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1958-04-04 第28回国会 衆議院 法務委員会 第22号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十三年四月四日(金曜日)     午前十時五十七分開議  出席委員    委員長 町村 金五君    理事 高橋 禎一君 理事 林   博君    理事 福井 盛太君 理事 三田村武夫君    理事 青野 武一君 理事 菊地養之輔君       犬養  健君    小島 徹三君       小林かなえ君    世耕 弘一君       徳安 實藏君    長井  源君       花村 四郎君    古島 義英君       横川 重次君    猪俣 浩三君       神近 市子君    田中幾三郎君       古屋 貞雄君    志賀 義雄君  出席国務大臣         法 務 大 臣 唐澤 俊樹君  出席政府委員         検     事         (刑事局長)  竹内 壽平君  委員外出席者         専  門  員 小木 貞一君     ————————————— 本日の会議に付した案件  参考人出頭要求に関する件  刑法の一部を改正する法律案鈴木茂三郎君外  十二名提出、第二十六回国会衆法第二七号)      ————◇—————
  2. 町村金五

    町村委員長 これより会議を開きます。  この際お諮りいたします。刑法の一部を改正する法律案及び刑事訴訟法の一部を改正する法律案につきまして、来たる四月八日火曜日、参考人を招致し、意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 町村金五

    町村委員長 御異議がなければ、さよう決定いたしました。  なお、参考人人選等につきましては委員長に御一任願います。     —————————————
  4. 町村金五

    町村委員長 次に、刑法の一部を改正する法律案鈴木茂三郎君外十二名提出、第二十六回国会衆法第二七号を議題とし、審査を進めます。発言の通告がありますのでこれを許します。三田村武夫君。
  5. 三田村武夫

    三田委員 提案者を代表される社会党委員の方にお尋ねいたします。  まず率直に端的に提案されるまでの経緯からお尋ねいたします。御承知のように、あっせん収賄罪規定刑法中に設ける案は、ずいぶん前から論議されておりまして、昭和十五年の改正刑法仮案の二百一条にもあります。それから、昭和十六年、第七十六帝国議会政府提出法案として出されたことも御承知通りであります。社会党提案法案内容を拝見いたしますと、大体、刑法仮案二百一条、昭和十六年提案刑法改正案と歩みを同じうしてきているような感じをいたすものでありまして、多少文言について違うところもあるようでございますが、私がここで第一点としてお尋ねいたしたいのは、昭和十六年の政府提案法案内容と、それから今回社会党提案法案内容、これは同じものであるか、多少そこにニュアンスその他に違うところがあるのか、社会党提案経緯についてまずお尋ねいたします。
  6. 猪俣浩三

    猪俣委員 御答弁いたします。これは、社会党世論の趨勢を察知いたしましてこの案を提案する決意をいたしましたとき、とにかく新しい刑罰法案を立案するのでございまするがゆえに、これはやはり沿革的な筋道を通って提案した方がよかろうということに相なりまして、今三田委員の御指摘のような、昭和十五年の刑法仮案、十六年の政府提案及び戦時中の戦時刑事特別法の案文、そういうものを参酌いたしまして、この社会党提案となったのでありますが、字句につきまして多少要らざるところを法制局で研究してもらいまして、そうして、今まで政府案としてたびたび出ましたものを骨子として、少しばかりの字句改正をして提案をしたのでありまして、その骨子は同じものであります。
  7. 三田村武夫

    三田委員 十六年政府提案法案は、「公務員其他位利用シ他公務員職務ニ属スル事項ニ付斡旋ヲ為シ又ハ為シタルコトニ関シ賄賂収受シ又ハ之ヲ要求クハ約束シタルトキハ三年以下ノ懲役ニ処ス」、社会党提案法案は、「公務員其地位利用シ他公務員職務ニ属スル事項ニ関シ斡旋ヲ為スコトハ斡旋ヲ為シタルコトニ付賄賂収受シ又ハ之ヲ要求クハ約束シタルトキハ三年以下ノ懲役ニ処ス」、大体、字句の配列と申しますか、法案の中に盛られたことは、対象法益と申しますか、守られなければならないものを想定されたその内容は同じことだと思います。  そこで、私まずこの内容についてお尋ねしたいのでありますが、「公務員其地位利用シ」、この文言解釈であります。これをお尋ねすることは、実は、猪俣委員も御承知通り昭和十六年の刑法改正の際には、私も実はその審査関係した一人でございますが、最後まで残った論点はこれにあったのです。「公務員其地位利用シ」というところにありまして、これは速記録にも明らかな通り、現在社会党に属しておられる委員諸君の中でも、この点には最後まで疑問を持たれた方が相当あった。「公務員其地位利用シ」の公務員のその地位とは何だ、こういう問題点についてであります。これは御承知のように、公務員二つありまして、任命による一般公務員公選による公務員任命による公務員公選による公務員とはおのずから公務員のその地位が違うのであります。そういう意味合いから、果してこの保護法益が何か、それから公務員地位とは何ぞや、その地位利用するということはどういうことか、法律上また客観的に具体的にこれを事実として刑罰法対象にする場合は、どういうことがここで浮んでき、これが生きてくるかということが非常にむずかしい論点になったのであります。その点は十分御検討の上御提案になったものと思いますから、一応その点の解釈、解明をお願いしたいのでございます。
  8. 猪俣浩三

    猪俣委員 大体、わいろ罪というものは、その職務に関して不正な利益を受けるということが本質であるわけです。ところが、あっせん収賄罪は直接その職務に関せざることをも罰するということに相なっていることは御承知通りである。そこで議論が沸騰するのでありまするけれども、しかし、やはり事公務員だけに限ったところに意味があるのでありまして、私は法益論から最初申しますが、法益論は、政府答弁にあったように、やはり職務の公正を保持するということ、及び公務員廉潔性を保持するということ、この二つに、やはり二元的に解釈していいと思います。究極においては、憲法の保障しておりますように、公務員が一部の人に奉仕せず万人に奉仕する、その性格から来るのでありますが、その単純収賄罪あっせん収賄罪においては、法益議論が私は第一次、第二次と転換していると思う。まず、刑法の今までの単純収賄罪法益は、私は、公務員の公正なる職務の執行ということが中心である、ですから、職務に反するということが犯罪の成立要件の第一になっていると思う。ところが、あっせん収賄罪においては、職務に関しないものということに相なりまして、ただし、職務に関しないといっても、全く公務員以外の者を処罰対象にするのではなくて、やはり公務員であることを要件といたしますがゆえに、やはりその法益はいま一つわいろ罪法益である公務員廉潔性というものを第一次的に考えたものである。ひいては公務員廉潔性をけがすことによってまた他の公務員にその任務を曲げさせるような間接影響を及ぼすことも押えるわけでありますけれども、第一次には、やはり公務員廉潔性公務員は一定の歳費なり俸給なりを受けておりますがゆえに、それ以外の利益を得るということは国民一般がひんしゅくするところである。こういう国民世論というものから、公務員廉潔性を保持する、そうして国民の信頼にこたえるということが、いわゆるわいろ罪法益の重大な一つでありますが、このあっせん収賄罪はまさに第一次的には公務員廉潔性ということを主たる目的として、法益として立案されるものだと私は思う。そうなってきますと、やはり公務員ということが重点になってくる。職務には関しないことであっても、公務員がその顔をきかせる、その地位利用するということがあっせん収賄罪中心課題じゃないかと思う。この地位利用ということをとってしまうというと、あっせん収賄罪ほんとう法益というもの、何がゆえにあっせん収賄罪を罰しなければならぬかという理由が非常にくずれる。政府原案のような、地位利用ということを削除してしまったものは、私は法益論から言ってもへんてこなことだと思う。なぜ地位利用ということをせずして公務員わいろというものが結びつくのであるか。公務員わいろというものを結びつけて、これに対して処罰するというゆえんのものは、その公務員地位利用したというところに世人の指弾を受ける点があるのでありまして、それを抑制しなければならぬということが中心である。ですから、各国のあっせん収賄罪処罰する規定を見ても、あるいは官吏の汚職を抑圧する規定を見ましても、ほとんど大部分が地位利用ということを掲げておるゆえんはそこであり、わが国におきましてもたびたびなお政府原案として提案せられましたあっせん収賄罪が必ずこの地位利用を置いた理由がそこにあり、なおまた、法制審議会において、今日の政府原案審議するに際しましても、地位利用を落したことに対して相当なる学者からあるいは実務家から疑義が提案せられている点もそこにある。このあっせん収賄罪中心的な問題は、地位利用というところにある。顔をきかせ、自分地位影響を持たせる、そして他の公務員に対してその影響のもとに事をなさせるということが、あっせん収賄罪処罰の第一の要件でなければならぬ。それをはずした政府案に対しましては、私どもは納得いかぬのであります。
  9. 三田村武夫

