○稻村委員 私はこれは重ねて
機会があれば岸首相に来ていただいて岸さんの意見を聞きたいと思うのです。この解釈を統一できないままにほおっておくならば、日本の政治はおそるべき結果になる。紊乱をしてくる、こういうことに私はなると思うのです。何人も憲法に従わなければならぬのであるからして、憲法の統一せる解釈はどうしても維持しておかなければならぬということ、七十二条並びに九十六条に対する問題です。この問題に対して私の言うのは、
法律家でなくて憲法学者を集めて憲法裁判所のようなものを作っておかなきゃならぬのじゃないか、これが私どもの考えなんです。これはどうしても総理
大臣に来ていただいて、意見を聞きたいと思うのです。それで私は何度も申し上げたことかもしれませんけれども、一体九十六条の解釈が絶対に正しいというわれわれの主張は、これは絶対に間違っていないと思うのです。林法制
局長官は七十二条の解釈は妥当だと言うけれども、これは憲法の歴史をまずわれわれは考えてみる必要があると思う。というのは憲法ができたのは何かというのです。むろん明治の欽定憲法とかそういうものは別です。これは君主主権の憲法なんだから。これは封建主義より少しは進んでいると思うけれども、神権説によるところの君主主権の憲法なんだから、こういうものはほんとうの憲法じゃないのです。まだ半分封建的な政治制度のもとにおける憲法なんです。これはにせの憲法とは言わないけれども、まだこれは真の憲法とは言われない。そういうところには、憲法
改正には君主だけが発言権を持っておる。憲法
改正の問題に対してこれは別だ。それから革命
政府のようなものは、たとえば国会がないけれども、封建制度が倒れた、そこで新しくここで憲法を作ろうというときには、
政府が主体になって憲法
会議を招集したという歴史的な事例はあります。それからまた憲法のできていないアメリカのある州が、そこで新しく憲法を作ろうというときに、州
政府がこの憲法発布の人民
会議を招集するというような例はある。これは特殊なる場合、あるいは革命
政府というふうなものは別問題なんです。ところが人民主権の憲法のある国において、いやしくも憲法上の問題に対して
法律をもって
政府が関与するということは、これは憲法の歴史的に発展せる
事情を追及すれば、誤まりであることが明瞭にわかる。何のために一体憲法ができたかということ、それはもうだれでも知っているのです。高等学校の生徒でも歴史を読んだ者は知っておるのです。君主や
政府の無限の権限、すなわち従来は君主も
政府も司法権、立法権、行政権はもちろんのこと、一切を握っておった。そうして自分の憎愛の観念によって、ある者を逮捕して死刑にしたり、勝手なことをやったわけです。それから税金は勝手に取り上げる。そこでその君主及び
政府の専制に苦しんだ人民は、
政府から
法律を作る権利、税金をきめるところの権利を取り上げて、そうしていわゆる立法府を作った。それから勝手に人を逮捕して死刑にしたりする権力を裁判所に分けた。そしていわゆる三権を分立させて、
政府及び行
政府から立法権と司法権を取り戻し三権を分立させ、人民の自由を守ったということは、これはもう歴史的な事実だ。私はここで申し上げるまでもない。フランス革命のときの人権宣言の十六条にはっきり書いてある。三権の分立のない憲法というものは憲法じゃないということを宣言した。それが世界の成文憲法の基礎になったわけでしょう。それまではイギリスなんかでは成文憲法はない。成文憲法は一番初めに、アメリカの独立戦争の後にでき、それから後に世界に広く行われたのはフランス革命のときにおける人権宣言のときからであることは明瞭です。そういう歴史的事実からいえば、いやしくも権限を制限される
政府が憲法の問題を取り上げて云々することは、個人的に言うことは自由であるけれども、憲法
改正の問題を取り上げて、そして憲法を
改正するかいなかとか、あるいは憲法を
改正すべきだろうかどうかということは、憲法の歴史からいって全く誤まっておる。だからイギリスのごときは憲法の
規定を変更する
機関というものはすべて国会に置くことになっておる。決して
政府はこれを扱わない。
政府が扱う場合は、さっきも言った通り革命
政府などは扱わざるを得ないからやむを得ないのである。いやしくも人民主権の憲法という型ができたその国において、
政府が憲法の問題を扱うということは、ちょうどどろぼうが刑法を作るようなものなんです。これは憲法がどういうわけでできたかという歴史的事実——七百年前の大憲章、アメリカの独立戦争からフランス革命に至るまでのその歴史的
事情を追及すればこれは明瞭なんです。
政府の権限を制限するために憲法というものができて、
政府は行政権だけは握ることになったわけでありますから、その憲法上の
規定を変えるところの
機関を
政府が
内閣に置くなんということは越権行為もはなはだしい。しばしばわれわれはその点は間違いであるということを忠告したのです。ところが林法制
局長官や
政府の当局者は三百代言的理論をもって、
法律上の解釈が七十二条でいいからといって無理に
内閣に持っていった。それだからわれわれは協力できない。世論は何も知らないから、社会党はなぜ入って発言をしないのかというけれども、いやしくも憲法上間違いであるという解釈を下した以上、いかに政策的にこれが正しくとも、世論がどう言おうとも、われわれは憲法
調査会に入るわけにいかない。従って憲法
調査会の人数を増員するなんということに対しては絶対に賛成できない。われわれの同志によりまして憲法
調査会廃止の
法案が今出ておりますが、これは私は当然であると思う。その点に対しまして一体あなたは
政府当局者としてどういう考えを持っておられるか。私の意見が間違っておるかどうか。
政府がいやしくも憲法上疑義なしとして
調査会を
内閣に置いた以上は、確信を持って、理論的根拠に立っておられるのだと思うが、あなたの考えは一体どうか、どういう理論的根拠に立ってこの憲法
調査会を
内閣に置いたのか、もう一度私はお伺いしたい。ただ
法律の解釈なんというものはどうにでもできるような、三百代言的な解釈によってかくのごとき重大な
法案を
内閣に持っていって、そして社会党に協力しろ協力しろといったって協力できるものじゃない。その点はあなたはどうお考えですか。