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1958-04-08 第28回国会 衆議院 法務委員会 第23号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十三年四月八日(火曜日)     午前十時二十六分開議  出席委員    委員長 町村 金五君    理事 高橋 禎一君 理事 林   博君    理事 福井 盛太君 理事 三田村武夫君    理事 青野 武一君 理事 菊地養之輔君       犬養  健岩    小島 徹三君       小林かなえ君    徳安 實藏君       中村 梅吉君    長井  源君       古島 義英君    横川 重次君       猪俣 浩三君    神近 市子君       佐竹 晴記君    田中幾三郎君       古屋 貞雄君    吉田 賢一君       志賀 義雄君  出席国務大臣         法 務 大 臣 唐澤 俊樹君  出席政府委員         法務政務次官  横川 信夫君         検     事         (刑事局長)  竹内 壽平君  委員外出席者         参  考  人         (法務省特別顧         問)      小野清一郎君         参  考  人         (都立大学教         授)      戒能 通孝君         参  考  人         (日本弁護士連         合会会長)   島田 武夫君         専  門  員 小木 貞一君     ————————————— 四月七日  占領軍将兵施設に対する賃貸人損害補償に関  する請願(吉田賢一紹介)(第二七七三号)  の審査を本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  刑法の一部を改正する法律内閣提出第一三一  号)  刑事訴訟法の一部を改正する法律案内閣提出  第一三二号)      ————◇—————
  2. 町村金五

    町村委員長 これより会議を、開きます。  刑法の一部を改正する法律案及び刑事訴訟法の一部を改正する法律案一括議題といたします。  本日は、前会の決定によりまして、参考人として、法務省特別顧問小野清一郎君、都立大学教授戒能通孝君、日本弁護士連合会会長島田武夫君、以上三名の方々に御出席を願っております。  この際本日御出席参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。すでに参考人各位におかれましては御承知のことと存じますが、目下当委員会で審議中の刑法の一部を改正する法律案及び刑事訴訟法の一部を改正する法律案は、今国会中における重要な案件でございます。今回参考人各位の御意見を承わることにより、本委員会審査に多大の参考となることと期待をいたしておる次第でございます。各位におかれましては腹蔵なく御意見を御開陳下さるようお願いいたします。本日は御多忙中のところ貴重な時間をおさき下され御出席をいただきまして、ありがとうございました。厚く御礼申し上げます。  なお、議事の順序を申し上げますと、参考人各位の御意見を述べられる時間は大体十五分程度にお願いいたしまして、御一名ずつ順次御意見の御開陳、及びその質疑を済ましていくことにいたしたいと存じます。  なお、念のために申し上げますが、御発言の際は委員長の許可を得ることとなっておりますから、さよう御了承願います。  それでは、これより参考人各位より順次御意見を開陳していただくようにお願いいたします。島田参考人
  3. 島田武夫

    島田参考人 ただいま御紹介にあずかりました鶴田でございます。  刑法の一部を改正する法律案及び刑事訴訟法の一部を改正する法律案につきましては、すでに皆さん方におかれまして十分御研究になっており、新聞、雑誌においてもいろいろ批判されておりますので、今さら私がとやかく申し上げる必要はないと存じますが、せっかくのお呼び出しでありますので、一応意見を申し上げたいと思います。刑法第百五条の二、これは案文を読みますと時間がかかりますから省かしていただきますが、その要旨は、自己もしくは他人刑事被告事件の捜査もしくは審判に必要な知識を有すると認められる者またはその親族に対して面会を強要し、あるいは強談威迫行為をなした者を処罰する規定でありますが、現在の時勢にかんがみまして、かような規定を置くことは相当と考えます。  次に、第百八十条の第二項として、二人以上現在において共同して犯した前四条の罪については前項の例を用いないという規定でありますが、これは、輪姦強制わいせつ罪等を非親告罪とする規定であります。輪姦強制わいせつ罪等は、婦女被害が重大であり、最近頻発する傾向が見られるのであります。ことに、売春が禁止された結果、ますます増加することが予想される。しかるに、これらの規定親告罪になっているために、これをよいことにして犯行を行う者があるように思われるので、非親告罪にしたものと考えられます。この場合、被害者の立場を十分考慮する必要があると思うのであります。この種の罪の被害者は、五十、六十というような老婦人ではなくして、うら若き婦人が多いと思うのでありますが、これらの婦人がこういう被害を受けた場合に、これらの被害者自分の身内であると考えた場合にはいかがでありましょう。これが非親告罪になった場合には、被害者である婦女は恥かしい思いをしなければなりません。警察官から職権をもって取り調べられ、さらに検察官調べを受け、三たび公判の調べを受けねばならぬことになります。それにもまして、新聞社写真班写真をとって、これを新聞に出される。被害者である婦女にとっては耐えられない苦痛であると思うのであります。こういう事態をおもんぱかってか、最高裁判所は、婦女に対して共同暴行を加えた場合には、暴力行為等処罰に関する法律第一条によって、告訴がなくても処罰し得ることに現在なっております。でありまするから、これによって非親告罪の欠陥を十分に補うことができる状態でありますので、この改正は必要がないと私は考えるものであります。  次に、百九十七条の四、これによりますと、公務員請託を受けて他の公務員職務上不正の行為をさせ、または相当行為をさせないようにあっせんすること、またはしたことの報酬としてわいろを収受し云々とあります。この規定は、犯罪規定する条文といたしましては構成事実がはなはだ不明瞭であると考えるのであります。  その第一は、この法案には公務員請託を受けて他の公務員職務上不正な行為をさせ云々とあります。犯罪主体である公務員はその職務地位に関して請託を受けることを要しないことになっております。職務関係のない純粋の私事について請託を受けた場合も犯罪になるものと読みとれるのであります。たとえば、自分の親戚の者からその子供就学区域を越えて有名な学校に入学させるあっせんを依頼されて、その学校先生あっせんして、その子供を入学させてもらった、ところがそのあっせんした人は所得税調査委員であったというような場合でも罪になることになるのではありますまいか。しかし、公務員地位あるいは職務関係のないわいろというものは考えられない。わいろ公務員職務対価であります。従って、公務員がその地位に何かの関係のあることを行なって初めてその対価すなわちわいろが考えられるのであります。改正案は「報酬トシテ賄賂収受シ云々規定しておりますから、少くとも公務員地位を利用してなした行為に対する報酬わいろと言っておるようにとれるのであります。しかし、理論的には、公務員行為性質によってわいろであるかいなかが判断されるのであって、初めからわいろであるというものはないのであります。金銭、物品にわいろという札のついたものはない。でありますから、わいろによって行為性質がきまるのではなく、行為性質によってわいろがきまるのであります。でありますから、この書き方によりますと本末転倒の感を抱かざるを得ないのであります。しかし、公務員がその職務に関して改正案規定するような行為をしたときには、刑法百九十七条の二項の収賄罪になります。従って、あっせん収賄罪特徴公務員がその職務範囲外でその地位を利用して行う点にあると思うのであります。従って、あっせん収賄罪にはこの特徴を本罪の構成事実として規定しなければ、条文意味が判然読みとれず、犯罪範囲が不必要に拡大され、悪用される危険があると思うのであります。もっとも、地位を利用してという文句は、今まで不明瞭であるという理由で反対されてきたようであります。しかし、この言葉がなかったらますます犯罪意味は不明瞭になります。地位を利用するということは、その地位においてという意味であって、吏員とかあるいは所長とか、そういう身分であっせんしてもらいたいとかあっせんしてやろうとかいうことは当事者間にはわかっていることであります。終局的には判例でその限界が明らかになると思うのでありますが、地位を利用しという文句を入れれば、「報酬トシテ賄賂収受シ」と書いてあるこの「報酬」という文字は不要になるのであります。わいろはそれ自体報酬意味を含んでおります。  次に、原案には「請託受ケ」とありますが、この文字意味が不明であるとか、あるいは請託の有無は立証が困難であるとかの非難があります。しかし、今日では、請託意味判例で大体きまっており、頼む内容が具体的にきまっている場合に請託があるということになっておりますから、意味は明瞭になっており、この意味で立証することもまた不可能ではないと思います。現に現行法請託を受けという文句も使っておるのであります。でありますから、この「請託受ケ」という言葉があることは決して不合理とは考えないのであります。この文字あっせん収賄罪成立範囲を広く認めるか狭く認めるかの政策に関係しておると思います。これを広く認めるためには「請託受ケ」という文字を入れない方がよいし、狭く認めるためには入れる方がよいということになります。私はこの文字を加えることには必ずしも反対するものではありません。  問題は、他の公務員職務上不正な行為をさせまたは相当行為をさせないようにあっせんすることという文字であります。すでに論じ尽されたかに思われるのでありますが、この文句があるために、あっせん収賄罪骨抜きになっております。他の公務員職務上あえて不正行為をしあるいは相当行為をしないときには、懲戒免官になることは明らかであります。自分地位までかけてあっせんに応ずる場合はきわめてまれであろうと思います。行政官が裁量の範囲手かげんをした場合は相当行為と解せられますから、本罪は成立しないことになります。この文字によってあっせん収賄規定はほとんど有名無実になっております。本来は、他の公務員において正当行為をした場合でも、あっせんしたことに対してわいろを取るのが本罪の特懲ではないかと思うのであります。しかるに、原案を見ますと、職務上不正の行為をなしまたは相当行為をしない他の公務員違法行為と、かような行為あっせんしてわいろを取る違法行為と、この二つの違法行為が並べてありまして、違法行為の軽重に迷うような書き方であります。もし公務員あっせんを受けて不正行為をしまたは相当行為をしない場合が相当あるとすれば、あっせん改賄罪規定を設ける前に、かような公務員処罰する規定を設けることが先決問題であろうと思います。このような不合理な規定を設けたのは、こうしなければ国会を通過する見込みが立たないという立案者の考慮からとも聞いております。この言葉国会を尊敬した意味にもとれますし、また侮辱した意味にもとれるのでありますが、要は、国の法律を作るのでありますから、国民に納得のいく立法が行われることを望んでやみません。  次に、あっせん収賄反面規定として、あっせん贈賄規定を設けてあります。これは必要がないというような非難もあるようでありますが、贈賄規定を設けたことは必ずしも不当とは思わないのであります。しかし、あっせん収賄骨抜きになっておりますから、あっせん贈賄骨抜さになっておるのであります。  次に、第二百八条の二、「二人以上ノ者他人ノ生命、身体又ハ財産二対シ共同シテ害加フル目的以テ集合シタル場合ニ兇器準備シハ其準備アルコトヲ知テ集合シタル者ハ二年以上ノ懲役又ハ五百円以下ノ罰金ニ処ス、」それから、「前項ノ場合ニ於テ……集合セシメタル者ハ三年以下ノ懲役ニ処ス」、この規定は、最近暴力団あるいはグレン隊がばっこする実情にかんがみまして、ピストル日本刀等凶器準備して集合する場合に、これを処罰することは必要と考えるのであります。ただ、凶器準備でありますが、凶器準備は、すぐ使用できるように準備されることが必要であって、凶器準備されるということを聞いて集まったが、行ってみると準備がしてなかったり、あるいは準備したのは遠く離れた場所で、すぐに使用できないという場合には、この罪は成立しないものと考えるのであります。ただ、問題になるのは凶器意味でありますが、ピストル日本刀というようなものは明らかに凶器であることは疑いないのでありますが、場合によると、そういう種類のものでなくして、たとえば、旗ざおとか、あるいはプラカード、ステッキ、こういうようなものも直ちに凶器として利用することができるのでありますから、この凶器限界が明らかでないと、旗をたくさん立てたりプラカードをたくさんかついで集合しておる場合がありますが、これがやはり凶器と見られる場合には、この規定が非常に立法者意思に反して拡大され、あるいは場合によっては乱用されるおそれがあるのではないか。できれば凶器限界を明らかにすることが必要ではないかと考えるのであります。  次に、二百六十三条に次の一項を加え、二百六十四条を削る、これは文書毀棄罪物件損壊罪を非親告罪とする規定でありますが、これについても私は異存はありません。ただ、国会あたりでよくフラスコを投げたとかあるいはドアをこわしたというようなことを聞きますが、こういうことを内容とすることがすぐやられる危険があるということを申し上げておきます。  次に、刑事訴訟法の第八十九条の第五号中に、「被害者その他事件審判に必要な知識を有すると認められる者」の下に「若しくはその親族」を加え、「充分な理由」を「相当理由」に改める、これは権利保釈規定でありますが、権利保釈憲法の保障する人身の自由に基く規定であって、これをむやみに制限してはならないのであります。刑事訴訟法改正するたびごとに権利保釈範囲が狭められていくということはよろしくないと考えます。従って、「若しくはその親族という文字を加えましても、「充分な理由」を「相当理由」に改める必要を感じないのであります。この点は現行法の通りでよろしいと考えております。  次に、第九十六条第一項第四号中「被害者その他事件審判に必要な知識を有すると認められる者」の下に「若しくはその親族」を加える、この改正には異存はありません。  次に、二百十条第一項中、死刑もしくは三年以上の懲役もしくは禁固に当る罪または刑法二百八条もしくは第二百二十二条の罪と改正する、この改正緊急逮捕規定でありますが、この緊急逮捕規定憲法三十三条に抵触するのであります。憲法三十三条には、何人も現行犯として逮捕される場合を除いては令状によらなければ逮捕されないと規定しております。しかるに、緊急逮捕は、現行犯でなく、令状によらないで人を逮捕するのであります。この規定憲法に違反しないという最高裁判所判例がありますけれども、憲法に違反しない理由については最高裁判所判例は何ら説明していないのであります。本条の改正につきましては、憲法との関係を十分御研究願いたい。この憲法改正の企てが今おありのようでありますから、憲法改正すれば問題はありませんけれども、憲法現行法のままにしてこの規定をさらに強化するということは、憲法違反をさらに上回ることに相なると思うのであります。  次に、二百八十一条の二、三百四条の二の改正でありますが、この改正につきましては私別段異存はないのでありますが、ただ、そのいずれにも検察官及び弁護人意見を聞きという文字を加える必要はないか。裁判官か勝手に被告人法廷から退廷させるということは、他の同種の規定と比較しまして、他の場合には検察官あるいは弁護人意見を聞いて裁判所が処置することになっておりますが、この規定ではそれが抜けておるのであります。これはやはり弁護人意見検察官意見も聞いた上で裁判所が取捨決定することが望ましいと考えるのであります。  大体以上をもちまして私の意見を終ります。
  4. 町村金五

