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1958-04-14 第28回国会 衆議院 公職選挙法改正に関する調査特別委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十三年四月十四日(月曜日)     午前十時四十九分開議  出席委員    委員長 南  好雄君    理事 青木  正君 理事 古川 丈吉君    理事 井堀 繁雄君 理事 島上善五郎君       犬養  健君    亀山 孝一君       久野 忠治君    淵上房太郎君       眞崎 勝次君    山本 利壽君       中村 高一君    森 三樹二君       渡辺 惣蔵君  出席国務大臣         国 務 大 臣 郡  祐一君  出席政府委員         総理府事務官         (自治庁選挙局         長)      兼子 秀夫君  出席公述人         弁  護  士 坂  千秋君         東京選挙管理         委員会委員長  吉田 直治君         東京地方労働組         合評議会議長  岡本丑太郎君         評  論  家 斎藤 きえ君  委員外出席者         総理府事務官         (自治庁選挙局         選挙課長)   皆川 迪夫君     ————————————— 本日の公聴会意見を聞いた案件  公職選挙法の一部を改正する法律案内閣提  出)及び公職選挙法の一部を改正する法律案(  島上善五郎君外八名提出)について      ————◇—————
  2. 南好雄

    南委員長 これより会議を開きます。  つきましては本日これから公聴会を開催いたします。  この際申し上げますが、本日公述人として御出席になりました方は、弁護士坂千秋君、東京選挙管理委員会委員長吉田直治君、東京地方労働組合評議会議長岡本丑太郎君及び評論家斎藤きえ君、以上四名の方々であります。  なお、先に公述人として選定いたし、一応御報告いたしました吉村正君及び清水慶子君より、それぞれ本日出席できない旨の連絡がありましたので、ここに御報告いたしておきます。  議事に入ります前に委員長より公述人各位に一言ごあいさつ申し上げたいと思います。本日御多用中のところ特に御出席をお願いいたしましたのは、さきに御通知申し上げました通り、本委員会におきまして目下審議中の内閣提出公職選挙法の一部を改正する法律案及び島上善五郎君外八名提出公職選挙法の一部を改正する法律案は、いずれも国民の重大なる関心を有する法案でありますので、成規の手続によりましてここに公聴会を開催し、学術経験を有せられる方々公述人として選定し、各位の御意見を拝聴し、もって本委員会の審査に資したいと存ずる次第であります。つきましては、何分とも以上の趣旨をお含みの上、それぞれのお立場より腹蔵のない御意見の御陳述をお願いいたしまする次第であります。  なお、議事の進め方につきましては、公述人意見陳述の発言時間はお一人当りおおむね二十分以内とし、坂さん、岡本さん、吉田さん、斎藤さんの順序にお願いし、一応公述人の御開陳が終了いたしました後、委員側の質疑があれば、これにお答え願います。  それでは、ただいまより内閣提出公職選挙法の一部を改正する法律案及び島上善五郎君外八名提出公職選挙法の一部を改正する法律案一括議題として、公述人意見を聴取し、議事を進めます。  まず、坂千秋君より御意見の御開陳をお願いいたします。公述人坂千秋君。
  3. 坂千秋

    坂公述人 先に内閣から御提出改正案につきまして、その次に島上さんほか八名御提出改正案について、私の考えを率直に申し上げます。  これは、一昨日資料をいただいたのでありますが、法文のこまかいことまではとても調べがつきません。幸い法律案要綱というものをいただいておりますので、その要綱に基きまして申し上げたいと思います。  第一は、選挙区に関する事項でありますが、これは、実は、私は、選挙制度調査会委員をいいつけられまして、その方の調査会で、府県会議員選挙区の関係は最近に答申をいたしたのであります。大体その答申の線に沿った改正案と思われるのでありまして、従いまして、私個人といたしましては妥当な改正でないかと思っておるのであります。もっとも、これは選挙区のことであり、全国関係のあることでありますから、非常に重大なことであるには違いありません。違いありませんけれども、なぜ事が起ったかといいますと、郡が、ことに最近の町村合併によりまして非常に変な格好になってしまいました。