    三田委員 猪俣委員の御説、御主張はよくわかります。つまり、あっせん収賄罪法益が、公務員廉潔性職務の公正にあることは何人も異論のないところであります。しかしながら、法律用語として、これは外国立法例もありますが、外国立法例にもないところもあるのです。また書き方も多少違うのであります。わが国立法例から、刑法の体系と申しますか、そういうものをずっとながめてみました場合に、「公務員其地位利用シ」、ただ地位利用しという言葉だけでなく、「利用シ他公務員職務ニ属スル事項ニ付斡旋ヲ為スコト」、この言葉が続いてくるのでございます。十六年の七十六国会の際の論議焦点がここにあったことは猪俣委員承知通りでありまして、なぜ私がこれを繰り返し申し上げるかといえば、法律で書く場合にはすらすらと書けるのです。これでなるほど保護法益をちゃんと押えるという解釈が出てくるのですが、さて実際具体的に、「公務員其地位利用シ他公務員職務ニ属スル事項ニ付斡旋ヲ為スコト又ハ為シタルコト」、こういうふうに条文の体裁として書いて参りますと、なかなか限界がわからなくなってくるのであります。たとえば、具体的にこれは公選公務員任命公務員二つに分けますが、任命による公務員で、ここに甲の局長と乙の局長がある、だれか民間の業者でもだれでもいいのですが、乙の局長所管事務であるが、乙の局長は知らない、この自分の行政府としての官庁に要請した事項について早く事を進めてもらいたい、これは自分一人の利益だけでなくて、あるいは経済面において、行政面において非常に重要なことで、早くやってもらいたい、ところが停滞したままで動かぬ、しかも乙という局長には面識がない、たまたま甲という局長はよく知っておる、甲の局長のところに行って、こういうことで乙の局長のところで停滞してしまっている、何とかして一つ話してくれないか、よしよし、乙局長をおれはよく知っているから話してやろうと、電話一本かける、これでも地位利用になるのですね。「公務員其地位利用シ」、こうなるのですね。また、たとえば公選による公務員猪俣さんは新潟県ですが、新潟県の土地改良とか水利用水の問題などで、農業団体のいろいろな要望、希望がある、それをやはり行政なら行政のそれぞれの衝に当る人に伝え、選挙民地方人要望要求をすなおに誠実に取り上げていくことが公選公務員の当然の職務行為だと思うのです。しかし、これとてもやはり「公務員其地位利用シ」になりますね。地位利用しという概念からは、私は法律上はずすことはできないと思う。甲の局長が乙の局長電話一本かけること、猪俣代議士新潟県民要望を農林省に伝えること、これまた地位利用という用語からはずれることは私はできないと思うのです。これが昭和十六年の国会の際の論争焦点であったことは、猪俣委員承知通りであります。いやしくも刑罰立法でありますから、公務員廉潔性職務の公正も期さなければなりません。しかしながら、それはきわめて厳格に、厳密に、法律目的とする範囲と内容というものを明らかにしておくことが必要であるというところから、なかなか納得のいく結論、解釈が出てこなかったということは、猪俣委員も御承知通りだと思います。  そこで、私は、この問題のみにあえてこだわるわけでもありませんが、今私が申しましたように、公選公務員、すなわち、言いかえれば県会議員とか代議士一般任命による公務員、これは、中央官庁に職を奉ずるお役人さん、あるいは地方の県庁、市役所に職を奉ずる地方公務員、皆ひとしく法律上の立場公務員。そういう人々の廉潔性職務の公正は期さなければなりませんが、これが、いいことだ、やらなければならないことだといいながら、この法律の牽制を受ける、こういうことになる可能性が私は相当あるのではないかという気がするのであります。どこかに刑罰法規の限界する線というものを設けておきませんと、いいことでも悪いことでも、公務員がその地位利用する、地位利用には違いないのですよ。代議士でも県会議員でも、名刺一枚持って行けば、衆議院議員猪俣浩三と書いてある名刺がやはり地位なんです。そういうことが、公務員廉潔性あるいは職務の公正という一つ法益を保護するために、これは最も必要でありますが、刑罰法対象とする場合にはなかなか私は解釈が困難だと思う。ここに難点があることを私も多少の経験の上から知るのであります。七十六回の国会論争焦点がそこにあったことは御承知通りでありますが、一つここで猪俣委員からこれまでの具体的な設例を一つ説明願いたいのであります。
  10. 猪俣浩三

    猪俣委員 三田委員説明の中に、第七十六国会でこの「公務員其地位利用シ」ということが問題になって、これが流れてしまったという説明がありましたが、これは、政府委員説明がちぐはぐであって、いわゆる法益論にひっかかった、これはもう明らかなことであります。私どもは、今読んで見て、何とまあまずい答弁をした、私よりよっぽどまずい答弁をしたと思うくらいで、こういう答弁をやるからひっかかった。ただし、これは三田委員御存じのように、当時貴族院を通過したものが衆議院にひっかかった。後世の法制史家あるいはあっせん収賄罪歴史を書く人たちの本を読んで見ても、ほとんど異口同音に、こればこういう文句にひっかけて、ほんとうは成立せしめたくなかったので、それに文句をつけて、これは大した正しい議論でもないけれども、そこに言いがかりをつけてつぶしてしまったということを、ほとんど歴史的回顧として書いてあることを三田委員御存じだろうと思います。当時やかましかった法制通のいる貴族院ではそのまま通ったものが、当時の衆議院貴族院よりは法制通が少かったが、そこでこれがつぶれてしまったなんというのは、これは政府委員も不用意であったかもしれませんが、ほんとうにこの地位利用するという言葉それ自体に危慎を感じてそれでこれが通らなかったなんということは、どうも歴史的回顧の論文の中には見当らぬ。当時の一般衆議院空気として、こういうあっせん収賄罪を通す空気じゃなかった。その一つの現われが出ただけだということを私ども承知しておるわけです。三田委員も当時の議員として参画せられたとすれば、当時の衆議院空気というものはおわかりであって、それが実際じゃなかった、ほんとうはそれはどうでもいいが、あっせん収賄そのもの処罰することに根本的に反対であった、それがたまたまこの審議に際して文句をつける場所としてこれを利用したのだというのが実際じゃないかと思うのであります。  そこで、今三田委員が一々御心配になっておる、国会議員がいろいろ選挙民請託を受けてあっせんする、それはみんな問題になるじゃないか、こうおっしゃるのでありますが、私どもの立案では、そんなことはちっとも問題にならぬ。これはよろしく地方民のためにも働くべきだ。ただ、あまりに陳情議員なることは私は感心いたしませんが、国政のことはさっぱりさておいて、地方の学校を建てる、道路を作ることばかりに奔走しているような議員があるかも存じませんが、こういう陳情議員というのはあまり感心しません。しかし、そういう陳情を取り次ぐ、あるいは職務の停滞しておるのに対してその係官に対して督促する電話をかける、こんなことは当然やるべきことだと思う。問題は、それだけでひっかかるじゃないかということでおやめになるからおかしなことになるが、そうじゃない。金をもらわなければいいんだ。金をもらわなければひっかけるわけじゃないのです。電話をかけて早くやってくれろと言うことは、これは当然のことでしょう。しかし、そのお礼をちょうだいするのがおかしい。これは、国会議員なりその他の議員にしても、あるいは一般公務員としても、ちゃんと歳費なり俸給なりを受けている者が当然やらねばならぬ一種責任が僕はあると思うのだ。代議士なんというものは、もちろん地方陳情を取り次いでやる責任がある。それを取り次いでやったということで金をもらうということではきたなくなると思うのです。だから、西洋でも、公務員地位は買収すべからざる地位であるから、公務員不可買収性をもってわいろ罪法益だと言う人もあるくらいでありまして、とにかく、何か世話してやっては金を取るということになると、これは一種陳情ブローカーになる。陳情ブローカーということに相なりますならば、これはどうも公務員としてはあまり喜ぶべき現象じゃないと思う。これは取り締らなけれならぬということになるのでありますが、その意味におきまして、地位利用しただけで処罰するなんということを私ども考えているわけじゃありません。報酬を取ることと結びつけて何か世話してやった、それでお礼をもらった。一体それでいいかどうかという問題です。そういうことはブローカー行為、動いてそうして手数料を取ったり報酬を取ったりするのはブローカーです。それはその職業として成立する職業だ。しかし、国会会議員その他の者が、歳費をもらっている上にブローカーのような報酬を取るということがきたないことだ。だから、それはやめなければならぬということから、この立法がなされたものでありまして、私は当然だと思うのであります。  それで、具体的実例と申しましても、結局は、あなたの御心配のように公務員地位利用してということが政府答弁から見てもばく然としておるというのでありますけれども、これは、いかなる法律用語でも、突き詰めて考えれば、最後は裁判所において社会通念によって決するということになるわけであります。この間佐竹晴記君がはげの定義を行った。はげとは髪の毛のないことだ、では一本あったらどうなるかということでしたが、しかしこれは社会通念としてはげとはどの程度のものであるかということが決せられる。そういうわけで、公務員がその地位利用して、つまり顔をきかし、自分立場から他の立場の職権を持っている人間にある影響を及ぼす、そういう通俗的な解釈でも私はさしつかえないと思う。これは上官下官関係もありましょうし、あるいは同僚関係もありましょう。ありましょうが、とにかく、その地位にあったということから、その頼まれた人間が何らかの影響を受けて、そうしてそれを処理してやった、それがために請託をした人から金をその人がもらったというその関係処罰するのであって、これがあっせん収賄罪中心課題だと思うのです。  それで、なるほど地位利用するということは不明確だということになりますならば、先ほど申しましたように、政府原案でも実に不明確なことが多いのでありますけれども地位利用ということはあっせん収賄罪本質であるから、これは私どもは削ってはならない。これを削ってしまったら、あっせん収賄罪本質がぼけてくる。これが各国大多数の国においてあっせん収賄罪本質として地位利用ということを存置している要因だと思う。日本におきまして過去たびたびの提案でこの地位利用という言葉を使っている原因がそこにあるかとも考える。そういう意味におきまして、実際の場合におきましては社会通念によって解決をしなければならぬと思いまするが、しかし、これはやはり一つのしぼりになっておる。全くの個人関係で、その地位からやったんじゃありませんで、友人とか親戚とか、全く個人関係でやったということが立証される場合には、これは公務員廉潔性関係のないことであるから、処罰する必要はないんです。そういうことは裁判上困難でありましょうけれども、理念としては、やはりどこまでもその地位と結びついてわいろをと取ったということにならないと、いわゆるわいろ罪あっせん収賄罪本質が当然ぼけてくる、こういうふうに私どもは考えております。
  11. 三田村武夫

