○三田村
委員 事務総長からここっちにお返しになったような言葉ですから、私もお返ししておきます。こちらは立法の府ですから、国権最高の機関としてその点は十分考慮いたします。
委員会は
委員会の責任で考慮いたしますが、
裁判所の方も、立案のとき、政府の当局である法務省となかなかうまく話がつかぬからなんという、そんななまぬるい話はだめなんで、これはやっぱり法の権威を高からしめ
裁判の権威を高からしめるためにはこういうことが絶対必要だということを堂々とおっしゃることがいいと思うのです。しかし、これは今お話しの通り
訴訟構造全体に関する重大な問題ですから軽率に手はつけられません。やる場合どういうことをやるかということは、
裁判所の方も権威ある御検討の上、法務当局と御折衝になって——われわれは国
会議員の立場から、国家の立場から十分検討いたしますが、
裁判所の方も、ただここでどうもこれじゃ困るこれじゃ困るとおっしゃるだけでなくて、その点は十分より一そうの御努力、御検討を切望しておきます。
次に司法行政、
裁判行政について簡単にお尋ねいたしておきますが、私はどうも少しおかしいと思うのです。今いわゆる司法行政で、
裁判行政と言ってもどっちも同じことでしょうが、大体最高裁から下級審まで、
裁判官
会議でやられているのです。このために重要な本来の
裁判事務がずいぶんそがれておるような気がするのです。一体司法行政というものはああいう
会議形態をとらなければいけないのかどうかということが疑問の一つです。そして、昨年現地
調査をやったときもいろいろな声を聞いたのです。どこかの
会議に、たとえば検察官会同に、あるいは
裁判官会同に——特定のポストを招集される場合はいいのですよ。そうでない場合、
裁判官会同をやる場合、今度の会同にだれを出すかということまで
裁判官
会議にかけてきめなければならぬというんですよ。これは私はずいぶんおかしな話だと思うんです。実際ですよ。そうして、よく私は、
裁判の独立という言葉の
内容として、司法行政はもとより営繕
管理まで、全部
裁判所でやらなければいけないのだという、こういう意見を聞くのです。どうも私は納得がいかないのです。これは、御承知のように、日本と米英とは
裁判制度の最初の生まれもあるいは成長の過程も違うのですが、こういう形をとらなくたって、私は司法の独立、
裁判の独立は保たれるのじゃないかと思うのです。今最高裁へ行っても、児島惟謙先生の胸像がありますか。見当らない。どうしてあれがなくなってしまったんだ。日本の司法の伝統、
裁判の伝統は、われわれの先輩に児島惟謙あり、あくまでも政府の干渉、一切の干渉を排して、われわれは司法の神聖、独立を守っていくのだという牢固たる権威と自信があったのです、
裁判所の中に。何も司法行政から営繕
関係まで自分たちでやらなければ
裁判行政、司法行政が保てないという、そういうけちな考え方は、私は日本の
裁判所の中にはなかったと思う。私はなぜそれを申し上げるかといえば、いろいろな雑音を聞くのですよ。たとえば、
裁判所の機構改革という問題が出て、われわれが現地
調査に行っても、特定の個人だれだれがこういう意見を持っておったということは言わぬでくれという。つまり、下の方の
裁判官の意見がすなおにそのまま上の方に伝わらなければ、むしろかえって逆に弊害があるのだ。
裁判の独立というものは、かえってそれによって侵される。
裁判行政、司法行政というものは、今の形によって一本に同時に
裁判所の手で握られたことによって、逆に私はその点にマイナスの面が出ているのではないかということを考える。なぜ私がそういうことを申し上げるかといえば、実は私には経験がある。かつて昭和十八年に東条内閣につかまったことがあるのですが、十八年の十二月十五日の今状で巣鴨の刑務所行き、十九年の十二月二十八日、東京地方
裁判所の刑事第一部ですか、
裁判長は八木田政雄氏ですが、この人はなくなりましたが、その間十何回か私は法廷に足を運んだ。それは大審院の第一号法廷です。毎日々々私は児島先生の胸像の前を通って法廷に入った。私は、最後の最終陳述で、
裁判官は児島惟謙先生のこの胸像を忘れてくれるな、そう言った。その