たくさんに割れたのもありますし、いびつな格好になったのもありまして、従って昔の郡と様子が変っておるものですから、その変った郡を昔のように郡市を強い意味の基本とする選挙区に考えていくということは、ちょっとまずいのじゃないかということが、事実上全国的に起っておりまして、従ってそれを是正するという意味と私は承知しております。従って、考え方によりますと、きわめて事務的な改正でありまして、あまり政治的な考慮というものは入っておらぬものであります。従って、政治的のお立場からも、あまり議論というものはないのじゃないかと私は考えております。郡が変な格好になりましたけれども、しかし、郡を全部取っ払ってしまいまして、町村というものをつかまえて、それで選挙区を作っていくかということも考えられぬことはないのでありますけれども、しかし、また、これは、選挙区の作り方がいろいろ紛争の種になりましょうし、めんどうな問題も起るでありましょうから、やはり郡というものは一応の標準としては従来通り残しておいて、しかし、そのうちで、妙な格好になっておるところは適当に是正する。あるいは分けるとか、集める。集める方が主でありますが、ばらばらに郡が五つにも六つにも分れたようなところもありますし、そうでありませんでも、二つにも三つにもなっておるところもありますので、そういうものを集めてやる。そして適当な格好にする。そのやり方は各府県府県の議会で条例でやられる。こういう考え方であります。あまり小さなものは、どうしてもそこで一人定員をとりますと、他の方に悪い影響を与えますから、あまり小さいものはどうしても合せてしまわなければいけないし、そうでもない程度のものは、やるかやらないかということは条例できめる。各府県自由裁量に待っておるのであります。飛び地についても大体考え方は同様と思います。こういうことでありますから、これは、ひっくるめて申しまして、妥当でなかろうかというように考えております。ただ、合せる場合の標準については、ここにも書いてありますように、「行政区画衆議院議員選挙区、地勢、交通等事情を総合的に考慮して」というのでありまして、こういういい方をするほかはないと思います。全国それぞれ事情が違いますから、一律に標準をきめることは、かえってしゃくし定木になって困る場合も起りましょうから、こういうことは、あと府県側の良識に待つということになると思うのであります。これは妥当ではないかというように考えております。  それから、経過措置の問題でございますが、これはきわめて部分的なことではありますけれども町村合併を国策としてやって早く済んだところは、特例を使ってすでに一回選挙が済んで、特例が二度使えないことに現行法ではなっております。この町村合併がおくれておるところは、来年の選挙のときに、そでの特例が使えるということになります。これは、それでもよいじゃないか、一ぺん特例でやったのだから、それで均衡がとれておるのじゃないかというような考え方もあるかもしれませんが、しかし、来年の選挙というものを頭に置いて考えてみますと、どうも彼此均衡を失するという点もあり、そう一回限りということをあまり厳格にいうほどのこともないのじゃないかというので、次の選挙だけは、早く町村合併の済んだものでも、最近合併したものと同様に、特例を認めてもよいのじゃないか、そういうふうな趣旨であろうと思います。そういうふうに調査会では審議いたしたのであります。同様の趣旨でありますならば、私はそれでけっこうじゃないかと考えております。  それから、次は、選挙期日の問題でありますが、これは、全体を率直に申しますと、きわめて事務的な改正でありますけれども、これは若干そうでないという考え方もあるであろうと思います。新聞でもこのことにはかなり批判的な論調があったのを私も読みました、二十五日を二十日に縮めるというのでありますが、これは、新聞その他にも、現在ここにお集まりの議員の方方の前で悪いですが、現在の議員の方が自分に都合のいいようにするために、つまり競争に有利にするためにこういうようにしたのだ、こういう考え方批判もあるようであります。そういう考え方もあるかもしれません。それも否定できないかもしれませんが、しかし私はそうとばかりも思わないのであります。実は、率直に申し上げますと、私は大した問題ではないというように考えている一人であります。二十五日であろうと、二十日であろうと、これはあまり極端に二十五日が縮まってしまってもいけないのでありますが、五日くらいなことは大して問題じゃないのじゃないか、こう思っておる一人であります。選挙が、告示があってから選挙の日までの間が二十日とか二十五日で一切が済むものならば、大へんなことでありますが、実際は、もう長い間にわたって、政策の徹底、政党活動、組織の活動にいたしましても、すべて年じゅう行われておりまして、私はそれは正しい意味においてよいことだと思うのであります。