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高良とみ君 ただいま
議題となりました
委員派遣報告のうち、
南海丸遭難事件に関する
派遣について、その
概要について御
報告いたします。
一月二十六日午後六時三十分、
南海丸は
SOSの発信以来、その
消息を断ったのでありますが、二十八日午後一時
沼島南方二海里の地点において、
漁船住吉丸によって発見され、
一般旅客百三十九名、
船員二十八名、
合計百六十七名が、一名の
生存者を見ることもできず、
遭難したことが確認されたのであります。
当
運輸委員会においては、事態の重大なることにかんがみ、
現地に急遽
委員を
派遣し、その実情を
調査するとともに、
遺家族に対する深い慰弔を表するため、三十一日
天田運輸委員長、
江藤理事、
松浦、
高良、
岩間各
委員が
現地におもむいたのであります。
まず、
委員の
派遣の行程について申し上げますと、二月一日
和歌山県庁において本
海難に関して、県、市第五
管区海上保安本部、
近畿海運局、
大阪管区気象台、
和歌山地方気象台、同
海運支局、
大阪基地海上自衛隊、
陸上自衛隊第三
航空隊、
南海汽船株式会社等の各
関係者より
説明を聴取いたしました。また、
遭難遺家族の
弔問をいたし、特に
和歌山埠頭の仮
安置所、鷺の
森別院におきまして、一同焼香いたし、その
冥福をお祈り申し上げました。二日、
天田運輸委員長と
高良委員とは
海上保安庁の
巡視船「あわじ」にて
遭難現場に向ったのであります。
当日、
巡視船の
船長は、海は平穏であり、
夕刻より風が出る
模様との
説明をされましたが、
出港一時間経過ごろより波浪高く、午前十時四十五分
現場に到着いたしましたときには、空は暗雲低くたれこめ、雨をも加えて著しく
荒天となったのでありました。
遭難個所は
標識のブイが痛々しく雨に打たれ、波に洗われて、そのなまなましさを目のあたりに見た私
ども一同ひとしく新しい悲しみに打たれ、同船せる
遺家族とともに、花束を海中に投じて、その
犠牲者に対し心からの
冥福をお祈り申し上げました。そのころより鳴門海峡の風雨はさらに激しく、当時をしのぶにほうふつたる悪
天候となったのであります。その中において
海上保庁、
サルベージ会社及び多数の
漁船による
遺体収容作業は困難な条件のもとに続行されておりました。正午、しのつく雨の中に
小松島桟橋に着岸し、さっそく
遺家族の
弔問をなすとともに、
遺体の安置されております地蔵寺に参り焼香をいたしました。その後直ちに、
小松島市役所において、県、市、第五
管区海上保安部、
四国海運局、
徳島地方気象台、
小松島漁業組合、同
南海汽船営業所等より
説明を聴取いたしました。
なお、この機会に申し添えたいことは、当日
天候の悪化により、
和歌山に帰ることができず、
小松島に一泊したのであります。
気象予報の困難なことは了承されるのでありますが、当日は
夕刻より風が出て、明日は
天候が悪くなるとの
予報であったのでありますが、先に述べましたように、私
どもが乗船しているころは、すでに大へんな
荒天であって、翌日は逆に平穏な
航行ができたということでありまして、
気象予報が事実よりかなり時間がおくれるということを、私
どもは身をもって体験いたしたことであります。
次に、
海難事件並びにその
救難対策の
概要について御
報告申します。(一)
事故発生当時の
状況
一、
気象状況については、当日十四時現在においては、
関係地方気象台、すなわち、
和歌山、
徳島、
大阪、
神戸等からは
警報、
注意報の発令はなかったのであります。十五時に神戸海洋気象台から瀬戸内海、
四国沖に対し、次の
地方海上気象警報が発せられました。すなわち、今晩から明日にかけて
東後北西の風が強くなる、
最大風速十五ないし二十メートル、これは
陸上の
強風注意報程度のものであります。しかるに、十六時に
和歌山地方気象台から
強風注意報として、低気圧が日本海を通過する見込み、今
夕刻から全域とも南の風が強くなり、後
北西に変り、明晩は弱くなる。
最大風速、
陸上十ないし十五メートル、
海上十五ないし二十メートル、風波高くなる、と発令されました。
徳島地方気象台では、この
時刻強風注意報は発令せず、寒冷前線の通過によって一時風が強くなる
程度、の通報をいたしました。
十七時に
徳島地方気象台から
強風注意報――これはすでに十六時に
和歌山から発令されたものとほぼ同様のものであります――が発令されました。
二、
事故当時の
模様、当日十六時五分、
和歌山地方気象台より
強風注意報を受けて、
南海汽船和歌山営業所では、
小松島港に向け
航行中の
南海丸を呼び出したが
応答なく、
和歌山港向け航行中の
わか丸は
応答があった後、
定刻より十分おくれて十六時五十分
和歌山港に入港いたしました。一方、
南海丸は
定刻十六時二十分に入港した。
同船入港後、
船長は上陸し、事務所において休息した後、
定刻十七時三十分、
小松島港を
出港しました。
天候は小雨で、平常より少し風が強かったので、
強風を考慮して
沼島回りの
荒天コースをとったものと推測せられます。十八時三十分、
南海丸危険、
南海丸危険、の連呼を
小松島は受信しました。そこで、
営業所では、
南海丸の位置を知らせと呼んだが、
南海SOS、
南海SOS、との無電があったまま
