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参考人(
湯城義一君) 大体
新倉君からあらかたの
事故の経過と、これから
協会業者としていきたい
方針については話がありましたから、これは省略をいたしまして、ほかの面から申し上げますと、一応
世間におわびをしなければならぬことは、最近
神風タクシーが非常に
世間を騒がし、また
全国的の問題になってきましたことについて、いろいろな
非難批評もありますが、一切謙虚な
気持でわれわれは反省して、不備なところは改善し、そうしてこの機会に
官民労使一体となって、いわゆる
事故の
防止についてこういう汚名を払拭したいという決心を持ちまして、これは
東京の
業者全般にそういう
気持が油然として湧きまして、そうしてわれわれ
経営者としては、
社会に対しては
労働者から
責任の転嫁とか、いろいろなことがありますが、これは一切われわれとしては申し開き、反駁とかいうことをせず、まじめに内容を反省して進みたいということにきまりました。ちょうど昨日も
軍人会館で
都内の
業者全部集まりまして、これは約千人余り、数はおぼえておりませんが、とにかく満員で、非常な
意気込みで明日から第一番に
都内を
無事故の
週間として旗を車へつけたり、腕章を巻いたりして
安全週間といいますか、
無事故週間を
実施しようということで、
業界にあります今の
指導委員会が主体になりまして、それから三
団体の
委員がこれに参加し、そして
実施するということの
業者大会といいますか、その趣旨ならびに今後いかなけりゃならぬ
方針、またわれわれが反省して改めなきゃならぬとかいうことについての覚悟を披瀝しまして、
国会議員の
先生方もおいで下さって非常に激励していただきました。官庁からも御
出席をいただきました。大へんな
意気込みで
業者は反省しているわけであります。私
どもはこの間も
運輸大臣から呼ばれて、われわれ幹部が呼ばれていろいろ
意見を聞かれたときもそう申し上げておきましたが、
世間にはもう全く謙虚な
気持で、そういう申しわけはしませんが、これは簡単な、単にやれ
ノルマだとか
固定給だとかいうことだけに
原因を持ってこられておるが、そんな簡単なものじゃない。それは総合的の問題であります。この際それこそ
官民一緒になって総合的にこれを検討して、掘り下げてこれらの
原因を払拭するのでなけりゃならぬということを申し上げた。従って
運輸省やあるいは
国会の方へお願いしたり、
警視庁にも申し上げることは、
世間に言いわけのために申し上げるのでなく、
ほんとうのこの
業界の実態を把握してもらうためにはある程度まあ申しわけ的の
言葉になるかもしれませんがお聞き願いたいと、こう存じております。で、この
事故の
原因の大きな
要素の
一つとしては今の
固定給という問題がございます。これは早速三
団体で
対策委員会をこしらえまして、つい数日前にこしらえまして、これが
固定給、
保証給といいますか、これらの検討をただいまやっております。
それからもう
一つは
厚生施設、こういう問題も
休養といったような
施設等に関するまだ不備なところが相当ありまするので、これらもその
委員会において取り上げて
改良実施に進んでおります。その他まだいろいろございますが、一応そういう
方針で
東京の三
団体が一致して進んでいきたい、これは過去、
協会としましては相当これらのことは研究したりまた希望しておりましたが、御
承知のように
任意組合であったり、あるいは
協会というものが
強制力を持たないが故に非常に
指導といいますか、
業界の
指導をしておりましても
実施がなかなか困難だ。たまたま非常にここに悪名を馳せて、
世間の問題になったことは、言いかえれば非常ないい時期を与えられたものだと思っておりますのです。ぜひこれは
官民合同でここで改革と申しますか、改善に進みたいとこう思っております。この
事故の
原因については、今
ノルマの問題としては御
承知のように無
監督、現場の
職場において
監督のない、たとえば
会社の
商取引を
会社を代表して街頭においてやるこの
仕事。これが
つまり半
請負事業といったような形になりますので、どうしても全部
固定給というわけにはいかねことは、もう御了承下すっておると思いますが、
先ほどから話があったように、できるだけその
固定給を多くし、そうして
歩合給の方を少くしていきたいということで今検討してやっておりますが、たとえば今唱えられておる
走行キロに関して、あまり
経営者が