選挙は、選挙のときだけをいうのではなくて、常日ごろから自分たちはこういう考えを持っている、あの人はこういうものの考え方をしている、そういうものの考え方自分たち賛成だからそれに投票するというような行き方が、むしろ正しい行き方ではないかと私は思っております。そういうことでありますと、二十日か二十五日ということは、そういう日ごろの努力をそこであぶり出しにするといいますか、そこでいよいよ具体的な結果にまとめ上げるという作用をするもののようにも思われるのでありまして、そういうことを考えますと、二十日くらいでいいんじゃなかろうか、それでもいいじゃないかと思います。これは多少私の想像が入りますが、おそらく金がかからなくて済むとか——金がかからなくて済むといいましても、法定費は変えてないそうでありますから、表向き法定費用は変らないわけでありますけれども、私ども局外者として申し上げてよろしいでありましょうが、そう表向きでないような費用もやはり幾らか要るんじゃないかという気もするのでありまして、結局期間が短かいということは、候補者負担が軽くなるということがあるのではないかと思います。それから、二十五日やりますと、からだがえらく疲れて、しまいには歩けなくなって、はしご段をはって上ったというような話をよく聞くのでありますが、そういう意味の効果もあるかもしれませんし、かたがた私も世間でとやかく言っていることを知っておりますけれども、これでいいんじゃないか。外国でもそんなに長くやってないのじゃないか。もっとも、これは制度がいろいろ違いますから、簡単に比較することはできないかもしれませんけれども、まあいいのじゃないかと私は考えております。  それから、投票、開票に関する事項は、これはほとんど事務的なことでありまして、特に申し上げることもないのであります。ただ、不在者投票のことだけは、従来郡市であったのを市町村単位不在者範囲をきめることになりまして、かなり不在者範囲が広がって参りますと、悪くいえば乱用されるのじゃないかというような非難もあり得るとは思いますけれども、私は、投票というものは、弊害のない限りなるべく便宜を計らって、自由にできるようにしていくのがいい、こういう基礎的な考え方を持っておりますから、投票事務をする人は事務がふえてちょっとめんどうになりますけれども、できればこういうことをやっていいじゃないか。ことに、郡という格好が先ほども申し上げましたように変なものになっておりますから、これを市町村に変えることもよかろうと思っておるのであります。  選挙運動に関する事項は、これは、はがきを何枚ふやすとか、ポスターをふやすとか、町村長選挙のときに自動車が使えるようになるとかいうようなことでありまして、それについては私は取り立てて意見というほどのものを持っておりません。これでいいじゃないか、こういうことで皆さんがいいとおっしゃるなら、それでけっこうだろうという程度考え方であります。町村長だけなぜ自動車を使えないんだと、町村長が何だか不満らしく言っておられたことも、二、三回私の記憶にありまして、できるならそういうことも認めてやったらいいじゃないかと思っております。その他、立会演説会選挙管理委員会の指定する町村でやるとか、点字投票をどうするとか、あるいは立会演説会演説順序のきめ方を、今までのように、一律一定に、一ぺんきまったらそのまま繰り返してぐるぐる回るということではなくて、抽せんでできるような道を開くということも、実情に合っておるのではないかと思います。私どもはその辺のことはよくわかりませんが、それが実情に合っているのではないかという感じがいたします。  それから、その次は、一口にいうと、選挙管理委員会が、裁判所でやるように証人を呼び出して、きちんとした形で証言を求めて、そこで訴願裁決をするという道を今度開こうということになっているようであります。これも私は賛成であります。私は、弁護士をしておりますので、選挙訴訟のことをときどきやるのでありますが、実際高等裁判所に出て参りますと、訴願裁決といいましても、第一審の判決と同じように両方からひどくやります。裁判所の方もやりますし、攻撃する立場の人はどんどん攻撃していきまして、県選管としてはやりにくいだろうと思います。何かきちんと自分意見をまとめる道を作っておいてやらないと、その道を作らないで攻撃だけやたらにされるということは気の毒でありますから、この程度の、証人に宣誓をさせて陳述を正確にさせる。——これは、事実として、証人裁判所でころっとひっくり返って前と全然別なことを言ったという事例もあるのでありまして、そういうことがないようにするということはいいのじゃないか。少くとも、選挙管理委員会訴願という制度を認める限りは、この程度のことは必要であろうと思います。  