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1958-03-04 第28回国会 衆議院 法務委員会 第10号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十三年三月四日(火曜日)     午前十時二十七分開議  出席委員   委員長 町村 金五君    理事 高橋 禎一君 理事 林   博者    理事 福井 盛太君 理事 三田村武夫君    理事 横井 太郎君 理事 猪俣 浩三君       小林かなえ君    世耕 弘一君       徳安 實藏君    長井  源君       古島 義英君    横川 重次君       青野 武一君    神近 市子君       佐竹 晴記君    吉田 賢一君  出席政府委員         検     事         (刑事局長)  竹内 壽平君         法務事務官         (矯正局長)  渡部 善信君  委員外出席者         参  考  人         (日本映画製作         者連盟事務局         長)      池田 義信君         参  考  人         (映倫管理委員         会事務部長)  坂田 英一君         参  考  人         (映倫管理委員         会管理委員長) 高橋誠一郎君         参  考  人         (大映株式会社         社長)     永田 雅一君         専  門  員 小木 貞一君     ――――――――――――― 三月一日  裁判官の報酬等に関する法律の一部を改正する  法律案内閣提出第一一二号)  検察官の俸給等に関する法律の一部を改正する  法律案内閣提出第一一三号)  の審査を本委員会に付託された。 三月三日  売春防止対策強化に関する陳情書  (第五三一  号) を本委員会に参考送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  売春防止法の一部を改正する法律案内閣提出  第五〇号)      ――――◇―――――
  2. 町村金五

    町村委員長 これより会議を開きます。  売春防止法の一部を改正する法律案を議題といたします。  本日は、本案の審議に関連いたしまして、特に映画倫理化等の問題につきまして、参考人の御意見を承わるため、次の方々参考人として御出席を願っております。日本映画製作者連盟事務局長池田義信君、映倫管理委員会委員長高橋誠一郎君、同事務部長坂田英一君、大映株式会社社長永田雅一君、以上四名の方々であります。  参考人各位には御多用中にもかかわりませず御出席下さいまして、まことにありがとうございました。厚く御礼申し上げます。なお、本日は時間の都合もございまするので、参考人方々には当委員会委員の質疑に順次お答えをいただくことによって議事を進めて参りたいと存じまするから、御了承願いたいと存じます。  なお、御発言の際は必ず委員長の許可を得ることになっておりまするから、これを御了承願いたいと存じます。  三田村委員より発言を求められておりまするから、これを許します。三田村君。
  3. 三田村武夫

    三田村委員 参考人方々には、大へんお忙しい中をわざわざおいで願いまして、まことにありがとうございます。  御承知通り世上注目の的になっておりました売春防止法が、来たる四月一日から完全実施されることになっておるのでございます。そのために必要な関係法案が当委員会でただいま審議されておるのでございますが、世間ではこの売春防止法全面実施に関していろいろな不安やら、あるいはまた危惧の念が持たれておるのでございます。私ここに少しばかり材料を集めてみたのでございますが、新聞あるいは週刊誌など、昨年の暮れごろから、ほとんど毎日毎週のように現地ルポルタージュなどを載せまして、その行方を見守っておるようでございます。そこの中で一番心配される問題は、性倫理の混乱あるいは頽廃、あるいはまた暴漢、痴漢などが横行するのではないか。さらに売春行為と申しますか、それとうらはらの関係にある暴力団の横行、世間ではこれをひもとかなんとか言いますが、そういうものに対しての不安も相当あるようでございます。私は、この性犯罪と申しますか、人間社会にどうしても取り去ることのできない性生活と申しますか、そういったものと、近ごろ特にやかましく問題になってきております青少年不良化の問題、さらに、岸総裁のスローガンの一つに掲げられております暴力追放、こういったものは不可分の関係にあるのだということをかねがね考えておる一人でございます。  私は、本日ことさらにこの問題を取り上げて皆さんの御意見を伺おうとするだけでなく、二十二国会以来ほとんど毎国会この問題について、あるいは法務当局あるいは厚生当局、それらの責任のある立場方々意見の交換をやってきておるのでございます。今度は、日本風俗史上と申しますか、社会史上画期的な事件といわれておる売春防止法完全実施されまして、いわば法律形態の上で売春業者というものがなくなるのであります。映画製作に従事しておられます皆さん方も御承知通り、われわれが歴史上の映画を見ましても、あるいは吉原風景あるいは島原の風景というものはしょっちゅう目であるいは耳で聞いて入ってきておりまして、これは言葉は適切であるかどうかわかりませんが、きれいに姿を消すということに関して何らか多少の郷愁的感がわくのではないかという気もするのでございます。これは映画に出てくるおいらん道中とか、あるいはああいう社会風景というものが現実の社会一つに結び合わされて一般の慣習、社会人の頭に入り目に入ってきたのでありますが、これからはそれがなくなる。同時に、ああいったものは一体どこに行ってしまったんだ、どういう形になってくるのだということは、これまた非常な大きな関心事であろうと思うのでございます。  私が申し上げるまでもなく、映画というものは、近代社会人の、むしろ生活の重要な部分とも言えるほど重要な存在になるものでありまして、そういう観点からいたしますと、今度の売春防止法完全実施に当って、この行方をどのように見守っていくか、これは非常に重要な問題でありますが、同時に、この問題についてのいろいろな観点から、社会的な事象とでも申しますか、人間社会の中にある、あるがままのものを映画製作者立場からこれを一つ人間の生きた社会に持ち込む、商人と言っては言葉語弊があるかもわかりませんが、そういう性格を持つものでありますから、一番社会の中にある実態を把握される立場に仕事の上からあられる方々ばかりでございますそういう方々の御意見を伺うことは非常に私は重要だと思うのでございます。  本日は、いろいろ御意見を伺いたいだけでなくて、むしろこの歴史上画期的なできごとに直面しておる今日、心から一つ皆さんの御協力を仰ぎたい。そうでありませんと、せっかくこの一つ法律的立法処置をいたしましても、果してこれがわれわれの住んでおる、生きておる人間社会にすなおに持ち込まれるか、言いかえますならば、われわれどもがきれいですなおで明るい社会に住めるように、そのような社会の中にどのような形で持ち込まれてくるかということは非常に重要な問題であろうと思うのでございます。そういう意味から、本日は深い造詣、経験をお持ちの皆さん方に、われわれの立場から率直にこの問題に対する考えを申し上げて、皆さんの御意見を伺い、かつ心から御協力お願いいたしたい、こういう意味合いでございます。  先ほど委員長冒頭に申し上げましたように、一つテーマを差し上げて、これこれについてどういうお考えでありますかということをお尋ね申し上げる前に、今私が申しましたように、私たちがこの委員会で、売春性犯罪暴力、三題話のような一つテーマでありますが、そういうものに関連して何を考えておるか、どういうことを心配しておるかということを申し上げて、それに対する一つの御見解、御意見を伺いたいと思うのでございます。  私、この法案が出て参りましたときに、法務当局警察当局にそれぞれお願いをして資料を作ってもらったのであります。本日法務省の資料が出て参りました。一週間くらい前に警察庁から出された資料がありますから、その資料に基いて、これは皆様方承知と思いますが申し上げてみたいことがあるのです。  最近五年間の青少年犯罪統計を取ったのでございますが、昭和二十八年、二十九年、三十年、三十一年、三十二年、この五年間でいわゆる青少年の十四才から二十才未満の者と、二十才から二十五才未満の者と、二つに分けて調べた統計でございます。長くなりますから簡潔に最後統計だけ申し上げます。十四才から二十才未満の者でこの五年間に警察に検挙された者が五十万四千九百六十二人おります。二十才から二十五才未満の者で同じく警察に検挙された者、これが七十万四千四百十二名おります。これを合せますと百三十万九千三百七十四人。これはしかも交通犯罪とかあるいはそういったものでなく、全部刑法犯刑法上の犯罪として検挙された者であります。これは申し上げるまでもなく、昔の警察あり方と現在の警察あり方とは違っておりまして、警察検挙者として扱う場合は、それぞれ具体的な犯罪の事実があって、警察の手にかける一つ客観的条件が整っておりませんと手をつけない。ただ昔のようにむちゃくちゃに引っぱっていって留置場にほうり込むということをやっておりませんから、この数字は私は非常に注目しなければならぬと思うのであります。しかも、そこの中でいわゆる凶悪犯——殺人強盗強姦暴行傷害——殺人が六千五百十八、強盗が二万一千百四十三、強姦は一万六千五百一、暴行が六万一千五百五十二、暴行傷害を加えますと十七万五千四百五十五、こういう計算になってきております。ここの中で私が特に注目したいと思うのは強姦罪です。これは御承知の親告罪でございますから、必ずしもこれが全部処罰の対象になっておるとは思われないのでございますが、同じ青少年の手によって犯される強姦罪の中でも、十四才から二十才未満の者の強姦罪の方がはるかに多いのです。十四才から二十才未満の者の強姦が、一万三百四十三、二十才から二十五才未満の者は六千百五十八。全体の強姦罪、これは二十五才以上の青年も入るのでありましょうが、そういう者を合せますと全部で二万二千百八十八でありますから、そうすると、二十五才以上の者によって犯された強姦罪はたしか四千幾らになりまして、少年の手、つまり十四才から二十才未満の者によって起される強姦というものが非常に多い。これは私は大へんなことだと思うのであります。これは、犯罪社会的構成とでも申しますか、年令層からながめてみますと、若い者の性犯罪が非常に多い、こういうことが私は非常に心配になるのでございます。これは罪を犯した者の立場からでありますが、その対象になった者の立場からすると、少くとも強姦対象になる、強姦の罪として警察の手にその犯人がかかる場合は、おそらくはその対象になった婦女子というものは、大半はいわゆる商売人ではない善良な家庭の子女であり、またときには人妻であるかもわからぬ。そういたしますと、一万何千件、二万何千件の強姦の罪の背後にある社会的な別な面を考えますと、まだ肉体的、精神的に成熟していない青年の手によって犯された善良な婦女子の一生は、そのようなことによって苦しみかつ泣かなければならぬ。売春婦の転落の原因などを調べてみましても、暴力によって貞操を奪われ、そのためについに自分はこういう社会に転落したという事例がたくさんあるのであります。これは私は非常に重要なことだと思うのでございます。  けさも私出がけに確かに書斎に残しておいたつもりで探してみたんですが、ついに見当りませんでしたが、たしか一週間ぐらい前だと思います。東京の朝日か毎日か読売か、いずれかの新聞でありますが、浅草方面できごとであったように記憶いたしております。二十何才かのいわゆるチンピラであります。それが映画を見に行った。その映画の刺激で一つ吉原に行って遊んでやろうという気になって、吉原に行ったところが、灯が消えてしまって何もなかった。戻りに、手当り次第でしょう、通りがけの若い婦女をつかまえてどっかの工場の暗いところに連れていって暴行を加えようとした。これが騒がれて発見されて検挙されたという事件が出ております。もう一つは、ここ二、三日新聞社会面を、大きく五段抜き、六段抜きで騒がしております矢野何がしという二十一才の青年刑事射殺事件でございます。これは私よく耳にするのですが、ギャング映画を地でいくような事件だと人は言います。ところが、逆にまたああいう事件映画テーマになってギャング映画が作られるということも、これはやっぱり世上の常識になっておるのでございます。こういうことを考えますと、何とも心寒い思いがするのでございます。どうしてもこれは一つ皆さんの良識ある御協力を待つ以外にないと思われるのでございます。  繰り返して申しますが、五年間に、十四才から二十才未満の者で刑法上の罪に問われて検挙された者は五十万四千九百六十二人、二十才から二十五才までの者が七十万四千四百十二人、合計百二十万九千三百七十四人。ということは、いわゆる年令的に青年層構成から考えてみますと、御承知のように、毎年成年に達するものが男女合せて二百万だと言われます。そのうち半分は女子でありましょうから、一年に男が大体百万、五年間で五百万ということになります。五年間に五百万の男子が成年に達し、その中で百二十万が刑法上の罪を犯して警察に検挙された、こういうことになりますと、四分の一です。大体四人に一人は一ぺん警察の御厄介になるということであります。これは私はゆゆしいことだと思います。  翻って青少年犯罪傾向をながめてみますと、昭和十一年を一〇〇として統計をとってみますと、昭和三十年はその指数が五〇〇であります。つまり大体傾向として戦前の五倍。われわれは、新しい憲法のもと、文化国家ということを念願として、人間社会の理想といたしております。戦前よりも青少年犯罪が五倍になった、しかもその内容がますます凶悪化していく、こういうことで果して一体われわれは新しい憲法のもと文化国家を建設しつつあるということが言えるかどうか。われわれは重大な反省を必要とする時期に至った、こう思われるのでございます。  これは、先ほども申しましたように、人間社会にはどうにもならないものがある。これは欲望であります。その欲望は本能のおもむくところ性活動になって現われてきましょう。また同時にギャング的な暴力行為になって現われてきましょう。どうやってこれを是正し、矯正し、正しい人間らしい社会生活に引き戻していくかということは、国民全体が共同の責任考えなければいけないのです。われわれももとより国会構成する国民代表者の一人として真剣にこの問題に取っ組まなければなりませんが、同時に、冒頭に申しましたように、人間社会生活の中に一番大きな影響力を持っておる映画というもの、この映画の中に私たちは昔の倫理とか道義とかそういうものを決して求めるのじゃありませんが、少くとも人間生活がきれいな美しい、いいものになる、文化国家文化人らしい社会環境を作っていく方向に御協力願いませんと、法律を作っただけじゃなかなか片づかぬ、こう思うのでございます。私も戦時中から国会におった一人でございますが、戦時中いわゆる刑罰法規を厳にして、われわれはずいぶん苦しい体験をなめて参りました。映倫関係のことも、私が申し上げるまでもなく、御承知占領期間中ある時期は検閲が行われておった。しかしながら、権力による検閲行為というものはどうしても避けたい、避けなければならぬ、これが文化人自由国家第一義的条件でありますから、映画人自主的規制という形で映倫規程というものは設けられた。それはいわば映画社会における憲法であります。その憲法のもと皆さんに御協力、御推進願っておるのでございますが、政治社会における憲法と同じように、映画社会にある映倫規程、すなわちこの憲法というものに忠実に、という言葉には私は語弊があると思いますが、そうでなくて、その期待するもの、目標とするものが映画事業の中に正しく生かされて参りませんと、われわれが一番心配をいたします法律的規制というものがまた出てくることをおそれるのであります。第二十二国会でありましたか、婦人団体あたりの要請で立法されました銃砲刀剣等所持に関する法律、これは飛び出しナイフ禁止の規定であります。近ごろ青少年犯罪が非常に多くなり、その青少年犯罪に使う一つの道具として飛び出しナイフというものがある。私、岐阜県ですが、岐阜県の関というところで作っている。これらは犯罪の用に供せられるというので所持を禁止するという法律が出てきた。私はそのとき反対をしたのです。それは、なるほど犯罪の用に供されるかも、わからぬがただそれだけに手当をしたって意味はないのだ、何でも法律処置をしていくということになると、そういう口明をするとすべてのものは法律的処置を必要とする、また権力国家にあと戻りしてしまうのじゃないかということをおそれたのであります。映画関係におきましても、私は、だんだんこういったものの世論が高まって参りまして、どうもああいう映画ばかり出て、そのために悪い社会的影響があるのだという世論がまた高まって参りますと、ただ映倫規程だけではいけないのだ、映画規制の何らかの立法的処置をしろという意見が出てくることを実はおそれるのでございます。新憲法にはすべての言論、すべての営業、この自由が保障されておりますが、それには公共福祉という言葉がついておる、だから公共福祉に反するではないか、毎年毎年二十万も二十五万も善少年不良化していく、その原因は何にあるのだ、これは全部映画にあるのではありませんが、しかもその中に今の若いものを刺激し興奮せしめ、しかも犯罪の模倣に走らせるようなことがあるならば、これはわれわれがきれいな社会を守るために何か一つ考えなければならぬじゃないかという意見が、いつかどこからか出てきはしないかという懸念があるのであります。そういう立場から私は皆さんの御意見を伺い、またお願いをいたしたいのでございます。  青少年犯罪防止に関しても、二十四年の第五国会で当委員会の発議によって中央青少年問題協議会というものができております。ここの中で青少年対策として取り上げられる題目の中に、青少年に有害な映画等対策についてという問題がしばしば取り上げられております。ところが、率直に申しまして、あまり効果がないというような現状でございます。  私はここでまずそういう観点から一つ参考人皆さん方の御見解を伺いたいと思うのでございますが、映画製作者立場から、私が先ほど申しました映画界憲法とでも申しますか、いわゆる映倫規程をどのように運用されておるかという点が第一点と、それから、当委員会が現在ここで審議いたしております売春防止法全面実施に伴う諸問題、私が冒頭に申しましたその次に来たるべきもの、——三題話のようでありますが、売春業者が消えてなくなった、しかしながら売春行為というものは私はなくならぬと思う。それと関連して売春性犯罪暴力、この三題話ではありませんが、そういう関連において、最も社会経験の深い、そういった現象に映画そのものを通じて非常に鋭い観察力洞察力をお持ちの方々の御見解と、それから、繰り返して申して参りましたように、映画青少年犯罪との関係、特に性犯罪青少年粗暴化暴力犯罪あるいはそういった問題についての皆さんのお考え、こういう点について一応御所見を伺いたいと思うのであります。昔からよく百聞一見にしかずという言葉があります。本で活字になったものを読むよりも、映画を見た方が早いのです。目から入ってくるもの、近ごろは耳と目と同時に入って参りますから、百聞一見にしかずじゃなくて、見て聞いて、一ぺんに頭に入ってくるのであります。映画の印象というものは非常に強い。こういう観点から、今私が申しました映画界憲法ともいわれる映倫規程の運用についてどのような御方針、お考えで当っておられるか、そのお考えと、実際のお取り扱いの模様、それから、売春防止法完全実施に伴う今後の諸問題についての御見解、もし立ち入った御意見が伺われるならば、どうしたらいいかという御所見をあわせて承わりたい。それから、この映画と常に結び合されて世上話題になりますギャング映画性映画が近ごろだいぶいろいろな話題を提供しておりますが、そういった問題についての皆さんのお考えを一応お伺いいたしたいと思います。
  4. 高橋誠一郎