  5. 戒能通孝

    戒能参考人 問題は多岐にわたっておりますので、私も一条ずつ申し上げさしていただきたいと思います。  まず第一に、刑法の一部を改正する法律案でございますが、そのうちの最初のもの、つまり第四条の改正、それから百五条の改正というものにつきましては、私も異存はございません。ただ百五条の二というものになりますると、これは非常に問題の多い点じゃないかと思うのでございます。百五条の二によりますと、構成要件が非常にばく然としております。「自己クハ他人刑事被告事件」というふうになっておりまして、その結果といたしまして、この規定は、多くの場合におきましては、新聞記者情報調査といいますか、これに対しまして相当大きな障害を来たすであろうと思うのであります。具体的に申しますと、菅生事件という事件が最近ございました。これによりまして、市木春秋という者、またの名前を戸高という警察官新聞記者によって発見されたという事例がございます。ところが、この百五条の二というふうなものになりますと、この戸高という人に対しまして共同通信の記者の方が面会を強制したというふうなことは、当然逮捕され、処罰されるということになってくると思うのであります。また、さらに、菅生事件というものにつきまして最初に問題になった点は、菅生派出所警察官の奥さんが、事件があったすぐ後におきまして、毎日新聞記者に対しまして警察官の妻の心得というようなものを話したというのが問題になっていたわけでございます。しかるに、このような事件が起りますと、新聞記者が「審判ニ必要ナル知識ヲ有スト認メラルル者ハ其親族」に面会をするということを、あらかじめ拒否してしまうということが起るのではないだろうかと思うのであります。もちろん、新聞記者の方が、ある場合におきまして、犯罪情報調査をされることが、ときによりますと行き過ぎにならないとも申しかねまいと思うのであります。また、ときによりますと、面会を求めるということが、ある場合におきましては執拗に過ぎるということも起るかもしれないと思うのでありますが、そういう問題は別に処理すべきことではないだろうかと思われます。百五条の二の形になって参りますと、こうした問題が起った場合におきまして、新聞記者犯罪の問題につきましての調査ということがほとんどできないことになってきはしないかと思っております。  それから、百八条の輪姦事件親告罪にしないという規定でございますが、この点につきましては、先ほど島田先生がおっしゃったと同じような懸念を私も持つわけであります。ただ、しかし、被害者本人の利益を十分に保護すべきことを裁判所において考えられるならば、あるいは親告罪にしなくてもいいかとは思いますけれども、しかし、何と申しましても、輪姦事件というものになりますと、被害者が一人の有力な証人になって参りまして、その人が法廷におきまして反対尋問にさらされるということになって参ります。この場合におきまして、若い女性が果して十分な意思力なしに反対尋問に耐え得るであろうかということがちょっと懸念されるのでございます。従って、現在の判例が認めておりますように、暴力行為等処罰法による処罰によることがあるいは穏当ではないだろうかと思うのであります。もちろん、被害者が非常に決然としておりまして、どんな尋問にも耐え得るという決心を持った場合には告訴によって事を処理すべきではないだろうか、という懸念を私は持つわけであります。  次に、百九十七条の四の規定でございます。この点につきましては、先ほど島田先生のおっしゃったことに私も賛成でございます。詳細に申し上げる必要はないと思います。特に、「職務上不正ノ行為ヲ為サシメ又ハ相当行為ヲ為サザラシム可ク斡旋ヲ為スコト」ということになりますと、事実問題といたしまして、高官によるところのあっせん収賄ということは全部消えてしまうと思うのであります。これに反して、下級公務員が仲間に頼んだというふうなことだけが処罰されることになるのではないだろうかと思うのであります。また、いただきました資料で、あっせん収賄罪規定がないために処罰し得なかったというふうな事例というものを見ましても、この中のきわめて多くのものが、あっせん収賄罪規定を置きましても処罰できないことになるのではないだろうかと思っております。たとえば、最初に出ました事件、元農林大臣のN氏の事件でございます。これは別に不正な行為をさしたというわけではございません。ただ職務上なし得べき行為をするように依頼をしただけの事件でございます。そうして、その次の農林省の事務官事件というものも、特に不正なる行為をした事件ではなさそうでございます。これらの点は、おそらく百九十七条の四ができましても、あっせん収賄罪というものにはならないと思っているわけでございます。百九十八条の規定もそれに伴って御考慮いただきたい点であると思います。  次が二百八条の二でございますが、この点につきましても、先ほど島田先生のおっしゃったように、凶器範囲というものがきわめて不明瞭であるという点におきましても問題が残っていくと思っております。凶器というものの中には、性質上の凶器と用法による凶器という二種があり得ると思います。ところが、性質上の凶器になりますと、これは隠したり、それから人に見えないようにしたりする道がずいぶんございます。たとえば拳銃あるいはあいくちというようなものになりますと、懐中あるいは胴巻というふうなものに隠してしまうことができるのでございます。従って、そうした拳銃やあいくちなどを持った人物を集めましても、そんなことは知らぬと言ってしまえばおしまいになりはしないかと思います。これに反して、こん棒とか、あるいはときによりますとプラカードの板の方が折れた柄の方でございますが、こういったものになりますと、隠すことができない、はっきり公然と出てくるということになって参ります。そうなりますと、主としてこれによってつかまえられるものは、従来からグレン隊をつかまえるということを言っておられるようでございますが、グレン隊ではなくて、労働組合に関する事件というふうなものが多くなるおそれがないかと思うのであります。たとえば、昭和二十三年の七月十四日の水戸地裁の判決に現われた事件でございますが、次のような事件がございます。この事件は、高萩炭鉱千代田坑というところで起った事件でございます。ちょうど高萩炭鉱におきましては賃上げその他の理由によりましてストライキが起っておりました。そうしてストライキの方は解決いたしましたが、解決の条件の中に、組合側千代田坑坑長外二名に対しまして左遷または退職を要求いたしました。会社側はこの事件については一週間以内に組合側の意に沿うように解決するという約束をした事件でございます。これが起りましたのが昭和二十一年六月十四日のことでございました。ところが一週間以内に組合側の意に沿うように会社側は解決すると貰いましたが、会社側はそれを解決いたしませんで、七月二十一日に、坑長に対しまして、もう一度千代田坑に帰れということを命令いたしました。坑長は直ちに自分の部下を引き連れまして千代田坑に入りまして、坑長としての事務をとろうとしたのであります。組合側は非常に憤慨いたしまして、とうとうこの坑長を外に追い出しました。坑長は直ちに、会社の意向によりまして、高萩の町に四、五十名の壮士風の人物を呼び集めまして、それを旅館に止宿させたわけでございます。しかるに、この事件は、組合側が高萩市の警察に対しまして、物騒であるからあの連中を何とか処分してくれというふうに申し立てたのでございますが、警察は争議には介入しないという理由でこれを傍観していたわけでございます。昭和二十一年の七月二十五日になりますと、その暴力団の壮漢たちはトラッに分乗いたしまして、そうして千代田坑の方面に押し出していったわけでございます。そうして、千代田坑の前面に配置されました組合員の見張員に対しまして、一匹どっこいならこいということを申しました。一人一人ならこいということであります。片はだをぬぎまして、入れ墨を出炭し、胴巻にあいくちを隠しまして、さあこいというふうに言ったのであります。このときに見張員は撤退いたしまして、そして坑の全面に配置されまた組合員の隊列の中に入ったわけであります。組合側におきましては、こうした事件があるということを予知いたしたものでありますから、その前に組合会議を開きまして、敵が来たら撃退させるということを決議いたしました。組合員総出で山の前面にピケを張っていたわけであります。そこに壮士がいずれもふところにあいくちをのみまして押しかけてきたわけでございます。組合側は直ちにそれに対して棒をとって反撃したわけであります。そのうちにやがて他の山からも応援隊がかけつまして、壮士正側の方がいずれも包囲されまして、もはや負け戦さになろうというころに警察がかけつけまして、そうして壮士を収容し、同時に組合員数名を逮捕して帰っていった事件でございます。この事件におきましては、組合員がいずれも暴力行為等処罰に関する法律によりまして起訴されております。ただし、壮士側の方は全然起訴をされませんでした。そうして、水戸地裁の判決におきましては、若干の行き過ぎの点はありましたけれども、この事件におきましてはいわば期待可能性がないという理由によりまして無罪の判決を受けておるわけでございます。こうした事件というものをとってみますと、壮士側の持ち出しました凶器は、いずれもふところの中に隠すことのできるあいくちのたぐいでございました。これに反して、組合側の持ち出した棒というものは、人から見ることができるような棒でございます。しかも、壮士側の方におきましては、別に自分たちは他人の生命、身体を殺傷するという目的で集まったのではない、ただわれわれが坑長を山に送り届けるために山に集まったのだという弁解が成り立つでありましょう。これに反して、組合側におきましては、他人の生命または身体に傷害を加えようという事実が、棒をとったということによって立証される可能性があると思うのでございます。こうした事例などを見ますと、この二百八条の二の条文は、ひょっとすると、暴力団にはそのまま適用されないで、組合運動というようなものに適用される可能性がないとは申せないと思うのであります。もちろん、現化の裁判所の態度から申しますと幸いにして、たとえば火炎びんのようなものは、爆発物取締罰則によって、爆発物でないという最高裁の判例もございますので、凶器範囲というものが多少制限されるであろうと私も信じておるわけでございます。しかし、それにもかかわらず、逮捕される、起訴されるということはその前に起って参ります。そして、無罪の判決を受けるにいたしましても、それまでに、おきましては数年と間いう努力が必要でございます。このような点から申しますと、二百八条の二というものは、むしろ削除して、現在幸いにして銃砲刀剣類等所持取締法ができておりますので、こちらによる方が正しいのではないかと思うのでございます。特にグレン隊それから暴力団の取締りになりますと、銃砲刀剣類所持取締法によりまして取り締ることが十分できるのではないかと思うのでございます。凶器のうち特に性質上の兇器になりますと、隠し持つということが非常に容易にできるという点が、この条文の問題としてはぜひ御審議が願いたいと思うところでございます。  次に、二百六十三条の規定改正案でございますが、器物毀棄を親告罪からはずすという点でございます。これは私も賛成していいと思いますけれども、しかし、たとえば諏訪市におきまして弁護士の林百郎氏が裁判所にいきまして、そして少しごたごたが起りまして、憤慨しましてガラスが一枚割ったところが、これがやはり器物毀棄罪になっておるというふうなこと、あるいはまた、組合運動の際におきまして、社長さんが逃げてしまった、そこで組合側が社長さんのうちに行きまして、うちの前にビラを、少し張り過ぎたと思いますが二百枚ほど張りまして、そして、社長さん早く帰ってきて下さい、そして団体交渉に応じて下さいというビラを二百枚ほど張ったのが器物毀棄罪になっておるという事例から申しましても、この点はやはり問題の残るところであるということだけを申し上げておきたいと思うのでございます。  次に、刑事訴訟法の一部改正法律案でございます。これは権利保釈に関する規定というもの、お礼参りその他のおそれある人物は権利保釈しないという事例であろうかと思います。これは目的としては正しいと思うのでございますが、しかし、勾留という制度は処罰ではございません。この点は十分御考慮をいただきたいと思うのでございます。と同時に、現役勾留されている人たちでありましても、勾留する必要がない、あるいはしいて勾留しておく必要がないという場合におきましては、かりに死刑の事件、無期懲役事件でありましても、やはり勾留からできるだけ保釈を認めるということが必要ではないだろうかと思っているわけでございます。たとえば、松川事件などの場合は、若干の人たちは第二審におきまして死刑の判決は受けておりますけれども、しかし、あの事件などになりますと、逃げてしまったら被告側としては負けの事件でございます。これなどになりますと、しいて勾留しておく必要もない事件ではないだろうか。もう少し、必要がなかったらできるだけ勾留しないような制度ということが大事じゃないかと思っているわけでございます。  それから、次は緊急逮捕規定でございます。この緊急逮捕という制度がやはり憲法との関係におきまして非常にデリケートな問題であることは言うまでもないと思うのであります。従って、二百十条の改正というものにつき、ましては、憲法との関係におきまして厳格な御検討をお願いいたしたいと思うのでございます。しかも、刑法二百八条もしくは二百二十二条の罪を加えましても、実際問題になりますとほとんど効果がないのではないだろうか。実際問題になりますと、逮捕状を請求し、そして逮捕状によって逮捕するという時間的余裕があることの方が多いのではないだろうか、それがないという場合はほとんどないのではないだろうかという感じがするわけでございます。他面におきまして、日本で現在裁判官が逮捕状を発行する場合におきましては、かなり乱発の傾向がないとは申せないように思うのであります。勾留状の方につきましては、現在地裁が取り扱ったりなんかいたしますと割合に厳格に行われておるようでございますけれども、逮捕状はかなり自由に発行される、それから、ときによりますと白紙逮捕状のたぐいを出したというので糾弾された裁判官などもおりまして、逮捕状の発行につきましてはかなりルーズな面があり過ぎるという点がございます。その点も御考慮いただきたいと思うでございます。  それから、二百八十一条の二及び三百四条の二の改正のところでございますが、これにつきましても、ただいま島田先生のおっしゃったことに私も賛成でございます。これらの規定が置かれるようになって参りますと、次は、傍聴人がいるから困る、傍聴人がいるから威圧感を受けて証人が証言してくれない、だから傍聴人を追い出すというふうなことにもならないとも限りません。そして、現在において、グレン隊事件、暴力団事件というものの審理に際しまして、証人が精神的威圧を感ずるのは被告人一人だけではございません。主として傍聴人によって精神的威圧を受けているようでございます。これらの点から申しますると、やはり、弁護人がある程度承諾するということ、これがないというと裁判公開の原則がときによるとくずれないとも限らないと思うのでございます。証人というふうなものは、これは他の方法によりまして十分に保護すべきものではないか、特に証人に対して危害を加える、あるいは脅迫をするというふうな場合におきましては、警察あるいは検祭庁ができるだけこれに対して俊敏に立ち回るということが大事ではないだろうか。それなしに二百八条の二や三百四条の二を置きましても、やはり証人をして弱い態度をとらせるようなことになるおそれは十分あると思うのでございます。幸いにして証人の被害についての給付に関する法律というふうなものも出ているわけでございますので、これらの点もあわせて御考慮願うと同時に、証人が証言したことによりまして被害を受けないように十分な手続がとられることを希望するわけでございます。
  6. 町村金五

  7. 小野清一郎

    ○小野参考人 私は大体において原案相当であると考えておりますので、島田参考人戒能参考人のおっしゃったことと多少違うところもあるのでございますから、その点を主として申し上げてみたいと思うのでございます。やはり順を追うて申し上げます。第一に、刑法第百五条の二、これにつきましては、特に、戒能参考人から、この規定を設けることによりまして新聞記者の取材の自由が阻害されるおそれがあるというお説がございましたが、その点ごもっとものところもあると思います。しかし、よく原案を読んでいただけば、「故ナク面会ヲ強請シ又ハ強談威迫行為ヲ為シタル者」とございますので、もちろん新聞記者の業務上正当な行為をこれでもって阻害するというようなことは本案の意図するところではないと思いますし、また、実際の運用におきましても、そのくらいのことは一つ信用されていいのじゃないかと私は思うのでございます。  次に、輪姦形態の強姦の罪というものにつきまして、これを非親告罪とすることには、両参考人とも御反対でございました。それは、最高裁の判例によりまして、さような場合には暴力行為等処罰に関する法律で処理できるということになっているということなのでありますが、私はその判例に疑いを持つのでございます。やはり一種の便宜の、——強姦罪が親告罪になっているものだから、それをよけて暴力行為で取り締る、こういうことになりますが、それは本筋ではないのではないですか。やはり本筋でいくのが法制としては正しい行き方であると思う。もちろん、被害者の名誉というものについて何とかしてこれを保護する方法を講じなければならないというこことについては、私も全く同感でございます。その点につきましては、特にジャーナリズムの面などにおいて、そういう人の恥辱になるようなことを特に新聞紙等においてあからさまに書き立てるということはなるべく遠慮していただくように、その点はやはり一種の新聞倫理というものによって適当に解決ができるのではないか。  この点について特に要望したいことは、最高裁の判例集、それから高裁の判例集等を私ども読んでおりまして、実に、何といいますか、野獣的というか、非人道的というか、全く読むにたえない事実を——これはもちろん判決でありますから、その犯罪事実を書き上げる、また原審の判決でもそれを引用する必要があるのでありますが、私はその判例集を編集する場合にはせめて名前をイニシアルでもって省略するとかなんとかという方法をとっていただきたい。現在ではその名前を判決書きの通りそのままを判例集に載せておりますが、これはよろしくないと思いまして、これは一つ当局に特にその点を注意していただくことにしたらどうかと思うのでございます。  次に、問題のあっせん収賄罪でございますが、これは久しい立法の歴史を持っていることは御承知の通りでありまして、私はこの際何とかこれを解決すべきではないかと思うのでございます。それにつきまして、私といたしましてもいろいろの案を持っておりましたのです。少くとも私は四つの案を持っていたのですけれども、これは最小限度ぎりぎりにしぼった案なのでございます。一方から申せば、あまりにしぼり過ぎている、だからこれは骨抜きであるということを、これは世間一般に言っておりますし、島田参考人からも、これは骨抜きであるという御批判を受けたのでありますが、しかしながら、私に言わせると、これは骨抜きではないので、骨格だけの法案である、もうごく大事な、どうしてもこれを見のがすことはできない、放置することはできないではないかという、今日の道徳感覚からいってその最小限度を法文に表わせば、こういうことになる以外に道はないんじゃないか、こう思うのであります。私の考えました四つの案のうちのこれは最小限度のぎりぎりの案。もっと広い案ももちろん持っておりました。けれども、いろいろの事情から考えて、この最小限度の法案をこの際通過させるということは、日本の政治道徳、また公務員一般の倫理といいますか、道義のためにこれは必要であるということを私は確信しております。  これに地位を利用してというような文句を挿入したらどうかという御意見であります。社会党の方の案は、たしか前からそういうことになっている。それは要するに今から二十年ほど前の刑法並びに監獄法改正調査委員会の案なのでして、いわゆる改正刑法仮案から来ているのであります。私も、何と申しますか、内在的な理念として、イデーとしては全くその通りだと思います。本案におきましても、やはり公務員がその地位を利用して不当に利得する場合を罰しようとするものであります。しかしながら、それを構成要件の上に明記するかどうか、それを犯罪成立の概念的な要素とするかどうかということは、これはまた考えなくてはならない問題でありまして、そういう語句を構成要件の中に取り入れますことは、かなり犯罪の成立の輪郭をぼやかしてしまう、一方からは狭くしぼるようにもなりますが、またかえって広くなるおそれもあるのではないか、こう考えまして、この案にさらに地位を利用するということをつけ加えることは望ましくない、それを持ってくるならば、また建前をずっと改めて書き直していかなければならぬことになるのではないかと、私はひそかに考えております。  それから、刑法の第二百八条の二、二人以上の者が集合した場合に関する規定でありますが、この原案における凶器ということは、これは確かにあまりはっきりした概念であるとは言えないと思います。ピストルとかあいくちとかいうものは、これは性質上だれが考えても凶器でありますが、たとえば出刃ぼうちょうとかあるいはなたというようなものになると疑問になりますことは、もう旧刑法時代におけるいわゆる持凶器窃盗、凶器を持って人の家に忍び込んで窃盗するということについて幾つかの判例がありまして、たとえば、一つの判例にはなたを持って入った場合、一つの判例は出刃ぼうちょうとそれをとぐやすりとを持って入ったという例、これはいずれも凶器であるとされております。ここまでは、性質上の凶器ではなくても、用法による凶器と言えることは、これらの判例の傾向を見ても明らかでありますが、こん棒とかプラカード、こういうものは私はこの凶器には入らないと思います。もっとも、特にたとえば日本刀の格好をしたこん棒というようなものもあるのでありますから、それはまた別でありますけれども、普通の野球のバットとかプラカードのたぐいは、これは用法上の凶器でもない、凶器であると、解釈されるおそれはまずないと私は思っております。  それから、刑事訴訟法に入りまして、権利保釈に関する第八十九条第五号と、それから緊急逮捕に関する第二百十条第一項の改正でありますが、これはいずれも、人身の自由を刑事手続においてどこまで尊重しなければならないか、その限界点に関する問題でありまして、まことにデリケートな点であると思います。ただ、今日目に余る暴力団、広い意味の暴力的な結社の取締りに、多少従来より自由の制限が広まっていくことはやむを得ない次第ではないかと考えるのであります。ことに、お礼参りの不安というものは、関係者にとってはまことに容易ならぬものがあるようでありますので、一般の市民の安全感というものを相当に考えなければならぬのではないかと考えます。ことに、第二百十条のごときは、両参考人によって、御指摘になりましたように、これは憲法違反の疑いというものは確かにあるのでございますが、一応この第二百十条は違憲ではないという最高裁の判例になっておりますし、それをさらに広げることは、もちろん慎重なることは必要といたしますけれども、目に余る暴力傾向をこの際一掃するために、やむを得ないのではないか。もちろん、これを労働運動、社会運動その他大衆運動に乱用されるということに相なりますると、これは容易ならざる次第でございますが、法案のねらいはもちろんそういうところにはないので、その方からの御心配は戒能参考人によりるる表現し尽されたと思いますが、その実例を見ましても、御指摘の水戸地裁の判決でありますか、あれも無罪となっておるというお話であります。ところで、最後に裁判で無罪になるとしても、それまでにいろいろ起訴される、それを争っていく時間と労力と費用等大へんなものであることは言うまでもないのでありますが、これも、一たん判例がきまりますと、ある程度検察、警察の面でもそれに従っていくのでありますから、慎重な裁判所判例によって指導されていくということを考えのうちに入れますると、今日の状況においてはこれを大衆運動の断圧に乱用するというようなおそれはまずないのではないかと考える次第でございます。  それから、刑訴法第二百八十一条の二でございますが、これは、証人が被告人の面前においては圧迫を受け十分な供述をすることができない場合に、被告人の退席を命ずることができるようにということでございまして、これは証人に自由に供述させるために、その自由な供述を保障する意味において必要な次第と存じます。もちろん、被告人はあらゆる証人に対して十分に反対尋問する権利を持っているのでありますから、これもできる限り避けなけばならないことではありますけれども、やはり刑事訴追において実体的な真実の追求を目的とする以上は、場合によっては、傍聴人はもちろんであります、他の規定によってできる。被告人を退廷させるということは、これは容易ならざることでよくよくの場合なんですが、やはりやむを得ない場合がある。その場合に検事及び弁護人意見を聞くということは、私はこれもけっこうなことであろうと存じます。しかし、ともかく、被告人の退席を命ずることも場合によってはできるという建前にしておいた方がよろしい、かように存じます。もちろん、後に被告人にその証言の要旨を告知して、さらにその証人を反対尋問する機会を与えることは必要でありまして、それは法文の上に明らかでございます。  第三百四条の二は、第二百八十一条の二とほぼ同じ趣旨でございますから、省略いたします。  一通り私の所見を申し述べました次第です。
  8. 町村金五

    町村委員長 それではこれより参考人に質疑を行います。参考人の時間の御都合もございますので、きわめて簡潔にお願いを申し上げたいと存じます。三田村武夫君。
  9. 三田村武夫

    ○三田村委員 一、二点簡潔に御所見を伺いたいと存じます。  第一点は、いわゆるあっせん収賄罪に関する規定でございますが、この点については、島田先生、戒能先生に御所見を伺います。小野先生の御意見にもありました通り、また島田先生もよく御存じの通り、これは非常にめんどうな規定でございます。しかしながら、われわれとしては国民の立場から立法をするのでございまして、問題が重要であればあるだけ慎重な態度が要るのでございます。端的に申しまして、刑罰法規で国民の自由行動を制限する場合の限界の問題になるのでございまして、刑事法規であります場合には、その範囲を広くするか狭くするかということが非常に重要だと思うのでございます。もとより、あっせん収賄のごとき忌まわしい行為のなくなることをわれわれも期待し望むものでありますが、線の引き方によっては刑事立法が目的とした以外の、また別な問題も起ってくるのであります。これは、われわれ、戦時中の戦時刑法、特に戦時刑法の中でも政治上の目的を持ったいわゆる目的立法によって何を結果したかということも経験してきた一人でございまして、非常に重要な考慮が要ると思うのでございます。なるほど、島田先生がおっしゃったように、非常に範囲は狭くなっております。しかし、われわれ公選による公務員として、政策または予算の施行に責任を持つ者の立場から申しますと、直接国民がその主権者という立場と資格によって選んだ者、それに対して刑事上の制裁規定をもって臨む場合は、そこに相当厳格なワクがなければいけないのであって、戒能先生も今おっしゃいましたが、何か事件があってそれが裁判で有罪無罪が確定することがあるといたしましても、それが五年、六年先になって事が明白になるといたしましても、先般の事例でも御承知のように、新聞にでかでかと書かれてしまう、実際は裁判の結果何でもなかったというような場合に、せっかく国民が主権者として自分たちの意思を忠実に代表してもらうべく選んだ者が、そのことによって消え去ってしまうということもあり得るのであります。今日、国民の政治意識と申しますか、道義、倫理はそれほど高まっていない。残念でありますが、そういう現在から申しますと、やはりある程度のワクが要るということをわれわれは考えるのでございます。法律上の言葉で言えば、国民のすべての行動の中に刑事的制裁規定をもって臨む限界いかん、こういう問題が出てくるのでございます。ことに、これは、ひとり国会議員だけでなくて、地方議会議員、すべての公選公務員全体に適用される深い内容と目的を持った刑事立法なるがゆえに、そういう点に対する考慮を刑事法学上どういうふうにお考えになっておるか、一点お伺いしておきたいと思います。  時間の関係がありますからついでにお尋ねいたしますが、輪姦罪の規定についてもいろいろ御心配の点があったようでございます。これは、私たち当委員会といたしましても、実際現場について直接の責任者からいろいろ詳しい具体的な話を伺っております。これはなるほど被害者の個人法益というものを尊重しなければなりませんが、こういう犯罪性質上、被害者はそのときの怒りによって警察に事件は持ち出してみたものの、その先のことを考えてついに事件はうやむやになってしまうという例が幾らでもあります。そこで、被害者被害によって大きな人格権を失い、将来に大きな一生の悔いを残すことは事実でありますが、これは取り返しがつきません。しかしながら、それで強姦罪が消え去ってしまって、そのグループは何べんやっても罪になりませんから、次から次と同じことをやっていく。一人の被害者の名誉を尊重するがゆえに、第二、第三、第四、第五、第六と次々と犯されていくそういう行為は、私は放任していいとは思われない。それが今の世の中の現実であります。そういう場合に、むずかしい法律論はその通りでありますが、そうでなくては、やはり現在あるがままのものを最小限度どう手当していくかということを考えますと、これは、私は、やはり現実に即して、現在町に行われている、あるいは農村にまで行われているこういう事態を見た場合に、最高裁の判例もさることながら、憲法上の規定もさることながら、何も憲法違反立法をここでやろうというのじゃありませんが、実際の現実はそうだということを申し上げて、この点についても、それでもこれがいわゆる暴力行為処罰法でやればいいじゃないかという御見解であるかどうか、この二点について御所見を伺っておきます。
  10. 島田武夫

