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1958-02-25 第28回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十三年二月二十五日(火曜日)     午前十時三十六分開議  出席委員    委員長 江崎 真澄君    理事 今井  耕君 理事 川崎 秀二君    理事 橋本 龍伍君 理事 川俣 清音君    理事 柳田 秀一君       小川 半次君    大橋 武夫君       太田 正孝君    北澤 直吉君       久野 忠治君    周東 英雄君       須磨彌吉郎君    永山 忠則君       楢橋  渡君    野澤 清人君       船田  中君    松浦周太郎君       南  好雄君    宮澤 胤勇君       八木 一郎君    山崎  巖君       山本 勝市君    井手 以誠君       井堀 繁雄君    岡田 春夫君       島上善五郎君    辻原 弘市君       森 三樹二君  出席国務大臣         厚 生 大 臣 堀木 鎌三君         農 林 大 臣 赤城 宗徳君  出席政府委員         内閣官房長官  愛知 揆一君         内閣官房長官 岡崎 英城君         行政管理政務次         官       榊原  亨君         科学技術政務次         官       吉田 萬次君         法務政務次官  横川 信夫君         外務政務次官  松本 瀧藏君         大蔵政務次官  坊  秀男君         大蔵政務次官  白井  勇君         文部政務次官  臼井 莊一君         厚生政務次官  米田 吉盛君         農林政務次官  瀬戸山三男君         通商産業政務次         官       小笠 公韶君  出席公述人         全国販売農業協         同組合連合会会         長       石井英之助君         早稲田大学教授 平田富太郎君         東京大学教授  今野源八郎君         元陸軍中将   遠藤 三郎君  委員外出席者         専  門  員 岡林 清英君     ――――――――――――― 本日の公聴会意見を聞いた案件  昭和三十三年度総予算について      ――――◇―――――
  2. 江崎真澄

    江崎委員長 これより会議を開きます。  昨日に引き続きまして、昭和三十三年度総予算につき、公聴会を続行いたします。  御出席公述人各位にごあいさつ申し上げます。本日は、御多忙のところ貴重なるお時間をさいて御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。委員長といたしまして厚くお礼を申し上げます。  公述人の方に申し上げますが、本公聴会を開きますのは、目下本委員会において審査中の昭和三十三年度総予算につきまして、広く各界の学識経験者たる各位の御意見をお聞きいたしまして、本予算審査を一そう権威あらしめようとするものであります。各位の忌憚のない御意見を承わることができますれば、本委員会の今後の審査に多大の参考になるものと存ずる次第であります。  議事は、石井さん、平田さんの順序で御一名ずつ順次御意見開陳及びその質疑を済ませていくことといたしまして、公述人各位の御意見を述べられる時間は、議事都合上納三十分程度にお願いいたしたいと存じます。  なお念のために申し上げておきますると、衆議院規則の定めるところによりまして、発言の際は、委員長の許可を得ることになっております。また、発言の内容は、意見を聞こうとする案件の範囲を越えてはならないことになっておるのであります。なお、委員公述人質疑することができますが、公述人委員に対して質疑することができませんから、さよう御了承をいただきたいと存じます。  それでは、まず全国販売農業協同組合連合会会長石井英之助君より御意見開陳をお願いいたします。
  3. 石井英之助

    石井公述人 予算案関連をいたしまして、農業一般についての若干の意見を申し上げたいと存じます。  農業政策の問題につきましては、農業をめぐりまする諸般の事情というものがだいぶ変化をして参っておりますので、これからの農政運営につきましては、従来とは異なった転換を必要とする段階に入ったと考えられるのでございます。それで、わが国農家所得水準は、近来徐々に改善をされてきておりますが、相対的には、依然としてその水準が低く、他の部門との関係におきましては、その所得水準の差がだんだんと拡大をして参るような傾向もあるわけでございます。のみならず、農業生産力において、国際的な競争力が弱く、しかも、全体としての食糧自給力は低いというのが、農業現状でございまするので、農業政策といたしまして解決を要請されておるものは、この状態をいかに打開をして農家所得向上国際競争力の強化、自給力向上という問題を解決するかということに存するわけでございます。この点については、おおむね一般意見の一致を見ておりまするし、政府の当局においても、かねがねこの点を指摘をいたしておるわけでございます。  ところで、この多数の小規模な農家経営によって成り立っておりまする農業におきまして、これらの問題を解決するには、もとより多面的な対策を必要とするのは当然でございまするが、そこには、一貫した力強い基本方針確立というものが望まれるわけでございまして、従来とはだいぶ変化して参りました具体的な条件に即して、新たなる構想を必要とするこの段階におきましては、特に基本的な方針確立というものが望まれる次第でございます。政府においても、このような点についていろいろと企画をされて、努力をされるものと考えまするが、このような意味における新しい政策というものがどのように企画されるであろうかという観点から、予算案について、若干の意見を申し上げたいと存ずるのでございます。  まず土地及び水資源関連する生産基盤改良拡張の問題でありますが、農耕地面積が狭小であるわが国といたしましては、何と申しましても、これが農業政策基本をなすものであることは申すまでもないところでありまして、ことに鉱工業の発展、人口の増加の大勢に伴いまして、ある程度農地の壊廃というものは不可避であり、また遺憾ながら災害が頻発をいたす現状におきましては、これ以上の農地の損壊も免れ得ない実情でございますので、農地改良及び開拓事業には、特に重点を置いて進んで参ることが肝要でございます。ところで、これらの事業は、申すまでもなく一朝一夕に急速に実現をするということは困難でありまして、どうしても長期的に、絶えず持続的に事業を進めて参るという必要がございます。予算案におきましては、この点に関しましては、相当の努力が払われておりますることは、まことにけっこうなことでございます。今後におきましても、そのときそのときの事情によって動揺するというようなことがなく、政府としては、一定の方針を堅持して、いよいよ継続的にこの事業を進められんことを特に希望いたす次第でございます。  なお、この点に関しまして要望いたしたいのは、予算運用に当っては重点的に事業が行われて、その生産効果が非常に高められるように措置せられたいことでございます。  それから、これは後ほど申し上げたいと思いまする畑作及び畜産の問題とも関連をいたすのでありますが、今後の土地関係事業の推進に当りましては、畑作振興ないしは畜産振興基本方針確立と相待って、畑地なり傾斜地なりの改良開発の面に対して、特に努力を払う必要があると考えられるのであります。従来は、ややもすれば水田中心ということになる傾きがございまするが、これは、全般的な農業政策転換とも照応をいたしまして、以上申した点に特別の考慮を払う必要があると考えられるのであります。なお、この事業実施に当りましては、営農指導との間に密接な関連を持って行われることに、特に留意を願いたいのであります。この二つのものが離れ離れに行われるという傾向がございますので、特に留意を願いたいと存じます。  次は、畑作振興の問題でございますが、これは、必然的に畜産振興問題と関連をいたすというよりか、むしろ畜産振興を含んだ畑作振興の問題、こういうふうに考えるべきであると存じます。御承知のように、由来日本畑作というものは、その生産性が低く、いわゆる国際競争力の最も弱い部門でございますので、日本農業生産性を高めるという見地から考えますと、農政上当面の大きな課題が、畑作における生産性向上ということに帰着をいたすことは、御承知通りであります。そうして、この点は農家所得水準向上という課題と、それから国際競争力を強めるという課題とが、同時的に端的に表現せられている部面であり、またこの二つの問題の解決が最も痛切に要請をせられているのが、この畑作の問題であるわけであります。そうして、この畑作の問題は、申し上げました通り畜産振興の問題と不可分的につながつている課題でありますので、この問題に対してどう対処していくかというところに、今後の農政の新しい基本の線が出て参るべき点があるというふうに考えられるのであります。現に麦作につきましては、その将来がどういうふうになるであろうかということに対して、生産者側には大きな不安があるのでありますし、イモ作についても、その打開の道が要求をされているのが現状でございます。そのほか大豆、菜種、トウモロコシというよなうものにつきましても、これらは、いずれも外国に比較をいたして生産性が低く、品種規格整備を要するという不安定な状態にあるわけであります。そして、これらの畑作物は、すべて直接または間接に輸入農産物と競合の関係に立っておりまして、すでにその圧迫を受けている立場にありますので、輸入農産物数量価格との間に常に調整を必要といたしておる。これが、大体畑作現状でございます。生産者側としては、すべて非常に不安定な立場に立っておるわけであります。  政府におかれても、この実情にかんがみて、畑作及び畜産振興については、大いに努力をするという意図を示しておられるのでありまするが、予算案について見ますると、新規のもので目ぼしいものとしては、畑作試験施設整備拡充に対して一億二千万円、草地改良事業費において、高度集約牧野造成について約一億円というものが認められるのでございますが、これらは、もちろんそれ自体としては大切なことでありますけれども、この程度でございましては、どうもこの大きな問題に対する措置としては、はなはだ不十分である、遺憾ながらかように感ぜいるを得ないのであります。他の施策は、おおむね従来のやり方の線を出ておらないのであります。  この問題につきましては、畑地地方保全培養という大きな課題が残っており、また畑作物品種改良、その規格整備による生産性向上というような点にわたりまして、どうしてももっとつき進んだ基本方針を定めて、急速に実施を進められんことを切に要望するのであります。これについては、もとより生産者の側として努力すべき点もございまするが、たとえば土壌侵食を防止して地方保全をするとか、あるいは品種改良をする事業とかいうものは、事の性質上、どうしても国の施策に待たなければならぬ部門がまだまだ非常に多いのでありますから、その点、特に考慮を願いたいと考えております。  なおこの際、特に希望をいたしたいのは、牧草に関する問題でございます。畑地地方保全培養という点から考えまして、牧草栽培の導入ということがきわめて効果的であるとともに、一方畜産振興上、牧草栽培拡大が非常に必要であることは、つとに指摘をされておるところであります。政府でも、近年この点については、いろいろと努力を払われて、研究試験進展しておることは喜ばしいのでありますが、この点については、さらに段の考慮が必要であろうと思います。生産者側におきましては、農業経営改善の必要から、この農村における草に対しての関心というものは、著しく高まってきておるのが事実でございます。しかしながら、実際におけるこの牧草栽培というものの進展は、きわめて遅々といたしております。これは申し上げるまでもなく、従来のわが国農業経営の中にあっても、草の栽培というものは全く未知の、また未経験の分野でありまして、政府としての施策も、近ごろまではほとんどなかったというのが実情であります。それで、農民の要望に応じて、これを実際に指導する組織的な力が国全体として欠けておる、こういう形になっておるのであります。そこで、当面牧草品種改良から栽培管理方法、これには病虫害防除というような問題もございますが、そういうものも含めての栽培管理方法についての基礎研究を、本格的に政府としては進めていただきたい。それとともに、実際に生産者に対する指導に当ることのできる人の養成を目的として、この草栽培に関する研修施設整備充実する、こういうことの着手を急ぐべきであろうと考えるのであります。また畑作物品種改良に関しましては、イモ類品種改良の問題が切実になっておりまして、澱粉新規用途開拓というような関係におきましては、澱粉価の高く、反収の多い品種選択普及ということが大へん重要でありますので、特にこの施設の充実を求めたいのであります。  次に、農産物流通機構合理化価格安定の問題であります。政府でも、農産物の販路の拡大流通合理化価格の安定ということを農林政策主要項目として、各種施策を講ずる意図を明らかにしておられますが、今後の農業政策の進むべき新しい線として、この点は、非常に重要であると考えられるのであります。すなわち、農産物について長期安定的な需要を確保して、その流通機構を合理的に改善をし、それによって価格の安定をはかるということは、一方生産の面において生産性向上していくという、そのことのための基礎的な条件一つであることは、御承知通りであります。今や農産物生産面指導奨励というものは、それの流通機構整備と相待つにあらずんば、十分な効果をあげ得ないという段階にきておるものと考えられます。国内における農産物の需給も大体緩和され、外国農産物も順調に輸入をされるというこの状態におきまして、農業生産性向上されて参りますると、その過程においては、著しい価格不要定を生ずるおそれが多分にあるわけでございます。そうなりますれば、農家所得水準向上という目的にも反しまするし、それによって生産性向上を期し得ないという悪循環が生ずることは、免れない。特にこの点は、畑作物についてその心配が多いわけでございます。そこで、どうしても安定需要を確保しながら、輸入農産物輸入数量価格との調整に工夫をいたしますとともに、一方、消費面と接触する流通部門合理化をはかることが、必要となって参ったわけであります。この意味において、農業政策は、その目的を達するためには、生産面から進んで流通需要の面にまで及んで、その間に脈絡の通った対策を講じなければならぬという段階に相なったものと、実際の事の動きからさように感ぜられるのであります。農産物流通部面は物にもよりますけれども、その合理化を必要とするものが非常に多くございまして、そうして、これに対する対策のおくれておった部門でございます。このことは、肉類青果等において特にその必要が認められるのであります。御承知のように、近来国民生活水準の上昇するにつれまして、肉類牛乳青果等需要が伸びて参りまして、それらの生産は、農業経営改善という必要からも促されまして、急速な増加を示しておるわけでございます。このことは、わが国食糧問題の総合的な解決という点から考えますと、まことに喜ぶべきことでございまして、この傾向がますます進展をすることが期待をされるのであります。そこで、この流通部門については、この生産消費両者拡大傾向に即しまして、改善合理化をする必要がいよいよ切実になって参ったわけであります。これは、国民消費生活上の大きな問題でありますとともに、農業全体の成長発展のために、それが必要であるという段階になったわけでありまして、もしもこれが十分に打開解決をされないということになりますれば、それが逆に日本農業生産力向上を制限をするという結果にもなることを憂慮されるのであります。問題は、非常に私どもとしては切実であると考えるのであります。それで、この問題の解決につきましては、生産者側の態勢を整備することの必要を痛切に感じておるものでございますが、一方において、中央卸売市場整備というような問題、その他政府として腰を据えて、しっかりした対策実施することが必要であるという、そういう面も非常に多いのであります。これには、もとより予算措置だけでなく、各種措置が必要でございますが、予算案におきましては、遺憾ながらこの面については、新しく力強い措置は講ぜられておらないのであります。今後は政府において、予算措置についてはもちろん、それ以外にも、それぞれの方策を講ぜられることを大いに要望をいたしたいのでありまして、これは、残された非常に困難な問題でありますだけに、政府としては、しっかりした基本方針を立てて、強力にこれを推進されんことを特に希望いたしたいのであります。  なお、以上のことに関連をいたしまして、政府は、農産物を原料とする新規事業育成のために、金融上の便宜を供与するというようなことを考慮されておるように伝えられておりますが、その適切な運用を望みたい次第であります。また酪農に関連をして、牛乳、乳製品の学校給食施設として七億円の予算が計上されておることは、注目をすべき点であると考えるのであります。これは、学童を牛乳消費になれさせて、栄養向上に資するとともに、ひいて長期的に見まして、国民食生活改善をはかるという点で適切な措置であることは、申すまでもございません。つきましては、この仕事は、牛乳の余ったときの一時的な便宜的手段ということでなく、長期的な食糧問題の解決策として、長期安定的な需要造成をするという見地から、この事業は、政府として継続実施せられたいと考えるのであります。  終りに、食管特別会計予算につきまして、一言いたしたいと存じます。食管特別会計においては、いわゆる経理区分明確化をはかるために、その編成の方式を改められております。もちろん経理区分明確化そのものは、けっこうなことである、これによっていろいろなことが整理されて参るということは、私どももけっこうなことと考えております。しかしながら、それは、どこまでも政府としての事業会計経理する上における問題でありまして、このことによって、食糧管理制度運営そのものには何らの変化があるものでないということは、申すまでもないところと考えます。これは、経理上の問題であって、管理制度運営上の問題ではない、かように理解をいたすべきものと存ずるのであります。会計経理上のいろいろの整理のやり方というものが、制度運用に何らかの制約を加える結果となるというようなことは、これはあり得べきことでもないし、またそんなことがあってはならぬと存ずるのであります。従って、食管制度そのもの運用予算との関係は、今回の予算案においても、従来と何ら変化はないものと考えるのであります。たとえば、米麦価格につきましても、予算に盛られておりますものは、あくまでも予算上というか、計算上の一応の予算米価でございまして、食管制度運営上のいわゆる実行価格というものは、従来通り米価審議会等において十分なる審議を経た上で決定さるべきは、申すまでもないのでございまして、その点は、従来と変化はない。予算米価は、もっぱらパリティ方式によって算出されたものとして説明をされておりますが、この算定方式については、生産費及び所得補償方式による問題も残っておりますし、その他にも、価格決定上種々の問題が残されておるのでありますが、これらは、すべて実行上の価格決定に当りまして、審議会審議を経て処理されるべきものと考えますので、その点は、従来と変化はない、かように存ずる次第であります。政府は、もとよりそのような考え方を持ちまして食管制度というものを運用されるものと考えますが、どうか会計経理便宜云々というような点から、食管制度運営の本旨がゆがめられるようなことのないように、十分なる配慮を要望いたしたいと存ずるのであります。以上、時間もたちましたので、はなはだ不十分でございましたが、予算案関連をいたしまして、若干の意見を申し上げた次第でございます。
  4. 江崎真澄

    江崎委員長 ただいまの石井公述人の御発言に対しまして、御質疑があればこれを許します。川俣清音君。
  5. 川俣清音

    川俣委員 せっかく公述人がりっぱな御意見を出されたのでございますから、それに対して敬意を表しながら、二、三点お尋ねいたしたいと思います。  石井さんは、現在の農業団体の持っております意見を大体総括的に述べられて余すところがないと思います。しかし、せっかく公述をされるからには、もう少し強く述べられるべき点があったんではないかと思うのです。必ずしも農業団体圧力団体になれとは私は申しませんけれども政府におすがりするような団体であっても相ならぬ、もっと自主的な団体であるべきではないかと思うのでございまして、そういう観点から、二、三ちょっとお尋ねいたしたいと思うのであります。  公述されました問題から言いますと逆になりますが、食管制度についてお触れになったわけでございまして、わざわざお触れになりましたには、やはりその理由があると思うのであります。今度の食管制度改正、あるいは特別会計改正が、とかくいわゆる従来の食糧管理体系から企業体系に変るんではないかという不安があるために、わざわざ従来の食糧管理制度を変えるんではないというふうに理解をする、こういうふうに強調されたのでございますが、一体今度の改正は、企業区分は、企業会計としての区分でもなし、また管理会計としての区分でもない非常に中途半端な区分になっておりますために、一般には誤解を生ずるようなおそれがあるために、念を押されて、くぎを打つ意味で、根本的な改正にあらずと理解する、こういう表現をされたと思うのです。この点は、もっとほんとうは明解であってもいいと思うのですが、これを望むのは無理でありますから、私の方から質問をいたすのでございます。  そこで、二つお尋ねしたい。一つは、企業区分としても不十分でないかと思われますのは、企業区分だといたしますれば、徳用米であるとか、あるいは黄変米の損失は、当然初めから落しておくべきものである、こういう点について明確でない、そうすると、企業区分でもないんですね。また、それでは食糧管理区分でいっているかというと、御承知通り外米内地米とは競合するのでありますから、これは、外米と準内地米とオカボ、あるいは水稲等一つ区分にしておくことが、企業会計でなくて、管理会計から行けば当然だと思う。また麦は、御承知のように、今の公述の中にありましたように、外国農産物と競合するのでありますから、これらも、やはり管理会計とするならば、これは内麦、外麦と一緒にすべきものだと思うし、それからまた、総体的に管理会計でありまするならば、当然食糧として輸入されております農産物の大宗をなしております砂糖ども食管会計に入れるべきだと思うのです。総体の農産物操作をいたしますると、こうした赤字も出てこなくなるはずであります。この点に、実際触れてお話があるかと思って、大いに期待をいたしておったところでございます。御承知のように、砂糖が入ることによりまして国内で直接影響を受ける問題は、たくさんございます。たとえばバレイショにいたしましても、特にカンショ等砂糖圧迫を受けるわけです。また牛乳練乳等砂糖圧迫を受けるわけでございまするから、これを食管全体として操作をすることが、食管健全化の上からも、また食糧管理全体の上からも、農産物管理全体の上からも必要なことだと思うのです。わざわざ農産物安定法の会計まで食管会計の中に入れておりまする趣旨からいたしまして、砂糖まで入れて管理するのが妥当だと思うのですが、石井さん、なかなか答弁しにくいことだと思います。少し政府にたてつくことにもなるであろうし、困難な点だと思いまするけれども、この際、御意見を承わっておきたいと思います。
  6. 石井英之助

    石井公述人 前段の御質問の点につきましては、私どもは、今回の食管特別会計改正の問題は、いわば政府部内の事務処理上の便宜から来ておる点が非常に多いように思うのであります。よくどんぶり勘定、どんぶり勘定ということが言われ、そのどんぶり勘定を直さなければいかぬということが言われて、今回のような改変になったと了解をいたしますが、それでは、果してどんぶり勘定というものが徹底的に解決をされたかどうかということになると、それは程度問題であって、従来のやり方よりも少しポケットが多くなったということであって、全体としてはやっぱりどんぶりであって、どんぶりの中に、小さなポケットがたくさんできたというのが今度の改変の実態ではなかろうか、こう思っておるのであります。だから、その意味におきましては、あれをどんぶり勘定の解消というようなふうに理解をするのは、ちょっと行き過ぎではないか、かように思っておるわけであります。そういう角度から考えますと、今御質問のような点については、大体御答弁が済むのではないか、かように思うわけであります。
  7. 川俣清音

    川俣委員 続いて第二点でお尋ねしたいのですが、畑作振興を非常に強調されたのは、政府もまたこれを強調いたしておりますために、お述べになった趣旨はよく理解できるのでありますが、どうも畑作振興にはごまかしがあるような気がいたすのであります。どうも政治屋が宣伝に使っておるのではないかというそしりを受けるような痛さを感ずるのでございまして、そういう意味でお尋ねをいたしたいのであります。それは畑作振興の一番障害になっておる点があります。それは、農耕地がだんだん宅地の進出を受けて壊廃をしていくということなんです。別な言葉で申しますると、農耕地としては、価値としては田が高くて、畑の方が安いのであります。しかし大消費地の近郊地におきましては、逆に畑地の方が評価額が高くなって、田の方が安い状態であります。そういたしますると、高い固定資産を持って、生産物が田よりも上らないということになりがちでございます。そういたしますと、畑地を農耕地として持っていくよりも、これを放棄して、金にかえるという傾向が漸次出て参ります。また宅地の進出が、そこへねらわれておるわけであります。高い評価の畑地からどういうものが生産されるか、こういうことになる。従って、評価でありまするけれども、高い評価の土地をもって安い農産物を作らせようというところに問題があるという点について、どうも政府農業団体も解明が足りないのではないか、この点が一つ。従って、農耕地の宅地進出をどうしてはばむのかということを考えることなしに畑地振興を唱えても、机上の空論になるということになる、この点について、一つ所見を伺いたいのです。  同時に、これに附帯いたしまして、畑地振興ということになりますと、どうして生産費を低めて、販売価格を安くしながら需要に応ずるかという態勢が出てこなければならないと思う。そのときに、畑地だけが高くなっていくということになると、むしろ放棄の方向にいくわけですから、それに対応するように、農機具であるとか、農薬であるとか、肥料等を特に安くするという傾向をとっていかなければならないはずであります。ところが、御承知のように、輸出されます硫安、窒素系統は、外国にダンピングをさせながら、国内には割合に高い肥料で農民に負担させて、日本の工業品の進出をはかっておる。これでは、国際競争に耐え得るような農産物を作ろうと思いましても、大体原価が高くつくような施策をやっておられますと――あなたは、今競合するようなことを何とか防いでいかなければならぬというお説であります。それはその通りでありますが、こういう肥料が高くなることについて、どういうふうにお考えになっておりますか、この点を一つ。  それからもう一つは、畑作振興について、外国から入って参りますいわゆる輸入食糧は、日本農産物と競合するというのでありますけれども――大半は競合いたします、ただ一つ競合しないのは大麦でございます。大麦などは、国内で十分生産ができて、あえて輸入を待たなければならぬものでもありませんし、むしろ国内の大麦の方が、外国のいわゆる大規模農業に、品質の上からも生産の上からも十分対抗でき得るものであります。外国の大麦は、必ずしも安くはないのであります。むしろ日本の大麦が、もう少し生産されることによりまして、外国の大麦を競争相手として十分戦える農産物であります。ところが、これは、どうも他の日本工業品の輸出振興に使われておりますために、無理に大麦を入れておるような傾向がありますが、これに対する批判が、当然農業団体から出てこなければならぬ。畑作振興ということになりますと、大麦、裸麦――麦類の生産が一番大きいのでございまして、これらのところから上ってくる所得をもって適地、通産の仕事をしていかなければならないのが、畑作振興の拠点だと思いますので、この点についの見解と、これだけ一つ……。もう一点ありますけれども、あとでお伺いいたします。
  8. 石井英之助

