○
赤城国務大臣 三月十八日にこちらを立ちまして、一ヵ月余にわたりまして
ソ連側と
日ソ漁業の
交渉を進めて、昨日帰ってきました。その間におきまして当
農林委員会におきましては大へんな御協力を願いまして、
法案等につきましてもほとんど全部にわたりまして可決されるようなお運びを願いましたことを心から御礼を申し上げます。
漁業交渉の問題は、出る前から御
承知の
通り、大きな問題といたしましては、
オホーツク海におけるこちらからいえば
出漁問題でありまするし、
向うから見れば禁漁問題といいますかそういう問題が政治的に大きな
一つの問題であったのであります。もう
一つは、本
年度の総
漁獲量をどの
程度にきめるかということが問題であったのであります。
私は
向うへ行きまして、やはり
漁業の
担当大臣である
イシコフ・ゴスプラン漁業部長を相手にして
交渉を進めていく、もしもこの線で
交渉がまとまらぬということでありますならば、その上の
ミコヤン第一副
首相、また
機会があれば
フルシチョフ——私が行っている間に
総理になりましたが、
フルシチョフ首相と話し合わなければならぬというふうに
考えておったのでありますが、何といたしましても
担当大臣である
イシコフ氏と話を取り組んでいかなければならぬ、こういうことで
イシコフ大臣と
話し合いをしましたことが私といたしまして十回であります。また私が参加しないで私的に話すということで、高
碕代表が二回話しておりますので、十二回
イシコフ漁業担当大臣と
話し合いをいたしたわけでございます。さらに
ミコヤン第一副
首相と一回、
フルシチョフ総理と一回、前後十四回の
話し合いをいたしたのであります。
御
承知の
通りオホーツク海の問題は、
公海の自由という私
どもの
主張と、先方の
主張は
公海の自由ということを認めるけれ
ども、
公海の自由を離れて
北西太平洋における
サケ、
マスの
漁種保存を
日ソ両国においてどういうふうにやっていくかということが問題であったのであります。私の方の
主張といたしましては、
オホーツク海は
日本が漁場を開拓したところでもあり、
向うで言いますように
日米力の
関係の西経百七十度線というものとは趣きが違うのだ、そういうような
関係で
サケ、
マスの
漁業をこれでやめるということになることは、
日本人の感情からするならば、これは
公海の自由を
制限された結果になる、こういう
主張を徹頭徹尾続けたのであります。ところが
ソ連側の
主張は、
公海の自由を
制限するという
意図は全然ない、であるから
カニの
漁業についても
船団の入ることを当然認めておるのだし、それから
資本漁業でない
タラ釣だとかあるいは底びきだとか、こういうものについての
制限をしようという
意図も全然ないのだ、でありますから、
公海の自由という
原則は
航行の自由と
漁業の自由とが主たるものであるけれ
ども、その点について決して
公海の自由をここで
制限といいますか、とめるという
意思はない。しかし私
どもの
考え方としては、主要なる
魚種であるところの
サケ、
マスがここで
漁獲できないということになれば、
公海の自由を失うということになる、こう
日本人としては当然
考えるのだし、率直にいって
李承晩ラインの問題もあるし、アラフラ海の問題もあるし、それから
日米力の問題もあるので、この問題はどうしても私
どもとして承認できない。こういう
主張をほとんど全
会議について
主張してきたのでありますけれ
ども、しかし
向うの
主張をだんだん聞いておりますうちに、
公海の自由ということは決してこれを否認するものではない、しかしながら
カムチャッカの西海岸にたくさんの川が
向うにあるわけでありますが、それに卵を生むために遡上してくるところの
サケ、
マスについて、
ソ連側としてはこの養殖のために
相当の金をかけて
施設を行なっておる。ところが最近において乱獲のために遡上するところの
サケ、
マスが非常に減ってきておる。ことに
ソ連の
機構も去年から改められまして、
中央集権的に
中央から命令を出して
漁獲の
計画を命令するということではなくて、むしろ地方の
コルホーズ等から
計画を出させて、その
計画の上に立ってこれを認めていくというような
機構に変った。そういうような
関係から