    島田参考人 私より簡単にお答えいたします。刑事立法限界についての御質問でありますが、これは必ず処罰規定はあらかじめ法律をもって定めておかねばならぬのであって、罪刑法定主義は日本憲法においても認めておるところであります。国民を処罰する限界、必要な程度はいかんということになりますと、これは非常に大きな問題でありますが、この重要な問題をきめるために、国民が議員を選んで、国会において審議してそれをきめるということによって国民の要望を満たしておるものと私は考えるのであります。また、憲法その他法律の建前もそのことを期待しておると考えるのであります。ここに問題になっておるあっせん収賄罪について申しますならば、おそらく、この点について、今まで検察当局あるいは裁判所において、取り締らなければならない事例について十分研究され、一部の資料はここに出ておりますが、こういう悪弊がある、これでは公務の公正が保てない、これをいかように処理したらよいかということでこのあっせん収賄罪規定が要望されるに至ったものではないかと思う。従って、今まで取り締らねばならない、こういう悪例があるという多くの事例をどの程度において取り締るかということが問題なので、これだけのものは取り締らなければならない、こういうことをした人は処罰しなければならぬという今までの資料によりまして、そうしてその限界を画することは必ずしもむずかしいことではないと思う。これをいかようにおきめになるかということは立法府の責任においてなされてしかるべきものと考えるのであります。それから、第二点の強姦あるいは強制わいせつ罪を非親告罪とする点についてでありますが、今おっしゃったようなことは、私が申し上げたことの反面の御観察であって、非常に傾聴に値すべきものであると思うのでありますが、被害者は苦しむけれども、被害者以外になおたくさんな被害を及ぼすおそれがある、こういうものについては非親告罪にした方が取り締りやすいのである、こういう御意見でありますが、ごもっともであります。その点は十分に私も考えるのでありますが、しかし、被害者の立場もそれと相並んで考えていただかねばならぬのではないかと思うのであります。この被害者は、輪姦された、あるいは強制わいせつ罪の被害者になったということが一度新聞にでも出ますと、これは一生を棒に振るような災難を受けることにも相なるのです。これは、自分の身内の娘や妹がそういう目にあったとした場合にいかように考えるか、われわれはどういう処置をとったらいいのか、これはやはり、告訴して犯人を罰するということは、なるほどそれは勇敢なほめるべき行為ではありますけれども、そういうことを果して自分の身内の者にさせる勇気があるかどうか、これは、そういうことになりますと、その被害者被害の上にさらに重大な被害をこうむることになって、それがために自分の一生を誤まるということも考えられることである。でありますから、これはどちらが全体として国のために利益かということの御判断を願って立法していただくほかにないと考えます。
  11. 戒能通孝

    戒能参考人 私、百八十条の改正案については非常に考えてみたのでございます。ただ、しかし、輪姦事件、強姦事件ということになりますと、法廷におきまして、被害者が証人になりますと、やはり性的行為に関する非常に詳細な供述などを実は反対尋問の際に要求されるのが現実だと思うのであります。そして、日本の新聞は幸いにして品位が非常に高いものでございますから、法廷記事もこういう強姦、輪姦事件というようなものを微に入り細をうがって報道するようなことはございませんけれども、しかし、イギリスの新聞などになりますと、刑事事件の報道、特に性犯罪事件の報道は非常に詳しいのであります。弁論の際、尋問の際に何と言ったか、非常に詳しく出しておる新聞が多いわけであります。日本にも不幸にしましてだんだんそうしたことが新聞や週刊雑誌等に出てこないわけではございません。そしてそれに基きまして興味本位に取り扱われます。しかも法廷記事でありますから、あまり名誉毀損の問題その他も起ってこないわけでございます。ときによると、わいせつ問題も起ってこない可能性もあるかもしれません。これらの点から申しますと、被害者の利益的なものも十分に考えてみなければならないと思いまして、私、今反対の意見を申し上げたわけでございます。しかし、この点につきましては私も実は大いに考えてみなければならないし、現在ここに出て参りますまでに十分考えてみたわけでございますけれども、やはり被害者というものの立場もよく考慮しなければならない、こう思ったわけでございます。  第二番目の、百九十七条の四の改正案でございます。これは確かに、おっしゃる通り、あらゆるものを処罰によりまして解決しようとしても、これはできないと思っておるわけでございます。ただ、しかし、公務員は俸給のほかみだりにあっせんによりまして報酬などを受くべきものではないと私は感じております。そのかわり俸給につきましては十分であることが必要でございまして、ある場合におきましては、特に日本の公務員の俸給体系におきましては必ずしも高くない、特に高官ほどある意味におきましては安過ぎることは事実だと思っておるわけでございます。従って、公務員の俸給問題については十分考えていただかなければいけないことだと思います。しかし、公務員は俸給以外にみだりに報酬などをもらうべきでないという立場が厳格に守られなければならないと思っておるわけでございます。ところが、従来の判例を見てみますと、高級公務員収賄罪というものにかかりました場合には、第一級の弁護士の方が何といっても弁護に当られまして、非常に堂々たる論陣をしかれることが多いのでございます。従って、高級公務員ほど無罪の確率が非常に高いようでございます。これに反して、下級公務員の場合は有罪になっておる事例が多いようでございます。しかも、下級の公務員の方になりますと、権限の範囲法律上きわめて乏しいわけでございます。従って、何かしてやるということになりますと、法規違反を実はやらざるを得ない、そして初めて何かやっておるということが起ってくるわけであります。これに反して、請託を受けてあっせん収賄をやる場合におきましては、高級公務員の方ですと、必ずしも不正な行為をしなくても、実は請託を満足させることができるわけであります。高級公務員の汚職というものが本来はもっと厳格であるべきではないかと思っておるわけであります。もちろん、率直に申しまして、現在の高級公務員は多くの場合におきましては公選公務員である場合が多いと思います。公選公務員の場合におきましては、選挙運動費その他が必要であることは私もわかっておるわけでございます。従ってこれにつきましては他の方面から政治献金を受けるというようなことは当然あり得べきことでございます。任命による公務員、それから公選公務員と分けて観察する方が正しいのではないか。現に、いただきました資料などによりましても、アメリカの法律ではこれは分けて規定しているようでございます。従って、この二つのものはやはり分けて考えるべきじゃないかと思っております。ただ、しかし、大臣あるいは次官というふうな方によるところのあっせんというものがあったら非常に困るというこことは、やはりお考え願わなければならないと思います。その点は厳格であることが大事だと思いまして先ほど申し述べたようなわけであります。もちろん、私も、一面におきまして、こういう規定がありますると、この規定はつまり起訴する場合においてすでに不正の行為をなさしめたということが非常に大事な問題になって参ります。従って、不正な行為をしなければ起訴できないという点におきまして、つまり起訴をしぼっているというふうになりはしないか。これに反して、凶器ということになりますと、これは起訴の場合にはかなり拡大される場合がございます。あるいは逮捕される場合にはかなり拡大される可能性がございます。これに対して判決の場合には凶器はある程度しばられるだろうと思うのであります。しかし、判決を得るまでに数年かからなければならないという事実もございます。これらの全体のバランスから申しましても、百九十七条の四が少ししぼりがきびし過ぎている、そして百五条の二あるいは二百八条の二の場合などは少し広げ過ぎているという感じがするわけであります。先ほど百五条の二について、小野先生が、「故ナク」という文字があるから新聞記者の取材などにつきましては心配は要るまいというようなお話を伺いまして、私もそうなることを期待するわけでございますけれども、しかし、その最初の段階でございます逮捕するとか起訴するとかいう段階におきましては、「故ナク」ということがそんなに大きな役割をするかどうか、私は疑問に思っておるわけでございます。
  12. 三田村武夫

    ○三田村委員 両先生の御所見、よくわかりましたが、輪姦の場合に私たちが一番心配することは、先ほど島田先生がおっしャったようにわれわれは立法の府として刑事政策上の問題を大きく考えてやっているのでございますが、実際に犯罪統計をとってみますと、現在すでに年間相当数の警察の手にわたる強姦罪があるのでございます。その中の五三%くらいのものは二十才未満の青少年によって起されている。これが実際思慮も何もなくぱんぱんとやっといくのでありまして、これはよほど刑事政策上考えていきませんと、被害者の人格も十分保護しなければなりませんが、同時に、新しい第三、第四の被害者というものをどうして防いでいくかということを考えなければならないということをわれわれは心配するのでございます。  それから、今の持凶器集合罪の点でございますが、これも現実に即した立法を考えておるわけなのでございます。お話のようなこん棒とかプラカードというようなものは目につきやすいのですが、もっと現実の問題は、グレン隊が三人か五人でパチンコを持って集めてくるのです。自分でポケットの中から拳銃を出しながら集めてくるのです。そういうのは新宿にでもどこにでも一ぱいおるのです。これは手当の道がないのです。それで、何々組とか何々組というのは、あそこに何丁拳銃があるとかいうことはみな知っているのです。それを背景にそれを威力にいろいろな悪を重ねるのです。現在の建前ではそういうものの手当がないのです。そういう現実の必要性からこの立法は考えられておるのでありまして、お話がありましたような、つまり労働組合とかいうことは、刑罰法、その刑法の中の書き方立法の形態からごらん願いましても、それは全然範疇の中にないのだということを御理解願いたいと思うのでございます。ここで先生方の御所見を詳しく伺っている時間もありませんが、どうぞそういう点から御理解願いたいということを申し上げて、私の質問を終ります。
  13. 町村金五

    町村委員長 佐竹晴記君。
  14. 佐竹晴記

    ○佐竹(晴)委員 私も時間が制限されておりますのできわめて簡潔に一、二の点をお伺いしたいのであります。  小野先生にお伺いをいたしますが、百五条の二について、本日の参考人の中にも、戒能先生のように、報道人の取材について大へん懸念を持たれておる方があります。これはひとり戒能先生のみではないと思います。ところが、この百五条の二の解釈に当りまして、小野先生は、「故ナク」という文字があるから、これでその危惧はないのだ、こういう説明を先ほどなさいました。しかし、これは刑法の大家であられる小野先生の講義等によっていつも現われておると思いますが、この「故ナク」といったような文字は、そんなに重きを置いて見ることができない文句ではなかろうかと私は思うのであります。一番よく問題になりましたのは、例の警察犯処罰令等が「故ナク」というような文字をよく用いておりますけれども、これは故意に関する認識があるかどうかということであって、それで、「故ナク」という文字を用いておろうとおるまいと、この文字があろうとなかろうと、結論においては変りがないというのがむしろ一般通論のように考えられます。そこで、この「故ナク」という文字を用いたから懸念がないようになっているという御説に対しましては、私どもなお不安であります。逆に、それじゃ一つ先生に伺ってみたいのでありますが、「故ナク面会ヲ強請シ」とありますが、そんなら、故あったならば強請ができるか、また強談威迫ができるか。先ほど、新聞記者であるから正当の業務だ、かまわぬ、こうおっしゃった。それなら、新聞記者であるならば、向うがいやであろうと、夜中に戸をたたいて、雨戸をけ破って入ろうが、あるいはどのような強談威迫をしようがかまわぬという、そういう理由はなかろう。つまり、「故ナク」という文字があるから正当業務はかまわないんだ、正当業務ならば、そんなら強請しても強談威迫してもかまわない、こういうふうに先ほどの御説はとれたのでありますが、「故ナク」という文字を用いたために何の懸念もないということになりましょうか、一つこれをお教え願いたい。
  15. 小野清一郎

    ○小野参考人 私は、この「故ナク」という文句があるから大丈夫だ、それだけを申しましたので、多少極端に、この文句に重きを置くとおとりになったと思いますが、大体、故なくというか、正当の理由がなくとか、不法にとか、そういうものはあってもなくても刑法の基本理論として、違法性——すべて犯罪が成立するには違法性が必要なんだということになっております。従いまして、この構成要件規定に「故ナク」があってもなくても大して違ったことにならないというのは、確かに通説でございます。しかし、私はそれと反対に言っております。やはり構成要件にはこれを入れるということに相当意味があるということを書いておって、これは通説ではないかもしれませんが、このごろは多少そういうふうに考えられる人があると思いますが、やはりこれは構成要件の上において「故ナク」といっておけば、その運用上それに注意を——少くとも、たとえば警察官であろうと検察官であろうと、一応それに注意するということがあるので、やはり、これがあるということが、乱暴な検挙などのないようにするためには一つの大切な区要素であると思っております。  それから、正当の業務であれば、たとえば新聞記者が取材のためならば、夜夜中たたき起してもいいかどうかというようなことですが、これはやはり具体的なそのときの状況に応じていろいろ考えてみなければならぬので、乱暴な新聞記者諸君に多分苦しめられた御経験からおっしゃったのかもしれませんが、そういう場合は正当の業務でないのですね。ですから、正当の業務、刑法の第三十五条の正当の業務という押えもありますし、それから、「故ナク」という——特にまた、たとえば新聞記者とかなんとかそういうものでない場合にも、たとえばこれはむしろ弁護士などが法廷の弁論を準備するために関係者に事実を聞きたいというようなことがあるので、これはぜひ正当な業務上の行為として認めなければならないので、それはそういうこともいけないのだという考え方が昔はあったようでございます。だから、われわれの先輩の花井卓歳先生なんかも、門下生に対してしばしば、証人に事前に面会するなんてけしからぬということを言われたということを、これはずいぶん私も交際をしておりましたが、直接聞いたことはございませんが、その当時の門下生の人から間接に聞いております。今日では、英米法の影響を受けた戦後の刑訴の考え方ではそういうことはないので、弁護の資料を得るために証人に面会して事実を突きとめるということは、むしろ公判そのものをなめらかに進行させるために必要なことになっておりまして、最高裁の刑事訴訟規則にもそのことがたしか載っていたはずと思います。それでありますから、いずれにいたしましても、百五条の二というものは、決してそのような新聞記者であるとか弁護士であるとか、正当な業務を行う人を罰する意味ではないということを御了承願ったらどうかと思っております。もちろん、それでもなお、乱暴な弁護士が夜中にあばれ込んだり、新聞記者が戸を破ったりしたら、それは正当の業務にはもはや属しませんから、それは取締りの対象に相なると思います。
  16. 佐竹晴記

    ○佐竹(晴)委員 小野先生のお話は、「故ナク」という文字があるから、その文字の反射解釈が正当業務と解釈せられるような御説でありましたから、そういった片言一句にこだわった、そういう「故ナク」という文字にあまり重きを置かせて大局を誤まるような御解釈はどうかというのが私の質問の趣旨であります。先ほどあなたのお話の弁護人の問題は私から申し上げようと思っておったのでありますが、昔は、御説の通り、弁護士は本人から事実を聞き、また許される範囲内の書証等を調べて、法廷において論争するのが弁護士のいわゆる正当の業務とされた。弁護士が証拠を探し回って、あるいは証人となるべき人々を訪問して取材をすることといったことが、その範囲まで正当業務であるかどうかということは、相当これは疑問であるし、前にはそこまでは正当業務とされなかったものと私どもは見ております。ところが、先生のただいまの御説の通り、最近の刑事訴訟法の建前においてはそこへまでいかなければ弁護士が正当の業務を執行することができないのだから、それはその範囲内では正当の業務である、そうなれば、そこでもし「故ナク」という文字を削って解釈したらいかぬので、弁護士が面会を強請し、強談威迫行為をいたしましても、これは私はいけないだろうと思う。それは正当の業務じゃなかろうと思います。そこで、そんな「故ナク」という文字があってもなくてもかまわないのじゃないかというまたもとの議論に返って参ります。ところが、先ほど先生もお認めの通り、実は通説としてはあまり「故ナク」という文字なんかは重きを置いて解釈されなかったことをお認めであります。ところが、それとは今は違うんだという今の御説であります。先生はその通説でないお考えで解釈をなさっております。ところが、一番問題になっております例のあっせん収賄罪でありますが、きょうは法務大臣も刑事局長もお見えになっておりますが、公務員あっせん収賄罪等については、極力その文字をしぼって、解釈の疑いのあるような文字を極力避けたのである、そしてなるべく判例その他に認められたいわゆる通説がそのままに適用されるようなしぼり方をしたのだという御説であります。ところが、小野先生の今の御説によりますと、「故ナク」という文字をもって、その反面は正当業務であるといったような御解釈をなさるし、しかしそれじゃ意味がないじゃないかと言うと、いや、それに意味があるのだ、意味を持たせておるのだと言う。これは、あなたが法務省の最高顧問であり、法制審議会のメンバーであるというお立場から、あなたの御発言が非常に重大だと思うのであります。こういう意味で、私は、やはりこの百五条というものには相当問題を残す、また将来危惧の念が特に絶えない、こういうふうに考えるが、いかがでありましょうか。  いま一つ、ついでにお尋ねをいたしておきますが、二百八条の二であります。「二人以上の者他人ノ生命、身体又ハ財産ニ対シ共同シテ害加フル目的以テ集合シタル場合ニ於テ兇器ヲ準備シハ其準備アルコトヲ知テ集合シタル者ハ二年以下ノ懲役又ハ五百円以下ノ罰金ニ処ス」とあります。ところが、先ほど先生の御説では、プラカードの柄であるとか、こん棒であるとかいったようなものはいわゆる凶器とはいわない、こういうことであります。しかし、ナイフ、きりのごときものを持っておったらいかがでございましょうか。これもやはり相当問題ではなかろうか。やはり凶器の解釈について、物だけを解釈することができぬことは、先ほど言った「故ナク」の解釈、正当業務の問題と同じように、他と関連して初めて定まるところの問題であって、殺すためにナイフを用意し、殺すためにきりを持ったならば、これは凶器ではなかろうか。凶器と解釈する者も出てくると思います。ナイフのごときは凶器として扱われておる判例はたくさんあります。けれども、その多くは鉛筆削りであります。鉛筆削りを凶器と解釈することは、これは穏当ではないと思われますけれども、しかし、実際の場合においては、ナイフも凶器のうちに数えられております。いわんや、きりをもってした場合、あるいはステッキの先に金具がついておって、その金具でもって人を突き殺したといったような場合には、これはやはり問題になろうと思います。決してこれは安易な解釈でちっとも御心配はないなどという問題ではあるまいと私は思うのであります。そこで、先生は、こういったような規定で、労働運動や農民運動、社会運動なんかを取り締る考えはないのだから、その面については安心だと、こういうふうにおっしゃいました。しかし、例の暴力行為等処罰に関する法律が出ましたときに、これは決して農民運動には適用いたしません、労働運動には適用いたしませんと、口をすっぱくして大臣も局区長もその際説明をなさいましたが、法律が通ったとたんに、一番先にやったのは小作争議です。そして最近においては労働争議にこれを適用いたしておりますことはもう通例であります。従って、政府当局の御答弁がその場限り、委員をして通過せしめるまでの間安心を与えるだけであって、これが法として一本立ちになって社会に歩くときには、国民はやはり不安の念を持っております。国民に安心を与えられるような御解釈を願いません限りにおいては、私どもは不安に耐えません。あっせん収賄罪において、局長は、極力公務員は関する限りは通常用いる言葉を用いる、判例でも定まった通常語を用いて誤解なからしめることを期したと言う。そうするならば、公務員だけをそれほど擁護することはありません。一般大衆に向ってもこれを擁護するだけの用語の用意が必要であると思います。この点に対していま一言御所見を承わっておきたいと思います。
  17. 小野清一郎