走行を強要するとか、あるいは水揚げを強要するという話もありますけれ
ども、これは絶対にないとは申し上げられんし、これも改めていかんならぬ
一つのあれでありますが、大体そういう無
監督の半
請負の
仕事だけに、あの
標準作業、
標準の
作業量といいますか、出て行ったらある時間だけはこれは働いてもらう。だれもこれは
監督していない。それがどの辺の点に置くべきかということ。
つまり一日一昼夜に何百
キロ作業をしてもらわんならんかということなんですが、この最近私
どもは実際にその三十二
キロの
制限速度でそれで市内を走って、拘束十六時間で働きますのに一時間に十五分の
客待ち時間、あるいは空車で歩いているというような時間を取りまして、それから
休養時間を三時間というようなものを取って、これは大体
実施してみましたところが、三百八十四たしか
キロくらいの距離を一昼夜に走ることで、そう暴走したりせずに
仕事ができるのじゃないかという、一応そういう線が最近出ております。
それからこれをどのくらいにきめようかということをこれから検討して、最も
安全運転をしてもらうということと、それから
固定給をきめること。それからもう
一つ、これは
過重労働である。重
労働であると言われておる二
交代制の問題、これが一応
ノルマという問題になると思いますが、この二
交代制の問題は御
承知かもしれませんが、三十年と思いましたが
全国的に全
旅労連といいますか、
乗用自動車の
全国の組織が二
交代制、
つまり八時間制を唱えて
労働基準監督署の方に働きかけた。私
ども経営者側の方もこれの
反対運動をしまして、そうして一時たしか
国会に取り上げられたものと思いますが、このときにちょうど私のところでも三百台ばかりの車、それを全部
基準局の言われるあれを具体的の表によりまして、
交代時間から非常に詳しい企画を立てられて、
基準局長の方から示されたその線に沿って
労使相談しましてやってみました。これは一応われわれの
想像では、
事故が非常に減るだろうということ、それから収入はこういうことによって幾らか、一割くらいふえるんじゃないか、その
かわり人を相当量ふやさぬと
実施できぬというようなこと、ただし収支はそう変りなく、楽に
仕事ができて、
事故がうんと減るんじゃないかということを
労使ともに
想像をつけまして、そうしてこれは
実施した。それを三十年の六月の一日から
実施し、翌三十一年の十一月までこれを
基準局のおっしゃる
通りの計画に乗せてやりました。そうして、よければ
業者全体にこれを進めたいと思ってやりましたのですが、遺憾ながら両方とも
期待にはずれた。
つまり労使ともこれをやるにはおそらく一割三分くらいの増収があって、そうして増員した
人間、百何十人ふやした
人間の
給与の
補給をして、それでいくんじゃないかということが
一つ。
それから
事故は、当時
警視庁も言われた
通り、おそらく八時間制で、二
交代制をやったらば相当減るというような
期待があったのですが、私
どももそれを
期待しておりましたが、どういう
理由ですか、ちょうどその二
交代制を
実施していきました間を前年に比べますと、同じ
車両で同じなんですが、相当
事故がふえたということ、それでこれは
期待を非常に裏切られた。それから労務者の方がこれを
実施してみますと、かえってあんまりからだの
休養ができない、そうして
仕事がやりにくい、いろいろな
理由がありますが、その
一つの大きな
理由は、二
交代制になった場合、
つまり一昼夜制のときには、二往復
営業所と自分の居住地とをすればいいやつを、八時間制になりますと、二
交代、二往復しなければならない。片道に一時間を要したとしましても、今まで二時間で済んだ通勤時間が四時間にもなる、そうすると
休養する時間が非常にかかる、それから
交代をするのに八時間なるがゆえに、午後の四時から五時の間に
交代する後任者、
交代者が来ておるから四時に非常にあくせくと帰らなければならぬ、時間を縛られる、それまでに非常に気がせくということ、何かゆとりのある
営業ができないというような
気持なんでしょうが、もとの一昼夜勤務に
運転手の方から戻してくれという希望が出ております。これは組合の方が
会社はあまり関知しないでアンケートをとったらよかろうというので、組合自体が全
従業員からアンケートをとりましたら、大体八割くらいはもとの一昼夜制に返りたい、二割ばかりがやっぱり八時間二
交代制がいい、こういうことになったので、またそのまましばらく継続、両方置いて希望
