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長谷川(保)
委員 どうもその点が全く納得いかないのです。だから社会保障でやるというならば、国民年金
制度をすみやかにやる、その国民年金
制度をすみやかにやるためには、今度の恩給法にしても、あるいは
援護法にしても
改正をしないで、国民年金
制度一本でやるように進むべきだ。それを大東亜戦争の十二月八日を境にして、それまではやらない。戦争
状態はずっと日支事変から続いておる。だから線を引くならば、日支事変の前で線を引くならばわかるのです。それをそうでなしに途中の大東亜戦争という——その日から戦争が始まって人が違ったわけではない。なるほどその日からアメリカとの戦争は始まったでしょうが、その前から中国とのそういう紛争、戦争という
状態はあった。だからなるほど太平洋の方に進んでいったのは、あるいは南方に進んでいったのは十二月八日からでありましょう。けれ
ども満州に行っている
諸君、中国に行っている
諸君、この徴兵され、動員されて参りました兵隊、その
遺族にしてみれば、やはりみな歓呼の声に送られていったのであり、赤だすきをかけていったのであって、差別することは少しも納得できないという
遺族の
考え方は当然のことでありましょう。だから社会保障
制度をやるというならば、私
どもも——ことに私は党で責任を負って恩給法の
改正を最初からやったのでありますけれ
ども、そのときも言ったのであります。やるなら社会保障
制度で全部おやりなさい。軍人恩給を復活しないでおやりなさいと私は言った。けれ
ども不幸にしてそれは敗れました。敗れましたが、今日も今大臣の
お話のように国民年金
制度をやる、社会保障
制度というふうなものでやっていくのだというならば、今度の軍人恩給や
援護法の
改正をやって、千億近い金をそういうものに出していくというふうなことをしないで、ほかのものは一応いろいろな不合理があっても目をつぶって社会保障
制度一本に、国民年金
制度を実施するという方向に直進すべきである。社会保障
制度をやるというならばそうすべきであった。けれ
どもそれができるまでの間何とか手直しをしていこうというならば、それならば今の線の引き方が変だ、どう考えてもこれは納得できない。
遺族にしてみれば納得できないですよ。十二月八日を境にして、その前にいわゆる平病死といわれておって、公務
障害と明らかに証明できない。証明できないけれ
ども、親にしてみれば、戦地に持っていかれ、満州に持っていかれて、あの冷たい中で、不十分な食糧で、そうして過労で病気になって死んだというのは、幾ら平病だといわれても、それはあの戦地の勤務では病気が出る方が当りまえですよ。私もわずか八カ月でありますけれ
ども、大東亜戦争が始まった直後に召集されて中国に参りました。北支の十一月、十二月、私山東省でもって敷くものがないのです。夜寝るのに敷くものがない。どうやらこわれて残った支那住宅に入りまして寝ますけれ
ども、敷くものはコウリャンがらの竹のようなもの、これをほんの少し敷いて、そして毛布を一枚かぶって、着たままで寝るのですよ。あの中で病気が出ないのが無理ですよ。病気が出るのが当りまえですよ。よくも人間はやれるものだと、戦争に行ってきた者はどなたも考えるでしょう。そこではいわゆる戦争による公務
障害と考えられない、いわゆる平病死として扱われておりまする人々の病気が出ない方が無理です。出る方が当りまえです。だから
遺族の人にしてみれば、家におったら幾ら何でもあんなことにはならなかったろう、お国のために連れていかれたばかりにこうなったと考えるのは当然でありましょう。これは日支事変の最初ならばとにかく、少し進みました後におきましては、みんなこういう満州あるいは北支等におきましてはそういうひどい生活をしてきておる、病気が出るのが当りまえなんだ。だから、たとい平病であっても、日支事変以来ずっと戦争が続いておったのですから、私は当然すべきだと思う。だからこの
援護法は私は
反対ではありませんが、非常に中途半端で合理的でないから、これではなお納得しない
遺族の方がありますよ。だからさっき私がお伺いしましたように、これで終るのですかどうですか。終るとするならばもう少しそこまで考えてやらなければいかぬ。たといそのために予算がふえても、憲法に従って全国民公平の
原則というものは貫かなければならぬ。それでなければが通らないのでありますから、私はこれをもう少し直すべきだと思うのです。これに対する今の大臣の答弁では私は納得できない。線の引き方が不徹底です。この点についてなお休憩後に
質問いたします。