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茅説明員 お答え申し上げます。
学術会議としての
反省という点について御
質問がございましたが、
学術会議の中に
南極観測特別委員会というのがございます。その
特別委員会の総会を開きまして、現在までの総合した困難を検討し、そうしてあらためてほんとうの
意味の
反省ができると思うのでありますけれ
ども、まだ
隊長も戻っておりませんので、その時期にはなっておりません。そこで私その
委員会の
委員長個人としての
反省を申し上げざるを得ないわけでございます。
結果から申しまして、私
どもの
反省しなければならない点は、
宗谷を改造して行ったならば、この
観測が
成功するのであろうという見込みが結果において不可能に終ったということであります。これは結果論から申すわけでありますが、
最初の時期におきましては、われわれが
観測をすることになりました
プリンス・ハラルド海岸地域の
気象条件、ことに氷がどのような
条件になっておるかということについて、ほとんど知る点がなかったのであります。当時われわれ
準備をしておりますときに、少くとも
海岸から百キロ以内に到達できなければ
観測を実施することはできないだろう、果して百キロ近寄れるかどうかという点については全然資料がございませんので、何とも目安は立たなかったのであります。しかしそれを実施するという点から申しますと、新たに
砕氷船を作るという時期的の余裕がございませんでした。従って現在あります船としては
宗谷丸という船と
宗谷と
二つしがなかったのであります。その両船についての相当な議論をいたしましたが、結局
宗谷を
海上保安庁にお願いして改装していただいていくということ以外に手はないということになりまして、そういう
計画のもとに
予算を
提出いたしました。
予備観測のときにおきまして、
予算その他の点につきましていろいろと困難がございましたのは、大体どういう
装備を持って行っていいかということがわれわれに明確にわからなかったのであります。
予算が通過した
あとで、実は
アメリカに行く、
イギリスに行く、オーストラリアに行くというようなことをいたしまして、
装備の
研究をいたしました結果、若干そこに
予算の
不足が出て参りましたけれ
ども、民間の寄付によってこれを補うことができたのでありまして、第一回の
予備観測の場合におきまして、
隊長、副
隊長もわれわれの持っていきたいと思うものを全部持っていくことができたといってわれわれに喜びを申したくらいであります。本
観測のときにおきましては、われわれの
提出しました
予算はほとんど通過いたしまして、その点に遺憾は絶対ございませんでした。ただヘリコプターその他の
点等につきまして、購入する
予定のところがそうでなくなったという点だけでありまして、実施の面におきましては何らの支障も来たさなかったのであります。そういうような
状況でございまして、われわれがこの
観測が不
成功に終ったその
原因を探求してみますと、
宗谷の
砕氷能力以外の
装備の点で、これがまずかったから今度の
観測ができなかったという点はなかったように思います。これは
隊長が帰ってきてからでないとわかりませんけれ
ども、現在までわれわれが入手しておりますいろいろの情報から見まして、そういう点はないと思います。
宗谷の点につきましてはやはり結局は
砕氷能力、それによることでありますけれ
ども、御存じのように
バートン・アイランド号をもってしても
砕氷能力が不十分でありまして、
予定計画の二十名を
越冬させる、四百トンの荷物を運ぶという
計画は実施できなかったのであろうと思います。つまり結果から申しますと、
プリンス・ハラルド海岸が過去
日本隊以外はまだ上陸し得なかったところであったというのが、初めてわれわれにわかったというわけであります。つまり昨年は幸いにしまして
既定計画を実行することができましたが、私
どももまだ二年の
経験でよくわかりませんけれ
ども、昨年があるいは幸運過ぎたのではないか。ことしのような気候があるいは平常の、つまりいつも
通りの
解氷状態であったのではないかと思うのであります。そういう点、つまりわれわれの
プリンス・ハラルド海岸における氷の
状態に対する認識が足りなかった点、これはもちろん行ってみて初めてわかることでありまして、これも
目的の
一つなのでありますが、それがわれわれの
計画では完全に実施することができないような、それほど困難な
状態のものであったということが現在に至ってわかった、こういうわけであります。そういう点につきましてわれわれの
計画が甘かったとおっしゃるならば、喜んでその非難をお受けせざるを得ないのではないか。もっとももっと
装備をよくしていくべきであったということにいたしましても、二十五年
ごとに一回あります
地球観測年に間に合うように、その
装備を持った船を作るということは時期的にも不可能でございまして、そういう
意味におきまして、われわれとしては、現在の
日本においてできるだけの
装備をして行ったつもりであります。結果から申しますと、
ソ連、
アメリカの船を除きますと、
宗谷がその次の
装備を持った船でございまして、各国のそれ以外の船もことしは氷に閉じ込められて非常な困難を起しております。そういう点から申しまして、私はこの
日本といたしましてできるだけの力を尽したのであるけれ
ども、結果から申しますと、
プリンス・ハラルド海岸の氷の
状況というものは、それをもってしては不十分であったということを確認したということになったと思うのであります、お答えになったかどうかわかりませんが、これだけ申し上げておきます。