それから、市町村選挙管理委員会の定数を、三人を四人にするというのでありまして、これも三人では一人が出てこないとすぐ困るというところから、事務的に四人にする——府県がたしか四人でありますが、それと同じようにしよう、管理委員会の運営をなめらかにしようという趣旨のように理解いたしますので、これもけっこうでないかと思っておるのであります。  それから、一つちょっと申し落しましたが、立会演説会で騒ぐ人間に退場をしてもらうという場合の秩序保持に関する規定が強くなっておりまして、今までは「退場させることができる」というような規定だったのが、「退場させなければならぬ」というようになっておるようであります。これも事実そういった必要の場合があろうと思います。従って、それ自体を決して悪く言う理由はありませんが、ただ私がちょっと心配しますのは、これが選挙管理委員会の仕事となりますと、選挙管理委員会でうまくやれるかどうかということが一つ。それから、なかなか言うことを聞かない人が出てくるのじゃないかということ。それから、このごろは訴訟を言い立てる人がいろいろなことを言うのでありまして、これが選挙管理委員会がそうしなければならぬという義務になっておりますと、それを十分にやらなかったということを選挙無効の原因の一つに並べる——それだけではどうかと思いますが、入れて、こういうことを十分やらなんだということで、選挙訴訟の種を一つふやすような心配が若干ないことはないと思います。これは立会演説会秩序保持のためにやむを得ぬということであり、またその方の強い理由によって必要であろうかと思いますけれども、この点が少し心配ではないかというふうに考えております。  以上、内閣提出の案につきまして概略申し上げた次第であります。  それから、島上さん外八名御提出の社会党の方の案であります。  第一は、連呼行為自動車の上で連呼する行為を八時から六時までの間やらしたらどうかという御意見でありますが、これは、前にあってやめて、今度は少し前よりも——前は時間の制約があまりなかったのでしょうが、とにかく復活しようとするような格好になるのですが、私は、これはどうだろうか。そう強く御反対申し上げることはありませんけれども、何しろ騒々しくて、何々さんを頼みますとか、ごあいさつに上りましたとか、人の名前を唱えるだけで一向中身のないものでありまして、せっかくやめたものなら、すぐ変えなくてもよかろうじゃないかというふうには考えております。  それから、立会演説会を七十回以上という、これは立会演説会を御利用になることは非常にけっこうと思いますが、七十回という回数意味があるようでありますけれども、七十回というのは多い。実際は、よく存じませんが、四十回かせいぜい五十回、そんなものじゃないかと思うのです。これを急に七十回にしますと、朝からでもやることになるのでしょうが、選挙期間二十五日が二十日になるという点にもからんでくるのかもしれません。従って、二十日にするのには反対だということになるのかもしれませんが、少くとも二十日になった場合を考えますと、これが七十回というと、一人一日の負担が非常に多くなりまして、うまくやれるであろか。人が集まってくるだろうか。それ以外の選挙運動にかなり制約をつけることになりますと、そういう点で少し多過ぎるのではないかという感じはいたしております。  それから、その次の、これは非常にむずかしい規定なんですが、一口に申しますと、各国会議員方々後援会というものを持っておられるようでありまして、その後援会名義でいろいろな方面に寄付する、それが事実上の脱法になっておるのだから、その後援会名義寄付をやめたらどうか、こういうことに御趣旨があるのであろうと思われるのであります。私は、その後援会名義でどういう程度寄付全国的にあるのかないのか存じません。よく事実を知りませんので、従って、その点からどうも申し上げることに遠慮があるのでありますが、これは非常にたくさん行われておって困るということであれば、何とか方法を講ずることは必要であると思います。従って、こういう趣旨立法をされることに私は決して反対ではありません。しかし、これは、立法技術の点からいいますと、かなりめんどうなこともあろうと思いますので、十分その点は考慮を必要と思いますけれども趣旨は、もしこういうことが広く行われておるのであれば、やはり脱法を防ぐという意味においてけっこうではないか、こういうふうにも思うのであります。  大体以上申し上げた通りであります。
  4. 南好雄

  5. 岡本丑太郎

