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1958-02-27 第28回国会 衆議院 文教委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十三年二月二十七日(木曜日)     午前十時十九分開議  出席委員    委員長 山下 榮二君    理事 伊東 岩男君 理事 稻葉  修君    理事 高村 坂彦君 理事 坂田 道太君    理事 河野  正君 理事 佐藤觀次郎君       大橋 忠一君    杉浦 武雄君       渡海元三郎君    灘尾 弘吉君       並木 芳雄君    山口 好一君       木下  哲君    小牧 次生君       櫻井 奎夫君    鈴木 義男君       高津 正道君    野原  覺君       平田 ヒデ君    小林 信一君  出席国務大臣         文 部 大 臣 松永  東君  出席政府委員         文部政務次官  臼井 莊一君         文部事務官         (大学学術局         長)      緒方 信一君         文部事務官         (社会教育局         長)      福田  繁君         海上保安庁長官 島居辰次郎君  委員外出席者         日本学術会議会         長       茅  誠司君         専  門  員 石井  勗君     ――――――――――――― 二月二十一日  日本育英会法の一部を改正する法律案内閣提  出第八七号) 同月二十二日  義務教育施設の整備に関する請願中馬辰猪君  紹介)(第一〇八三号)  文教刷新及び社会教育振興に関する請願(中  馬辰猪紹介)(第一〇八四号)  へき地教育振興法の一部改正に関する請願(濱  地文平紹介)(第一〇八五号)  同(田中幾三郎紹介)(第一一三一号)  公立義務教育学校施設費半額国庫負担に関  する請願三浦一雄紹介)(第一一〇六号)  教育公務員特例法の一部改正に関する請願外十  三件(井谷正吉紹介)(第一一二一九号)  学校給食費国庫補助等に関する請願加藤精三  君紹介)(第一一三〇号)  学級編成基準適正化及び施設拡充に関する請  願(福田篤泰君外二名紹介)(第一一三二号)  同(山花秀雄紹介)(第一一三二号) の審査を本委員会に付託された。 二月二十五日  自然保護教育に関する陳情書  (第四〇六号)  義務教育学校施設費半額国庫負担法制定等に  関する陳情書外十五件  (第四一四号)  同外五件  (第四七九号)  理科教育の充実に関する陳情書  (第四一五号)  へき地教育振興法の一部改正等に関する陳情書  (第四一六  号)  学校保健法制定等に関する陳情書  (第四七八号)  義務教育施設費総合的国庫負担法制定に関す  る陳情書外二件  (第四八一号)  小中学校教員数増員等に関する陳情書外一件  (第四  八三号) を本委員会に参考送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  国立学校設置法の一部を改正する法律案内閣  提出第一九号)  国立競技場法案内閣提出第六八号)  南極地域観測に関する件      ――――◇―――――
  2. 山下榮二

    山下委員長 これより会議を開きます。  まず南極地域観測に関する件について調査を進めたいと存じます。初めに緒方政府委員より南極地域観測に関する経過説明を伺うことにいたします。緒方政府委員
  3. 緒方信一

    緒方政府委員 南極観測経過につきましては、すでに新聞報道によりまして御承知のことでございますが、アメリカバートン・アイランド号の援助によりまして、一たん昭和基地近くに進入いたしておりました宗谷におきましては第一次越冬隊の十一名の収容を終りましたあと、さらに本観測越冬隊の残留につきまして懸命の努力をいたしたのでございますけれども天候あるいは氷の状況等がきわめてむずかしい状況でございまして、その地点にとどまることはバートン・アイランド号能力をもってしても危険な状態が追って参りましたので、一たん外洋にさらに出て参ったのでございます。そうしてそれから東方に昭和基地越冬隊を送る適地を求めておったわけでございますけれども、この行動も非常に困難をきわめまして、なお気象状況が非常に悪くなりましたために、一時その場所を遠く離れて退避いたしておったわけでございます。その後気象の好転を見ましてさらに再び昭和基地近くに近寄って、最後には五十一海里まで近寄ったのでございます、そしてそこから昭和基地に対しまする最後の空輸の努力をいたしたのでございますが、しかし結局におきまして天候状況あるいは海上の状況等が幸いいたしませず、去る二十四日の十二時をもちましてその海域を離脱せざるを得ない状況に相なりました。かような経過によりまして、結局本観測越冬隊を揚陸しますことは困難になりまして、断念せざるを得なくなった次第でございます。そこで宗谷バートン・アイランド号と別れまして、ただいまケープタウンに向けて帰航の途中でございます。かような状況でございますので御報告申し上げます。
  4. 山下榮二

    山下委員長 ただいまの説明に対して質疑の通告がございます。これを許します。野原覺君。
  5. 野原覺

    野原委員 今回の南極観測の第二次越冬の件につきまして、最終的な経過の報告が緒方局長からなされたわけでございますが、私はこれらの点を総合して若干お尋ねしたいと思うのであります。  二月二十五日の朝刊を拝見いたしまして、私どもはいよいよだめかと実はまことに残念な気持に打たれたのでございますが、特に私の胸を打ちましたのは永田隊長南極統合本部長あてに打電しております親電でございます。「故国において私ども観測隊を応援し続けて下さった国民各位に対しても何とも申しわけのしようがありません。隊員一同は来たるべき年の再起を心に誓って今群氷域を去らんとしております。このような結果に至りましたことを隊長として深くおわび申し上げます。」私はこの短い文章の中に隊長永田さんの心中まことに察するにあまりあるものがあると、実は心から感激と敬意と感謝を表するにやぶさかでないのであります。しかしながら、いずれにいたしましても国民全体の期待を置かれておりました南極観測はついにだめになったわけでございまするが、この南極観測責任者として南極統合推進本部があり、日本学術会議があるわけでございまするが、特に私は本日は本観測のいろいろな面におけるこの責任担当者としての学術会議会長茅先生に若干お尋ねをしたいところがあるわけであります。  このように本観測がついにだめになったということを、学術会議会長としてはどのような反省を今日持たれていらっしゃるかということであります。もっと詳しく言えば、私どもは先般文教委員会においても実はいろいろお尋ねをしたのでございまするが、たとえば本観測計画について遺漏の点がなかったかどうか、準備について不足の点がなかったかどうか、予算はどういうことであったか、学術会議が要求された予算はそのまま政府はこれを承認しておったかどうか。問題は宗谷ということになろうかと思いまするが、宗谷装備については、実は予備観測があったときから問題があったのであります。予備観測の際もオビ号救援をされておる。帰って参りまして、本観測というものは、きびしい南極自然条件を切り抜けるためには、今日の宗谷ではこれはだめじゃないかということも、実は島居海上保安庁長官に、申しにくいことではありましたが、これはあらゆる角度からこの点を私どもは要請しておったのであります。幾らかの装備改良がなされておったようでございまするが、そういった宗谷装備についてはどういう反省を持たれておるか、計画準備予算装備等、とにかく学術会議として、あるいは南極統合本部として、いろいろな自己批判反省が今日なされておるだろうと思う。この点をまず承わりたいのであります。
  6. 茅誠司