    高橋参考人 私、映倫管理委員長をいたしております高橋でございます。  御承知のように、終戦後におきまして、たしか昭和二十四年六月であったかと記憶いたしますが、旧映倫が発足いたしたのであります。映画倫理規程管理委員会と称せられるものであります。これが新映倫に変りますまでのいきさつは、申し上げますとまた長いことになりますので省略させていただきますが、この旧映倫十分映画倫理管理の責めを果すことができない、効果をあげることができないという非難がございまして、ことに御承知太陽族映画というものが行われまして、これ がために映倫に対しまする非難ははなはだ強いものになりました。このままにいたしておきますならばまたふたたび昔のような制限に移っていくのではないかという危惧がはなはだ多かったのであります。古い映倫十分効果をあげることができなかったといたしますれば、これはいろいろな理由があるかと存じますが、まず第一にあげなければならないことは、映画倫理規程管理委員は、映画製作者であります映連——映画連合会で任命するものでありまして、そして映連の金によりましてこれが維持せられていく、運営せられていく、こういうことになっておるのであります。映連事務局長池田義信氏が出席しておられますので、私の言葉の足りないところはあるいは補っていただくことになるかもしれないと存ずるのでございますが、それと、さらにもう一つ大きな原因としてあげなければならないことは、終戦後におきまして連合軍司令部はしきりに、外国映画輸入映画映倫参加すべきであるということを勧告いたしておったのでございますが、これがなかなか実行せられなかったのであります。アメリカメージャー系映画を除きますほかのものは大体参加いたしたのでありますが、メージャー系のものはなかなか参加してくれない、こういうようなことでございましたので、十分の効果をあげることができなかったのであります。映倫改組の問題が起りましても、メージャー十社はなかなか参加をがえんじなかったのでありますが、いよいよ最後に参りまして、アメリカ側映画代表のホクステッターと申します人が、われわれはあくまでも日本映画協力する、これとスクラムを組んでいく、そして、ひとり映画のみならず全世界に向っても戦いをいどむ、——この戦いをいどむということは、あるいは映画の自由を妨げることに対します挑戦であるともとれるのであります。こういうようなことで、メージャー系参加を得ましたので、急速に話が進みまして、そこで新映倫がいよいよでき上ることに相なったのであります。  その経過は詳細印刷いたしまして、お手元に差し上げてございますので、ごらんいただきたいと存じますが、新映倫が旧映倫と変っております点は、最初管理委員長が選ばれましたのは映連にあります組織委員会であったのであります。やがて後になりまして維持委員会というものが選ぶということに相なったのでありますが、やはり映連が選ぶと申してもいいのでございます。しかしながら、選ばれました以上は、全く何らの拘束も映連から受けることなく、独自の立場に立ち独自の見解によりまして管理を行うことができることに相なっておるのであります。そして映連から費用を支出してもらうということもございませんで、これはひとえに審査料によってみずからまかなっていくことになっておりますので、今までのものと比べますとよほど強い力を持つことができると存じて、私どももお引き受けいたした次第であります。  管理委員は五名以内ということになっておりますが、他の委員すなわち四名ないし三名の委員は全部委員長が選ぶことになっておりますので、全くこの委員の選任につきましては映連の干渉を受けないことに相なっております。そして、この委員にあげられております者は、映画界に現在関係しておらぬ、映画製作者などに関係しておらぬ者、こういうことになっておりますので、公正な立場から、何らのカにも拘束せられないで独自の判断を下すことができる、こういうふうに考えておるのでございます。  それで、この委員会が新しく発足いたしましてから、まだ日もはなはだ浅いのでありまして、一年二カ月を経過いたしたにすぎないのでありますが、その間におきまして、あまり口はばったいことも申し上げかねるのでありますが、大体におきまして、問題となりました太陽族映画ごときものは跡を断ったと申すことができるのではないかと存じます。まだまだわれわれは厳正な態度で審査をいたさなければならぬとは考えておるのでございますが、ことに、映倫規程に基きまして、ただいまお話のありました性的犯罪であるとか暴力行為であるとかいうようなものを主題としたとか、またあるいはその場面を写しましたものなどは、これを切り取ってもらうとか、あるいは改めてもらうとかいうようなことをいたして今日まで参っておるのでございますが、製作者は実によく映倫協力してくれまして、今日に至りますまで、管理委員長に対しまして再審査を要求して参りましたもの、——つまり、御承知と存じますが、審査委員の申しておりますところと製作者側との間に話がつかない、ここを切ってもらいたいという場合に、向うは切らないというような際には、管理委員長に対して再審査を要求することができる。その再審査を行います場合にはこういうふうにやっていくということも、この印刷物の中に定めておきましたから、ごらんいただきたいのでございますが、ここのところまで参りましたものはまだ一件もないのでありまして、そこのところまでいきかけたのがわずか一件ございましたのでありますが、私の手元まで参ります前に、先方でこちらの要求をいれてくれましたので、とうとう再審査の要求を見ずにしまったのであります。  それで、売春禁止法が実施せられるということを聞きまして、まあこのことを聞く以前からでもありますが、われわれといたしましては、遊郭を題材にしたもの、あるいは売春くつを題材にしたようなものは困る、こういうものは取り締っていかなければならぬというふうに考えておったのでございますが、先ほどお話のございましたように、吉原であるとか島原であるとかいうものを題材にいたしました、徳川時代の題材を選びましたものなどは、今日におきましては特に青少年に対しましてはそれほどまでの影響もないだろう、こういうふうに考えますものはそのまま通すというような方針が大体とられておるのであります。  それから、現代のものにつきましても——昔のものにつきましてもやり方によりましてはむろん厳重に審査いたす方針ではありますが、特に注意を要しますものは現代のものでありまして、ことに、表題に遊郭というような名が出て参りますものは、これを変えてもらうという方針が大体とられておるのであります。今日までこれを改めてくれましたものが多いのでございまして、そう遊郭などという表題を掲げておりますものはないと存ずるのであります。そして、北条秀司さんの書きました「太夫さん」は、これを「廓」と改めるとかなんとかいうようなことをいたしておったのでありますが、内容は、文学的、芸術的に申しますならば、割合すぐれたものと申すことかできると思うのでありますが、いろいろな描写の点におきまして注意しなければならぬ点がはなはだ多いのでありまして、ずいぶん多くの削除を申し出、あるいはまた訂正を要求いたしまして、ことごとく入れられておるのであります。これらのものは、売春を刺激するというよりも、むしろ、私どもの見ましたところでは、売春くつの悲哀をよく表明しており、こういう世界に入ったらばこれはもう大へんなことになるのである、——これは「女体は哀しく」という表題に改められたと存じますが、一度ああいう社会に入った婦人のからだというものは実に悲しいものであるという、この悲哀を痛切に訴えておるように見受けられるのでありまして、いろいろ部分的には削除訂正を要しますが、主題そのものは必ずしも排斥すべきでない、こういうふうに考えたのであります。  それから、今日では、これも犯罪とは言えないかもしれないと思いますが、「姦通」というような表題の映画なんかも計画せられたのであります。これは御承知の近松門左衛門の「堀川波鼓」を脚色いたしたものであります。それを「姦通」と題したのであります。内容は、近松のものであって、なかなか芸術的なかおりもあるのでありますが、どうも表題そのものがよろしくないというので、これは幾次の折衝を重ねまして、ようやく「夜の鼓」ということでけりがつきまして、上演せられることに相なったのであります。  そういうふうにいたしまして、映画に対します審査は厳重を期しておるのでありまして、特にまた青少年に対しまして深甚な注意を払いまして、青少年に関しまする委員会というものができておりまして、これもお手元に書類を差し上げてございまするが、委員の一人有光次郎君を委員長といたしまして、それから関野氏を副委員長といたしまして、前には有光君を除きまして十四人の委員から成り立っておったのでございまするが、最近には事情がございましてこれを有光君を入れまして十一人ということに相なっております。これは管理委員会のほかにしばしば会合を開きまして、青少年に対しまする映画対策をいろいろ考究しておるのであります。数日前にもこの委員会に私も出席いたしまして、いろいろ審議の状況を見聞きいたしたのでありまするが、ただいまお話しになりました点などもむろん取り上げられまして、実際に映画青少年犯罪、ことに性的犯罪に対してどれだけの影響があるのであるか、むろん誇大せられているということは大体委員諸君の一致するところと申してよろしかろうと思うのでありまするが、実際にどれだけの影響があるのであるか、映画を見て直ちに犯罪におもむいたというようなものがどれくらいあるのであるか、なかなか正確な資料に基いて議論をするということはむずかしいのであろうが、しかし、佐々木君という方が委員の中におられまして、これは家庭裁判所などにも関係しておられる方でありまして、この問題につきましては特に造詣の深い人でありまするので、佐々木君をわずらわしまして、佐々木氏を中心としてこの問題をさらに考究していく、こういうことになりましたのであります。  それから、なお私どもはなはだ遺憾に考えておりますることは、映画そのものよりもスチールであるとかあるいは宣伝用のビラであるとか看板であるとかいうようなものであります。映画の方はずいぶんよろしくない場面が現われましても一瞬にして消えてしまうのでありまするが、そういう宣伝用のビラなどは長い間そこに張りつけられておる。映画館に入らない者も、これらの前に青少年、子供などが立って見ておる。これからして特に大きな影響を受けるというようなことがありはしないかということを早くから考えておりましたので、これをやかましく取り締ろう、こう考えておったのでありまするが、そしてまたおおむねその方向に進んでおったのでありまするが、この取締りが映画そのものの取締り以上に困難なのであります。大体こういう図案のものをということを申してくるのでありまするが、でき上ってみると、それと違う。もう刷ってしまったというようなことで、しきりにこれを通してくれろというようなことを申されるのであります。何とかしてこの取締りを一そう強化しなければならぬ。この方面はただ一人の審査員が当っておったのでありまするが、どうも一人では不十分であるというので、数カ月以前におきましてさらに審査員を一人ふやしまして、こういう方面の取締りに一そうの注意を注ぎたい、こういうふうにはかっておるのであります。スチールなどは、私どもの初め管理委員会に入りましたときには、スチールでありますからして、映画の一部分を特に写して公衆に示すもの、こういうふうに考えておったのでありますが、実際に見ますと、映画の中には現われない場面、そういうものを特に写しまして、婦人の裸体などが流布することになるのであります。そういうおそれなどが十分にありますので、この点を厳重に取り締って参りたい、こう考えておるのであります。  それから、映画製作者はよくわれわれと協力してくれるのでありますし、また輸入に関係しております諸君、配給に関係しております諸君もよく映倫協力してくれておりまして、問題はきわめて少いのでありますが、一番むずかしいものは興行者と存じます。もう一昨昨年になりますか、内閣に直属いたしました映画審議会というものができたのでありますが、いろいろ論議がかわされたのでありまするが、大体一致点を見ました点などにおきましてどうも興行者側の賛成を得がたいというようなことで、私どもははなはだ悩まされたのであります。ことに、興行時間——これとは直接の関係はございませんが、時間制限の問題などで興行者側と意見の一致を見ないで非常に悩まされたことがあるのであります。御承知のように、映倫におきましては、青少年向きの映画であるとか成人向きの映画であるとかいうようなことをきめておるのでありますが、ことに、青少年向きの映画、あるいは特に青少年に見せたい推薦映画というようなものを選んでおるのであります。なかなかりっぱな青少年向きの映画が続々と製作せられておるのであります。興行者は、これをかけます場合に、これと成人向きと申しますか、青少年に見せては困るという映画を抱き合せるということをしきりにやっておると伝えられるのであります。これは、私どもの調べましたところでは、大体一番館、二番館あたりではほとんどないといわれておるのでありますが、末端館になりますと、なかなかこれをよくやる。ことに三本立の映画などをやりまして、その中に一本、二本成人向きのものを加える。こんなことになっておる。ことに最近におきまして、われわれの委員会に入りましたところによりますと、大阪あたりなかなかひどいそうでありまして、ほんとうに指定ということを掲げておりますものは三分の一と申しましたか、はなはだわずかであるということでございます。しかし、映倫といたしましては、こういうものを取り締るということはできないのでありまして、あくまでもその協力を求めるということなのでございまして、これも興行者連合会の諸君と協力をいたして参るよりほかないのでありまするが、これも非常に困難な問題でありまするが、だんだん映倫の仕事がはかどりまするにつれまして、こういうようなものも次第になくなっていくのではないか、また、どうしたならばこういうことをなくなしていくことができるかということを考究いたしつつあるのでございます。  はなはだ言葉の足りないところ、あるいは御質問にお答えいたさなかった遺漏もあると存じまするが、足りませんところは阪田事務部長その他の方にお願いいたすことにいたします。
  5. 永田雅一

