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高橋参考人 私、
映倫管理委員長をいたしております
高橋でございます。
御
承知のように、
終戦後におきまして、たしか
昭和二十四年六月であったかと記憶いたしますが、旧
映倫が発足いたしたのであります。
映画倫理規程管理委員会と称せられるものであります。これが新
映倫に変りますまでのいきさつは、申し上げますとまた長いことになりますので省略させていただきますが、この旧
映倫が
十分映画倫理管理の責めを果すことができない、
効果をあげることができないという
非難がございまして、ことに御
承知の
太陽族映画というものが行われまして、これ
がために
映倫に対しまする
非難ははなはだ強いものになりました。このままにいたしておきますならばまたふたたび昔のような制限に移っていくのではないかという
危惧がはなはだ多かったのであります。古い
映倫が
十分効果をあげることができなかったといたしますれば、これはいろいろな理由があるかと存じますが、まず第一にあげなければならないことは、
映画倫理規程管理委員は、
映画の
製作者であります
映連——映画連合会で任命するものでありまして、そして
映連の金によりましてこれが維持せられていく、運営せられていく、こういうことになっておるのであります。
映連の
事務局長池田義信氏が
出席しておられますので、私の
言葉の足りないところはあるいは補っていただくことになるかもしれないと存ずるのでございますが、それと、さらにもう
一つ大きな
原因としてあげなければならないことは、
終戦後におきまして
連合軍の
司令部はしきりに、
外国映画、
輸入映画も
映倫に
参加すべきであるということを勧告いたしておったのでございますが、これがなかなか実行せられなかったのであります。
アメリカの
メージャー系の
映画を除きますほかのものは大体
参加いたしたのでありますが、
メージャー系のものはなかなか
参加してくれない、こういうようなことでございましたので、十分の
効果をあげることができなかったのであります。
映倫改組の問題が起りましても、
メージャー十社はなかなか
参加をがえんじなかったのでありますが、いよいよ
最後に参りまして、
アメリカ側の
映画の
代表のホクステッターと申します人が、われわれはあくまでも
日本の
映画と
協力する、これとスクラムを組んでいく、そして、
ひとり映画のみならず全世界に向っても
戦いをいどむ、
——この
戦いをいどむということは、あるいは
映画の自由を妨げることに対します挑戦であるともとれるのであります。こういうようなことで、
メージャー系の
参加を得ましたので、急速に話が進みまして、そこで新
映倫がいよいよでき上ることに相なったのであります。
その経過は詳細印刷いたしまして、お手元に差し上げてございますので、ごらんいただきたいと存じますが、新
映倫が旧
映倫と変っております点は、
最初管理委員長が選ばれましたのは
映連にあります
組織委員会であったのであります。やがて後になりまして
維持委員会というものが選ぶということに相なったのでありますが、やはり
映連が選ぶと申してもいいのでございます。しかしながら、選ばれました以上は、全く何らの拘束も
映連から受けることなく、独自の
立場に立ち独自の
見解によりまして
管理を行うことができることに相なっておるのであります。そして
映連から費用を支出してもらうということもございませんで、これはひとえに
審査料によってみずからまかなっていくことになっておりますので、今までのものと比べますとよほど強い力を持つことができると存じて、私どももお引き受けいたした次第であります。
管理委員は五名以内ということになっておりますが、他の
委員すなわち四名ないし三名の
委員は全部
委員長が選ぶことになっておりますので、全くこの
委員の選任につきましては
映連の干渉を受けないことに相なっております。そして、この
委員にあげられております者は、
映画界に現在
関係しておらぬ、
映画製作者などに
関係しておらぬ者、こういうことになっておりますので、公正な
立場から、何らのカにも拘束せられないで独自の判断を下すことができる、こういうふうに
考えておるのでございます。
それで、この
委員会が新しく発足いたしましてから、まだ日もはなはだ浅いのでありまして、一年二カ月を経過いたしたにすぎないのでありますが、その間におきまして、あまり口はばったいことも申し上げかねるのでありますが、大体におきまして、問題となりました
太陽族映画の
ごときものは跡を断ったと申すことができるのではないかと存じます。まだまだわれわれは厳正な態度で
審査をいたさなければならぬとは
考えておるのでございますが、ことに、
映倫規程に基きまして、ただいまお話のありました性的
犯罪であるとか
