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島居政府委員 宗谷につきましては、
一般国民の皆様の関心のまとでもありますし、またいろいろ御心配もかけておりますので、これから
極地における
行動の概要について申し上げたいと思います。お手元に
宗谷航跡図というのを配付いたしておりますので、それで
一つごらんをいただきたいと思います。
宗谷は前回の
予備観測の経験にかんがみまして、一昨年より十八日早く、昨年の十月二十一日東京を出港いたしまして、その後
予定通り十二月二十一日に
極地のエンダービー・ランドの
クローズ岬沖に到達したのであります。これから大陸に沿いまして、
西南方のコースをとりまして、
ヘリコプターをもって
進入水路の
調査を行いながら
リュッツォフ・ホルム湾に接近していったのであります。この間に
ビーバーを組み立てまして、
水路の
偵察に備えたのであります。二十三日、ちょうどその紙の一番右の上にございますが、十二月二十三日未明より
氷盤は多少大きくなって参りまして、
航行やや困難になってきたのでありますが、
ヘリコプターによる
進入路の
偵察と、それから
水路の
調査を続行しながら、
氷盤の弱いところを選んで、少しずつ前進していったのであります。そうして二十六日前方に
ビーバーの発着可能と思われる
開水面を発見いたしましたので、これに接近して
ビーバーを飛ばそうと思いまして、
氷原に
進入していったのでありますが、あいにくそのとき
氷状が急激に悪化いたしまして、一進一退を余儀なくされまして、三十一日には強力なブリザードに襲われまして、その後はほとんど
航行の自由を失いまして、
完谷の全
能力をあげ、
乗組員全員の最善の努力にもかかわらず、大
氷原とともに西に西にと圧流されて参ったのであります。そうして一月三十一日までにその
距離は約二百四十海里に及んでおりまして、この間
自力で
航行できた
距離わずかに四十海里であります。一月三十一日に至りまして初めて
氷状やや好転したので、
行動を開始いたしまして、
外洋に向け
氷原脱出を強行いたしたのであります。しかしこの
行動中二月一日の午前五時三十一分に
宗谷の左の方の
スクリュー——宗谷は
二つスクリューを持っております。その左の方の
スクリューの、
プロペラに四つの羽がありますが、その
一つの羽を約四分の三
程度折損したのであります。これは氷を割ってそうして氷を押していくその推力につきましては、約二割
程度の低下はやむを得ないと思われるのでありますが、
航行にはもちろん差しつかえございません。大体十ノット
程度は保持しておるのであります。その後もちろん両方の
推進器で
航行しておりますが、その後
爆破作業等をあわせ行いまして、
氷原と悪戦苦闘を続けること約一週間であります。二月六日の
現地時間十三時三十分、
日本時間十九時三十分、ついに
自力をもって
外洋に
脱出することができたのであります。
かくして
宗谷が
氷原で難航を続けております
状況にかんがみまして、一月の半ばごろから
外国の
砕氷船の
援助を求める必要があるかどうかということについて検討を始めたのでありますが、また
現地にもそういうことを言ってやりまして、非常に困ってから急に
砕氷船を頼んでも、おいそれとはなかなか来れない。そこで少くとも二週間前から見通しをつけなければいけないということを
松本船長の方へ言ってやったのでありますが、私の方といたしましては、一月二十一日に
外務省に
アメリカ、
ソ連、イギリス、オーストラリア、
ベルギー、ノルウエーなどの
南極地域に派遣されております
砕氷船の動静の
調査を依頼いたしまして、そうして最悪の場合
外国砕氷船の
援助を求めるような
事態も予想される旨を申し入れておいたのであります。この間にも
宗谷の
自力脱出はもちろん期待しておったのでありますが、一月末になりましても
氷状が好転のきざしがなかったのでありまして、われわれの考えといたしましては、おそらく
自力で
脱出はするでありましょうけれども、あまりおそく
脱出したのでは
観測に差しつかえる、また
越冬隊の
収容にも差しつかえる、こういうふうなことも懸念いたしまして、一月三十一日に
現地とと打ち合せ、
現地からの要請もありまして、当時
距離の上からも、また性能の上から最も適切であると判断された
アメリカの
砕氷艦バートン・アイランド号の
援助を
外務省を通じて
アメリカに要請したのであります。
横道になりますが、当時
南極における
各国の
砕氷船の
状況をちょっと
地図で御
説明申し上げますと、
日本の
昭和基地はここでございます。そこで
各国の
砕氷船はいろいろありますが、最も近いところにあるのは、
日本の西の方約三百海里のところの
ベルギーの
ブライド湾、ここにことし初めてできた