    永田参考人 私は大映株式会社社長をいたしております永田雅一でございます。ただいま映画倫理規程管理委員会委員長でありますところの高橋先生が、倫理規程の制定並びにその運営に対し、また先ごろ改組されたことについてきわめてアウト・ラインを御説明になり、しかして管理委員会の任務ということの一端について誠意あるお話をされました。私は、日本映画製作者立場から一言申し上げて、各委員の御参考にしていただければまことに仕合せと思います。  高橋先生と重複するようでございますが、戦後わが国において新憲法が制定され、従って言論関係の政府機関の統制が廃止されましたので、私どもの映画製作は相当に国民に対する影響力が重大である、すなわち国民生活に対して精神的にも道徳的にも大きな影響を及ぼしておる責任を痛感いたしておりまするので、自主的にわれわれが映画を作る倫理規程というものを制定しようじゃないかということで、昭和二十四年に制定されたのであります。  さて、御存じの通り、自主的にわれわれがこの映画倫理規程というものを設けて、これを運営していく上においては、すなわちこれを製作する者——映画を専門に製作する者、短篇を製作する者、外国映画でございましたならばその外国の製作者でございまするけれども、外国の製作者日本におらぬのでありまするから、その委託を受けて輸入し配給しておる者がそれの代行をしておるもの、かように考えまして、日本のオール映画製作者と外国の製作者にかわる輸入しておる配給業者とを打って一丸といたしましてこの倫理規程を制定したのであります。その結果この運営をそういう関係者で運営いたしておりましたが、ややともすると製作当事者がこれに関与することが第三者的見解から見まするとまことに誤解が多い。これであってはいけないというので、一昨年約半歳ほどかかって協議検討いたしましたる結果、倫理規程そのものは当初より変っておりませんけれども、その倫理規程が守られておるかおらぬかということを管理される委員会は、最も社会的に権威のある、しかも尊敬でき得る方に委嘱すべきだということから、本日御出席になっておりまする高橋先生は人格、識見並びにわれわれ日ごろ尊敬おくあたわざる人格者でございまするので、この高橋先生を委員長に御推薦、御委嘱申し上げ、しかして、高橋先生が信頼のでき得る女房役と言いましょうか、その委員を有力な方々三、四人を御推薦願って、正しく倫理規程が守られておるかおらぬかということを管理していただいておるわけであります。  その管理委員会の直属に管理部というのがございまして、これを専門的に——映画製作者関係のない識者を審査員として選びまして、そうして、この倫理規程が正しく守られておるかおらぬか審査する、こういうことになっておるのであります。  さて、しからば倫理規程はと申しますと、説明しておりますると微に細にわたって大へん長時間かかりますので、きわめて簡単でありますが、項目だけ申し上げますと、当然われわれ日本国民の行くべき道は憲法において明記されておるのでありますから、それを基本的な考えに置きまして、倫理規程は映画の内容、題名、広告、宣伝に対して適用されるのであります。従いまして、大項目を申し上げますと、国家及び社会法律、宗教、教育、風俗、性、残酷、こういう大項目のうちに微に細にわたって倫理規程が規定されておるのであります。  順序を申しますと、大体こういう映画をとりたいなと思いますと、内審査といって、管理委員会に直属いたしておりまする管理部に脚本を提示するのであります。そうして、これは活字の上でありますが、危険であるなとか、こういうことは今当委員会で問題になっておりまするところの性問題すなわち売春の問題に関連しておるとか、また青少年犯罪に関連するとかいう問題があります場合には、特に審査員各位も神経を過敏にしておりますので、内審査で訂正、修正をいたしておりまして、大体これならよかろうと言えば製作にそれぞれ着手するのであります。しかして、製作いたしましたるものを封切りいたしまする前に管理部に持ち込みまして、いわゆる審査を受けるのであります。ところが、脚本と著しく変っておるとか、脚本と表現が違ったりする場合には省略される、すなわちカットされる場合もございましょうし、編集の仕直しもございます。そうして、日常今日大過なく倫理規程を管理され、しかして、われわれ製作者もその管理委員会に敬意を払いまして、尊重いたしまして協力いたしております。  ただ、各委員に申し上げたいことは、偽わらざる告白といたしまして、映画を製作する場合にはテーマがございまして、たとえば、親子愛とか兄弟愛であるとか、恋愛であるとか友情であるとかいうテーマに基いていろいろなストーリー、すなわち話ができておるのでありますが、活字の場合におきましては、一応どうということはないのでありますけれども、率直に言って、反省いたしまするならば、これは私どもの一般論に果して適用するかせぬかは知りませんが、私どもの責任ある製作分野におきましては、技術が拙劣であるために、非常に芸術的に高尚に持っていけるものが醜悪に演ずるということがなしとしないということは認めなければいけないと思うのであります。それと、一つはたとえば売春行為なんていうものを否定しようという否定面を描いておるのでありまするが、今申し上げた通り、技術が拙劣であるために、否定面を描がくためが、ややもすると肯定しているような場合もあり得るのであります。また、青少年犯罪の関連性があるように、いろいろそういう面が出てくると思うのでありますが、ただいま三田村委員統計等の調査によって私どもに御報告を受けまして、ここ四、五年の青少年犯罪が驚くなかれ百二十万件内外ある、それは十四才から二十才までが、五十万件で、二十才から二十五才までの青少年が七十万件、すなわち合せて百二十万件、毎年そういうような青少年の区域に達しておるものが男女合せておおむね二百万、その半分に相当するものを男としたならば百万、そうすると五年間で五百万という統計が出るならば、百二十万という数字は四分の一、すなわち四人に一人が犯罪を行なっておる、また犯罪を行おうとしておる、警察に御厄介になってきたということを聞かされて、実はりつ然としたわけであります。同時に、映画製作者として、政治的にも道徳的にも重大なる影響力を与えておる製作者の一人といたしまして、ますます責任を痛感するのであります。でありまするから、当面の問題といたしましては、この売春防止ということについても留意いたしましょうし、青少年犯罪ということを防止するために、いな逆に青少年がそういうような犯罪をなくすような映画をとりたいと思っております。  ただ、各委員なりまた関係者の方に一言製作者立場からとして申し上げたいことは、確かに、たとえば犯罪を行なったその動機がいろいろとございましょうが、中には映画を見て犯罪の動機となった、こういうこともあると思いますが、他面、ただ御了解願いたいことはそればかりではない。たとば、そういう青少年警察で御厄介になるとかつかまったときに、その動機は映画を見てやったのだとか言う。ところが、これは映画責任であるか、また取締り当局の責任であるか、この辺の点は私はわかりませんが、動機は映画を見てやったということになると、何か犯罪の罪が軽いように扱われるのだというような認識が青少年の一部にあるということも、これは十二分に御警戒願いたいと思うのであります。と同時に、映画を見て、今まで自分は親不孝であった、自分は悪いことをしておった、道徳的に間違った行為を行なっておった、こういう人は、私はあの映画を見て反省しました、あの映画を見て親孝行になりましたとは、一々交番なり警察へ行かぬと思うのであります。(笑声)つかまった者だけは、いわゆる否定面のみ。いわゆる犯罪のみ。が映画に直結しておるのではなく、反射的には善行をほどこしておる青少年もあるということを各委員も御了解願いたいと思うのであります。  結論として申し上げたいことは、映画製作者といたしまして、映画製作影響力映画そのもの影響力が重大であるということは十二分に痛感しておりますけれども、今申し上げた通り、五十本に一本か四十本に一本は拙劣なる技術のために表現が足りなくていささか遺憾に思う点もあるのでありますが、十二分に注意いたしまして、御当局なり、特に国会の法務委員方々が御苦労になっておりますところのこの当面の問題の売春防止並びに青少年犯罪につきましては、なお一そう留意いたしまして、私ども製作者にこれを披露いたしまして協力することを申し上げて、何かの参考にしていただきたいと思います。
  6. 三田村武夫