ソ連の
漁民が年々
産卵のために遡上するところの魚が少くなってきているということで、
イシコフ漁業担当大臣も非常に困っておるのだ、
自分も困っておるのだ、こういうような事情で純然たる
生物学的な、あるいは
資源論的な
立場においてこの問題を
議論していこうじゃないか、こういうような話にだんだんなってきたのであります。そういう
立場から、
ソ連側からいえば、
自分の方では種をまいてそれを育てておるのだ、
日本側は種をまかないで草を刈り取るだけであっては困る、こういうような話も出たのであります。しかし私の方では、
公海において育ってくる魚であるから、たとえて言いますならば生みの親より育ての親ということもあって、
公海におってどこの国の魚でもない、
公海において育ったものをある
程度漁獲するということは当然でないか、しかしそれを全部
産卵に遡上するものをとってしまうということではこれは問題であるけれ
ども、ある
程度のものは差しつかえないのじゃないか、こういうようなことで
議論をしたのでありますが、その
程度という量の問題じゃなくて、
向うでいうのには
プリンシプルの問題だ、
プリンシプルというはどういうプリンシプラルかといえば、お産のために産院に上ってくるものをその
目先において
母船でとってしまう。そうすると、河川に上ってくる魚が
アンバランスに上ってくる。それぞれの川へ適当に上ってくるならば格別、どこの川へ上ってくるかわからない途中において、これも
目先で大量に
母船で
漁獲されるということになると、ある川には非常にたくさんの
サケ、
マスが
産卵のために上ってくるし、ある川にはほとんど上ってこない。こういうところの
アンバランスを生ぜしめることは、これは
西北太平洋の全体の
魚類の
資源保存という
意味から非常に困るのだ、こういうことで非常に強い
向うの
主張であります。この
主張は、
中途で
ミコヤン第一副
首相に会いましたときにも、そのことを非常に強く
主張しておったのであります。私
どももそういう
関係から毎日同じような
議論を続けておったのでありますが、私
どもの
主張も
相当強いので、一度こういう話になったのであります。総
漁獲量を八万トンにしよう、それからそう
日本が
オホーツク海の問題を強く
主張するならば、実はどうしてもことしからやめることに
ソ連側としては強い決心を持っておったのだけれ
ども、来年この問題を討議することにして、それじゃもう八万トンでいこう、
オホーツク海には一
船団で六千五百トン以内の
漁獲量、こういうことで来年の問題にするよりほかない、こういうことでありましたので、私も一時はそのままでもう引き揚げようかというふうにも
考えておったのでありますが、
漁期も迫っておりますし、
日本の
漁民の
失業という問題もありますし、それから
オホーツク海の問題につきましては、
向うが非常に強い
意思を持っておったのであります。話の
中途におきましても、一体私の方で承諾しないということになればどうするつもりかという話をしましたところ、途中で、実はそういうことになると、一方的にもこれはやらざるを得ないというような
態度がしばしば見えたのであります。しかし
ソ連側といたしましても、そういう問題で
日ソ間の紛争を起すということは、これは今の
フルシチョフの
平和友好政策から見て好ましいことではないというような
態度は十二分に察知できたのであります。そういうような
関係でありますので、これはねばっていればまだ話は進むであろうというふうに
考えまして、それではそういうふうに
資源の問題、あるいは
生物学的な問題から、
産卵に遡上するところの
サケ、
マスを保護して、そうして
資源の
増大をはかるという
意味において
オホーツク海を
産卵の場として
お互いに保護していくというようなことにわれわれが協力する、こういうようなことにするならば、一体どういう
漁獲量等についての
考え方があるかというようなことを話し合っておりましたところ、だんだんに
オホーツク海は一
船団、六千五百トン以内、
漁獲量は十万トンというような線が出てきたのであります。しかしそれについては私も
日本の
政府代表として、
農林大臣として来ておる以上、
公海の自由というものをなくするという
建前でなくて、
生物学上の問題から