    ○小野参考人 最初にお断わり申し上げますが、私は政府委員として答弁しておるのでも何でもございません。私個人としての、刑法学者としての私見を述べているのです。さっきの通説云々も、ですからあまり学説的にあれこれ考え過ぎてかえって誤解を引き起したように思うのございます。「故ナク」ということがあろうとなかろうと、刑法の第三十五条のある限り、いいとも言えますということを多くの刑法学者も考えていると思います。しかし、私は、先ほども申し上げましたように、「故ナク」ということをもう一度ここで刑法の各本条でリマインドする、もう一度「故ナク」ということに力を入れる、そこにストレスを置くことによってこれの適用を慎重にするという効果がある。これは何も政府委員としてでも何でもなく、学問的にそういうことが言えるのでございまして、やはり「故ナク」という文句は一つのしぼりになる。これは決してぼやかすためではなく、しぼりになる。私はそう考えるものであります。それが第一点。  それから、第二点の御質問ですが、第二百八条の「兇器」という言葉は、どうも多少あいまいな点がございまして、旧刑法のもとにおける判例などを見ましても、すっきりしない点があることは私認めるのです。それで、このかわりに、たとえば危険なる器具、そういうような言葉で置きかえてみようともいたしました。しかし、結局かえってそうすることによってそれこそ乱用の危険な規定になるおそれがあるのじゃないかというので、やはりもとに返って「兇器」にいたしましたのです。「兇」の字は道徳的な悪さをいう。この規定をできるだけ事実的な価値観念を離れたものにすることによって犯罪の成立の限界を明瞭にするという効果もありますが、しかし、いかに努力してみても、人間の生活というものは、やはり道徳感覚というものがその根本にあるのですね。だから、その「兇器」というのは、多分に道徳感覚をもって解釈しなければならないものである。これも私の学説でございまして、そういうふうにみんな解釈するかどうか、これはどうも多数の刑法学者のうちにはそんなことを一向考えない方もありますけれども、私は、道徳感覚を持った社会的な倫理的な価値判断というものが根底にあって、それでもって解釈する以外に正しい解釈というものはできないと思う。また、正しい規定をしようとしても、それを無視したら正しい規定にはならない、こう思っておりますので、それで、さっき私があげました例の野球のバットとプラカード、これはなりませんと、おそらくは実務においそも判例においてもそれは凶器でないということでありましょうと、こう申し上げた。もちろん、どんな規定をいたしましても、一たんそれが法律となって立法された以上は、その解釈は裁判官の手にゆだねられますので、立法府といえどもそれをこうせいああせいとは言えません。そのときには立法の手段に訴えて改正すればそれは一つの方法でありましょう。それ以外には、解釈を立法府といえども制限はできないと思う。もちろん、政府委員がここで何と答弁しようとも、あまりそれを御信用になってはいけません。そういうものではないのです。また、われわれ刑法学者がこれを言おうとも、微力でございまして、刑法学者の言う通りに実務が運用されるものではございません。常にその間にはあるギャップがありますよ。ありますけれども、大体の傾向といたしましては、結局は有力な学説がリードいたします。それから政府当局の考え方もやはり影響いたします。それは、立法の際に立法府において意図されたところをはなはだしく離れるような解釈は、裁判所といえどもいたしません。それはお互いに多少ずつ理解し合っていくほかないじゃないですか。言葉のやりとりですからね。そうしますと、凶器というものには、ほんとうの日本刀であるとか、あいくちであるとかいうような初めからはっきりした凶器もある。性質上の凶器というか、そういうものに持っていって——旧刑法時代に認められておる判例をお読みになるのにも、判決文の文句だけでよく人は議論いたしますけれども、私はそういうことはしない。そうじゃないのです。さっき申し上げました二つの例は、はっきり、こういうものはどうか、こういうものはどうかという具体的の例で言っておる。一つはなたです。なたは、まきを割るためのものですが、場合によっては人を殺せます。ですから、それを持ってどろぼうに入ったという場合になれば、持凶器の窃盗である、こういう旧刑法時代の大審院の判例があります。それから、もう一つは、出刃ぼうちょうと、それをとぐやすりとを持って入った場合、これも、お勝手でお魚を料理するために用いられる限りは、ほうちょうは何ら凶器ではないと思う。しかし、どろぼうに入り込むためにそれを持って入ったとなれば、やはりこれは凶器とせざるを得ないのであります。そういう二つの例がある幸い、きっとその点が問題になると思いましたから、ここに製本した判例集を持って参りました。他にもございますから、いろいろとお目にかけることができると思います。  そこで、今具体的に御指摘になりまたのがナイフであります。鉛筆削りのナイフ、これはなりません。しかし、たとえばシャック・ナイフ、よく私ども子供のときにそれの小さい格好のは鉛筆削りにも使ったことはございますけれども、それはおのずから常識判断でして、かなり大きなジャック・ナイフなどは、用い方によっては凶器であろうと思います。用法による凶器と言えると思う。それから、きりという例をあげられましたが、これも大工さんが普通に普請をするのに用いる限りはもとより凶器ではございません。しかし、これは私はかなり限界的だと思うので、野球のバットやプラカードと違いまして、場合によっては、きりのようなものも凶器と解される可能性はございます。けれども、今私は裁判するのじゃないのだから、それをどう裁くかはそのときの裁判官の意見によってきまることであって、用法上凶器であると認められる単にこの場合は可能性があるという程度にお答えするほかないと思います。いずれにいたしましても、国民の不安というものは、私も大いに除かなければならないと思うのでございまして、凶器という言葉のかわりにもっと適切な用語があるならばと思っていろいろ考えたのでありますけれども、しかし、結局やはりもとへ戻って、旧刑法時代から用いられ、現在においても暴力行為等処罰に関する法律等におきまして現に用いられている既成の概念でありますから、ここへそれを持ち込むことも、用語としてはなはだしく不当なものであると言うことはできないと思います。  いずれにいたしましても、第二百八条の二がもし乱用されるならば、これは大へんなことになるということは、お説の通りでございます。しかし、今規定といたしましては「他人ノ生命、身体又ハ財産ニ対シ共同シテ害加フル目的」が必要でありますから、普通の組合運動、団体交渉等においてはもちろん、大衆運動というような場合でも「共同シテ害ヲ加フル目的」で集合しない限りは、まずこれを適用される心配はない。この目的というものを、実は凶器まで——現実に凶器準備しないでも、凶器でもって害を加うる目的というふうに初めは書いてあったのでありますが、法制審議会の審議の過程におきまして「凶器準備シ又ハ其準備アルコトヲ知テ」という、これを客観的な面から限定することにいたしました。すなわち、法制審議会において、この点は法務省原案よりもさらにしぼりをかけたという過程であることをこの際御了解願いたいと思います。
  18. 佐竹晴記

    ○佐竹(晴)委員 もう時間がありませんから、私はただ一言だけにいたします。  「生命、身体又ハ財産ニ対シ共同シテ害加フル目的ヲ以テ集合シ」とありますが、労働争議の場合には何も心配がないようなお説でありますけれども、これは解釈のしようによりますとどうとも解釈されるおそれがある。労働者が多数集まって賃金の値上げを要求するということは、向うに支出を多くさせるということであります。ときによっては、そのためにまた多大なる財献上の損害を会社に与える結果を招来するというようなことは通常あり得ることなんであります。それが一面罷業権があるのだから正当の業務だと御解釈になるならば、その面からはっきりと、それは正当な罷業権、権利に基く権利行為だ、だからその点心配がないという御説であるならば、私どもはある程度納得がいくのです。ところが、先生そこまでは御論及にならない。「共同シテ害ヲ加フル目的ヲ以テ」とあるから、その点は安心だとおっしゃいましても、たとえば農民なら農民が小作争議をやりましても、地主に対してやっぱり損害を与えます。多数集まって一つの地主に対抗しますならば、共同して一つの地主に対してそれは害を加うる目的でやったんだ、そこでそのくわを振り上げて暴力をふるった——くわもやっぱり凶器の一つに数えられた場合いがあります。労働者がハンマーをふるって殺した場合に、これは一つの凶器として没収せられた例もあります。これはもちろん下級裁判所のことでありまして、最高裁へ行って通ずるかどうかわかりませんけれども、このようなことでありまして、先生もずいぶんいろいろと御解釈をなさっておられます通り、国民に対してそれなら絶対に安心を与えられるかといえば、なかなかそうはいかぬと思います。自分たちが言うことでも、あるいは政府及び大臣の言うことでも、局長の言うことでも、何が何と言おうとも、必ずしもそれは安心ならぬということを、やはり参考人もお認めであるし、それが法務省の最高顧問でございますので、一応信用して聞かなければなりません。これでは国民はこんなひどい法律を作られたら困るじゃないか。小野先生、これを一つ引っ込めるようなことに、最高顧問として御配属願えませんでしょうか。
  19. 小野清一郎

    ○小野参考人 申し上げます。労働組合法第一条のあることは御承知の通りでありまして、また、刑法三十五条があって、この刑法の第三十五条の「正、当ノ業務ニ因リ為シタル行為ハ之ヲ罰セス」という規定、これがまた一般に広く正当な行為は罰しないというような意味に解されておる現在でございまして、あの労働組合法第一条も、無用といわば無用と思いますけれども、にもかかわらず、やはり労働運動に関係していろいろ権力の乱用があってはならないというところから、ああいう規定があるのだろうと思います。あそこでも、しかし暴力はいけないぞということを最後にうたってあるはずでございます。ですから、労働運動というものは、これは、普通の刑法第三十五条のある上に——さっきの「故ナク」と同じことでありまして、刑法第三十五条があるのだけれども、組合の団体交渉その他の正当な行為は合法なものと認めるのだということをやはりあそこでリマインドしてあるのだと私は思うのであります。そこで、この第二百八条の二には直接ございませんけれども、御心配になるような場合は、労働組合法第一条の二を御引用になれば、それでいいのではないかと思うのであります。  次に、文句の上から申しましても、「財産ニ対シ共同シテ害ヲ加フル」ということは、実を申せば、この「共同シテ害ヲ加フル」というのは、凶器をもって害を加えることなのです。ですから、その意味では、法務省の原案の方があるいはお気に召したかもしれません。凶器をもって害を加える目的で、こう書いてあった。それを、法制審議会では、ただ凶器を、それをみんな目的の中に主観的にのみ規定したのではそれは、主観というものは、いいかげんに突つき回され自白するおそれもあるしというので、客観的要件に持って回ったのです。もちろんその凶器は客観的な要素でありますけれども、それを振り回すということを主観的——これは犯意の、当然刑法の理論によりまして、主観的にも凶器をもって害を加える目的というように解釈しなければならぬのだと思います。かえってこれを前の方に持ってくるのがお気に召すならば、その方がいいかもしれません。
  20. 町村金五

    町村委員長 林委員。
  21. 林博

    ○林(博)委員 あっせん収賄罪の点について簡潔に一点だけお伺いいたします。  先ほど島田先生は、この法案がざる法案だというようなことを仰せられたのでありまして、また戒能先生もこれと同意見だというような仰せでございました。そうして、そのざる法案だというゆえんの第一の点は、要するに「不正ノ行為」という点でしぼっておるからにほかならないというような御意見であったようにお聞きするのであります。しかしながら、私どもは、これは決してざる法案だとは思っておりません。御承知のように、「不正ノ行為」の解釈につきましても、何か当初は法令違反だというようなお話もございましたが、だんだん突き詰めていきますと、これは判例によっても職務上の義務違反だというお話であります。しかも、職務上の義務違反だというようなことは、どれが具体的に職務上の義務違反だということになると、必ずしも明らかではない。小野先生に非公式にお話を承わりましたが、それは終局においては最高裁判所において決定さるべきものだというようなお話であったのであります。そういうことになりますると、この適用を受ける者の側としては、職務上の義務違反ということは果して具体的にどういうものであるかということが相当疑問が出てくる。そこで、この適用は相当厳格になさなければならないと同時に、判例においても画一的な解釈がなされ、また検察当局においても相当明確な基準を持たなければならないと考えるのでありまするけれども、また、適用される部面におきましては、そういうような職務上の義務違反ということがはっきりしないから、うかつなことはできないということなのであります。従って、その解釈の部面におきまして、場合によっては検察ファッショというこことも起って参りまするし、また、この適用を受ける公務員といたしまして、また国会の議員といたしましては、相当それらの面において戒心をいたすという心理的な効果が相当あると私は考えるのであります。  そういう意味におきまして、このあっせん収賄罪ができるということによりまして、非常に心理的な効果を議員あるいは他の公務員に及ぼしまして、私どもは相当な効果をあげ得ると考えるのでありまして、私は、もしあっせん収賄罪がざる法であるというのであるならば、一番ざる法であるのは一体どの点であるかと申しますと、やはり第三者供賄の点であると思うのであります。この第三者供賄の点だけは、金をもらって、たとえば後援会に寄付するとか、あるいは政党に寄付するとかいう場合には、明らかにこの法案に引っかからない。明確に説法行為ができると思うのは、第三者供賄がこの脱法行為になる。この点が、ざる法であると言われる唯一の点であると私は考えるのでありますが、この点につきまして御三者とも何らの御説明がなかったのでありますが、この点について三先生の御意見を承わりたいと存ずるのであります。  なお、いま一点だけ、これは小野先生に承わっておきたいのでございますが各国の立法例でございます。売春防止法のごときも、ざる法だざる法だと言われながら、翻訳して外国へ持っていきましたところが、大へんりっぱな法律だというようなことが現在では言われておるという話なのでありますが、この立法に非常に参画せられました小野先生に、各国の立法例に比しまして今回のあっせん収賄罪が果してどのような地位にあるものか、各国に対して恥かしいものでないのかどうかというようなことにつきまして、これは特に小野先生から御意見を承わりたいと思います。
  22. 島田武夫

    島田参考人 あっせん収賄罪について御質問でありますが、一体、収賄罪というのは、職務に関して不正な利益を得るということがその本質であると思うのですが、公務員が他の公務員あっせんして何かやらした、そのことに対する報酬を得るということが、これがあっせん収賄罪特徴ではないかと思うのです。不正なことをさした場合だけがあっせん収賄罪になるので、当りまえのことをさしたら幾ら報酬を取ってもいいということにはならぬのじゃないかと私は考えるのです。不正なことをした、あるいは相当のことをしないということが重点ではないのであって、何かやらして自分あっせん料を取るということが、これが禁止する眼目じゃないかと思うのです。ポイントはそこにあると私は考えるのです。だから、やらした他の公務員が何をやったかということまで突きとめてこれを詮議することは、これは第二段の問題で、非常に悪いことをさした、あるいはそれほど悪くないことをさした、あるいは正当のことをさした、いろいろあるでしょうが、これを区別して考える必要は収賄罪としてはないのじゃないかという考えがするのです。そういう意味骨抜きになったと私申し上げたのですが、ないよりあった方がいいという御意見でありますが、その点につきましては議員各位の御意見にまかせるほかありません。  それから、第三者に利益を供与した場合についてでありますが、時間を節約したために省略いたしたのでありますが、私は第三者に利益を供与した場合もこのあっせん収賄のうちに加えていった方が本来の目的に合するのではないか、こう考えます。  大体の私の意見をお答えいたしました。
  23. 戒能通孝

    戒能参考人 私も第三者供賄の点を申し上げなかったことは大へん申しわけございませんでした。まさにその点も非常に大きなざる法でございます。  なお、不正な行為と申しますと、判例に現われた事件を考えてみますと、たとえば、県会議員が依頼を受けて投票日にわざわざ欠席をしたというような場合、あるいは警察公務員が証拠の収集を途中でやめた、あるいは競売の官庁予算を大体秘密にすべきものを内示したというのが、不正の行為ということになっているようでございます。つまり、何か悪いことをしなければ不正の行為とは言えないということになるわけです。ところが、実際問題になりますと、法律上は少しも悪くないという場合がずいぶん多いと思います。行政上、甲にしても乙にしてもいいという裁量権がある場合が非常に多い。裁量権の通常の行使でありますと、必ずしも不正の行為とは言えないという解釈が出てくるだろうと思う。その意味におきまして、不正の行為というのはやはり一番大きな抜け穴になるんじゃないだろうかという感じが、百九十七条の四からするわけです。元来、刑法改正案をずっと見て参りますと、百九十七条の四というのは刑法に入れてしかるべき条文だったと思います。百五条の二及び二百八条の二というのは、むしろこれは特別法にする方が正しかったんじゃないかと思います。私もグレン隊のお礼参りなんかおもしろくございませんししますので、これはある程度まで制限すべきだと思います。それからまた、ばくち打ちが凶器を持ち鉄砲を持って集まるなんというのは非常におもしろくございません。これは何らかの取締り規定が必要だろうと思う。しかし、これらの点をもし特別法にするとなりますと、たとえば凶器というふうなばく然とした言葉を使わないで、はっきり定義することができたんじゃないだろうか。これを定義いたしますと、たとえば爆発物取締罰則によるところの爆発物、それから銃砲刀剣類等所持取締法によるところの銃砲刀剣、あるいはなた、あるいは出刃ぼうちょうというふうな例示をすることができたと思うのであります。ところが、刑法に入れるとなりますと、凶器というふうな割合簡単な言葉を入れないと、ほかの条文との間につり合いがとれない。こっちに入ってきたために非常にばく然たる言葉が入ったんじゃないか。お礼参りにいたしましても、お礼参りをとするということをゆっくり書くことができるとすれば、おそらく百五条の二よりももっとはっきり書くことができたんじゃないかと思う。ところが、百五条の二は刑法に入ってしまったものですから、場合によれば新聞記者の取材活動なんというものもひっくくってしまうという場合も起ってくる。特に、管生事件なんという非常に変な事件があったことは非常に残念ですが、あんな事件があった場合におきまして、実際上新聞記者の取材活動ができない。また、あの事件などにいたしましても、新聞記者の取材活動があったものだから戸高公徳というものが出てきたということがあるわけでありまして、それをすべて面会の強請だからだめだといいましてはねつけてしまいますと、何もできないということになるんじゃないか。ときによりますと個人の人権というものにも非常に強く関連するような事件が起ってきはしないかと思うわけです。こういう点から考えまして、百九十七条の四は、これは刑法に入れてしかるべき規定であり、そしてまた、この規定だけが刑法に入るということになって参りましたら私はこれでもよかったと思っているのでございますが、他の規定と一緒に入ってきている。ただ、他の規定は非常にばく然とした条件が入っている、この規定だけいやに厳格だというところに、非常にアンバランスな感じがひどくするわけです。もちろん、結論から申しますと、私も、たといざる法であるにしても何にしても、法律がないよりもある方がましである、そうして、あっせん行為などによりまして報酬をもらうということは非常にけしからぬことだ、そういうことはやはりやめた方がいいと思います。もちろん刑罰によってやめるなんということははなはだ邪道でありますけれども、しかし、やめるような条件というものを作っていくべきじゃないかと思うので、これは賛成していいと思います。しかし、他の条文との関連から申しまして、それらが刑法に入ってくることに私は疑問があったと思います。  大へん恐縮でありますが、ちょっと一口言わせていだきますと、労働運動ということにおきまして、とかく、これが暴力とか騒ぎというものに関連する事件になりますと、これは多くの場合強力な組織のある確固とした組合の事件ではないように思うのでございます。むしろ、弱体な、そしてある場合におきまして、従来争議経験のほとんどない組合に起っているようであります。これは無理もないことでありまして、組合の委員長というようなことを申しましても、従来社長さんとほとんど話をしたことがない人たちでございます。全く社長さん、重役さんは雲の上の人であり、何か次の間からものを申し上げなければならなかった人が委員長になるのでありますから、こういう人たちが社長さんとの団体交渉に行くというようなときには、何か踏み切りをつけなければ、実際団体交渉ができないのでございます。従って、うしろから応援歌を歌ってもらう、それで初めてヤッといって飛び込んで行く。そうして、普通の言葉を使ったのでは何か圧倒されるような気がする。ですから、社長に向ってお前たち、あるいはきさまというようなことを言う。そうなって参りますと、社長さんの方は、こんなことをやられたことはございませんから、こいつということになりまして、必ず感情的ないきさつが出てしまうわけでございます。その辺からして、組合というものはけしからぬから、ほかの者を雇ってきてあの連中を退散させろということになって参りまして、そうしてだんだん激突事件になってくるということが多いのでございます。このような場合におきましては、どうしても感情的行き違いというものがくっついてくるものでございますから、未組織な、組織の弱い、争議経験の少いほど、だんだん組み打ちになったり、あるいはときによりますと棒切れを振り回すというようなことが起ってくるということを、私は実際経験から申し上げていいと思うのであります。確固とした組合におきましては、組合の代表者が社長さんとお話をする場合におきましても、ちゃんと普通の言葉を使いますので、やはり社長さんも、ああ、そうだ、というように言いまするが、しかし、弱体組合ほど、乱暴な言葉を使わないと交渉ができないという、心理的な威圧感をすでに受けているのでございます。ですから、弱体組合ほど逆に争議行為が外から見て参りますと暴力的に見えるという形態を示すものでございます。そのときに、どうしても、旗を振り回す。あるいは旗の一部が折れて、それが棒になって、それをその場で振り回すというようなことが起ってくるわけでございます。その結果としまして、二百八条の二のような規定が置かれますと、ともすれば弱体組合の幹部が逮捕されてしまう、そうして組合がそのまま総くずれになってしまうということが起ってくるのではないかという懸念を持っておるわけでございます。もちろん、何年か先になれば、これは無罪の判決を得るかもしれませんけれども、しかし、弱体組合におきましては、法廷闘争資金というようなものを集めることもできないという場合もしばしばございます。弁護士に十分に頼めないということも起って参ります。ですから、逆にこれが弱い判決を受けるということにもなるんじゃないかと思うのでございます。そういうような点で、二百八条の二、百五条の二というような規定は、むしろ刑法から取りはずして、そうして特別法にする、労働運動その他に適用されないことを明らかにするような条件をはっきりさせる、そうして明白な規定にしていただく。ときによりますと、見た目にはあまりきれいな条文にならなくてもいいと思います。きたない条文になってもいいと思いますから、できるだけ例示した条文にしていただけたらいいと思っているわけでございます。
  24. 小野清一郎