    三田村委員 ただいま高橋会長、永田社長から御所見を伺いまして非常にありがとうございました。私は具体的なことについてあと二、三点お尋ねいたしたいのでございますが、その前に、実は大映の永田社長は特に私が希望しておいで願ったのであります。それは特にお伺いいたしたいことがあっておいで願ったのでございますので、その点をまずもう一点御所見を伺っておきたいと思います。  私が申し上げるまでもなく、永田社長映画製作者として非常に高い経験をお持ちでございます。それだけでなく、非常に広い範囲の交友をお持ちになり、さらに一般の政治、社会、学術、文芸、そういった方面にも非常に御経験なり御造詣が深いように私は承知しておるのでございます。一体今の社会はどういう傾向にあるか、先ほど私は犯罪統計を申し上げましたが、従前の犯罪者はたとえば人を殺す場合は憎しみを持って殺すとか、何か恨みを持って殺すとか、物欲のために殺すとか、こういうことが刑法犯罪統計の上から見ても当然だったのです。刑法の書き方もそういう建前で書いております。     〔委員長退席、高橋(禎)委員長代理着席〕  それから端的に言って強姦とか強制わいせつとか、こういう犯罪が行われる場合も、何と申しますか、その人の生活環境上相当同情に値する条件があったのであります。ところが、最近の傾向を見ますと、いきなりやる。人を殺すことがきわめて簡単になりました。そのときの瞬間の衝動的行動とでも申しますか、きわめてあっさり殺してしまう。殺す方の者にも、どうしてこういうことをやったか、その原因と動機がわからないような場合がある。また、殺される者の立場になりますと、まことに迷惑でございます。昔の犯罪には非常に残虐な殺人があった。しかし、殺された方にもやはり何かそれだけの理由があったのだろうという場合があり得たのであります。ところが、このごろはそうではない。いきなりやってしまう。そこの中に何があるかというと、私もこの問題についてはいろいろ考えて、いろんな統計を調べてみたり書物を読んでみたり、それだけでなくて直接に青少年に会っていろいろ話を聞いてみましたが、人生観といいますか、ものの考え方がきわめて変ってきておるということなんです。青少年犯罪戦前の五倍にもなったということは、私はそこに一つの理由があると思うのであります。つまり、そう長い人生を楽しもうという気持を持たないのではないか。たとえば、ギャング映画を見ても、今永田社長のおっしゃったように、これはまさしく否定的な立場からとるものであります。つまり、悪いことをする、警官に追っかけられ、追い詰められてピストルを乱射して警官を殺す、同時に自分も殺されるか自殺をする。青少年の目から見てスリル百パーセントですね。そこの中にくみ取るものは一種のヒロイズム、おれもやってみよう、何も頭がはげて白くなってよぼよぼになって腰弁をさげて苦しい生活をやっておる必要はないのだ、その瞬間のスリルを楽しもうという気持が今の青少年の中にあるのです。十代の性犯罪でもそうなんです。従来の貞操観念なんかどうでもいいのだ、そういうことなのです。私どもは実際に友人に頼まれてあるお嬢さんの説諭をやってみたことがあるのですが、おじさん何をおっしゃるの、私たちは三十にも四十にもなって家庭の苦労をしようと思いません、青春を享楽することはわれわれの権利ですと言う。そういう社会的風潮がどこから出てきたかということをわれわれは反省したいと思うのであります。今永田社長のおっしゃった通り、私は映画の与える悪い面、それだけをここに問題にするんじゃない。特に冒頭に私は申し上げましたように、そういった意味から皆様方の御協力お願いいたしたいという立場であります。たとえば、明暗二つの話題とよくいわれる言葉でありますが、今東京の新聞の紙面をここ一週間くらいにぎわしておる二つの大きな話題があります。一つは、十四才か十五才かの少年がお父さんに会いにくるか何かの途中で七千円かそこらの金をすられた。それが新聞記事になりますとたちまちにして三十五万の金が集まった。これは実にあたたかい話題であります。そういう一つの気持があるのです、国民の中に。今永田社長のおっしゃったように、孝行の話を聞いて、自分は自分の今までの考え方は違っておったんだ、親に考行するんじゃない、人間としての生活の根底にある愛情と信頼がある、そういう気持に戻る者もあるのです。ところが、一面、同じような年配で二十一の矢野何がしは刑事を射殺してここ一週間逃げ回っている。けさの新聞を見ますと、警視総監は戦後最大の警戒陣を張っているという。これによってこの市民全体に与える恐怖の気持というものは、同時にこれによって使われる国家の費用——けさも出て参りますと、朝から警官隊が一ぱい街頭に配置されております。     〔高橋(禎)委員長代理退席、委員長着席〕 この二つのものを見ますと、私たちはほんとうに考えさせられるのです。一つは、十何才の少年が七千何百円すられた、実にかわいそうだ、その孝心とまじめさに感動する国民の美しい感情がある。私はこの感情を生かしていくところに、日本の将来、文化的なほんとうの知性のある国を作る社会の新しい姿は生まれてくると思うのです。これは決して法律や命令で強制できるものじゃありません。現代の社会というものは法律や行政的処置では手が届かない。一番大きな、台所まで、国民の日常生活の感情の中まで入っていける一番の手近い影響力を持つものは映画であります。そういう意味から、私はこの売春法実施を契機としてできるだけ美しい、あたたかい愛情と理性とによって基礎づけられた社会構成を念願するがゆえに、皆さん方の御所見を伺い、また理解ある御協力を賜わりたい。つまり、法律や行政的処置では手が届きませんから、届かない面を一つ皆さんの御協力で手当していただきたいという意味合いでございます。何も私は道徳映画ばかり作っていただきたいとか、あるいはかちかちの教育映画を作っていただきたいと申し上げるのではないのであります。映画はすなわち娯楽であります。娯楽はすなわち人間生活の重要な部分であります。その人間生活の重要な部分に根強く入り込んでおる映画、その力というものは非常に偉大である、強い力のものであるという立場から、私は少くともこの売春防止法施行に当って世上心配されておるようなことはなくしていきたい、なくするためには、ここでわれわれがこの委員会に付託された法案を通すだけではいけないのだ、作るだけではいけないのだ、立法的処置、行政的処置だけじゃいけないのだ、それ以上より大きなものがある。それは何か。人間の気持の中、頭の中に、日常生活の中にすなおに入り込めるものが必要なのです。それは何かというと映画であるという立場からきょうおいでを願ったのです。これは繰り返し申し上げますが、そういう見地から映画を通じてこれからどういうことを皆さん立場からお考え願ったらいいかということが一点。  それから、今私が申しました、せつな的な、直接行動的な、——ギャング映画そのものをまねるわけじゃありませんが、そういう気持がどこから一体作られたのか。若い二十才に満たない者がいきなり人殺しをやる。ここでしばしば問題になる少年法の問題でも、今は二十才未満少年でありますが、実際は十八才以上になると犯罪成年だとわれわれは言わなければならぬ。いきなりバンバン人殺しをやってしまう。こういう一つ社会環境がどこから生まれてきたのか。性犯罪が非常に横行いたして参りました。先ほど申しましたように、最も忌まわしい強姦罪というものは、しかも年少者の手によって激増してきた。こういう社会環境というものはどこから出てきたか。こういう点について一つ永田社長のお考えがありましたら、私たち法案審議のために、さらに青少年不良化防止のために、性犯罪をなくする、そういう一つのわれわれの態度の重要な資料として御所見を伺いたいと思います。
  7. 永田雅一

    永田参考人 私はただいま三田村委員の御心情に対しては全く同感なんでありまするが、まことに非才で、明快に自分の考え方を披瀝できないことを残念に思うのであります。あくまでもこれは私の個人的見解でありまするが、私は製作者の一人として考えていることであります。結論においてはもちろん映画協力も求められる必要があると思うのでありまするが、やはりそれは映画以前の問題でございまして、一言に言えば、道徳が低下しているのであります。結論においては、あらゆる階層のいかんを問わず、わが国は道徳の高揚をはからなければいけないのじゃないかと思うのであります。それは何かと言えば、急がば回れで、結論においては私は教育でなかろうかと思う。教育が、その学問が理論的であったり、または昔で言う点取り虫的にだんだん変って参りまして、いわゆる点数の上の者が秀才だ、点数の上の者が就職できるんだ、相も変らず教育家なりまたそれの関連者がそういうものの考え方をしているということは、私個人は絶対的排撃なんであります。いわゆる学問も大切でありまするけれども、人間を作る、すなわち道徳教育というものが現在の教育に欠けていると思います。でありまするから、かような席上で申し上げてどうかと思うのでありますが、理屈を言ったり、文化国家建設だということを申し上げておりますが、お互いがチャンスを得まして外国へ行ったときにわかるのでありますが、日本人の持っている日常の道義観念、道徳通念というものは、私は外国に通らぬと思います。日本の国内において、青少年犯罪であるとか、たとえば売春防止法の問題がいろいろ叫ばれておりますが、その以前といたしまして、今日の善良なる日本人の持っている道義観念、道徳通念が果して外国に行って通るか通らぬか。日本人だけに通用する道義観念である。これも何かと言えば当然教育の欠陥だろうと思うのであります。でありまするから、どうしてこういうような犯罪が日々増していく社会を撲滅していくかということは、もちろん私どもは私どもで映画の重要性というものを考えると同時に、大いに警戒もいたしまするけれども、抜本的な問題は私は教育だと思う。かようなことを言ってお叱りを受けるかもしれぬけれども、自分の預かっている子弟の教育並びにその道徳の高揚なるものを考えないで、おのれの賃金だけにおいて教育家が——これは私個人の考え方であるけれども、教育家が自分の利益の方にのみ邁進して、子弟の教育を怠っておる。また、教育家と同時に世の家庭の人たちも、何かはき違いの民主主義であって、子供に一々注意をしたり、そういうことをすることは古くさいことだ、子供に注意することは何か過去の親だと思われやしないかという錯覚に陥っておる。だから、何となく、子供が少々間違ったことをやっても、これが民主主義か、これが自由主義かというようなことで自由奔放にさせておる。要するに、こういった面が随所に現われてきた結論が、いろいろな面に忌まわしい面として現われてくるのじゃないかと私は思う。だから、もちろん製作者といたしましては十二分にそういうような犯罪のない明るい楽しい人間社会を作るために努力したい、楽しい人間社会のためには娯楽として楽しく見れるような映画を作りたいということになお一そう留意していきたいと私は思っておりますが、何か、要するに製作者として道義的解釈としてどうしたらこういう犯罪が少しでもなくなるかという御質問でございましたので、その御質問に答えるほどの人格者でもないと思うのでありますけれども、私個人の考え方からするならば、まず教育であろう、また家庭も子弟に対してもう少し愛情を持って指導していってもらいたい。すなわち、結論は道徳教育ということが今日本においては欠けておるのだ、かように私自身は思います。
  8. 三田村武夫