    茅説明員 お答え申し上げます。学術会議としての反省という点について御質問がございましたが、学術会議の中に南極観測特別委員会というのがございます。その特別委員会の総会を開きまして、現在までの総合した困難を検討し、そうしてあらためてほんとうの意味反省ができると思うのでありますけれども、まだ隊長も戻っておりませんので、その時期にはなっておりません。そこで私その委員会委員長個人としての反省を申し上げざるを得ないわけでございます。  結果から申しまして、私ども反省しなければならない点は、宗谷を改造して行ったならば、この観測成功するのであろうという見込みが結果において不可能に終ったということであります。これは結果論から申すわけでありますが、最初の時期におきましては、われわれが観測をすることになりましたプリンス・ハラルド海岸地域気象条件、ことに氷がどのような条件になっておるかということについて、ほとんど知る点がなかったのであります。当時われわれ準備をしておりますときに、少くとも海岸から百キロ以内に到達できなければ観測を実施することはできないだろう、果して百キロ近寄れるかどうかという点については全然資料がございませんので、何とも目安は立たなかったのであります。しかしそれを実施するという点から申しますと、新たに砕氷船を作るという時期的の余裕がございませんでした。従って現在あります船としては宗谷丸という船と宗谷二つしがなかったのであります。その両船についての相当な議論をいたしましたが、結局宗谷海上保安庁にお願いして改装していただいていくということ以外に手はないということになりまして、そういう計画のもとに予算提出いたしました。予備観測のときにおきまして、予算その他の点につきましていろいろと困難がございましたのは、大体どういう装備を持って行っていいかということがわれわれに明確にわからなかったのであります。予算が通過したあとで、実はアメリカに行く、イギリスに行く、オーストラリアに行くというようなことをいたしまして、装備研究をいたしました結果、若干そこに予算不足が出て参りましたけれども、民間の寄付によってこれを補うことができたのでありまして、第一回の予備観測の場合におきまして、隊長、副隊長もわれわれの持っていきたいと思うものを全部持っていくことができたといってわれわれに喜びを申したくらいであります。本観測のときにおきましては、われわれの提出しました予算はほとんど通過いたしまして、その点に遺憾は絶対ございませんでした。ただヘリコプターその他の点等につきまして、購入する予定のところがそうでなくなったという点だけでありまして、実施の面におきましては何らの支障も来たさなかったのであります。そういうような状況でございまして、われわれがこの観測が不成功に終ったその原因を探求してみますと、宗谷砕氷能力以外の装備の点で、これがまずかったから今度の観測ができなかったという点はなかったように思います。これは隊長が帰ってきてからでないとわかりませんけれども、現在までわれわれが入手しておりますいろいろの情報から見まして、そういう点はないと思います。宗谷の点につきましてはやはり結局は砕氷能力、それによることでありますけれども、御存じのようにバートン・アイランド号をもってしても砕氷能力が不十分でありまして、予定計画の二十名を越冬させる、四百トンの荷物を運ぶという計画は実施できなかったのであろうと思います。つまり結果から申しますと、プリンス・ハラルド海岸が過去日本隊以外はまだ上陸し得なかったところであったというのが、初めてわれわれにわかったというわけであります。つまり昨年は幸いにしまして既定計画を実行することができましたが、私どももまだ二年の経験でよくわかりませんけれども、昨年があるいは幸運過ぎたのではないか。ことしのような気候があるいは平常の、つまりいつも通り解氷状態であったのではないかと思うのであります。そういう点、つまりわれわれのプリンス・ハラルド海岸における氷の状態に対する認識が足りなかった点、これはもちろん行ってみて初めてわかることでありまして、これも目的一つなのでありますが、それがわれわれの計画では完全に実施することができないような、それほど困難な状態のものであったということが現在に至ってわかった、こういうわけであります。そういう点につきましてわれわれの計画が甘かったとおっしゃるならば、喜んでその非難をお受けせざるを得ないのではないか。もっとももっと装備をよくしていくべきであったということにいたしましても、二十五年ごとに一回あります地球観測年に間に合うように、その装備を持った船を作るということは時期的にも不可能でございまして、そういう意味におきまして、われわれとしては、現在の日本においてできるだけの装備をして行ったつもりであります。結果から申しますと、ソ連アメリカの船を除きますと、宗谷がその次の装備を持った船でございまして、各国のそれ以外の船もことしは氷に閉じ込められて非常な困難を起しております。そういう点から申しまして、私はこの日本といたしましてできるだけの力を尽したのであるけれども、結果から申しますと、プリンス・ハラルド海岸の氷の状況というものは、それをもってしては不十分であったということを確認したということになったと思うのであります、お答えになったかどうかわかりませんが、これだけ申し上げておきます。
  7. 野原覺

    野原委員 そういたしますと、南極というものが未発見の大陸であるだけに、南極自然条件というものが不明であったということに会長の御意見は集約されようかと思うのであります。つまりきびしい南極自然条件というものが、十分われわれにもわからなかったのだということになろうかと思うのでありますが、そのように受け取ってよろしいかどうか、重ねてお尋ねをしたい。
  8. 茅誠司

    茅説明員 その通りでございます。
  9. 野原覺

    野原委員 このことは、私無理もなかろうかとは思うのでございますけれども、実は予備観測が行われまして、そうして辛うじてオビ号救援によって、予備観測でこの日本に帰ることができたときに、私どもしろうとながらこれを問題にしたことがあるわけであります。私どもだけでなしに国民全体が、南極というものは実におそろしいところだ、しろうとながらこう直感をしたわけであります。その際私どもはいろいろ問題にいたしまして、これはこの次は大へんなことになりはせぬか、ことしはうまくいったけれども、この次はこれはえらいことになるのじゃなかろうかという心配を持ったのでございますが、まあ学術会議というところは専門家のお集まりでございますから、そういう御心配は持たなかったかどうか。南極自然条件というものは実にきびしい、これは甘く見たらいかぬぞということは評論家もいろいろ書いておったようであります。専門家でない評論家意見として受け取られておったのかどうか。あるいはもう大へんなことになる、アメリカ砕氷船でもこれを乗り切ることはできないかもわからないというお考えはかって持ったことはなかったかどうか、この点をお尋ねしたい。
  10. 茅誠司

    茅説明員 お答え申し上げます。予備観測が終りましてすぐにわれわれが問題にしましたのは、このようなオビ号救援を依頼しなければならないような状態を起さずに、本観測をいかにして実施できるかという検討でございました。そのためにケープタウンから隊長は飛行機で帰ったのであります。自来松本船長永田隊長を中心といたしまして、海上保安庁の皆さん並びに学術会議統合推進本部、これらが協議をいたしました結果、はっきりと自信があったとは私は申し上げませんけれども、二月の一日から五日前後の間までが、南極としては最も行動が自由になる時期であろう、それが予備観測におけるわれわれの経験であるということに一致したのであります。その時期に氷海を離脱するということにすれば、再びあのようなことにならないのではなかろうかという点が第一点であります。その上に第一回の経験によりまして、宗谷装備改良をいたしまして、砕氷能力も以前よりは高めたのでありますが、その二つをもってして、それではお前たちは果して自信を持っていたのかとおっしゃいますと、私はノーとお答えせざるを得ないと思います。しかし第一回の観測だけの結果をもって全部を推すということはできませんので、そこに多少の不安はございましたけれども、本観測参加のための計画を進めて参ったのであります。ところが本年は不幸にいたしまして、最初期間に氷に閉じ込められまして、そのまま身動きがとれなくなった。二月の初めになりまして、やっと氷から解放されたというような事態が起り、しかもその上に昨年よりも気象条件が非常に悪かったために、今度のような結果になったのだと私は思うのでありまして、ただいまの御質問に対しましては、要約してお答え申しますと、検討するだけのことは検討し、このようにしたならば、成功するかもしれないという計画は立てたのでありますが、それを自信を持って行なったかとおっしゃいますと、私は自信は持てなかったと申し上げたいと思います。なおそういう場合にお前はどうするかとお尋ねになったとしますならば、これは国際協力事業でございますから、すでにこの南極国際協力観測事業根本原則として、お互い救援し合うということが出ておりますので、そういう場合には救援を依頼せざるを得ないのだ、そういう考えのもとに行なったのであります。
  11. 野原覺

    野原委員 いずれにしても、日本は残念ながら本観測を放棄したわけであります。わが国が本観測を放棄したことによって、国際地球観測年事業にもやはり大きな影響をここで来たしたことは、これは免れなかろうかと思うのであります。御承知のように、アメリカ、あるいはイギリス、ソビエト、ベルギー、ノールウエー、アルゼンチン、ニュージーランド、フランス等々がこの事業参加しておるようでございますが、このように国際地球観測年事業に、日本の本観測放棄というものがどのような影響を来たすものであるのか、これが一つ。もう一つは本観測を放棄した国というのは日本以外ではどこの国があるかということをお尋ねしたい。
  12. 茅誠司