    石井公述人 第一のお話の点は、畑地が宅地に転換をする傾向が非常にある、従ってそれの価格が高いと申しますか、原価が高くつく、そういう畑地に農作物を作るということに大きな問題があるんじゃないかという意味のお尋ねだったと思いますが、この農地転換については、御承知のように制度上の制約がございまして、その制度が適正に運営をされることによって、そういう点は是正されなければならぬと、第一段的に考えます。広く日本畑作全体を考えてみますれば、そういう問題もございますけれども、それは、比較的問題としては大きなウエートを占めるものではないんじゃないか、むしろ非常に遠隔の地において、畑地というものが相当にある、そして、しかもその畑地地方の維持、培養というものについては、水田ほどの手が加えられておらない、そして、ややもすれば畑地地方の損耗というものは、水田に比べれば非常に大きいというところに、やはり技術的な大きな問題が残っておるのではないかという点と、それから、これは川俣さんなんか十分御承知通り日本畑作物の大部分というものは、外国の作物に比べれば反当収量も低い、それにはまだまだ品種改良の余地もあり、技術的な面において欠けておる点が非常に大きいというところに問題が残っておる、それだけに、政府としての施策を必要とする面が大きいと、かように考えられるわけであります。畑地転換については、今お話しの点は、農地委員会その他の活動、それから全体としての農業、工業の調整について政府努力を願いたい、かように思っております  それから麦作の問題でありますが、これは、お説の通り畑作振興という点からいえば、最も大きな問題だと存じます。それで、日本の麦作というものはどう考えて参るかという点について、生産者側に非常な不安があり、またこれに対して、明確な方針がどこからも打ち出されていない。それに関連をして、今お話の小麦と、それから大、裸麦を別に分けて考えるという問題が、具体的にもう出てきておるわけであります。これについてのはっきりした方針の明示ということは、これは、個々の小さな農家だけではどうにも処理し得ない問題でありますから、国全体としての農業生産計画というような面から、これについての方針を、やはり政府として打ち出される必要があろう、こう考えるのであります。大麦については、お説のように、かりに小麦作というものが相当に大、裸に転換した方がよろしいということになれば、輸入量というものは、もう激減をいたすであろう、かように考えるわけであります。  それから肥料の問題でございましたが、これは、前段申し上げたような畑作振興の技術問題と関連をいたして、もちろん生産費の低下のために、肥料、農薬等の価格が低廉であることを希望いたす点においては、問題は何らないことと考えております。
  9. 川俣清音

    川俣委員 はなはだ時間を食って恐縮ですが、もう一点だけ……。今の農地の改廃問題については、これは、農地法がありまして制約をいたしておることは、お説の通りなんです。しかし、実際は、建設省にお尋ねをしますと、年々一万五千町歩に当るだけの宅地が必要であることを強調されております。そういたしますと、一万五千町歩というと、農耕地の造成される面積よりも壊廃が大きいということになってくる。これが一つ、それからもう一つは、一体予算を見ます上に、なかなか畑作振興予算がとれないというのは、もう少し何とかならないかというお考え、もっともだと思います。そういたしますと、農民所得増加を願うということは当然だと思いますけれども農業を放棄する方が余得が多くて、継続する方が不利だというような情勢を直さなければならないじゃないか、この点が、宅地進出に対する大きな問題なんです。放棄する方が有利であって、農業を持続する方が不利であるというような情勢が宅地進出によってできてくる。これを考えなければ畑作振興にならないのじゃないか、こういうことなんです。早く言えば、方法としては、農耕地を宅地に編入する場合、そこで利益を得るのは、農業者としての利益じゃなくて、農業を放棄する上から受ける利益であるから、農業を継続する方へこの金を回していくという考え方をしなければならないのじゃないかという意味でお尋ねしたのですが、この答弁はよろしゅうございます。  次のことについてお尋ねいたします。問題になっておりますのは、畑作振興について、いわゆる畑作に適しておりまする農産物の試験研究がまだ行き届いておらない。米作についての研究は、農林省は相当やっておると見てよろしいのですが、麦の品種改良にいたしましても、大豆の品種改良にいたしましても、この点は進んでいるとは言いかねるのでありまして、ことしの予算から見ましても、ごくわずかであります。そういたしますと、先ほど申し上げましたように、畑作振興なんということを言うことは、これは選挙用の宣伝文であって、試験場の方を見ると、全然予算がついていない。こういうことについて、農業団体は選挙団体じゃないのであるから、政治家よりももう少し上回って、こういう点についても、もっと予算をつけるべきだということが強く表現せられるであろうということを、期待したのですが、これについての御意見一つ伺いたい。  もう一つは、これは、非常に重要な問題だと思われるのでありますが、御承知のように国税、いわゆる所得税の方は特免ができたわけですが、地方税については、この特免の特権を与えておらない現状でございます。これは、集荷の上にも非常な問題をかもすことだと思いますので、これについてもたぶん御意見が出るであろうということを、これも期待いたしておったのですが、わざわざお触れにならなかったのか、政府の痛いところは少しさすっておこう、こういう意味でお話しにならなかったのか、この点を一つ率直にお話し願いたい、こう思うのです。これでよろしゅうございます。
  10. 石井英之助

    石井公述人 後段の地方税の問題でございますが、これは、私ども予約減税につきましては、地方税においても従来通りの取扱いをすることが必要である、こういうことで、過般来農林大臣その他の政府の当局の方にお話し申し上げまして、そういうことに決定をいたした、こう了解をしておりますので、特に申し上げる必要はなかったと考えておるわけであります。  それから畑作物品種改良その他の試験研究については、特に草の問題等については、少しくどいように、先ほども申し上げたような次第でありまして、この方面にやはり相当の予算支出が将来必要であろう、かように考え、またそれを要望いたした次第であります。
  11. 江崎真澄

    江崎委員長 ほかに御質疑はありませんか。――なければ、石井公述人に対する質疑は終了いたしました。どうも石井さん、ありがとうございました。  次に、早稲田大学教授平田富太郎君より御意見開陳をお願いいたします。どうもお待たせいたしました。
  12. 平田富太郎

    平田公述人 御公述申し上げます。当予算委員会並びに分科会におきまして、委員の皆さんによってすでに予算上のいろいろな問題が細大漏らさず論じ尽されておると思われますが、せっかく与えられました機会でございますから、許されました短かい時間内で社会保障に関する若干の見解を述べさしていただきます。  御承知通り昭和三十三年度の予算は、前年度より約千七百四十六億円ほど増加を示しております。しかし生活保護費、児童保護その他社会福祉費、社会保険費、失業対策費、結核対策費などの社会保障関係費も、前年度に比べまして約百二億円余り増加を示しておりますが、これは三十三年度予算全体の増加額のわずかに六%ぐらいにしかすぎません。しかもこの百二億円のうち厚生省関係分としましては五十八億円でありまして、前年度の厚生省の所管分約百四億円の増額に比べてみますと、だいぶ減っております。また社会保障関係費の昭和三十三年度予算において占めております比率は九・五九%でありまして、前年度予算におけるおける社会保障関係費の占めておりました比率一〇・一六%より低くなっております。このことは貧困の追放による福祉国家の実現が公約されましたのに、昭和三十三年度の予算の編成に当りましては、社会保障のための予算措置は重要視されなかった結果ではないかと思われるのであります。もとより昭和三十三年度の国民所得八兆四千七百五十億円に対しまする、同年度の社会保障関係費千二百五十七億六千万円の比率を見てみますと、一・四八%でありまして、昭和三十二年度の国民所得八兆二千九百三十億円に対する同年度の社会保障関係費千百五十五億千八百万円の比率でありまする一・三九%より、〇・〇九%だけ増大を示しております。この場合の国民所得は分配国民所得の実質集計を見込みまして、経済企画庁の昭和三十三年度経済計画の大綱によっておりますし、社会保障関係費は大蔵省主計局の分類に従っておるものであります。     〔委員長退席、今井委員長代理着席〕予算書にあります大蔵省主計局の予算項目の分類では、社会保障関係費としまして、先ほどもちょっと触れましたように、生活保護費、児童保護その他社会福祉費、社会保険費、失業対策費及び結核対策費の、この五つの項目を含めております。ところが健康保険連合会の社会保障年鑑に収録されております大蔵省主計局調の社会保障関係費によりますと、社会保障関係費としまして、社会保険費、生活保護費、社会福祉費、住宅対策費、援護費、失業対策費、保健衛生費、移民振興費その他というふうな、かなり広い項目が包括されております。同じく、この社会保障年鑑に収録されております社会保障制度審議会の事務局調の社会保障関係制度の総費用の項目を見てみますと、社会保険、国家扶助、医療、公衆衛生、社会福祉それから恩給、軍人恩給、遺家族援護、留守家族引揚者援護、失業対策、住宅施設――これは第二種でありますが――こういうふうな十一項目を包括しております。また試みに国連の統計年鑑を見ますと、ここではソーシャル・サービセスとしまして、エデュケーション、パブリック・ヘルス、シビル・ペンション、すなわち文官恩給に該当する。こういうふうなものをわが国の社会保障関係費を見る場合に取り上げております。他の諸国に関しましてもほぼ同様でありますが、特にカナダやアメリカにつきましては、軍人年金、ベテランのペンションを取り上げ、西ドイツにつきましては、戦争関連の社会福祉支出などを社会保障費として取り上げているのを見出すのであります。いずれにいたしましても、予算書における大蔵省の社会保障関係費項目は少し狭いのではないかと思われますので、恩給関係費や援護費や環境衛生費その他雑件中に含まれております準要保護児童対策費や学校保健費なども、社会保障関係の費目として注目さるべきものではないかと存じます。  社会保障のいかなるものであるかということの見解の相違、あるいは現実の制度として実施しております社会保障の姿が、各国によりましてそれぞれかなり違っております関係上、社会保障関係の経費をどういう範囲において把握するかということは問題の存するところであります。それだけに大蔵省なり厚生省なり労働省なり、その他一般に社会保障に今日関連を持っていると見られます関係官庁や研究者などが集まりまして、わが国ではわが国なりのできるだけ統一した社会保障関係の重要な統計なり資料というものを作成せられるよう、この機会に社会保障制度の推進のためにも切望されてなりません。社会保障費に恩給費を入れて考えることには、それ自体問題があると思いますが、今日本統計協会の日本統計年鑑によって見ますと、恩給費その他をも含めた社会保障費の歳出予算において占める割合は、昭和二十九年度には二二・七八%、三十年度は二二・四八%、三十一年度は二一。七〇%、三十二年度は二一・七八%であります。ここにおける社会保障費の考え方を一応前提としまして、昭和三十三年度一般会計予算における歳出の中に占めております社会保障費の割合を見ますと、二一・六五%でありまして、恩給を含めた場合でも、昭和三十三年度の社会保障費の歳出中において占める割合というものは、前年度に比べて小さくなっております。また恩給を含めた社会保障費の最近におけるわが国国民所得に占める割合は、昭和二十九年以降下っておりまして、多少のでこぼこがありますけれども昭和二十九年度を除きましていずれの年度も三%以下でありまして、次のような状況を示しております。すなわち昭和二十二年度は〇・七七%、二十三年度は〇・七三%、二十四年度は一・〇六%、二十五年度は一・三七%、二十六年度は一・三二%、二十七年度は一・七〇%、二十八年度は一・九七%、二十九年は少し上りまして、これはピークになりますが、三・二一%、三十年年度は二・八一%、三十一年度は二・六六%、三十二年度は二・九九%、ただ三十三年度は、昭和三十二年度の国民所得八兆三千九百三十億円の二・八六%、約三%の成長率として国民所得を見ますると三・三五%という比率を示しております。これは国民所得が思ったほど伸びておらないということに対比して、そういうことになるということは注意されなければならないのであります。ところがオーストラリアでは五・六四%、デンマークでは五・八一%、西ドイツでは六・五四%、スエーデンでは六・六六%、イギリスが六・八一%、フィンランドが七・九七%、ニュジーランドは最も高く八・七四%、こういうような状況を示しておるのでありまして、社会保障制度の比較的進んでいる諸国におきましては、社会保障関係費の国民所得に対する割合というものが五%以上から八%強になっているということを知ることができるのでございます。もしわが国が、イギリスや北欧諸国やニュージーランドや西ドイツ並みにいかなくても、ほんとうにいわゆる福祉国家の方向に進もうとしますならば、原則としてもっと社会保障関係の経費を増額すべきであると考えられます。もとより恩給をふやしまして、社会保障関係費の予算面における比率を高め、ひいて国民所得に対して占める社会保障関係費の大をもちまして福祉国家のバロメーターとして理解をすることは、あとで少し触れますように、それ自体問題があり、できるだけ避けらるべきであると考えられます。さて、昭和三十三年度の予算における社会保障関係費はさきにも指摘いたしましたように低調でありますが、次のような前進の部分ももちろん見受けられます。たとえば国民皆保険四カ年計画の第二年度としまして、国民健康保険及び日雇い労働者健康保険などの財政の健全化のために、国保の療養給付費に対する二割の国庫補助のほかに、新たに財政調整交付金を交付することとしまして、療養給付費の五分に当る金額を算定し、三十三年度には十三億八千二百万円が計上されておりますし、国保の助成に要する経費が前年度より三十四億七千三百万円余りの増加を示して、事務費一人当りの単価も八十五円から九十円に上げられている点、あるいは日雇い労働者健康保険につきましては、これまでの国庫負担率一割五分を二割五分に引き上げ、さらに傷病手当金制度を創設しまして三分の一の国庫負担を行うことにして、このため一般会計から五億二千八百万円余り増加して、約十一億八千四百万円を繰り入れる措置をとっております点、さらに皆保険と深い関係を持っております社会保険医療の診療報酬を十月から八・五%引き上げることとしまして、それぞれ医療保険並びに医療扶助費などに十八億五千万円、平年度四十億の財政措置が講じられているというような点さらにまた最近の金融引き締めなどによる影響並びに人口増加などを考えまして、生活扶助者数を昭和三十二年の実績人員から三・六%ですか、そのくらいの増加を予定いたしまして、月約平均百五十万と考えまして、生活保護費は前年度に比べて約十五億二千六百六十万円ほど増加されておりまする点などが指摘できると思われます。  しかしながら次に申し上げますように、いろいろな問題点が残っていると思われます。御存じの通り、今日の社会保障は、医療保障と所得保障を柱としまして、全国民を適用対象とする、いわば貧困追放策であるというところに特色があると考えられ得るのでありますが、わが国におきましては、医療保障の適用率はやっと七〇%ちょっとこえている状態所得保障の適用率に至りましては、わずかに約三〇%にすぎない状況でありまして、まだまだ全国民的な広がりを持っておりません。医療保険制度の普及発展は、御承知通り国民皆保険四カ年計画が急速に進んでおりますが、全国に国民健康保険を普及しまして、あらゆる地域の国民を疾病の脅威から守るということは、必ずしも容易ではないのでありまして、四カ年計画の筋書通り昭和三十三年度の増加被保険者数四百十万、三十四年度の増加被保険者数五百四十万、三十五年度も同じく五百四十万という工合に、順調に皆保険を推進せしめていくためには、少くとも市町村が進んで国民健康保険を行うことが必要でありまして、そのためには、特に事務費単価の九十円は実情に比べて一般に低いものといわなければならないと存じます。今後大都市への国保の普及に際しましては、医療費の問題とともに、再検討されなければならないものと考えられます。またかりに医療保険が全国に普及実施されたとしましても、医療施設整備が不十分でありますれば、医療の機会均等をはかることはできないのでありまして、この点は重要視されなければならないと思うのであります。昭和三十一年度現在で、病院数の約七割が市部に、三割が郡部にありまして、人口一万当り診療所数を都道府県別に見ますと、最高は東京都の九・二で、最低の北海道の三・四の三倍に近い状態でありまして、病床数と同様に、都道府県の間に大きな不均衡が見出されるのであります。  かように医療施設が偏在し、依然として無医地区のあることは、医療の機会均等をはかる医療保障の確立のために許さるべきことではありませんが、この問題の根本的解決のための経費は、もっと本格的に取り上げらるべきだったと思います。ましてこの結核対策の強化を医療保障におけるきわめて重要な一環として考えます限り、医療制度の効率的な運営を脅かしておりますこの結核を退治することには、相当の予算措置が講ぜらるべきであったと思われますが、この点はなはだ貧弱であったと思います。もとよりわが国の結核死亡率は最近減少しておりまして、結核死亡率の最も高かった昭和十八年に比べまして、三十一年の結核死亡率はほぼ四分の一に下っております。国民死亡の原因の順位においても、三十一年度には第五位になっておりまして、結核はもはや国民病でなくなったような感じを与えておりますが、しかしデンマーク、オランダ、オーストラリヤ、カナダ、アメリカ、ニュージーランド、スエーデン、イギリス、ドイツなどと比較いたしますると、わが国の結核の死亡率はまだまだ高いのでありまして、わが国状態はなお大いに改善の余地が残されておる、こういうふうに考えられます。しかも結核死亡率の低下ということが、必ずしも結核患者数の減少を意味しておるものではないのでありまして、昭和二十八年に厚生省が実施いたしました結核実態調査によりますれば、ほぼ三百万人の結核患者が推定されておるのでありまして、昭和三十年度の調査によりましても、わが国の結核患者の実情は相当好転したとは称されがたい節があるのでありまして、結核予防法による届出患者数を人口一万対で見ますと、昭和三十一年度には五百七十四でありまして、西ドイツ二百十九、フランス百四十、アメリカ六十七、こういうものに比べてみますと、依然として大きな隔たりを示しております。三十三年度予算におきましても、もとより健康診断の実施強化あるいは検診班に対する補助、それから治療内容の拡張などによりまして、結核対策費は十億一千三百万円余りの増額になっておりますが、しかしそのうち約六億円は結核療養所の経費に回るのでありまして、いわゆる結核対策の費用は約四億円にすぎない、こういうような状態であります。今後の結核対策は補助率の増額によりまして、地方財政のかね合いもよく考えて、国民医療費の負担の軽減のためにも、結核患者の大幅な減少をねらいまして、少くとも開放性結核患者の強制的な隔離、治療などを行うように、もっと積極的な予算措置が講ぜらるべきであると考えられます。  医療保障関係でもう一つ申し上げておきたい点は、政府管掌健康保険にかかわる、例の三十億円の問題でありますが、最近の政管健保の黒字状態にかんがみまして、三十三年度は一般会計から政管健保の給付財源としまして、十億円を繰り入れるということになったようでありますが、これはやはり約束通り、できるなら三十億円を出しまして、政管健保給付の引き上げなり、あるいは保険料率の引き下げなり、あるいは医療費の改善なり、健保の実質的改善のために資せらるべきものと考えられます。組合管掌の健保との均衡上からいたしましても、またわが国の医療保障推進の観点からいたしましても、この点は望ましいものといわなければならないのであります。次に社会保障の他の柱であります老齢保障関係について述べさしてもらいますが、厚生年金保険制度を初め、わが国の現行の公的年金制度の適用範囲は雇用関係で働いている人たちに限られておりまして、その総数は約千二百四十五万人、全被用者の六五%に上りますが、しかしそれらは自営者あるいは家族従業者を含めた全就業者のわずかに三〇%前後にすぎないのでありまして、五人未満の零細企業の従業者、臨時事業所の被用者、日雇い労働者、あるいは季節的業務の被用者など、すべて適用を除外されております。かように現在のわが国の年金制度の包括範囲は決して国民的な広がりを持っておりませんので、ほとんど賃金労働者や俸給生活者の一部に限られておりまして、多数の自営者や、零細企業で働いている人々や、農山漁民などが老齢保障外に置かれておる実情でございます。最近国民年金制度の世論が喚起されているのも、こうした事情に基くものと考えられるのであります。しかも今日わが国の年金関係制度は厚生年金保険制度を初めといたしまして、船員保険、恩給、国家公務員共済組合、市町村職員共済組合、町村職員恩給組合、私立学校教職員共済組合、並びに公共企業体職員等共済組合などの雑多、不統一な実情にございまして、これらの主官庁も厚生省、大蔵省、総理府、自治庁、文部省、あるいは地方公共団体、その他ばらばらであります。それがために手続様式や窓口などすべて異なり、複雑でありまして、行政費も非常にむだが多いと見なければなりません。のみならず、年金の受給条件、受給年令及び年金額などそれぞれ違っておりまして、不均衡であります。しかも老齢者に対する実質的な生活保障としましては、きわめてお粗末なものが多いのであります。また厚生年金保険制度と船員保険との間のほかには、各種の年金制度の間に年金を受ける資格期間の通算が全然行われておらないありさまでありまして、それがために公務員の年金制度一般労働者の年金制度の間はもちろんでありますが、同じ公務員を対象とする恩給制度と共済組合の間でも資格期間の通算が行われていないという状態であります。でありますから、年金を受ける機会を失う場合が非常に多いのでありまして、この点は年金制度の重大な欠陥と見受けられなければならないのでありますが、かかる点に関する具体的な解決策を推進せしめるような、予算措置が積極的にとらるべきであったと考えられます。のみならず、軍人恩給をも含めて昭和三十三年度は恩給関係の費用一千億を突破する、こういうようなことが統一的な社会保障政策の推進上やはり大きな問題であろうかと考えられます。そうしてベース・アップあるいは公務扶助料の倍率の引き上げとか、傷病恩給のための所要経費は、三十三年度には三十七億五千万円と見込まれておりますが、三十六年度にはそれは三百億、従って恩給関係費が一千三百億以上になるわけでありますから、おそらく国家予算の一割を突破するという莫大な国家負担と見られなければならないものでありまして、一般財政規模との関連におきましても、さらに社会保障関係費との均衡からしましても、大きな問題となるものと信じます。今のところ公的年金制度の中枢をなしております厚生年金保険の成熟係数はきわめて小さいのでありますが、この年金保険の給付が本格的に発生しました場合には、相当多数の老齢者が年金を受けることになると考えられます。しかしすべての老齢者に対するこの比率は、現行の制度をもってしますと、大したことは望まれませんし、これにその他の各種の公的年金制度による老齢年金受給者数を合せましても決して満足するような状態になるとは考えられないのでありまして、イギリス、スエーデン、オーストラリア、イタリア、フランス、アメリカなどの諸国に比べて、わが国の年金による老齢保障が著しく低調不備な状態に置かれているのであります。かかる事情からいたしましても、最近統一的な国民年金制度確立が、既存の各種年金制度などととの関連ないし調整において考究されているものと思われます。  ところが最近厚生年金保険制度に包括されております農協職員などが、厚年から離れて、別個に退職年金制度を作る動きが見られております。また中小企業退職基金制度の構想などが打ち出されております。前に申し上げましたような既存のばらばらな各種の公的年金制度をできるだけ調整しまして、総合的な年金制度確立することが望ましいものであり、また職域をかえても通算され得るような仕組みがほしいわけでありますが、しかしかつて私立学校教職員共済組合とか市町村職員共済組合とか、あるいは公共企業体職員等共済組合などが作られましたように、今またこの厚年から独立して、農林漁業団体職員共済組合などが作られようとしておるのを見受けるのであります。もちろんこの農林漁業団体職員共済組合に関する法案は、ただいま社会保障制度審議会などにもかかっておるのでありますが、中小企業退職基金制度は、まだ試案の域を出ていないようでありますが、しかしいずれにいたしましても、すでに申し上げましたような、これまでの各種公的年金制度のむしろ統合化が叫ばれ、年金相互間の不均衡の是正あるいは緊密化によりまして、できるだけ通算を可能にして脱落者のないように企図せられておりますところに、さらにばらばらな年金制度が作られようとしているところに問題があると思うのであります。これは現行の厚生年金制度は、給付の面におきましても、あるいは年金給付の年令の面におきましても、積立金運用の面におきましても、あまり魅力を持っておらない。そこで農林漁業団体職員がそれから離れて、さらにその他のものが独自の退職基金制度を設けて、退職後の生活保障を処置していこうとしているのではないかというふうに考えられる節もありますが、ここでは問題の性質上、これ以上触れませんが、最近の厚生行政は医療保障に重点が置かれまして、年金制度整備充実のための努力をあまり払わなかったところにこうした傾向が生じてきたのではないかというふうにも考えられるのであります。従いまして、厚生省も、昭和三十三年度はちょうど五年ごとの厚生年金制度の再検討の年に当っておるのでありまするから、この際大いに反省を要するところでありまして、それがための何らかの予算措置が必要ではなかったか、こういうふうに疑問が持たれるのであります。  なお生活保護に関する問題点なども残っておりますが、時間もだいぶ超過いたしたと思われますので、これで終りたいと思いますが、要するに、健康で文化的な最低生活あるいは無差別平等の生活保護、こういうようなことを土台としまして、国民の生存権の実現を企図するところの福祉国家の確立のためには、もっといろいろな予算措置が講ぜらるべきものがある、こういうふうに申し上げて私の公述を終りたいと思います。(拍手)
  13. 今井耕

