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加藤(精)
委員 ちょうど大臣もお見えになっておられますし、昨年十月十日、
消防審議会会長高橋雄豺氏より
国家公安委員会委員長正力松太郎氏に対しての答申がございまして、
消防の機構改革に関する建議があったのであります。これにつきましての
政府当局の
取扱いについて御意見を承わりたいのでございます。
消防審議会の答申の
骨子とするところは、
消防業務、災害防除の
業務というものは、きわめて国家的なものでありまして、これは終戦後駐留軍の指導によりまして、非常な大きな変革を受けたのでございますが、これは民主主義の行き過ぎというような形でございまして、ほとんど全部の責任を
市町村に委任しているのでございます。かかることでございましては、現にわれわれがまのあたり見ておりまするごとく、所期の行政の効果を上げることができないのでございまして、本年も二月一日に宝塚劇場のああした悲惨な死傷者を出した火災があり、と思う間に、また銀座東映でああいう火災がある。もう宝塚劇場のごときは最も予防しやすい白昼あの騒ぎがあるのでございまして、そのほか南海汽船の南海丸の遭難のごとき、そうした重要な連絡船が無電機も積んでいなかったというところに事故が起るのであります。これら災害
防止につきましては、国家がもう少し力を入れるべきはずのものではないか。しかるに現在の防災行政はきわめてたくさんの官庁に仕事が分裂しており、しかも国家
消防本部なりその中心の機関——中心と申しますのは、あらゆる災害は最後にこの
消防団員、それは大部分水防団員を兼ねております。その
消防団員ないし
消防職員の手によって、
わが国の防災行政が行われておりまするのにかかわりませず、その財政的基礎は最も貧弱なる地方財政の経費に依存しておるわけであります。それでほとんど国家としてこれに何らの——何らというのは言い過ぎでございますが、きわめてわずかなる国家的な補助その他の援助しかしていないのでございます。しかも現在における
消防その他の防災
事務は、これは国家とそれから
都道府県と
市町村との間に、密接な行政のつながりがあって行われなければ所期の
目的を達しないのにかかわらず、ほとんど
市町村の責任になっておる。
政府の国家
消防本部というものは、膨大なる
政府組織の非常な片すみの一角に、きわめて少数の
部局員を擁する実に経費の少い、ほとんど手足を自由に動かすこともできない不如意な状態において、それを防災行政の本体としておる。これは現在の
わが国の国内行政の最も大きな盲点といわなければならぬと信ずるものでございます。しかるにかかわりませず、この答申がありましても、明年度予算におきましては、さしたる機構上の改善が見られず、これは国の予算、国の財政上諸種の事情があることと私たちは察知しておるのでございますが、このままではどういたしましても、
わが国の防災行政がその使命を全うすることは困難だと考えまするので、
消防審議会の答申につきましては、その財政負担等の関係は、それを全部三十三年度より実施するということは不可能でございましょうが、それは財政の許す限りでけっこうで、大部分の発動は三十四年度よりといたしてもよいのでございますが、ここに防災行政を本腰を入れてやるのだという腹を示すために、
政府は
消防審議会の答申に基いて、その
消防審議会の答申の中のとるべきものは十分に取り入れまして、特に最小限度、国家、府県、
市町村の
消防行政上の責任を新たに
規定し、新たに改善し、そうして少くとも
市町村間の任意の応援協定というようなものに対しましては、
都道府県知事の応援命令を
規定する、また応援協定を結ぶように強制できるという程度のことはもちろん必要でありまするが、そのほか各
市町村間の年間の
消防計画、各
都道府県の年間の
消防計画、それらを樹立せしめて、これを
中央におきまして統制して、そうして施設の必要最小限度は維持する。そのために地方財政の関係上それらが不可能であるならば、現在の任意のきわめて軽少なる国家助成を、定率の国家助成にするなりあるいは
都道府県の
消防学校を改善して、そうして近代
消防、科学
消防を取り入れる、あるいは目に余る映画館火災、連絡船の事故あるいはことに電気火災、学校火災、これらに対しましては、抜本的なる処置を講じていただくことが必要なのでございます。ことに戦前は、電気工事施設業者は、すべて認可制度であったにかかわりませず、また同様危険物の取扱者、映画技術
者等は全部認可、
許可制度であったにかかわりませず、現在はその制度がない。すみやかに国家的見地から国家試験を施行して、これらに当らしめるということは絶対必要だと確信するものでございます。時間が長くなるといけませんので、省略いたしますが、万事御了察の上、右に対しましての大臣のお考えをお伺いいたしたいと考えるものであります。