    三田委員 猪俣委員論争するわけじゃありませんが、今の猪俣委員の御答弁の中に二つの問題があります。一つは第七十六議会の際の審議の経過でありますが、貴族院がこれを通してきた、貴族院法律専門家がおってこれを通してきたんだ、衆議院はしろうとがおって、何かあまり好ましくない法案だから流したような御説明のように伺ったのでありますが、そうではないんですよ。当時の衆議院委員会構成は、猪俣委員記録その他で御承知と思いますが、当時は常任委員制度でありませんで、特別委員制度でありますから、刑法改正法案には刑法専門家ばかり集まっておる。そうして、この中の論議焦点は、猪俣委員の御説明地位利用という言葉が必ずしも中心になったわけではありませんでした。これは、こういう書き方をしておくと、運用上非常に問題になるというところに問題があった。たとえば、猪俣委員が、議員である場合その選挙民意思を正しく伝えることが当然の責務だとおっしゃいます。その通りでありますが、ある一議員はこういうことを言っておりました。今とは多少国会構成も違いますが、地方土地改良とかいろいろの問題で東京に出てくる、東京に住所も何もない、その事の性質によって一月も二月も滞在しなければならぬ場合がある、とてもその全部を自弁で処理することはできない、その場合に宿銭払ってもらうとか往復汽車賃を出してもらうということは社会通念上当然だと言う。これは出す方ももらう方も社会通念上当然だ、これは記録の上で猪俣さん御承知と思いますが、保守党の議員からの発言ではなかった。ところが、ちょうど公職選挙法——昔は公職選挙法とは言いません。衆議院議員選挙法と言いましたが、この選挙法供応の罪というものがある、しばらくぶりで帰って友だちと一ぱい飯を食っても、どうかすると供応罪でやられることもある、こういう場合に実費の弁償かどうかわけがわからぬ、宿銭を払ってもらうとか、往復の旅費を出してもらう、それでも捜査当局の認定によって、あいつはあっせん収賄をやったんだ、こういうことになると、議員としても、公職者としての明朗闊達な職務行為が行えないという議論が相当強かった。これは非常に私注目し、また、深く掘り下げて検討しなければならぬ問題だと思うのであります。私たちが、これは猪俣さんに言うことは釈迦に説法でありますが、新しい憲法のものと、ほんとうに民主的な政治組織を完成することは、やはり民意の暢達でおり、主権者である国民意思を忠実に政治の面、政策の面に反映することでなければならぬと思う。その場合に、刑法法典で臨む法律的規制、制約ということが非常に大きなワクになってくる。なるほど、世話することは当りまえだ、金もらうことはいかぬのだと言われますが、私もあっせん収賄ということは賛成するものでありません。最も強く反対し、これを否定する一員でありますが、しかしながら、問題は、政治の本体、本質にかかってくるのでありまして、そのことゆえにみなが萎縮してしまって正しいこともできないということになると、そのねらった立法の趣旨と逆な効果を招来するということも考えられるのであります。  なぜ私がそう申し上げるか。猪俣委員は、最後は裁判所の判決だ、それは健全な社会通念だと言われましたが、健全な社会通念が果して誠実に厳格に厳粛に裁判の上に常に反映するであろうか。これにも問題があります。裁判が最後の判断を下す場合は、あるいは健全な社会債通念の上に法解釈というものは行われて、りっぱな判決が下ることか建前でありますが、その前にある検察捜査官というものは、これは一つの問題になって参ります。必ずしも裁判そのものを私は批判するものじゃありませんが、従来の、しかも現在においても、日本の検察捜査という段階においては、今日言論の自由がありますし、何らかの容疑をもって警察に召喚され、検察に召喚されるというだけで、公選公務員政治的生命は断たれるということは、これはおおうべからざる厳粛な事実でございます。そういう場合に、何も私は物をもらって仕事をするあっせん議員、そういう者を保護しようというのじゃありませんが、少くともわれわれ立法の府としてこの刑罰法をここで取り扱う場合については、そういった問題の考慮がなければいけない。これは過去の笑い話の一例でありますが、警察につかまったある大工であったか何であったか知りませんが、これは有名な法廷のこぼれ話として伝えられている事件であります。その細君がげた屋であった。げた一足刑事のところに持っていって、これが贈賄の罪に問われて検挙された事件がある。げた一足持っていって贈賄罪で検挙された。これは法律の厳格な解釈から来ればこうなるのであります。そういう意味から、新しい政府提案の過程において、刑事立法なるがゆえに、公務員及びそれに直接つながる民衆の行動に対する大きな制約を求める刑事立法なるがゆえに、事はきわめて厳粛に、厳格にしなければならないということが今回の提案のいきさつだと私は思います。この点はあくまでもここで理論闘争をやるつもりはありませんが、もちろん、わいろという用語、これは判例もあり、学説もありまして、わいろそのものは金銭的あるいは物品的人の欲望を満たす不正な給付であるということは私も承知しております。わいろという言葉を使ってあるからいいじゃないかというのでありますが、そのわいろ内容においても、げた一足でもわいろになる場合があります。菓子籍一個でもわいろになる場合があるのです。解釈いかんによっては、あれは菓子箱といってもその中に金が入っておったじゃないか、こういう容疑さえかけられるのであります。そういう場合に問題があると私は思う。  それから、猪俣委員の言われる公務員その地位利用しということは、私は必ずしもその用語にこだわるわけではない。と申し上げることは、政府案にあるような書き方をいたしましても、それが公務員である場合はすべて公務員地位は常について回るのです。猪俣さんは今公務員がその地位利用した場合と利用しない場合を区別するとおっしゃいましたが、私はちょっとそれは法律上区別は困難だと思うのです。これは公務員として公務員地位でやったんだ、これは猪俣個人でやったんだ、これは三田村個人でやったんだ、友だちとの関係でやったんだという区別は法律上出てくる。社会通念としてこれを割り切ることもなかなか困難だと思うのです。従って、これは、公務員がその立場にありその地位にあってなす行為それ自体が公務員職務の公正を害し、ないしはまた廉潔性を害するかいなかといとうころに立法焦点があり、また本法律焦点があるのだ、こういうことをわれわれは考えるのであります。理論闘争をやるわけではありません。  そこで、もう一つ伺いたい。これは具体的な問題であります。きょうはここに来ておられませんが、この間実はNHKの放送討論会に社会党の吉田賢一君と二人で出ました。このときに東大の刑法学の平野教授が来ておった関係からではないかと思いますが、集まった聴衆はほとんど学生、若い学徒らしいような気がいたしました。若いまじめな人ばかりでありましたが、このあっせん収賄罪に関連して、これは素朴な国民の感情ではないか、同時に、法律上の一つの疑惑、疑点というものを投げかけてきたような気がするのでありますが、たとえば、あっせん収賄というと、何か特定の議員だけ、あるいはボス政治家というものだけが対象になっているような気がすると言う。つまり、世の中の意見はそういう気がするが、実はわれわれは疑問を持っておることなんです。それは何かというと、たとえば社会会党の議員なり、あるいは総評を選挙の組織基盤として出てきた議員などが、ちょうど今やられておるように、ということは、ちょうど春季闘争の最中でありましたが、ベース・アップ闘争をやり賃金が上る、これも明らかにあっせんじゃないかと言うのです。そのことによってその組織大衆は利益を得る、そうしてベース・アップ闘争の賃金値上げの先頭に立ってやる者は社会党議員さんだ、われわれは何かそこに割り切れない法律上の疑惑を持つと言うのです。たとえば、一般の私企業の関係はともかくとして、総評の傘下二百三十万ですか、その人たちの賃金が千円ずつ上るというようなことを言っておりました。一カ月に二十四億とかなんとか言っておりました。これだけの支払いの義務を負うものは国民だと言う。こういうものはどうですかという質問が出た。私は、それは刑法対象外だ、そういうことはあっせん収賄罪の目標にも対象にもならぬ、それは労働運動の分野の問題であり、健全な国民の常識の問題である、こういう答弁をしておったんでありますが、こういう点も、アメリカの連邦刑法では、これは非常にむずかしい、合衆国の有償契約ですか、こういうことも一応あっせん収賄罪内容として、直接ではありませんが法益対象にしておるようであります、私は、こういう素朴な疑問、疑惑というものを持たれておるということも、これは今日の段階において無理からぬことだと思います。これは一ついい機会でありますから、社会党のベテランである猪俣委員から、法律上の立場を、どういうふうな関係になるか、明らかにしていただきたいと思います。
  12. 猪俣浩三