    三田村委員 永田社長のおっしゃる通りだと私も思います。映画一つの事業でありますから、事業として成り立つためには、やはり一般の観衆が見なければいけません。見るための映画製作、つまり映画にあるものは今の社会のあるがままの姿だということが言えると思います。永田社長のおっしゃる通り、道徳の頽廃がすなわちかくのごと映画を製作せしめるという逆語になってくるのではないかという気が私はするのであります。結局は、幾らそういう暴力映画ギャング映画を作ってみても、乱倫、性行為の映画を作ってみても、観衆がこれをひんしゅくする社会になれば、これは商売にならぬ。従って、なくなる。こういうことになることは私もその通りだと思いますが、非常に困った問題は、この道徳的水準をどうして高めるか、これはひとり映画製作者にのみお願いをするわけにはいかないと私は思うのであります。実は私この間からいろいろな資料を調べてみたのですが、一つの雑誌だけでなくて幾つもの雑誌を私は見た。名前は申しませんが、ある相当著名な社会評論家で、文化人として相当名の通った人でありますが、近ごろのような乱倫、性行為の乱行というものをどう思うか、こういうテーマで書かれた論文を見ると、性の解放は人間の解放だ、こう言うのです。これは当りまえのことだ、そこの中から新しいものが生まれてくるのだ、こういう御意見であります。これはそういう考えもありましょう。けれども、それは人間でなくて動物の社会に逆戻りするのです。人間が本能のおもむくままに行動することが人間性の開放であり、それが家庭の解放であり、封建的な秩序、道義、その覊絆からの解放であるというならば、これは人間社会でなくて動物の社会だ。本能のおもむくままの行動であるなら動物の社会である。人間社会で一番尊いものは愛情と知性だと思う。その愛情と知性というものを無視するような方向に社会の風潮がとうとうと流れていくというところに私は問題があると思う。これはもとよりその映画製作者のみにお願いすることではない。永田社長のおっしゃる通り、根本は教育の問題であり、道義の問題であります。しかしながら、やはりそこに——私は永田社長に申し上げるのじゃないですが、映画製作者全体にお願いをいたしたいのです。先ほど高橋会長のおっしゃったように、映画倫理規程は映画界におけるいわば憲法でありまして、まことにりっぱなものであります。この通りこれが守られておるならば、私は、ほんとうにいい映画ができ、芸術のかおり高い映画ができ、また人間社会にほんとうにすなおに持ち込み、人間の胸奥にある愛情と知性をゆさぶる映画ができてくると思いますが、実はそうなっていない。私は、いろいろ差しさわりがありますから、会社の名前は申しませんが、ある会社ではギャング映画性映画ばかりを作っておるような気がする。そういう感なきにしもあらずです。実はそういう会社の責任者にも来ていただいて相当私は強い言葉を使おうかと思ったのですが、いろいろな差しさわりがあるから遠慮をいたしましたが、高橋会長のおっしゃった、三十二年以後映画倫理規程が管理委員会の手に移って非常に皆さん御苦心になっておられる。その以後においても、先ほど高橋会長のおっしゃった新聞広告やポスターなどのスチールですね、あるいはタイトルでちょっと読むにたえぬものもあるのです。私はずっとこれを新聞から調べたのでありますが、三十一年あたりはずいぶんひどいものがあるのです。まあその会社の名前は申しませんが、「悪魔の街」、「地獄の札束」、「逆光線」、「満ちて来る潮」、「太陽と薔薇」、これなんかタイトルだけでも気持が悪くて読めません。「性と暴力と反抗に血ぬられた青春、金にあかせて遊び歩く太陽青年」、その下は気持が悪くて読めません。「つゆのあとさき」、これなんかもひどいですね。「男を求めて夜ごとあえぐ女給君江の激しい官能」、そのあとは気持が悪くて読めません。三十二年になってからもだいぶあるのです。「青春の冒険」——十代の性の危機、「肉体の悪夢」、「雌花」、「裸女と拳銃」、「十代の罠」、「燃える肉体」——「私は一体どういう女なのだろう。からだも心もやき尽す思い」と、こう書いてある。これは新聞に大きく書いてあるのです。これは永田さんの会社の映画じゃないのですけれども、とにかく、もう見ているだけで——「女体は哀しく」、これはほんとうに気持が悪いから読むのをやめますよ。「燃える肉体」、「心と肉体の旅」、「乳房と銃弾」、「童貞社員とよろめき夫人」、「女王蜂」、これは高橋さんのおっしゃった一昨年の十二月に映倫の現在の機構が発足してからのものなんです。これは私はちょっと冒頭に申しましたようにあくまでも法律的規制は避けなければいけないと思います。映画倫理規程は非常にりっぱであります。しかし、これは、高橋さん先ほど御苦心をお述べになったように、罰則がないのです。そうして、製作者は善意で努力しても、興行者は青少年向きのいい教育映画とあわせて、これは成年向きです、十八才以下は見ちゃいけませんと、わざわざポスターを張って、抱き合せでやっておる。こういうことがいつまでも積み重なっていきますと、結局新しいいいものを、正しい、きれいな社会を作ろうという人間本来の知性ある要求というものが、何らかの制裁を設けろということになってくるのであります。そういうことになってくると、われわれの期待とまた逆にいくのです。そこに私は問題があると思うのであります。これは他の委員からもいろいろ御意見があり、またお尋ねがあると思いますから、私一人いつまでもしゃべっておることはやめますが、今私が一つ二つ拾い上げただけでも、せっかく苦心され、努力しておられます映倫規程と全く一致しないものが事実はずいぶんある。スチールの中にも、タイトルの中にも、題名の中にもある、題名を見ただけでぞっとする。これは私がぞっとするのじゃないのですよ。若し二十才前後の者が見ても、これはおやじさん気持が悪いなあと言う。そういう内容と全く違ったような表現——映倫の規程を見ますとずいぶん厳重な規程があるのだけれども、この通り映画を作られておるなら実にりっぱなものになると思いますが、そうでない現実がここにありますから、そういう点について一つぜひお考え願いたいことと、それから、何かこういうことについてのお手当はないものか。一つこの衝に当っておられる事務局長の池田さん——どなたからでもいいが、御所見を伺っておきたいと思います。
  9. 池田義信

    池田参考人 私、適当なお答えができるかどうかは存じませんが、総括的にいろいろなことを御参考に申し上げてみたいと思います。  先ほどからのお話のように、映画はもちろん娯楽でございまして、これは御存じのように、世界で映画を作っております国が約五十、それから映画を上映しております国が、独立国と行政地域を集めまして約百四十ほどございまして、これは世界の約八五%でございますので、現在では人類のあるところに映画があるというくらいに言われておりまして、いわゆる人間の娯楽を満たすために映画がある。先ほども三田村先生のおっしゃったように、われわれの生活の中にまで映画というものが必須条件としてあるというようなところまで世界的にこれはなってきたのであります。そこで、青少年映画の問題というものは、日本ばかりでなくて各国とも脳んでおる問題なのでございます。  しからば、各国ではどういうような考え方を持っているかということをちょっと御参考に申し上げてみたいと思うのでありますが、日本では、青少年と申しますと、十八才、あるいは二十才くらいから、児童側から申しますと乳幼児までというようなものを包括して、これを一様に考えられて、行政措置的なお考えのもとに、ある面においてはずっと上の年令層に対していろいろなことをお考えになっておる。ある層に対しましてはずっと乳幼児付近、あるいは小学生というようなものに対してのお考えを持っていらっしゃる。それらを集めて青少年対策というふうに日本ではこれを総括的に行政せられておるのでありますが、外国では、映画の場合、児童というものと、それ以上というものをはっきりと分けております。大てい映画の場合においてはまず第一に児童のための映画というものに大きくウエイトをかけております。なぜならば、大人たちの娯楽は私たち日常感じておりましてもずいぶんあるように思うのであります。ところが、児童たちに果して娯楽があるか、児童たちに果して国は十分娯楽を与えたか、社会は娯楽を与えているかと申しますと、不幸にして、私たちの知る範囲においては、おとなたちの持つ娯楽ほど子供たちには娯楽が与えられていないように見受けられるのであります。これは日本ばかりではございません。世界各国とも、おとなの娯楽は十分ある、あるいは暗黒的娯楽もたくさんありますけれども、子供たちへ果して娯楽を与えたかどうかということになりますと、どこの国でもこれは与えていないということをはっきりと白状しているのであります。従って、先ほど永田さんもおっしゃいましたが、道徳教育にいたしましても、外国で現在叫ばれておりますのは、大きくなってから幾ら騒いでもしようがないではないか、なぜ子供のうちにはっきりとよき娯楽を与え、よき教育を与え、そして人間を築く基礎は子供のうちにまず第一に与えなければならないというのが今日叫ばれている事実であります。従って、映画政策というようなものをとられておりますのも、大体の国におきましては、児童対策という面で十六才ぐらい以下の対策に国は非常に協力しております。その辺に十分に注意をして、そうして十五、六才から社会と連関性を持ち、社会に送り出す。それ以前に、どうしても人間本来のすべてのものを築いておかなければならない。そうしなければ、社会に出て社会の抵抗にとうていこたえ得ない。そのためにはどうするかということで、児童への娯楽という面に対して映画を使ってこれを非常に推進することを考えております。  それは映画の問題でございますが、それならば、子供たちのみに見せる娯楽映画が世界各国でできているかどうか。これはできていないのであります。日本でもできていない。世界どこの国でもできていない。これではいけない。何とかして各国でできておる国々の娯楽映画をお互いに交換し合ったならばどうか。現に欧州などでは交換し合うことが行われております。国が関税措置法によって関税もまけ、そうして、文化交流というような面でなくして、児童映画の交流というようなことの特別の措置を講じて、欧州あたりでは交換し合って、子供たちへの映画を提供することを考えております。これに対しまして、ユネスコ運動の一つとしまして、児童映画センターというようなものをパリで作りまして、日本にもこれは勧告してきております。日本でも児童映画センターを作るべきであるという勧告が日本政府にきております。それはどういうわけかと申しますと、生産者のみを責めてもこの問題は始まらないのである。なぜならば、生産者は国民の娯楽として映画を製作されるのであって、国民の中には種々雑多な各層があるので、児童のためのみは考えていない。もともと主として大多数の観客層を選んで映画というものは製作されるのでございますので、ともすれば子供のことを忘れがちになる。従って、これは生産者にのみその罪をなすりつけてはいけない。ところが、指導者というものは指導者だけで浮いてしまう。これは、生産者と何らかの連関性を持たないで、指導理念だけで御議論なさる。今度は利用者ですが、利用者の方は利用者の方で自分勝手なことを考えておるから、利用者も指導者も生産者も、この三つのものがちっとも一致しないではないかということで、たとえば児童映画センターというようなものを作る場合においては、生産者と指導者と利用者、そういうふうなものがフィフティ・フィフティ、五対五、一対一の割合をもってこれを作り合わなければ、とうていこの効果はあげ得ないではないかというのが、ロカルノとかエジンバラとかパリとかいうところで開かれました会議の結論でございます。生産者のみへ責任をかぶせてはいけない、指導者も利用者もともにこの仕事を推進しなければならないじゃないか。現に、この十一月日本において国際児童福祉大会がございますが、そこでも大きな問題として取り上げておりますのは、よき家庭、つまり家庭の連帯性、家庭がもう少し子供たちに連帯性を持たなければならぬ、どういう家庭が連帯性を持つかということについての会議をなさるのでございますが、世界各国でもやはり家庭の連帯性というようなことが非常に叫ばれております。従って、よき家庭からよき子供たちが生まれるというようなことが日本でもぼつぼつ言われておりますが、家庭の連帯性というようなことも現在叫ばれつつあるのであります。従って、ただいま映画界でとっております青少年対策が完璧なものとは申されません。  しかしながら、何とかして映画界だけでもという考え方から、昭和三十年内閣の青少年問題協議会においていろいろと策をお施しになられる前に、われわれは考えて、せめて青少年映画対策というものを研究して、現在のような手段をとっておるのでございます。なおかつ、先ほども高橋委員長のおっしゃられたように、これに対しては特別なる委員会を設けまして、日々研究を続け、何とかしてせめて映画界だけでもこの問題を解決するような方法をとりたいというふうに、私どもも側面的に御協力申し上げておるのであります。それから、売春の問題でございますが、これは、先ほど永田社長のおっしゃられたように、二十四年にわれわれが倫理規程を作りましたときにすでに売春は正当化しないということをまず第一に掲げました。売春は正当化しない、そういう観念でずっとやってきておりまして、売春を否定するということでございますので、画面の中に売春行為などというものもございませんし、売春というものに対してよしんば社会の事象としてこれを取り上げ、あるいは文芸作品というようなものからわれわれは題材を得たといたしましても、その場合においてはこれを非常に批判的に取り扱う。つまり、否定的に批判的に取り扱わなければならない。批判を加えてそして反省を求める。  それから、もう一つ、これはついでに申し上げておきたいと思いますが、世界で今ぼつぼつ叫ばれておりますのは、映画を見た後の五分間を大事にしてもらいたい、つまり頭の中に映像が残っているときによく指導を与えれば、すべての映画は教育的価値があるということでございます。犯罪映画を見ようとギャング映画を見ようと、それを見た後の五分間において、だれかがそれに対して話し合って、よき方向を与える。それを見た者の脳裏に映像が残っておる、その残っておるものが消えないうちによきものだけを残して悪いものを取り除くような指導をやる、つまり話し合いをするような方法はないだろうか。と申しますと、これはよき友だちであるとか、あるいは家庭であるとか、お父様であるとか、お母様であるとか、お兄様であるとか、お姉様であるとか、あるいは教育を預かる人であるとかが初めてなすことのできる仕事だと思うのでありますが、そういうことも現在非常に叫ばれております。映画を見た後の五分間を大事にする、そういうようなことも外国では一つの運動として展開されております。  それから、先ほど三田村先生からもお話がございましたが、日本でもぼつぼつ方々で叫ばれておりますよき映画を見る会、つまり、よき映画だけを、母の会とか婦人会とかいう方々が、各地域の児童福祉審議会とかあるいは青少年問題協議会とか教育委員会とかと相提携いたしまして、よき映画をできるだけ子供たちに見せるような方法をとりたい。よき映画を見る運動というようなものが地域社会的に非常に取り上げられておりますが、これらの運動が大きく展開されれば、おのずからそういう問題が解決していくようにも私は考えるのでございますが、そのときにお母様方がまず第一に心配になるのは青少年の青の方じゃなくて、自分たちの子供、自分たちの言うことを聞くせめて中学生くらいの子供たちのことだけが御心配になると見えて、そういうことだけお考えになっておられるようでございますが、私たち——たちもと申しますよりも、つまり児童映画政策というようなものがはっきりと確立されていれば、そこで、社会に送り出す場合においてもいかなる抵抗にもこたえ得るよき青年が作り得るのではないかしらというふうにも私は考えておるのでありますが、これは私だけが考えておりますことでございますが、御参考に供したいと思います。
  10. 町村金五