    茅説明員 お答え申し上げます。第一の点でございますが、地球観測年一環として、南極地球物理学的諸現象を同一方法でお互いに時期を同じゅうして測定するという目的のために、最初南極全体にわたりまして基地を選んだわけであります。その選ばれた基地のうちの一つとしてプリンス・ハラルド・コーストがあったのでありますが、日本参加を申し込んだときにはその基地だけがあいておった、そういう実情でございます。それでその基地において本観測を行うことができないということになりますと、それだけ南極全体に関する気象条件、電離層の条件、その他全般が不正確になって参ります。全部がだめになるとは申し上げませんが、そこに穴があきますから、それだけ精密なものにはならない。そういう点で、通俗な言葉で申しますと、穴があいたということになります。  それから私の知っております範囲におきまして、ことし観測をしようとした国で不成功に終った国はないように思うのでございますが、まだ自信を持ってお答えできないのでございます。
  13. 野原覺

    野原委員 そうなって参りますと、これは日本としても、国際的な学術上の大きな責任を実は負わなければならない。日本参加して、日本プリンス・ハラルド海岸のいわゆる昭和基地において南極を見きわめよう、アメリカはこっちからやろう、ソ連はこっちからやろう、そうしてその出た結論を学術的に集約して、南極大陸の本質といいますか、あるいは国際地球観測上のいろいろな現象原因というものを見きわめていこうという、その責任を果すことができなかったということはこれは国際的に見ても、この責任というものは免れることはできない、こういう点で、実は私どもはまた別の角度から心配しておる面もあるわけであります。  そこでもう一度重ねてお伺いしたいことは、この国際地球観測年事業というものは、一体国際的に話し合いが出されたのはいつであったかということです。これはかなり前から、一九五七年から一九五八年にかけてこういった事業をやるという話がなかったかどうか。一体これを日本学術会議が聞いたのはいつであったかという点を、まずお尋ねしたい。
  14. 茅誠司

    茅説明員 お答え申します。地球観測年と申しますのは、御承知通りに今までは五十年ごとに行われてきたのでありますが、その後計測器具が非常に進歩しましたので、五十年ごとにするよりは二十五年ごとに行おうということになりまして、昨年の七月からことしにかけてがちょうど二十五年に当るのであります。その一環として南極地域において観測を行うという仕事は私は専門が少し違いますので正確に記憶しておりませんが、その観測年一環として進められてきましたのは四、五年前からであったと私は思っております。ところが日本といたしましては砕氷船のできたのを持っておらない国でございますので、その方面の地球物理学研究者は全部あきらめておりまして、南極地域観測には入らないというつもりでおったのであります。ところがその後新聞で御承知とも思いますが、朝日新聞等が非常にこれに乗り気になりまして、ぜひやらないか、われわれも全力を尽して後援したいという話もありましたので、われわれも幾分乗り気になりまして、その事業に取りかかったのは——その話が始まったのは三十年の夏からでございます。そうしてそういうことが可能であるかどうかということについてそれまで検討して参りましたが、とにかくある程度の改装を宗谷に加えれば、自信をもって行い得るとは申しませんけれども、できるんじゃなかろうかというので決心をいたしまして、そうして政府の方に学術会議からお願いし、閣議了解を得たのがその年の十一月でございます。
  15. 野原覺

    野原委員 私が最初茅先生反省の点がないかということをお尋ねいたしましたのは、実はこの点もあるわけであります。私どもはこの点が問題だろうと思うのです。南極国際地球観測年事業というものは五十年ごと、あるいは二十五年ごと、これは国際的には実はかなり前からきまってきておる。ところが日本参加しようときまったのは、記録によりますと、昭和三十年十月二十五日の閣議で決定をされておるようであります。ブラッセルの会議参加したのが、私の調査では三十年九月八日ということになっておる。そうして十月二十五日閣議で正式に参加を決定しておる。そうして日本事業としてやることをきめておるようであります。そうして二十一年には出発をしておる。三十一年から三十二年にかけて準備期間が一年しかない。突如として、こういったおそろしい自然条件南極大陸観測を国際的に責任を持ってやろうという国が、こういう短かい期間準備で一体できるかできないか。私はこの点について、これは一体政府責任であるのか、あるいは日本学術会議というものがうっかりしていらっしゃったのかどうかは知りませんけれども、実は遺憾な点がここに一つあるように感ぜられてならぬのであります。やはり日本参加しようというならば、海軍がないのでございます。しかし日本は戦争に負けて相当痛めつけられておるわけであります。船舶その他については世界的に優秀であるとはいいましても、優秀な観測船を作るためには一年や二年はたっぷりかかるでしょう。そういうような準備に欠くる点がなかったとは茅先生としてはお考えでございませんか。重ねてお尋ねしたいと思います。
  16. 茅誠司

    茅説明員 私は結果から申しますと、今おっしゃった通りだと思います。もしもわれわれがこういう結果を知っておったとしましたならば、この企てはしなかっただろうということは、結果から申せばはっきり申し上げられると思います。ただ言いわけになってまことに申しわけないのでありますが、その当時われわれは、場合によりましてはこの装備をもっていけるんじゃないかという点を望んでおったわけでありまして、その点普通の科学的な計画とは違っておったのであります。つまり未知の土地に入って行く、その未知条件というものがさっぱりわからないものですから、その場合にわれわれとして国の予算や、たとえばグレイシャー号的の船を一そう作るとしますと、三年の年月と約四十億円の金がかかる。それほどの費用を国にお願いしてまでこれをすべきものかどうか、幾分そこに不安があっても、宗谷の改装でいくのではないかというふうに考えたのでありますが、今日となってみますと、これが実行できなかったという点では今おっしゃった通りであると思います。
  17. 野原覺

    野原委員 放棄したのが日本だけだということになりますと、私どもの納得できないことは、日本の向ったその海岸自然条件というものだけがきびしかったかということが一つの疑問として残るのであります。これが一つ。  もう一つは、私おそらくそうじゃなかろうかと思うが、プリンス・ハラルド海岸の突破口が見つからなかったということは南極のやはりその他の面においてもあったに違いない。先ほどの茅会長の御答弁によりますと、日本宗谷というのはアメリカに次いでの優秀船だ、こういうことで、これも実は得心ができぬのでありますが、一体その他の国は放棄していないとすれば、船が非常に貧弱でありながら放棄しなかったということは、計画とか準備とかその他の面においてもやはり十分なものがあって、日本に十分なものがなかったのじゃなかろうか、こういう疑惑を持つのでございますが、その辺はいかがお考えでございますか、お伺いしたいと思います。
  18. 茅誠司