北西太平洋の
サケ、
マスの
資源を
増大するという、そういう
意味からならば私も
日本へ帰ってから
オホーツク海の問題を
日本国民にも訴え、
政府とも相談して来年からはこれをやめるというようなことには大いに
努力しよう、こういうことで
共同調査の結果を経て
努力するというようなことで、話が十万トンというふうにまとまりかけてきたのであります。ところが、いろいろな
情勢から見まして、どうしても来年は強い
向うの
意思がはっきりしてきておったわけであります。そういうような
関係から
考え、あるいは
漁期も迫っておる、こういうことで
日本の
漁民の
失業とか、こういうような形に持っていくことは、
日ソ関係の
友好から
考えてもとるべきことではないのじゃないか、こういうような話をだんだん進めておったのであります。そこでどうせ来年やめるということに
努力をするということならば、なお一歩進めて
一つ来年のことをことしきめるというようなことは少し早い話であるけれ
ども、しかし
ソ連側の
主張も非常に強いし、また
公海の自由というものを全然なくするというような
建前でないならば、また私
どもの方の
考え方も、また
ソ連の方の
考え方ももう少し進めることができる、こういうような
話し合いがさらに進んだのであります。そこで結論的に申し上げますと、来年から
オホーツク海の
出漁というものは
日ソ平等の
立場に立って
両方ともこれを差し控えることにする。その
理由は先ほどから申し上げましたように、
西北太平洋の
サケ、
マス、ことに
マスの
産卵場として、
カムチャッカ半島の
西側で南側、これがほとんど
産卵場になっておるわけであります、その
産卵場を保護して、そうして
両国共通の
西北太平洋の
魚類の
資源を維持し、
増大する、こういう
目的のために来年からしばらく
オホーツク海における
母船式の
漁業は差し控えようではないか、こういうことになりまして、そうして
漁獲量は本
年度におきましてはいろいろな
話し合いの結果、去年が十二万トンでもありまするし、
日本の準備も進んでおるときであるからして、十一万トンに
決定する。こういうことに相なったわけであります。そこでこれは
条約上の問題でもありまするから、
両国の
委員会が開かれておりまするし、
委員会の席上で、
委員会の場においてこれを
決定するというような形で、二十二日の朝三時ごろになりまして、
委員会において
最終決定をいたしたのであります。
委員会の
決定につきましては
共同コミュニケを出しましたので、
日本の新聞にも載っておったように私も
承知しておりますが、その要点を申し上げますると、第一に、本年は
オホーツク海の
公海に
出漁する
日本の
母船は一隻、
漁獲量は六千五百トンをこえないものとする、これが
一つであります。それから
オホーツク海における来
年度からの
出漁に対しましては、
オホーツク海の
カムチャッカ半島の
西側を
北西太平洋における
サケ、
マスの
産卵場として
考え、その
産卵場に遡上せんとして近寄りつつあるところの近くにおいてこれを
漁獲することは
魚類の
維持増大のために適当でないことを考慮して、来
年度から
日ソ両国が平等の
立場に立つ
出漁を差し控える。もっとも
ソ連においては
母船式あるいはそういう
漁業を今やっていないのでありますけれ
ども、
ソ連側の
主張といたしましては、
ソ連側としても権利はあるのだし、やろうとすればやれないことはないのだけれ
ども、
自分の方でもこれをやらないことにするから、平等の
立場でこの
出漁を差し控えようじゃないか、しかし、
公海の自由は依然として
お互いに認め合っておることであるし、
カニの問題にいたしましても、その他小
漁業等については
お互いに
漁業の自由を認めるし、
航行の自由はもちろん認めるという形でそういう取りきめをするということを、
委員会ではかったのであります。第三におきましては、
漁獲量は本
年度十一万トンにすることをきめたのであります。第四におきましては、昨年
共同調査を行わなかったのであります。というのは、
ソ連側が
機構改革をいたしまして、
ゴスプラン等ができて、そういう
機構改革のために
共同調査が行われなかったことを非常に
ソ連側も遺憾に思ってわびているようなかっこうでありましたが、これは