    ○今井委員長代理 ただいまの平田公述人の御発言に対しまして御質疑があれば、この際これを許します。
  14. 川崎秀二

    ○川崎(秀)委員 軍人恩給と年金の関係は今度の国会におきます重要な問題であったのでありますけれども、厚生大臣が病気でありましたし、また総括質問の際に外交問題あるいは財政金融の本質の問題が取り上げられましたので、本委員会では二、三の方々がこれに触れただけで、存外にこの議論が低調であったわけなのであります。私は、社会保障問題というよりはむしろ年金問題の権威者である平田先生がきわめて中正な立場で数字を中心に御論議になりましたことに対しまして、さらにこの際にぜひ聞いていただきたいと思うことがあるのであります。そしてまたぜひ明快なる御答弁をいただきたいと思います。  第一の問題は、先ほど御公述の際には国民所得と社会保障費の割合が論ぜられております。これは今までは財政の規模と社会保障費の割合が論ぜられたので、今度は私が聞きたいのは、材料があるかないかは存じませんけれども国民所得と軍人恩給の関係が非常に一つの問題点であろうと思うのであります。ということは、今度の軍人恩給に対する措置は、自民党としては最後にはかなり階級差を圧縮しましたりあるいは傷病軍人並びに下士官兵に中心を置いた施策をいたしまして、一時発表されました予算との関係よりは総ワクは変りませんけれども、内容的においては非常に変化をしつつあるのであります。従って、私もそれを最後的には党員の一人として承認した者の一人でありますけれども、しかしながら、問題点は、国民所得に対して軍人恩給関係が非常に将来高まっていきはしないかという点なのであります。私の調べたところによると、その点では、昭和三十六年ぐらいになりますと、日本における軍人恩給と国民所得は実にありがたいことには世界で最高の給付を受けるということになりかねまじき傾向にあるのであります。つまり、今日一年間の国民所得は一人当り九万一千円、これが昭和三十六年度において一〇%伸びたにしても十万そこそこであるのに対して、軍人恩給は五万三千円という年間の所得になる。ところが、諸外国でこれほど高い地位にあるというものは実にないのです。今日では、アメリカが、年間七十三万円の収入に対して三十四万幾らという数字が出ておって、ほぼ四七・八%に当るけれども、それでも日本ほどではない。ここに一つの問題点が出てきておるように思うのですけれども、そういうことについて社会保障制度審議会では統計をとられたりあるいは御論議がかわされたことがありますか。また、どういう御感想を持っておられるか。この点を明白にしていただきたいと思うのであります。
  15. 平田富太郎

    平田公述人 今川崎委員からの御質問でございますが、国民所得と軍人恩給との比率、これはお答えになるかどうかわかりませんが、軍人恩給に関する詳細な資料がなかなか手に入りませんが、日本統計年鑑、これは日本統計協会から出しておりますもので、総理府統計局が編さんしておりますものでありますが、これと、「昭和三十三年度予算の説明」、大蔵省主計局の手になりましたそれとを利用いたしまして、一応計算をいたしました結果、こういうことが出てくるのであります。国民所得において占める恩給費の割合、これは三十二年度におきましては一・一七%、「予算の説明」によれば、三十二年度におきましては一・一六%、三十三年度においては一・二二%、こういうふうになっております。ただ、この恩給費の構成比は、文官恩給と旧軍人に対する恩給との二つからなっている、こういうふうに考えますると、この恩給費の構成比というものは、昭和二十八年度におきましては、文官の方は六八・七一%、軍人の方は三一・二八%、昭和二十九年度におきましては、文官恩給が一四・五〇%、軍人の方は六三・六七%、それから、三十年度におきましては、文官の方が一八・四三%、軍人の方は七七・三七%、三十一年度におきましては、文官の方が一八・四一%、軍人の方が八〇・二五%、三十二年度におきましては、文官一七・九二%、軍人の方が八〇・七八%、そして、「予算の説明」によれば、昭和三十二年度におきましては、文官が一八・一九%、軍人が八一・八一%、それから、昭和三十三年度におきましては、文官が一七・四八%、軍人の方が八二・五二%、こういう恩給費の構成比が出て参りまして、これと、先ほど申し上げました国民所得に占める恩給費の割合をかね合わして考えますと、大体御推察していただけるのではないか、こういうふうに考えております。従って、社会保障の関係費用というものが予算の面において占める比率というのは、これは、国内的に見ましても、一体社会保障費あるいは社会保障関係費というものをどういう内容においてつかむかということによって非常に違って参りまするし、国際的に見ましても、イギリスのようにナショナル・セルフ・サービスをもちまして医療国営を前提といたしておるようなところにおける場合と、わが国におけるような式において医療保険を行なっておりますようなところでは、比較するにも比較の内容がまるで違うのでありまして、これは、そういう意味におきまして、予算面における社会保障関係費というものとの比較の妥当性というものはなかなか得られないのでありまして、やはり国民所得というようなものにおける、社会保障関係費と通常言われておりますものの比較を行うことによってこれは一応妥当であると思うのであります。     〔今井委員長代理退席、委員長着席〕  従って、国民所得と、社会保障関係費から大蔵省の予算項目では一応はずしております恩給関係の費用、これと国民所得との関連というか比率、これはやはり今後非常に重要な問題点であろうかと思うのでありまして、われわれも常に注目しているところであります。  社会保障制度審議会に関する御質問も出ておりましたが、私は、国民年金の制度をいかように検討すべきであるかということのために作られました特別委員会に驥尾に付して少しばかりお手伝いをしているのでありますが、もちろん、今後われわれが国民年金制度を考えます場合、恩給、特に軍人恩給との関連というものは、皆様方十分御承知通り重要な問題点でありますので、十分検討しなければならぬと考えておりますが、今のところまだ国民年金に対する基本的構想が固まっておりませんので、具体的なことはそういう意味におきましてこの際申し上げられないのでありまして、ただ、軍人恩給が先ほど申しましたように予算の一割ないしそれ以上にも達するということになりますと、これは今後おそらく何らかの形態において実施されていくでありましょう国民年金とのかね合いというものが当然重要な調整の問題として現われてくる、こういうふうに考えているのであります。
  16. 川崎秀二

    ○川崎(秀)委員 平田先生はこの予算委員会質疑におなれにならないのでまことに恐縮ですが、私の申し上げたこととだいぶ範囲が広がりまして……。簡単に申し上げますから、簡単にお答え願いたいと思うのです。  今私が指摘をしたのは、年間一人当りの国民所得と軍人恩給との関係が、昭和三十四年、三十五年、三十六年、年を追うごとにパーセンテージが上っていく、そうして最後には、これはまだ新聞にもどこにも報道されておらぬのですが、世界最高のものになる可能性がある。これは非常に重大なことなんです。にかかわらず、一方社会保障の方は、先ほどずっとこまかい数字をあげられたように、ニュージーランドの一〇%に対して日本は三・五%だ。まあこれは仕方がないことですけれども、それはあんまり開きが大き過ぎるのではないかということが私は一つの問題点じゃないのかと思うのですが、そういうことに対する御感想はどうかということをお聞きしたのであります。
  17. 平田富太郎

    平田公述人 非常に大きな問題として私は先ほどお答え申し上げましたが、なるほど、お説のように、わが国国民一人当りの国民所得に結びつけて恩給を考えるというと、これは現在も相当のウエートを占めておるでしょうし、今後も伸びていく。そういう点を考えますると、これは先ほど申しました国民所得に対する社会保障関係費の比率がもう一度検討されてみなければならぬじゃないかということになると思うのであります。従いまして、社会保障関係費を考えます場合に、恩給を一応除いて、そして恩給の伸びというものと特に国民所得との関係というものを別にもっと詳細に検討することが必要である、これはお説の通りだと思うのであります。その点は非常に重要であろうと考えます。
  18. 川崎秀二

    ○川崎(秀)委員 軍人恩給の費用というもののピークは昭和三十六年だ、こう言っていますね。それから毎年二十億くらいずつ減るという内閣の方では答弁をしておるわけです。ところが、社会保障制度審議会委員の中には、なかなか減らない、こう見ておる人がかなりあるわけですね。それはどういうことで減らないと大体見ていますか。
  19. 平田富太郎

    平田公述人 今日軍人恩給関連の人としまして、未亡人の方が約百二十万。四十才程度の方の平均余命というものは今日かなりの伸びが出ておるのでありまして、従って、そういう観点からも、にわかには恩給は減らないんじゃないかということが一つ。もちろん、なくなった軍人の父母の平均年令は六十七、八とか言っておられますが、これは平均余命を見ましてもそう長く続くものとは見られないのでありますが、かなりまとまった数、百二十万というものの受給金額は相当のものが予定されなければならぬ。それから、国民所得が伸び、生活水準が今後伸びていくにつれまして、やはり扶助料の倍率の引き上げの問題というものは当然出てくるものと予想されなければならぬ。のみならず、ここに私が数字を持っておりますが、文官恩給と軍人恩給との一件当りの金額の開きが依然として見受けられるのでありまして、一九五七年三月末、厳格に言いますと八月末としてこれを私が当ってみますと、文官恩給の普通恩給というものが一人当り平均年額にいたしまして七万四千九百四十七円、月六千二百四十六円でございます。旧軍人遺族恩給普通恩給は、年額にいたしまして二万五千八百二十円、月二千百五十二円、こういう開きがありますので、文官恩給と軍人恩給の不均衡の問題が、従来から大きな問題点になっております関係上、依然これはあとへ尾を引くもの、こういうふうに考えられなければならないのでありまして、従って、今年は三十七億五千万円、来年度は百五十億、そうして三十六年にピークに達しまして三百億が平年度として加味されてくるわけでありますが、それが漸減するというのは、一応一見しましてそういうふうなことも言えると思うのでありますけれども実情はそう簡単に参らないじゃないか、こういうふうに考えているのであります。これは私の個人的な見解でございます。
  20. 江崎真澄

    江崎委員長 ちょっと川崎君に申し上げますが、あと質疑の通告が三人ありますので、ぜひ一つ簡潔に御質問願います。  それから、平田先生に申し上げますが、どうぞお答えも簡潔にお願いいたします。
  21. 川崎秀二

    ○川崎(秀)委員 大体今例示されましたことがあまり問題になっておらぬ関係で非常に新しい議論を呼ぶと思うのです。軍人恩給は今年問題になったのですが、今年よりも明年、明後年――さらにまた軍人恩給の各団体は二十八項目に及ぶところの要求を出している。そこで、この間も総理大臣と打ち合せをして、今年が大体、政治的なと申しますか、軍人恩給に対する措置は最後とするという言質を取りたかったのが、実はほかの演説が長くなってやめてしまった。そういう関係もありまして、むしろ警鐘を将来にわたって乱打していただきたい、かように私は考えているわけです。  いろいろ質問したいことがありますけれども、今好ましい一つ傾向として年金制度というものに対する考え方がずっと全国民的の広がりを持ってきた。国民年金はもとよりだけれども、従来の文官恩給もこれを切りかえて年金にしよう、醵出制にしようというのは、大蔵省の官僚のやったことで一番できのいいものだと思うのです。実に大したものです。それをまたほかの官庁が反対しておる。文官恩給を醵出制にして年金制度に切りかえるということについて、社会保障制度審議会あたりではどういう御意見を持っておられるか、伺っておきたいと思います。
  22. 平田富太郎

    平田公述人 今の大蔵省の案はどういうふうに固まりましたか、まだよくつかんでおりませんが、ああいう文官恩給というものを解体しまして、いわゆる将来できる国民年金制度というようなものを前提として、そうして新たな構想で出発するというようなこと、これは一つの考え方でありますが、具体的にまだ審議会ではその問題は取り上げられておりません。われわれがただこれまで若干入手しました資料等によって個人的にそれぞれ検討しているという段階にすぎない状態であります。御了承願います。
  23. 川崎秀二

    ○川崎(秀)委員 社会保障制度審議会での結論がつかないので申し上げられないというので、年金制度に対する大筋をもお話しにならなかったのですが、平田先生個人の考え方としては、たとえばどういうふうにいくのが国民年金制度を割合早く実施することができるか。たとえば、無醵出年金制度というものをまず第一段階としてやる。それについては、六十五才以上ということであれば一カ月二千円ずつにしても年間千五、六百億、三千円にして千九百億ですか、従って、とても来年度から実施することはできない。これは、自民党も、恩給問題が国民年金制を呼ぶに至った、これは恩給問題の波紋ということで幹部も来年から一つ実施しよう、厚生大臣もその気のようなんです。厚生大臣に聞く方がいいのですけれども、しかし、社会保障制度審議会意見というものは非常に有力に反映するわけですから、審議会委員の一人としてどういうふうにお考えになっておるか。無醵出制をやるとすれば、やはり多少ある時期までは高齢者を少し上げなければならぬのじゃないかということも考えられるだろうし、理想としては醵出制というものをしいて、これは当然六十五才以上でしょうけれども、そういうものと交錯していく期間などはどういうふうに考えられておられるかというような点についてお話しいただければけっこうだと思います。
  24. 平田富太郎

    平田公述人 社会保障制度審議会としましては、目下盛んに検討中でございまして、まだ特別委員会の方にもかけず、小委員会において検討しておるというような状態でありますが、しかし間もなく特別委員会の方へかかって検討されていくと思いますので、私としては、その内容等につきましては、この際申し上げるべきではないと思っておりますが、私個人としてというふうなことでありますると、やはり年金の計画というものは少くとも数十年の長きにわたる財政計画を前提として初めて可能なわけでありまして、二、三年でやめてしまうというようなわけにいかない、これは御承知通りでありまして、従ってできるだけ慎重に、信頼に足る基礎資料に基いて検討を加えていかなければならぬという難問題でございます。しかし、先ほど私が公述いたしましたように、日本の公的年金制度というものがかなり不備であり、欠陥が多いと見ねばならぬのでありまして、特に国民の中で何らかの年金制度によってカバーされているものと全然野放しになっている非常に多くの国民があることは、これはやはり社会保障の重要な柱であります。老齢者保障の観点から考えますと見のがすべきものではない。ことに、最近の人口の老齢化傾向、家族制度変化、あるいは老齢者の雇用の保障という面が非常に困難になってきておる。最近各一般の企業におきましては私的性格を持った年金制度がどんどん発展してきておりますけれども、しかし、これはなかなか一つの企業がそういうふうな年金の仕組みを持つということは非常に限られた企業でございまして、多数の国民というものはそういう領域に入らない。従って、老人の生活問題というものが社会問題化しつつある、こういうふうに見ることが妥当であると思うのであります。そういう実情を前提としましてわれわれが年金制度をやるといっても、しかし、年金には先ほど川崎委員指摘しておりましたように、かなりまとまった金が要るのでありまして、無醵出で全面的にこれを実施するということは原則上非常に困難である。できるだけ老人の最低生活を保障するという意味におきまして年金額を考えていくというような、そういう要請が出て参りますと、なおさら無醵出方式による年金の財政計画というものは非常にむずかしいのでありまして、建前としてはやはり醵出方式をとっていく、またいかなければならぬ、こういうふうに考えるのであります。ただ、醵出方式をとります場合に、賦課式でいくかあるいは完全積立方式でいくかというこの問題点があるのでありますけれども、少くとも年金が二十年なり三十年の先を見越し、できるだけ堅実な年金財政計画を立てていくということのためには、やはり平準保険料方式としての積立方式というものが財政方式としてやはり採用されてくるべきものではないか、こういうふうに考えております。ただ、従来のように保険料というふうな考え方、保険原理による醵出と給付というような厳格な関連性を持った、いわゆる保険原理に基く醵出というような意味は、今日の段階におきましては、社会連帯の思想、社会保障的な観点からしまして変ってきておると思うのでありまして、保険料とか醵出というよりも、わかりやすく言えば分担金というような意味に醵出の意味が変ってきておると思うのであります。しかし、いずれにしましても、何らかの負担を前提としてやるという場合には、負担の能力というものがやはり考えられなければなりませんので、それに見合うところのいわゆる国民年金額というものが当然考えられていかなければならぬ。従って、国民所得の伸びなりあるいは国民生活の水準なり、あるいは保護基準というようなものをやはりにらんで、それと年金額を考え、それに見合っていくところの分担金というものを考えていく必要がある、こういうふうにやらなければならぬと思うのであります。しかし、そういう建前をかりにとって参りましても、現在もう相当の年齢に達しておる人々、たとえば七十才以上の人々なり六十五才以上の人々、あるいは母子なり廃疾者、こういう人々は負担能力がないものといたしますと、そういう面につきまして当然無醵出の方式をとりまして、これはできるだけ早い機会に実施するということがやはり必要ではないか。そのために要する金額というものは、かりに七十才以上に月千円やるとしましても、おそらく三百億、かりに所得制限を設け、あるいは現行の何らかの公的年金制度でカバーされておるものを引いてみましても、それに要する金額というものはやはり二百四、五十億、母子、廃疾関係でやはり数百億の金が見込まれなければならぬと思うのでありまして、やはりそういうものを頭に入れて国民年金計画というものが押し出されていかなければならぬのではないか、こういうふうに思われるのであります。  以上であります。
  25. 山本勝市

    ○山本(勝)委員 私はごく根本的な問題を一つだけお聞きします。時間もありませんから、ごく簡単に結論をお聞きすればいいのですが、社会保障の理念について伺いたい。  御承知通り日本の憲法の第二十五条においては、生活に困窮するすべての国民に対して国家が最低の生活を保障するということになっておる。国が生活に困窮するすべての国民に対しその困窮の程度に応じ必要な保護を行う。この自由主義の国家で、われわれの活動は原則として自由である、また責任も、自分で生活の責任は負う、自由に活動していく人生において起ってくるもろもろの危険に対しては自分で責任をとるということが、これは自由主義秩序における大原則だと思う。しかし、その大原則の中にも、みずから責任を負えないような境地に陥る困窮者が出てくる。これは免れない。そこで、国家または社会の共同責任においてその困窮者を援助していこうというところに憲法二十五条の精神があると思う。ですから、生活保護法というのは、確かに、法文の第一条を見ましても、憲法第二十五条に基いてこの法律を作るという意味のことを書いております。これまでは私はよくわかるのです。ところが、同じ社会保障の名において、生活に困窮せざる者も、全国民を対象として社会保障を考えていくという傾向が近ごろ現われてきております。たとえば、自分で営業をしておる企業者、こういう者も加えなければならぬというような意味のことが委員会からの意見としても出ておりますが、そうなると、たとえば、大きな会社の課長とかいって、月何万円も取っておって、何人が考えても自分の生活責任、家族の生活責任については当然みずから用意をすることを期待してよろしい人々、あるいは、企業において自由な活動をして、そうして社会の進歩の段階々々においてみずから大いなる成功のチャンスをつかむという、そういう企業者、生活が困るというふうに期待できないそういう人が、なおかつ国家社会においてその責任だけは解除される、もしもこういうことになってくるとしたら、これは社会保障の理念の大変化ではなかろうか。問題はそこにある。そこで、御承知のドイツの経済相のエアハルトが社会保障の限界ということをやかましく書いております。社会保障の限界としては、今言ったようなわけであるから、勤め人とか官吏とかいう者でも、常識的に当然みずからの責任をみずからで用意をし得ると期待できるような者を対象に入れるべきではない。ことに、いかなる場合にもいけないことは、この自由なる社会経済の秩序のもとにおいては、自由なる活動とその責任というものはみずから裏表になっておる。自由企業というものが今日の自由国家における大黒柱である。その大黒柱において、一方においては自由活動というものを奨励しながら、一方においては責任だけを解除するということは、矛盾であるのみならず、許すべからざる一つのえこひいきだとまで書いてあるのは、私は傾聴に値する意見だと思う。ソーシャル・セキュリティということが非常にはやりになって参りまして、そうして、全国民を対象にしていくという年金制度などでもどうもそういう傾向を帯びてきますが、そういう点について、一体、自由国家におけるというか、自由なる社会経済秩序における社会保障の限界いかんという問題について、結論だけでけっこうです。理念は、私が今申したような、エアハルトの言うような考え方が正当と考えておられるか、そうじゃない、今日はもう社会保障は憲法第二十五条のいうような、困窮者を対象として社会が共同で援助するとか、国家が保障するというふうな考え方はもうなくなったのだと考えておられるか、そこを結論だけをお聞きしたいと思います。
  26. 平田富太郎