基地がございます。ここには
砕氷船が二隻おりますが、その二隻とも
宗谷の五分の一
程度でございまして、
宗谷以上の役には立ちませんが、その二隻とも今なお氷に閉ざされておるような
状況でございます。ここは
ウェスト・ウィンド号、これは
アメリカの強力な
砕氷船でございますが、これも氷に閉ざされたままになっています。それから
日本の東の方約六百海里のところに豪州の
モーソン基地がございます。ここには、
ベルギーよりは大きいのでありますが、二千百トンばかりの
砕氷船、これまた氷に閉ざされているような
状況であります。でございますので、当時
宗谷よりも
能力のある船でということになってくると、まず
アメリカの
グレイシャーとか、あるいは
ソ連の
オビということになってくるのでありますが、
グレイシャーはあいにく、直接われわれの方への
報告ではありませんが、外電によりますと、やはり
プロペラを破損して
ニュージーランドで修理中だ、こういうことであります。そこで
オビはどうかというと、
ソ連の方へ
外務省を通じて聞きますと、ジョージ五世島というのがございまして、そこから
ニュージーランドへ今
荷物を積んで
航行している、こういうことなのです。そこでみんな遠いので、最も近いので多少
宗谷よりも
能力のいいといったならば、
アメリカの
バートン・アイラント号と、アトカというのが
ソ連の
ミールヌイ基地の沖の方を西の方へ向けて
航行中だということでございましたので、まずこれが時期からいっても、また
能力からいっても一番適当である、こういうことからこれに依頼したようなわけであります。御
参考までに申しますと、
バートン・アイランド号は約六千五百十六排水トンでありまして、主機関が一万二千馬力、
砕氷能力が約三・六メートルでありまして、
宗谷の約三倍くらいある船であります。そこで、本国からの救援の指示を受けました
バートン・アイランドは、
宗谷の
脱出の五日前の二月一日の
ミールヌイ基地の
ソ連の
基地に寄ったようでありますが、この
付近から
行動を開始しまして、以後
バートン・アイランドと
宗谷とは
連絡を毎日一回とりつつ、二月七日
オングル島の
北方約九十マイルの
地点にて会合しております。配付いたしました
地図でごらんいただきますと、右の方に赤い線で書いてありますかどのところであります。その後
宗谷は
バートン・アイランド号に続航いたしまして
オングル島に向け
進入を開始したのでありますが、
進入するに従いまして、
氷盤はだんだん悪くなり、
オングル島に向う
進入路も、去年実は東経四十度線に沿って南下したのでありますが、そのときの
報告によりますと、直航して南下することは氷が固くて行けないから、西の方へ回って近づくというふうな
報告を聞いたのでありますが、そういうふうにだんだん
西南の方へ向って行っているようであります。そうして二月九日両船は現在
位置、
オングル島の西北でございますが、そこの約六十八海里の
地点に仮泊しているのであります。その後
ヘリコプター四機によりまして周到に
氷状の
偵察をした結果、これ以上
進入することはほとんど不可能であるという結論に達しましたので、とりあえずここから
現地において、現在行っておられる
越冬隊の
収容のこととか、あるいは
荷物の輸送のこととか、そういうことを
現地で計画を立てているようであります。その後ちょうど最も大切の時期になったのでありますが、一昨晩の
日本時間の午後九時からずっと
磁気あらしのために通信が不能になりまして、全く困っているのでありますが、消息の
連絡ができないという
状況でございます。
ただ、その辺の
氷原の
状況をつけ加えて申しますと、
宗谷がおります現在
位置の
南東方、
オングル島の
北方でございますが、幅約十三海里にわたって
ハンモック状の
氷原をなしておりまして、それより先は
定着氷となっており、その
ハンモック状の
氷原は、何度も
ヘリコプターをもって
調査いたしましたが、その結果、米国の
砕氷艦バートン・アイランド号といえども突破は困難であるということがわかったのであります。それから七日の午後
バートン・アイランド号と会合いたしまして氷海へ
進入して間もなく、
氷盤間にパンケーキ・
アイスというのが密集いたしまして、また今の
リードの
水面には半日くらいの間に厚さ約十センチのニュー・
アイス、ことしの新しい氷でありますが、それが張り詰めてきたということから想像いたしますと、すでにこの
付近は
結氷期に入っておることが明らかであるのであります。また天候の変化によりましても、この
リードはいずれ近くは消滅するであろうということも予想されますが、今の一週間くらいはもちろん大丈夫であろうかと想像しているのであります。
大体従来の
経過と、今
宗谷がおります
付近の
氷状について概略を申し上げさしていただきました。