    岡本公述人 私もまず内閣提出改正案について先に述べますが、総体的に見て、この中で最も改正重点ともいわれる点は、選挙期間の問題が一番重点になるんじゃなかろうかと思うので、あと事務的改正と思われるような点については省略をしたいと存じております。   まず、運動期間の問題については、これでは二十五日を二十日に改めると、こういうのでございますけれど  も、これについては、今もいろいろと公述された要旨の中にもございますが、私としては、やはり少くとも現行の二十五日くらいがいいじゃなかろうか、こういうふうに考えます。と申しますことは、選挙が、今日のように長い期間、たとえば三年以上も置かれて選挙するような場合と、いろいろな政治的な情勢でにわかに解散をするような場合も想定しなければならない、こういう場合に、短期間内に行われるこういったような場合と、長い期間、こういう選挙から選挙までの期間の長かった、こういう場合とでは、大へん事情も違ってくると思います。長い期間を置かれた場合においては、どうしても新しい選挙民有権者というのが相当ふえるということを予想しなければならぬ。今度の場合には、三年以上も経過するわけでございますから、相当の有権者がふえる、こういうような新しい有権者というものは、候補者から、それぞれその人の考えなり政策、こういうものを聞くという機会が十分与えられてこなければならない。古い人はある程度何回かの選挙でその人の考え等もふだんから聞く機会もあるけれども、新しく出られる候補者についてはなかなかそういう機会というものが少いので、新しく有権者になられる国民あるいはまたそうでない一般の国民に対しても、でき得るだけ十分そういう批判機会をまず与えるべきであろう、こういうふうに考えます。それから、もうもう一点は、やはり新聞でもこれまたいろいろ批評されたように、新しい人が進出する機会が狭められるのではなかろうか、こういうことが憂慮されているわけでありまして、この点は十分そういう危険があると存じます。特ににわかに解散するような場合においては、古い人は、相当、その選挙地盤の中において、日常活動を通じて選挙民に訴える機会がありますけれども、新人としてはそういう機会がないので、新しく出られるような人は特段に不利な選挙を戦い抜かなければならないであろうということも考えられる。こういうような考えで、私はまず二十五日の現在ぐらいが適当じゃなかろうか。要するに、問題は、公明選挙であるべきものが逆に不公明な選挙になり、あるいはまたそのために事前運動がもっと激しくなるというような危険が出てくるのではなかろうか、こういうふうに考えるので、二十日よりは二十五日くらいがよろしいのではなかろうか、こう考えます。  それから、もう一点、ポスターはがきをふやすということについては、これは非常にけっこうなことだと思います。むしろ、私は、公営選挙趣旨から考えていくと、実際にはここできめられる程度はがきではないと思うのです。事実上はそれよりはもっともっと多いものが出されてでいるのが実情じゃないかと存ずるのです。これはそれを出すということになれば違反になるけれども、実際問題としては、公営選挙趣旨から考えれば、今度の案に見られるように、もっともっとふやしてもいいのではないかと、むしろの点は考えております。原則的には、ポスターはがきを増加しようという点については、これは賛成だということが言えます。  それから、島上善五郎君外八名の方々によって提案されておる改正案について、若干述べてみたいと思います。  この中で、立会演説の問題ですが、これはやはり選挙期間を二十日にするかないしは二十五日にするかということによって、大へん違ってくることだと考えますけれども立会演説会はできるだけ回数が多い方がいい。時間はもし何ならば多少短かくてもいいから、回数はできるだけ多くすることがいいんじゃないか。この改正案提案趣旨の説明の中にも、現在全国平均四十五回から四十八回ということが述べられておりますが、私は、少くともそれ以上——七十回というふうにここには出ておりますが、七十回がいいかどうかということも議論の対象になろうかと思いますけれども、少くともそれくらいまで立会演説回数をふやしていく。それでは一体どういう方法でそういう立会演説をやるか、たとえば昼間からやるか夜やるかという問題もあろうかと思いますが、その方法等については私はいろいろ工夫をこらしたならば、七十回くらいを消化することはこれは十分できるのじゃなかろうか。今日われわれは、公明選挙を唱える立場からすれば、できるだけ選挙民に接して、その中で各政党政策を訴えて浸透をはかる、そうしてまた各政党政策の違いというものを選挙民に十分徹底せしめるという趣旨からいくならば、これは秩序ある立会演説、こういうものによって浸透をはかっていくということが、民主主義政治の根底をなすものでなければならない、こういうふうに考えるわけでありまして、そういう意味合いから考えまして、私は、少くともそのくらいまで立会演説をふやしていくのが適当ではなかろうか、こういうふうに考えるわけであります。  