○
三田村
委員 猪俣委員と
論争するわけじゃありませんが、今の
猪俣委員の御
答弁の中に
二つの問題があります。
一つは第七十六
議会の際の
審議の経過でありますが、
貴族院がこれを通してきた、
貴族院は
法律の
専門家がおってこれを通してきたんだ、
衆議院はしろうとがおって、何かあまり好ましくない
法案だから流したような御
説明のように伺ったのでありますが、そうではないんですよ。当時の
衆議院の
委員会の
構成は、
猪俣委員も
記録その他で御
承知と思いますが、当時は
常任委員制度でありませんで、
特別委員制度でありますから、
刑法改正の
法案には
刑法の
専門家ばかり集まっておる。そうして、この中の
論議の
焦点は、
猪俣委員の御
説明の
地位の
利用という
言葉が必ずしも
中心になったわけではありませんでした。これは、こういう
書き方をしておくと、運用上非常に問題になるというところに問題があった。たとえば、
猪俣委員が、
議員である場合その
選挙民の
意思を正しく伝えることが当然の責務だとおっしゃいます。その
通りでありますが、ある一
議員はこういうことを言っておりました。今とは多少
国会の
構成も違いますが、
地方の
土地改良とかいろいろの問題で
東京に出てくる、
東京に住所も何もない、その事の性質によって一月も二月も滞在しなければならぬ場合がある、とてもその全部を自弁で処理することはできない、その場合に宿銭払ってもらうとか
往復の
汽車賃を出してもらうということは
社会通念上当然だと言う。これは出す方ももらう方も
社会通念上当然だ、これは
記録の上で
猪俣さん御
承知と思いますが、保守党の
議員からの
発言ではなかった。ところが、ちょうど
公職選挙法——昔は
公職選挙法とは言いません。
衆議院議員選挙法と言いましたが、この
選挙法で
供応の罪というものがある、しばらくぶりで帰って友だちと
一ぱい飯を食っても、どうかすると
供応罪でやられることもある、こういう場合に実費の弁償かどうかわけがわからぬ、宿銭を払ってもらうとか、
往復の旅費を出してもらう、それでも
捜査当局の認定によって、あいつは
あっせん収賄をやったんだ、こういうことになると、
議員としても、
公職者としての明朗闊達な
職務行為が行えないという
議論が相当強かった。これは非常に私注目し、また、深く掘り下げて検討しなければならぬ問題だと思うのであります。私
たちが、これは
猪俣さんに言うことは釈迦に説法でありますが、新しい
憲法のものと、
ほんとうに民主的な
政治組織を完成することは、やはり民意の暢達でおり、
主権者である
国民の
意思を忠実に
政治の面、政策の面に反映することでなければならぬと思う。その場合に、
刑法法典で臨む
法律的規制、制約ということが非常に大きなワクになってくる。なるほど、世話することは当りまえだ、金もらうことはいかぬのだと言われますが、私も
あっせん収賄ということは賛成するものでありません。最も強く反対し、これを否定する一員でありますが、しかしながら、問題は、
政治の本体、
本質にかかってくるのでありまして、そのことゆえにみなが萎縮してしまって正しいこともできないということになると、そのねらった
立法の趣旨と逆な効果を招来するということも考えられるのであります。
なぜ私がそう申し上げるか。
猪俣委員は、
最後は裁判所の判決だ、それは健全な
社会通念だと言われましたが、健全な
社会通念が果して誠実に厳格に厳粛に裁判の上に常に反映するであろうか。これにも問題があります。裁判が
最後の判断を下す場合は、あるいは健全な社会債通念の上に法
解釈というものは行われて、りっぱな判決が下ることか建前でありますが、その前にある検察捜査官というものは、これは
一つの問題になって参ります。必ずしも裁判そのものを私は批判するものじゃありませんが、従来の、しかも現在においても、日本の検察捜査という段階においては、今日言論の自由がありますし、何らかの容疑をもって警察に召喚され、検察に召喚されるというだけで、
公選公務員の
政治的生命は断たれるということは、これはおおうべからざる厳粛な事実でございます。そういう場合に、何も私は物をもらって仕事をするあっせん
議員、そういう者を保護しようというのじゃありませんが、少くともわれわれ
立法の府としてこの
刑罰法をここで取り扱う場合については、そういった問題の考慮がなければいけない。これは過去の笑い話の一例でありますが、警察につかまったある大工であったか何であったか知りませんが、これは有名な法廷のこぼれ話として伝えられている事件であります。その細君がげた屋であった。げた一足刑事のところに持っていって、これが贈賄の罪に問われて検挙された事件がある。げた一足持っていって贈賄罪で検挙された。これは