    茅説明員 お答え申し上げます。日本以外の国が全部基地に入ることができて、日本だけが基地を放棄せざるを得なかったということは、これはまことに残念なことでありますが、私がここに御参考のために申し上げたいと思いますのは、二十四日に風が吹かなかったら観測が実施できたということであります。そういうことを科学者が言うのはおかしいじゃないかとおっしゃられればまことに申しわけないのでありますが、そういうチャンスが可能にするかしないかというせとぎわでありまして、われわれあらかじめ未知の土地に対して勘定に入れておくことができなかった。それからいま少し申しますならば、最初は二十名を残したいというので非常な努力をいたしましたが、逐次それを縮小して参りました。その小さな計画だけを最初から実行しようとしましたならば、あるいは実行できたかもしれません。いろいろのことが考えられるのでございます。そういう点について、これも一つの踏み石だと思うのでありますが、こういう失敗が成功のもとになるので、それを私申し上げるのは非常につらいのでありますけれども、そういうことでありまして、ことにことしの風向きが、つまり氷を吹き散らす方でなく、氷を固める方にばかり吹きまして、昨年のような氷を海岸から追いやるような方向に向って吹かなかったということが、つまりことし成功しなかった一つ原因なんでありますが、そういうことのためにその風の方向がちょうどプリンス・ハラルド海岸、リュッツオフ・ホルム湾の氷を外から中へ中ヘと押し寄せる結果となりまして、ついにアメリカの船をもってしてもどうしても中に入ることができない。百キロ以内に近寄ることができなかったということであります。ところが南極全体が全部そういう悪条件であったのかどうか、これは詳しい情報がないからまだわかりませんけれども、しかしたとえばノックス・コーストというオーストラリアの南部基地等は、ことしは非常に氷が少くて、海岸が露出しておった。ですからどんな船で行っても、砕氷船でなくても基地を設営することができた。結果から申しますれば、これも——大体茅という男は卑怯なことを言うとおっしゃるかもしれませんが、不幸にして日本観測基地が非常に悪条件下に置かれた、ほかの観測基地はそれほどでなかったということでありまして、その点日本宗谷アメリカソ連の船に次いでの船であったにもかかわらず、日本だけが基地を放棄せざるを得なかったということになったのであります。  ちょっとお尋ねがありました、果してアメリカソ連以外の船に比べて、日本の船が優秀であるかどうかということは、これは正確なデータに基いているものではありませんが、大体トン数、砕氷能力等から申しますと、われわれはそういうふうに考えられるので、申し上げたわけであります。
  19. 野原覺

    野原委員 宗谷の優秀であるかどうかということは私ども専門家でありませんからよくわかりませんが、新聞に発表された砕氷能力等を比較してみますと、何も世界第三位になっていない。これはかつて三大海軍国であったかもしれませんけれども、今日の宗谷は私はたとえばオビ号とかパートン・アイランド号、こういう船に次ぐ優秀な船であるとは実は思えない。これは新聞の記事だけによってであります。島居海上保安庁長官はどう考えていらっしゃるか、それほどの優秀な船であったのかなかったのか、御意見を承わりたい。
  20. 島居辰次郎

    ○島居政府委員 私どもで、外務省を通じて南極にあります砕氷船調査したのでありますが、それによりますと、先ほど茅さんからお話がありましたように、アメリカソ連を除きますと、豪州にサダン号というのがありますが、トン数が二千百トン、機関部出力は二千二十馬力で、ビーバー一機持っておりますが、これにしてもトン数においても宗谷よりもはるかに小さいのでありまして、これまた当時昭和基地の東約六百海里のところで同じく閉じ込められておったのであります。それからベルギーでございますが、これはノルウエーから用船した船だと思いますが、これは二隻ございまして、ポーラハブ、ポーラーシルケルという二隻でございます。総トン数はポーラーハブが六百トン、ポーラーシルケルが五百四十九トンでありまして、いずれも機関部出力が千二百馬力でございまして、砕氷能力は、このくらいの馬力ではほんとうは砕氷能力は出ないと思うのでありますが、それにしても多少多く見積っても一メートルというふうに聞いております。これはこんなに出ないと思いますが、そういうふうに言ってきております。大体以上でございますが、こんなものと馬力数あるいはトン数を比較しましても、宗谷の方が能力はあるというふうに感じられると思います。
  21. 野原覺

    野原委員 そうなって参りますと、統合推進本部の部長、あるいは会長が答弁できなければ大学局長でもけっこうでございますが、宗谷プリンス・ハラルド海岸にずっと突入して、昭和基地に上陸するといったような、上陸時期の計算のそごということも考えられる。これはいかにきびしい自然条件でありましても、各国は二千トンという宗谷よりも劣ったみすぼらしい船で放棄をしていないということになると、そういった総合的な計画、一体何月何日に出発して、南極プリンス・ハラルド海岸の自然現象はこうなるであろうからといったような上陸時期等の計画上のそごが、推進本部にあったかなかったか、この点はどう考えていますか。予備観測と比較してどのように今日反省しておるかお伺いしたい。
  22. 緒方信一

    緒方政府委員 本観測におきまする宗谷行動計画につきましては、予備観測経験をもとにいたしまして、もちろん船長、隊長等の意見も十分伺いまして、統合推進本部会議におきまして慎重に検討してきめたわけでございます。その検討の結果は、予備観測におきまして、御承知のように予備観測越冬隊を上陸せしめましたあと、帰ってきます際に、昨年は氷に閉ざされまして困難をいたしました。そういう関係を十分参考にいたしまして、本年は二週間ほど行動計画を繰り上げまして、早期に現地に着きまして、そうして現地におきまして行動する期間も十分余裕を見、そうして去年から比べますと、早く現地に接岸いたしまして、そして作業を終って早く引き揚げてくる、このことが予備観測経験からいたしまして適当であろうという結論になりました。二週間ほどの繰り上げをいたしまして行動計画を組んだのございます。これは先ほど申し上げましたように、予備観測経験、関係者の十分な意見等も聞きました上で決定いたしたような次第でございます。
  23. 野原覺

    野原委員 茅先生が非常にお急ぎのようでございまするから、茅先生にだけ若干のお尋ねをしてお帰りいただきたいと思いますが、茅先生お尋ねしたいことは、このように日本が本観測を放棄した、あるいはまたその他の国においても十分な観測ができていない、こういう事態になって参りますと、国際地球観測年というのは一年くらい延期されるのではないか、そういう考え方を私どもは持つのですが、その見通しは一体どうか。それからもし延期されるということになりますと、一九五九年度も国際地球観測年に繰り越される、こういうことになって参りますと、一体わが国は一九五九年の観測というものについてはどう対処されるつもりであるか、この点をお伺いしたい。
  24. 茅誠司

    茅説明員 この点につきましては南極地球の観測の国際会議が二月の初旬にへーグで開かれまして、日本からも永田隊長の代理といたしまして力武氏が出席いたしました。その結果これはインターナショナル・カウンシル・オブ・サイエンティフィック・ユニオンという国際学術会議がありまして、それの催しでございますが、それが各国政府あと五カ年観測を続けてやることを勧告するということになったのであります。この場合日本としてはどういう態度をとったらよいかということを、実は力武助教授が出席しますときに審議したのでありますが、これはなかなか複雑な問題がございますので、日本としては意思発表をしない、ただ様子をよく見てくるということで出席したのであります。なぜこれを延ばすかと申しますと、日本の場合をもってしてもおわかりになりますように、設営のために非常な金をかけてまだ観測のデータがあまり得られていない、これから観測を続ければ設営の方はもうほとんど金が要らないのに、観測の結果はどんどん上ってくる、地球現象は十一年をもって周期といたしますので、ほんとうの専門家に言わせますと、あと十一年やりたいというのでありますが、この国際学術連合は五年を勧告しているのであります。この問題を私どもとしてはどういうふうに考えておるかと申しますと、もちろん学者の集まりはほかのことを何も考えなければやりたいのだ、これは予算のことも宗谷のことも、そういうことを何も考えない、ただ学者という立場からだけ申しますと、ぜひやりたい、これは当然のことでありまして、それはすでに学術会議特別委員会を開いてその結論は得ております。しかし何分にも考えてみますと、予算の問題も大へんでございますが、さらに宗谷をもって再び行くということになりますと、先ほどからのお話にもありましたような事柄が出て参ります。容谷以外の船をもってすることができるかと申しますと、これもまたちょっと、時期的な問題として考えられないというような点がございますので、そういう点につきましては、隊長が帰って参りましてからよく相談した上、どのようにするかということを考えたいということになっております。
  25. 野原覺

    野原委員 その辺が私はどうも納得できないのですね。隊長がお帰りになるのは、五月ごろですね。ケープタウンから飛行機で帰りますと、何月になるかお尋ねしたい。
  26. 茅誠司