    平田公述人 申し上げます。社会保障のいかなるものであるかということについては、これは非常に意見がありまして、まちまちでありますが、しかし、代表的な各国の社会保障学者、たとえばビヴァリッジなりあるいはバーンズなりメリアムなり、あるいはILOの見解等に共通した部分だけを取り上げていきますると、社会保障というものは、一つの大きな特色は、できるだけ広い国民を包括するという考え方だろうと思います。できるなら全国民を対象とするという考え方が一つの特色になっていると思うのであります。しかし、全国民を対象とするというような考え方を社会保障がどういうふうに実現していくかということになりますと、方法としては所得の再分配ということが取り上げられてくるわけであります。そして、できるだけ最低生活を究極においては国家の責任において保障する、こういうような点がかなり共通した今日の社会保障に対する見解だと思うのであります。従いまして、所得、年令、職業、性別のいかんを問わず広く社会保障のワクの中に国民が包括されてくるわけでありますが、これをどういうふうに最低生活保障のために整理していくかということになりますと、イギリスのような、方式としまして、雇用関係で働いておる者のクラスと、自分で独立して営業しているような自営業者のクラスと、それからいわゆるノン・エンプロイド・パーソン、無業者、この三系列によって整理していく方法もあると思うのでありますが、社会保障というものの理想としましては、すべての国民をとらえて、一応醵出を前提として網をかけていく、そして、醵出し得ない者、いろいろな事情によりましてその網から脱落してくる者は、従来の公的扶助の最後の線で取り上げていく、こういうふうな考え方になっていると思います。
  27. 山本勝市

    ○山本(勝)委員 ちょっと今の問題、ポイントが――時間がありませんから。自分で力のある者がない者のために金を出してやって、そうして、ない者が困った場合に、これをみんなの力のある者で助けていこうという意味のことは、社会保障でよくわかるのです。ですから、たとえば保険で、病気にならぬ人は幸福なんだから、なった人のために、ことに困った人のために出してやろう、こういうことは意味はよくわかる。しかしながら、年金制度をしいて、たくさん年金をかけていった者はよけいもらう、自分で困る困らぬにかかわらず、一定の年になったら必ずもらう、金持も貧乏人も必ず年寄りになる、そこへ行ったときによけいかけた者はよけいもらう。しかももらえるのは、普通の保険と違って、自分たちがお互いにかけたものの中から、病気で死んだ者がないから死んだ者はよけいもらうといったものじゃなくて、必ずみんなが一定のときに来るものですから、結局自分が出したより余分の金は、国家からもらうということになります。国家からもらうという金が、大金持まで全部自分のかけた金よりよけいもらうということは、みんなが弱い者のために金を出すということはわかりますけれども、そうでなしに、もらう方の対象に、そういう金のある人も、高い俸給をもらう者も、それから自分で大きくもうけるチャンスを絶えずつかむ自由のある者も、そういう者まで全部国の金をもらうチャンスを与えるというようなこと、そういうことは、弊害を持つのじゃないかとやかましく言うのは、そこなんですよ。これは、これ以上時間もありませんから……。
  28. 平田富太郎

    平田公述人 今、その点を実は申し上げようと思ったのですが、建前は、私が先ほど申し上げましたように、そういう建前をとっていくので、ただ技術的な操作としまして、たとえばニュージーランドのように……。
  29. 山本勝市

    ○山本(勝)委員 ニュージーランドとかロンドンとかいうのは、いろいろな考えがあってできてきたのでしょう。だから、私もいくらか知っていますけれども、イギリスの社会保障が行き過ぎた点があるということは、イギリス人も認めておる。ですから、アメリカのアイゼンハワーが老齢年金の制度改正をやったときに、くれぐれも、これは皆さんが自分で将来の備えをするということにかわるべきものだと考えたら大間違いだぞ、これは、自分で自分の備えをするという精神を失うようなことになったら、もうすでに限界を越えておるのだからという警告を発しているのも、要するに、イギリスが行き過ぎたから、アメリカが考えたのだろうと思う。病気の問題ですらも、アメリカに自由な医者がたくさんおるということ、やはり金持は、自分で高い金を出して医者にかかる。やはり貧乏な人のために、みんなが出し合っていこうということになっておるのだと思います。それを、金持も貧乏人も営業者もそうでない者も、みそもくそも一緒にして、よけい醵金しておれば国家の補助もたくさんくれるのだというような結末になることを私はおそれておるのだ。これは、御参考に願って、また御研究願って、あらためてお教え願いたいのですが、あとに質問がありますから、これでけっこうです。
  30. 江崎真澄

    江崎委員長 井堀繁雄君。どうぞ簡略に願います。
  31. 井堀繁雄

    ○井堀委員 今、年金制度の問題は、もう政治の目標から実施段階へ入ってきておると思うので、当面の問題について、一、二お尋ねをしてみたいと思います。  今先生のお話の中で、社会保障制度の中でもいろいろの保障と老齢保障、これに伴う所得保障の問題を取り上げられて御説明がありましたが、年金制度と、既存のこういう社会保障制度の土台になる幾つかの制度があると思うのでありますが、こういう制度と、新しく年金制度を組む場合に深い関係があることは、もちろんだと思うのであります。そういう意味で、たとえば医療保障の段階で、現在の健康保険を中心にして、医療保険を国民皆保険として進めていこう、ここにも幾つかの問題があると思うのです。その中で一番大きな区別を必要とするのは、医療保険の場合に、労務政策といいますか、雇用関係に置かれている人々のための健康保険と国民保険との関係が、なかなか調整が困難だと思うのです。もう一つは、年金制度の問題ですぐ出てくるのは、これと同じ性格を持つ厚生年金保険、船員保険、公務員の場合は多少違うかと思いますが、こういうものと、同じ老齢保障を年金の形でやるといたしましても、異なった性格の組織をどういう工合にコントロールするかという問題は、すぐに当面する問題だと思うのです。この問題の解決について、しかるべき措置をこの際お聞かせいただきたいと思います。
  32. 平田富太郎

    平田公述人 年金の整理統合は、非常にむずかしいのでありまして、それを行うためには、まず第一に、各ばらばらになっております今日のいろんな年金制度を、少くとも通算できるような道を開くということが考えられなければならぬと思うのでありますが、通算がなかなかむずかしいのであります。恩給費は納金方式をとっておる。船員なりあるいは厚年なりあるいは公共企業体共済組合は、修正賦課の方式をとっておる。あるいは私立学校教職員共済組合なり国家公務員共済組合は、完全積み立て方式をやっておる。財政方式はばらばらでありまして、従って、これは私の見るところ、非常にむずかしいのではないかというふうに見ております。従って、今後考えられます国民年金はどういうふうな内容で現われて参りますかわかりませんが、当然現公の年金制度とのいろいろな基本的な関連が問題になるということは、予想されると思います。
  33. 井堀繁雄

    ○井堀委員 これは、私どもの方でも今検討して、一つ課題になっておるのでございますが、たとえば医療保障の一例をとってみましても、かつて健康保険の赤字問題のときに、かなり突っ込んだ論議が行われて明らかになりましたのは、いろいろ政府はああこう言ってはおりましたけれども、結局においては、健康保険の中で、たとえば組合管掌の場合と、政府の責任において行われておる保険の二つだけを比較してみましても、片一方は比較的赤字が少い、片一方は大きな赤字が出る、原因は簡単だ。それは、保険財源の基礎になる報酬実額、すなわち賃金格差の開きである、そんな簡単なことを問題にしないで、枝葉末節で、むしろ保険の性格を曲げるような方法でこの赤字を克服しようとするような誤まりをわれわれは経験したわけです。こういうようなきわめて簡単なことであるにもかかわらず、こういう矛盾した論議で、しかも、公然と政府においても、また国会においても、まるで堂々めぐりをする、こういうような実際で、国民年金制度の問題を取り上げる場合には、もっとこっけいな失敗をしでかすのではないかという意味で、それは、社会保障制度審議会の答申が非常に重大だと思っておる。そういう意味で、先生もメンバーの一人ですし、特にその方の権威者であるだけに、この点を教えていただこうと思ったのです。そこで、ついででありますから、もう一つ質問を申し上げてお答えをいただいた方がいいと思います。ここにも出てきておりますように、これは、日本の特殊事情だといえばそれだけでありますけれども、雇用関係のもとにある勤労者だけ、共通した条件の上にある人々だけを年金制度の中に統合しようという問題が、今なまの問題で出ておると思う。先ほど先生もちょっとお触れになっておりましたが、農協の職員が取り残されている、これを地方の公務員や国家公務員と同じ位置につけろという主張であります。この考え方は、私は正しいと思う。それから健康保険や厚生年金の場合も、零細企業の労働者はこの中に包容されていないといったような矛盾も、まだ未解決なんです。しかし、そういうものを解決する段階を一方で考えていかなければ、私は年金制度の問題は――どういう答申が出るか知りませんが、こういう点に対する具体的な指示というか、道行き段階的なものについても、答申の内容とすべきではないかと考えるのです。この点について、先生はどうお考えになりますか。
  34. 平田富太郎

    平田公述人 その点、同感でございまして、新しいかなりまとまった年金制度実施するためには、従来からかなり論議されておりますいろんな問題を、できるだけ解決して進んでいかなければならぬ、この点は同感でございます。
  35. 井堀繁雄

    ○井堀委員 そこで、農協の関係でありますけれども、私は、先生のおっしゃった中で、ばらばらなものを幾つも作ることは総合的な年金制度の障害になるということは、無条件で承認したいと思う。しかし、さっきの話の五人未満の零細事業場を厚生年金に包容していくとか、農協の職員のように、当然こういう制度に包容さるべきものが取り残されているものもその中に取り入れていく、地方公務員と同じようにするとか、国家公務員と同じようにするとかいうことは、一つの問題じゃないか。何か特殊の形態に作り上げようとする――私は、農林省の案に多少疑問を持っている。そういうものでなくて、こういうものときびすを同じゅうするような形で取り上げて、全部がそろったところで統合するというような理想的なことはできぬかもしれぬが、そいうう方向さえそろっておれば、農協の職員の問題など、この際実施するこことはそう障害にならぬのじゃないかという議論もあるのでありますが、先生のお考えはいかがですか。
  36. 平田富太郎

    平田公述人 農協にも、大小さまざま、相当な数があると思うのでありまして、従って、実情はかなり検討してみなければならぬと思うのであります。従いまして、もし至急これを作るというためのいろいろな条件がそろいまして、かりにそういうことができ上るというような方向に進んだとしましても、一方において、今日政府の方から、国民年金というようなものを真剣に考えてみろというふうな線が出ておるのでありまして、従って、先ほど申し上げましたように、ばらばらなものができて、相互の連絡がなかなかつかない、従って、受給資格を欠く者がかなり出てくるというような欠陥の是正をするもっと具体的な方針でも確立されない限りは、私は、やはり今日の年金制度のようなものを考えていく上において、若干の問題がそこに残るのじゃないか、こういうふうに見ているものであります。
  37. 井堀繁雄

    ○井堀委員 今、一応一般にいわれている農協の職員の共済組合の問題と中政連の中小企業の退職金の問題を一緒に扱っておられるが、これは、私は根本的に違うと思う。中小企業の問題は、今日健康保険ででも厚生年金ででも包容できるのであります。これは、政府の怠慢だと思う。それを、退職金の制度で置きかえるなどということは、とほうもない見当違いです。しかし、退職金の積み立ての問題は別な意図がある、そう見るべきであって、これを年金制度関連させて考えられるということは、矛盾撞着もはなはだしいと思う。こういうものを同列にして年金制度に持ち込もうとすれば、これは、私は厚生年金制度が混乱すると思う。しかし、農協の職員の場合は、共済会のようなものの中に包容していけばいいと思う。この辺、先生のお考えを一つはっきり、伺っておきたい。
  38. 平田富太郎

    平田公述人 中小企業の方の案は、今のところ、まだ詳細には実は私にはわかりません。あのポイントは八つばかり、要綱というか、案のようなものがあるだけであります。ただ第八のポイントのところ、厚生年金の適用外に置くというあの考え方が、厚年との関連において、もし離れるというようなことを意味しているならば、やはり年金との関係が出てくると思うということでありまして、詳細なあの案の内容は、まだ私自身もわかりませんので、申し上げられませんが、検討したいと思っております。
  39. 井堀繁雄

    ○井堀委員 これは、政府の問題になると思いますけれども、ああいう扱い方では、私は年金制度の問題を真剣に考える態度ではないと思う。それでお尋ねをしているわけでありますが、たとえば、医療保障制度の中でも、健康保険の改正案をめぐって長い間国会で論議して、先ほどもちょっと触れたように、だんだん事実は明らかになってきておる。たとえば、結核対策を真剣に取り上げられる、だから、結核関係の治療費だけでも保険の負担を軽くすることが必要なら、保険はもっとすくすく育てていく。そして、むしろ非常に低額な零細企業の労働者、法律でいえば、五人未満の事業場の人たちを吸収していくということになれば、中小企業の問題は、そこで一応愁眉を開くと思う。そうして、しかも保険制度の足並みをそろえる基礎的条件が整ってくる、そういう方向にいくべきものじゃないか。これは、長くやかましくいっておりますので、政府は技術上に困難があるなどというこをいっておりますけれども、そんなことをいえば、これは行政の怠慢をみずから暴露するだけです。逆に、税の徴収などに至りましては、微に入り細にわたり、むしろ低いところほど厳密に調査して取り立てている。収奪の方は熱心で、当然それが公平に配分されなければならない予算の公正な配列の上からいっても、むちゃをやっている。こういうことをやっている政府ですから、答申案の場合は、そういう点もよくお考えいただきたい。そういう意味で、所得階層と国民所得との関係が出てくると思いますが、国民所得を十ぱ一からげに、国民一人当り何ぼになるというような乱暴なものでなくして、国民所得の中の構造、内容が大切です。国税庁の民間実態調査の中に、規模別に出してきた。これは、こういう年金をきめる上に大事だと思う。先生は、さっき所得保障の問題を取り上げておりますが、さっきの山本さんの質問も、こういうところにあると思うのでありますが、一例を見ますと、その金額に規模別に非常な差が出てきておる。これは、最賃法のときにも出てくる議論でありますが、全体に影響してくると思いますが、一人から九人という小さな事業場、これが三十一年度の人員でございますが、四百五万以上と出ておる。それから百人以下になりますと、もう圧倒的に七〇%からを示している。そうしてその年間の平均給与、これはまあ実態調査によるのでありますから、いろいろありますけれども、これを見ますと、年間のこの中に、雇い主も入っているわけでありますが、一人から二十九人までが十五万四千円、それが三十人から九十九人になりますと十八万五千円に上り、さらに百人から四百九十九人になりますと、二万二千円上る。それが五百人以上の事業場になりますと、二十八万三千円というように、格差によってぐっと上ってきている。そこへ雇用されたり働いておりまする労働者の数からいきますと、逆比例で、人数の少い事業場ほど人数が多い。そこで、一体生計費というものを、この統計の中でいきましてどこで押えるかという問題になる。まだ日本には最賃がありませんから、金額が七千円が高いとか四千円が低いとかいろいろ言っておりますけれども、しかし、大体生計費というものは基準がある、そういうものの線をどこに引くかということになってきますと、私は、年金制度の問題については、こういう点についてやはり言及して答申していただかぬ日には、ただ抽象的にやられたのでは、日本の場合は、年金制度は動き出さぬのではないか。逆に言いますと、理想論に隠れて現実の問題をサボるような政府の提案になってきたり、あるいはそういうものを逆に回避する理由にしてしまうのではないか。こう言ってははなはだ失礼ですけれども、社会保障制度審議会がかつて答申したものは、あまりに理想が高くて、こういう現実のつながりに対する御注意が欠けてたのではないか、私はこういう見方をしておる一人であります。そういう意味で、こういう実態の中で年金制度を取り上げようとする場合には、この格差の中でどこで線を引いて、雇用関係にある労働者の場合の厚生年金関係、それを醵出にするか無醵出にするかという問題もありますけれども、そういう問題は、こういう実態の中で、国民分配所得の中で、しかもそれが――私、先生に伺っておきたいと思いますが、先生も、さっき福祉国家としてのバロメーターにこれがなるというお話で、私もその通りだと思うのです。ここで、日本の特殊事情、こういう実態の中で年金制度を行う場合においては、負担能力が今のように限界に来ております。それから国民の税金でこれを補うとすれば、配分の上で問題が出てくる。さっき山本さんは、それをついたんです。そういう関係で、私伺っておきたいと思うのは、一つには、きのうの公聴会でも藤井さんが、自然増収を減税に回せという主張をしておられた。私は減税がいいと思うのであります。特に負担の重い勤労所得税を下げることは、いいと思います。これは、やはりこういう年金保険を譲成する一つの基礎工作だと思うのです。しかし、それができないならば、一千億からの自然増収は、当然今言う社会保障のどこへ充てればいいかというような点がはっきり出てこなければいかぬのじゃないか、こう思うのですが、そういう意味で、一つ具体的にお尋ねをしておきたいと思いますのは、消極的な利益としては、今言う勤労所得で一こういう言葉はいいかどうか知りませんが、労働の再生産をまかなうに足らぬような、生計費に事欠くような低い賃金、給料というものの中からは、私は決して労働意欲は起らぬと思う。この損失は非常に大きいと思う。そこで、こういういたずらに勤労を摩滅したり勤労意欲を押えるような社会環境というものを、社会保障の中で、切りかえていく。ただ困っている者を助けるという消極的な意味だけでなくて、そこから労働者の勤労意欲をふるい起させる、あるいは勤労意欲を刺激するというような方向に、日本の社会保障制度というものを考えていくべきではないか。もう一つ積極的な利益として考えてもらわなければならぬのじゃないかと思うのは、こういう国民の分配所得というものが、だんだん均衡が破れてきていることです。あまり世間が騒がないのでありますけれども、これは、今のうちに警戒しなければならない。この統計は、ずっとこの四、五年、国税庁のものだけ見ていきましても、だんだん国民の分配所得の線が上へ上へと行っている。下は実質所得においてだんだん削られている。だから、こういうものをやはり社会保障制度の中で解決するという任務が日本の場合ある。これは、先生の方でデンマークやスエーデンの例をお話しになりましたが、ここでは積極的な面でも消極的な面でも、日本の今当然解決しなければならぬものをすでに解決してきていると思いますが、この点に対する結論だけをはっきりお伺いしておきたい。
  40. 平田富太郎

    平田公述人 どうもきょうは、社会保障制度審議会を代表してしかられているようでありますが、おっしゃる通り、やはり所得階層の問題にかみ合う年金制度というものは、非常に重要な点でありまして、われわれもそれは重要視しております。ただ基礎的な信頼 するに足る資料が非常に少いものでありますから、それで苦慮している状態であります。もう一点は、今後の年金の問題、あるいは医療の問題を社会保障の関連の問題として考える場合には、やはり社会保障として果し得る機能というものは、一応限界があると思うのでありまして、ことに労働力の再生産の問題などと関連してこの問題を考えてみますと、どうしても一方においてはいわゆる最低賃金制度、あるいは完全雇用制度とか、広くは教育対策なり住宅対策なり、あるいは医療制度もできるだけ恒久的な性格のものを確立するというような、いろいろな経済政策、あるいは他の、従来から言います社会政策との結びつきが非常に重要な点であると思うのでありまして、その点を、われわれは今後おっしゃるように注意をして検討していくつもりでありますが、私どももそういう点は、従来から社会保障の前提条件というものが非常に重要であるという点から、非常に気をつけて検討しているということを申し上げておきます。
  41. 江崎真澄

    江崎委員長 永山忠則君。どうぞ結論的に簡略に願います。
  42. 永山忠則

    ○永山委員 ただいまの恩給関係の計数で、ちょっとわれわれの考えているのと少し違うた点があります。恩給関係が本年度は一千三十四億でございますが、本年度の予算総額で割りますれば、七分五厘ということになるわけであります。援護法を入れましても、八分七厘くらいということになると思います。これが一割になるだろうというお言葉でございますが、われわれは、三十六年でも一割なんかになりっこないという考え方をしております。     〔委員長退席、今井委員長代理着席〕  それは、現在の予算総額から割って見れば、四年先の千三百億円は一割になりますが、しかも千三百億円は恩給だけではないのであります。援護法を入れたもの全部で千三百億円ということになっておるのであります。従って、われわれは、その際でもやはり現在の率八分くらいじゃないか。要するに三十六年度のピークでも、援護法を一緒にして大体八分八厘くらいじゃないかという考え方を持っております。それは、経済の成長率というものをやはり入れなければならぬのでございまして、ことに本年度は一千億円という税金の増収分があるわけであります。三十二年度に政府が取り過ぎたものがあるわけであります。これは三十四年度でまたたな上げ式になるかならぬかは別としまして、これが移行されるわけであります。ことに本年度は、経済成長率を三・五%しか見ておりませんから、これは非常に押え過ぎておらぬか。また私なんかは、今年度も、やはり税のいわゆる予算外の伸びが出てくるというように考えるわけであります。こういうような経済五カ年間の成長率を見まして、一割以上になるということは考えられぬという点が第一点でございます。  それから第二点は、母子家庭が百二十万ということを言われたのでございますが、われわれの調査によりますと、おそらくその母子家庭という言葉が、子供もお父さんもお母さんも一緒におる家庭をみんな含めて言われたのじゃないかと思うのでありますが、遺族の方の関係では、妻が三十五万人でございます。子供が十五万人、父母祖父母が約百万人でございますから、一緒に住んでいる者ということで言われると、そういう数字が出るかもしれませんが、実際上の減耗率から計算しますときにおいては、妻が三十五万人で、子供が十五万人、父母が百万人ということになっておるのでございます。この減耗率から見ましても、子供は大体今十七才か平均年令、一六・五才くらいになっております。大体十六、七才が平均年令です。そうすると、その子供は二十以上になれば、もちろんもらえませず、援護法の方では十八才でもらえなくなるわけです。また父母、祖父母を入れましての平均年令が六十八才、妻の平均年令が四十七才でございますので、この逓減率は、政府が、これは三十一年の三月末現在の恩給統計の階級別年令別人員を、第十回の簡速生命表の各才別生存率を用いて人員を算出して、詳しいものを出しておるのであります。その遺族の公務扶助料の失権率は、三十三年度が二・五二%であります。時間がありませんから、飛びますが、三十六年度は三・六九%でございます。これは、むしろわれわれは失権率を非常にしぼり過ぎていないかということで実態調査の面から見て、非常に低過ぎるのだということを政府指摘しておりますが、その計算でやりましても、三十六年度が千三百億円になりますが、三十七年度は加速度的に落ちまして、政府は六十四億減になるという統計を出しております。これは政府の統計でございます。われわれは大体九十億くらいであろうということを言うのですが、政府は六十四億下るということを言っておるのでございまして、これらの点から見まして、政府の方は、倍率は三五・五割以上上げないという原則を確立いたしまして、すなわち文官公務扶助料の倍率四〇割を三五・五割に引き下げるため、べース・アップしたけれども実質所得を頭打ちして、文官公務死の関係者と一体にするということで三五・五割にいたしました。これをかりに四〇割に持っていきましても、この減耗率で計算いたしますれば、やはり三十七年度以降は加速度的に落ちるのであります。ことに傷痍軍人あたりの手足をなくした者の生命はやはり十年以上短かいといっておるのであります。これらの減耗率も、政府の見ておる減耗率は精細でありませんので、最近四年間の統計だけしか出しておりません。それで出しました数字が出ておりますが、これらも、今後の減耗率の平均率でなければいけないのじゃないかというように考えておるのであります。こういう意味におきまして、恩給費がふえるという考え方は、少し無理な考えではないか。ことに加算を認めますとしまして、いわゆる戦地に行く場合において、こういう加算をやってやろうという約束に基いて行ったその戦地加算を認めましても、そのピークは昭和五十五年でございます。そのピークが百五十億であります。もちろんそれは逓減方式をとり、受給資格後の実在年限数は制限いたしますけれども、そういうような状態でありますので、われわれは、大体これが一割以上になるということを考えることは、ちょっと無理じゃないかというように思っております。  同時に思想的な問題でありますが、やはりこれは社会保障という見方をせずに、傷痍軍人と遺家族というのは、結局終戦処理であるという考え方でいくことが正しいのではないかというように、われわれは感じておるわけです。実際上、三百億の中で、ほんとうに生きておるところの、生存の文武官、あるいは普通恩給の関係等に支給する数字でも今回の増加分三百億中十二億ばかりでございます。そして旧令共済殉職年金等、援護法の分を入れましても、十四億くらいでございますから、三百億に比例しますと、四%くらいな比率でございまして、全く社会保障という観念とは非常にかけ離れた考え方で、終戦処理という考えの方が正しいのではないかというように感じておるのでございますが、時間の関係があるようでございますから、やめまして、一応御所見を承わっておきたいと思います。
  43. 平田富太郎