消息を断ちました。その間二、三分のことであった。なおも
南海丸の呼び出しを続けるとともに、十八時四十分
小松島海上保安部和歌山港営業所へ
有線電話をもって
南海丸遭難の旨を連絡しました。十八時四十分
和歌山港営業所ではこの連絡を受けて、すでに入港し、十九時
出航予定のため準備中の
わか丸に、直ちに
予定を変更して
救援出港を指令し、
わか丸は二十時四十分ごろ
遭難したと思われる場所に到達しました。
(二)
救難対策
第五
管区海上保安本部の所属「あわじ」以下十五隻の
巡視船艇及びヘリコプター等三機を
現地に急派するとともに、
海上自衛隊、
陸上自衛隊、第三
航空隊に捜索を依頼しました。これらからは掃海艇五、航空機三の協力を得るとともに、
南海汽船所属の船舶四、その他
漁船約二百の自発的協力を得て捜索に当ったのであります。船体確認後は、
遺体収容に深田サルベージ外四社と契約し、収容作業に全力を傾倒しておりました。
和歌山県及び市、
徳島県及び
小松島市においては、
災害救助法に準じた
措置を講じ、救助対策本部を設置、それぞれ遺族の世話、応急救護、情報連絡、
遺体の検視等、所要の適切なる
措置を講じておりました。
(三)
遺体の収容及び遺族について
二月一日午後までの
遺体の収容は百三体でありました。遺族の切なる要望にもあります通り、
遺体の流失を未然に防ぐため、一日も早くその引き揚げをなすことこそ緊急の問題であります。
南海汽船株式会社におきましても、
災害対策本部を本社に置き、
和歌山、
小松島にそれぞれ地区本部を置いて、もっぱら
遺家族に関する一切の処理に万全を期しており、なお、会社側として見舞及び葬祭料等として、とりあえず一人あたり九万円が贈られておりました。
和歌山地区の遺族の代表の方々より次のような要望が述べられました。
一、
遺体の収容の迅速、二、全
遺体の収容完了まで引き揚げ作業を続行すること、三、
遭難原因を徹底的に
調査し、責任の所在を究明すること、四、遺族に対する補償は、会社側は誠意をもつて道義に立脚して解決すること、五、国家補償についても十分考慮してほしい、六、船舶の
航行、船体の構造について、より巌格な法規を定め、再びかかる
事故の発生
防止をすること、等でございます。
(四) 今後の対策
昭和二十九年の洞爺丸、三十年紫雲丸、三十二年第五北川丸、今回の
南海丸と、
海難事故の繰り返しを顧みるとき、これらはいずれも本島と四国、
北海道の主要航路幹線であるというところに問題を多く内蔵しておるのであります。そうしてこれが原因は種々な条件が重なり合って
海難を起すもので、原因については、厳正な
海難審判所の審判に待つものでありますが、
事故発生後、いつの場合でも、集約的論議が持ち出される点として、(一)気象伝達方式、(二)船体の構造、(三)
船長の
出港判断の問題であります。
第一の気象の伝達についてでありますが、
和歌山及び
徳島地区においては、それぞれ気象通報に深い関係を持つものによって防災気象連絡会が結成され、平常から気象の伝達の
円滑化をはかっていたのであります。これには
南海汽船も会社として加入しております。当日
船長が
注意報を知っていたかどうかという点が問題となったのでありますが、要は、通報されるのを待つだけでなく、
船長はもちろん、船会社等は多数の人命を預かる責任上、積極的に気象の予知に熱意を持って、いやしくも気象を軽視するようなことのないように、特に要望いたしたいのであります。また、気象庁においては、気象情報の正確な伝達をはかるため、責任を明確にしてこれが連絡事務の近代化をはかるための
予算措置等を行うことを切に要望するのであります。
第二に、
南海丸の船体構造について申し上げますと、
昭和三十一年三月の新造船であり、昨年四月の中間検査に合格し、船舶安全法、
海上運送法、船舶職員法等の海事諸法規上何ら欠陥は認められなかったのであります。今回の
遭難個所は、土地の古老の話によりますれば、ことわざに「まぜ(南風)とひつしょ(引潮)はおこわにタコ」と言われるぐらい――混合が悪いという意味であります――海流の激しい、外海の気象、海象が直接波及する瀬戸内海外部の地域なのであります。
南海丸は検査を合格してはおりますが、果してその基準自体が適正かいなかということは問題であります。今後、このような航路の船舶基準については、慎重な検討と、その適格性が
研究さるべきではないかと考慮するのであります。
第三に、
船長の
出港判断については、
船長は
注意報を知っておっても、この航路における場合は、その豊富な経験によって、この
程度なら大丈夫であるとの確信のもとに
出港したと思われるのであります。ただ、
船長の判断にのみまかせて責任を負わせるようなことはいかがと
考えられます。特に船庫連絡航路につきましては、いま少しく広い情報に基いた統一
態勢の確立が要望されておるのであります。
今次の
海難に際し、
わが国のような
海難の多い国においては、
海難防止のための総合対策が最も緊急なことであり、国家的総合機関を設置して
海難事故の
防止に
努力し、また、特に
海難の多い地方には
海上保安庁の
巡視船の抜本的な重点的配置もはからるべきことを痛感いたしました。
最後に、今回の
海難に対する各関係機関の協力
態勢は全く円滑にかつ、強力に推進されていたことに対しましては、深く感銘をした次第であります。
以上、
概要の御
報告を申し上げます。