    ○小野参考人 第三者供賄の点は、法制審議会の審議過程におきましても最も大きく問題として取り上げられた一つの点でございました。結局しかし、原案通り、第三者供賄はこの際は一応その規定を設けることを差し控えるということに多数できまりましたのです。なぜそうなったかと申しますと、第三者といううちにもいろいろありまして、たとえば政治家の後援会、ほとんど個人と異ならない、いわば一心同体の後援会もございますし、そういうものに報酬を入れるということは、ほとんど自分のポケットに入れると同じではないかというふうにも考えられます。しかし、他方、たとえば育英資金にするとか、あるいは社会事業、宗教事業などの団体に寄付の意味でどれだけかの金を供与するというようなことになりますと、どうも、どこまでを罪に入れていい、どこまでを処罰限界内におくか、非常にむずかしい。これまた、第三者供賄の規定を設けることによって乱用が起っては困るというので、結局第三者供賄の規定を設けないということに決定したわけでございました。しかしながら、附帯決議でもって、将来この改正法を実施した上で、また目に余る第三者供賄というようなものが行われて公務員の品位を傷つけるというような事実でも起って参りました際には、これはさらに立法上の手当をしなければなるまい、そのことについて、当局に、そういう際にはすみやかに立法上の手当をすることを要望するといった意味の附帯決議が行われたわけでございます。  それから、立法例のことでございますが、これは法務省刑事局から一応印刷したものを差し上げてあるようでございます。それをごらんになればわかりますが、フランスあるいはアメリカの連邦刑法、各州の刑法の中にいろいろ規定がございますけれども、いずれも具体的で、たとえば、フランスなんかだと、「勲章、記章、栄誉もしくは賞与、地位、官職もしくは雇傭その他公共機関によって与えられる何らかの恩典、取引、請負その他公共機関あるいは公権力の統制下にある施設との契約から生ずる利益、又は、いかなるものであるにせよ公共機関もしくは施設のする有利な処分をえさせるため、又は、これらをえさせることをはかるため、利益の提供もしくは約束を要求し、これに同意し、又は、金品を要求もしくは収受し、これによって現実のもしくは想定される影響力を乱用したものは」云々というような、どうも私どもおもに同じ大陸系統でもフランスよりはドイツの方を——古くはフランスを学んだですけれども、明治三十年ごろからずっとドイツ法の簡潔な概念形成になれてきた者にとりましては、どうもぞっとしない。それから、アメリカの連邦の刑法または各州の刑法でも、どうもあまりすっきりしないのでして、せめて参考になるのは、最近の立法なんでございますが、ユーゴスラビアの刑法、これは一九五一年の刑法、それの第三百二十四条、それからチェコスロバキアの一九五〇年の刑法、それの第百八十三条などが比較的簡潔で要領を得ているのですが、もし乱用をおそれるという点から言えば、これらの規定も十分御検討していただきたいと思うのですが、決して十全な規定ではないと思います。それに比べて、日本の今回の法案は、自分関係したものでありますから自分で言ってはなにですけれども、概念要素はすべて従来の刑法収賄罪規定にある概念形式を用いておりますが、できる限り乱用されないように、また、骨抜きというよりは骨だけは、この中核だけはどこまでもとらえていくようにという目標のもとに相当苦心を重ねて参りまして、法制審議会においても、いろいろと立法例等を参照した上でこんなことではないかという結論に到達したことでございます。その事実を申し上げておきます。
  25. 町村金五

    町村委員長 猪俣君。
  26. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 小野先生にちょっと伺いたいのですが、第十九国会におきまして社会党からあっせん収賄罪処罰の法案を出し、先生は公述人として公述していただいたわけです。その際に社会党の案に対して賛成をされておれらました。そこで、御答弁がなかなか困雑な質問になるかも存じませんが、社会党案と現在政府の出された案とを比較されて、ほんとうに政界の汚職を根絶するというには社会党案が適当だと思うておいでになるのではなかろうか、ただ、現実、自由民主党という政党を納得せしめて、これを法案として実際に法律を作ろうとするにはちっと工合が悪い、そこで水で薄めて自民党諸君に飲ませることのできるような法案という意味で政府案に賛成されておるということじゃないかと考えられるのですが、ざっくばらんに、あなたは法律そのものを比較されていずれが適正な法案であるかということを一つお教え願いたいと思います。
  27. 小野清一郎

    ○小野参考人 今回のこの会期の社会党の案というものは実はまだ拝見しておらないのでございます。それで、かつて私が、あれは昭和二十九年のときでありましたか、提出されました案に確かに賛成をいたしました。それは、そのときの案は、第百九十七条の四として「公務員地位ヲ利用シ他ノ公務員職務ニ属スル事項ニ関シ斡旋ヲ為スコト又ハ斡旋ヲ為シタルコトニ付賄賂ヲ収受シ又ハ之ヲ要求若クハ約束シタルトキハ三年以下ノ懲役ニ処ス」、もしこれが通りますならば私もけっこうと思います。ただ、その際に、「其地位ヲ利用シ」云々という「其地位ヲ利用シ」というこの一句があいまいである、乱用のおそれがあるという御心配がこの立法の中にあったように記憶しております。先ほども申し上げましたが、今回の案も趣旨はちっとも違わない。ただしばらく「其地位ヲ利用シ」というものをちょっとうしろに引っ込めただけであって、内在的にはやはりこの意味を持っている。ですから、この精神で解釈しなければならないと思います。なぜこれを引っ込めましたかというと、それは、一方においてこれでもってしぼるようにもあるが、またこれでかえって広くばく然とした概念というもの——抽象的な概念というものはとかく広くも解されるおそれがある。それもある程度適当な限界まで広く解釈するならよろしいですけれども、度が過ぎていきますと、現在の状況においては少くとも刑罰をもって干渉すべき行為でないものまでも罪に入れるというようなことになりまして、これは政治的にもはなはだおもしろくない結果になると思います。そこで、「其地位ヲ利用シ」ということはしばらく内在的な理論として背後にちょっと引っ込めまして、そのかわり、今回の案では、正当な行為とか、相当行為とか、これはばく然だと言われれば確かにばく然でありますけれども、またしかし、しぼり過ぎているというおしかりもあるわけで、なかなか立法の技術というものは、あっちを立てればこっちが立たないというようなことで、むずかしい次第だと存じます。要するに、社会党の案と今回の政府案とは本質的にはちっとも変っていない、こういうことが言われると思うのです。従いまして、今回の案が成立しました暁には、その解釈の方針といたしましては、やはり「公務員地位ヲ利用シ」云々というこの精神でいかなければいかぬのだ、こう信じております。
  28. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 今、社会党案と政府案と比較されて、本質は同じだと申されておりますけれども、私どもは非常に本質が違っておると思うのです。形の上では似ておるようだが、違っておる。なぜならば、社会党の案は、公務員の廉潔ということを第一義に強調した案である。ことに、国会議員というものがとかく世間の批判の的になっておりますから、この国会議員の信用を高め品位を高めるというようなことが非常に立法の動機に相なっておるわけです。その意味からしますると、社会党の案でないとその目的は達しられない。しかし、今先生とここで議論をやっても始まらぬ。先生は第十九国会では社会党の案に賛成されておる。ことに、この地位を利用するということは、わいろ罪の本質からやはりこの地位を利用するという説明をされておるのであります。これは速記録に残っております。しかし、実際具体的にこの国会でこの法案を成立させたいという御熱意から、次善の案として、多少ざるだけれどもこれを立案されたというのが本音じゃないか。今あなたにそういうことを自白させることも意味ないことですから、私どもそう推察だけしておきます。  そこで、なおお尋ねいたしますが、この政府の原案によって、具体的に言いますならば、昭和電工事件が一体有罪として処罰できるかどうか。なぜこの質問をするかと申しますと、このあっせん収賄罪なるものの規定を置くべきことは古くから唱えられました。牧野英一博士に言わしめるならば、この地位を利用するということだけでも十数年の研さんを加えたということを公述人としておっしゃいました。そこでこれは長い間の懸案でありましたが、これが世論化してきました。世論の相当の支持を受けてきましたのは昭和電工事件が契機であります。御存じのように、当時の第一線の検察官が、あっせん収賄罪があるならばこの事件はみごとに処罰できたのであるが、これがないばかりに無罪になったということを、第一審判決があったときに感想を漏らされた。これが相当世人に衝動を与えました。そこであっせん収賄罪なるものが世論に乗ってきたことは、これは何人も否定できないことです。このあっせん収賄罪が世論の支持を受ける原動となったと思われる昭和電工事件が、果して、検事が言うがごとく、今日政府の提案によって一体処罰できるかどうか。芦田さんのやった行為が一体処罰できるかどうか。もし処罰できないということになりますと、何が世人は裏切られたような感じを持つだろうと思う。あっせん収賄罪はどうしても作らなければならぬというので、これが世界の腐敗を根絶する一つの方法なりとして、相当世論の支持を受けております。しかるに、実際は、汚職追放の一環なりとして提案せられておりましても、これがざるであって、昭和電工事件も取り締まれないということになると、これはまた問題になってくる。そこで、あなたの御解釈によりまして——あの判決も御研究だと存じます。私は今具体的にここで申し上げませんが、芦田氏の行動が一体本案で処罰できるかどうか、処罰できないとすれば、それは一体どこにあるかという点を承わりたい。
  29. 小野清一郎

    ○小野参考人 罪刑法定主義を建前といたします現在の法制のもとでは、社会倫理的に見ましてはなはだしく不都合である、放置することはできないという、いわば世論の公憤を買うような行為でありましても、もとより刑法処罰ということができない次第でございますことは御承知の通りでございます。具体的な事件といいましても、今特に昭和電工事件を取り上げられたのでありますが、あれも非常に複雑でありまして、後には全く昭和電工と何ら関係のないところに検察当局がいろいろと追究の手を広められたので——私は率直に言って昭和電工事件なるものの核心は確かに有罪な事実があったと信じておりますが、少し手が延び過ぎていた。それが公判において無罪を出した原因になっていると思っております。御承知のように、個々のグループも幾つかのグループがあり、グループではなしに一人だけ起訴されまして早く片づいたものもあります。そういうことでありまして、今回の法案がかりにあったとしたらばあの全部が果して有罪になるかどうかということになりますと、私はそれでも無罪になる事件もあったのじゃないかと思う。また、それについて検察当局としてはいろいろのそのときの捜査に基いてやられたのでありまして、良心的に起訴されたものであるが、裁判官がまた良心的に裁判すると、結局、ひっきょうするに無罪であるという結論が出る、これを絶対にやめるというとは、私は人間の仕事である限りはできないと思う。ですから、検察の行き過ぎということは極力戒めなければならぬ。いわゆる検察ファッショというようなことになりましたならば、やはりいけないのです。そうかといって、無罪を出すということは全くまつ黒な黒星には相違ありませんけれども、良心的であっても、なおかつ裁判所が見るところは検察の見るところと多少見方も違いますし、またその後いろいろの証拠調べを厳格に行うのでありますから、そこで無罪になるという結果になることもあり得ることである。それがそうなったからといって、必ずしも良心的な検察をそう非難はできない。しかし、いかに良心的といっても、検察ファッショといわれるようになることは、今後十分検察当局に対して私はそういうことのないように慎重であることを希望したいのであります。  たまたま芦田というような名前が出ておりますが、私はあまり個人の一人一人の責任には触れたくないからお答えはいたしませんが、たしか第一審の判決には、はっきり、あっせん収賄罪がないということがその理由の中に書かれてあったかと思います。第二審の判決には、その点は必ずしもはっきりした、あっせん収賄罪があったら云々というようなことはございません。ですから、あの判決がこの新しい立法の後にどうなるかということは、これはやはりさらに問題として慎重に検討をさるべきであろうと私は思います。ここに私の私見は申し述べたくございません。御了承願います。
  30. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 昭和電工事件の具体的個人の行為を離れまして、抽象的にお尋ねいたしますが、あなたも立案に参画せられた御一人として御所見を承わりたいのですが、同じ閣僚の一人が大蔵大臣に対しまして、ある特定の業者に政府が当然払わなければならぬ金をただ他の業者よりも早く支払わせた、いわゆる請託をして、閣議の席上であろうがどこであろうが、とにかく何々に対する政府の支払いを早くやってくれと請託をした、それで大蔵大臣は支払いを促進せしめたといような行為、あるいは、閣僚の席にある人が、政府の監督に属しますところの日本銀行、興銀あるいは勧銀、あるいは開発銀行というような銀行に働きかけまして、大臣が頭取に対して、だれだれ、あるいは何々会社に一つ融資してくれ、担保を十分出させるはずであるから、こういうふうな懇請に基いて担保を取って融資した、その大臣の話がなければそんな会社には銀行は融資しなかったかもしれないが、大臣から特に頼みがあったために興銀や日銀あるいは勧銀の頭取が特別な配慮でもって融資をした、そこで、こういう二つの行為だけならば問題はないでしょうが、その報酬として金品をもらった、早く促進さした、おかげさまで早く払っていただきましてありがとうございましたといって礼をしてきた、おかげさまで勧業銀行から融資を受けましたと称して礼をしてきた、それをその大臣がちゃんと取っている、そういう行為は、世人から見ますならば、これは僕は感心しないことだと思う。いやしくも大臣という地位にある者がそういうブローカーまがいのことをやるということは、政治を腐敗せしめる一つの原因になる。あっせん収賄罪として世人が大いにこれを支持したゆえんのものは、そういうものを根絶しなければならぬということである。大臣にかわるに国会議員をもってしてもいいです。とにかく、あっちへ口をきき、こっちへ口をきき、いわゆる地位を利用いたしまして、そうしてあるいは名刺にものをいわせ、顔をきかせ、あることをさせて、それからブローカー料を取る、一定の歳費をもらっており、一定の月給をもらっておるのに、なおそういう口きき料を取るというところにあっせん収賄処罰の根本があると考える。また、それを処罰せざれば、これによって政界の腐敗を矯正するなんということは意味をなさぬと思う。そこで、今申しました設例に対して、この政府の原案処罰できることになりますかどうか。
  31. 小野清一郎

    ○小野参考人 ただいまの御設例の通りでありましたならば、二つとも有罪である、すなわち、この法案のあっせん収賄罪規定の適用があると信じます。
  32. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そこが私どもは理解できないのです。たとえば、政府が支払わなければならぬ金を支払うということは、なに不正な行為ではない、また相当行為をしなかったわけではない、支払わぬでそれを遅滞しているということがけしからぬことなので、払うべきは払わなければならぬ、こうなると、大蔵大臣がおのれの裁量に基いて払うべきものを払ったことが一体不正な行為に当るかどうか。不正行為に当るならば処罰できるでございましょう。あるいはまた、勧業銀行や興業銀行に対して融資をあっせんする。銀行は他人に金を貸し付けることは不正なことじゃありません。相当の担保を取って金を貸すということは、僕は不正な行為だとは見られない。そうしてみれば、あなたは有罪となさると言うけれども、政府の原案では有罪にできないのじゃなかろうか。もしこれが有罪にできるということであれば、まことにわが意を得たことになるのでありますが、一体この解釈でそれは成り立ちましょうか。
  33. 小野清一郎

    ○小野参考人 成り立つのです。まさに成り立つのです。なぜかといいますと、さっきよくあなたのおっしゃることを聞いておりましたが、第一の例は、他の業者よりも早くやってくれ、こういう頼みがある。これは、早く公平に支払いというものはなすべきもので、滞ったら全部についてこの支払いを促進するのが当然である。それは正しいのです。けれども、えこひいきに、この業者に早くやってくれ、もし万一そういう事実があったとすれば、これはやはり不正な行為をさせることになります。なぜなら、職務上の義務に反しています。  次に、第二の例です。特殊銀行でしょう。特殊銀行の金融というものは重大問題であります。それを、大蔵大臣が、特定の業者に融資をしてくれ、こういうことをもしあっせんしたとすれば、事柄は重大でありまして、やはり私は、不正の行為をさせれということになる。特殊銀行としては、公平に、その企業の状況やその他を調査いたしまして、信用程度に応じて融資をするものならすべきである。それを頼みによって特にある業者に融資をさせたら、それは正当な融資とは言えないですね。反面において、そのためにもし不利益に、融資をさるべきものが融資を受けることができなかったとすれば、これはまた、なすべき行為を、相当行為をしなかったということに相なりますから、有罪であります。
  34. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 では、私の設例をあれしまして、政府が業者に対する支払うべきものを支払わぬでおったから、そこでほかの業者よりも早く払ってくれという、それは実際問題としてそんなことはできません。それは、そんな頼みをしたのじゃない、ただこの男が困っておるから払ってくれと言ったんだということになってしまう。あなたのおっしゃるのは、他の業者よりも早くやれというところが不正になるとおっしゃる。そうじゃなくて、政府の支払うべき弁済期はきておる、それを支払わぬでおった場合に、ある特定の人に対して支払ってくれ——ほかの人にも一緒に支払ってくれとは特に言わぬ。ほかの人より先にこれだけやってくれと言ったのではない。そんなことを言う道理はないと思う。言うたとしても、そんなことは立証できない。とにかく、ある特定の業者に政府の延滞されておるところの支払金を支払わせる、支払ってもらうということを請託したわけです。請託者、つまり公務員たる大臣は、ほかの者を押えてこの者だけに金を支払えと言うたんじゃない。ほかの者に払おうが払うまいがいいがこの者は困っておるから払ってくれ、そこで初めて弁済期もきているから払ったということです。これは不正にならぬと思う。また、政府当局の解釈とあなたの今の言明とちょっと違うような気がする。それなら政府に聞かなければならぬ。  それから、融資の場合でもやはり適当な会社だと認定して融資した、これはそうなるにきまっています。こんなのは融資すべからざる会社だが融資したなどとは言わぬでしょう。そういう客観的情勢があれば、これは不正になりましょうが、私の言わんとするところはそうじゃない。それは相当の会社で融資したでございましょうが、ある大臣なら大臣が話をしたために融資をして、そうしてその大臣は手数料を取った、口きき料を取ったということです。それは、融資すべからざるものに融資したという前提があれば、それは適用になるでございましょう。そういうことじゃないのです。また、そういう証拠はなかなか容易じゃない。大臣が口をきくような会社ですから、相当の会社でしょう。相当の会社が相当の担保を提供して金融をはかった、銀行は担保物件の価格なんかをよく査定して金を貸した、しかし、会社は、これは大臣が口をきいてくれたおかげだと思って、大臣にはたっぷりお札を出した、こういう事案の場合に、一体どこに不正があるということになりますか。つまり、ある機関の自由裁量に属しておる、その自由裁量の範囲内でやったということになれば、不正というものは存在しない。そうして、実際の具体的場合になったら、ことごとく自由裁量でやったということになってしまう。そうじゃないのだということははなはだ困難である。ことに、私ほ国会議員がそれまで堕落しているとは思いません。何か請託するのに、お前の義務に違反することであろうが、これはしてはならぬことであろうがやってくれというような請託は、幾ら堕落しても、私は国会議員はそこまではまだ落ちぶれておらぬと思う。お前の任務にそむいてもこれをやってくれという頼み方はしないと思うんです。また、したとしても、そんなことは立証できませんよ。  そこで、みんなこれはざるになってしまいはせぬか。最も世人が取り締ってもらいたいと思うことが、みな抜けてしまう。世人が言うことは、裁量行為であろうが何であろうが、とにかく口をきいて公務員がそでの下をこっそりたんまりふところにもらうことがいけないと言う。世人は、それはわからないから、そこで、政治家になるというと家が建ち蔵が建つと言う。ここにどうも世人のふんまんやるせないところが出てくる。そうして結局政治家というものが信用を落してしまう。国民の奉仕者などと言いながら実は政治家になってそれを足がかりに金もうけをやっている、こういうことになる。現実また、きのうすかんぴんであったやっが、どうしたのか、えらいりっぱな家を建てたというやつがたくさん例にある。そういうことでは、私は国会議員でありますので主として国会議員を頭に置いておりますが、世人もあっせん収賄罪を大いに歓迎したのは、国会議員のこういうブローカー業をやめてもらいたいことから歓迎しておると私は思う。一体、そういう観点から見ますると、自由裁量でやってもらって、そうして金を取った、これはたいていのことは裁量範囲でしょう。背任になるような、背任罪の構成要件を作るようなことまでしてやってくれなどといって国会議員に頼みつこありません。そんなばかな頼み方はしないであろうし、しても、そんなことで証拠があがるようなばかなことは、なかなか上手だからやりません。そうすると、みなこれは無罪です。  そこで、今——なおこれは政府委員に私は質問しているのですが、政府委員は、そんなことはみな無罪だというような答弁があったと思う。先生はちょっと有罪だと言うので、私は聞き耳を立てたのですが、私の設例が悪かったかも存じませんが、ほかの者には払わぬで、ある業者だけに先がけて払ってくれといって頼んだのではない、ある業者が困っているから、ある業者に払ってくれと、ただそれだけ頼んだ、そこで大蔵大臣は払ってやった、それからコミッションを取った、それが一体有罪になるかどうか。こういう設例で一つお教え願いたい。
  35. 小野清一郎