    茅説明員 三月の中ごろには帰ってくると思います。
  27. 野原覺

    野原委員 隊長がお帰りになってから十分な報告を聞いて計画されるということも必要でございましょうけれども、実は昭和三十年十月の閣議決定で着手した。何だかしらん、各国に比較してどろなわ式の感を免れない。そういう点から考えても、来年観測をやるならやるという腹がまえくらいは、文部省なりあるいは学術会議なりが固めていらっしゃるに違いないと思っておる。隊長が帰ってから一切の相談をするんだ、こういうことではなしに、国際地球観測年が延期になる、日本昭和基地には相当な金をかけて、今日十六億円くらいの国費を投じておるわけであります、三カ年計画で。十六億円の国費はむだになるのです。しかも日本がやはり責任を分担する、これはブラッセルに行って引き受けて帰ってきておる以上は、あくまでもこれをやらなければならぬということであれば、やるんだ、やるんだけれども、こまかい計画隊長が来てから相談をするんだ、聞いてみるんだ、こういうことならわかるけれども、やるのかやらぬのか、この際に至ってまたもとに戻って、一切を御破算にするのか、そういうようなお考えではなかろうと思うのですが、茅先生いかがですか。
  28. 茅誠司

    茅説明員 地球物理学研究に従事しておる一人の観測者の意見は、ただいまおっしゃった通り意見になると私は思います。実際国際観測に協力することを約束しながら、そういう成果を得られなかったということについては、われわれ反省せざるを得ないのであります。そうでありますけれども、しかしわれわれの経験では、必ずしもわれわれの希望が実現されるとは限らない、今までの経験から申しましても、われわれがいろいろの考えを持っても実現困難である場合がたくさんございますので、そういうことも頭に入れて、ただ単にやりたいんだというようなことは、学術会議としてすぐに結論が出ないのであります。ただ先ほど申しましたように、学術会議特別委員会としまして、われわれは続けたいという考えは結論としては出ておる。ただそれだけでもってできるとはわれわれは考えませんので、それ以上のことは統合推進本部等の会議におまかせするということにしておりますが、学術会議はやりたいということははっきりと出ておるのであります。
  29. 野原覺

    野原委員 その他の点は統合推進本部なり、島居保安庁長官にお尋ねしたいと思うのでありますが、もう一点だけ茅会長にお聞きしたいのです。それは国際地球観測年事業としては、先生も御承知のように、国内観測南極地域観測二つに分れておるのです。私は三十一年度から本年度の予算をずっと調べてみたのですが、たとえば三十三年度におきましては国内観測用として四億五千五百万円、南極観測としては二億一千五百万円、三十二年度は、国内観測は三億七千三百万円、南極は四億七千七百万円、こういうようにとっておるわけでございますが、そのバランス上は、必ずしも南極観測だけが国際地球観測になっていない。これはやはり地球全体の観測でございましょうから、このバランスに欠けるところがないかという批評がよく聞かれるわけです。国内観測というものはこの程度の予算で十分であるのかないのか。専門家意見を聞きますと、たとえばロケットによる観測その他いろいろな面において資材不足研究不足、いろいろなことが言われておりますが、会長としてはどのように考えておられますか。もし不足であるとすれば、その点の予算要求というものを政府に出されたことがあるのかどうか、この点を伺いたい。
  30. 茅誠司

    茅説明員 ただいま御質問になりました、南極地域における観測予算地球観測年全般の予算とのバランスはどうかという点についてでありますが、私は実はそういう目でもってこれを検討したことはございません。ですから、バランスがとれているとか全然とれてないとかいうことはお答えできないことは、はなはだ残念でございます。しかしこの地球観測年全般の予算が足りないのじゃないかとおっしゃいますと、私は足りないと申し上げます。しかしわれわれの大学の研究自体はなお足りない。こんな足りない中でもって地球観測年だけよくやってほしいと研究者は言えないのであります。私は地球観測年よりも大学の研究の方がなお足りないということをはっきり申し上げます。
  31. 野原覺

    野原委員 実は茅先生、文部省はよくこういうことを言うのです。今回の国際地球観測年事業についての予算というものはあなたの方から要求された予算を十分出しておる、こう言って大みえを切るわけです。そうなって参りますと、私は問題があると思うのです。あなたはやはり学術会議会長でございますから、予算要求というものは、政治家の立場にお立ちにならないで、日本学術振興させなければならぬと、こういうお考えでなさるべきじゃなかろうか。あなたは一体どれだけの予算を要求されたのか。この国際地球観測年事業に対してはどれだけの希望を文部省に漏らしておるのか。あなたの希望が百パーセントいれられておるのかどうか。その御希望はどの程度いれられて三十一年度から三十三年度までの予算になっておるか、その辺をお聞かせいただきたいと思うのです。
  32. 茅誠司

    茅説明員 先ほど申し上げましたように、私は地球観測年全般につきましては責任者でございません。つまり地球観測年委員長ではございませんから、その予算全面にわたりまして自分でもって検討したことはございません。しかし足りないという意味は、提出するときすでにわれわれとしてはたとえばロケットの問題等におきまして、われわれの思う通りを出そうという意欲がないわけです。意欲がないと申しましては失礼でございますが、つまりどうしてもほかとのバランスを考えますために、そう法外な費用をロケットだけに使うことは考えていない。そういう意味において私は非常に足りないということを申し上げておるのであります。しかし提出いたしました予算等につきましては、ずいぶん文部省等にも努力していただきまして、ある程度実施できる段階にきていることは確かであります。ですが、それをもって十分と言えるかということになりますと、私は必ずしも十分とは言えない。ただ大学と比較しましたのは私政治家じゃないんですが、大学があまりに貧弱なので、皆さんの御同情を得たいというわけでこの機会を利用したわけです。この点を御了解願いたいと思います。
  33. 野原覺

    野原委員 茅先生に対する質問はこれで終りたいと思うのですが、本文教委員会は、たとえば自民党でも社会党でも、科学技術の振興その他については非常な努力を払っておるわけです。実はこの文教委員会に対して要望されるよりも、むしろ今日の文部省、これがどうもよくない。これはよくないというのは、科学技術の振興ということを文部大臣は盛んにその劈頭に掲げておるのです。ところが科学技術の振興ということを掲げていらっしゃりながら、たとえばことしも昭和三十三年度の予算に科学技術の振興がどういう形で出ておるか。まことに私どもは遺憾にたえない。実はこの文教委員会というのはこの国会が始まってから二回か三回目の委員会でございますから、私どもこれらの点を分析はしておりますけれども、まだ政府には申し上げていない。だからそういう点でこれは茅先生にお願いしたいことは、今度東大の総長にもなられましたし、日本学術会議の最高の権威者であり責任の地位に立っていらしゃるわけでございますから、科学技術振興費というものはどしどし政府に要求してしかるべきだと私は思う。これは御承知のように科学によるにあらずして日本が生きていくことはできないのです。だから先生があまり政治的な立場に立たれて、日本予算はどうだとか、文部省は政府の中でも一番へっぴり腰で弱いのだ、こういう御心配をなさらないで、先生の理想的なお考えでどしどし要求されるように、私からもこれは先生にむしろ希望したいと思うのです。科学技術特別委員会から何か参考人として先生をお呼びであるようでございますから、私は茅先生に対してはこの程度で終りたいと思います。
  34. 茅誠司