  11. 坂田英一

    坂田参考人 ただいま宣伝のことにつきまして御意見がございましたが、宣伝のことを少しく御説明申し上げますと、映画宣伝広告規程というのは旧映連の時代からありましたのですが、これは、旧映連の時代に、主として映画審査という方に重点を置いてやっておりました関係上、少しくこちらの方が手薄になっておりまして、現に、先ほど高橋委員長の御説明がありましたように一人の審査員でやっておったというような状態でございましたので、昨年はいささかそういう点で不備があったかとも思われるわけでございます。しかし、この宣伝広告規程と申しますものは、これは適用してやっておるのではございますが、何しろ映画宣伝広告というものは映画を見ない人々も一応は目に触れるというような関係から、もともと厳重にやらなければいけないものに違いなかったのでありますが、一方また映画の宣伝をする方の立場になってみますと、一番いい宣伝をするということは一番お客の来るように宣伝するということでございまして、勢いお客がどういうところに魅力を持つかというところに重点を置いて宣伝されるわけで、ここに大へんむずかしいところがあると思うのであります。それで、私の方では、現況といたしましては、スチール、ポスター、それから宣伝ジャック——ジャックと申しますのは宣伝に用うる文章でございますが、これを一応公開いたします前に御提出願いまして、それの個々について審査をいたすわけでございますが、これがそのままでさっと世間に出ますときには割に問題がないのでございますけれども、地方の興行館その他へ参りますときに、これに多少のアクセントがつけられて、宣伝文となりあるいは広告看板となる場合がございまして、そういう点にもう少しわれわれの研究の余地があったということで、その点でいろいろこのごろ研究いたしております。また、地方の各地興行館も、最近におきましては環境衛生法による組合ができます関係上、ただいまよりももっとはっきりしたわれわれ映倫との協力体制というものもできますので、いろいろ相談して、これからそういう面の誤りのないように気をつけてやっていきたい、こういうふうに思っております。  それから、題名でございますが、題名につきしても、これも映画を見ない方にも一応批判の対象となるものでございますし、また、題名がこういうような題名であるために、内容までそれを前提として解釈されるきらいがございまして、たとえば、題名は申し上げられませんが、肉体の云々というような題名でございますが、内容はベッド・シーンなどは少しもなかったというにもかかわらず、新聞などにベッドシーンが十もあったというようなことを書かれたそうでございます。これなどは題名がすでにして内容を決定しているみたいなことになっている例であろうと思いますので、そういう題名を注意しようということで、題名については特に十分な留意をして審査をしようということで、これは高橋委員長から本年度の重大なる施策として提案されたところのものでございます。  それから、暴力問題、それから売春防止法の実施に伴う審査の態度、あるいは性的混乱に対する映倫の態度というようなことでございますが、この売春防止法に関連いたしましては、すでに昨年の四月十三日に映論管理委員会におきまして、売春防止法の一部実施以降の審査態度というものを決定いたしまして、日本映画製作八社を初め全映画会社の各方面にそういう審査の態度を表明したのでございますが、売春に関しましては、倫理規程の本文にもございますように、売春は正当化しないということがまず第一に適用されるわけでございまして、あらゆる映画売春に関しましてはその本文を適用しておるわけであります。それで、売春防止法が実施になりますると、売春ということがなくなるわけでございますから、過去の事実として描く場合はあり得るとしても、今後は売春を描くということはないわけであります。たとえば、売春街を描くとかいうようなことは、まず過去の事実としてしか取り扱えないのではないか、こういうふうに思います。また、この審査の態度といたしましては、もちろんこの売春は正当化しないということ以外に、風俗、性の上におきまして今までより厳重に審査の態度を持つということでございます。業者その他におきましてそういう面を描く場合にはことに注意をするというふうな方向にやっていっております。  それから、暴力問題でございますが、ただいまお話にありましたギャング映画等でございますが、暴力の描写というようなことについてはかねがね大へん留意をいたしてやってきておるのでございますが、ギャング映画は、もともと私どもの方では、審査の態度といたしましては、悪漢がヒロイックに活躍するというところはできるだけ押えるという態度をとりまして、そのかわりに、審査の方向といたしましては、警察の活動という方面に重点を置いて、むしろギャング映画警察力の強いところを十分に見せてもらう方に重点を置いてやろうというところでやっておるのでございますが、その限度がまたむずかしく、よく見ていただかなければその点がわからぬというのでは困るので、その点を十分吟味してやっていきたい、そういう考えでございます。  その他、暴力問題に関連いたしますが、やくざものその他に関しましても、これはかなり厳重なる審査が行われておりまして、さきに述べましたような売春街を取り上げた映画とか、あるいはやくざものとかいったようなものは、大部分成人映画として取り扱っておるような現況でございます。大体、先ほどお話がございましたように、これは、高度のねらいを持つ映画におきましては、あるいは青少年に多少刺戟のある場面がある、これも認めざるを得ないのでありますが、その場合には成人映画ということはやむを得ないとしても、そのほかのものに対しましては、できるだけ成人映画というものを少くするような方針でいきたい。一方、青少年にぜひ見せたいという映画を推薦いたしまして、それを関係各方面の御協力によりましてできるだけ大ぜいの方にごらんを願うということになりますると、勢い製作者側でもこういうものを重点において製作されるということになりまして、見られる方でもこっちの方に重点を置いて見られることになるというのが、われわれどもの青少年対策の一環としてやっておる仕事でございます。  大体以上でございます。
  12. 町村金五

    町村委員長 だいぶ時間も経過いたしましたので、御質問もお答えもなるべく簡潔にお願いいたします。
  13. 三田村武夫

    三田村委員 最後に私の希望意見を申し述べて、特に御出席願った永田社長の御所見をもう一度伺っておきたい。それは映画の及ぼす社会的影響、これは先ほど来繰り返して申し上げましたから、これ以上申し上げませんが、ことに政治に及ぼす影響です。これは非常に重要でありまして、この点ももちろん十分お考えのことと思いますが、一、二の問題を取り上げて申しますならば、よく映画に代議士、政治家が出てくるのですが、出てくる者は悪玉代議士ばかりなんです。汚職をやってつかまっていくとか、めかけ狂いをしておる者とか、こういう者ばかりしか映画には出てこないのですね。それによって、何だ、代議士、政治家は、実にきたない、いやなものだという考えを与える。おとなはいいのですが、ことに青少年に対する影響は大きいと思うのです。もとより、代議士、政治家、われわれの仲間にも、私自身も最も不完全な人間でありますが、そういう指弾に値する者もおりましょう。しかしながら、それは全部じゃないのです。ところが、映画に現われてくる代議士、政治家というものはほとんど悪玉のやつばかりです。一体、政治に対する認識、啓蒙、知識の足りない青少年にどういう影響を与えるか。ことに、非常に純真、純潔を尊ぶ婦人層にどういう影響を与えるか、これが私は非常に重要な問題だと思うのであります。今の日本で何が中心かといえば、議会民主主義であります。議会政治というものが国民から信用を失ったときに一体日本はどうなるか。古い憲法時代であったならば、政治のバック・ボーンに天皇制がございましたでしょう。力の源泉として陸海軍があったでしょう。けれども、今日本にあるものは、国民の自由意思によって選挙され、その選挙された議員によって構成される議会であります。中央では国会、地方にあっては地方議会であります。その国民代表として、国民の日常生活、その自由と繁栄に直接責任を持つ政治家あるいは議員というものを映画テーマとして扱う場合にはいつも悪玉。それは、悪玉議員を扱うことが、映画製作者立場として、興行政策としてはいいかもしれませんけれども、私は社会的影響というものは少からざるものがあると思うのであります。私は、全部議員というものはりっぱなものだという映画を作っていただきたいとは申し上げません。けれども、悪玉議員もあるが、ほんとうに国民のために、人民のために、民衆のために真剣に努力している議員もあるのだという映画がたまに一本くらいできてもいいと思うのですが、全然ないのです。これは一つ私はお考え願いたいと思うのであります。一つ率直に私は申し上げます。そういう点に対して、永田社長あたり非常に幅の広い知識をお持ちなのです。映画製作のヴェテランとして御所見がありましたら、私の最後のお尋ねとして伺いたいと思います。
  14. 永田雅一

    永田参考人 今三田村委員のおっしゃった通り、全く同感だと思います。義憤を感じられることもごもっともで、作っている製作者の私も末席を汚している一員としてまことに恥かしい思いをしているわけであります。ところが、これは深い意味はないと思うのです。私の考えでは、今の議会中心の民主主義である限りは、立法府であるところの国会構成しておられる議員の方々が、何といっても一番権力者である。そういう権力者を悪く言ったり皮肉ったりしていることが何かスマートだという錯覚を起しておる監督がそういうことをやるのだと思うのであります。ですから、そういうものは深い根があるのではなくて、実にたわいのない、要するに一部の監督がやったのではないか、かように思うので、まあ一つ御了承願いたいと思います。  たとえば、一番いい例があるのですが、これは私の作った映画でありますから、この点は責任をもって答えることができると思います。これは代議士各位を軽べつもいたしておりませんし、また侮辱もいたしておりません。ただ、たまたまその場面に登場されてきた。それは昨年の秋作りましたが、「夜の蝶」というのがございます。これはきょうの日本の銀座を描いたわけでございます。ところが、これは演出力もよく演技力もよく、色彩もよく、すべての点において申し分のない一流の映画だと思います。ところが、これを自信をもって外国に持って行く、ここに、三田村委員、問題があると思います。私は外国のジャーナリスト、文化人に、ニューヨークで試写をする前に、その関係者だけ集めて十五、六人で見ていただいた。済んだ。今申しました通りすべての点において激賞を得たのでありますが、永田君、よせ、この映画はすばらしい映画だけれども、よせ、どういうわけでよすのか、これはきょうの日本だろう、きょうの東京の銀座だろう、この場面に現われてきておる者は一人も真実がない、全部うそをついて暮しておる人間だ、もしこれがきょうの日本人であるということが、ひとたびこの映画を通じて世界に発表された場合には日本というものに対して重大なる影響力があるから、これはよせ、あなたは製作者である前に日本人であるということをミスター永田は痛感するであろう—。私は恥かしいけれども冷汗をかいた。私は、帰りまして、直ちにこのことを製作者なり企画者、脚本を書く人間を集めまして伝えました。好意があるから言うてもらったけれども、これを知らずにもし出しておったならば、きょうの日本というものに対して非常に誤解を招いたであろう、こういうことであります。  それと同じことが言えると思うのであります。今、三田村委員がおっしゃるように、あえて国会議員の方々だけじゃない。最近はよくなりましたが、検察当局、検事が出てきたら悪いことにきまっておる。警察が出てきたらそれは警察官が大へんに悪い。こういうことはもう今や古くさいのです。でありますから、十二分に留意し、また、そういうようなものを何か得意がって作っておる者は大したことのない人なのだ、こういうふうに一つおあきらめ願いたいのであります。
  15. 町村金五