    平田公述人 予算における恩給の占める割合、これはなるほどおっしゃる通り、現在の予算を前提として考えるということではなしに、国民所得の伸び、そういう条件も入れ、予算の伸びも入れて考えますると、おっしゃるような問題点がやはり出てくると思うのでありまして、これは再検討してみたいと思います。  それから母子の百二十万は、川崎委員の御質問に対する答えの中にちょっと出て参りましたが、これも恩給関係の資料がなかなかわれわれ手に入らぬものでありまするから、この点もよく調べてみたいと思います。  もう一つは、将来の見通しとしまして、軍人恩給というものが、ふえるというのではなしに、なかなか減るということはむずかしいのじゃないだろうかという程度のことを、先ほど申し上げてみたのでありますが、これも、今後おそらくいろいろな恩給に関する基本的な要求なり、問題点の取り上げ方いかんによって、だいぶ変ってくる問題だと思うのでありまして、これも検討してみたいと思います。  なお恩給の考え方につきましては、私も、むしろ恩給というようなものは、社会保障のワクの中で考えるべきものではないか。予算の費目におきましては、社会保障関係費というものと恩給関係費というものを別ワクで取り上げておりまする点も、やはり社会保障の関係費目として取り上げるべきである。しかも恩給関係費目として、文官あるいは軍人の恩給と一緒に援護費だとかがそこに人っておりますので、その点にもわれわれはいろいろ考えてみなければならぬ問題があるということは御同感でございます。その通りであります。
  44. 永山忠則

    ○永山委員 公述においでいただくお方は一大権威の人でありますから、私も非常に信頼するわけでございますから、統計等よく一つ御調査をいただきまして、責任ある御公述をお願いしたいと思うのであります。ことにこの恩給、特に遺家族、傷痍軍人は、戦地に行って死んだならば、けがをしたならば、このようにしてやろう、国民みんながあとは引き受けたと言って駅へ送り出した国民全部の口約でございます。しかも実際上やっておりますところの金は、生活保護より低いのでございます。遺族扶助料は月今二千九百円でございます。そして実際問題は、戦後十年間も司令部の関係で何ら恵まれていないというような立場においたのでございます。そういう関係でわれわれは、やはりこれは、終戦処理の範疇だという考え方で進んでいくのがいいんだという考えを持っておりますので、念のために申し上げまして私の質疑を終ります。
  45. 今井耕

    ○今井委員長代理 他に質疑がなければ、平田公述人に対する質疑は終了いたしました。  平田さん、まことにありがとうございました。  午後二時より再開することといたしまして。暫時休憩いたします。     午後一時四十二分休憩      ――――◇―――――     午後二時四十九分開議
  46. 江崎真澄

    江崎委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  公聴会を続行いたします。  御出席公述人両先生にごあいさつ申し上げます。本日は御多忙のところ貴重なるお時間をさいて御出席いただきまして、まことにありがとうございました。委員長といたしまして厚くお礼申し上げます。  公述人の方に念のため申し上げまするが、本公聴会を開きまするのは、目下本委員会において審査中の昭和三十三年度総予算につきまして、広く各界の学識経験者たる両先生の御意見をお聞きいたしまして、本予算審査を一そう権威あらしめようとするものであります。両先生の忌憚のない御意見を承わることができますれば、本委員会の今後の審査に多大の参考になるものと存ずる次第であります。議事は、今野さん、遠藤さんの順序で御一名ずつ順次御意見開陳及びその質疑を済ませていくことといたしまして、公述人両先生の御意見を述べられる時間は、議事の都合上、約三十分程度にお願いいたしたいと存じます。  なお、衆議院規則の定めるところによりまして、発言の際は委員長の許可を得ることになっております。また発言の内容は、意見を聞こうとする案件の範囲をこえてはならないことになっております。なお委員公述人質疑することができまするが、公述人委員に対して質疑することができませんから、さよう御了承をいただきたいと存じます。  それではまず東京大学教授今野源八郎君に、御意見開陳をお願いいたします。
  47. 今野源八郎

    ○今野公述人 交通関係予算につきまして、道路を中心にして意見を述べさせていただきます。  政府が、重要政策としまして予算の編成に当りまして総合交通力の増強、近代化を取り上げられまして、道路の近代化を中心とした交通の近代化政策をとられようとしておりますことは、大きな政策としましてその趣旨に賛成するものであります。しかし交通力の増強の仕方あるいは部門別にその比重の置き方等につきましては、若干意見の異なる点もございますので、御参考までに賛成する点、意見の異なる点を申し述べさせていただきたいと存じます。  まず最初に全体的な交通政策予算の面に現われたる交通政策に関してでありますが、今回政府は交通近代化の目標を設定するに当りまして、国民生産の伸び、成長率との関連から交通の成長を考えられて、そして交通力全体の成長を産業の生産力の伸び、流通過程の合理化の面から考えられ、そしてそれに見合う必要な交通力の量と質の確保という政策をとられたことは正しいと私は思うものであります。  それは企画庁でおやりになりました新長期経済五カ年計画において算定されたものでありますが、この算定はマクロ的な方法によっておりますが、大体将来のわが国のあるべき交通の姿、そのパターンを考慮されまして、それに見合う輸送力の増強、質的な近代化を内容とされたものでありまして、その点はまことに従来の政策よりはるかに進歩したものだと思います。その中で特に最も立ちおくれております道路に重点が置かれておるという点、賛意を表するものであります。そして五カ年計画を確立されまして、特別会計によりまして道路を近代化されようという政策そのものには賛成であります。ただこの程度予算をもっていたしまして、五年後そして大体考えられております十年後の状態を考えますと、戦前の、第二次戦争前のヨーロッパの状態―一一九六八年になりまして日本がやっと一九三八年ごろのドイツあるいはアメリカの水準の道路になると考えられるのでありまして、一兆九千億、二兆の金を使いましてもその程度でございます。日本の交通状態が十年後にその程度でいいかどうかということをここで考えさせられるのでありまして、もしできますならば、予算の面におきましてももう少し重点的に道路に予算増加されてもよろしいんじゃないか、つまりそういうことを申し上げます理由は、十年たってもなおヨーロッパの先進国との間に三十年のギャップがある、それを詰めるためにはさらに一段の予算措置その他の措置が必要でないかということでございます。  もう一つは、十ヵ年計画あるいは五ヵ年計画は国民生産との関連から考えられたものであり、その計算の仕方はおおむね大体の計算でございまして、マクロ的な把握の仕方をしておりますが、これを逆に必要な一級国道、二級国道を近代的な自動車の能率的な交通に適するように改良するためには、そういう積み上げの計算をしてみますと、今回の予算の約倍を必要とするというふうに聞いておりますが、それらを勘案いたしますと、道路予算の規模におきまして、できますならば五〇%程度予算増加がなければ、十年後において期待されるだけの道路の近代化の実現が困難でないかということを案ずるものでございます。  またそれではその財源をどうするかという問題でございます。御存じの通り、今回の予算の主たる財源は、道路につきましてはガソリン税でございますが、ガソリン税のみに主としてよるということは、アメリカの例で申しますれば、一九二九年代に始まる税制でございまして、今日ではもう少し進歩した税制をとるべきではないか。言いかえますならば、日本の自動車の税制というものはきわめて古いものでありまして、自家用車に重くて、営業車に軽いというふうなこともその例であります。新しい自動車と十年もたっている年式の古いものでも、同じ料金をかけるというようなこともあります。自家用車に重いということは、先進国では最近では例を見ない点でございまして、やはり自動車は道路を破損し、道路を利用するその利用度に応じてかけるべきである。ユーザーズ・タックスという考え方がどこの国でもとられている考え方だと思います。そういう点から申しますと、ガソリン税はすでにユーザーズ・タックスではないかと思うのでございますが、ガソリンを多く使う車が道路をいためるとは限りませんので、やはり道路破損に重圧を加える特別に大きな車に対しまして、スペシャル・ユーザーズ・タックス、あるいは国の作った道路を営業の対象に使う車両に対しては一定の特別のディフェレンシャル・タックスをかけるというような最近の世界的な傾向だと思いますが、そういうアメリカで行われておりますような新しい税制によりますならば、さらに多くの自動車税をかけるということによって自動車のための道路を改良し、それによって自動車そのものが経済上の利便を得るし、経済、文化上に稗益するところが多いという結果になるだろうと思います。  なお関連して申しますならば、道路の改良は、言うまでもなく、道路の生命であります、自動車の発達によるものでありますので、ちょうど戦前ドイツがとりましたようなモータリゼーション・ポリシー――道路交通機械化のための政策ということが必要であろうと思いますが、それにはやはり何と申しましても国民車的な、大衆の足としての大衆車をふやすことに対して税的な措置、なるべく税を軽減するというふうな措置も望ましいわけでございますし、関連的に国産自動車奨励のための一連の政策がとられるべきであると考えます。従いましてそういうふうにしまして、自動車を中心にした製造、輸送、需要の面を含む自動車産業は、やがて日本の一大産業となることを期待するものでありまして、もしそういうことができないならば、日本の工業の進歩は停滞すると思われるのであります。  アメリカの例を申しますならば、自動車の輸送、道路に関連して生活している者の数は、御存じの通り一千万人をこしておりまして、農民の数よりも多いのでございまして、大体六人に一人が自動車産業に関連した職業に従事しているというような者であり、またイギリス、ドイツにおける重要な輸出商品としての自動車を考えますならば、この道路政策意味は、単に交通上の利便、新しい産業の立地条件を作るというだけではなくして、新しい産業、日本の将来の経済の発展の方向をきめる一つの大きな政策として、道路に重点を置かれる政策に賛成を表するものであります。  しかし繰り返し申し上げますように、その規模は、超重点あるいは重点といわれておりますにもかかわらず、昨年に比べましてわずかに二五%増加にすぎませんので、将来財政の許す限り、景気の見通し等によりましてはさらに予算の増額が望ましいと存じます。  次に、交通に関連しまして、大へん恐縮でございますが、お手元に資料を便宜上お届けしたと存じますが、勝手でございますが、御高覧願いたいと存じます。  最初のページが貨物の輸送量を交通機関別に見たものでございます。これは大体経済企画庁の計算でございます。  その次のページは、旅客の交通機関別の輸送量でございます。先ほど申しましたように、昭和三十七年度の輸送機関別に見た大体の負担率、分担率というものがここでわかるわけでございますが、大体において国鉄の貨物において演ずる役割は全体の五〇%程度であります。若干低下しておりますが、依然として大きな基本的な交通動脈を国鉄がになうことになります。と同時に、自動車の占める地位がだんだん上ってきていることもこれで明瞭でございます。旅客につきましては、第二表のところに昭和二十九年と三十七年までの関係が出ております。ここにおきましては、さらにバス及び乗用車、航空機の占める地位が上ってくるということが明記されておりまして、これはトン・キロで見ました、あるいは人キロで見ました大体の傾向線でございまして、予算処置につきましてはこういうことを十分御考慮願って、道路その他に重点政策をとられたものと考えられます。  次の表でございますが、これは航空の伸びでございます。私、交通関係予算を拝見いたしまして感じますことは、航空関係予算が特に少いということにつきまして非常に残念に思うものでありまして、この輸送の将来のあり方を考えますならば、やはり交通機関がいろいろな特殊な機能を持っておりますので、その機能に応じた分業関係というものが発達し、全体としてまとまった日本の総合輸送力としまして、日本の工業力、農業力あるいは流通合理化に役立つものであるべきであります。ところが将来最も大きなウエートを占める特に人の輸送において、航空につきまして割合に予算が少く、わずかに十九億円であるということは驚くべきほど少いのでございまして、これをアメリカの航空関係予算に比べてみますと百分の一でございます。大体アメリカの経済力と日本の経済力は大ざっぱに申しまして十分の一あるいは十五分の一と推定されておりますが、航空につきましては百分の一ということは、将来これでよろしいのかということについて非常に大きな不安を感ずるものであります。航空輸送は、御存じの通り、戦後、敗戦国としまして、ドイツとともに全面的に禁止されあるいは制限されまして、国民的にも感情の上でいろいろな問題があると思いますが、商業航空はやはり国の交通機関としまして、実に重要なものであり、また宇宙交通時代の始まりともいわれます時代に、やはり日本の交通の近代化ということは、航空を無視しては考えられないのでございます。世界で約一億人が飛行機で空の旅行をしておりますのが、最近の情勢でございます。  その次の表をごらんいただきますと、航空輸送の伸びでございますが、日本の統計でございますが、四十万人、三十一年度に旅行をしております。これを世界的に見ますならば、鉄道と航空の旅客輸送量比較という次の表に出ておりますように、アメリカ、イギリスあるいはその他の先進諸国に比べまして、日本の航空旅客の数が実に少いのであります。イギリスの例が出ておりますが航空対鉄道という。パーセントのところに出ておりますが、約三割が航空で旅行している。あるいはアメリカの場合五四%が空によっている。御存じの通り状態でございます。  こういうふうな国内及び国際航空の情勢を考えますならば、日本の航空輸送を伸ばすということはかなり重要な問題になってくるので、その次のページを、恐縮でございますがごらんいただきますと、国際的に見ると日本の航空の地位というものがその次に出ておりまして、主要国国際活動参加割合比較という表でございますが、日本は資源のない島国でございまして、貿易によらなければならないことは申し上げるまでもございませんし、予算におきましても、貿易の振興を重要な国策として取り上げられております。ところがこの国際航空という点になりますと、日本の占める割合というものは非常に少いのでありまして、日本は世界貿易におきまして二・六%を占めておりますが、航空におきましては〇・七%にすぎません。海運におきましては三・四%を占めている。これを次の欄のアメリカに比較してごらんいただきますと、アメリカは世界貿易においては約一六%の地位を占めておりますが、航空におきましては約三九%の輸送上の地位を占めている。イギリスも同じように大体商品貿易に見合う航空の量を持っております。フランスにおきましては、商品貿易以上に航空の世界における割合は高いのでございます。  こういうふうに見て参りますと、外貨を獲得するためにも、ぜひ国際航空の発達が必要じゃないかと考えられるので、外貨の収支の見通しにつきましてはその下の方に書いてございますが、現在のところはマイナスに近い。三十一年度はマイナスでございまして、これを三十七年度に、プラス外貨収入千八百万ドル少くとも得たい。そういうための予算としまして十九億という予算はいかにも少いのでありまして、鉄道新線その他を建設されようとする政策、それも一問題でございますが、さらにこういうふうな航空予算が極端に少いということに対しましては、十分御考慮を願いたいと思うのであります。  申し上げるまでもなく、商業航空力の増強ということは、優秀な適格な飛行機を持つことと、航空路、空港の整備、もう一つは人員の整備、パイロットの養成その他でございますが、いずれの予算におきましても大幅に削減されておりますことはまことに残念でございまして、文明国として十九億の航空予算ということは、実に私にとって不可解なほど少いものでございます。  鉄道についてでございますが、鉄道は依然として日本の幹線でございまして、将来も貨物の輸送におきましては、幹線的な重要な輸送を持つものと思われますが、ただここで幹線建設を重要な政策として力説されておられますし、予算におきましてもそういう説明がありますことは、これも世界に最近例のないことでございまして、アメリカでは御存じの通り、年間二千マイルくらいの鉄道が取りはずされて道路になっておりますが、よほど必要やむを得ない、経済的にペイする線でありますならば別でありますが、そうでない限り新線はよほど景気がよくなるまで待つ、あるいはなるべくならば道路にすべきじゃないかというふうなことを考えるものであります。  海運につきまして、特に貿易港を重視されて重点的にその能力を拡充されることが取り上げられておりますが、けっこうでございます。同時に貨物船、タンカーの適格な優秀船を作ること、及びできますならば、大型の太平洋の客船をなるべく財政の許す範囲において作られ、あるいは金融措置をお考え願えればありがたいと思います。  全体的に交通投資を考えてみますならば、交通投資は生産の基盤を作るものとしまして、あるいは交通そのものの近代化がわれわれ文化生活の向上、経済能率を上げる上に重要なものでございます。いろいろな交通機関に対する投資を総合的にお考えなされようとしていることはまことにけっこうなことでございますが、ただいま申しましたような将来の最も新しい輸送の伸びをお考えになりまして、そうして新しい交通機関に対する投資を重視しつつ、また旧来の十九世紀以来発達しております交通機関につきましては、重点的に世界的な競争力その他能率的あるいは経営の面を十分お考えを願った投資が望ましいのでございます。  その点につきまして、恐縮でございますが、もう一度表の一番最後についております「アメリカにおける交通機関のライフ・サイクル」という表を見ていただきます。これはアメリカの交通機関が栄枯盛衰をたどっている歴史的な表でございまして、汽船あるいは蒸気鉄道、電車、自動車、航空機というふうになっておりまして、交通機関が発達する実験期から拡張期へ急速な発展を遂げ、やがて成熟してマチュアの段階に達して、そうして能率が悪くなり、幾ら投資しても割にほかの交通機関にお客が取られていくということを示しているものであります。アメリカは最近まで比較的自由な国でありまして、自由競争の行われた国であり、最も能率的な交通機関を使うという国でございますので、このアメリカに見られます交通機関の新陳代謝――ライフ・サイクルといっておりますが、これはわれわれにとってもきわめて暗示的なものであります。後進国の場合は必ずしもアメリカのような純粋のライフ・サイクルの形をとるとは思われませんが、それにいたしましても投資をされ、大きな予算の裏づけをされます場合に、こういったライフ・サイクルを御考慮願いたいということと、その次の表に出ておりますのは、アメリカの貨物の輸送分野における比率でございますが、その次の表は人の輸送におきまして、御存じの通り乗用車、そしてバスが九〇%のウエートを占めております。これはアメリカが特別であるといわれる方もありますが、ヨーロッパの例でも約六〇%が自動車に移ってきております。  こういうふうなことを勘案いたしますと、道路政策に重点を置かれ、そうして鉄道は幹線及び特に都市近郊の輸送の混雑の緩和に重点を置かれるという政策が適当だと思います。交通の投資は、産業投資と並んで行われるべきものでございますが、明治以来日本の経済の成長に交通投資がいつも先立って、先行性を持ってなされたことは適切なることであったと思うのでありますが、大正以来日本の交通投資というものが、とかくネグレクトされてきておった傾向がございますが、今後御努力によりまして、交通投資、特に新しい交通機関に対して投資されること、そういう政策をおとり願えますならば、非常に国民として仕合せに存じます。  以上で私の公述を終らしていただきます。(拍手)
  48. 江崎真澄

    江崎委員長 ただいまの今野公述人の御発言に対しまして御質疑があれば、この際これを許します。
  49. 久野忠治

    ○久野委員 ただいま交通輸送の面について御意見開陳があったのでございますが、現岸内閣は、交通網の整備のために、御承知通り重要施策として道路整備五ヵ年計画を策定いたしました。近くこれに必要な法律上の措置も講ずることに相なっておるわけでございます。で、その政策基本となるものが、先ほど御説にありましたように、日本の貿易を推進するための重要施策一つとして取り上げられたわけでございますが、その点について幾多の困難性があろうと私は思います。そこで、その困難な問題等を想定しつつ、少し数学的にお話を伺ってみたいと思うのでございます。  示されました道路整備五ヵ年計画の案の内容によりますと、五ヵ年間で約九千億の道路整備を行う、こういうふうに言われておるわけでございますが、その九千億の道路整備の内容は、一体日本の道路網を五ヵ年後には欧米並み、先進国並みの近代化されたる道路網に整備するということのために必要な予算であるか、あるいは、日本の財政的な見地からこれ以上は出せないのだ、そこで最上の額として策定されたものの予算であるか、ここに私は大きな疑問があろうかと思うのでございます。先生はどういうふうにお考えになっておられましょうか。
  50. 今野源八郎

    ○今野公述人 五ヵ年間の事業といたしまして、先ほど申し上げましたように、五ヵ年間で大体ヨーロッパの戦前の状態に達するということが目標だと思いますが、それはそうなってしまうわけなんでございますが、決してそれでは日本の現在のあるいは将来の産業の発達に十分だとは言えないのじゃないか、まあまあという点だろうと思います。ただ、財政上の理由からそれ以上投資することが困難だと言われますれば、財政の余裕のあるときまで待たざるを得ないというような感じがいたします。それでお答えになりましたかどうか。
  51. 久野忠治

    ○久野委員 私はそういうことで御質問を申し上げたのじゃないのです。九千億という道路整備五ヵ年計画の予算が打ち出されておりますが、九千億という予算は、現在の道路網を欧米並みの線まで引き上げるために必要な額であるというのか、それとも、現在の日本の財政事情から言って、これ以上は出せないということでそういう額がきめられたのであるか、どちらであるか、そのことを私はお尋ねしておるのです。先生はどういうふうにその点をお考えになっておるかという御質問をしたいと思います。
  52. 今野源八郎

    ○今野公述人 日本の自動車交通の能率を上げるために必要な額として、九千億というもの、あるいは九千五百億というものが考えられたのだと思います。ですから、欧米並みということは私が解釈したことでございまして、実際に予算を作られる場合には、それは結果として出て来たのじゃないかと思います。
  53. 久野忠治

    ○久野委員 そこで、現在の交通需要と申しますか、それに見合うべき道路のスピード性、それから輸送の量、こういうものは現在の日本生産規模に見合って果してこれが妥当であるかどうか、こういう点についてお伺いしたいと思います。
  54. 今野源八郎

    ○今野公述人 現在のところ非常に道路の輸送の容量が需要に対して少い。大体、昭和二十九年から三十年で全国的に見ますと、道路の容量が道路需要以下になってしまった。そういうことは、北海道その他東北を考えますと、都市近郊あるいは重要な産業地帯におきましては、はるかに道路の輸送需要の方が道路のキャパシティより大であるということが、混雑あるいは非能率、しかも大型のトラックあるいはバスの通行が困難である、スピードが出ない、あるいは維持費が非常にかかるというこことで、交通上あるいは産業上非常なマイナスであり、そういう意味においては全然能力が需要に合っていないと思われます。
  55. 久野忠治