    茅説明員 お尋ねになったのではございませんが、私からこの機会を利用して申し上げさせていただきたいと存じます。と申しますのは、私は本年度の予算におきまして科学技術を振興させるキー・ポイントはどこにあるかと申しますと、大学の講座研究費を増額することにあると確信したのでございます。それはどういう点によるのかと申しますと、戦争前の昭和十一年から十四年にかけての平均は、実験講座の研究費が約一万円でございました。今日では三百七十万円ということになります。それが現在では九十七万円でございますから、約三・一五分の一に当ります。大学の学長をしております者が、大学ばかり言うのははなはだ気がひけるのでありますけれども、しかし優秀な研究者のほとんど大部分は大学におります。この大学の研究者がよく働けるようにしていただくことを除いて科学技術の振興はないと私は確信するのであります。にもかかわらず現在九十七万円で、この九十七万円という金のうちの二十万円程度が私の場合などでは実際の私の研究費になって参ります。これは多い方であります。あとは光熱、暖房、図書その他大学の中の道路の整備等にも使われる金であります。そういうわけでわずか二十万円ほどの研究費しかない私のところには、大学院の学生、助手その他を含めて十五、六人おりますが、一月に一万何千円の研究費でやっておるということであります。それをもってして科学技術を振興させるとおっしゃってもできるはずがない。それをよくしていただくことが大事だと思います。本年はそれを八割増していただく。ですから八十万円増していただく。来年は九十万円増していただく。再来年は百万円増していただくと、三カ年計画で戦前に戻ります。戦前にまでしていただいて初めてほっと一息ついて、さて外国にどう追いつくかということになるかと思うのであります。ところが本年は八十万円という予定が十六万四千円上っただけでありまして、これはずいぶん私も皆さんにお願いしたのでありますが、ついにこれだけにとどまってしまいました。この委員会に出席させていただきまして、南極のことをお答え申し上げましたおかわりに、一つ皆さんの御努力を願いたいと思うのであります。
  35. 山下榮二

    山下委員長 茅会長は科学技術振興特別委員会の方から参考人として出席を要求されておりますから、茅会長にはそちらの方においでをいただくことにいたします。もし茅会長にさらに質問がございましたならば、後刻お願いをすることといたしまして、これより政府委員に対する質疑を続行していきたい、こう考えます。茅先生ありがとうございました。  それではこれより政府委員に対する質疑をお願いいたします。野原覺君。
  36. 野原覺

    野原委員 統合推進本部お尋ねをしたいと思うのですが、今度の宗谷がああいったような結果になりましてから、推進本部としては総会なり何なり会合を持って今日の事態に対処する対策、あるいはいろんな反省の会合を持たれたかどうか。これをお聞きします。
  37. 緒方信一

    緒方政府委員 統合推進本部におきましては、宗谷が非常に困難に陥りまして以来、たびたび緊急連絡会議を開きまして、現地からの報告等を検討し、現地に申し送るべき点は申し送る、さようなことをやって参りました。さらにまた、今総会を開いたかというお話でございますが、総会も一回開きまして、緊急連絡会議において処理しました事項等につきまして十分報告をし、了承を得ることをやっております。何しろ非常に緊急な事柄が多いものでございますから、そのつど一々総会を開くいとまもございませんので、臨機の措置としまして、緊急連絡会議という形でやったのでございます。それから宗谷が現地を出発して帰航につきました以後におきましてはまだやっておりません。機を見て総会を開きまして、いろいろと検討をいたすべき事柄が多いと存じております。
  38. 野原覺

    野原委員 とにかくいろんな人がいろんな批評をすることは自由ですから、いろんなことが言われておるわけでありますけれども、その言われておるいろんな意見を集約してみると、こういうことが一番多いですね。どうも今度の南極観測というものは背伸び観測だ、日本の国力に分不相応な観測じゃないか。茅先生いらっしゃいませんが、日本の今日のあらゆる科学その他いろんなものを総合した国力から考えてみると、どうも無理があったのではないか。今度の国際地球観測年参加するには無理がなかったかどうか。こういうような批判が非常に多いわけです。こういうことについての御意見というものは今日、推進本部にはないかどうか、どう考えておるか、こういう批判に対してはどういうお考えを持っておられるか、お尋ねします。
  39. 緒方信一

    緒方政府委員 先ほど茅会長からるる申されたのでございますが、問題は宗谷のことが中心であろうと存じます。これにつきましては先ほどもお話がありましたように、話が相当前からあったのでございますけれども学術会議において正式に参加を決定いたしまして政府に要望されたのが三十年の十月で、十一月に閣議決定で国としてこれに参加を決定いたしております。そしてそれと同時に統合推進本部を設定することを決定いたしております。正式に国として準備に取りかかったのはそれからでございまして、先ほども申されましたように、非常に大規模な砕氷船を建造することは時目的にとうていゆとりがなかったという状況でございます。それからそのほかの準備につきましては、学術会議南極特別委員会が設けられまして、観測部門、設営部門にわたって多数の専門家を網羅いたしまして、諸般の準備について検討され、学界のその関係の総力をあげて準備を進めてきた、こういう状況でございますので、本観測越冬隊を揚げることができなくなった今日におきましてはいろいろと反省すべきこともあると存じますけれども最初から準備に取りかかって参りました統合推進本部といたしましては、最善を尽してやってきた、かように考えております。
  40. 野原覺

    野原委員 犬を十五頭残しておりますね。これがいろんなことで愛犬家協会あるいは国民の各層からかわいそうじゃないかという声が上っておる。これを残したのは運び切れなかったのかということが一つ。もう一つは本観測にやはり犬は要りますね。だから予備観測越冬隊の方々がお引き揚げになるときは、次には本観測の人が入っていかねばならぬのだから、そのときに使うために残してきたのかということが一つ。これはどちらですか、お尋ねします。
  41. 緒方信一

    緒方政府委員 これは現実の問題としては運び切れなかった結果だと存じます。御承知のように、最初バートン・アイランド号の援助によりまして、基地から百キロ余りの所まで近づきまして、そうして最初にやりましたことは十一名の予備観測越冬隊の収容でございました。それからなお引き続いて本観測越冬隊を揚げることに努力いたしましたが、ビーバーの飛べる気象条件がございませんで、あすこは引き揚げてきたわけでございますけれども、その間におきまして、御承知のように子犬八頭、親犬一頭、九頭を収容して参りました。これが私はその当時の精一ぱいの作業であったと存じます。報告によりますと、飛行機の燃料をぎりぎりまでおろして、そうして犬を積んできたということを言って参っております。でございますので、私はそれが精一ぱいの救出の力であったと存じております。それからなおそのあと、その場所を出まして、東の方に適地を求めて最後まで越冬隊の上陸のために空輸の努力をいたしたのでございますけれども、冒頭に御報告申し上げましたように、結局天候、海上の模様等に恵まれませんで、飛行機を飛ばすことは一回もできなかったのでございます。従いまして犬を救出してこようと思いましても、その力がなかった、そういう機会に恵まれなかったというのが現実の姿でございます。
  42. 野原覺

    野原委員 そうなると、南極昭和基地に残してきた資材、食糧、そういうものはどの程度ですか。これは全部運び出すことができなかった。辛うじて予備観測の方々だけお引き揚げになったと、こういうことでありますが、ずいぶんな資材、食糧というものがあったはずです。これはどの程度残されておりますか、お尋ねします。
  43. 緒方信一

    緒方政府委員 運び出して参りましたものは、まず観測資料でございまして、これは報告によりますと、一トン半ほど持ってきたということになっております。これはまだ帰ってみませんとよくわかりませんが、そういう報告が参っております。そのほか資材は結局基地に残してこざるを得なかったわけでございますけれども、全体の資材といたしまして、建物、いろいろな観測機械等もございますが、ただいまのお話は食糧等についてのお尋ねのようでございます。食糧は初め十名の越冬隊考えたわけでございますけれども、十一名に対しまして主食は一年分、それから脂肪、蛋白質等は六カ月ないし七カ月分くらいある、かような報告でございました。あとでだんだん越冬隊計画を縮小して参りましたので、縮小した計画においては十分一年間を過ごせるという見通しはその当時はつけておったわけであります。このような資材は、結局基地に残してこざるを得なかったわけでございます。
  44. 野原覺

    野原委員 これから先、永田隊長のお帰りになるのはわかったのですが、ケープタウンに回って宗谷日本に帰ってくるまでのいろいろな観測その他のお仕事もあろうと思う。その予定計画、そういうものはどういうことになっておるか。
  45. 緒方信一