    町村委員長 猪俣浩三君。
  16. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 永田さんのお話を聞いておると、映画倫理性の前に道徳教育がなっておらない、賃金なんか要求しておる教員なんかけしからぬ、それからまた、悪政治家というのは監督が権力者に反抗する趣味からやるのだというようなことになりまして、永田さんはりっぱな映画製作者であるからさような批判をなされるかもしれないが、私の見るところは、現在の日本において、映画製作者と申しますか、映画企業と申しますか、このくらい自由商業主義の弱点を多数持っておるものはないと思います。資本主義の最も極端な現われが映画会社にあるのではないか。それは例が幾つもあると思うのでございます。このくらい競争が激しく、このくらい他を圧迫して自分だけもうけようというものはない。それはスターの引き抜き戦によく現われておる。私は高千穂ひづるという女優の話を聞いた。これは実に憲法違反、人権じゅうりんですよ。かようなことをやって金もうけ主義に狂奔しておる。こういうやり方で果してこの映画倫理性なんかを要求できるかどうか。  私はこれは高橋さんにお聞きしたい、今から八、九年前に衆議院に文化委員会というものがありました、私はちょっとその委員をやっておった。あるいは十年くらい前になるかもしれません。ここにいらっしゃる池田さんが何か映倫関係責任者であられてやはり出て来られた。そのときも、何とかして映画倫理的に向上してもらいたいということを強く要求いたしました。しかし、自来さっぱり成績があがっておらない。そのときはやはり活動資金が映画製作者から入っておるからという理由でありましたが、それは、高橋さんのお話を聞くと、相当改善せられてきておる、そうして新しい映倫では相当成績をあげておられるということで、大へんけっこうなことでありますが、先ほど池田さんが言われたように、人類のあるところに映画ありというくらい大衆性を持っておる。大衆に対する影響力というものは絶大であります。これはある面においては実に映画というものは権力にも対抗するだけの絶大な力を持っておると申さなければならない。そこで、不良少年問題なんかに対しても相当の責任があると思う。力のあるところ責任があります。さっき永田さんのお話では、いい面も大いにあるという。それはそうでしょう。九人の孝行息子が映画によってできるかもしれません。しかし、一人のピストル犯人が出たら、それはいけない。九人の人の健康には向く薬であっても、何か体質の違う者一人に飲ませると、それがたちまち死ぬようなものであるならば、一般市販はさせられません。だから、映画のいい面はわれわれは否定するものではありませんが、毒になる面につきましては、極力これを芟除するようにならなければならないと思うのであります。  そこで、私は高橋さんにお聞きいたしますが、あなたは公平に判断なされて、こういう大衆性を持つ、いわゆる公共福祉に絶大なる影響力のあるマスコミニュケーションの中心機関であると申しても差しつかえないような、ことに、むずかしい新聞、雑誌なんか読まぬでも映画を見ない青少年はいないのでありますから、その意味においても、これはもう社会教育としてトップを占めるものだと思う。それだけの責任がやはり映画会社になければならないと思うのですが、果して今日のような、商業企業の最先端を行っておるような、女優の引き抜き戦術に現われるようなかような醜悪な競争をやっておる、こういう企業形態において、その倫理化を求めるということは、木によって魚を求めるということではないかと私は考えるのですが、こういう企業形態に対して何らか映画倫理性を盛ってもらって社会教育機関としてのほんとうのいい面を十分に発揮させるには、この映画製作に対して、公共性といいますか、私は一つの国家管理までいかぬでもいい。(笑声)国家管理までいかなくてもいいが、政府なり国家なりがもう少し力を貸して、いい映画を作ったものに対しては、あるいはそろばんがはじけないような場合には、これに対して相当の補給をする、——自民党が絶対多数を持っておる現在においてすぐさまわれわれの考えるようなものはできないと思いまするが、さしあたり、そういう特別な大衆をよりいい方面に向上せしめるような映画を作った者、また映画に対しては、何らかの賞賛の道をここに与えるようなことを、行政的に考えてもいいのじゃなかろうか。また、今の企業としての映画会社に対して、やはり公共福祉の見地から、その経営について多少の企画性なり指導性を持たせる必要があるのじゃなかろうか。そうじゃないと、映倫を作って皆さんがどんなにお骨折りになりましても、今三田村委員が指摘するようなことがなかなか絶滅できない。それが本質にあると思うのです。本質を顧みないでただやっておったって、おざなりになるのじゃなかろうか。これに対して高橋さんの御見解を承わりたいと存じます。
  17. 高橋誠一郎

    高橋参考人 ただいまのお言葉でございまするが、私、就任の際に製作者そのほかの方々のお集まりになりましたところに出席いたしまして申し上げたことでもありまするが、映画界にはすさまじい競争の旋風が吹きまくっておる、ほとんどカットスロート・コンペティションと言ってもいいようなあさましい競争のあることを聞いておる、これはまことに遺憾しごくなことである、しかしながら、戦争に従事しておりまするものに職業的な軍人、あるいは戦争のもっぱら行われておりました封建社会というようなところにおきましてだんだんその間に武士道というものが発達してくる、今はただ利を得んとして進んでおられまする諸君も、その間に一種の道がある、当然守っていかなければならない倫理、道徳の道があるというところから、封建時代の武士の武士道とは違った資本主義時代の新しい武士道、町人道とでも申しまするか、新しい騎士道と申しまするか、こういうものがだんだん発達してくることを私は信じて疑わないのである——。あまり営利主義に走りまして、そして目先の見えないことをやる、ただいまお話のありました暴力による性行為であるとかいうようなことを題材にし、あるいはこれを極端に表現したものでありまするならば、映倫がかれこれ言う以上に一般社会がこれを排斥するに至るであろう、こういうものをだんだん見なくなるであろう、こういうことが考えられないだろうか。そして、一般社会の道徳的水準を向上させるに役立つところのものが喜ばれる、そういう時代がやがて来るのではないか。最近方々において推賞せられた映画などを見ますると、いずれもそういう倫理性に根ざしておるものであります。こういうものに果してお客が多く来るかどうか。これは一様には言えないのでありまするが、とにかく、世間で評判のいいものは、この倫理規程から申しましてもまた非の打ちどころのないものである。まただんだんこういうふうにならなければならぬのではないか。また、あまり残虐なものなどを取り扱いましたものも、戦後においては喜ばれたかもしれませんが、だんだん社会秩序が整って参りますると、こういうものは喜ばれないのじゃないか。永田さんはただいま「夜の蝶」の例を引いてお話しになりましたが、これは結末がはなはだ、何と申しまするか、残虐と申しまするか、自動車がぶつかるということで終っておるように記憶しております。私、だいぶ前に見ましたので、はっきりいたしておりませんから、間違っておりましたらごめんこうむりますが、こういう悲惨な結末をつけておる。まことに芸術的なりっぱなものであることは私もこれを認めるものでありますが、ところが、これはあまりに悲惨だというので映画じゃございませんが新劇でこれを取り扱いましたときには、両方のマダムに子供があってこれがめでたく結婚するというめでたしめでたしに終っておる。これはごく浅いものであったかもしれないのでありますが、そういうふうにいたしまして、あの「夜の蝶」に現われたぐらいの程度のものでありましても、残虐が喜ばれなくなるというような傾向がだんだん現われているのではないか。このごろ見ておりますと、たとえば「純愛物語」というようなものが大へんに推奨されておるのでありますが、これなどによりますと、純粋の愛というものの美しさは決して暴力行為によるいわゆる肉欲の満足などにとうてい比較すべくもないものであるということをじゅんじゅんとして教えておるかのごとくに見受けられるのでありまして、一年二カ月の経験でございますから何とも言えないのでありますが、こういうものがだんだんふえつつあるのではないか。また、ふえつつあることを望んでおるのであります。  それから、われわれはこの倫理規程にもうたってありますように、今後日本の行くべき道は民主主義を除いてないのである、こう考えておるのでありまして、そしてまた、この民主主義の政治の中心となるところのものは国会である、国会の議員諸君は国家における最も貴重な役割を演じておいでになるものである、もしこの民主政治を否定する、あるいは国会を冒涜するというようなものがありますならば、それこそまず第一に映倫管理委員会におきまして削除を命ずるとかあるいは全然こういうものは撤回してもらうとかいうことを申さなければならぬものと思うのでありますが、どうもそういうものにはまだ私どもほんとうにぶつかった経験がないのでありまして、かつてある劇場で行われました「赤い絨氈」のような映画が企画せられたことを聞きませんので、映画製作者におきましては、そういう考えはないのじゃないか、あくまでも今の民主主義を発達させていく、そういう考えでやっておられることは確かではないかと考えております。やがてこの映画会社の営利主義と国民道徳の水準向上ということが一致する将来をわれわれ念願いたしまして、でき得る限りのことをいたしたいと考えておるのでございますが、何分微力のことでございますので、どうぞ一つ御援助いただきたいと存ずるのでございます。
  18. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 それから、これと関連するのですが、一体これは、やはり映画の商業戦術、自由競争からくるところのいわゆるスターの製造、スターの引き抜き戦術と申しますか、それがために非常に値段が高くなる。とにかく十九や二十の小娘が、スターともなると月収何百万円。もちろんそれはそれだけの天分があると言えばそれまでであるが、これは天分ではないと思う。五十年、六十年、歌舞伎の道に精進された俳優が相当の収入を得られることには合点がいきます。しかし、十九や二十の娘、ちょっと器量がよくて何か要領のいいような者がたちまちにしてスターになって、そしてこれが何百万円。これは常軌を逸しておると思う。商業企業の欠陥から生まれた片寄った収入だと思うのです。かようなことをやるから、従って相当な収入をあげなければならぬ。相当な収入をあげるには、大衆向きの、一等大衆が飛びつくような性の問題を扱わなければならぬということになって、映画製作者映画を売らなければならぬ。ところが、地方の映画館なんというものは、やはりあんちゃんたちが喜ぶようなものでないと買わぬというようなことから、やはり売らんかな主義になる。それも、生産費がかかり過ぎるその原因一つに、こういう不当な収入をお互いに許しておる。これはあまりに無統制な競争からくるのじゃないだろうか。ものには大ていの常識があります。二十や二十二、三の小娘が何百万円という収入。われわれ国会議員の収入が多いの少いのと言ったって十万円にならない。これはあまりに不当過ぎます。これは全く商業企業の弱点だと僕は思う。これからすべての百弊が起ってきておる。こういうことから直さなければ、いかに高橋さんがそのうちに商業と倫理がマッチするだろうと言ったって、なかなかこれは容易でない。そうして、三十年、五十年先の日に不良少年が続出してしまったら何にもならない。われわれは今当面の問題としてどうするかを切実に考えているわけでありますが、これもまたなかなか一朝一夕にはできないと思います。こういうスターの製造、スターの引っぱりっこ、そしてべらぼうに高い報酬。高橋さんはほんとうの日本代表のジェントルマンでいらっしゃいますが、あなたの良識で判断して、これが一体順当なことか。何かゆがんでいることじゃなかろうか。私自身がひがんだ感じで言うのかどうか、私にもわかりませんが、あなたの御意見を承わりたい。池田さんの御意見でもよろしい。こういうばかな話はないと思うんだ。
  19. 池田義信

    池田参考人 これは、私、自分自身が扱っておる問題ではございませんので、スターの報酬の問題は、だれがどのくらい取っているかということは存じませんけれども、普通の賃金から見たら非常に高いという考え方がどこの社会でもおありになるし、どこの議論でも出て参ります。これは、私どもの方、つまり映画の製作から申しますと、なるほど非常に大きなウエートを占めておりますので、高いに違いないと思うのでございますが、いわば一種の生産資材的要素を多量に持っているわけでございまして、よき資材を集めて映画を製作していくためには、その資材には大きな金を払うというような考え方から、よき資材を求めるために少しずつ少しずつ上っていったのじゃないかしらと思うのであります。産業的な面から見ますると、なるほどウエートは非常に高いのでございますが、それは一面においては人的資材が少いということも言えると思うのであります。また、大衆を迎え得る、喜ばせ得るというようなこともいろいろ計算されて、そのくらいな金は払ってもいいのではないかしらというふうに計算されて、そして払われているんだと思うのでございます。しかしながら、映画製作者の会合などにおきましても、何らかの方法で解決しなければならないのではないかという考え方はどなたも持っておられるのでございますが、現段階におきまして、それならばどのように解決するかというような方法はまだ出てはおりませんけれども、やはり常にいろいろの会合の席上においてこの問題に対する解決の研究ということはなされつつあるのであります。
  20. 町村金五

    町村委員長 高橋禎一君。
  21. 高橋禎一

    高橋(禎)委員 私は、参考人方々にお尋ねをいたします前に、政府委員が御出席になっておられますから、政府側に対してまずその所見を承わっておきたいのであります。と申しますのは、申し上げるまでもなく、日本国の憲法第二十二条は国民に職業選択の自由を保障しておるのであります。そこへ持って参りまして、さらに憲法第二十一条は表現の自由を保障しております。そして、「検閲は、これをしてはならない。」、こういう規定をしておるのでありまして、こういう憲法の規定の上に立って、映画の問題についてどういう行き方をするかということは、私はなかなか困難な問題があると思うのであります。映連または映倫がこの問題と取っ組まれて今日まで相当の成績をあげてこられたと思うのであります。ただ、私どもが、今一般的な青少年犯罪の増加ということだけでなくして、売春防止法完全実施を前にして一番心配しておることは、この売春防止法全面実施によって、善良なると申しますか、一般の婦女子、これまで売春関係の従業者等の経験を持たない人たちに対する性犯罪が増加するのではないか、これは、ひとり私どもだけではなくして、一般国民がその点を心配しておるわけであります。そして、映画が、これはいろいろ議論があるでありましょうけれども、私どもの見るところでは、青少年犯罪、特に青年の性的方面の刺激に大きな影響を持っておって、それがいろいう性犯罪を誘発する——もちろんこれだけではありませんけれども、これが一つの大きな原因になっておるというふうな考えを持っておるわけであります。そこで、考えてみますのに、映画を製作してはならない、あるいはまたそれを検閲するというようなことは、憲法の精神とにらみ合わせてなかなか容易な問題でない。これは後に研究する問題として、まずさしあたり、この際、青少年に非常に悪影響を及ぼすと見られる映画、これは先ほど来お話のありました映画審査規程等にも明らかになっておりますが、たとえば劣情を刺激するもの、あるいはまた売春を正当化するような傾向のあるもの、そういうものを年令で区別いたしますと、さしあたり満十八才以下の者にはこれを見せてはならないというふうに規制をすることができれば、この問題を解決するのに非常に役立つものではないかと考えられるわけであります。もちろんこれについても異論はあるとは存じますけれども、まずこの際、政府、ことに本日御出席の竹内刑事局長は、今申し上げたような趣旨の規制が立法上なし得るものであるという御意見であるかどうか、これを一つ承わっておきたいのであります。
  22. 竹内壽平