    ○小野参考人 さっき社会党の案と政府原案と本質は同じであると申し上げましたが、本質はまさにやはり同じであると私は思っております。違うという仰せもありましたが、どこが本質であるかというと、地位を不当に利用するということに本質がある、私はそう考えております。ですから、本質は同じだが、構成要件として、政府原案の方がしぼりが強くかかっている、これは争われない事実なんです。また、一方において、公けの憤りが、高位高官にある人が家が建ったり蔵が建ったりする、そういうことに対して憤りがあると同時に、また、これが自分の権限に属する事項であればともかく、人の権限に属する事項について、大臣なり国会議員なり、そういう人たちが、しかるべくその部局、行政機関と連絡をとって、この一般国民の正当な要求が上に貫徹できるように取り計らってやるということは、私は大臣なり国会議員なりとして親切なやり方ではないかと思うのでございます。しかし、また、考え方によってはそれが少し行き過ぎていることもあると思いますので、この点は私も政治界に身を置いた経験がございませんから何とも申し上げかねますが、ともかく、一方においては公けの憤りが、蔵が建ったり何とかに向けられると同時に、個人の自由な、しかもある程度まで——これは悪くはないどころか、今日の民主主義政治のもとにあって、一般国民の要求を聞き届けてもらうためにあっせんするという行為自体は、むしろ望ましい場合さえもあるんじゃないか。それに対して蔵が建ったり家が建ったりしてはどうかしれませんが、第一、実費というものは全然これには入っていませんことをはっきり申し上げられると思うのです。相当の旅費をかけ、相当の時間をつぶして、そういうことをして多少の謝礼を受けたからといって、それがすべてわいろになるということであれば、また国民がある意味において非常に憤激する。そのことのために一向取り次ぎもしてもらえないということになったら、不便はもちろんのこと、憤激さえもしかねないんじゃないかと思うのです。立法限界をどこに置くかということは非常にむずかしい問題でありまして、御設例もだんだんとそのお話になっているうちにずつていくわけですね。初めは他の業者よりも早くやってくれということをはっきりおっしゃるから、書いてあったのですけれども、そんなことは問題じゃないとまたおっしゃる。そういうところがまたデリケートな具体的な事案としては非常に問題であると思うのです。私はこれ以上具体的なことについてはお答えしない方がいいと思うのですが、抽象的な理論として二点申し上げたい。  その一点は、請託には正、不正を問わないということです。正当でないことを頼むのでも、相当なことを頼むのでも、それは一切この請託の中には両方含みますから、それは御心配になる心配はない。  もう一つ、自由裁量に属するからといってどんなことをしてもいいとは限らないでしょう。たとえば、金融にしても、融資をどこにするかということは、結局はある程度その銀行の総裁の裁断に待つわけでございましょう。しかし、その場合も、銀行が特殊銀行、たとえば興業銀行とか勧業銀行その他の特殊銀行とも相なりますれば、政府の自由裁量はもちろんでありますが、行政上の自由裁量というものは、いかなることを右しても左してもいいという場合もございますけれども、しかし、本来から言うと、多くの場合に、やはり厳格に職務上かれこれのモメントを十分に検討いたしまして、少しでも歩のある方に、たとえば行政上なら、ある許可をするとか認可をするとか、特殊銀行の融資にしても、窓口の支払いはもちろんでありますが厳格に職務上から必要とされる事情の検討に基いて、その最も適切な判断のもとに行為をなすべきである。ですから、自由裁量であるからすべてこの法案を免れるということはございません。それは判例に徴しましても明らかであります。そうは運用いたされませんので、やはり職務上の義務に違背するような決定をした場合には、それは不正な行為をしたことになりますから、もしそれに対して報酬を受ければ、あっせん収賄罪になると思うのでございます。しかしながら、この点が一番デリケートな点で、ここでもって、つまり社会党の案が少し広く、政府の原案が少し……どころじゃない、それをしぼろうとしているわけです。しぼろうとしているわけは、そのしぼりをはずれた行為はすべて社会倫理的あるいは道徳的にすべて肯定せらるべきであるという意味では毛頭ございません。そうではなくして、ある程度そこは、りっぱな大臣や国会議員のことでありますから、法律に触れなければ何でもやっていいというようにお考えになる方はおそらく一人もございますまいと私は信じますので、それは倫理にまかせ道徳にまかせまして、処罰は最小限度にとどめる。そこで、自由裁量の場合が一番むずかしいので、どっちでもいい場合には、それはAでもBでもCでもいいというなら、そのうちAならAをとっても差しつかえない。それは今回の案からはずれるでありましょう。それはいかぬとされるならば、その程度いかぬとされる、ごもっともだと思います。  以上お答えいたします。
  36. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 私どもの考えは、要するに、大いにあっせんし、民情を上達する意味において種々陳情して歩く、それは私は代議士の任務としても当然のことだと思う。ただこれに金が伴うのは困る。あっせんをして口をきいてやっては金を取る、そうしてその金を今度は選挙のときにばらまく、これを繰り返して起りますと、政界の腐敗なんというものはとめどがないわけです。選挙の際に多額の金を使って選挙違反をやる、その金はどこから出た、みな口をきいてやったあっせん料ということになりますと、これが循環論法を呈しまして、政界の腐敗が断ち切られぬ。そこで、このあっせん料を取るということに重点を向けたかどうかによって、政界の腐敗を根絶せしめる法案に、よりどちらが適正であるかどうか、判断する一つのポイントだと思っている。その意味において、政府案とわれわれの案とは根本的に違っている。政府案では、背任的な行為をやらぬ場合は大ていみな無罪。私の方は、重点をそこに置いているのではないのです。公務員あっせん料を取るということに重点を向けている。そこに非常に違いがあると思いますが、小野先生は政府委員でもありませんので、それ以上は申しませんが、私はその意味において相当立法の趣旨が違っているというふうに考えております。  そこで、あっせん収賄罪についてもう一点伺いたいことは、今第三者供賄——政府の原案のようなものであるならば、第三者供賄を規定しないと、全くざるになってしまうと思のですが、ほんとうは、社会党のような案にしておいて、第三者供賄のごときものは政治資金規正法なり公職選挙法なりを改正して、その方で律することが私は筋の通った立法形態じゃないかというふうに考えているのでありますが、小野先生はどうお考えになりますか。
  37. 小野清一郎

    ○小野参考人 社会党の案には第三者供賄は人っておりませんね。在来の刑法の、つまり職務権限内の職務に関して収授するわいろにつきましても、第三者供賄は、後にしかも部分的に挿入されたものでございまして、全面的な規定ではないのでございます。そこで、今回新たに設けますあっせん収賄規定において第三者供賄の規定を設けておられない社会党の案というものは相当意味があると私も思います。それとこれとを混同することはできないので、根本的に違うとおしゃるのは私にはまだよく納得できないのです。狭い広いの違いは多少ありましても、根本というか、本質は同じであるということは、これは私はどう考えても不敏にしてお説を受け入れることができないで弱っておるのです。ですから、社会党の案には私は初めから賛成なんです。初めから賛成なんだけれども、ある程度しぼることによって、単に法案の通過を容易にするというだけではなしに——それは率直に言ってありますよ。けれども、そうではなしに、罰してかえって不都合な場合までも処罰に入れるようなことがあったら困るんじゃないかという老婆心も手伝っております。お話のような政界の粛正、もとよりわれわれ潔癖な学者仲間としては皆希望しているわけであります。その点社会党とちっとも異ならないのですけれども、さればといって、それを、どうでしょうか、一片の刑事立法によって解決しようと思うところに無理があるんじゃないか。やはり、それは政界のお歴々の倫理的、道徳的な自覚に待つはかはない。しかし、世の中には地方議会もありますし——と言えば地方議会の方はいろいろ憤慨されるでもございましょうが、なかなかむずかしいですね。それで、要するに、ある程度こういう規定を設けることが、一般政界の粛正はできないにしても——完全な粛正はとうていできないと思いますよ、できないにしても、そういう政治倫理を高めていくについて一つのきっかけとはなる、それは私信じて疑わないのです。だから、これをまずともかく立法する必要がある、こういう信念なのでございます。
  38. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 御説よくわかりました。そこで、今度は暴力団の問題につきましてでありますが、私どもも、ばくち打ちの縄張り争いでピストル日本刀で渡り合うなど、実際法治国家として話にならぬことだと思うのです。これを取り締ろうという御趣旨にはほんとうに賛成なんです。その他とにかく盛り場の暴力団の暴状というものは話になりません。これを取り締ろうとすることに対しては私ども反対ないわけでございます。ただ、実は、非常に立法の趣旨は賛成なんでありますが、これが悪用せられるかどうか。つまり、いかなる法律もそうでしょう。そこに非常に心配があります。それと申しますのは、前の質問者から申しましたから言いませんけれども、暴力行為等処罰に関する法律の立案の際に組合運動なんかには全然適用しないはずのが、全部適用された。これは議員立法でありますが、鉄道公安職員の職務に関する法律、このとき、鉄道公安官というのは列車の中の抜き取りだとか何とかいうそういう犯罪を取り締るためのものであるということをるる説明があり、その際に労働組合運動の弾圧に使いやせぬかという危惧が出たが、そんなばかげたことがあり得ようはずがない、そこで、労働組合には本法の公安職員は利用しないのだという一項を設けてあったのを、こんなばかげたやつを書いておくと、正当な労働行為と書いてあったために、これは皆不当なことだと見ればやってもいいということになったらというので、これを削ろうということで削ったくらいである。ところが、実際今日になってみると、いわゆるわれわれが所期した当時の鉄道犯罪というものは少くなってしまって、便利なものだから、直ちに鉄道ではこの公安官を自分の私兵のように使ってストライキ破りをさしておる。そして、当時は鉄道の抜き荷なんか非常にありまして、なるほど鉄道職員の専門家を配置しなければいかぬと思ってこれを作ったのですけれども、これが今日はまるで別な、とてつもない、労働組合運動の弾圧に使われているというような、鉄道は私兵を擁しているような形になってしまった。とんでもないことだ。こんなものは廃止しなければならないと思うのですが、そういうふうにできる。なおまた、これは前線の検察官ですが、札幌の裁判所で出つくわしたんですが、北海道の教職員組合の者が選挙運動をしているということで、公職選挙法違反、政治資金規正法違反なんかでやられ、そうして公務員が政治活動をやったというようなことでやられた。そこで、私は、政治資金規正法なり公務員の政治活動規制に関する人事院の規則なり、あるいは公職選挙法なりの国会における一問一答の速記録によって、立法者意思というものはこういうところにある、時の政府はこういう答弁をしているということを証拠として全部出した。そうしますると、その検事いわく、いや、これは作る人はどういう考え方で作ったか知らぬが、われわれはわれわれの解釈で取り締り、処罰するんだ、こういうことを言った。そこで、私は、その検事に、これは若い検事ですが、君は出世はしないよと言った。そんなばかな考えを持っておったら、ほんとうの民主主義の政治——国家の最高機関として国会がある、その国会でもって政府と国会議員の間に一問一答をしてこの法律ができたのに、そんなものは一切自分たちはかまわない、自分たちは自分たちの頭で行動するというならば、検事が法律を作ることになるじゃないか、それは検察ファッショであると言ってきめつけたのでありますが、どうもそういう前線の勇士がいるのであります。そこで、あぶない。だから、この政府のせっかくの案がもろ刃のやいばになって。暴力団にもきくかもしれぬが、片方労働運動を弾圧するに使うということになって、私どもは今実に困難、煩悶しているわけであります。やくざを弾圧することはほんとうに必要だし、さればといって、その同じ法律をもって労働組合を弾圧されたら、これは徹底的にやられてしまう。そこでまことに煩悶を重ねているんです。  そこで、小野先生にお聞きいたしますが、こういう持凶器集合罪ですか、これを労働組合運動に悪用されるかどうか、ことに、器物損壊罪あるいは文書毀棄罪、これを非親告罪にする、それと緊急逮捕というものをからましている。どうもこの辺は少しくさいと思う。ことに、菅生事件のように、警察官自身が爆発物を備えつけるようなことをやる世の中で、取り締る官憲が電灯をぶちこわしておいて、電灯をこわした者がある、それっ、緊急逮捕だということになってしまったら、これは一体どういうことになるんだろうか。私は、これは戒能先生にお聞きしたい。戒能先生は先ほど器物損壊罪、文書毀棄罪は賛成だということをおっしゃったんですが、労働運動をやると、これが非常に危険なんであります。これは大ぜいで押しかけていきますから、知らず知らずに何かどぶ板の一つもへし折るようなことが起ってくるだろうと思う。あるいはそこらの会社の官伝文書なんかけ散らされることが起ってくるだろう。そうすると、すぐこれが緊急逮捕と結びついて、これは非親告罪と称して直ちに検挙する。これは縛る方には便利かもしれないが、縛られる身になってごらんなさい、えらいことになってしまう。労働組合運動なんぞは、自民党の諸君がおそれるようなものではないのです。二、三の指導者が引っぱられると、あとはみなぺしゃぺしゃっとなってしまう。だから、気勢をそぐのには最もよいのです。ちょっと来いと引っぱってしまったら、それきりです。それにはちゃんと合法的に法律ができているということになると、弾圧に武器を与えるようなものだ。その意味において非常に私は危険性があると思うのですが、絶対危険でないということをよくここで繰り返していただきませんと、そしてそれが速記に載っておりませんと、いよいよ具体的に事件になったときに弁護の資料が整わないことになる。これは、小野先生も弁護士でいらっしゃいますが、絶対労働組合には心配がないのだというところを一つお聞かせ願いたい。
  39. 戒能通孝

    戒能参考人 私、その辺申しわけございませんですが、私としては、労働組合に絶対に安心だというふうには申せそうもございません。というのは、日本の警察あるいは検察庁、ことに警察は、労働組合員というものは大体犯罪人だと思っている傾向が強うございます。労働組合員というものは何か悪いことをするやつだ、しかしそれが集まったりすると、悪いようなことになってしまう。いわんや、金よこせなどというプラカードを出して歩くのですから、金よこせというのはどろぼうも言うのですから、同じような形で金よこせというのを見るんじゃないかと思っております。そして、その間非常に困ったことは、裁判所も、現在暴力行為等処罰法の適用状態から申しますと、労働組合に対する適用が非常に辛いと思っております。たとえば、解雇されまして、解雇された結果として、憤然として数人組んで事務所に押しかけていったというふうなのは、大体家屋侵入それから暴力行為等処罰法違反で懲役一年から一年半、執行猶予二年というふうなのが大体刑罰としては相場になっているように思うのであります。従って、憤然として事務所に立ち入っていったというふうなことで大体一年から一年半で執行猶予がつくということになっておりますけれども、労働組合に対しては非常に辛いというのが現状だと思います。それに反して、公務員の行動に対しましては裁判所は非常に甘いのでございまして、たとえば、拷問をした公務員がございます。間違った自白をさせて、そして、ようやく最高裁まで行ってそれが間違っていることがわかって無罪になったというふうな事件があります。これは非常に被害者にとっては気の毒な事件になってくるわけであります。そういう拷問した公務員に対する刑罰は、大体禁固、懲役でございませんで禁固八ケ月から十カ月程度であります。そして必ず執行猶予がついているというのが現状でございます。しかも、こうした判例になって出ている事件というのは、大体準起訴手続をとった事件でございまして、検察官はむしろ起訴してないというのが現状ではないかと思っているわけであります。しかも、準起訴手続というのは大体五、六件しか今までないようでございます。そのうち二件の判決が昨年公表されたような状態でございます。つまり、警察、検察庁、裁判所というものは、どうも労働組合に対しては辛い、これに反して公務員に対しては甘いという一般の傾向があるように思うのでございます。そういう意味におきまして、暴力関係の法規というふうなものが刑法に入ってくるということになりますと、どうしても構成要件規定がゆるくなってしまうので、これが乱用される可能性は十分あると思います。  それから、先ほどの、器物毀棄のことが親告罪にならなかったことの点も、確かにこれは懸念がございますけれども、しかし、現在通常検挙されている事件となりますと、これは建造物の損壊の方が多うございます。むしろ建物にビラを張ったという事件が建造物損壊罪で起訴されているようでございまして、家の中に立ち入って家の中の品物をこわしたという事件はあまり越訴されていないのじゃないか、事件としては多くないように思います。むしろ親告罪になっていない建造物損壊の方に問題が集中しているようでございます。労働組合の問題を取り扱うとすれば建造物損壊を親告罪にしなければならぬという議論にもなるかと思うのでございますが、この辺ちょっと問題が多いかと思うのでございますけれども、私としては、現在の暴力団なんかになりますと、できるだけ家の中にあばれ込んできて建物に傷つけたり動産だけこわして帰るというふうな乱暴者もいるようでございますが、そうした事件を警察に持っていきますと、警察は、あの連中は復讐するからよく考えて行動しなさいというようなことを言う事例もないとは限りません。それから、告訴の処理の仕方が、ある場合におきましては非常に手心が入るという傾向があるようでありまして、これは必ずしも親告罪からはずしたからといってすぐ労働組合にどうということもないと思います。ただし、それが緊急逮捕規定と関連しますと、先ほど猪俣先生がおっしゃった通りでありまして、緊急逮捕の問題は憲法違反の問題との関連もございますから、私としては憲法違反の疑問というものも確かに持っているわけでございます。その点あわせて申し上げさせていただきたいと思います。
  40. 小野清一郎

    ○小野参考人 ただいま戒能参考人のおっしゃることは、社会科学的な認識としては大体正当であると思います。確かに、労働者側に辛い、そういう事実は社会科学的には私も認めますが、やはり一つは日本の現状なんでしょう。裁判官といえどもやはり日本の現在の社会に動いておるのでありますから、そこで、今に社会党が政権をとるような時代になれば、結局これは社会科学的な認識としては同じ条文でも運用が変っていく、これは科学者としてはそれ以外には何ともしようがない。けれども、同時に、刑法学者の、立法解釈なりに学問的な貢献をしよう、こういう立場からいたしますと、そうだからといって、みすみす目に余る暴力集団を看過する手はないだろう。ですから、痛い点もあるが、これは大局から見てこの立法は必要である。必要であるとすれば、果して適当なるしぼりがかかっておるかどうかということがやはり問題になるわけであります。大体において、この二百八条の二というもののしぼりは、政府原案よりは、法制審議会の修正を経て、つまり客観的な事実で相当強く押えるようなことになっておりますから、猪俣さんの仰せのような御心配が絶対にないとは私申しませんが、そうではなくて、御心配は少くなっておる。また、御心配のないようにできるだけフェアな公平な法の適用というものを検察当局も裁判官としても心がけなければならない。そういうゾルレンの立場において実践的に今立法し、それからまた、それを刑事司法の実践の場において運用していく態度としては、あくまでもそういう不都合なことのないようなフェアな裁判でなければならない。そっちの方に重きを置いて考えれば、やはり、この立法は、多少の危惧はあっても、この際採択すべき立法の形式である、こう信じておるわけであります。  なお、緊急逮捕の問題、これは、一応修正前の第二百十条を最高裁は違憲でないとしておる。これも非常に問題であるというならば確かに問題であると思いますが、実際問題として厳格に現行犯の場合だけに限るかということもずいぶん問題でありまして、そうなれば現行犯という概念がまただらしなく伸びてしまいます。やはり必要なものはどこまでも必要なんですね。ですから、あっちをこう削ればこっちで何か概念を伸ばすとか、それは文句を変えないでも運用でいろいろになりますから、そういうことを考え合せれば、やはりはっきりと第二百十条を修正して、その修正の限度においてはっきりここまでは許すというふうにしておいて、それ以上の緊急逮捕とかいうようなことは絶対に認められない、そういうふうに消極的な面から考えをきめてかかる方がよろしい、こう思います。
  41. 町村金五

    町村委員長 ちょっと速記をとめて……。     〔速記中止〕
  42. 町村金五

    町村委員長 速記を始めて……。田中君。
  43. 田中幾三郎

    ○田中(幾)委員 私、あっせん収賄の方もお尋ねしたいのですけれども、今の猪俣委員の質問に関連して、集合罪のことに関して小野先生にちょっとお尋ねしたいと思います。  私ども、この法案を見て、集合罪というものが、集合したという静的状態における行動をもって犯罪にしたというところに第一の疑問を持っている。御承知のように、暴力による集合体の犯罪刑法にたくさんある。百六条の騒擾罪、百七条の不解散罪、暴力行為等処罰に関する法律、大体暴力行為を集団的にやるという犯罪の場合にはこういうものがあると思います。そして、この百六条、百七条その他全部、暴行「もしくは脅迫という行為を擁する動的な行動に移って初めて犯罪になる刑罰なのであります。本来、目的は精神の奥に内在しておることでありまするし、凶器を持っておるといっても準備しておる、隠しておることですから、持っているか持っていないかわからない。ただ、形は、人が多数集まった、集合した状態をもって一つの犯罪としておるわけであります。ですから、行動に移らない、集合したそれ自体が犯罪だということは、犯罪の理論から言ったら予備行為ではないか、騒擾罪の予備行為の状態における集合した事実をもって犯罪としておるところに、取締りなりあるいは捜査なりに非常に無理が起きるのではないかというのが私どもの心配しておる一つなんです。そこで、この問題は、暴行、脅迫の事実があれば正取り締れるし、集まった場合に解散しないという不作為による一つの行動があれば犯罪になる。それから、暴力行為処罰の方は、威力を示すのですから、持っておるものを明らかに示してやらなければこれにひっかからない。そこで、ただ集まって危ない状態にあるのを処罰しようというのがこれの趣旨ではないかと思うのですが、それならば騒擾罪の予備罪で処罰すれば足りるのであって、こういう犯罪の形に現われない不思議な状態をもって犯罪とみなすことはどうか。集まった場合に、目的が何かわからぬ、隠して持っているかどうかわからぬのに、ちょっと来いと言って引っ張られるところにこの法律の悪用される心配があるのではないかと思うので。私は、ほんとうに暴力を取り締るということであれば、こういう罪を刑法のこういうことに入れずに、予備罪ということで処罰しておけばいいと思うのですが、法制審議会の方ではそういう議論はなかったのですか。
  44. 小野清一郎