条約上も
共同調査をすることになっておりますので、本年におきましては詳細なる
調査計画を立てて、
学識経験者が現地につきあるいは資料につき
資源の
調査をする、こういうことを
決定いたしたのであります。その他こまかい、今まで話が出ました
カニの問題や、それから
距岸距離、
規制区域等の問題につきましても、わが方の
主張をほとんど全部認めまして、
委員会の
最終決定を見たような次第であります。
それからなお
一つ申し加えておきたいと思うのでありますが、実は
母船は入らないということにするならば、
独航船はどうなんだ、こういう問題を二、三日話し合ったことがあるのであります。そうすると
産卵途上において
独航船を使って
産卵を妨げる、そして川へ上るところのバランスをくずしていく。しかも川においては、
向うでは
産卵の
施設その他に金をかけている、そういうことにするならば、やはり
独航船においてその
のど首で
産卵途上に上るものを
漁獲するというようなことになっては、やはり結果は
産卵場に上ってくるところの魚が
アンバランスになってくる、こういうことであるから、基地をもってする
独航船も同じように
扱いたい、こういうようなことでありました。商業的な大きな漁船によって
産卵のために遡上する
サケ、
マスを押えられることが
お互いに苦痛ではないかということでありましたので、
独航船ならば差しつかえないかということを
再々念を押したのでありますが、
独航船についても同じような
扱いをしたい、こういうことでありますので、これは今後の問題に残しまして
向うの話を聞いたことにしてきたのでありますけれ
ども、
扱いとしては、
向うとしては同じように
考えておる、こういう
立場をとっておったのでありまして、後はどの
交渉の
一つの課題になるかと思いますが、今のところでは
独航船も含めて、来年から
産卵のために遡上する魚を
産卵場の入口でとるということは差し控えよう、こういうような結果に相なったのであります。
話の途中において、率直に申しますといろいろ問題があったのであります。たとえばそういうことになると、私
どもの方では、
海洋国として
漁業のために生きている
日本としては、世界的にあちらこちらに
支障が起きる、こういうようなことでずいぶん話もいたしましたが、
向う側からは、むしろ
支障にならないのだ、
共通の
目的で魚の
資源を
増大していくのだからして、かえってほかへの
主張が強くなるのではないかというようなことも言っておりましたが、私
どもとしては、
主張は弱くなるというようなことでずいぶん争ったり
議論もいたしたのであります。
そういうような
経過をもちまして、二十二日の朝
委員会において正式の
決定をもちまして
共同コミュニケを出してこちらへ帰ってきたということでございます。私
どもといたしましても、渾身の
努力をいたしたのでありますが、
向うの話の中にももっともな点も
相当ありましたし、また来年に持ち越すと、来年これが
向うでは
相当強い
態度をもって臨むことも当然予想され、またこれを持ち越すということがありますならば、
漁獲量は八万トン、こういう
態度を一歩も先に出ない、こういうような
情勢下にありましたので、そういうふうに話をいたしたのであります。この点につきましては、
向うの
ミコヤン第一副
首相も
イシコラ漁業担当大臣と全く同じ意見でありました。
フルシチョフ総理に会いまして話をいたしましたが、これはほかの政治問題の話を一般的にしたのであります。
漁業の問題も話をいたしましたところ、実は
漁業の問題はおれもよく知っているのだ。そして、これは
日ソ両方のために
一つ御成功を祈るということで、
フルシチョフ総理は、この問題にこまかくは触れませんでした。そういうような状況で、私といたしましてもまことに不満な点があるのでありますが、
一つ御了解をお願いしたい、こういうような
考えを持っております。
一応大体の御
報告でありますが、今回の日
ソ漁業交渉についての御
報告を申し上げます。
委員会は各数日をかけまして、私が行きましてからも三十数日かかったのであります。話はなかなかむずかしいことでありましたが、その
程度できまったのであります。重ねて御了承をお願いし、御
報告を終りたいと思います。