    猪俣委員 ここに汚職という社会現象がある、それを放任できない、国家意思でもってこれを抑制しなければならない、これが岸政権の三悪追放の一つに汚職というものがあげられた理由だと思う。そこで、それを法律でもって取り締るということになりますと、要するに人権尊重という面で相当そこに調和が必要である。ある社会現象を法律でもって、権力でもって押えつけようとする際に、人権という立場から、あるいは自由という立場から、どこにその調和点を置くかということが、法案作成の苦労の存するところだと思うのであります。これを何ぼでも網をかけられるようにしますならば、検察ファッショになる。さればというて、あまりにゆるめ過ぎると、みなざる法になってしまう。そうして、かえって狭い範囲だけを処罰して、その他のことは差しつかえないからやれというような奨励法みたいになっちまう。そこがなかなか立法というものの苦労の存するところでありまして、政府の苦労のあるところもわれわれ了解できるわけであります。  そこで、問題は、何としてもこの汚職というものを徹底的に根絶しなければならない、相当の犠牲を払ってもこれだけば押えなければならぬ。つまり、ウエートをどこに置くか。といって、法案の犯罪の成立要件にもいろいろ精粗はできてくると思います。政府原案のようなので取り締られる。われわれは、あれではざる法で取り締られない、もう少し広く処罰対象を広げなければならぬというようなことから、社会党の案というものができてきたのであります。ところが、一面、この公務員その地位利用するという言葉は、一つは制約にもなるので、公務員であるがゆえに何でもかんでもみなあっせん収賄罪になるかというと、そうばかりも言えない。公務員であっても、その地位と全く関係なしに、対友人とか親類とかということで、あることをあっせんしたという立場もあり得る。これは立証上困難だということになりましょうが、しかし、そういう特殊な場合は、立証がかえってできやすいのじゃないか。長い間しょっちゅう親類と同じようにつき合っておった関係、あるいはいとこである、あるいはおじ、おいであるというような関係があるならば、これは相当立証できると思う。私どもは、全くそういう公的の立場を離れてほんとうの一個の私人としてのことから好意をもってやったこと、そういうことまでも——一体政府原案を見るとその区別がない。そこから言うと、政府の方が網を広くかけたことになるかもしれません。政府は公私の区別をしておらない。私どもは、公けの地位利用したということを強調することによって私の場合においては処罰しないということだから、その点から考えると、かえって狭くなっているということも言えるわけです。ただ、問題は、こういう刑罰法規は、今申しましたような汚職という社会現象と、これを取り締る法規との調和を求める際におきましては、どこまでも処罰の筋を通さなければならない。そこに、この法益論というものがやかましくなるのは当然だと思う。何を一体法益として守らんとするか。その筋を通す立案をすることが、これが僕は大切じゃないかと思う。野放しにしておかぬで、これを処罰しなければならぬけれども、それには、要するに、結局広い意味においてのわいろ罪、広い意味においての公務員の廉潔を保持するものであるという、その筋を通した条文にしなければ、私どもはそこに不公平なことが起ると思う。あまりに峻厳になり過ぎたり、あまりに放漫になり過ぎたりして、調和がとれなくなることがある。要するに、筋を通して立法をすることが立法者の心得置くべきことではないか、かような意味におきまして、とにかく、取締りと検察という間の調和を考え、その筋を通すということを私は第一にはからなければならないと思う。筋が通らぬことまで広げてしまったのじゃいけない。筋が通らぬことまで狭めてしまってはいけない。そこで筋を通しての取締りにするという意味から言いまして、公務員その地位利用するということが適当だというふうに考えたわけであります。  今労働運動の問題が出ましたが、これは、三田委員が考えておられるように、そこまで飛躍して私どもは考える必要はない。今国民世論となっておりますところのいわゆる汚職、ことに中心国会議員に向けられておると私は思います。何か政治家になると家が建つ蔵が建つ、こういうことが一般の常識になっておる。これがひいては民主政治そのもののあり方に対して疑惑を与えて、私どもは民主政治が有終の美をなさぬことに陥るのじゃなかろうかと思う。ことに国会は国家最高の機関です。その国会構成員たる国会議員というものは、最高位である。国民の指導者という立場になればなるほど、その廉潔性というものがそれに比例して上昇してくる。そこで、今私どもの最も耳に痛いことは、この国会議員が何をやっておるか、まるでブローカーみたいなことをやっておるということがほとんどちまたの声であります。これを取り締るためにやるのでありまして、その他の、たとえば自民党の諸君が経済顧問になるとかあるいは社会党議員が総評の顧問となって奔走するとかいうことまでに広げて考えるわけじゃない。ただ、要は、そういうブローカー的行為、公務員の廉潔を侵害するような行為、それを処罰するということに主眼を置くのであります。ところが、そうしたってやはり検察ファッショになるおそれがあるじゃないかということになりますれば、いかなる規定を考えましても検察ファッショになる。それをおそれましたら、こんなあっせん収賄罪を取り締る法規を作ることが困難になります。今までそういう検察ファッショという声がやかましくあったために、これが長い間の懸案、二十年の歴史を持っていて、今まで出現しなかった。だから、それに対しましては、私どもも覚悟をきめてかからなければならない。そういう人権じゅうりん的な検察ファッショをするような者が、この政党政治の今日において、政府機関の一つとして存在する場合におきましては、いわゆる民主政治というものが規制しなければならない。それができないようであるならば、これは民主政治じゃなくなります。それは、全体の政治的な、一つの民主主義を守るという政治的な圧力によりまして、この検察庁の出過ぎた検察ファッショなんかというものは抑圧しなければならぬし、それはまたできることだと思うのであります。ですから筋を通した立法をしておくならば、私は、そう心配要らぬのじゃなかろうか、こういうふうに考えております。
  13. 三田村武夫