    ○小野参考人 確かに暴力行為そのものから見れば予備段階なんです。しかし、やはり集合するという行為をとらえてそれを処罰の対象にしているわけなんです。ですから、予備行為であるにしても、その予備的な行為を独自の犯罪行為として処罰するという、それだけのことなんです。いわんや、予備であるにしても、何の予備であるかまた問題で、場合によっては傷害の予備にもなりましょうし、暴行の予備にもなりましょう。騒擾ということになると、あれはもっと大げさな場合ですね。これはそういう場合でなしに、たとえば、例のやくざの仲間が、こっちに十人、向うの方も十人、にらみ合って、まさにこれからなぐり込みをしようというような場合で、世間一般を騒がすところの騒擾罪とはかなり性質が違っている。こういう種類の立法が外国の立法例にあるかないかということを申しますと、あるのです。それはドイツ刑法の第百二十七条、スイス刑法の第二百六十条等、やはりこういう意味の——ドイツ刑法の百二十七条は武装集団の形成という題ですが、わざわざそういう題をつけて、そういう武装集団を作ることが罪になる、そういうものを処罰の対象にしておるということで、必ずしも異例ではないわけであります。
  45. 田中幾三郎

    ○田中(幾)委員 騒擾罪というと、非常に多数の集合の騒擾罪ということに聞えますけれども、御承知のように、刑法の百六条には、多衆集合して暴行、脅迫をした、これを俗に騒擾罪と言っておるわけです。いわゆる暴行、脅迫を加えることは、凶器を持ってというような制限をしていないので、暴行、脅迫を多衆集まってやった場合には、この刑法の百六条に入るわけです。そこで、それでは、ただ単に凶器を所持しておる場合を処罰する道がないかといえば、銃砲刀剣類等所持取締法によれば、持っておる状態を罰することができる。一人でも罰することができるのですから、二人以上持っておればなお罰せるわけです。一人々々を罰するわけですから。実はこの法律は地方行政できまったので、われわれの法務委員会にかからなかったので、これとからんで議論ができなかったのは遺憾であります。この方だけ単独に通ってしまって。ですから、動的状・態、行動に移れば、騒擾罪でも暴力行為でもみな罰せるのですが、今度の銃砲刀剣類等所持取締法では、静的な状態でただ持っておる状態を罰するわけで、この場合においては、ただ集合したという状態の場合に持ってておれば一人々々を罰せるのですから、この銃砲刀剣類等所持取締法がある以上は、私は、暴力を用いる犯罪処罰することにおいて万遺漏のない法律体系ができておると思うのですが、その点はいかがでございましょうか。
  46. 小野清一郎

    ○小野参考人 騒擾罪の規定には、お話のように、多衆とありますから、二人以上とは全く違って、あれは大げさの場合をいうのです。それから、なるほど銃砲刀剣の不法所持の規定はございますが、あれだけで足らぬという現在の状態があるわけですね。例の親分同士のにらみ合いで、多くは武器を忍ばせているのですけれども、なぐり込みに行こうとしている、そこを未然に防ぎ、血の雨を降らさせない必要があるんじゃないでしょうか。その点だけです。
  47. 田中幾三郎

    ○田中(幾)委員 戒能先生に一つ。先ほど、この法律は特別の法律を作った方がしかるべきだ、こういう御意見でございましたが、暴力行為を取り締る各法規の条文がたくさんできておるのです。ただ凶器を持っているだけで何も使わなくとも集合していることを罰するのが今度の法律です。その持っている状態を罰するのが銃砲刀剣類等所持取締法で、銃砲刀剣のほかに凶器の種類を例示してこの凶器範囲を広げて、その凶器を所持しておるという静的の状態を罰するようにすれば、私はあらためてこの法律を作る必要がないと思うのです。もし必要があるなら、あなたのおっしゃるように、別の法律を作ることによって足りるのではないかというふうに考えるのですが、あなたのお考えはいかがですか。
  48. 戒能通孝

    戒能参考人 今のところは、所持するだけで処罰することができることになっておるのが爆発物でございます。それから、もう一つは銃砲刀剣等のたぐいでございます。これによりますと、空気銃を含む銃砲、それから刃渡り十五センチ以上の刀、剣、やり、なぎなた、あいくち及び刃渡り五・五センチメートルをこえる飛び出しナイフが、これで処罰できることになっております。ただ一つ問題になりますのは、なたとか、出刃ぼうちょうとか、刺身ぼうちょうとかいうふうな武器でございます。これは凶器ではないけれども、しかし、凶器として使用できるものというものを持ち出してきたとぎにどうするか、こういう問題が出てくるのではないかと思っております。ですから、現在のところ、爆発物と、それから銃砲刀剣のたぐいにつきましては、所持して歩いただけですでに処罰できますし、鎮圧できますから、これは、グレン隊ピストル持って歩いたときには、三年以下の懲役という重い状態でありますかり、あまり問題はないと思います。ただ、グレン隊がだんだん利口になって参りまして、出刃ぼうちょうを持って歩いたりしておるときには問題があるかもしれません。それで、その懸念があるならば、私としては、刑法なんかに入れないで、特別の法律を作って、爆発物取締罰則によるところの爆発物、銃砲刀剣類等所持取締法による銃砲刀剣並びになた、あいくち、出刃ぼうちょう及びこれに準ずるものというふうに並べて書いてもいい、その方が凶器より明白になるんじゃないか、かように申し上げたのでありまして、別にこれをどうしても別の法律を作れとまで申し上げたわけでありませんで、最初に私、銃砲刀剣類等所持取締法があるから、これで大部分はもうグレン隊の問題も解決しているのではないだろうかということを申し上げたわけでございます。
  49. 田中幾三郎

    ○田中(幾)委員 そうすると、つまり、銃砲刀剣類等の刀剣のうちに、いろいろおっしゃったように大てい入っております。しかし、なたとか出刃ぼうちょうとか、そういう法に漏れたものを所持しておるということを罰するために、大げさにこの刑法条文改正するような必要があるかどうかということを疑うのですが、小野先生いかがですか。
  50. 小野清一郎

    ○小野参考人 それは見解の相違ですよ。
  51. 町村金五

    町村委員長 古屋貞雄君。
  52. 古屋貞雄

    ○古屋委員 私はもう前の委員の方からだいぶ御質問なり御意見を伺っておりますから、簡潔に申し上げたいと思うのです。  第一に先生方にお教えを願いたいと思うことは、百五条の二の問題、この百五条の二の問題は、お礼参りを防止するという目的のために新たに制定される規定でございますが、ここで承わりたいのは、まず第一に、基本的にわが国の刑事訴訟法の原則は当事者主義であるのみならず公判中心主義であるのでありますが、公判に持って参ります場合には、申し上げるまでもない、司法警察官、検事が証拠の収集に万遺憾なき方法を講じておるわけであります。従いまして、この過程においては、被告人または弁護人において実際上やれることは、利益の証拠を提出することはできますけれども、実情はこれを許しておりません。従って、こういう規定が行われることによって、公判においてどこまでも自己の利益を守るために、自己の人権を守るために、被告人が十分に立証をし、証拠を収集する、こういう面に欠けてくるのではないか。こういうような弊害と、今のねらいといたしておりまするお礼参りを禁止するということと、いずれに重点を置くかということによって、この点は大きな問題が起きてくると考える。私どもは、現在の刑事訴訟の立場から考えましても、もう少し捜査の過程においても、捜査をされまする被疑者の立場からもっと証拠の収集なり利益なりを提供し得る、そういう法律改正を要望しておるのが、私は最近における国民の要望ではないかと思う。と申しますのは、最近に至りましてから、御承知の通り、非常に捜査官の捜査の無理があったために、それを基本として無理な裁判が行われる。はっきり申し上げますならば、有罪判決を受けて執行中に、その犯罪行為が第三者によって行われたということが明らかになった事実がたくさんある。こういう事実にかんがみますと、せめて公判廷においては十分に被告の利益の擁護のために立証準備をさせることが必要だ、こういうことを深く確信を持つわけなんでありますが、前の委員の方並びに先生方からるる御説明がございました一切の過程を考えますならば、そういうような点において欠けておるのではないか、むしろこれによって制約されてくるのではないか、このことが被告人並びに人権擁護の上にむしろ逆の重大なる結果を引き起すのではないか、こういうことを実はおそれるわけなんであります。たとえば、先刻は戒能先生から、新聞記者面会強要の問題のお話がございましたけれども、弁護人自身がやる場合においても、弁護人の行き方が少しひど過ぎたということで制約を受けるというおそれがある。もう少しはっきり申し上げますならば、弁護人が司法警察官並びに検事の調書を拝見いたしますときに、あまりにも事実に反する証言が記載された調書が出ておる、従いまして、弁護人は、真実発見の立場からそれらの人々に会い、その当時のいろいろな関係者に面会を求めて実情をはっきりと把握したいという、これは私は弁護権行使の一番大事な点だと思う。こういう面においても、この規定がまとまりますならば、それが制約されるというおそれがあると思う。あるいは、被害者と被疑者との立場が違っておりますから、被害者の証言一つをもって有罪認定をするような重要な場合において、被害者が心にもない証言をいたした場合に、どうか真実のことを言ってもらいたい、それには当時これこれこうだったじゃないかという説明を、被告人なり弁護人立ち会いの上で証人なるべき人に説明をして、当時の記憶喚起して、そして真実をはっきり述べてもらいたいというような要望をいたしますことは、これは大事だと思うのです。そういう場合においても本件においては制約されるおそれがあるということについて私どもは非常に懸念を持つのですが、お二人の先生方からこの点について御解明を願いたいと思うのです。いかがでしよう。
  53. 戒能通孝

    戒能参考人 私、弁護人がこの条文によって特別に権利を剥奪されるであろうという懸念は、あんまり感じていないのでございます。日本の裁判所、それから日本の検察庁としましても、被告人弁護人の権利というものをそれほど制約するであろうというふうには感じていないわけでございます。ただ、しかし、立法理由なんにつきまして、法務省の刑事局の意見としまして、百五条の二の規定というのは、本条の保護法益は、刑事被告事件の証人等の個人的平穏とともに、刑事司法の適正な運用という国権の作用であり、むしろ後者に重点があるということができるであろうという点があるわけでございますからして、この点はやはり、刑事司法の適正な運営という名前のもとに、たとえば検察側の証人を、新聞記者から隠してしまうというような問題が起らないという保証はない。現にそれがあるわけでございますから、管生事件という一つの事件におきましても、非常に有名になると、ちゃんとあるわけでございますから、そういうケースが起らないという保証はないという点は、実は私ども重く見たいと思うのであります。しかし、弁護人が百五条の二によりまして特別に不利益を受けるであろうという懸念はあんまりないと思います。それならば、警察及び検察官自己の持っている一切の資料を公判開始前に弁護人に公開すべきである、どんな資料でも、検察側に不利益な資料であろうと何であろうと公開すべきである、そうして公判中に奇襲証人を出さない、奇襲証拠を出さないという原則を刑事訴訟法の方に入れる方が正しいと思っているわけなんです。
  54. 小野清一郎

    ○小野参考人 刑事訴訟における被告人地位を十分保護しなければならぬという御意見にはもとより全然異議なしです。ところで、その点についてはただいま戒能参考人からお述べになりましたことはやはり正しいと思いますが、しかし、心配をすれば切りがなので、これは、その弁護士が行っても、うるさいからと言って、少しそこへねばるとこれでひつくくられるということになったら大へんですけれども、まさか日本の検察庁はそんなことはしないんじゃないでしょうかね。それよりも、お礼参りがいかに——新宿あたりの親分たち、あるいはその子分たちが親分の事件について関係者のところへぞろっと行くと、もうそれだけお礼参りの不安というものは大へんなものだという気がします。それを何とかしなければならぬというのがこの法案のねらいであって、できるだけ悪用されないように、本来取り締るべきものは取り締るように、せいぜい当局に対して希望するということは当為でございますけれども、この法案自体にこれ以上何かしぼりをかけるとかなんとかということは、これ以上はどうにもならないところまできているように私は思うのです。
  55. 古屋貞雄

    ○古屋委員 簡潔に申し上げますが、今のような設例の事実があれば、これは脅迫罪で調べられるのじゃないですか。特にこういう法律を作らなくてもできるのじゃないか。私が非常におそれますことは、取締りの任に当る方や、あるいはその地位におりまする方の考えと、取り締まられる人々の立場において考える考え方と、非常にそごする場合が多いのです。ことに、戒能先生からお話がございましたように、菅生事件のごとき問題が出て参りまして、これを高いところから判断をする場合においても、やはり、まず第一に、検事、司法警察官の調書を信用するということにございます。従いまして、そういう調書に対する信憑力の問題についても、無理がなかった、何でもなかったということを言って今の裁判では簡単に片づけておりますけれども、実情は、私ども弁護人として検察庁に届けた場合は、相当大きな顔をして検事がどなり散らかしている、警察では相当ぶんなぐったり、そうして調書をとられることが実際ですよ。ところが、これは脅迫罪であるし、本人の意思に反した調書というような問題はおそらく日本じゅう今までそんなにないでしょうが、こういう点の実情から私ども非常に心配するわけです。従いまして、意見の相違だとかなんとかいう御意見でございましょうけれども、私どもは、少くともそういうような証拠の収集について、証言の問題については、これは慎重に考えていくべきだと思います。もっと具体的に申し上げますならば、労働争議などの結果から起りまする資本家対労働者などの対立の問題の犯罪についても、いつでも会社の諸君が出てきてでたらめな証言をする場合がずいぶんあるのですよ。そういう場合に、違うんじゃないか、お前の調書を見るとこんなことになっているけれども、当時こんなことは違っておるのだ、お前反省したらどうかというようなことを、被告人なり被告の友人が言った場合は、この規定で取り締られてしまう。だから、私は、わずかばかりの例外的な問題のために、一般の国民の自由を制限し、あるいは権利の伸張に障害になるような法規を作るということは、よほど慎重でなければならない、かように私どもは考えるわけなんでありまして、こういう点は、おそらく、拡張解釈をされる弊害と、本規定を作ります目的と、いずれが現代社会に必要があるという認定によってきまると思うのですが、おそらく、お互い同士の、私どもと小野先生などのお考えとは、立場によって意見が違うということで結論づけられると思いますけれども、私どもの立場から申し上げますならば、そういう懸念、拡大解釈をされた弊害というものを思うときに、非常におそろしい規定ではないか、かように考えるわけでございます。この点は、もう時間がございませんからこれ以上御答弁はいただかなくとも、私どもはさように考えるわけでございます。  それから、今度は次の問題でございまして、あっせん収賄罪の問題なんですが、これはもの同僚が詳しく御質問申し上げておりまして、やはりこれも考え方の問題——今政府が御提案になっておりまするところの条文と、社会党の提案しておりまするところのこの案との間は、犯罪構成要件において異なっている。だから、根本的に——精神においては相通ずるものがございましょうけれども、いわゆるあっせん収賄を罰しようという考え方は一緒でございますけれども、犯罪構成要件については絶対に違っておることは、それは小野先生もお認めになるであろうと思いますが、この点いかがですか。
  56. 小野清一郎

    ○小野参考人 さっきも申し上げました通り、根本的にというか、両者の本質は同じであるということは、私譲るつもりはないのですが、構成要件に広狭の差があるということは、お説の通り、今回の法案の方が狭うございます。
  57. 古屋貞雄

    ○古屋委員 私どもの考え方は、やっぱし、公務員の廉潔、公務員職務に対する国権のいわゆる神聖なる点が汚される場合に処罰しなければならない、これを防止しなければならぬ、かような立場から考えますならば、公務員をしていろいろのことをやらしめてあっせん料を取る、これだけで私はあっせん収賄罪処罰の条件が整っておると思う。しかし、この点において議論いたしましても、もう時間がございませんが、ただ、問題になりますことは、作らないよりも作った方がいいではないかというような御意向がしばしば聞けるわけであります。けれども、私は、ざる法を作るというと逆に、これを裏返せば、これこれだけは公然にやってもいいというような考え方を助長させやしないかということをおそれる。本件におきまして、この政府提案の原案というものが通り、これがあっせん収賄罪の取締り規定しとて制定をされますと、先生のおっしゃった通りうんとしぼられたのだから、これ以外の行為はやっても公然とまかり通るという悪い思想を公務員に与えるのじゃないか。私どもは、公務員という立場に置かれております方は、特別に他の一般国民よりも自分の行動規制については厳重に反省し、行動しなければならぬと思うのです。従いまして、その立場から考えますときに、なるほど、先刻来先生方から、国権に対する威信を失墜するようなあっせん収賄罪に対しては非常に寛大だ、その他の大衆行動に対する、暴力に対する取締りの方は非常に厳重だというようなことをおっしゃっておられましたが、私は本件のただいま審議いたしておりまするこの法案の全体を見ますと、そういう感じを痛切に受けます。逆に、公務員諸君が国権を傷つけるとか、公務員の純潔であるとか、あるいは公務員職務の神聖ということを汚されるということは個人の財産、生命、身体に迫害を受けたり危害を受けたりということよりももっと大事だと思うのです。そういうことから考えますと、全体を通じての立場から、公務員に対する関係は非常に寛大な規定になる、一般個人の財産、生命に関する方面においては厳重にやられておるというところが、どうも私どもは納得がいかないのです。そこで、さらに小野先生のお話を承わりたいと思う。この全部の提案されているところの刑法並びに刑事訴訟法改正の根本に流れておりますところの考え方は、公務員に対しては寛大だ、一般の国民の生命、財産に対する取締りの方が厳重だ、こういう認識を私どもは持つのですが、小野先生、その点はいかがでございましょうか。
  58. 小野清一郎

    ○小野参考人 お説を伺っておりますとよくわかります。御趣旨はよくわかりますが、特に公務員に寛大で一般国民の取締りの面が非常に厳格だというほどの顕者な違いがあるか。もちろん、この刑法の一部を改正する法律案の中で、なるほど第百九十七条の四は相当強いしぼりがかかっておるということは認めますが、しかし、たとえば第百五条の二といっても、これでもかなり規定の上において注意をいたしておりますし、二百八条の二、これなども相当強いしぼりをかけたつもりでございますが、いかがでございましょうか。それと、この同じ国民の立場と申しましても、また現実には社会層がいろいろあるのでありまして、こういうことは、これは戒能参考人から御説明を、いただくことが適切であると思いますけれども、やはり、はっきり申せば、極端な階級の違い、身分の違い、それぞれの生活の場において、それぞれの生活経験というか、それを基準として判断するものでありますから、たとえば裁判という場合になりましても、実を申しますと、現在の刑訴は検察官の立場と弁護人の立場とでありますから、はっきり対立させて、その間の弁証法的に正しい判断に到達するということを目標としているわけなのだと思います。しかし、裁判官その人も人間であり、ある社会層に育ち、ある家族、ある階級から出ている、そういう出身まで考え、また、その人の過去におけるいろいろの経験、どういうものを読んで、どういうふうにものを考えて、どういう宗教を信じてというようなことは一々裁判に影響すること、これはいかんともいたし方がないのです。だから、アメリカのネオ・リアリズムの法学では、そういうところをついて裁判官の頭を解剖していく、こういうことを目標にしているわけなんでございまして、立法の場におきましても、いろいろの方々のいろいろの生活経験というものがあるから、それをこういうところで十分に検討した上で、まあ最後は多数決で決するより手はない。多数決が非常にすぐれた方法であるかどうかも問題でありますけれども、ほかにそれ以上の方法がなければそういうことになる。私のつもりとしましてはこれは、法案を読んで、また法制審議会においてみずからその審議に加わってきた関係からいたしまして、どうしても原案びいきになるとお思いになるのは、これはどうしてもやむを得ないですね。それが悪いとおっしゃっても、それが自分の義務を果しているとしか思えないのですから、私はやはり原案を支持する。それはどうでしょうか、それ以外に道はないですよ。
  59. 古屋貞雄

    ○古屋委員 そこで、先生に私承わりたいのはさっきもだいぶ申し上げたのは、普通、刑法収賄罪におきましては、公務員にその職務不正行為をなさしめ、相当行為をなさざらしめるということは、これは加重条件、加罰条件になっております。ところが、原案によりますとこれが構成要件になっておる。そうなりますと、私御質問を申し上げて御答弁をいただきたいのは、これだけの行為にひっからない、他の、あっせん収賄罪の魂であるところの公務員の廉潔を汚したり、公務の精神に害を及ぼすようなことが行われた場合には処罰を受けずいたしまして、この現われておりますることだけの条件以外にはどしどしこれからもやってもかまわないという、裏を返せばそれを承認したような結果になり、まかり通るということに相なるから、この点については十分考慮をしていかなければならぬと思います。ここの点について、この条文に掲げた条件以外の問題についてはまかり通ることに相なるから、その弊害の方が多いので、私どもは非常に心配を申し上げておるのでありますが、そういう点についての御考慮は、法制審議会なりで先生方がおやりになられたのでありますから、最後に一点お尋ねをいたしたい。
  60. 小野清一郎

    ○小野参考人 大体、この刑法条文を一々裏を返して、規定に触れないことはやってもいいのだ、まかり通る、こういう考え方が私は気に食わない。そういうものじゃないのです。刑法というものは国民的な社会の倫理というものを基盤にしているのです。その上に、どうしてもほっておけないことだけを刑法が縛ろう、こういうわけなんですから、そういうような考え方を持つ国会議員があったら、私は唾棄する。そうじゃない。また、しかしながら、社会科学的にそういう可能性があるかないかといったら、あります。十分あります。というのは、世間はみんなりっぱな人ばかりじゃないから、そう考える人もありますよ。あったからといったって、しょうがない。それは社会科学的立場でははっきり私はそういうふうに客観的に認識する。なおその点は戒能先生の方がよく社会科学的に御説明になるでしょう。ありますよ。可能性は幾らでもあります。しかし、あるからといって、その立法をやめるわけには参りません。
  61. 古屋貞雄