裁判官の魂の中には脈々として児島惟謙先生の司法独立の魂が流れているはずだ。われわれ東条内閣の弾圧のもとでつかまったのですが、最後に私はその言葉を吐いたことを今でも記憶しております。当の
裁判長八木田判事は、陪席二人と非常に御苦労されたようです。あとからその御苦労のほども聞いたのですが、そのときに、十九年の十二月二十八日に堂々と無罪の判決を書きました。その当時の司法大臣は捜査の指揮をやりました。しかし、これとは別個に毅然たる
裁判の独立と、いうものは、われわれはあくまでもあの戦争中といえども
裁判に対する信頼感というものを失っていなかった。それだけの信頼感が今あるか。なぜ私がそれを申し上げるかといえば、この機械改革に当ってしばしば田中長官は、旧大審院時代に返っちゃ困るのだという言葉を吐かれる。われわれは、旧大審院時代に返ることを理想とするのじゃない。今この最高裁の機構が、その法制の系列が米英法の立場をとっておる。
下級裁判所は大陸法の歩みを何十年間歩んだままだ。そこに大きな矛盾がある。これはここじゃ簡単に片づきませんが、その場合、
最高裁判所ひとり米英法の系列から頭の上に乗っかっておる。頭と胴体と別々じゃ困るのだ。私は、ここは日本の
裁判所ですから、それが米英法の系列であろうと大陸法の系列であろうと、真に国民が信頼するに足る
裁判所ができることをこいねがってやまない。今の司法権の独立という立場から、司法行政、
裁判行政についても全部これは
裁判所が
裁判官
会議の形において握ってしまわなければならないというのがわからないのです。これは五鬼上事務総長の御見解を伺うというよりも、むしろ私はこれを強く申し上げたいのです。御検討を願いたいと思うのです。いろいろな雑音が入ってくるのですよ。公述人として昨年の国会で意見を聞きました。聞きましたが、ここで公式に述べられる意見と、別に個人で会って聞く意見と違うのです。どうもおかしな話なんです。いやしくも
裁判官であるならば、しかも
裁判の公正、その迅速を期するための機構改革であるならば、毅然たる態度を、長官が何を言おうと、
裁判官
会議でどういう意見が出ようと、自分の所信は堂々と述べていかなければ困るのです。そういうとこころに、今の司法行政のあり方に何かもやもやした欠陥があるのじゃないかという気が私はするのです。これは大きな課題として御検討願いたいと思います。ここで今御所見を承わろうと思いません。
次に、時間がありませんから、最後に私は、これも今ここですぐ御答弁願えるかどうか問題だと思いますが、事を簡潔に、歯にきぬ着せないで申し上げれば、こういうことを言いたい。私は、
最高裁判所の判決にもし憲法違反があった場合は、どこのだれがどういう形でこれを審理するか、こういう問題を一つの大きな課題として提示したいのです。それは、昨年の八月五日でしたか、五鬼上事務総長においで願って
委員会でやったときに、私は例を三つ四つあげてお尋ねしたのです。そういう事実はありましたと事務総長おっしゃいましたが、昭和二十三年の最高裁の判決第一三九〇号、これは最高裁の判決、上告棄却は二十六年八月二日です。原審は懲役三年です。ところが、最高裁に行ってから二年十カ月拘禁されておる。第一審からずっと通算すると、未決勾留全部入れたために、四年八カ月事実上拘禁されたことになる。原審実刑懲役三年の判決に対して、最高裁に上告して、実際に実刑として事実上身体の自由を拘禁された間が四年八カ月とはどういうことか。明らかにこれは憲法違反です。憲法のどの条章を見てもこういうことは許されておりません。憲法違反です。同じような例がたくさんあるのです。二十五年の〇二三五五号、これは二十七年十月十六日上告棄却になっておりますが、これは原審は二年です。詐欺未遂事件で原審は二年です。これに対して、全勾留期間が二年十カ月、うち最高裁の勾留期間が二年一カ月になっておるのです。実刑二年に対して二年十カ月の拘禁したことになっておる。十カ月というものは余分に自由が拘束されておる。二十六年のあ第三三九八号、これは臓物運搬事件、原審一年です。これは二十七年の十月三十日上告棄却です。これは最高裁の勾留が一年二カ月で、実刑よりも十一カ月よけい拘禁されておる、こういうことになる。人の自由を、身体を拘禁するということは、憲法上保障された国民の基本的人権