    三田委員 趣旨においては猪俣委員のお考えと私はそう大して違っておりません。同感であります。  そこで、古屋委員一つお尋ねするのですが、猪俣委員両方から御所見を承わりたいと思いますが、私は——私と申し上げた言葉に語弊がありますが、われわれの立場からいたしますと、刑罰法令で国民の行動を規制する法律的処置にはおのずから限界があるということを常に考えておるのです。つまり、どこに限界を置くかということが非常にむずかしい立法上の問題でありますが、世の中には悪いことは幾らでもあるのです。われわれの平和な社会生活を営む上において、好ましくない、悪いことはたくさんあるのですが、悪いこと全部を刑罰対象にするかというと、そうではない。ことにわれわれは国民の自由なる意思というものを基底にした民主主義というものを政治の基本理念にいたしております。あくまでも基本的人権を尊重し、その自由なる意思の上に政治組織を円滑に闊達に推進していこうということがわれわれの政治に臨む基本理念であります。その場合に、刑罰立法をもって国民の行動に制約を加えるということは、私は必要最小限度にとどめなければいけないと思う。つまり、ここで汚職をなくさなければいけないんだ、ブローカー議員をなくさなければいけないのだということについては異論はありませんが、しかしながら、そのことのゆえに、これも漏れる、あれも漏れるというので網をうんと広げるということは、刑罰法の体系から言っておのずから限界があるといういうことを申し上げたいのであります。ということは、われわれはかつて苦い経験を持っておる。戦時中の経験を回顧するまでもなく、つまり、権力をもって——法で刑罰を加える場合はあくまでもやはり権力です。権力をもって臨む場合は、どうしても官僚的権力政治というものが出現しやすい。その道を開くことは新憲のもとにおいて一番好ましくないことだと私は思う。悪は悪でありますから、猪俣委員の言われるように、善なる国民の良識というものを信頼し、そこの中で健全な法秩序といいますか政治道義というものを確立していくことが私は必要だと思う。小野清一郎博士がおもしろいことを言われた。この法案は骨抜きでなくして骨だけの法案だ、肉や皮はこれから国民の良識と倫理によってつけていくべきだ、刑法の中から姦通罪を抜いたからよろめき勝手たるべしというのではなしに、それは刑法上の罪にはならないが、姦通という事実があれば離婚の事実になるのだ、こういうことを言っておられた。私もそうだと思うのです。猪俣さんの言われるように、蔵を建てたり、ぜいたくな生活をするような、つまりあっせん議員ブローカー議員というものがあれば、国民の良識というものは——姦通罪は刑法の刑罰は免れるが離婚の理由になると同じように、国民政治的良識は、公務員たる地位からはずすでしょう。そこに健全な民主政治の制度的前進があるということを私たちは考えるのであります。刑罰法で臨む場合にはおのずから限界がある。その限界をはずして踏み込んでいきますと、ここにわれわれが一番心配をする権力的な官僚政治への道開きをするということをおそれるのであります。これは社会党の諸君といえどもおそらく同感だろうと思います。そういう点についての考慮というものもわれわれは払いたい。これがこの法案に対するわれわれの態度であります。つまり、政府案というものには満ち足りないものもありましょうけれどもあっせん収賄罪をここで立法化して、これが罪になるのだということは、大きな前進だと私は思います。そういう形においてわれわれはこの法案に臨んでおるのであります。社会党提案のこの案についても、その意義、目的とされるところは私たちはよくわかるのです。わかりますが、しかし、十六年の七十六議会審議の過程において見ても、それから十何年もたって今日社会的客観的事実が変ったということは必ずしも言えないと思う。それは、われわれの生きている社会にある現実的な現象は同じことです。そして公務員たるものがその地位においてなすことは同じことです。それを国民のために守らなければならない。この法益を現実に守りながら、しかも刑事政策上の目的を達成していくところに新しい立法の意義、目的があるので、私は、刑事的制裁をもって臨む法律的処置のその範囲を広げていくことだけが必ずしも民主制度下における政治のあり方ではないということを考えるのであります。その道の権威であり、ベテランであり、十分の経験知識も持っておられる猪俣さん、古屋さん両委員にこういうことを申し上げることはよけいなことかもわかりませんが、そういう立場において一つ御所見、御見解を伺いたいのであります。
  14. 古屋貞雄

    ○古屋委員 三田委員の御質問の要旨の根本において刑罰法規というものはできるだけ避けて、国民の良識と道義に訴えて一切の社会生活というものを規正すべきだという御議論には賛成でございます。ただし、守られる法益の大きい場合と、国民の自由を制約されます程度というものについての比較考慮が非常に必要であると思うのです。このことにつきましては、私どもの理想から申し上げますれば、刑罰というものは世の中から一切なくすべき、そういう時代をわれわれは考えておる。しかしながら、現実から申しますれば、これはわれわれの夢であり、理想であって、現実はこれを許さない。従いまして、やたらに厳罰に処して国民の自由を奪うというようなことにつきましては、そういうような刑罰体系を作ることにつきましては、お説の通りまことに問題であると思います。しかしながら、現在民主主義の国家として、しかも主人公である国民に奉仕すべき公務員が、その主人公の預託、信頼にそむくような行動をするというようなことにつきましては、これは他の一般国民立場と違った一つの制約を受けなければならぬ、こういうことをまず前提に私どもは考えなければならぬと思うのであります。幸いに公務員の諸君が神様のような立場から、主人に奉仕する奉仕者であるということを自覚されて、そうして行動をとりますならば、これはまことにけっこうなことでございますけれども、現実はさようではない。そこで、このことについて最初に私たちが考えなければならぬことは、社会制度の問題が根本になってくると思います。資本主義経済のもとにおけるいろいろの汚職の問題を考えますときに、また一方において社会主義経済のもとにおける生活の環境を考えますときに、考え方において非常に差別が出てくるように考えるわけであります。従いまして、立場を異にしてものを考える場合に、考え方が同じ事実に対しましても相違を持ってくる。このことは、具体的に申し上げますれば、取調べを受ける立場におる人、取調べをする人、あるいは要求する人と要求をされる人、こういうような場合のことを想定いたしますと、同じ事実におきましても考え方や批判が違ってくると思います。従いまして、これを端的に申し上げますれば、資本家の立場からものを考えた場合と労働者の立場からものを考えた場合とでは異なってくると思います。従って、国民から公務員立場を考えた場合と、公務員自身がみずからを考えた場合とでは、やはりそこに相違があると思う。しかし、究極におきましては、要は主人公である国民のための奉仕者であることを忠実に守らなければならぬということに重きを置いて考える。ことに、最近のように公務員の汚職事件がふえて参っております傾向におきまして、しかも非常に国民から心配されておりますことは、公務員という特殊な立場に置かれている方には、国民の指導的立場に置かれたものである、一つの特権階級であるという、御主人である国民に対する考え方があることであります。でありますから、公務員立場から考えて少し酷ではないかというような法案の考え方に対する問題と、国民の方から考えましてそれは当然ではないかというように考える場合とは、私は相違があると思うのです。その調和は、やはりわれわれ立法府におきます人々の良識に待たなければならぬ。最後には裁判所の社会通念、良識に基き解決しなければならぬ。そういうようなことを考えますときに、いわゆる政府案社会党提案しておる案、この両者の問題を考量勘案いたしまする場合に、あまりに社会党案は広過ぎるじゃないか、広い網を張って厳重にこれを処罰することの弊があるのではないか、こういうようなお考えらしいのでございますけれども、私ども立場から考えますならば、なるほど原則としてはなるべく寛大な法律をこしらえて——厳重にやかましく調べ、やかましく処罰するということ自体は、これが目的を達するゆえんではないと思います。刑事政策の立場から考えますならば、もちろんいい政治を行い、こういうような汚職が続発することをみずからの立場から公務員がこれを規制されまして、そして国民にこたえるということが一番正しいことであろうと思うのです。しかしながら、本件のような問題について、政府のお出しになっておりますような原案に基きますと、どうも大きな者がのがれて、こまかい、こそこそした者がこれにひっかかるというようなおそれがある。従いまして、私は、少くとも公務員に対しましては、現在の社会事情から考えて少し酷ではないかというくらいまでに、ぴんとした刑罰法規というものを作って、そうして公務員の反省を促し、自粛自戒を求めるということも、刑事政策上必要ではないかと考えるわけであります。要は、現在の公務員に対するところのあっせん収賄罪というような新しい刑罰を作って、これによって公務員の反省を促す、こういうような政策をとるか、それとも、もう少し寛大なものによって自粛させるか、こういう見方の相違によって異なってくるように思われます。しかし、原則としては、三田委員のおっしゃったような、やたらと刑罰法規を作って国民に臨む、あるいは公務員に臨むということには、やはり賛成いたしかねます。要は、その提案が果していずれが適当であるかというめどをどこに置くかということに尽きると思う、従いまして、私は、理想という点から考えますならば、刑罰というものはなるべくゆるやかな方がいい、結論的にはこう考えております。ただ、しかし、現在の公務員の犯罪の傾向、あるいは社会事情にかんがみて、どれが適当であるかということについては、これは重大な問題だと思いますが、立場によって考えが違い、立場によってその程度、規制する基準が違ってくると思いますけれども、要は、現在の社会がどの程度まで必要とするかを基本にきめて考えるべきだろうと思います。
  15. 三田村武夫