    緒方政府委員 ただいまのお尋ねは帰ってくる途中におきまする観測計画等についてでございますか。
  46. 野原覺

    野原委員 帰ってくるまでの予定です。観測その他日程も入れて下さい。
  47. 緒方信一

    緒方政府委員 観測につきましては、帰る途中におきましても船上におきまする可能な観測は全部やって参る予定でございます。特に重力観測につきましては、ケープタウン、シンガポールにおきまして上陸いたしまして観測をいたします。船上におきまして可能と思われますことは極光、夜光、気象あるいは地磁気等の観測で、これは続けてやってくる。海洋調査等も行われることと存じます。  それから日程でございますが、これは宗谷のスピード等の関係もございまして、まだ正確に申し上げかねるわけでございますけれどもケープタウンに入りますのが大体三月の十日から二十日くらいの間と見なければならぬと存じます。それからシンガポールに四月中旬くらいに着きまして、東京に着きますのは五月の初めであろうかと考えております。
  48. 野原覺

    野原委員 これで質問を終りたいと思いますが、最後に私は宗谷松本船長以下乗組員の皆さんが非常な御努力をされたであろうということに対して、心から敬意を表したいのであります。特に私は朝日新聞掲載の松本船長の電報「天候および海上は風波次第に悪化し、遂に第二次越冬隊空輸計画をここに断念し、誠に遺憾ながら当海域を離脱するのやむなきに至り、二十四日正午ケープタウンに向け南極海を発つ。」云々という短かい電文が掲載されておりますが、このきびしい自然現象の中で悪戦苦闘をされて全力を尽されたことに対して、私どもは感謝と敬意を表するにやぶさかでありません。ただ遺憾なことは、国民が期待し、国際的にも責任のあった本観測が遂行することができなかったことであります。この点については統合推進本部としては十分なる反省をされなければならない。三十年の十月に閣議決定をして三十一年には船出をするといったような、そういうどろなわ式に問題があったかなかったか、予算その他に問題があったかなかったか、鳥居海上保安庁長官宗谷は優秀船だ、こう申されますけれども予備観測ではオビ号に導かれたのであります。今度はまたアメリカにすがったのであります。国際地球観測年事業というものは国際的な事業でありますから、その国でできない場合は他国が救援する、そういう規定は確かにあるでありましょう。しかしながら、ことごとに他国にすがり、他国の足を引っぱるというような、こういう計画、こういう準備その他に果して問題がなかったかどうか、そういうずさんな準備、ずさんな計画のもとに、かりにやられたとしたならば、永田隊長に対しても、松本船長以下の乗組員の皆さんに対しても、あるいは国民全体に対しても申しわけないことになりはせぬか。こういう点で南極観測統合推進本部というものは、一切のことをあらゆる角度から検討して、もし来年この観測事業が延期されて日本参加する、こういう事態に至ったならば、このようなことがないように、万般の態勢をとって、帰ってくるならば日本の独力で帰ってきてもらいたい。私はアメリカにすがったり、ソビエトにすがったり、そういうことをしないで独力で帰ってくるということも考えた上で計画に着手されるように要望をしたいと思います。  以上で私は終りたいと思います。
  49. 小林信一

    ○小林(信)委員 今の問題に関連して二、三承わりたい。今度の南極における観測というものはそれぞれが単独に行うのではなくて、あの周辺に陣をしいております各国の観測が総合されて一つ目的を達するというふうにわれわれは聞いているのですが、そういうものであるかどうか。とするならば、昭和基地もその一つを担当しているようなことにもなるわけですが、そうすると、日本昭和基地における観測は来年も継続されることになるだろうと思う。そこで全体の観測に対して不足する部面が出れば、これは大きな問題でもあるわけですが、そうなると、日本責任というものは非常に大きくなるわけです。そういう点を少し御説明願って、そしてそれに対してできない場合には日本としてはどういうふうな責任をとらなければならぬかというところを御説明願いたいと思います。
  50. 緒方信一

    緒方政府委員 今の問題は先ほど野原なんの御質問に対しまして茅会長からお答えしたのでございますけれども、お話の通り、この南極観測事業は国際的な協力のもとにIGYの一環として行われるわけでありまして、私聞いておりますところでは十一カ国がこれに参加し、本観測ではたしか四十四個所の基地が設けられた、かように聞いております。そこで日本が担当いたしておりますリュッツオフ・ホルム湾の地帯は特に宇宙線現象観測には最も好適なところのようでありまして、そこで本観測が行われないということはその限度において、先ほどもお話がありましたけれども、そこに穴があくという結果にならざるを得ないと存じます。ただしかし、予備観測の一カ年の越冬におきます観測、あるいはまた宗谷船上におきます調査観測、特に今年はリュッツオフ・ホルム湾で宗谷が非常に悪戦苦闘をしたわけでございますが、相当長い期間あそこにとどまったわけであります。その間におきます観測の資料はやはり相当の価値のあるものだと存じます。予備観測の資料につきましては一年間の越冬の結果が近く持って帰られるわけでございまして、これは持って帰られた上で検討しなければならぬわけでございますけれども、昨年の予備観測におきます船上観測だけでも相当な資料が集まったということでございます。先ほども説明がありましたように、ここは全く前人未踏のところでございますので、これだけの観測でも私は相当学術的な成果は期待できると考えております。しかしながら、先ほど申し上げましたように、本観測越冬ができませんその限度におきましてはそこに穴があくわけでございまして、当初の計画からそれだけ欠陥ができますことはまことに遺憾であると存じます。
  51. 小林信一

    ○小林(信)委員 私はおくれてきましたので、茅会長のお話を承わっておらなかったので重ねるようなことになるかもしれませんが、もう一つお伺いしたいのは予備観測というふうなものからの反省もあり、本年度は担当それに対する準備等もして行ったということを聞いておった。ことに他国の科学技術よりも優秀なものを日本も持っているはずなんですが、今度はそういうふうな機械等も整備されて行ったということも聞いているわけです。しかしそういうものが使用不可能になってしまって、ほかの国よりも特に優秀な技術と機械とを持って、しかも総合された形のもとで観測されなければならぬそのところに穴があくということは、これは国際的に見ても非常に遺憾だということになるわけなのです。そういう点から考えれば、私は政府におきましても、あるいは学術会議におきましても、現に日本の財力が少いからとか、あるいは諸条件が備わらないからということで、簡単にこの問題を放棄できないと思うのですが、相当やはり大きな決意というものは世界的な国際的な使命として持たなければならないことだと思うのです。何か非常に今までの経過から考えて、国自身が押しつけられておるような感がするのですが、もう少しそういうことを考えれば相当な決意をすべきだと思うのです。  その点と、もう一つお伺いしたいのは、日本が与えられた昭和基地というものは非常に接岸に困難なところだった、もっといいところがあるということを聞いておるのですが、やはりこういう点は日本では勝手に選ぶことができなくて、何か日本としてそういうところに回されることが宿命的なことであるような感もするのですが、その点はどうですか。
  52. 緒方信一

    緒方政府委員 観測基地の場所の選定につきましては、国際会議におきましてこれがきめられたわけでございます。きめられましたいきさつにつきましては、各国におきましてこれは数年前からすでに南極観測事業が行われておりまして、相当数の基地が設定されておったわけでございます。これをなるべくまんべんなく基地を設定してやりたいというのが国際的な事業でございますので、日本に対しまして、各国がすでに設けております以外の土地につきまして、国際会議で推薦があった二、三の候補地がございましたけれども、結局一番間のあいておりますリュッツオフ・ホルム、しかもここは先ほど申し上げますような観測の土地としては非常に適当な土地であるというようなわけで、ここが選ばれたような次第であります。つまり各国がすでに行なっております以外のあいておるところが日本に割り当てられた、そこがりュッツオフ・ホルムである、そういうことであります。
  53. 島居辰次郎