通りの勤務をさしておりましたが、ついに三十一年の暮れ、十二月ですか、全部がやはり一昼夜制になって、ただいまその後引き続き一昼夜、二十四時間
交代という制度になっておるわけです。これも今
事故の問題とともに非常に研究しているわけですが、これは組合に強要されたわけではなく、またわれわれの方もお互いに研究するという意味でやったのですが、あるいは何かほかに
理由があってやり方が悪かったかどうかしりません。少くもこれは、こういうことを
実施するためにはどこか郊外の方へ出まして、
営業所も、それからそこの付近に居住する宿舎でもこしらえて、そこから通うとかいうことになれば、そういう点も一歩進んだことができ得るかもしれませんが、現在のような状態ではなかなか困難である。これがいわゆる当時は
世間でもだれが、しろうとが聞きましても非常に賛成される問題で、これは一昼夜勤務するよりは、八時間二
交代制の方がいいので、その方が安全だという、これはどなたが聞いても賛成される。私
どもは観念論だと、こういうことを言っておったのですが、事実そういう結果に終ったわけであります。
それから総合的にいろいろと申しますと、現在の
車両が、三十年の十月に私が運送協議会の
委員をしておりましたときに、当時
東京の
業者が三百二十くらいありましたが、非常に不況に襲われて、その
うち二百五、六十社が不渡り手形を出すというような状態で困った。それでいろいろこれを調べてみますと、当時
東京の百八十たしか五社の総計の
調査をしましたもので計算して参りますと、要するに車の数が多過ぎる。そのときに一万二千四百台ばかり、これは需給のアンバランスからくる不況であるので、どうしてもこれは減車せなければならぬ、もちろん増車新免はストップしてもらわなければならぬということで、逆算して説明をいたしまして、一割の配当をして健全
経営でいくには、どうしても当時
キロ当り二十円以上の水揚げがなければ困るのに、その当時は十九円幾ら、しかも、実車率、客を乗せて走る
走行キロの割合が、五〇%がなかなかむずかしかった。四八から九%、
つまり半分以上は空車で貴重なるガソリンを町にまいて走っていた、これは国家的な経済からいったってもったいないことであるから、ぜひ減らしてもらいたいというので、当時、逆算していきますと、千六百台減らすと二十円以上の、たしか二十一円くらいな
キロ当りになります。実車率も五三、四%になるというところで
委員諸君の御賛同を得まして、そういう
需給調整を慎重に調べて行政処置をとって、そういう減車の処置もとっていいという決議まで受けたのです。それで現在台数はそのままでおりますが、自家用の方が非常にふえまして、御
承知のように無制限に認可されるのですけれ
ども、輻湊してきております。
事故もこの上増車をいたしますと非常に
関係のあること、それから
経営の面からいきましても現在のいわゆる実車率は五三、四%であります、当時から見ますと。それから
キロ当りが二十一、二円の状態でありますから、やや好転してきたという姿でありますが、まだほかの地方、ことに関西方面からみますと大へん実車率も
キロ当りも低い。この上増車をいたしましてやったならば、競争状態が激しくて、おそらく需要の方はそうふえていないのに供給の方が多くなったらますます
神風タクシーになるのじゃないか。一日の大体
標準収入というものより多くの車で負うということになりますと、そういうことになるのじゃないかということを非常におそれているわけであります。これは一面、最近非常に
業者の方も、
キロ当りがあんまりよくなくて実績はよくないということは、三十年のストップした当時からみて実際には増車しているという姿も見られるわけなんです。ということは、あの三十年にストップしたときには実車率が稼働率で、
つまり登録されておる一万二千四百というその登録の数のほかに、これは実働台数というものが当時はおそらく九千台くらい、稼働率が非常に悪く、これは車も御
承知の欧州から小型、中型を輸入しまして、国産車も間に合わない。従って、相当古い車を無理に
手入れして動かしておったから、稼働率が悪く、全体に八五%から九〇%の稼働率であった。今日は御
承知のように、国産車が非常に性能がよくなり、また生産量も多くなって、日本の国内の
タクシーは一台も外国車は要らない、国産車であり余っておるという姿になって、しかも、性能がよくて稼働率がいい。今
東京の
業界がほとんど百パーセントで走っております。百パーセントだということは、同じ登録台数で稼働率がよくなったということによって、おそらく二千台から増車している。それに御
承知の白ナンバーの