    ○久野委員 そうだといたしますならば、この際思い切って道路政策に重点指向をいたしまして、重点的に予算を使うということが政策としては当然であろうと私は思うのであります。そういう際に考えられますことは、先ほどお話の中にもありましたが、ガソリン税を財源としてこれに使うことは不適当だ、こうおっしゃいましたが、そうだとするならば、その他に財源措置を講ずるならばどういう措置がよいとお思いになりましょうか。
  56. 今野源八郎

    ○今野公述人 私は、ガソリン税を使うことは不適当だとは申し上げたのではございませんで、ガソリン税だけでは不十分だと申し上げたつもりでございますので、私、申し上げ方が悪かったかと存じますが、プラスしまして自動車の消費税、これはあるいは地方税でも国税でもよろしゅうございますが、やはり自動車を利用するその利用度――アメリカで申しますと、一台の車の大きさ、あるいはどれくらいのトン・マイル走るか人マイル走るかということをウェートに置きまして、それを勘案いたしまして自動車の利用税を課しておる。それは自動車に対する悪税だという批評もございますが、だれかが道路を作らなければならないとしますれば、自分の足代を自分で払うと申しますか、利用者が払うという傾向が強いのでございまして、九割まで利用者が自動車道路については負担するという傾向がアメリカでは見られますが、日本でも、ガソリン税だけでは財源が不足でありますので、将来今申しましたような新しい税制をお考え願えれば幸いだと考えます。
  57. 久野忠治

    ○久野委員 アメリカの例から考えてみればそれは適切であろうかと思うのでありますが、しかし、日本の場合はそうはいかないと思います。たとえて申し上げますならば、さよういたしますと輸送コストが高くなりまして、そして生産品のコストが高くなることになろうかと思います。まあその逆の場合もありましょうが。しかしながら、現在私たちといたしましては、それを補う意味で、一般財源からこの財源を補てんするとか、あるいは借入金制度を設けようというので、道路整備特別会計というものを考えたのでありますが、この案についての御感想を承わりたいと思います。
  58. 今野源八郎

    ○今野公述人 どうも私の申し上げることがときどき舌足らずになるようでございますが、先ほども道路特別会計制度に対しましては賛成であるということを申し上げました。ガソリン税を主としまして、それに、それだけでは不十分でありますので、特別利用者税も考えられますし、それから、道路特別会計によりまして借り入れをするということは、道路の寿命が三十年あるいは四十年の長きにわたるものでございますので、現在の利用者だけが負担するということはもちろん不適当でございますから、将来の利用者も負担するということが公平でございます。従いまして、そういう制度、そうして適切な近代的な自動車税制、この両方あわせて用いらるべきものじゃないかと思います。それから、なお、その利用者税につきましても、利用者に著しい負担とならないような程度の税率ということがもちろん問題でございますので、大型の自動車を利用する方は、それによってそれだけのランニング・エキスぺンシズが節約されますし、償却も有利になりますから、その有利な範囲の何分の一かを出すという程度の税率であれば、それほど負担にはならないのじゃないかと思われます。
  59. 久野忠治

    ○久野委員 利用者税のお話はお言葉の中に何回も出てくるのでありますが、そういう税種目の内容についてもう少し具体的にお話をいただきたいと思います。
  60. 今野源八郎

    ○今野公述人 今日本現状でこまかい税率あるいは税種目につきまして申し上げる準備はございませんが、考え方としまして、ガソリン税だけでは不十分であり、先ほどから申し上げているようなそういう特別の利用者の支払われる税金を取り立てることも公平でないかという考えだけを申し上げたわけであります。
  61. 久野忠治

    ○久野委員 具体的に案があれば……
  62. 今野源八郎

    ○今野公述人 アメリカその他の国でやっておりますが、とにかく、アクセルが三つ以上の、しかも一定のたとえば十トン以上の自動車に対して、その大きさあるいはアクセルの負担力に応じた税を普通のガソリン税にプラスしまして、一セントとかあるいは日本で申しますれば一円なり二円なりというものを課するということでもいいと思います。
  63. 久野忠治

    ○久野委員 私はもっと具体的な税種目の内容についてお尋ねをいたしたいのでございますが、お答えがございませんので、これ以上はお尋ねをいたしません。  そこで、道路の構造の問題でございますが、やはりある程度、将来の自動車の重量トンと申しますか、それに見合うべき道路構造でなければならぬと思いますが、現在では約五、六十トンぐらいに耐え得るような道路構造のもとにおいて舗装工事が行われておるようでございます。ところが、各所で散見いたしますことは、新しく作りました道路舗装がもう翌年にはこわれてまたこれを作りかえるとか、あるいはまた他の事業計画のためにこれを掘り起してまたこれを補修しておるとか、そういうようなむだな事業が各所で行われておるように私は思うのでございますが、こういうことなどにつきましても、でき得ることであるならば、政府内において交通関係一つ審議会でも設けまして、そうしてこれらを調整するようにしたらどうかと私たちは思っておるのでございますけれども外国にはどういう例がございましょうか、その例がありましたら一つお答えをいただきたいと思います。
  64. 今野源八郎

    ○今野公述人 最初の、道路がすぐこわれやすいということでございますが、そういうことに関連しまして外国の例を申しますと、審議会というよりは、むしろ経済調査あるいは技術調査を十分にして、土質を調査し――もちろん日本でもやっておられると思いますけれども、もっと徹底的に調査して、しかも勘にだけにたよらずに機械によってちゃんと測定いたしまして、路盤の工事ができましたらさらに検査する、そうして舗装するということをやっておりますが、その点、日本の場合、やや性急な工事の仕方があるんじゃないか、私は技術者じゃございませんのでよくわかりませんが、そういう心配がございます。それで、全体としまして、経済調査あるいは技術の調査ということを十分やっていただきまして、一定の交通需要のあるところに一定の必要な規格の道路を作る。そのことと、もう一つは、工事を担当した人の責任をちゃんとすることが今後ますます必要ではないかと思われます。また、国内審議会を設けられるということも適当だと思いますけれども、それと同時に、やはり直接衝に当っておられる方の人事、そして予算措置の面におきましてもそういうことが必要であります。とかく、審議会というものは、そう申しては大へん失礼でございますけれども、ただ有名無実になりやすかったり、あるいはただ眠ってしまって活躍しないような場合もございますので、諮問機関としての審議会では不十分ではないか、もう少し魂の入った道路工事をしていただきたいということをお願いするわけであります。
  65. 久野忠治

    ○久野委員 道路に関係した諸官庁の制度日本では多岐に分れておると思うのであります。いわゆる道路を作るのは建設省でございますが、一方その道路の上を走ります自動車等については運輸省が所管をいたしておりまして、次から次に大型のバスあるいは大型のトラックを許可いたしまして通らせる。そのことによって、せっかく作り上げました舗装道路を片っ端からまたこわしていくというような実例もあるのであります。さような意味合いからいきますと、やはり道路のみに限らず交通輸送の面については行政官庁を一元化する必要があるのではないか、こういうような意見もそこから出てくるわけでございますが、その点について御意見はどうでございましょうか。
  66. 今野源八郎

    ○今野公述人 一元化することが能率上有利かどうかということはかなり研究を要する問題だと思います。外国の例を申しましても、建設する面と輸送を担当する役所の違っておることがかなり多いのでございますが、日本でもそれを一緒にして一元化しなければ今のような問題が起きるというのは、やはり相互の連絡をもう少し調整し緊密にしていただきたいということを国民としてお願いするわけでございます。結局国の貴重な血税によって作られたものでございますので、何とかして二十年、三十年のほんとうの寿命のある道路を作るような態勢を作っていただきたい。  それから、御承知通り、道路が掘り返されておりますが、これにつきましては、ガス、水道、電電公社等の埋設、これは、御存じの通り、人口がふえることを予定して余分な太いガス管を最初に入れますと、それだけの固定費がかかりますから、初めは細くして、だんだん太くする。そのたびに、税金によって道路を掘り、税金によって道路を埋めるということをやっておりますのでたまらないわけでございます。これも、関係の官庁との間に連絡をとられまして、外国のような共同埋設あるいはあらかじめ一定の太さのパイプを入れる、そのかわり、それに必要な資金を融資するとか何らかの金融的な措置を講ぜられるのはいいと思いますが、今のような状態で何十年間も東京都内の道路が掘り返されしておるということに対しては、国民一人として心であるいは表面で批判していない者はないのじゃないかと思いますので、何とかしてその点立法的な処置を講じていただきたいと思います。  もう一つ、これはお願いでございますが、道路の建設に当って土地の買収を容易にするような法律を考えていただきたいと思います。
  67. 川俣清音

    川俣委員 ただいまるる交通についての公述を拝聴いたしたのでございますが、その中で一つお尋ねいたしたいことがございます。それは、国内の鉄道が、幹線は別にいたして、経済的にペイしないような新線計画が行われておることは世界の大勢に逆行することである、特に先進国の状態から見ると逆行的な行き方であるという批判があったわけでございます。それはそれなりにけっこうだと思うのですが、それではどうしてこういうことが日本に起ってくるのであろうかという点について一つ解明を願いたいと思います。おそらく、道路計画、道路整備なり道路網の完備が十分でないために起ってくるのではないかと思われます。またその他の原因もあるかと思いますが、一体どういうわけで逆行するような事態が起ってくるのか、この点を一つ解明していただきたいと思います。  それから、第二でございますが、日本は独立したといいながら、商業航空と申しますか航空網が完備しておらないのは、まだ日本が経済的にも政治的にも完全な独立をしないところに航空の未発達の原因があるのではないかとお考えになっておりますかどうか。航空の発達のおくれておりますのはかなり経済的、政治的な圧力に日本が屈しておるところに原因があるのかどうか、この点につていの解明をお願いいたしたいと思うのであります。二点でございます。
  68. 今野源八郎

    ○今野公述人 最初の、新線建設がなぜ行われるかという理由でございますが、日本国有鉄道経営調査会の答申にも、景気その他の情勢から見て新線建設は見合わした方がいい、当分の間見合せるべしという答申が出ております。それから、経済企画庁の経済成長五ヵ年計画の中には、幹線輸送に重点を置くべきであろうということが書かれておりまして、新線という言葉はございません。しかし、予算の面に出てきておりますので、私も実は不可解なのでございますが、これはやはり根本的には第二の問題のなぜ日本で航空輸送網が完備されないかということにも関連いたしますが、交通思想、交通機関に対する考え方が、はっきり申しますと十九世紀的である。鉄道万能時代で、極端なことを申しますと、航空機は何か危険なものである、自動車はぜいたくなものである、そういった後進国特有の思想が残念ながらやはり支配しているのではないかと思います。なまいきなことを申しますけれども、私、それを非常に残念に思いまして、英米にはない後進的なものをなるべく早く払拭することが必要でないかと思います。  それから、航空網の完備されない理由として政治的な圧力があるかという問題でございますが、これは私はないのではないかと思います。むしろ空に対する交通革命の発展ということに対して私たち日本人の考え方がやや保守的なためじゃないかと思います。
  69. 川俣清音

    川俣委員 そういたしますと、こういうふうに理解してよろしゅうございますか。今の世界の大勢から見て、日本政府は依然として十九世紀的考えから脱し切れない交通政策をとっておる、予算ではいろいろな計画があり、あるいは道路特別会計などをやっておられますけれども、その根本はやはり昔のからを脱し切れないのだからして、院外においても先進の学者は大いに一般の認識を高めて政治家を啓蒙していかなければならぬ、こういうふうに理解してよろしゅうございますか。
  70. 今野源八郎

    ○今野公述人 政府が道路の近代化を取り上げられましたことは非常に進歩的なことでありますが、同時に航空輸送につきましてももう少し重点を置いていただきたかったというのが私の趣旨でございます。先生の方は日本の最も進歩的な方々でおられますので、何とぞ今後とも進歩的な交通思想をもって御指導願いたいと思います。
  71. 柳田秀一

    ○柳田委員 交通網の発達に対して政治的な圧力はないという先生のお話ですが、欧米と比べてみても、特に日本の交通網の発達しない原因はいろいろとあると思うのです。これはやはり日本だけの立地条件ですか、地勢ですか、そういうものが影響しておりますが、何といっても私はアジアにおける日本の航空の貧弱ということが一番大きいと思うのです。何といったって、イギリスの人がしょっちゅう日本に来ているのじゃないので、なかなか発達しない。イギリスの人は欧米で航空網を利用しておる。北京に行くにしても、ジェット機を使えば東京から一時間少々で行けるのですが、今日香港から行って、香港からぐるぐる回っているのです。韓国あるいは北鮮あるいは現在の中共という、こういうところも欧米から比べれば後進国でありますけれども、これが、政治的な圧力とかそういうことは別にしても、ほんとうにもっと自由に行き来できるような態勢になれば、私は今のままでもまだまだうんと航空を利用する人はふえると思うのです。ここにも一つの隘路があるのであって、この点を解明せずして、ただ数字の上に現われた航空機を使う人員の数というものだけ見ても、これはものの半面しか見ておらぬのじゃないか。こういう点がもっと伸びてくるならば、うんと利用者はふえるのじゃなかいと思いますが、そういう意味においては、今の政府がとっておるような方策では、ここに多少政治的な圧力がある、こういうふうな観点から見たいと思うのですが、その点はどうですか。これが第一点。  第二点は、日本の国土縦貫道路というのが問題になっております。これはちょうど背骨のとこころを通るのか、腹か背中か知らぬが、現在の東海道線、あるいはその他のところを通るのか、いまだにきまっておらない。きまったのは神戸から名古屋のところだけ、これは大体日本海岸にも寄らせぬし、太平洋岸にも寄らせぬので、ここだけは一応やろう、それから先はまだきまっておらぬからというので、一応神戸から名古屋までやっておるのですが、これに対して先生は、どちらの案が将来の日本の産業、文化、経済の発展のためによりベターであるか、どういう御意見を持っておられるか、それが第二点。  第三点は、最近新聞をにぎわしております神風タクシーの問題です。これは先般の国会の分科会でも問題になりました。それから、神風タクシーによって被害をこうむった議員の中で、議員有志懇談会みたいなもので、それの解消を超党派的に推進するというようなことも新聞に出ているのですが、現在の神風タクシーのよって起るところの原因はどこにあるのだ、これはどういうようにお考えになっておりますか、その三点を伺いたい。
  72. 今野源八郎

    ○今野公述人 日本の航空の発達に対する地理的な制約があるというふうな問題、これは日本が小さな四つの島からできているという点ではイギリスと似ていると思いますが、イタリアその他スイス等、小さな国におきましても、あるいは山国におきましても、国際航空が非常に発達しておりまして、その点からしますと、日本が地理的にかえって航空輸送に適するということは、まん中に大きな山脈がありまして、裏日本と表日本をつなぐのに、鉄道よりも航空の方が安くなれば、便利であるということであります。航空運賃は御承知通り大体特二、二等運賃――アメリカにおいては二等運賃を切っておりますので、将来力の入れようによりましては非常に発達する国内市場があると思われます。  第二点につきまして、世界的に見て日本及び近海の空はあまり有望じゃないのじゃないかということ、それに関連して政治上の問題を御指摘になりました。世界の航空市場というふうな言葉で経済学では問題になると思うのでございますが、世界で一番航空の発達しておりますのがアメリカの上空であり、その次が西ヨーロッパであり、ロンドンとパリと北欧とをつなぐこの三角形をなす地点の空であります。次は北大西洋であります。その次は南太平洋であります。南米とアメリカを結ぶ市場と日本を結ぶ世界市場、それから日本を中心にした世界市場はその次の市場になっております。政治的な世界の情勢というものの緩和がありますならば、こういった市場はさらに発展することは疑いございません。なお日本がそういうふうな情勢でありますので、航空に力を入れることは、貧弱な東亜の航空マーケットにおいてはやはり有望じゃないんじゃないかという御心配でありますならば、日本は国際航空に乗り出すべきでありまして、ちょうど日本の船が第三国間の輸送において貴重なる外貨を得ておるようにわれわれ日本の航空機が第三国の市場において外貨を獲得することができるのでございます。そういう点におきまして、国際的な航空市場の開拓に、日本の航空機を働かせるように、政策をお考え願えればありがたいと存じます。それから縦貫道路その他の路線についてどう思うかという御質問にお答えいたしますと、私はおよそ幹線自動車国道を作りますに当りましては、交通需要に見合うことが必要であるという考え方を持っております。これは世界的な傾向でもあります。その一つは交通地理的な条件、もう一つは将来を見ての交通需要という点からでございます。交通需要は現在の交通需要と将来の交通需要が考えられます。日本の地理的な条件はややイタリアに似ております。島の形は申すまでもなくイギリスに似ております。もし日本のまん中に山脈がなければ、私はイギリスのような線がとられると思いますが、山脈がございますので、今の縦貫道路の路線も適当かと思いますが、同時に海岸に沿う、東海道に沿う路線も研究されまして、結局どちらが日本の開発――広い意味の開発でありまして、農業開発だけではございません。日本の、この長期経済計画にも指摘されておりますように、結局第三次産業というものが中心、あるいは第二次産業が中心になると思われますが、そういった広い意味の経済開発の基本線として、どこにどういう路線を入れるべきかということは、十分な科学的な調査の上で御決定願えれば幸いだと思います。もちろん至るところに道路は必要でございますし、縦貫道路も必要であり、東海道にも道路が必要だと思いますが、問題はその優先順序で、プライオリティをきめるということは、どこまでも科学的な経済調査の上に立っておきめ願えれば幸いだと存じます。  最後の神風タクシーにつきましては、非常にむずかしい問題ではございますが、一つは、私は、やはり直接の原因としては運転手があれほどスピードを出す必要があるのか、出さなければならない理由は稼ぐためだとよく言われます。これはやはり経営組織の問題あるいは経営体内部の問題でございますので、その点での御当局の指導ということをもう少ししていただきたいと思いますし、根本的には私はタクシー企業のあり方というものに対して、もう少し新規の免許を許してもよろしいというふうに個人的には考えるものでございますが、と同時にやはりもう少しスピードについては統制をすべきだと思います。私自身も一、二回けがをしておりますので、身をもってこたえております。
  73. 柳田秀一

    ○柳田委員 神風タクシーの問題はやはり企業のあり方にもあると思うのですが、現在一台で百万円以上の権利金ということになっておるわけです。それで大体三十台くらいないと営業を許可しない、だからこれは三千万円以上の資本を最初から出しておかないと経営できない。また運転手は一生働いても、自分はオペレーターであって、いつまでたってもオーナーになれないので、一つも望みがない。かりに一台持っておってこれで経営できるならば、それは自分の車ですから大事にしますよ、そうして、そう無理もしませんし、まあ十分な休養もとれるだろうと思うのですが、今のように大きな企業体、大きな資本の者にのみ許可をしておるということがこれのよって来る原因であって、私はスピードの問題は枝葉末節だと思う。これは自分でやらせたら、出せといったって出しやしません。何でも運輸審議会というものがあるらしく、そうしてそこで認可を与える。とにかく役人にはこの許認可というものが唯一の楽しみなんですね。国会に来たら役人はいじめられるけれども、許認可権でみずから生活している。精神的の慰安をあそこに求めるらしいんですね。どうもああいう制度を改めなければ、私は神風タクシーの問題は永遠に解決せぬと思うのです。そういう点では、私はこれは道路政策、交通政策の権威であらせられる先生なんか、やはり声を大にして警告を発してもらわなければならぬと思う。そうしなければ、スピードの問題は私は末の末だと思います。だから数台持っていたら営業を許可する。許可したって、悪いことはないと思う。その点に関しては今の行政そのものがそういう結果を招いていると思うのですが、それに対してもう少し率直に先生の――きょうは政府側もみな出ておりまして先生の公述を聞いておりますが、これはやはり国会を通じて国民の前に先生から明らかにしていただきまして、その公述をまたもとにして政治行政をよりよくもするためにこれをやっておるわけですから、国民の、主権者の代表者中の代表として、率直におしかりをこうむるなりなんなりして、言っていただいた方がためになると思うのです。どうぞ御遠慮なしに一つ言っていただきたい。
  74. 今野源八郎

    ○今野公述人 個人的な考えでございますが、私はやはりタクシー業というものが厳選主義によるべきだとは思いますが、ある程度免許はもう少し自由にしてもいいのじゃないかと思います。結局どれだけのタクシーが東京に必要かということは、人口なり――一人当り何回乗車しているかというふうな、タクシーに対する需要と見合って考えるべきでありまして、権利金が百万をこしているというふうなことは、やはり需要と供給のアンバランスを語るものでございましょう。一面では、のれんとしての価値もあるかもしれませんが、しかし数年前十万程度のナンバーの権利が百万をこしているということは、やはり需要に対して供給力が少いということでありますから、その需要に対して見合うだけの供給はすべきではないかと、個人的には考えます。またタクシーの経営規模ということが、適正な経営規模――何が適正な経営規模であるかということは研究を要しますが、大規模でもできますし、中規模でも小規模でもできるのじゃないか。ただ一台でできるのが望ましいか、五台か十台かということは研究を要すると思いますが、適正な規模というものはそれぞれの企業にあると思われますので、比較的中規模、小規模のものでもできる企業の業種だと思います。
  75. 柳田秀一

    ○柳田委員 権利金が非常に高くなっておるのは、これは需要と供給の関係に出ることは当然でありますが、ただそれだけじゃないと思う。やはり運輸省で許認可権を握っておる。その許認可権というものは、非常に一方に偏しておるということが、権利金をより――私は需要と供給から出てくるところの価格以上のものを、その価値以上に価格をつり上げておるというふうにも考えるのですが、この点だけもう一度くどいようですが、一つ御答弁をお願いします。
  76. 今野源八郎

    ○今野公述人 その点は私はっきり申し上げることが、よくわからないのでございますが、先生方の御指導によりまして、交通行政がもっと理想的に行われればなおけっこうだと思います。
  77. 江崎真澄

    江崎委員長 他に御質疑はありませんか。――なければ今野公述人に対する質疑は終了いたしました。どうも今野さん、ありがとうございました。(拍手)  次に、元陸軍中将遠藤三郎君に御意見開陳をお願いいたします。
  78. 遠藤三郎