    ○島居政府委員 先ほど野原先生からいろいろお話を承わりまして、まことにありがたく存ずる次第でございます。  最初予備観測よりもわれわれといたしましては金と時間の許す限り全力を尽してやりましたし、また現地の乗組員諸君も全力を尽してくれたと思っておるのであります。しかしこういう結果になったことはまことに残念でございまして、いろいろ御注意はまことに感謝にたえないのでありますが、十分今後考えなければならぬかと思っております。またそれにもかかわらず先ほどは現地の人たちに対しまして大へんありがたい御慰労のお言葉をいただきまして、これまた感謝にたえません。ありがとうございました。きょうあたりからいよいよ暴風圏に入るわけでございます。あの傷ついた姿で全員が宗谷を見守りながら一生懸命やっておると思っております。御趣旨のほどはさっそくきょう帰りまして、無電でもって現地の人に知らしてやったらどれだけ喜ぶかと思っております。まことにどうもありがとうございました。
  54. 山下榮二

    山下委員長 それでは皆さんに御相談申し上げたいと思うのですが、大臣がほどなく見えるらしいのですが、宗谷の関係等でまだ大臣に対する質問が皆さんにそれぞれあるそうですから、大臣がお見えになるまで、この問題を一時やめておきまして、政務次官も見えておりますから、政府の方から提案されている法案に対して御説明でも伺ったらどうだろうかと思うのですが、いかがでしょうか。
  55. 山下榮二

    山下委員長 御異議がないようでございますから、さよう決します。     —————————————
  56. 山下榮二

    山下委員長 それでは国立学校施設法の一部を改正する法律案を議題といたします。臼井政務次官よりその趣旨説明を聴取することといたします。臼井政務次官。     —————————————
  57. 臼井莊一

    ○臼井政府委員 このたび政府から提出いたしました国立学校設置法の一部を改正する法律案につきまして、その提案理由及び内容の概要を御説明申し上げます。  この法律案昭和三十三年度における国立大学の学部及び大学院、国立短期大学並びに大学附置の研究所の新設等について規定するものであります。  まず、国立大学の学部の新設につきましては東京大学に薬学部を設置し、国立大学における薬学教育の一そうの充実をはかろうとするものであります。  第二は大学院の新設に関するものでありまして、弘前大学、信州大学及び鳥取大学の三大学に大学院を置き、医学に関する教育研究の進展をはかるために医学研究科を設置することといたしたのであります。  第三に、国立短期大学の新設につきましては、科学技術振興一環として、中級工業技術者の養成のため久留米工業短期大学を、また貿易従事者等の語学教育に資するため大阪外国語大学短期大学部を設置することといたしました。  第四に、大学附置の研究所の新設等につきましては近時急速に発展しつつある専門分野の研究の促進をはかるため、まず東京大学の理工学研究所を転換して同大学に、新たに航空研究所を、東京工業大学の建築材料研究所及び窯業研究所を統合して同大学に、新たに工業材料研究所をそれぞれ設置し、また共同利用の研究施設として大阪大学に蛋白質研究所を新設することとしたものであります。以上のほか、このたびの改正に関連して必要な規定の整備を行いました。  以上が、この法律案の提案理由及び内容の概要であります。何とぞ十分御審議の上、御賛成下さるようお願い申し上げます。
  58. 山下榮二

    山下委員長 次に、国立競技場法案を議題といたしまして、その趣旨説明を聴取いたしたいと存じます。臼井政務次官。     …………………………………
  59. 臼井莊一

    ○臼井政府委員 ただいま議題となりました国立競技場法案につきまして、その提案の理由を御説明申し上げます。  本年五月、東京都において開催されます第三回アジア競技大会の主競技場に充てるため、国で総経費約十四億五千万円をもって、旧明治神宮競技場跡に昭和三十一年度から国立競技場を建設いたしておりますが、本年度をもってその工事が完成し、引き続き明年度諸施設の整備を行うことになっております。そこで、この競技場を最も適切かつ効率的に運営するためには特殊法人国立競技場を設立し、これによって運営するのが最も適当であると考えるのであります。  以上のような理由から、競技場の施設設備等の財産を政府から現物出資いたしまして、その価格の合計額に相当する額をこの特殊法人国立競技場の資本金とし、運営費についても国庫補助を行い、この競技場の運営を行わせるとともに、体育の普及振興をはからせたいと思うのであります。  以上がこの法律案提出いたしました理由でありますが、何とぞ、十分御一審議の上、すみやかに御賛成下さいますようお願いいたします。
  60. 山下榮二

    山下委員長 ただいまの趣旨説明に関し補足説明を許します。稲田政府委員。
  61. 福田繁

    福田政府委員 ただいまの御説明に補足して、国立競技場法案の内容について概略御説明申し上げます。  この法案は国が旧明治神宮競技場跡に建設した陸上競技場及びその付属施設を適切かつ効率的に運営するため、特殊法人として国立競技場を設立することを定めるとともに、その資本金、組織、業務、財務、会計、監督等に関し、所要の規定を設けたものであります。すなわち、第一に、国立競技場は法人といたしますとともに、その設立当初の資本金は第四条において、国が旧明治神宮競技場跡に建設しております体育施設及び付属施設の財産の価格の合計額に相当する額を政府が出資したものをもって充てることにいたし、政府はこれらの財産を現物出資することといたしておるのであります。  なお、競技場の建設工事は、明年度におきましても諸施設の整備や、また付属庭球場の建設工事を行うこととなっております関係上、これらの追加工事分に相当する国の財産はこの法人設立後におきまして、政府からこの法人に対して追加出資することといたしておるのであります。  第二にこの法人の業務といたしましては第十八条に掲げているごとく、まずその設置する体育施設、すなわち陸上競技場、室内体育館、室内プール等を運営すること、次にその設置する付属施設たる展示室やスポーツ記念館等に体育に関する内外の資料を収集し、保存して、これらを一般の利用に供すること、さらにこれらの諸施設を利用して、講習会や研究会等を実施するなど、体育の普及振興に必要な業務を行うこと、またこれらの施設を支障のない限り、一般の利用に供することといたしておるのであります。  第三にこの法人の役員については第八条で会長一人、理事長一人、理事三人以内及び監事二人を置くこととし、これらはすべて文部大臣が任命し、その任期は何れも二年といたしております。  なお、役員は専任を建前といたしますけれども、他の職業に従事している者であっても、第十三条の規定によりまして適任者を任命し得ることとし、競技場運営のために広く適材を求め得るようにいたしております。また、この法人の役員及び職員は、その業務の公共的性格にかんがみ、他の特殊法人の例のごとく、第三十四条以下の規定により、刑法のわいろ罪の適用については公務員と同一の取扱いを受けることといたしたのであります。  第四に、この法人には第十六条の規定により会長の諮問機関として評議員会を置き、競技場の重要業務に関して、広く学識経験者の意見を求めて運営の適正を期することといたしますとともに、スポーツ界等の意向が業務の運営に十分反映することを期しております。  第五に、この法人は第三十条の規定により文部大臣の監督を受けるのでありますが、その業務の公共性に基き、定款、業務方法書、収入支出の予算事業計画、資金計画、その他重要財産の処分等につきましては他の特殊法人と同様に、文部大臣の認可または承認を受けることを要するものといたしたのであります。  最後に、この法人の成立は昭和三十三年四月一日とし、それまでに設立に関する事務を処理することとし、附則にそれについての必要な規定を定めておりますが、それはこの競技場の施設が、昭和三十三年五月開催の第三回アジア競技大会の主競技場に充てられることとなっていますので、その運営に支障なからしめるためにすみやかにこの法人を設立して準備に遺憾なきを期する必要があるからであります。  以上、御説明申し上げました諸点は内容の概要でありますが何とぞ十分御審議をいただきたいと思います。
  62. 山下榮二

    山下委員長 ちょっと速記をとめて下さい。
  63. 山下榮二

    山下委員長 それでは速記を始めて下さい。  以上で二法案に対する説明は終りましたが、これらに対する質疑は次会に譲ることといたしまして、本日はこれにて散会いたします。     午前十一時五十七分散会