    三田委員 もう一点伺っておきます。社会党案が網が広くて、政府提案がその適用の範囲が狭いという解釈は、私は必ずしもここで断定できないと思います。政府案は、いわば、政府当局から御説明がありましたように、できるだけ解釈のあいまいな点は避けよう、従来の判例とか学説とかいうものを基準にして、できるだけ解釈のあいまいなところは避けよう、そうしてこの汚職をなくすることに一本大きな柱を立てよう、こういうところにあるのでありまして、私は、必ずしも政府案が範囲が狭く、社会党の案は範囲が広い、こう即座には断定できないと思います。これは解釈の見解ですから別途の問題にいたしますが、私は今度のこの政府案に対してこういうことを考えるのです。売春の灯は消えた、これは四月一日、一齊に新聞や雑誌が取り上げた文句であります。売春の灯が消えた——この場合に私も非常に感慨なきを得ないのであります。二十二国会でありますか、社会党から提案された売春等処罰法、これには単純売春処罰規定がありました。私は、これは単純売春まで刑罰法規をもって踏み込むことは刑法の領域外だという立場から、売春問題の解決は業者におるのだ、人身売買とか搾取とかいっても、こういう業態をなくすることが売春問題の解決の焦点だという立場から、社会党案には反対いたしました。そして政府提案となってきたのでありますが、確かに売春の灯は消えました。しかし、その後に来たるべき問題は社会経済的な処理の問題であります。売春業者がなくなったということは大きな歴史的、文化的前進であるが、その後に来たる町のもぐり売春という問題は、これは、今古屋委員の言われました通り、社会経済的な処理の段階に入ります。汚職、疑獄という問題についても、これは必ずしも同じ形式ではありませんが、私は同じようなことを考えたいのです。ここにあっせん収賄罪という大きな柱を立てることによって、あっせん収賄の灯が消えたという面、この法律的現実の柱はできた。残る問題は、国民政治的な倫理、道義の問題である。つまり、社会経済的に、国民政治的良識によって、古屋委員の言われる健全な社会通念によって処理されていく、こういうことが私は一番望ましいのです。そこに民主的な秩序と制度の前進があり、あいまいな解釈で事に臨むよりも、従来の判例とか学説によって、とにかく解釈の統一した立法をやり、これで汚職の灯は消えた、つまりあっせん収賄の灯が消えたというような法灯を掲げながら、あとは社会経済的に処理をしていく、それが国民の道義、政治倫理の高揚であり、そういうところで問題を前進せしめ、かつ処理していくことが民主政治一つの正しい進歩的な前進ではないかと私は考える。この点については社会党の諸君も御異論はないと思いますが、この四月からついに売春の灯は消えた、こういう歴史的な大きな事実をわれわれ目の前にして、私たちが、社会党さん御提案の売春処罰法、単純売春を刑罰の対象にされようとした法案に反対して、業者に最も多くを望み、しこうしてこの売春の灯を消した。そしてそのあとにくるものは社会経済的な処理である。ここに国民の健全な良識が動き、これが自戒せられ、われわれに政治的、行政責任として今後課せられてくるのであります。そういう形で国民と一緒になってこの政界の忌まわしい汚職とか疑獄とかいうものをなくしていく。あっせん収賄というものは刑法上の対象として処罰されるのだ、あっせん収賄の灯は消えたという法灯を掲げながら、あとは国民の倫理と政治道義の問題で処理正していくというのが私たちの考え方であり、社会党の諸君もこの点では御異論はないと思いますが、一つ御所見を伺っておきたいと思います。
  16. 猪俣浩三

    猪俣委員 今、三田委員の売春問題に関することは、私どもは、売春行為それ自体を悪とみなして、そういう刑罰に処するというようなことから、売春それ自体を処罰する法案を出したのですが、しかし、最も悪の根源は、その女を食いものにして、そうして搾取している者であります。そこで、それを厳重に処罰するということになるならば、そういう悪の中心点に向ってメスを下したことになるのであるから、私どもも同調したのであります。今、あっせん収賄罪の場合におきまして、社会現象として、相当世の中にかれこれ言われておる。たとえば、私が政府に質問いたしましたが、ある勧銀なり興銀なりに対して融資のあっせんをやる、そうしてある会社に対し融資ができた、そこでその一割とか二割とかいうものを謝礼としてもらう、そういうことが相当行われていると私は聞いておる。そうして、そういう公務員に対して不正なことをさせる、あるいは相当のことをさせない、こういうような現象は、なかなか立証も困難だし、たぐいまれだと思うのです。不正なことをさせるというようなことは、なかなか容易なことじゃない。裁量処分に属することに対して、それをしたからといって、それは不正だということは、それこそほとんど立証できない。ところが、そういう公務員の裁量処分に属することを他の公務員があっせんしてやらして報酬を取るということ、それがいけない。これは普通に相当行われていることであり、たぐいまれなことじゃない。その普通に相当行われていることが、公務員の廉潔を害する。それが中心的に国民から批判されておるところである。それを取り締らないような、たぐいまれなる場合だけ取り締るということでは、ほんとうの汚職をなくするという、公務員の廉潔を強調するという法案の重心がなくなってしまう。今言ったようなそういうことは、もう千葉銀行なんか——私はこの千葉銀行の主任弁護士をやっておりますが、どんなに政治家が寄つてたかってやっておるか、あるいは復興金融公庫、あるいはその他の政府の監督のある銀行に対して、どんなに政治どもがアリの甘きにつくがごとくやっておるか。これは心ある人がみんな知っておるじゃないか。そういうことをこれでは一切処罰できないということになりますれば、一体何のためにあっせん収賄あっせん収賄と声を大にしてやったのであるか、私どもは疑問を持たざるを得ない。もちろんあっせん的行為のすべてを処罰するということでないにしても、今世人から糾弾を受けておるようなこと、ことに政府の管理に属するような銀行なんかを非常に乱用しているような、そういうことに対しまして処罰ができないということになりますと、これはもう全くのざる法案になってしまって、ほんとう目的か達成できない。だから、一つこれを考えてみて下さい。勧銀なり興銀に対して代議士があっせんをして、ある会社に融資さした、そうして一割か二割のコミッションを取ったということが、この政府原案で一体処罰できるかどうか。できませんよ、これは。融資することは銀行の職務です。そうして、いや担保は多いの少いのといったって、そんなものは、その当時そういう価値があるものだということになればそれっ切りだ。ですから、不正な行為を、するなんということが、普通、今世人で糾弾されている政治家のブローカー性というものとは、社会現象として非常に関係がない。また、国会議員になるような人間が、そう全く目に余る悪いことをしてくれ、なすべからざることをしてくれと頼み込むというようなことは、私はそれほどまで堕落していると思わない。これは君の職権にないことだけど、間違ったことだけれども、君の義務に違反することだけれどもこれをやってくれなんていうて頼み込んでそうさせるなんということは、私はそこまで国会議員が堕落してないと思うのです。今一般に問題になっていることは、不正の行為なんかじゃない。ある特殊の公務員が瀕をきかして、特別な計らいをやる。それは裁量処分の範囲内でやる。そうしてごっそりお礼を取る。そういうことは取り締らなければならぬというのが世論であります。そこからいろんな問題が起ってくる。いわゆる国会議員の品位を傷つける。まるでブローカー稼業みたいになっていく。そうして、その不正な金によって今度は選挙をはでにやって当選を庶幾する。こういうことが循環してきている。それを根絶できないような法案なら意味がないというのが、私どもの考え方ですから、なるほど漸進的にやるべきものではございましょうが、初めから進みつこないような法案を作ってしまう、そんな法案は、私はない方がいいようなことになりゃせぬかという心配もある。検事総長あるいは高等裁判所の判事、実務家の合同においても、この政府原案では全く裁判のしょうがない、検挙のしようがないということを、みな法制審議会で述べている。そういうようなわけで、極端に言うならば全くざる法だ。私ども法案でなければ、今世人が指弾している公務員廉潔性というものは護持できない、こう私どもは思うのです。ですから、何とぞ社会党案に御同調いただきたい。そういうことを発言するわけです。
  17. 古屋貞雄

