、今日
電気通信事業が、非常に大規模な拡充計画をもって、建設工事をやっておられます。ところがこの建設工事のほとんど大半というものは、民間企業に依存した形でやられているわけです。しかしこれが果して、
電気通信事業のほんとうのあり方として正しいかどうかということになると、私はこれに対しては非常に大きな疑問を持ちます。それはなぜかというと、保全部門の
立場から
考えてみましても、ほんとうに完全な保全をやっていこうとするのには、技術屋である
立場から
考えてみた場合には、ある
程度建設工事の建設
過程にも参加していなければ、いざ鎌倉というときになった場合に、故障が出て修理をしなければならぬという場合に、どこをどうケーブルが通って、どういう
過程を経て建設がなされたのか全然わからないという
立場で、保全部門に引き継ぎがされても、これでは理屈
通りに完全な保守ができない。私はそういう
意味で、保全部門との関連において必要な限度においては、建設工事は、やはり
電気通信事業を直接扱っておる
電電公社が、直接これを担当すべきだというふうに
考える。ところがこれもまた最近の趨勢を見ておりますと、非常に民営といいますか、民間でやっておりまする建設工事
会社に、過度に請け負わしているという傾向が結局多い。こういうことでは、ほんとうの保全という
立場からだけ見ても、ほんとうの技術を十分に
電気通信事業に携わっておられる従業員の方々が身につけて、保全を行なって
電気通信事業を行なっていくということができないのじゃないかというふうに私は
考えるのです。
この具体的な一例としては、建設工事
会社が、実は自分みずからの能力においてさえ消化しきれないほどの工事をやったがゆえに、逆に時と場合によると
電電公社の従業員がお手伝いをしているといった問題すらないではないわけだ。こういうようなことからしても私はこっけいな話だと思う。ずっと私は十年も二十年も昔の時代の郷愁感をもって申し上げるわけじゃないのですけれ
ども、特に、非常に技術屋としての権威者であられる
総裁に、こういうことを申し上げるのは恐縮なんですけれ
ども、しかし私、
電気通信事業をずっとここ十年、二十年の過去を振りかえって眺めてみますときに、何かしら技術部門のほんとうの技術という面が、
電気通信事業に携わる
電電公社にはない、民間企業の中に移されていきつつある。極端なことを言うと紺屋の白ばかまということがありますけれ
ども、紺屋の白ばかまは、自分のところでやろうと思ってもやれないほど非常に仕事がたくさんあるから、これを外に出して、自分みずからは紺に染めることもできなくて白いはかまをはかなければならぬということわざがありますが、
電気通信事業の実情は紺屋の白ばかまでなくて、
電気通信事業に携わっている従業員そのものが、紺に染めるという技術そのものを知らない。従って紺屋のしろうとというようなことにさえなりかねないような
状況に、だんだんなんか移っていっているような気がするのです。私はそういうことではならないのじゃないか。たとえば、新しい機器を研究して、これをぜひ試作したいというような場合にも、これを民間にやらしているわけですから、もちろん私は全部が全部いけないとは思わない。しかし試作といっても一応研究をして、青写真にとった上その試作をしてみたらどういうことになるだろうかという、そういう試作をある
程度私は電気事業そのものの技術、設備の能力の中において、やっぱりできる
程度のものは持つ必要があるのじゃないか。簡単に青写真か何か作ったものがすぐ民間企業に移されていく。表面から見ると、何かほとんど安く、ただでそういった試作品ができるということで、非常に経済的じゃないかと言われるかもしれんが、しかしこれは必ず、民間企業というものは、
総裁も民間で長い経験を持っておられるから、私が申し上げるのも変だけれ
ども、何かの経費というものは、すべてこれは工場に納められる製品の中に含まれる。大量生産で納められる機器の中のやはり単価の中に入ってはね返ってくることですから、どこにそれが出てくるか出てこないかは別として、それはどこか回り回って
電電公社が支払っておるという結果になる。私は従って結局試作の段階についてはある
程度電電公社でやれる体制に、設備の面においてもまた人の面においても確立しておく必要があるのではないか、ということも実は
考えておるわけなんです。
先ほど申し上げた建設工事
過程の問題についても、
電気通信事業に直接たずさわっておりますところの技術員の方々が、ある
程度やはり建設工事にもタッチして参る、というような体制をやはり確立しておく必要があるのではないか。そのように私は
考えるわけで、この問題は基本的には、先ほど一番最初から問題になっております工作工場の問題と、やはり相関連した問題である。技術の問題をどう
考えたらいいか、できるだけ民間にやらせる。
電電公社は極端にいえば、オペレーションだけやっていればいいのだという
考えで扱っていこうとするのか、それともやはり技術そのものを
電気通信事業にたずさわる
人たちができるだけ身につけ、これをさらにどんどん時運に即応するような形で、何といいますか訓練もやって参る、研究もしていくのだというような
考え方でいくかどうか、ここらに私は本質的な岐路があると思う。もしそういう私が今申し上げたような
考え方に立つとするならば、工作工場の問題なんかについても、その問題と非常に変った
意味で、実質的な、むしろ拡充し充実していくのだという
考え方になって参るだろうと思うのです。従ってここらは
電気通信事業の上の大きな施設部門における、流通部門における扱い方の本質が問題だと思う。
総裁のこれに対する
考え方をこの機会に承わっておきたいと思います。もちろん抽象的な
議論に若干なるきらいがあると思いますけれ
ども、一応そういう方向についてどういうお
考えなのか
一つお聞きしたいと思います。