    ○古屋委員 これ以上私は申し上げませんけれども、先生は、かつて、先刻御答弁がありましたように、社会党案に賛成をされておる。それよりずっとしぼられた原案に御賛成になって、これを御説明申された。これはお立場上当然お説の通りと私は思います。ただ、私どもがここで考えなければならないことは、政策的にそういう工合にしぼってしまったのだということであれば、これは先生にお尋ねするばかりではありませんけれども、そう政策にはわれわれは反対をしなければならない。岸内閣が、御承知の通り、汚職問題についてはこれは国民に公約をしておるから、ざる法だけれども、しぼってしまったのだがこれを出さざるを得ないという政策の立場から出されたというように私どもは考えておるのですが、そういう考えを持つのが無理でございましょうか、どうでございましょうか。
  62. 小野清一郎

    ○小野参考人 ちっとも無理と思いません。あなたのお立場においては、私もよくわかります。しかしながら、いかなる理想案を出しても、通らなければ立法にはなりませんから……。
  63. 古屋貞雄

    ○古屋委員 その次は、これも結論からお尋ねを申し上げてお教えを得たいと思いますが、二百八条の二の問題でございます。これは要するに目的罪であるから、目的がなければ、多数が寄って多少旗ざおくらい、プラカードくらい持っても本罪は成立しないじゃないかという御議論になってくるようでございますけれども、しかしながら、目的の有無ということは形の上からはわからないわけです。従って、実際の問題とすれば、やはり取調べをする、取締りをする警察官が片っ端から、労働組合の諸君などが労働争議でデモをやったりあるいはすわり込みをした場合には、本罪の疑いありとしてどんどんこれは縛ってしまう、あるいは集団した行動を解散を命ずる、指導者を検挙するということはあり得ると思うのです。こういうことが行われて参りますと、どうもその点が心配になる。やはり、法律が制定されてしまえば、それから後は立法者意思いかんにかかわらずひとり歩きをする。そのひとり歩きの歩き方が心配になるわけです。こういう問題についてやはり私どもが心配いたしますことは、一年に一度か十年に一度しかないような別府の事件——私は博徒がなわ張り争いでけんかをするというのは現代は非常に少くなったと思います。グレン隊のゆすり、たかりはたくさんふえて参りましたけれども、集団をもって凶器を持ってけんかをする別府事件というようなものは、私は終戦後初めて教えられたのでありますけれども、そう全国にはたくさん私は起り得ないと思います。そういうような特異的な問題を目標にして新しい大事な刑法改正をされるというようなことについては、やはり私どもが申しましたような弊害そのものに重きを置いて、これはやはり戒能先生がおっしゃったように別な取締りの問題で目的を達し得るのではないか。これは重ねてお尋ねを申し上げたいのでありますが、特殊な言動、特殊な行動に対するそういう問題について刑法改正をするということは、刑法体系から言っても私はあまり好ましいことではないと思いますが、いかがでございましょうか。
  64. 小野清一郎

    ○小野参考人 今のは御意見なのでしょうか。何か御質問の点があれば……。
  65. 古屋貞雄

    ○古屋委員 この二百八条の二のこれを新たに制定しなければならない必要性というもの、そういう特異的な、十年に一度かあるいは二年に一度か三年に一度かという、大した全般的な問題でないのに、刑法規定処罰するというのは少し酷じゃないかという……。
  66. 小野清一郎

    ○小野参考人 わかりました。ところが、別府事件はなるほどああいうことは十年に一ぺんかもしれませんが、東京の中にも、浅草だの、幾らもあることなのであります。これはそうまれじゃない。たとえば、刑法の中には、騒擾罪とか内乱罪などに至っては、一度あったらこれは革命ですから、あとで罰するか罰しないかわからないし、一体ああいう規定があるということがどれだけの意味があるかとおっしゃられれば、内乱罪も外患罪も騒擾罪も十年に一ぺんとか百年に一ぺんあったとしても大へんなことでありまして、それに比べますと、これなんかはひんぴんとしてありますことは、これは新聞記事からも御了承願えると思うのであります。私は決して、なにでございますよ、これは私が書いたんじゃありません。
  67. 古屋貞雄

    ○古屋委員 それじゃ、わかりました。ただ問題は、意見の相違の点を争っても仕方がありませんから、先生に対してこれでもうやめますが、あとの緊急逮捕の問題、刑訴法の改正です。これはもう私どもは憲法違反の顕著なものであると思う。こういうように暴行、脅迫まで拡大されますと、憲法の三十三条というものはないと同じことだと私は思うのです。これは先生方は疑いがあるということで、軽くでもないが、あんまり表現ははっきり申していただけませんが、やはり憲法が保障しておる基本的人権の立場、この点から考えますと、暴行、脅迫まで入れるということは、もうこれはほとんど全部ですよ。もう緊急逮捕というものは逮捕状がなくても逮捕できるんだということに結論がなってしまうのじゃないか。これはもちろん今でも、先生は弁護士をしていらっしゃるでしょうが、戒能先生もおっしゃいましたけれども、ほとんど逮捕状は乱発されていますよ。大阪の市警などは、警官が自分で証明して自分がとってきたのが二度も裁判官に見つかっておる。そういう工合にやられておる現状より見ますれば、やはり、こういうような緊急逮捕ができるということ、これができるという範囲を広めますと、われわれ国民というものは法律の安定のもとに安心して行動ができないと思うのでございまして、これはやはり憲法の顕著な違反だ、こういうふうに考えますけれども、この点はどうでございましょうか。先生、これはどこまでもなくちゃいけないものでございましょうか。私どもはむしろ、国民がこういう工合にどんどん捜査官に引っ張られるようになれば、逆に権力に対する反感というものが強くなって、先生がおっしゃったようないわゆる革命に持っていくというおそろしい結果に対する憂慮を持っている。これはどうしてもやらなければ、今の現状、社会上の状態としてはやはり目的が達しないような状況にありますでしょうか、どうでしょうか。先生の御意見を承わっておきたい。
  68. 小野清一郎

    ○小野参考人 繁盛してまことに恐縮なんでありますが、あの第二百十条は、実際、問題になる条文でございまして、しかし、最高の一応の違憲でないとしたところ、それをちょっと広げることになります。しかし、それは、暴力というものを憎むという立場からは、いかがでございましょうかね。そこを根本的に言えば、私は、現在のような極端な——これはまあお聞きのがしを願いたいので、私ども決して真剣に考えてもみないのですけれども、現在の司法的な憲法の保障というものにどれだけの価値があるかということについてさえ私は少し問題としているということを申し上げればいいんじゃないかと思います。
  69. 町村金五

    町村委員長 志賀義雄君。簡単に願います。
  70. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 先生参考人で政府委員ではありませんから、この上あまり責め立てるようなことはいたしませんが、今度の改正案と政府が銘を打って出されたものはいかにも奇怪な規定がございます。たとえば、二百八条の二に、人の生命、身体、財産に対し害を加うる目的をもって集合した場合において、その凶器をもってとあるのですが、その財産に害を加える凶器というのは、一体これはどういうものでありますか。つまり、財産に害を加える凶器ということがあります。そのほかは、先生が法制審議会で議長を務めておられたときにいろいろ事例があげられておりました。この財産に害を加える凶器というものはこれは日本の法律学界初めての珍語でございますが、どういうことをさしているのでしょうか。
  71. 小野清一郎

    ○小野参考人 普通の個人の法益として生命、身体、財産と言いますが、やはり有形な財産、つまり人の住居しておる建造物その他を破壊することが財産に対し害を加えることになるかと思いますが、それじゃいかがですか。
  72. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 具体的にどういうものが凶器になりますか、それをお聞かせ下さい。
  73. 小野清一郎

    ○小野参考人 従来は凶器というものはもっぱら人の生命・身体に対することになっておりますけれども、たとえば道路工事に使うようなもの、本来はこれは凶器じゃないですけれども、用法による凶器として、具体的にあげろとおっしゃるならば、つるはしとか鉄の棒でもって道を掘り起すような作業に使うようなものでも、日本の家屋はまだまだ木造家屋が多うございますから、それをこわすことができる。凶器というのは在来は確かに人の生命・身体だけをそこなう危険のある器具というふうに考えられておりますけれども、これによりまして今度はそういうつるはしでもって人の家をこわすというようなことまでも入ってくるのじゃないかと思います。
  74. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 そういうふうになりますと、先生もおっしゃったように、確かに今までなかったものを新たに——たとえば暴力団を使用して建造物を人が住んでいるのにこわすというような場合なんかを加えるというふうに言われるのですが、これはあまりにも規定がばく然としまして、とんでもないことになります。先ほど社会党の委員が聞かれました、ちょっとどぶ板を踏み抜いたくつがあるとする、そのくつは凶器になるかという問題にもなってきまして、こういうふうなあまりばく然とした規定を置きますと、とんでもないことになる証拠がございます。というのは、これは法制審議会でそこにおられる竹内刑事局長が言われたことですが、小野先生は御記憶でございましょう。こういうことを言っている。「鉄棒とかこん棒のような、本来の用途におきましては人を殺傷のために使えば使い得るというような器具も含むというふうに考えるわけでございます。」、「ステッキだとか縄だとか手ぬぐいのようなものはこの意味におきまして凶器ではないというふうに理解するのでございます。」、ここで問題になってきますのは人の建造物に入ってステッキで窓ガラスをこわしたとか、こういうふうな問題も起ってきますし、さらに、最高裁判所判例では火炎びんは爆発物にあらずという判例も出ております。ところが、竹内刑事局長は、「従って手留弾だとかラムネ弾だとか火焔ビンというようなものは凶器の中へ入れて理解する。」と言っている。最高裁判所判例で火炎びんは爆発物でないと言われた、これは取締り上困るから、今度はこの法律でその漏らしたところをもう一度網ですくいあげる、明らかにその意図が出ているじゃありませんか。そういうことになっていますね。そういうことになってきますと、この法律というものは今日までこの法務委員会でも非常に問題になってきましたが、勝手な解釈をするということになるのであります。そういう点で私どもは今まで諸委員が述べられたような危惧を非常に感じるのです。こういうことがすべて今度の法文では何でもかんでもできるということになります。戒能先生、法制審議会のこれはごらんになりましたか。
  75. 戒能通孝

    戒能参考人 私、委員でございませんから、見ておりません。
  76. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 ですから、こういうものは、べたべた部外秘というような官僚特有の囲い込みをやらずに戒能先生のような方にも見ていただいて、衆知を集めてやられるのがいいのですが、こういうことをやっております。小野先生、いかがですか、こういう勝手なことができるような……。
  77. 小野清一郎

    ○小野参考人 勝手なことができるという御見解ですけれども、まんざらそうでもないと思うのです。勝手なことはできやせぬ。やはり凶器というものの既成概念がありまして、判例が幾つかある。それで、おのずから判例法的にしぼられてきている。ですから、まさかくつとか——昔岡田朝太郎先生は、あの司法科の口述試験でもって、手ぬぐいでほおかぶりして人のうちに入った、この手ぬぐいは凶器か、用法による凶器じゃないか、なぜなら、首を絞めれば十分人が殺せる、なんといってちょっとためされたこともあるのですが、口述試験の場でちょっと相手のどぎもを抜くにはいいかもしれぬけれども、まさか、現実の事件を前にして、幾らどぶ板を踏みはずしたくつだからといって、くつが凶器であるとか、それはあなたまだ日本の裁判を御存じないからでしょうか知らぬけれども、日本の裁判はそれほど非常識でもないと私は思うのです。
  78. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 ところが、そういう非常識な人が法務省の総裁でいたんですよ。裁判よりもっと広く見ますと、いますから、そこは先生方御存じないかもしれませんけれども、破壊活動防止法という法律を作るときに、当時の法務総裁であった、現在参議院議員をやっている木村篤太郎さんが、マッチも共産党員が持てば凶器になると言った。これが立法理由の一つに堂々とこの国会であげられたのですよ。そういう人たちがいるところですからね。先生方のお考えになるようなことでは律しがたいことがあるのです。堂々と破壊活動防止法は動いているでしょう。そういうことになりますからね。こういうものが一たび出ると、どういうことにでもなるのですよ。そういう点について、戒能先生、いかがですか。
  79. 戒能通孝

    戒能参考人 しかし、やはり凶器と書いてありますと、幾ら共産党員が持っていても、マッチが凶器になるだろうとは私も思わないのでございます。
  80. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 それは先生はそうでしょうが、木村参議院議員はそうでした。
  81. 戒能通孝

    戒能参考人 おそらく、凶器といいますと、何かの凶器性のあるものということになります。ただ、この場合私が一番懸念するのは、この規定が割合に本格的に適用されるのは、今後の中小企業体の争議行為でございますね、特に宿屋の争議行為というものに対して存外適用されるおそれがあるのではないかと思うのです。これは、売春防止法が実行されました結果といたしまして、確かに芸者衆が宿屋に入れなくなってきたことは事実のようでございます。他方におきましてチップが少くなっておるという傾向が出ているようであります。宿屋の女中さんや料理人の一般的な給与というものは大体チップなどを含んでぎりぎりのとこころにきているわけでございますが、そうなってくると、今後の問題としては、やはりああいうところに賃金値上げの問題が出てくるのではないか。そして、今までストライキなんかやったことのない人がやり始めかねないということになると、存外興奮する。それから、料理人などは、出刃ぼうちょうを振り回すというところまではいかなくても、棒を振り回すことはやりかねない。そういう場合にくくられるということになりますと、おそらく中小企業の労働組合の組織というものはくずれてしまうのではないかと思うのであります。この規定がどこに適用されてくるか、私には見当がつきませんけれども、存外暴力団ではないと思っているのであります。暴力団の方は、これはもっとはっきりしていますから、銃砲刀剣類等所持取締法の方でいくのではないか。それから、この規定が、この前の暴力行為等処罰法の先例が示したように、やはり労働組合的傾向のあるものの方に向うのではないだろうかという懸念は非常に強くするわけであります。おそらく政治問題ではなくて組合問題の方に向くのではないかと思います。
  82. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 これまで唐澤法務大臣と竹内刑事局長は、これは労働運動に適用しないということを繰り返して申しておられる。しかし、法律がひとり歩きするという危険はこれまで委員諸君から申されましたが、労働法の第一条の第二項に、「但し、いかなる場合においても、暴力の行使は、労働組合の正当な行為と解釈されてはならない。」という条項がありますので、今度刑法が改められますと、今の労働組合法第一条第二項の最後の規定とこれとはどういうふうになりましょうか。これが実際問題になってくる。これが必ず是認をされて労働運動に適用されるおそれはもう目に見えておるのでありますが、暴力行為等処罰に関する法律、この場合は、もっと精密な規定があったのに、現実は今日まで六割が労働運動に適用されております。そういう点からすると、これは非常に危険が感じられるのでありますが、その点はいかがでございましょうか。
  83. 戒能通孝

    戒能参考人 大体、組合運動の場合におきましては、こづいたりなにかしたときは、いずれも暴力行為等処罰に関する法律の適用を受けております。従って、中にはやむを得なかったという形で無罪になっている例もありますけれども、しかし、中には、ただこづいたというだけの理由で暴力行為として処分を受けている者もあるわけであります。従って、ただこづいたりなにかしたところにもってきまして、何か棒の準備があった、それから、もうちょっとぶっそうなものの準備があったということになりますと、もちろんこれは入るということに現状においてはなりそうだと私は感じているわけでございます。現在におきましては、こづいた者はいずれもつかまっているわけであります。その点だけは暴力になっております。
  84. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 刑事訴訟法の問題で、新刑事訴訟法の精神というものを非常に強調する裁判官が大部分今度これを改めることに反対しているのでありますが、審議会で、新関委員や団藤委員も、新しい刑事訴訟法がだんだん古い刑事訴訟法の方に引き戻されるというので、これは、事実いろんな事件、ことに公安関係事件で、反対尋問がある、これで事件が長引く、これを制限しようということが問題になってくることをおそれての発言であったと思いますが、小野先生が、「英米流の何でも反対尋問にさらして証人に正しいことを言わせるというこういう強い——こういう場合に要求される証人の人間というものがそういう英米的な人間が日本にもあるかというように、これは現実の人間が違ったらどうもしようがない、そういうことになると私は思うんです。初めはアメリカのイデオロギーなんですよ。観念論なんですよ。ところが英米法がその通り日本に実用できないということはたびたびの改正でわかりきっているのです。それはとうてい最初の通りにはいかぬということはこれはもう現実にわかっているんですね。人間観が具体的に違うのだ、それを無理に英米風の人間観でいけというのは観念論です。」、こういうふうに先生は言っておられますね。そうなってきますと、この反対尋問の権利を持つということは、これは、これまで被告人に対して非常な圧制が行われていた、それに対する一つの人間的な権利の保障になる制度でありますから、それを、先生のようにおっしゃいますと、そういうものは観念論だということになりますと、被告人になった場合、今度の刑法が改められた場合には、そういう点でますます反対尋問ということも困難になって、運用の上から言っても困ることになるのでありますが、その点について先生はどうお考えになりましょうか。
  85. 小野清一郎

    ○小野参考人 そこに述べてあることは、今もその通りに考えております。というのは、英、米刑訴のイデオロギーをそのまま日本に持ってきても必ずしも妥当しないということは現実であるから、いたし方がない。たとえば反対尋問にしても、一方、検事または弁護人反対尋問の技術というものもまことに幼稚なんです。私も、自分だけがそう心得ているというのではありません。向うの反対尋問についてのいろいろの本を読んでみまして、むしろあれも、何というか、いかにもトリックみたいで、私は、そういう意味で、反対尋問で何かほんとうの真実が引き出せればいいのですが、逆に、何か証人をわなにかけてこちらの思うような証言をさせるということが、果してどれだけの意味、ほんとうの意味の真実性を持つか、その点も疑いですが、それよりも、そのことを申しました場合に私の疑いとしたのは、証人の立場ですね、証人として喚問される人、その人間というものをよく観察しなければいかぬと思うのです。その証人として喚問される人が——これは多分その発言はなにのときでしょう、被告人を退廷させる問題の、あのときですね。すなわち、刑訴法二百八十一条の二のところなんです。実によく御研究になってこられたことを敬服いたしますが、私のそのとき申した意味は、日本の法廷に呼ばれた者が、イギリスやアメリカで証人に呼ばれた者とはなはだしく違った心理作用を持っているように——これは多分、私は両方とも現実を見ておりますから、比較してのことなんです。しかも、私もまた弁護人として相当反対尋問もやってみた経験から——これはアメリカのプロヴォスト・コ—トでもやってみましたし、市ケ谷の極東軍事裁判においてもやってみました。で、その証人というもののサイコロジー、心理というものはだいぶ違うのですね。何というか、日本の証人は非常にティミッドですね、おずおずしている。なれない法廷に出て、いかめしい法廷の前に立たされて(志賀委員「それは法廷が悪い」と呼ぶ)——ちょっと聞きたまえよ。たとえばこういう事件になりますと、うしろにはずらっと子分が傍聴に来ているわけですね。そういうときに、単に被告人だけではないのですよ、傍聴人もみなにらみをきかしているところで、果して普通の、女、子供でも、思った通りすらすらと言えるかということ、これは心理学的な問題なんですが、そういう点を——それは法廷も悪いかもしれません。しかし、あれでも戦前よりはだいぶよくなったのですぞ。戦前は検事が上にいたのですから。まあお骨折りによるかもしれませんがね。だいぶよくなった。まあ現在の法廷をもっと直せとおっしゃれば、もっと低くせよとか、いろいろあるかもしれぬが。あのしかも陪審員の前で英米の証人は相当確信に満ちたことを言っていますね。それでいて、やはり愚かなもので、弁護人反対尋問にひっかけられて、つい言いたくないことまで言わされたりしている例が幾らも本に書いてありますね。これは御勉強になっているようでございますからよく御承知でしょうね。それと、何ですよ、日本の証人と実体が違う。ものが違う。これはおそらく経済的地盤も違っているのでしょうね。まだほんとうの意味の市民さえも日本には、できていないのじゃないですか。性格的にほんとうの市民さえもできていないのですよ。それはやはり経済的地盤の変化に従っておいおい変ると思います。ですから、今は今なりの手当をする以外に立法としては手がない。われわれ法曹といたしましては、私は今特別顧問を頼まれておりますけれども、これは下の方から弁論を十何年やってきたのですから、何もそう軽べつされたものでもないのだ。どうかその点を一つ御了承願いたい。
  86. 町村金五

    町村委員長 もういいでしょう。
  87. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 まだありますがね、いいですわ。
  88. 町村金五

    町村委員長 参考人各位には御多忙中きわめて長時間にわたり委員会の審議に御協力下さいまして、まことにありがとうございました。  これにて暫時休憩いたします。     午後二時五十分休憩      ————◇—————     〔休憩後は会議を開くに至らなかった〕