権利の上で最重大問題であります。そのことのゆえに、憲法は各条に人権の自由というものを保障しておるのです。その基本的人権を守るために、
最高裁判所には違憲審査権というものが与えられておる。
最高裁判所長官、田中長官が言われる通り、旧憲法は実際は不完全法だ、なぜかなれば、
法律が合憲的に行われているかどうかということを審査する機関がなかった、今度は違憲審査権を
最高裁判所が持つのだから、完全な法になっておるのだ、こういうことを言っておられる。これは長くなりますからやめますが、言っておるのです。憲法の番人、違憲審査権を持った
最高裁判所が憲法に保障した人権を擁護するために、違憲審査、つまり
個々具体の事件が憲法の条文、保障の条項に抵触しやしないかということを、最高の最も重要な審査課題として最高裁は取り扱っておられるものと私は了承しておるのです。ところが、最高裁自身の判決に重大なる憲法の侵害があったときに、これは一体どこでだれが救済をやるのですか。これは前の二十七年までのことで、これからはそういうことはありませんとおっしゃればそれまでですが、私はそうは了承いたさない。これからでもあり得ることです。こういうこことについては、
最高裁判所の
裁判官
会議、で、三田村
委員はこういうことを言ったと、速記録を提示して十分御検討願いたいと思います。私はその責任者を出してこいと申し上げるのじゃございません。だけれども、法の権威、
裁判の権威を愛するがゆえに申し上げるのです。この事実は、私がここで申し上げるだけでなくて、ずいぶん世上の法曹学界に伝わっている。そういうことをそのままにして、
最高裁判所の機構改革に関してわれわれがどのような態度をとるかということはきわめて重大でありますから、この点は一つ十分お考え願いたいと思う。この前の
委員会でも申し上げた。たとえばあの世界的注視のまっただ中にあったジラード事件の判決をアメリカの連邦
裁判所がやったのはたった三日間です。たしか両者の
口頭弁論が行われたのは八月の八日でしょう。十一日には判決を下している。ちょうど前後して八丈島事件というものが新聞に大きく報道されました。あれはたしか昭和二十一年ごろで、そして判決の確定したのは去年ですよ。これは殺人事件で、たしか一審は無期か死刑だった。そうして最終審でこれは原審を破棄して無罪になった。
最高裁判所の
裁判官諸君はそり身になって、どうだ無罪だといばったでしょう。しかし、私は軽べつします。無罪になるならばなぜもっと早く無罪にしてやらなかったか。被告人はまだ生きておった、からよかったですよ。最高裁の無罪の判決が下る前に死んだりすれば、彼は殺人の汚名を着たまま死刑囚として死んでいくのです。こういうことならば意味がないのです。一方、国際的に非常に大きな問題であるジラード事件のごときは、わずか三日間で判決を下した。
最高裁判所で聞くと、ワン・ベンチ論、フル・ベンチ論があります。しかし、これは
最高裁判所の都合のためにあるのではなくて、国民の自由を守るために、国民の公正な
権利を守るためにある
裁判でありますから、私は今ここで申し上げたのであります。田中長官はなかなかりっぱなことを言っておられますが、昨年の十月一日ですか、
最高裁判所発足十周年記念に際して、
裁判所、検察庁、弁護士会の合同協議会の席上における田中長官のあいさつはまことに堂々たるものです。私は最高の敬意を表してこの田中長官のごあいさつを拝読いたしましたが、この中にあることと、今私が申し上げたことは違うのです。
最高裁判所は憲法の番人だ、そこに
最高裁判所の権威があるのだとおっしゃる。ところが、
最高裁判所の実際の判決を見ると、こういうことが事実あるのです。私はここでは全部申し上げませんが、三田村が三つの事例とジラード事件をあげて、さらに昨年の十月一日
最高裁判所十周年記念に当って田中長官が述べられたあいさつを引いて、その
内容には最高の敬意を表するが、これをどうするのだという意見を述べた、これは一つ
最高裁判所お得意の
裁判官
会議でも開いて十分御検討願いたいと言ったとお訴え願いたいと思います。これはどうせ一ぺんは最後の案をまとめるときには田中長官の御出席を願わなければなりませんから、そのときに長官の御意見を伺いますが、十分この点をお含みの上お訴え願いたいと思います。