    ○古屋委員 今三田委員の御指摘の中に、刑罰法規の文章はなるべく疑惑を持たれないような明快な文章を作る、それは当然賛成なんです。これはもう、だれが見てもよくわかるような文章で条文が綴られることは、これは私も賛成だ。疑惑を持つようなことは、これはとらざること、こう考えます。そこで、問題になりますのは、われわれの社会党案と現在審議中の政府原案との間にだいぶ食い違いがあって、広められているじゃないかという点ですが、この点は、今猪俣君からも申し上げたように、現在の収賄罪の中でも、「共職務上不正ノ行為ヲ為サシメ又ハ相当ノ行為ヲ為サザラシム可ク」云々ということ、が書いてありますが、これは制約されて非常に狭められてしまうという一つのおそれがある。こういうふうに私ども解釈していただくよりない。従いまして、公務員の公正なる職務の遂行、公務員職務に対する神聖を害する、公務員の純潔性を守るという立場から言えば、やはりそういうようなあっせんをしたことによってわいろを取るということ自体が、私は処罰されなければならぬと思う。よってもって何々ということになりますと、現在の収賄罪の中では加重条件になっておるようですが、こういう問題について狭められておるところに国民の疑惑というものが生まれてくると思う。やはり、私どもは、私ども提案いたしましたような広い意味において、いわゆる公務員の純潔性がそこなわれ、職務の神聖が害されるという状態に置かれることが処罰対象になるということが、根本的なあっせん収賄罪の精神として、魂として盛り込まれてなければならないという確信を持っておるわけでございます。従いまして、一方から考えますならば、公務員にのみそういう厳重さをもって臨むことは酷ではないかというそしりをあるいは免れないかもしれませんけれども、それがよってもって最終目的が達せられるなら、なまはんかなものをこしらえて目的が達せられないというそしりを受けるよりも、むしろこの方がいいのではないか、こういうように私は考えておるわけでございます。
  18. 猪俣浩三

    猪俣委員 ちょっと補足をいたします。今、なるべく新しい概念は用いない方がいいというような御発言でございました。そして、小野清一郎氏がこれは骨ばかりであると言ったということを大いに強調されておるのでありますが、第十九国会におきまして、社会党の、案——これは、先ほど申しましたように、昭和十五年の刑法仮案、十六年の政府提案及び十八年の戦時刑事特別法と同じような趣旨のものでございますが、その公聴会に牧野英一博士及び小野清一郎氏が出て参りました。牧野英一博士は昭和十五年の刑法仮案の立案者の一人であって、この刑法仮案を作るまでには十数年研さんに研さんを重ねたということを言っておる。小野清一郎さんもそういうふうに公述しておる。ですから、長い間法律学者の間で研さんを重ねたものが刑法仮案となって発表せられ、それが実際問題として今度は十六年に出てきたのでありまして、突如として社会党がもの珍しい文言を持ってきたのではありません。ことに、小野さんは、この社会党の案に対して全幅的な賛意を表し、ことに、地位利用するというところについては、わいろ性というものを本質として考えるならばその点やはり地位利用するという言葉が必要であるような意味発言もなされておる。今回小野さんは政府の顧問として政府原案の立案に参画せられたのであるから、今度は反対ができなくなったでありましょうが、第十九国会の公述人としては社会党原案に賛成せられ、わいろ性の本質を掘り下げていくならば公務員がその地位利用してということがやはり必要であるという発言をされておるのであります。それですから、私どものこの案文というものは、使いなれない奇妙な文言を提唱しているのではなくて、歴史的な事実に基いたものである、政府原案は全く今までの日本の政府及び学者間の歴史に沿わざるところの、あまりにしぼり過ぎた、そしてついに呑舟の魚を網からのがしてしまう案であるとわれわれは考えております。
  19. 三田村武夫

    三田委員 これは質問ではありませんが、一言申し上げておきます。社会党立場からお出しになった社会会党案を社会党の諸君が最善だとおっしゃることは当然だ。政府案がまずい案で社会党案がいい案であるとおっしゃることは当然なんです。私はその点をここで論争はいたしませんが、ただ、今猪俣君が言われた点について一言申し上げておきます。なるほど、融資のあっせんとかいうことをやってそれで金をもらうことは悪いのです。悪いことには違いないが、私は、それが本法の対象にならない場合には政治道義的に処理しなければならない問題だと申し上げるのです。いいことをやった者まで刑罰の対象にするということは、刑法の概念にないのです。人間の世の中で、いいことをやったことまで——それは、どこかでお金が要る、それで何とかお金を早く出してやろうということは当りまえのことで、金を取ることはいけないが、そうしてやることはいいことだ。そのいいことまで刑罰の対象になるような疑念を残す刑事立法はやるべきではないということが刑法的限界なんです。それを申し上げておるので、これ以上論争はいたしません。そういうあっせんをしたことによって、もし多額の金を取る者があれば、これは法律以前、法律以後の問題であって、国民の良識、理性ある倫理性によって解決しなければならない問題である。それは、猪俣君のおっしゃるように、それを商売にする議員はやがて清算されるという民主的な健全な実例が出ない限り、どんな法律を作っても問題は解決しないということを私は申し上げておる。これだけ申し上げて私の質問を終ります。
  20. 猪俣浩三

    猪俣委員 今三田委員議論の中に、善行のあっせんならばいいことじゃないか、いいことを処刑の対象にするということは刑罰法令の原則じゃないということがありましたが、そういうふうに議論されますと、今のそういう金を取るということと分離して、前段だけでいいか悪いか議論したら、今の刑法法典でも処罰してはならぬようなこともたくさん出てくる。金を取るのがいけないのです。わいろ罪というのはそうなんです。ですから、職員だって、一生懸命仕事をやることはいい、それは表彰に値することでも、金を取ると、とたんにわいろ罪になる。それだから、そういう議論は成り立たぬと思う。要は、あなたが心配されるように、相当しぼったがいいか、厳重にやったがいいか、私どもは、相当政治家の腐敗ということが世に喧伝せられており、また相当そういう行為もあると見受けられるから、ここで一つ厳重にやるべきだという態度でこれを立案しましたけれども政府並びに自民党の漸進的にやるべきだという御議論も、決して私は絶対にいけないのだという考えもありません。ただ、できたらわれわれの案に同調していただきたいということでありますが、政府の漸進主義に対して全面的に反対だということではありません。ないよりはいいと思っておるということは正直に申し上げておきます。ないよりはいい。しかし、どうせ作るなら、そうして汚職追放ということを三大公約の一つになさるなら、少くとも社会党案くらいまでやりなさったらどうだろうかというのがわれわれの心持です。
  21. 町村金五

    町村委員長 それでは、志賀義雄君。——本会議の時間が迫っておりますから、簡単に願います。
  22. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 政府原案は、御承知通り、いろいろ圧力が加わって骨抜きになっておるのでありますが、その骨抜きにする際に、盛んに検察ファッショというようなことが言われております。検察ファッショは、御承知通り歴史的には第二次世界戦争に入るころからの問題でありますが、戦後出てきた昭電疑獄あるいは造船疑獄というものは、御承知通り国民世論の圧力でやられたもので、戦前の検事局がやったこととはだいぶ違うのであります。(「世論じゃない、GHQだ」と呼ぶ者あり)そうではないのだよ。ただ、昭電疑獄というものが、明らかになった判決によれ、それを処罰する法律がないからたまたま無罪になった。そこで世論がさらに激しくなってきた。そこで戦時統制のときのあっせん取賄罪云々というものとこれはだいぶ目的が違っておるのでありますが、その点についてはこの社会党案ではどういうふうに考えられるのでしょうか。
  23. 猪俣浩三