法律の厳格な
解釈から来ればこうなるのであります。そういう
意味から、新しい
政府提案の過程において、刑事
立法なるがゆえに、
公務員及びそれに直接つながる民衆の行動に対する大きな制約を求める刑事
立法なるがゆえに、事はきわめて厳粛に、厳格にしなければならないということが今回の
提案のいきさつだと私は思います。この点はあくまでもここで理論闘争をやるつもりはありませんが、もちろん、
わいろという
用語、これは判例もあり、学説もありまして、
わいろそのものは金銭的あるいは物品的人の欲望を満たす不正な給付であるということは私も
承知しております。
わいろという
言葉を使ってあるからいいじゃないかというのでありますが、その
わいろの
内容においても、げた一足でも
わいろになる場合があります。菓子籍一個でも
わいろになる場合があるのです。
解釈いかんによっては、あれは菓子箱といってもその中に金が入っておったじゃないか、こういう容疑さえかけられるのであります。そういう場合に問題があると私は思う。
それから、
猪俣委員の言われる
公務員その
地位を
利用しということは、私は必ずしもその
用語にこだわるわけではない。と申し上げることは、
政府案にあるような
書き方をいたしましても、それが
公務員である場合はすべて
公務員の
地位は常について回るのです。
猪俣さんは今
公務員がその
地位を
利用した場合と
利用しない場合を区別するとおっしゃいましたが、私はちょっとそれは
法律上区別は困難だと思うのです。これは
公務員として
公務員の
地位でやったんだ、これは
猪俣個人でやったんだ、これは
三田村個人でやったんだ、友だちとの
関係でやったんだという区別は
法律上出てくる。
社会通念としてこれを割り切ることもなかなか困難だと思うのです。従って、これは、
公務員がその
立場にありその
地位にあってなす行為それ自体が
公務員の
職務の公正を害し、ないしはまた
廉潔性を害するかいなかといとうころに
立法の
焦点があり、また本
法律の
焦点があるのだ、こういうことをわれわれは考えるのであります。理論闘争をやるわけではありません。
そこで、もう
一つ伺いたい。これは具体的な問題であります。きょうはここに来ておられませんが、この間実はNHKの放送討論会に
社会党の吉田賢一君と二人で出ました。このときに東大の
刑法学の平野教授が来ておった
関係からではないかと思いますが、集まった聴衆はほとんど学生、若い学徒らしいような気がいたしました。若いまじめな人ばかりでありましたが、この
あっせん収賄罪に関連して、これは素朴な
国民の感情ではないか、同時に、
法律上の
一つの疑惑、疑点というものを投げかけてきたような気がするのでありますが、たとえば、
あっせん収賄というと、何か特定の
議員だけ、あるいはボス
政治家というものだけが
対象になっているような気がすると言う。つまり、世の中の意見はそういう気がするが、実はわれわれは疑問を持っておることなんです。それは何かというと、たとえば社会会党の
議員なり、あるいは総評を選挙の組織基盤として出てきた
議員などが、ちょうど今やられておるように、ということは、ちょうど春季闘争の最中でありましたが、ベース・アップ闘争をやり賃金が上る、これも明らかにあっせんじゃないかと言うのです。そのことによってその組織大衆は
利益を得る、そうしてベース・アップ闘争の賃金値上げの先頭に立ってやる者は
社会党の
議員さんだ、われわれは何かそこに割り切れない
法律上の疑惑を持つと言うのです。たとえば、
一般の私企業の
関係はともかくとして、総評の傘下二百三十万ですか、その
人たちの賃金が千円ずつ上るというようなことを言っておりました。一カ月に二十四億とかなんとか言っておりました。これだけの支払いの義務を負うものは
国民だと言う。こういうものはどうですかという質問が出た。私は、それは
刑法の
対象外だ、そういうことは
あっせん収賄罪の目標にも
対象にもならぬ、それは労働運動の分野の問題であり、健全な
国民の常識の問題である、こういう
答弁をしておったんでありますが、こういう点も、アメリカの連邦
刑法では、これは非常にむずかしい、合衆国の有償契約ですか、こういうことも一応
あっせん収賄罪の
内容として、直接ではありませんが
法益の
対象にしておるようであります、私は、こういう素朴な疑問、疑惑というものを持たれておるということも、これは今日の段階において無理からぬことだと思います。これは
一ついい機会でありますから、
社会党のベテランである
猪俣委員から、
法律上の
立場を、どういうふうな
関係になるか、明らかにしていただきたいと思います。