暴力行為であるとかいうようなものを主題としたとか、またあるいはその場面を写しましたものなどは、これを切り取ってもらうとか、あるいは改めてもらうとかいうようなことをいたして今日まで参っておるのでございますが、
製作者は実によく
映倫と
協力してくれまして、今日に至りますまで、
管理委員長に対しまして再
審査を要求して参りましたもの、
——つまり、御
承知と存じますが、
審査委員の申しておりますところと
製作者側との間に話がつかない、ここを切ってもらいたいという場合に、向うは切らないというような際には、
管理委員長に対して再
審査を要求することができる。その再
審査を行います場合にはこういうふうにやっていくということも、この印刷物の中に定めておきましたから、ごらんいただきたいのでございますが、ここのところまで参りましたものはまだ一件もないのでありまして、そこのところまでいきかけたのがわずか一件ございましたのでありますが、私の手元まで参ります前に、先方でこちらの要求をいれてくれましたので、とうとう再
審査の要求を見ずにしまったのであります。
それで、
売春禁止法が実施せられるということを聞きまして、まあこのことを聞く以前からでもありますが、われわれといたしましては、遊郭を題材にしたもの、あるいは
売春くつを題材にしたようなものは困る、こういうものは取り締っていかなければならぬというふうに
考えておったのでございますが、先ほどお話のございましたように、
吉原であるとか島原であるとかいうものを題材にいたしました、徳川時代の題材を選びましたものなどは、今日におきましては特に
青少年に対しましてはそれほどまでの影響もないだろう、こういうふうに
考えますものはそのまま通すというような方針が大体とられておるのであります。
それから、現代のものにつきましても
——昔のものにつきましてもやり方によりましてはむろん厳重に
審査いたす方針ではありますが、特に注意を要しますものは現代のものでありまして、ことに、表題に遊郭というような名が出て参りますものは、これを変えてもらうという方針が大体とられておるのであります。今日までこれを改めてくれましたものが多いのでございまして、そう遊郭などという表題を掲げておりますものはないと存ずるのであります。そして、北条秀司さんの書きました「太夫さん」は、これを「廓」と改めるとかなんとかいうようなことをいたしておったのでありますが、内容は、文学的、芸術的に申しますならば、割合すぐれたものと申すことかできると思うのでありますが、いろいろな描写の点におきまして注意しなければならぬ点がはなはだ多いのでありまして、ずいぶん多くの削除を申し出、あるいはまた訂正を要求いたしまして、こと
ごとく入れられておるのであります。これらのものは、
売春を刺激するというよりも、むしろ、私どもの見ましたところでは、
売春くつの悲哀をよく表明しており、こういう世界に入ったらばこれはもう大
へんなことになるのである、
——これは「女体は哀しく」という表題に改められたと存じますが、一度ああいう
社会に入った婦人のからだというものは実に悲しいものであるという、この悲哀を痛切に訴えておるように見受けられるのでありまして、いろいろ部分的には削除訂正を要しますが、主題そのものは必ずしも排斥すべきでない、こういうふうに
考えたのであります。
それから、今日では、これも
犯罪とは言えないかもしれないと思いますが、「姦通」というような表題の
映画なんかも計画せられたのであります。これは御
承知の近松門左衛門の「堀川波鼓」を脚色いたしたものであります。それを「姦通」と題したのであります。内容は、近松のものであって、なかなか芸術的なかおりもあるのでありますが、どうも表題そのものがよろしくないというので、これは幾次の折衝を重ねまして、ようやく「夜の鼓」ということでけりがつきまして、上演せられることに相なったのであります。
そういうふうにいたしまして、
映画に対します
審査は厳重を期しておるのでありまして、特にまた
青少年に対しまして深甚な注意を払いまして、
青少年に関しまする
委員会というものができておりまして、これもお手元に書類を差し上げてございまするが、
委員の一人有光次郎君を
委員長といたしまして、それから関野氏を副
委員長といたしまして、前には有光君を除きまして十四人の
委員から成り立っておったのでございまするが、最近には事情がございましてこれを有光君を入れまして十一人ということに相なっております。これは
管理委員会のほかにしばしば会合を開きまして、
青少年に対しまする
映画対策をいろいろ考究しておるのであります。数日前にもこの
委員会に私も
出席いたしまして、いろいろ審議の状況を見聞きいたしたのでありまするが、ただいまお話しになりました点などもむろん取り上げられまして、実際に
映画が
青少年の
犯罪、ことに性的
犯罪に対してどれだけの影響があるのであるか、むろん誇大せられているということは大体
委員諸君の一致するところと申してよろしかろうと思うのでありまするが、実際にどれだけの影響があるのであるか、
映画を見て直ちに