    ○遠藤公述人 私は遠藤三郎でございます。当予算委員会から去る二月十五日付書簡で、昭和三十三年度予算について公聴会公述するようにとの連絡がございました。私は、私の経歴にかんがみまして、防衛関係のことでしたらお引き受けする旨御返事いたしましたところ、折り返し委員長から二月十八日付書簡で、防衛問題に関し約三十分間公述するようにとの御通知がございましたので、本日参上した次第でございます。あらかじめお断わりいたしておきたいのでございまするが、私は過去半生を軍人として生活しました老兵にすぎません。終戦後約一年巣鴨米軍拘置所に入りましたが、戦犯の事実がなく、裁判も受けずに、わずかに東京裁判の証言台に立っただけで出所いたしました。自来今日まで一開拓農民として農業を営んでおる六十五才の老農夫にすぎません。政治家でもなく、宗教家でもなく、学者でも評論家でもありません。また自民党、社会党、共産党等いずれの政党にも属しておりません。ただ一個の国民として申し述べるのであります。従って私の申し上げる意見には何人のひももついておりませず、また感情に走ったり、片寄ったイデオロギーにとらわれたものではございませんので、全く私自身の学習、特に体験を基礎としたものでございまするから、その点を御承知おきを願いたいと存ずるのであります。  そうしてその学習のおもなるものは、陸軍の幼年学校、士官学校、砲工学校、砲兵学校、大学等、日本の諸学校のほかに、フランスのメッツの防空学校、パリの陸軍大学、ヴェルサイユの通信学校等の課程を経たこと、並びに各国の著名な兵学書等によって自習したことであります。また体験のおもなるものは、明治四十年から昭和二十年に至るまでの軍人生活、ことに大正の末期には参謀本部部員兼海軍軍令部参謀といたしまして、直接国防用兵、作戦計画立案の任務を担当したこと、昭和二年ジュネーヴの海軍軍縮会議に列席し、次いで国際連盟の全般軍縮会議の準備委員といたしまして、軍縮問題に直接ぶつかったこと、また実戦の体験といたしましては、満州事変及び上海事変には参謀本部からの派遣参謀として、もしくは軍参謀として、北支事変には砲兵連隊長として、ノモンハン事件の末期には関東軍参謀副長として、支那事変及び大東亜戦争の初期には、飛行団長として直接第一線に従軍いたし、また教育関係では陸軍大学の兵学教官、大本営の教育課長、航空士官学校長等の実務につきました。また軍政方面では、航空本部総務部長として、次いで軍需省の航空兵器総局長官として軍需生産の業務等に携わったこと等でございます。  以上のような学習及び体験を基礎として本予算案を拝見いたしますると、まことに失礼な申し分ではありまするが、遺憾ながら旧時代的で、現在の防衛目的達成のためには、見当のはずれた、はなはだ効果の少いむだ使いであると申し上げざるを得ないのであります。私は決して奇矯な言葉をもてあそぼうとするものではございません。また決して防衛そのものを否定するものでもありません。防衛の必要は認めます。そして真に防衛の目的を達成するに有効な予算でありますならば、千数百億円に上ります三十三年度予算案はもとより、たといそれが数千億円に上っても決して過大とは申さないでありましょう。しかし見当はずれの防衛のためならば、たとい一円といえども国幣をむだに使われるこことには反対せざるを得ないのであります。  古い話で大へん恐縮ですが、昭和二十年八月終戦の直後、人心が非常に動揺して、世間一般が混乱状態に陥りました。日本の将来に光を失った人々も多く見受けられましたので、私は、はなはだ僣越でありましたが、航空兵器総局長官兼航空工業会総裁といたしまして、全国の航空工業関係の方々に対しましてあいさつしたのがここにございます。当時の情報局総裁にお願いいたしまして、全国の著名新聞に発表していただいたのでございまするが、その一節を御参考になると存じますので御紹介したいと思います。それは二十年八月二十三日の新聞に一斉に発表された次第であります。なお八月二十六日、航空兵器総局の解散する前日に、この小冊子の冒頭に入れまして、当時の国会議員全員を初めとして広く各方面に送付いたしたのでありますから、あるいはすでにごらんになった方もあろうかと存じます。では今からそのあいさつの一節を読みます。     〔委員長退席、今井委員長代理着席〕   静かに考へまするのに国軍の形態は時と共に変化するものと思ひます、皇軍に於きましても陸海軍の形態は日露戦争若くは前欧洲大戦を契機として一応終末を告げ、今次の大戦は空軍一本で実施せらるべきものであった様に思はれます。而も其の空軍さへも何れは骨董品たるの存在になる時が来ないと誰が断言し得るでありませうか。斯く考へて参りますると軍隊の形は時世の進運に伴ひ変化すべきは当然でありまして、唯茲に絶対不変であるべきは我国の真姿即ち国民皆兵の神武其のものであります。国民の一人一人の胸の中にしっかりと神武=威武に屈せず富貴に淫せざる心=を備へましたならば必ずしも形の上の軍隊はなくとも宜しいものと思はれます。古語にも「徳を以て勝つものは栄へ力を以て勝つものは亡ぶ」とあります従て今回形の上では戦敗の結果敵側から強いられて武装を解除する様に見えまして光輝ある我が陸海軍が解消し飛行機の生産も停止するに至りますことは寔に断腸の思禁じ得ぬのでありまするが皇国の真姿と世界の将来とを考へまするとき、天皇陛下の御命令に依り全世界に魁して形の上の武装を解かれますることは寧ろ吾等凡人の解し得ざる驚畏すべき御先見=神の御告げとさへ拝察せらるるのであります。近来吾が国の世情はあまりにも神国の姿に遠ざかって来た様に思はれます。今こそ大手術を施すべき秋と思はれます。先般渙発せられました御詔勅こそ国内建直しの大号令であり世界再建の神の御声であると拝するものであります。  ここに申します空軍さえも骨董品になるだろう、こう申しましたことはいかにも乱暴なように見えますが、これは十分に科学的根拠があって申したのであります。現にその時代が到着しつつあるように思います。昨年おそまきながらフルシチョフ・ソ連第一書記も、飛行機はもはや博物館入りの時代がきたと申しておるようであります。また形の上の軍隊は要らぬぞ、こう申したことも批判されることでございましょうが、これは私が大正の晩年、作戦計画を立案いたしました当時に、任務上は軍備の充実が必要でありますが、一方国民生活の窮乏との矛盾に苦しみまして、かつジュネーヴの海軍軍縮会議並びに国際連盟の軍縮準備委員といたしましての体験の結果、将来世界各国は逐次かつ同時に軍備を全廃すべきであるという考えが芽ばえました。そうして満州国建国の議に参画いたしました際に中国の碩学干沖漢氏から、軍隊のない独立国家が理想であるということを教えられました。そして大東亜戦争の終戦によって私の信念が固まったのであります。また世界の将来とここに申しました。またさらに世界再建の神の御声とも申しました。これは私の頭に世界連邦を描いておったのであります。この考えは昭和の初め私が仏国留学中にオーストリアの天才的学者クーデンホーフェ・カレルギ氏。このお母さんは日本の婦人でありますが、欧州連邦論を発表いたしましたが、その節に私は非常に啓蒙され逐次成長してきたものであります。  以上私の終戦時におきまするあいさつに対しましては、賛否両論がありました。今日もまた同様と存じまするが、私の信念には微動もありません。幸いにしてこのあいさつを発表した翌年、すなわち昭和二十一年にはマッカーサーから原案が示されたとは申しましても、とにかく当時の議会の審議を経まして制定発布されました日本国憲法にこの考えが明示され、終戦の御詔勅に示されました万世のため太平を開くとの大方針が憲法内にうたわれましたことは、日本国の前途洋々たるものであることを信じまして私は非常に喜んだ次第であります。  ところがはからずも昭和二十五年六月朝鮮動乱が勃発いたしました。私はこれを契機として米国は必ず日本に対して再軍備を強要するであろうし、また日本国内からも再軍備論が台頭するであろうことをおそれまして、直ちに吉田首相に対しまして書簡をもって、憲法をたてにして断じて再軍備をすべからざること、特に米国の強要に対しましては、まず日本の独立を認めしめ、しかる後米国みずからが率先国際警察部隊設置の範を示し、各国に協力を求めるならば、日本も国力相応の協力をするであろうと応酬されるように進言したのでありますが、首相は世論によって政治をするとのことでございましたので、私は「日本の再軍備反対と国際警察部隊設置の提唱」と題する小文をつづりまして、印刷の上、言論機関及び当時の各政党の首脳者並びに在京の各大学総長等に送りましたが、ほとんど反響がなく、わずかに一部地方新聞に掲載されたのと、改進党の千葉三郎幹事長から啓発されるところが多かったというお礼状、大内兵衛法政大学学長から前段には賛成という返事をちょうだいしたにすぎませんでした。越えて翌年二月ダレス氏が来朝しましたので、同氏に対しましても同様の趣旨の手紙を送りましたとこころ、米国大使館付武官プーレン少佐が私に会見を求めました。本問題に関し種々意見の交換をいたしましたが、ついに意見の一致を見ませんでした。一方日本側におきましては特審局から追放令に違反する行為であるというので、処罰は受けませんでしたが、厳重に箝口令をしかれたのでありました。そして警察予備隊は誕生し、次いで予備隊は保安隊になり自衛隊に変って今日になったのであります。  私は本問題に関連して、すでに二回にわたって当衆議院の公聴会意見開陳公述いたしました。すなわち第一回は昭和二十九年三月外務委員会におけるMSA協定についての公聴会でありましたが、その際私は、MSA協定の受諾は再軍備の前提であり、憲法に抵触するだけではなく、これが受諾によりまして、将来日本は軍事的にも、政治的にも、経済的にも一そう米国に対し従属性が増加するおそれがあるという理由で、反対意見を述べたのでありました。しかし遺憾ながら採用されませず、協定を受諾することになり、その結果はどうやら私の見解が的中したように思われます。  第二回は同年四月内閣委員会における防衛庁設置法案及び自衛隊法案についての公聴会であります。私は特に、自衛隊の任務に新たに外的の直接侵略に対する防衛を追加されました点を指摘いたしまして、国際通念上外国軍隊の直接侵略に対し防衛任務を持つ武装団体は、その名称やその編成、装備のいかんにかかわらず明確に軍隊であり、明らかに憲法違反であること、及び国家の最高機関である国会並びに最高行政機関である政府が、憲法違反をあえてするようでは、国民の順法精神は消磨いたしまして、法治国は成り立たないこと、並びに日本国がみずから平和を営んでおりまして、そして他を侵さない限り、外国軍隊の直接侵略のごときはあり得ないから、この任務は不必要であるばかりでなく、万万一外国軍隊の直接侵略があると仮定した場合におきましても、自衛隊はこれに対して防衛の能力がなく、防衛能力のないものに不可能な任務を与えるということは、自衛隊を堕落せしむるか、為政者に反抗せしむるか、あるいは神経衰弱症に陥らしむる弊害がありますから、この任務を削除されるように要望したのであります。またかりに軍隊を必要とした場合におきましても、自衛隊法に現われたところの編成はきわめて陳腐であります。近代軍隊としての価値がないばかりでなく、日本現状は軍隊を再建するのに必要とするところの基礎が、道義的にも、財政経済的にも、科学技術的にもできておりませず、不十分な基礎の上に作る軍隊はきわめて危険であるから、軍隊を作る前に、まずその基礎を作るべきであるということを申し述べたのでありまするが、遺憾ながらこれも御採用されませんでした。自後の経過を見まするのに、これまた私の意見が正しかったように思われます。  そこで私は各位に深く考えていただきたいのであります。すなわち防衛の本質についてであります。およそ科学の研究はきわめて真剣であり、ごうまつのごまかしも許しません。従って科学は今日の進歩発達を来たし、まさに宇宙時代に入りつつありますが、これに反しまして政治面の研究においては、はなはだ見劣りがするように思われます。これが今日科学と政治との間に大きなアンバランスが生じ、人類の危機を招いたゆえんかと思われるのであります。われわれ日常生活におきまして、過去の因襲を打破することはなかなか困難のように見えます。うかうかとつい惰性に押されまして旧慣を墨守しやすいのであります。改革には常に困難を伴いますし、新しいことを申しますと、いわゆる先見は孤なりというわけで、時世にいれられがたく、風当りも強くなりますので、つい保守、消極、事なかれ主義に陥りやすいのであります。防衛問題のごとき、その最たるものと思われます。  従来独立国家の主権は絶対のものとされ、最高の道徳とさえ説かれて参りました。そうしてそれを守るためには、独立の軍隊が必要とされてきたのであります。そして愛国心即国防、国防即軍隊という考えが常識視されて何ら疑問を差しはさむことさえ許されなかったのであります。もしこれに批判を下す者があるとしますると、直ちに非国民、国賊扱いされたのであります。群雄割拠、独立国家が無条約状態において対立抗争、領土拡張競争をやっておったいわゆる封建時代、近代国家観時代におきましては、それもやむを得なかったかもしれません。しかししさいに観察いたしますと、それは単数の主権者の利益のために、大衆が犠牲にされたきらいも全くなかったとは言い切れないものがあるように思われます。祖国愛、もとよりけっこうと思います。しかし世界の歴史は祖国愛の美名に隠れまして、一部特権階級のために国民大衆が奴隷化され、幾多の罪悪が行われたこともまた否定し得ないのであります。少くとも偏狭な利己的愛国心こそ世界平和を乱すガンのように思われます。先日NHKの人生読本の時間に福原麟太郎氏が放送いたしました。英国のかつての名将ジョンソン将軍が愛国心を定義いたしまして、愛国心とは悪党の最後のよりどころであると申しました。と言っておりました。この定義には全面的には共鳴し得ないところもありますが、一面の真理が含まれておるように思われます。愛国心のごときは自分を愛し、近親を愛し、郷里を愛すると同様、生物一般の本能ともいうべきものでありますから、むしろ利己的に陥らぬようにセーブすることの方が、かえって大切じゃなかろうかとも思われます。真の愛国心は内にあってはお互いに住みよい国、外にあっては尊敬される国を作ることに置くべきであろうと思います。防衛もまたその趣旨に沿うものでなければならぬものと思うのであります。  以上の見地に基きまして、防衛の目的を検討いたしますれば、防衛は国民大衆の幸福を脅かすものに対しまして、国民大衆の幸福を守ることに主眼を置くべきものであろうと思います。しかるに現自衛隊の任務の第一は直接侵略に対する防衛をあげております。これはさきにも申しましたごとく、全く現実離れした抽象論でなければ、陳腐なマンネリズム的任務と申さなければなりません。最近どこの国におきましても侵略的武力行使はことごとく失敗に終るという現実から見ましても、特に日本の特殊的地位から見ましても、外国の軍隊が直接侵略するがごときは考え得ぬところであります。従ってこの目的のために自衛隊を保持、増強することは、何ら意義がないばかりでなく、むしろかえって危険を誘発する公算が大なるものと思うのであります。  第二の任務として間接侵略に対する防衛をあげておりまするが、間接侵略がもし思想侵略のことでありますならば、これほどナンセンスはなかろうと思います。日本の国情に相いれない、好ましからぬ思想もありましょうが、思想は軍隊をもって防衛し得ないことは多言を要しません。そして思想は輸出することも輸入することもできるものではなくて、危険な思想はむしろ生活の貧困、不平等、不自由等から生ずる不平、不満が最大の原因であろうと思います。すなわち外からくる問題ではなく、内から醸成されるものと思うのであります。従って間接侵略を防衛するために自衛隊を作るということは、全く意義がないばかりでなく、これによって多額の国帑を費し、国民生活を圧迫することは、むしろ反対の結果を招来するものと思われます。  次に必要に応じて公共の秩序の維持に当ると示されておりまするが、公共の秩序を維持するためにはお互いにまず法を守ることが先決と思います。自衛隊そのものの存在が憲法違反の疑いが十分あるのに、自衛隊が秩序の維持に当るというがごときは、矛盾もはなはだしいものといわなければなりません。特に前述思想の悪化の原因と同様に、秩序の乱れますのは、その原因は貧困によることがきわめて大でありますゆえ、自衛隊のために多額の国帑を費すことは反対の結果を招来するものといわねばなりません。もちろん世間には殺人、強盗その他の悪人もおることでございまするから、警察はなくてはなりません。しかし国内治安維持の任務は、あくまでも法律を根拠として行動するところの警察の任務でありまして、法律に根拠を置かず、統帥命令で動く軍隊をもって国内の治安維持に当らしめるがごときは、近代文化国家としては大なる恥辱であるといわねばなりません。古来いずれの国におきましても、軍隊は内乱や革命の具に使用されてきた歴史並びに現実から見ましても、国内の秩序維持に自衛隊を作るということは、全く意義のないことと思われます。ただし秩序維持の広義の解釈といたしまして、自衛隊は知事等の要請に応じて、天災地変その他の災害に際し救援に使用されることに規定してありまするが、これは台風の通過国であり地震国である日本として、風水害、火災、交通事故等頻発しておりまする状況にかんがみまして、まことにこれは適切な任務と思うのでありますが、この任務のためには自衛隊の装備はあまりにも大げさであり、かつあまりにも高価であるものと思います。この目的に適応するように、そして災害が起った後に救援するというような消極的なものでなく、災害を未然に防ぎ、さらに進んで国民生活を豊かにするような国土の建設に従事することを本務とする建設隊とするこことが、真の防衛の意味にも合致するものと思うのであります。     〔今井委員長代理退席、委員長着席〕  次に申し上げたいことは、自衛隊法には明記してありませんが、防衛の見地からわれわれの一刻も看過し得ないものは、放射能による脅威であります。目下東西両陣営の対立抗争は必ずしも緩和せられませず、軍備競争は依然として継続され、核爆発の実験は遠慮なく実施されております。万一戦争が起りましたならば、日本がその局外におりましてもその災害から免かれ得ませんし、軍備競争の続く限り、たとい戦争がなくとも、現に放射能によってわれわれの生命は脅かされておるのであります。この脅威からわれわれを防衛するためには、自衛隊の増強は何ら効果がないばかりでなく、かえってその危険を増大するのみであります。核兵器の禁止、軍縮の要望は今や世界の世論であります。日本政府もしばしばこれを声明、要望したにもかかわらず、一向にその効果は現われておりません。その最大原因は、一つは世界の政治機構の不備にあるものと思われるのであります。それでこの目的を達成するためには、世界連邦建設のほかはないという意見は、世界の先覚者並びに平和愛好者から強く叫ばれるようになりました。日本におきましてもすでに四つの県、八十に及ぶ市町村が世界連邦宣言をやっております。そうしてますます増加する趨勢にあるように見えます。本年初頭朝日新聞がこの問題を取り上げまして、世界連邦の建設を日本の国是にせよとさえ論じておるのでございます。先日当国会におきましても川崎秀二氏が発言されまして、岸総理も原則において同意の旨を表明されたかのように聞いております。従って私はここに多言を用いませんが、防衛予算におきましても十分にこの点に考慮を払っていただきたいのであります。幸い自衛隊法第三条には自衛隊の目的といたしまして、「わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つため」と明記してありますから、この目的に合致するように自衛隊を作るべきでありましょう。そして予算措置もそれを目標として講ぜられるのが適当と存じます。すなわち平和のためには日本国憲法の完全実施が望ましく、独立のためには他国の軍事援助のごときは仰がない方がけっこうであります。国の安全のためには世界連邦建設以外には求め得ないのでありますから、これらの諸件に妨害になるような軍備の増強には断じて反対すべきものと存じます。新しいセンスのもとに眼界を広くして広義の防衛のために国費を使用していただくようにお願いしたいのであります。  現政府は三悪追放を初め幾多のけっこうな政策を持っておられますが、予算の裏づけがこれに伴いませんで、不徹底のうらみが少くありません。幸い少からぬ予算が防衛費として組んでありますから、これを見当はずれのむだづかいにならぬように、有効適切に使用されるように熱望してやまぬのであります。政府が核兵器の禁止並びに軍縮の要を国際連合において叫びましても、また首相から書簡をもって各関係国の元首に送られてみましても、日本みずからが年々歳々自衛隊を増強しておったのでは、その真意を疑われ、かえって嘲笑を買うにすぎないであろうと存じます。真にこれを要望するならば、まず隗より始めよであります。よろしく日本日本国憲法に示すごとく、軍備を撤廃して範を中外に示し、世界連邦建設の選手たるの光栄をになうべきであろうと思います。かくしてこそ世界連邦建設の道も開かれ諸外国から尊敬される日本になり得るものと存じます。米国との間に条約や協定もありまして、今直ちに改めることが困難な事情もあろうかと存じまするが、あやまって改めるにはばかる必要はなかろうと思います。正しいことである限り、相手国と話し合いまして了解を得ることは決して不可能とは存じません。もしどうしても了解しなかったならば某期間を置いて破棄を通告することもやむを得ぬことと存じますが、そこまでいきませんでも、少くも予算措置におきまして見当はずれでない自衛隊を作るように、国費を広義の国防、広義の防衛目的を達成するようにお使いになることは、各位の御努力次第では可能かと存じます。どうぞ十分御検討下さいますように念願してやまぬ次第であります。  最後に一言つけ加えておきますが、防衛生産の名のもとに兵器工業に国家予算を使用されることは、厳に戒めていただきたいのであります。兵器生産は国際平和を脅かすばかりでございませんで、国の経済体制を病的にするものであるということを、私は航空兵器総局長官時代にいやというほど味わいました。一たび兵器工業が産業界に根を張りますと、これが是正はきわめて困難でありまして、その弊害は自衛隊の兵員一万、二万の増加以上であるということを御参考までに申し述べまして、私の公述を終ります。(拍手)
  79. 江崎真澄

    江崎委員長 ただいまの遠藤公述人の御発言に対しまして御質疑があればこの際これを許します。
  80. 須磨彌吉郎

    ○須磨委員 ただいま遠藤さんの非常に多岐にわたるお話がございましたが、私どもは、三十三年度の予算案審議中でありまして、その予算案についての諸点をお述べ下さることと実は期待しておった次第でございます。しかるに、昭和二十九年のMSAに関する御証言、これは私も外務委員会におりまして拝聴いたしました。その翌年の自衛隊法、防衛庁設置法案の際の御証言、そのころのとちっともお変りのないお話には実は私は失望をいたした次第でございます。しかしながら、それはきょう私がお尋ねをいたしたいこととは離れておりまするから申し上げませんが、一、二重要な点だけを伺っておきたいのであります。  あなたがジュネーヴの軍縮会議においでのとき、私は外務省において軍縮会議を主宰をいたしておりました一人の官吏でありました。従いまして、あなたの御性情についてはそのころからうかがい知っておったのであります。現に、あなたは、いろいろな点について御陳述の中に、一つ重要なことをお述べになりましたことは、クーデンホーフェ・カレルギについてはひそかに敬意を払った、――この当時の汎ヨーロッパという思想であります。汎ヨーロッパ主義に思いを寄せておられたという一言を当時あなたが私に話しておられたことを今思い起すのでありますが、このカレルギの思想こそはまさに今日の国際連合の思想でございます。その国際連合にわが国は一員として今日参加をいたしておるのであります。果して、しからば、あなたがクーデンホーフェ・カレルギの思想に心酔以来何らお変りなく終始一貫しておるといたしまするならば、この集団安全保障という考え方をお変えになったはずはなかろうと思うのであります。日本のみが孤立して、一人われ行けばよろしいといったような危険の道を歩む必要はないという言葉が出てこなければならぬはずであります。仰せのごとくんば、わが国が自衛の武器を捨てて何もかも要らない、そして一人行けばいいというようなことは、私ども国民がほんとうに心配する必要のあることでございます。従いまして、第一にお伺いいたしたいのは、このカレルギの思想が今日発展をいたしまして、これが国際連合の思想となり、われわれは国際連合に入って集団安全保障の一つとなっておる。このことは今や世界超党派的に万国一体となってこいねがっておる平和の一つの大きな柱でございます。それをもあなたはおやめになる、そして一人行けばいいということをおっしゃることは、私はあなたのような御経験の深い方のお言葉としては聞きがたいものでございますから、まずその点を明らかにしていただきたいのであります。
  81. 遠藤三郎