営業とか、あるいは何とか近ごろの違法の
営業のあのハンカチ・
タクシーとか、ああいうものは何百台ありますかしりませんが、相当数稼働しておるということは、これは事実です。この上新免、あるいは増車ということになりますと、ますます神風が起ってくるのじゃないかということを非常に憂えているもんであります。
なおもう
一つ。これは道路の状態等は、もうくどく申し上げぬでも御
承知のようであります。広くなったわけではなし、そこへ自家用等が非常にふえてきた、非常に輻湊するということ。それから道路運送法等の改正もしてもらいたいということもありますし、あるいは就業免許証、これは簡単にいいますと、戦前には普通の免許証のほかに、
タクシー、
ハイヤーに就業する
運転手は、地理その他特別の技術を持った、
つまり免許証、就業の。これらの
仕事に就業する免許証というものが別にあったんで、
警視庁からこれは交付されておったんです。それが戦後なくなった。それで今日われわれはこの制度を復活してもらいたい、そうして適正な……これには、まあいろいろ接客上の問題がありますから、心理的検査、その他まあいろいろありましょうけれ
ども、一応技術あるいは地理その他のことを、
タクシー事業のようなものに、
タクシー、
ハイヤーに適するかどうかということの検査を合格した者に与える、前にあった就業免許証制度を貫いてもらいたいということが
一つであります。
それからもう
一つは、道路の
交通の面を、対面
交通というのはアメリカさんが来て日本にああいうものを強要していきましたが、現在あれでわれわれも困っておるのは、歩道のある所はいいが、歩道のない所で両側で
人間同士の対面
交通が行われている、
つまり車左で人は右ということの看板は出ておりますが、だれもこれを現場で
指導したりなにしている者はありません。小学校の生徒だけが校庭で先生に
指導されておりますので、今は大人は左行、子供は右行というような姿で、これほどこも徹底していない。われわれは何十年来左行ということに習慣づけられて、もう無意識的にすぐ左行します。それがゆえに百貨店なりあるいは駅の階段とか、あるいは通路等をごらんにをなるとみんな左行しております。これはそのまま放置されておる。これはああいう所はいいのですが、歩道のない道路などは今までの幅員より両側とも倍にふえたと極端に言えば言い得る。両側とも左行の人と右行の人が交錯している。こういうことはもう徹底してもらいたいということです。で、私も前に
警視庁の二代ばかり前の
交通部長にこのことを問うたことがあるのです。アメリカさんに強要されたが、今ほったらかして、もう昔に復帰するのじゃないかと言ったら、そうでもないという話でしたが、できるならば、九千万か八千万か知らぬが、国民が何十年にわたって訓練された左行をそのままにして、ほかの
交通機関を反対に回したらどうですか。これはごく少数で、ことに軌道の問題はまあ渡り線の何とかありましょうがすぐ直せるのと、それから車馬の方はわずかな数であるから、これは反対にされて、
ほんとうの対面
交通ならそうしてもらったらどうだ、この輻湊しておるときに
東京なんかのあの姿は実にわれわれも困っておるということも申し上げておったのです。これらも
一つ何とか研究を願って、解決を願いたい
一つと思います。
いろいろ申し上げたいこともございますが、ただ
東京の
タクシーという立場から言いますと、地方と違って立地
条件が非常に悪くて、どうも
中心の銀座の方に集中するという傾向がありますが、例を大阪の方からとりましても、私鉄のターミナルが発達しているゆえに盛り場がぐるりにあって、空車で走るという率が非常に少い。しかるに
東京は
中心に集まるくせがあって、どうも盛り場を持たないという非常に不利な
条件があるということもお含みおきを願いたい。
それから根本問題としては、台数がほかの都市から見て多過ぎる。たとえば大阪のごときは五百万人に対して現在四千台切れるかどうか、大大阪に対して。しかるに
東京では大
東京に対して一万二千四百台、現在確か一万二千六百台になっておる。これは多過ぎるじゃないか。だから戦前も戦後も実にわれわれ
東京の
業者はほかの地方から比べて
経営が非常に苦しくて成績が悪いという大きな
原因は、地理的
条件、それから需給
関係がアンバランスじゃないかということがいわれるわけです。それこれ、私
どもとしてはもっと
経営がやりよくて、暴走しなくても済むような姿にみずからも反省して直しますが、
諸般の点から研究して、そういう線にいくようにお願いしたいということを申し上げておきます。