○奧村委員 信用組合の方のお尋ねは、これでやめておきますが、私の意見として申し上げますと、相互金融だけにとどめて
金融機関として認めないというのなら、私は、そう信用組合を取り上げる必要はないが、
金融機関として認めて、金融行政の立場上大蔵大臣が責任を持たなければならぬという制度であるとするならば、この信用組合は、この際明確になさらなければいかぬ。それでなくても、信用金庫あり、相互銀行あり、おそらくアメリカやイギリス等先進国においては、日本の
金融機関のようにずいぶんいろいろな性格の変った
金融機関——しかも
政府機関が、開銀あり輸出入銀行ありで、こんな乱脈な
金融機関のあり方というものは、私は外国にはあまり例がないと思う。従って、そういう面から、こういうことは、むしろ
貯蓄減税をなさるなら、
貯蓄減税の前に一つこれを整理すべきものであろうと思うので申し上げたので、その意味からも、政令案は一ぺん考え直しを願いたいと思っております。
これはこれといたしまして、どうでしょう、全般的に考えて、
金融機関を
銀行局長ないし大蔵大臣がちょっと甘やかし過ぎているような気がしてならぬのですが、これは、ちっと
国会から
金融機関にねじを巻くようなものもおらなければいかぬと私は思うので、本来からいえば、
政府が
貯蓄減税をするまでに、まだまだ打つべき手があるというふうに思うのであります。そこで、これは
銀行局長に申し上げておきますが、第一相互銀行、あるいは東都信用金庫などに対して、大蔵大臣自体がいわゆる業務停止と申しますか、整理をなさる場合でも、やり方が非常にあいまいで、責任が明確でなかった。いわんや信用組合などに対しての地方長官のやり方というものは、
金融機関に対する厳格な、しっかりした行政はおそらくできていまいというので、私は、その立場から各般の状況を見ていきたいと思うのです。
そこでお聞きしたいことはずいぶん多いのでありますが、まず、今度は話が大きくなって、日本の金融行政において質的統制と量的統制ということがよくいわれるのですが、まず量的統制においても、何かしゃんとした骨組みが固まっておらぬように思う。つまり信用膨張がきりなく行われる不安が強い。これを何とかしていかなければいかぬということがあります。そこで、量的統制といえば通貨の発行限度、これに対しまして日銀の貸し出しの限度、こういうものがめどとしてあるわけでありますが、日銀の通貨発行限度は閣議
決定による、それから通貨
審議会にかけるのでしょうけれども、これは
国会の承認とか議決とかいうものはない。そこで、まあ大蔵大臣の思う
通りになるというわけですな。私は、そういう行き方はすでにこの際反省しなければいかぬと思うのであります。と申しますのは、
昭和十年の日銀券発行を一とするならば、
昭和三十二年八月には発行高が四九八、約五百倍に日銀券がふえておる。その
通りとは言わぬが、インフレがそれだけ進んだ。おそらく世界各国でも、日本がインフレの進んだ方でしょう。現に最近の例をとっても、つまり一九四八年から一九五三年の比較を見ますと、日本では、卸売物価が三六が一〇〇になった。アメリカでは九五が一〇〇になった。西ドイツが九〇が一〇〇になった。イギリスが六七が一〇〇になった。フランスは六五が一〇〇になった。日本ほど物価の上った国はない。
昭和二十三年から二十八年までのわずか五年の間に、日本は物価が約三倍になっておった。これは、国連の資料でありますから、間違いはなかろうと思う。日本に比較できるのは、インドネシアが二八から一〇〇になったというので、日本の通貨は、インドネシア並みにということになりますが、そういうことは、いろいろな
事情もあるが、通貨発行がきりなしに大蔵大臣や一部の人の考えでどうにでもなるという制度そのものが問題であろう。私は、こういうふうに思うのであります。そこで、去年の年末は八千億くらい出たのでしょう。あの八千億出たについては、発行限度は六千五百億ですか、えらい限度外の発行をやって、八千億からの保証は日銀ができるのですか。そこらの点を、私は少しおかしいと思うので、少くとも
国会がある程度のかんぬきをさせるような制度にしておかなければいかぬじゃないか。つまり通貨を安定させ、インフレを押えるという意味において、インフレの被害は国民全体が受ける、国民の代表である
国会が通貨発行限度くらいはある程度押えられる制度でなければいかぬと思うのです。そういう点、
銀行局長はどうお考えですか。