    ○遠藤公述人 クーデンホーフェ・カレルギの言うたのはもうすでに三十数年前の説であります。今や、もう三十年も過ぎますれば、それは成長しなくちゃならぬと存じます。国際連盟は、御承知通り、あの通りむなしくついえました。国際連合もまた、これは国際連盟よりは進歩したものでございまするけれども、現に東西両陣営の抗争をさばくには微力でございます。この思想は成長して、いわゆる世界連邦、ほかの言葉で申しますれば、世界国家に発展していかなければならぬものと私は確信するものであります。私は、日本がそれから離れてただひとり独行せよと言うのじゃない。世界連邦を作るようにイニシアチブをとって、そうして一日も早くその実現に邁進したいというこことを申し上げるのであります。
  82. 須磨彌吉郎

    ○須磨委員 この点を進めていっても一つも進みませんから、他の問題に移りたいのでありますが、あなたがおっしゃいました中に、この日本は何も武器など持つ必要はない、そしてあなたはおもしろい言葉をお使いになったと思うが、精神これ武に徹しておるならば何をかおそれんやというお話であります。まことに武人のあり方として敬意を表するものであります。ところが、これでもってわが日本は負けたじゃありませんか。そういうことを今言っておって、あなたはやっぱり責任者の一人であったわけでございますが、さようなことを国民の前にぬけぬけとおっしゃることは、これは普通の人ならばいざ知らず、ほんとうにその体験をいたした人の言葉としては受け取りがたいのであります。どうしても、私どもは、この国を守るには、守ろうと思えばいいということではありません。ことに、今日の言葉で申しまするならば、私ども国民の頭から二六時中離れないのはセキュリティということであります。安全ということであります。いかにすれば日本が安全であるかというので、この自衛隊法であるとか、防衛庁設置法は私どもがこしらえたのでありますが、あれは何も事を好んでこしらえたのではございません。今日も一千何百億というお金をただ好んで膏血のお金を使っておるのではありません。どうかして安全、セキュリティという考えを言いたいからであります。このセキュリティの考え方がくずれる一つの大きな実例をあなたに伺いたいのであります。一体、あなたもお触れになったが、昭和二十五年六月二十五日に朝鮮動乱はどうして起りました。あれは六月二十五日に起りましたが、六月の二十日までアメリカ軍があそこへ駐在しておった。その軍隊が一時に引いてそこに真空状態が四日あった。四日あったら、五日目に鴨緑江を彭徳懐の軍隊がおりてきてあの大きな戦争になって、三年三カ月も戦ったじゃありませんか。その真空状態、すなわち武装状態がないということが戦争を起していることは、私などが申さなくったってあなたは幾らでも知っておるはずだ。この前の戦争においても、一体スイスはなぜ侵されなかったか。スイスは六十五万の常備軍を持っている。非常な軍隊を持っておりますから、あれは侵されなかったのだ。それは第一次戦争のルクセンブルグが何もないから全部破られたというのとは違うわけであります。かようなことは私が説明するまでもないのであります。この安全ということから考えまして、ただ何にもなくても安全であり得るかということを、もう一ぺんあなたの口から拝聴いたしておきたいのであります。
  83. 遠藤三郎

    ○遠藤公述人 明確に申し上げます。安全は必要でありまするけれども、安全を保つために軍隊ではもうだめになったということを申し上げたい。それで、安全を保つためには世界連邦が最もいいことでありまして、そいつに邁進すべきであります。  それから、もう一つ、あなたは大へん真空論をおっしゃるのでございますが、これはもう少し陳腐になったように私は思いますが、常識はずれの真空論なんというのはききません。日本の歴史を見ていただきたい。朝鮮が三十八度線によって分れておって、イデオロギーの違う二つがにらみ合っておったから紛争も起ったのでございます。日本が、さきに申しましたところにもありまするが、日本の置かれた地位、歴史と、朝鮮の置かれたやつとは非常に違っておると思います。それを一緒くたにして、観念的に、軍隊がなければ敵が入ってくると思われるのが、すでに時代錯誤じゃなかろうかと思うのであります。もっとひどいときも考えていただきたい。日本が武力的にはほとんど何もなかった時代、よろしゅうございますか、歴史をひもといても、日本外国の軍隊に侵されたというのは、私は不敏にして元寇しか知っておりません。あとは外国の軍隊は日本にやってこない。明治維新前後非常に危険であった。明治維新の前ですが、徳川幕府の末期に、まだ国軍として統一された軍隊もない。しかるに、諸外国は、先進国はりっぱな国軍を持っておった。しかも条約がないものでありますから、さきにも申しましたように、近代国家が自分の国家の利益になることは何をやったっていいというような時代におきましても、各国が植民地の獲得にあれほど狂奔しておった時代におきましても、日本にはやってこれない。日本を侵略し得ないのです。いわんや、今日これほど国際条約が密になっており、そしてどこの国も文化国家とみずから称しているのに、こちらから何もちょっかいもかけず、そうして平和を営んでおるところに軍隊を持ってくるなんということは、私はどうしても考え得ない。また、来たものはみな失敗しているのが、先だっての中近東の問題でもこれは明瞭であります。ソビエトがハンガリアに行った、あれも条約によって駐兵しているところに行った際も、世界の袋だたきにあった。ひどい目にあった。かくのごとく、日本が今軍隊がないからというて、すぐ真空間に空気が入ってくるように思われるのは、それこそ、私から言いますれば、昔尊敬しておった、今でも尊敬しております須磨さんの口から出ようとは思わない。もう少し新しいセンスで考えていただきたいと思います。
  84. 須磨彌吉郎

    ○須磨委員 われわれの予算委員会公聴会は、これは非常に重大な時間をさいてやっておるのでありまして、討論会ではございません。この上掘って参りましても、あなたの角度は私の角度と違います。非常に角度の違った、また跳躍が非常に自由でございますから、これでとめまして、もう一つ大きな問題を伺っておきたい。  しばしばあなたは中共に行っておられる。その中共に行った行動等が新聞その他で報道されておりました。そのことについてきょうこまごま申すのではありませんが、その中に祖国愛ということをあなたはしょっちゅう申しておられる。私も実は三年半前に中共に参りまして、あの国の最も特有なるものをあげよというならば祖国愛の三字であると私は申さなければならない。その祖国愛、日本で通常でいえば愛国心、それがあればこそあの国がかくも膨大な、大きな国になりつつあることはあなたも認めておる。愛国心は悪党のより場であるなんということは、これは人生読本の中に詩人が言っていたことで、私も毎朝聞いておる。あれは五時十五分だ。聞いておりますよ。あれは詩人の詩の句の解説ですよ。そういうことを、公聴会に来て、そういうものでございますなんということを言われて、信じられたら大へんな騒ぎだ。こんなことは詩人は幾らでも言うのです。一体愛国心は悪党の最後のより場であるなんということを、祖国愛について、中共についてはあれほど強調されたあなたの口から一体出る言葉でありますか。このことを私は詰問をいたしたい。われわれは、この愛国心があればこそ、これから何とか再建していきたいと思う。そういうようなことを軽々しく言われるということは――何も私はきょうの公聴会だけで申すのではありません。国民を誤まるのでございますから、この祖国愛の言葉と、今の日本の愛国心というものについては、これから少しお慎しみをお願い申し上げたいと思いのであります。ことにあなた自身の矛盾がある。日本をほんとうに守る神武の心持あれば日本は安全なりと言っておるその人が、愛国心は悪党の最後のより場であるなんて、小学校の子供が喜ぶ言葉ですよ。それを公聴会で、かようでございますなんて言って、われわれは黙ってはおりますけれども、聞いてはおりませんよ。こういうことについて、ほんとうにそう信じておられますかどうか、それだけもう一ぺん念を押しておきたいのであります。
  85. 遠藤三郎

    ○遠藤公述人 私が言うたように聞き取られておりますが、証拠がここにございますから、私読んだのですから間違いありません。私は、特にここにあげましたのは、それがイギリスの将軍が言うたということ。それから、ここにも明確に言いました、全面的には私は同意できないのだと。しかし、反省する必要がある。従来の歴史を見ますと、やはり愛国心という名に隠れましてずいぶん悪いことをやっておることがあるのです。ですから、われわれは宇宙時代に入りました今日において、小さな、狭義な、利己的な愛国心を説くことは、むしろ弊害がある。そういうことを説くものだから、先ほどもその辺で、いつ世界連邦ができるんだということを言うておられるように、できはせぬのです。早く世界連邦を作るためには、こういうちっぽけな、狭義な愛国心というものじゃなしに、もっと広い愛国心を鼓吹していただきたい。それで私ここにジョンソン将軍の言葉がこうだったということを言うたことは決して不謹慎とは私は思っておりません。しかし昔のなじみで、思われたことをどんどん忠告されることはありがたく聞きますけれども、ここであれは不謹慎でございましたから撤回しますというようなことは、決して申しません。
  86. 須磨彌吉郎

    ○須磨委員 この上の質問は私は必要がないと思いますので、ここでとどめます。
  87. 島上善五郎

    ○島上委員 私はただいま元軍人としてほとんど一生の間戦争に関する、あるいは軍事に関する経験を積んで参りました遠藤先生から今の日本における防衛問題に関する貴重な御意見を承わりまして非常に啓発されるのでございますが、同時にわれわれが長い間主張してきたことが、今日の時代に、いわゆる人工衛星、ミサイル時代にいよいよ正しいものであるということの確信を持つに至りました。そこで特別に御質問する要もないわけでありますが、一、二伺っておきます。  私は遠藤先生がおっしゃったように、日本の今日の軍隊は、警察予備隊から出発して、オタマジャクシがカエルになったように成長して参りました。この軍隊は明らかにアメリカの強い要請によって作られたものであると考えます。特にことしの予算に盛られました陸軍の一万増強、よその国では陸軍をどんどん削減していって、大幅に削っていっている。軍事力を持つことを肯定して、それを前提としておる国においても、新しい時代に即応する軍備に変えつつあるときに、陸軍を一万増強するというような時代錯誤の軍備増強は、昨年岸総理大臣がアメリカに行ってアイゼンハワーと会見した際に、日本の長期防衛計画を大いに歓迎されて勇気づけられて、帰りには社会党と対決するというような元気まで出して帰ってきた、その結果に基くものである、こう私ども考えておる。日本の軍隊全体が、編成も装備も指揮訓練もアメリカ式であるということ自体に、もうすでに、やがては一たん緩急あればアメリカの手足に使われるようにこしらえられておる、そういうものである。だから私どもはそれも大きな理由の一つとして、今の軍備に反対しておるのでありますが、こういうような軍隊はアメリカの世界政策、特に極東における共産圏に対する巻き返し政策の一環である、こう私ども考えておる。ところで今日はいわゆる人工衛星、ミサイル時代になって参りましたので、アメリカが日本に今まで設けた基地、あるいは駐留軍、あるいは沖縄の基地といったものに対する考え方も、新しい時代に即応するように、考え方とか、あるいは装備、設備というものもだんだん変って参ろうかと思います。そうなりますと、百歩、千歩譲って日本に軍備を持つ必要があるという考えを持つ側に立ちましても、今陸軍を増強してだんだん防衛六カ年計画というものを立てておるようでありますが、こういうような計画はすでにもう時代錯誤になった。ですからことしの一万増強もそういうような見地に立つとしても、時代錯誤である、こう私ども強く反対しているわけであります。軍人としての専門家であられる遠藤さんは根本的に否定しておりまするが、かりに百歩、千歩を譲って、軍備を持つことを前提とするという考え方をとるといたしましても、今年度の予算に現われたような、あるいは日本政府が立てておりまするような防衛六ヵ年計画というようなものは、陳腐なものであり、むだなものであるというふうにお考えになるかどうですか。
  88. 遠藤三郎

    ○遠藤公述人 自衛隊法によりますと、日本の軍隊は外に出ないことになっております。その見地から見ましても、地上の軍隊を十万、二十万持ってみたところで、これは現代の兵学から申しますと、防衛の役に立たぬことは明瞭であります。古い話でございまするけれども、戦争の末期、本土決戦ということを叫びました。沖縄は捨てちゃう、硫黄島もとられ、本土で決戦しようとしておったときの日本の兵力をお考えになればわかると思います。その当時日本は二百万以上の軍隊を内地に持っておりましたけれども、至るところ薄弱で、ほんとうにまじめに考えた際に、敵の上陸を阻止しようなんということは考え得なかったのであります。さらに小さな例を申しますと、硫黄島は面積は、今はっきり覚えておりませんけれども、一平方里くらいしがなかったんじゃないかと思います。そこに一個師団以上の兵を置きました。それでも上陸しようとする敵に対しては防ぎ得ないのでございまするから、外敵の侵略に対しまして、地上軍隊でかまぼこが板にくっついたような格好で守ろうなんということは、むしろこっけいな話でございます。真に守ろうと思うならば、現在のように攻撃兵器の進歩した時代におきましては、敵が来寇するに先だって、敵の本拠を覆滅する以外には守る方法がないのであります。しかも敵の本拠を覆滅しましても、自分の撃った原水爆で自分も放射能の危険にさらされるのでありまするから、戦争というものはやってもだめだというのが現在の兵学界の趨勢であろうと思います。ただここに注意しなければならぬのは、アメリカあたりから盛んに、局地戦、制限戦争があるんだ、日本はそれをやるんだ、だから地上軍隊が有効であると言われる方もありまするけれども、これもまたごまかしでございまして、ほんとうに戦争をやるというような考えでやった以上は、決して局地戦あるいは制限戦争で終るものじゃなくて、必ず大戦まで拡大するのが戦争の本質だと私は信じております。その意味から申しましても、あの一万名の増強は、お約束になってこられたので、やむにやまれずやったものと想像はいたしまするが、できることならやめていただきたい。できないものなら、先ほど申しましたように、あの一万名は建設隊のようにやっていただきまして、あまり金を食わぬ、そうして人殺しのけいこじゃなしに、建設の仕事を教えられて、また建設にお使いになったならば弊害がなかろうと存じます。
  89. 島上善五郎

    ○島上委員 ただいまの御答弁で思い出したのですが、ほんとうに防衛しようとするならば、先に侵略のおそれのある敵の根拠を覆滅しなければならぬ、確かにそうであろうと思います。そこで防衛と侵略という言葉は使われますが、今の時代に一体厳密に区別ができるかどうか。大体今までも遠藤さんが軍人をされている時分に、日本軍閥が防衛々々と称して侵略をどんどん準備しておった。私は侵略と防衛とはどうでも自由に使えるものだと思うのです。特に今日ではそうだと思うのです。ですからもし今日本が防衛のためだといって軍隊を作っておる。しかしこの防衛は、核兵器時代、ミサイル時代であるから、ほんとうに防衛をするには、向うのミサイルの根拠地を覆滅しなければならぬ、日本にもミサイル基地を作らなければならぬ、向うが核兵器を持つのだから、こっちも核兵器を持たなければならぬ、というふうに理論的にずるずると今国民感情を考えておるからそういうことはいいませんけれども、ずるずるにそういうふうに発展していって、昔と何ら変りのないことになるおそれを、私ども理論的には非常に心配しているのです。防衛と侵略というものが、昔もほとんど、私は防衛ということが侵略の準備のためにごまかしの言葉に使われておったような気がしますが、今日ではなおさら防衛と侵略の区別がつきがたい時代になっておるのではないかと思いますが、専門家の立場から、一つお教えを願いたい。
  90. 遠藤三郎

    ○遠藤公述人 御説の通りでございまして、どこの国でも侵略のためというては軍隊を作りません。みな防衛のためと称して侵略してきたのが歴史の事実でございまするが、真に防衛ということを考えましても、現在のように攻撃兵器が進歩いたしまして、ことにその速力が増したために、受けて立っては防衛にならぬのでございますので、まじめな軍人間におきましても、いわゆる予防戦争論というものが、先年来台頭してきておるのであります。つまり侵略されるおそれがありということで、受けて立っては負けるから、あらかじめ向うが侵略するに先だってたたくことは、決して侵略じゃない。これは予防戦争で、許されることだというような理屈までつけて、いわゆる予防戦争論というものが兵学界に幅をきかしたのでございます。それで軍隊を持って力の均衡によって平和を保つというような考えは非常に危険になったのでございます。ことにこのごろのようにボタン戦争、ボタンさえ押せば、三十分にして八千キロも飛ぶというようなおそろしい世の中になりますると、これは侵略も防衛も全く区別がつかないことになっておりますので、この意味から申しましても、軍隊を持たないのが安全だ。軍隊を持ちますと、いろいろな口実のもとに先手を打たれるおそれがあるのでございます。ことに自衛隊法に、あの航空自衛隊の項に書いてあるのでございます。敵の飛行機が領空を侵したならば、すぐこれをおろさねばならぬ、ああいう任務を授けております。そうして日本の飛行機が上を飛んでおる。飛んでおりますと、果して自分の領空か、領空外に出ておるのかわからぬこともあるのです。敵の飛行機が来たからというわけで、それを撃つ、そこにけんかの原因が起ります。戦争の原因が起らぬとはいえないのであります。また侵略しようとする者があるとすれば、それを口実にして、何も領空を侵さぬのに、向うから攻撃してきたのだ、だからやっつけたんだというような口実も与えるのでございます。まことに危険な自衛隊法ができておるように思われます。軍隊なきにしかずでございます。
  91. 島上善五郎

    ○島上委員 遠藤さんは、かつて軍需関係の職務をやっておられたようですが、私はものの本で見たのでありますが、いわゆる防衛産業と申しますか、軍需産業がだんだんと大きくなって参りますと、世界の平和が訪れて軍備を縮小する、あるいは軍備が要らぬということになりますと、軍需生産はだんだんやめるということになる。そういうことになりますと、軍需資本家は自分の工場を縮小するか、閉鎖するか、いずれにしても自分の仕事に重大な関係があるものですから、しばしば軍需資本家が国際の関係が平和になってくると、何らかの問題を起して、いわゆる国際緊張を激化するような芝居を打って、自分たちの仕事を減らさないように、もしくはもっとふやしていくように、そういうようなことがかなり国際的に大がかりに行われておった、過去において。こういうことをものの本で見たことがございますが、こういうようなことはかってはあったことでございましょうか。
  92. 遠藤三郎

    ○遠藤公述人 それは非常にたくさんの例がございます。軍需産業家によって、軍需生産の資本家によって戦争が起されたという例がたくさんあるのでございます。これは軍需生産の性質上戦争をやって消耗をしてくれなければ、あまり商売にならない。ですから昔は戦争によって、軍需生産関係のものは金もうけをするというのは、これは常識だった。それをいまだに、そのときの甘い汁を夢みまして、やろうとするものがあるところに危険性がある。そういうものに踊らされぬようにわれわれはしなくてはならぬと思うのです。アメリカが現に軍需生産が下火になると不景気になる。アイゼンハワー大統領まで、軍需生産によって景気が立ち直るだろうなどということを言うたということが新聞に出ておりますが、これはとんでもない危険なことを言われたものと思って、私は元帥のために遺憾に思います。軍人こそそういうことをよく知っておって、軍需生産をとめなければならぬ。軍需生産の特徴を御参考までに申し上げますと、その施設を非常に大きくやって、戦争の用に立てておかなければ戦争に間に合わない。そうしますと、平時の需要は不十分ですから、施設が寝るのです。非常に不経済なものになる。さればといって、兵器をたくさんこしらえてストックにしておきますと、それが陳腐になりまして、いざ戦争というときに役に立たない。非常に矛盾があるわけです、その矛盾ある軍需生産をやりつつ金もうけをするというところに非常に危険が伴う。結局国民大衆がしぼられて、そうしてそういう間に合わぬような工業をやっております。実際やっておる資本家というものはその工業でもうけておる、それだけひどく国民大衆はいじめられておるわけなんです。そのゆえに軍需生産をもってその国の産業が成り立つようになりますと、それは病的だとさっき申しましたのは、そこからきたことでございます。
  93. 島上善五郎

    ○島上委員 岸さんが先般どこか、宇都宮ですか、出かけたときに防諜法の制定を考えておるという談話を発表しましたが、どうも政府は防諜法というかあるいは秘密保護法というか、アメリカからだんだんと近代兵器を借りる、あるいは譲り受けるために、戦争中の何といいましたか、国家防衛法ですか保安法ですか国防保安法ですか、といったようなものを考えておると思われる。これは言うまでもなく国民の言論を著しく圧迫する結果を導くものだと思います。どうも過去においてもそうですが、軍備がだんだん大きくなってくる。あるいは戦争準備に本腰を入れもということになると、一方においてはどうしても国民の目をふさぎ耳をふさぐ、こういうふうな政策を過去においてもとったものですが、私ども政府が考えておる防諜法というものの内容についてはもちろん知るよしもありませんけれども、防諜法を制定しようとすること自体が国民の言論報道に対する大きな制圧となり、憲法違反の疑いが強い、こう見ておりますが、これに対するお考えを一つ
  94. 遠藤三郎

    ○遠藤公述人 軍隊の存するところには必ず秘密が伴うものであります。従って日本がだんだん自衛隊を増強されますようになると、それに伴って秘密保護が厳重になると思うのでございます。これが私再軍備を反対した理由の非常に大きな一つであります。戦争中私どもが機密保護のために非常に暗い生活をいたして参りました。日本が物質的に恵まれておりませんのでございますから、せめて精神的に明るく生活したいと思いますので、この防諜法その他の機密保護法の制定されることを非常に私きらうものでございます。私自身戦争中、航空兵器総局長官時代に生産の状況を国民に知らせたい、そうしてたくさんできたときはともに喜び、少ししかできぬときにはともに憂えて、一生懸命にやろうじゃないかということを閣議の席上で私お願いした。しかしどうしても陸海軍大臣はそれを許さない。ところで前の議会ですが、私に生産状況を説明せいと言いますから、説明しょうと思いましたら、秘密事項だから秘密会議を開いてやれということで、ごもっともと存じまして、秘密会議で生産状況を講演したことがあります。そうしたら、さっそく陸軍省の方から、遠藤は機密事項を勝手にしゃべった、秘密会議で申しましたにもかかわらず、遠藤は秘密を漏洩した、厳罰に処せと言うてきたことがあるのでございます。また非常に不愉快であったのでございますが、私の部下の榊原という大尉がいつの間にか行方不明になった。軍需省に勤めておった。その奥さんは高松宮妃殿下の御姉妹で華族さんなんです。それが行方不明になったのでほうっておくわけにいきませんので、探してみましたところが、いつの間にか憲兵隊に連れていかれておった。どうしたことか調べてみますと、その部屋に勤めておったタイピストが憲兵隊のスパイでございまして、榊原大尉が秘密書類を皇室関係に、宮中関係に行って漏らしたという疑いのもとに、カバンの中に入っておった重要書類を写真に写して憲兵隊に報告しておった。そういういやなことがあった。私憲兵司令官に抗議を申し込みまして、いやしくも現役の将官が長になっておるその団体に、その長官に断わりなしにスパイを入れるとは何事だというわけで抗議を申し込んだのであります。軍隊、その中で――私は軍隊じゃなかったのですけれども、軍需省、そういう団体の中でさえにそういう忌まわしい不愉快な行為が行われがちとなるおそれが多分にありますから、役にも立たない軍隊を作って、アメリカの役にも立たない兵器をもらって、そうしてわれわれの生活を暗くするような軍備はおやりにならぬ方がよかろうと私は思っております。
  95. 島上善五郎

    ○島上委員 どうもありがとうございました。
  96. 江崎真澄

    江崎委員長 他に御質疑はありませんか。御質疑がなければ、遠藤公述人に対する質疑は終了いたしました。遠藤さんどうもありがとうございました。  以上をもちまして公聴会議事は終了いたしました。  明日は午前十時より開会いたします。  本日はこれにて散会いたします。     午後五時九分散会