犯罪におもむいたというようなものがどれくらいあるのであるか、なかなか正確な
資料に基いて議論をするということはむずかしいのであろうが、しかし、佐々木君という方が
委員の中におられまして、これは家庭裁判所などにも
関係しておられる方でありまして、この問題につきましては特に造詣の深い人でありまするので、佐々木君をわずらわしまして、佐々木氏を中心としてこの問題をさらに考究していく、こういうことになりましたのであります。
それから、なお私どもはなはだ遺憾に
考えておりますることは、
映画そのものよりもスチールであるとかあるいは宣伝用のビラであるとか看板であるとかいうようなものであります。
映画の方はずいぶんよろしくない場面が現われましても一瞬にして消えてしまうのでありまするが、そういう宣伝用のビラなどは長い間そこに張りつけられておる。
映画館に入らない者も、これらの前に
青少年、子供などが立って見ておる。これからして特に大きな影響を受けるというようなことがありはしないかということを早くから
考えておりましたので、これをやかましく取り締ろう、こう
考えておったのでありまするが、そしてまたおおむねその方向に進んでおったのでありまするが、この取締りが
映画そのものの取締り以上に困難なのであります。大体こういう図案のものをということを申してくるのでありまするが、でき上ってみると、それと違う。もう刷ってしまったというようなことで、しきりにこれを通してくれろというようなことを申されるのであります。何とかしてこの取締りを一そう強化しなければならぬ。この方面はただ一人の
審査員が当っておったのでありまするが、どうも一人では不十分であるというので、数カ月以前におきましてさらに
審査員を一人ふやしまして、こういう方面の取締りに一そうの注意を注ぎたい、こういうふうにはかっておるのであります。スチールなどは、私どもの初め
管理委員会に入りましたときには、スチールでありますからして、
映画の一部分を特に写して公衆に示すもの、こういうふうに
考えておったのでありますが、実際に見ますと、
映画の中には現われない場面、そういうものを特に写しまして、婦人の裸体などが流布することになるのであります。そういうおそれなどが十分にありますので、この点を厳重に取り締って参りたい、こう
考えておるのであります。
それから、
映画製作者はよくわれわれと
協力してくれるのでありますし、また輸入に
関係しております諸君、配給に
関係しております諸君もよく
映倫と
協力してくれておりまして、問題はきわめて少いのでありますが、一番むずかしいものは興行者と存じます。もう一昨昨年になりますか、内閣に直属いたしました
映画審議会というものができたのでありますが、いろいろ論議がかわされたのでありまするが、大体一致点を見ました点などにおきましてどうも興行者側の賛成を得がたいというようなことで、私どもははなはだ悩まされたのであります。ことに、興行時間
——これとは直接の
関係はございませんが、時間制限の問題などで興行者側と
意見の一致を見ないで非常に悩まされたことがあるのであります。御
承知のように、
映倫におきましては、
青少年向きの
映画であるとか成人向きの
映画であるとかいうようなことをきめておるのでありますが、ことに、
青少年向きの
映画、あるいは特に
青少年に見せたい推薦
映画というようなものを選んでおるのであります。なかなかりっぱな
青少年向きの
映画が続々と製作せられておるのであります。興行者は、これをかけます場合に、これと成人向きと申しますか、
青少年に見せては困るという
映画を抱き合せるということをしきりにやっておると伝えられるのであります。これは、私どもの調べましたところでは、大体一番館、二番館あたりではほとんどないといわれておるのでありますが、末端館になりますと、なかなかこれをよくやる。ことに三本立の
映画などをやりまして、その中に一本、二本成人向きのものを加える。こんなことになっておる。ことに最近におきまして、われわれの
委員会に入りましたところによりますと、大阪あたりなかなかひどいそうでありまして、ほんとうに指定ということを掲げておりますものは三分の一と申しましたか、はなはだわずかであるということでございます。しかし、
映倫といたしましては、こういうものを取り締るということはできないのでありまして、あくまでもその
協力を求めるということなのでございまして、これも興行者連合会の諸君と
協力をいたして参るよりほかないのでありまするが、これも非常に困難な問題でありまするが、だんだん
映倫の仕事がはかどりまするにつれまして、こういうようなものも次第になくなっていくのではないか、また、どうしたならばこういうことをなくなしていくことができるかということを考究いたしつつあるのでございます。
はなはだ
言葉の足りないところ、あるいは御質問にお答えいたさなかった遺漏もあると存じまするが、足りませんところは阪田事務部長その他の方に
お願いいたすことにいたします。