    猪俣委員 戦時刑事特別法は実は東条内閣時代に提案せられたものでありますが、さすがの東条内閣も、戦時中であるためでありますか、国会議員を縛る法案というものにはちゅうちょせられて、その前に七十六国会でこれが流れた痛い経験があるために、またそう内紛を起してもいけないと考えられたか、国会議員を抜くような提案になりまして、実際骨抜き——あっせん収賄罪の主題に関してはなはだ奇妙な立案になったと思います。それから見れば、今回の政府原案の方は、一般国会議員までもみな網にかかるようなものだから、その意味から言えば戦時刑事特別法よりも私は一歩前進したと思っております。
  24. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 先日配付せられました法制審議会速記録によりますと、花井検事総長、それから野村東京地検検事正は、いずれもこの政府案では検察庁としてはやってみたところで何もならないということをしきりに繰り返して強調されております。それに対して、きょうは政府委員席にはおられませんが、うしろにおられる竹内さんはこういうことを言っておられるのです。「捜査に不便だという、そこらあたりがまた味のあるところでございまして」、それから、「検察官としてはなかなか取り扱いにくい法規であるというようなところが、かえって妙味のある法案ではないかというふうに、はなはだ勝手なことでございますけれども、そんなふうな見方をしておるのでございまして、なおだんだん御研究をいただきまして」云々、こういうふうになっておる。運用の妙を発揮していただきたい、——運用の妙を発輝しようにもどうにもこれはできないことになっているので、むしろ社会党の修正案のようにはっきりした方がいいと思います。きょうは竹内さんには質問しません。これはまた別の機会にやりますが、その点について、猪俣さん、どういうふうにお考えでしょうか。これで果して、竹内刑事局長のいわれるように、これがはなはだ妙味のあるもので、運用の妙が発揮できるものかどうか。
  25. 猪俣浩三

    猪俣委員 先ほどから申しましたように、ある社会現象を法律で強権的に取締るということと、検察ファッションを防がなければならぬという二つの命題、その調和点に立法は進められなければならぬと思うのであります。その意味から言いますと、政府原案の方は免れて恥なき者を多く作るようにわれわれには思われて、社会党法案の方が妥当であるということを先ほどからるる説明しておるわけであります。この竹内刑事局長の妙味があるということは、ここにおいでになりますから、どういう意味だかお尋ねいただきたいと思いますが、結局、検察ファッショを防ぐようなことがそれによってできるという意味ではないかと思います。私どもは検察ファッショは防がなければならぬと思いますが、私は、民主政治、政党政治が確固たる基盤の上に立って大衆の信頼を受けているならば、そういうものは押えることができるというふうに考えるから、取締り法は相当きびしくてもよろしい、そう妙に妙味ばかり発揮せられても、ざる法になってしまって、わけがわからぬことになるから、私どもの真意は、汚職を取り締ろうとするならば、あまり検事が妙味を発揮できないような、何かうやむやのことに処理できないような社会党法案が正しいのじゃないか、こう思っておりますが、刑事局長がどういう意味で言われたか、ちょっと私にはわかりかねるのです。
  26. 古屋貞雄

    ○古屋委員 その問題はこういう問題だと思うのですよ。犯罪の構成要件が狭められたか広められたかという問題です。それで、政府原案によりますと、いわゆる「職務上不正ノ行為ヲ為サシメヌバ相当ノ行為ヲ為サザラシム可ク」という、この不正の行為でそのことをあっせんしたということに相なりますから、不正のことをあっせんしたということは証明できないのですよ。ここに非常なからくりがあるというのは、私どもが指摘しているのです。この点がやはり、実務者になってくると、職務上の不正の行為をなさしめるというあっせんをしている、あるいは相当の行為をなさしめないというあっせんをしたかどうか、これは証明不能ですよ。そこで、実務者は、そんなことではできないのだ、こう言っている。だから、そういうような犯罪構成要件をなくしてしまって、そして、社会党の案になれば、その点は簡単にしてしまう、こういうわけで目的を達する、そういう点だと思うのです。
  27. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 最後に簡単にやりますから……。  先ほど猪俣委員のお話でも、あっせん収賄罪に関するこの法案はざる法ということを言っておられましたが、やはり、この法制審議会速記録では、最高裁の真野判事はこう言っておられます。「しぼる、しぼらぬという問題よりは、実際的に考えると、どうも抜け穴どころではない、ザルどころではない、ザルともに抜け出せるようなことを認めるということははなはだおもしろくないんじゃないか。そういことはいわゆる今まで斡旋収賄罪のことが新聞等で批判されておるのはしぼりがききすぎるということだけでありまするが、そうじゃなくその裏口、裏門の方が大きく開いて、表から入れられてすぐ出てくるようなことになるということになったら、これを立案し、これで世間が承認できるかどうか、今はあまり新聞等はその点を気がついていないようでありますが、これが明らかになれば政治家は皆逃れ得る道があるんだから、これはやはりせっかくいけないものとする。しぼりをかけるということは」、「このしぼりをかけても立証の方法は必ずしも不可能ではないと思いますが、せっかく立証しても裏口に行けばいばって出ていけるようにしておいては、せっかくこういうものを作ったことを、いわゆるたましいを作らないことになってしまう。その点を私は非常に遺憾に思います」と言って、もう少し法案をしっかりするようなものにする、こういうふうに言われておるのです。社会党案はそういう意味で作られたものと思います。そこで、その点はどうですか。  もう一つ法律を作っても、こういう法律では、今の肝心の、真野判事も言われるようでありますが、その点で、社会党がこの修正案を立案されるに当って、汚職をなくするにはどうしたらいいのか、——汚職抜きの政治です。これはやっぱり道徳的あるいは一般的な基礎になっておると思います。社会党はその点についてはどうです。この点を最後に伺っておきます。
  28. 猪俣浩三

    猪俣委員 第一に、第三者供賄罪を社会党提案しなかったこと、これは、私どもは、社会党のこの原案ならば第三者供賄罪は必要はないと思います。これは、元来が公務員廉潔性を保護するということ、法益ということを貫きますと、地位利用ということが必要であるし、そのかわり、とにかくここに第三者という人格があって、それに金が行くのであって、公務員個人が取らない場合どうするか。一等われわれが不愉快に思うことは、隠密の間にそでの下で、昔から言う、ひそかに準備されるということが、これは非常にけしからぬ。とにかく、ちゃんと別な人間に、慈善団体なり、あるいは学校なり、あるいは政党なり、あるいは後援会という名義であっても、その第三者に金が行くのであって直接公務員自身が金を取らぬということになれば、この公務員廉潔性というものとは関係がないことになります。だから、公務員廉潔性法益として処罰することがあっせん収賄罪中心課題であるといたしますならば、第三者共賄といものは、これが筋の通ったことだと思う。そういう意味におきまして、また、過去の刑法仮案あるいは昭和十六年の政府提案刑法改正案、あるいは十七年の戦時刑事特別法におきましても、ことに昭和十六年の政府提案が出るころは、御存じのように現行の刑法が第三者供賄罪を追加決定した年なんですから、このことについてずいぶん政府部内でも論議があったはずでありますけれども、諸般の事情からこれは除かれたことは、わいろ罪及びあっせん収賄罪本質から来たものだ、私はそう理解しておる。そこで、私どもは、このあっせん収賄罪については第三者供賄を認めなかった。これは、政治資金規正法、公職選挙法、それによって、もし口があいているならば、その二つ法律改正によってその口を閉じてもらう。そこで、このあっせん収賄罪刑法規定以外に、私はどうしても政治資金規正法、公職選挙法改正というものが必要だと思う。それを私は政府にただしたが、今考慮中だということで、これは両々相待たなければ、あっせん収賄罪の完璧な組織ができないと思います。この刑法あっせん収賄罪の中に第三者供賄罪を認めるということは、その公務員個人の廉潔性をとうとぶということから見ると、ちょっと立法の形が違ってくるのじゃないか。これはほかの法律改正を待つべきだ。ただし、政府原案のような、まるで取締りができないというて検事総長や裁判官が悲鳴を上げるような原案であるならば、今真野判事が言うように、やはりこれは第三者供賄は認めなければいけない。そうしないと、みんなざるになってしまっていけないと思う。ですから、政府原案のようなものを通すならば第三者供賄罪を認めてもらいたい、社会党原案ならば、これは政治資金規正法や公職選挙法改正に待つべきだ、こういうふうに私どもは考えておるのであります。
  29. 町村金五

    町村委員長 本日はこれにて散会いたします。     午後零時四十三分散会