    ○竹内政府委員 高橋委員心配の点は私どもも全く同感でございます。特に青少年に対しましてある種の映画を見せないように法律的に措置することができるかどうかという点でございますが、現在、現行法のもとにおいてそのような規定は存在しないのでございますけれども、地方によりましては、地方の条例によって制限をしておる個所が何個所かあるようでございます。このことは、法律的規制が、わが憲法下全く不可能な問題ではないと私は考えておりますが、これを中央において全国一律の法律で規制するかどうかという点につきましては、なお若干の研究を必要とするのでございまして、私どもの手元において、各地方で実施しております状況等をただいま検討しておる段階でございます。
  23. 高橋禎一

    高橋(禎)委員 今、各地方によっては条例をもってこれを制限したところがある、ところが国の法律としてこれを統一するということには少々疑問の面がある、こういうふうなお答えでありますが、どういうことが心配になるのですか。私は、地方の条例によってこれを取り締っておる場合に、先ほど来申し上げたような意味において国の統一法としてこれを規定するということがなし得るかいなかということについての疑問はないんじゃないかと思うのですが、どの点を心配していろいろ御研究になっておるのですか。それを承わります。
  24. 竹内壽平

    ○竹内政府委員 これは、抽象的に申しますならば悪い映画を見せないということで一応わかるのでございますが、しからば悪い映画とは何かということに結局問題が還元されると思うのです。そうなりますと、本日御審議になっておりますように、映倫の本質論と関連を持ってくるのでございまして、これがひいてただいま御提示になりました憲法第二十一条の規定に関係を持ちますので、これは慎重に検討を要する問題であるというふうに考えます。
  25. 高橋禎一

    高橋(禎)委員 私どもは、この青少年日本の次の時代を背負う者であり、そして、今統計を見ますと、先ほど三田村委員が示されたように、これも実に憂うべき状態にあると思うのであります。それにさらに売春法の完全実施を行うということになりますと、先ほども申し上げたように、国民は、一般婦女子に対する性的犯罪が増加するのではないかという非常な心配をする。しかも、その原因一つの中に、この映画というものが考えられておるわけです。その際に、これに対する対策をちゅうちょするというようなことがあったり、政府が責任のがれをするというようなことがあってはならぬと思う。映倫の本質と関連して云々というお話でありますが、政府において、現在の映画の中に私どもが心配しておるような映画がないというふうなお考えであるかどうか。いわゆる、どれがいい映画である、悪い映画であるかということの、その判断がなかなかつきかねるから、そういう制度を設けることは心配であるというような考えの前提になって、現在のまま放置しておいても心配はないというような、考えてないというような、私はそんなことを言って時間を過しておることはできないと思う。その点について法務省の考えておられる見解一つお述べ願いたい。
  26. 竹内壽平

    ○竹内政府委員 売春防止法刑罰法規が実施された暁において、その影響のもとにおいて、現在の映画がどのように青少年に影響を与えていくであろうかという具体的な条件のもとに考える場合と、本来娯楽としての映画の持つ大衆に訴える大きな力というものを抽象的に考えて、それの青少年に及ぼす影響という、この両面から考えられると思うのでございますが、前の、本質的にはさほど重大でないと思われる映画が、あるいは具体的な影響、具体的な売春取締り下においてある種の影響を持つということは、これは十分予想されるところでございます。本質的にも、映画が、われわれの目から見ましていかがと思われる映画がありますことは、たびたび私どもの立場として呼びかけておるのでございますが、さらに、売春防止法施行後の映画青少年との関係については非常な関心を持っております。現にそのような具体的な事業を着々歩を進めておる段階でございます。
  27. 高橋禎一

    高橋(禎)委員 次に、参考人高橋参考人にお尋ねいたしたいと思いますが、青少年に対する一般的な問題は別にしまして、御存じのように、本年の四月一日から売春防止法完全実施をすることになったわけでありますが、先ほど申し上げたように、これが完全実施をされた場合に、国民が非常に心配しておることは、二、三それを取り上げて申しますと、一般の婦女子に対する性的犯罪というものが将来増加するのじゃないか、その点が心配だということ、それから、花柳病が非常に蔓延するのじゃないか、それから、警察等の取締りの行き過ぎによって人権をじゅうりんするようなことがあるのじゃないか、こういうふうな深刻な心配があるわけです。そこで、性的犯罪による被害というものが非常に多くなりますということに関連して、私どもは映画の問題を取り上げておるわけであります。映画は、もちろんどの映画でも、私はいい面と悪い面があるように思うのです。これは見方によることでもありましょうし、見る人のいろいろの思想、道義観念というようなものもございますが、しかし、今の国民の常識としては、映画の中には、これを青少年に見せると非常に性的刺激を与えて性犯罪原因になるようなものがあるのだという、こういう考えを持っておるわけであります。  そこで、先ほど刑事局長にお尋ねをして、お答えを得ました点に触れるわけでありますが、実際に映倫の仕事をなさっておられて、職業選択の自由を持ち、表現の自由を持ち、検閲も許されないという憲法の規定のあるもとにおいて、何か法規のあと押しがなけらねば、うしろだてがなけらねば、どうもやりにくいという点、つまり、こういう映画は十八才未満の者には見せてはならぬぞという取締りの規定でもあれば、もっと映倫の仕事もやりいいのだ、——たとえば、地方の条例によっては、それを認めておるところもありますが、それが制定されておらないところもある。むしろ国の法律として一般的にその問題を規定しておいた方が、映倫の理想としておるところのものを実現するのにやりいいのだ、そういうふうなことをお考えになりませんでしょうか、どうでしょうか。この点をお尋ねするわけであります。重ねて申しますが、もしも、売春法の完全実施によって、国民心配しておるような面が解決されないで、その悪弊というものが非常に助長されていくということになりますと、売春法の実施というものは不成功ということに国民の間から声が起ると思うのです。もしそういうことが原因いたしまして逆戻りをするようなことがあったら、私は大へんだと思う。何と申しましても、売春防止法の実施というものは、いわば大きな革命でありまして、非常に高い理想を持って国民がこれを要望して制定された法律は、どこまでもりっぱに成功させたい、健全に発達させていきたいと考えておるのでありまして、その間に映画の役割というものが大きい意味を持つわけでありますから、今の点について御意見を承わりたいと思います。
  28. 高橋誠一郎

    高橋参考人 ただいまの点でございますが、先ほども申しておりますように、青少年の性的犯罪の増加、ことにこれが売春禁止法実施以後においてどういうことになるか、増加するか減少するかという点を、私ども非常な関心を持って見ておるところであります。われわれの今やっておりまするところでは、売春というものは罪悪であるということを強調するような映画を求めておりまする一方、また、性的犯罪を決して是認するようなこともむろんないのでありまするし、これを特に刺激するというようなものをあくまでも排斥するという態度をとっておることは申し上げた通りであります。特に、売春禁止法実施以後において青少年の性的犯罪が増加するとしましたならば、これは映画製作上どういう手段をとるべきであるか、ことに、与えられました映倫の権限内におきましていかなることをやるべきであるかということを考究しておるのでございますが、まだ結論を出すに至っておらないのであります。先ほども申し上げましたように、青少年委員会に対しまして、映画性犯罪に対する影響というものが実際どれだけあるか、これはなかなか困難な問題でありますが、専門家にはまたわれわれの想像することのできないようないろいろな材料そのほかを集められることもできるのであろうからというので、先週の委員会におきまして一委員にこれを依頼いたしまして、この方を中心としてさらに研究する、こういうことに相なっております。  それからまた、各県におきましてそれぞれ規制を行う、こういうことに相なったという報知をわれわれも受けておるのでありますが、しかし、その結果がどうあるのであるか、果してこれがよく励行せられておるのであるかという点に関しましては、資料を求めておるのでありますが、まだ十分のものが得られないのでございまして、こういうものがだんだん増加する傾向はございますが、しかしながら、われわれといたしましては、先ほど来申しておりますように、法律の力を借りる以前において、でき得る限り業界の自粛によりまして不良の映画を抑制して参りたい、こういう希望を常に抱いておるのであります。先ほどは企業界の武士道というような言葉を使いましてはなはだなにでございましたが、これらにもやはり希望をかけておるのでありまして、これが実現せられるのははなはだ遠い先のことというふうにもむろん見ることができるのでありますが、激しい競争の行われておりまする、営利本位とも非難せられます映画製作者が、みずから進んで映倫というものを設けて自粛する、こういうことになりましたのは、その企業界における武士道の一つの大きな現われであるというふうに感じたのでありまして、こういうような武士道と申しますか、何と申しますか、自粛、自制が、製作者ばかりでなく、興行者にも及ぶことを望み、またこれらの諸君の協力をわれわれ求めておるのでありまして、非常にむずかしいこととは存じますが、できる限り業界の自粛による、これでとうていいかないということでありますならば法律の助けをかりるということもやむを得ないのでありますが、これはでき得る限り避けて参りたい、最後にいたしたいというふうに考えておるのであります。先ほども申し上げました、先年内閣にできました映画審議会などにおきましても、いろいろ議論はございましたが、大体こういう方針が強く打ち出されておったように感ぜられたのでございます。
  29. 高橋禎一

    高橋(禎)委員 もう一つ簡単にお尋ねいたしますが、映倫は、先ほど御説明がありましたように、映連からの御心配ででき上り、しかもその費用なんかもそこから出ているように私は聞きました。そういう映倫の仕事を御苦労なさり今日までやってこられて、相当の成果をあげたという御意見であります。そういう見方をする人も国民の中にも相当おると思うのですが、しかし、今映画界の実情を見ると、なかなかこのままではいかぬというふうな突き詰めた考えを持つ人もあると思うのであります。そこで、映倫の仕事を実際なさった立場において、これと同じような役割を果す機関として——これは今は自主的な管理をなさっておられるのでありますが、むしろそこに国の正式な機関として介在をして、すなわち映倫ごときものを国の制度として取り上げて、そうしてほぼ同じような仕事をやっていくということがいいか悪いか、それについての御意見を伺いたいと思います。
  30. 高橋誠一郎

    高橋参考人 先ほど私のお伺い違いかもしれませんが、ただいまの映倫映連から費用を出してもらっておるのではございませんのでありまして、これは映連と言えば言うことができるかもしらぬのでありますが、これは全く審査料によりまして一切の費用を弁じておるわけでございまして、まず映連の維持委員によって委員長が任命はされる——むしろ委嘱といった方がいいかもしらぬのでありまするが、されまするが、任期の間は全く自由に行動することができるのでありまして、そしてまた映連から財政的な援助などは受けておらないのであります。  それから、法律ができまして、その法律によって取り締られるということでありまするならば、映倫の仕事が一そう容易になりはしないか、効果をあげることができはしないかというお説でございますが、これは各県が今のところ何カ所かやっておりますので、その成績を見ませんと何とも言えないのでありますが、どうもこれは、今までの検閲時代などに行われたところなどを見ましても、法律の力でこれを取り締るということにはいろいろ悪い面がありますばかりでなく、実行はなはだ困難なものがあるように存ぜられるのでありまして、果してこういうような法律ができることによりましてわれわれの仕事がうまくいくかどうか、今のところ私は疑問なきを得ないのでありますが、先ほども述べましたように、各県の実情などをただいま見ておるのでありまして、先日もマスコミの会合などがありました際に、こういうことを法律でやるということは非常な困難である、どうもうまくいかないのではないかという声が強かったということを出席いたしました諸君から聞いておるのでありまして、なお慎重に検討を要する点と存じます。
  31. 高橋禎一

    高橋(禎)委員 法務当局へ、資料として、先ほど御検討になっているという、すなわち条例をもって先ほどお尋ねした問題を規制するようにしているという実情の調査をなさって、その結果を委員会に御報告願いたいと思います。  これをもって質問を終ります。
  32. 町村金五

    町村委員長 他に御質疑がなければ、参考人に対する質疑はこれにて終了いたします。参考人各位には御多忙中長時間にわたり委員会の審議に御協力下さいまして、ありがとうございました。  本日はこれにて散会いたします。     午後一時三十五分散会