それから、街頭における連呼の問題ですが、これは、提案から参りますと、午前八時から午後六時までを許したらどうか、こういうことであります。連呼の問題については、過去においていろいろの批判がございました。これは、それこそ朝暗いうちから夜おそくまで、深夜にわたってそういうことが行われたということで、大へんこの点には批判が出て、廃止の原因になったかと存じておりますが、ある一定時間をきめて連呼をするということは、それほどうるさいということにはならないのじゃないか。むしろ、うるさいということでいけば、それ以上のものがたくさんあるわけだし、ことにそう数ある選挙ではない。要するに、衆議院の場合には、二大政党対立という現状から考えるならば、今後といえどもそうちょいちょい解散があるわけでもないだろうし、まあ三年に一回か二年に一回くらいは、国民としても多少うるさいというようなことはがまんしてもいいのではないか。従って、深夜早朝というようなそういう時間が避けられるならば、連呼は許してもいいのじゃないか。ことに、選挙戦の終盤というようなところにくると、各候補者とも選挙の追い込み戦で熱中してくるきらいもあるかもしれないけれども、事実上は何か連呼しておるような行為も相当見られる。これは取締りの立場に立つ人もなかなか取り締りにくいと思うのです。そういうことから考えてくれば、私は、今申し上げたように、そういう現況から考えるならば、ある程度の連呼くらいは許してもよろしいのではないか、こういうふうに考えるわけであります。  それから、寄付行為の問題ですが、これは世上いろいろなうわさが飛んでおります。的確に、資料をもってどれだけの寄付行為が行われたということを、今直ちに私は提示すべき用意はございませんけれども、しかしながら、公明選挙を行う、こういう意味から考えていくならば、寄付行為を厳に取り締って、そういうことのないようにすることが最も大切ではなかろうか、こう考えます。やはり何々区では何々という人の後援会がどれだけの寄付をこういうふうにしたとかああいうふうにしたとか、そういう話はしばしば聞くものでございますが、これは、やはり、今後における粛正選挙を行うという前提に立つならば、これを厳重に禁止するという方向にいかなければやはりいけないのではなかろうか、こういうふうに考えるわけであります。  大体おも立った点についてだけ私の考えた点を以上申し上げた次第であります。
  6. 南好雄

  7. 吉田直治

    吉田公述人 私は、東京都の選挙管理委員長並びに都道府県選挙管理委員会連合会会長の職を汚しておるものでございます。従いまして、私は、選挙を管理するという立場におきまして、一応私の意見を申し述べてみたいと存じます。きわめて要約いたしまして申し上げます。後ほどまた御質疑でもありました場合には、お答えいたしたいと思います。  まず、政府案につきまして私見を申し上げます。  第一に、都道府県会議員選挙区の画定方法に関する改正の問題でございますが、これはきわめて妥当な改正であると考えております。特に飛び地の取扱いにつきましては、一定の条件のもとに地方議会にその処理をゆだねておりますが、これもまことに適切な方法であると信ずるものでございます。  第二に、選挙期日に関する事項につきましては、期間が短縮されます結果、当然に選挙管理委員会といたしましてはその事務処理に過重を加える結果になりますけれども、この点につきましては、委員会といたしまして、極力努力いたしまして、事務処理に過誤なきを期したいと考えております。ただ、これにつきましては、かねてより私どもの主張しております事務局設置によるこれの充実強化の問題につきまして、きわめて近い将来においてぜひとも実現方を御高配賜わりますよう、この機会に特にお願い申し上げる次第でございます。  次に、法第百二十二条の二の新設規定につきましては、これによって従来の見解を統一いたしました点、まことに適切な改正であろうと考えます。  以上のほか、不在投票の拡大、町村長選挙自動車等の使用を認められたこと、その他の諸点につきましては、いずれもかねてより選挙管理委員会といたしましてもその必要性を認めておった件でございまして、異論ございません。特に異議の申し立て、訴願の審理につきまして、証人喚問の制度を設けられましたことは、選挙管理委員会の処理上非常に好結果をもたらすものと存じます。  また、市町村選挙管理委員会委員定数三名を四名として、三名以上出席した場合に委員会が成立するものと改正されましたことは、選挙管理委員会の機能を合理的に発揮いたしますために当然の改正であると考えますので、この点ぜひとも実現方をお願い申し上げたいと存ずるものでございます。  次に、社会党案に対する私見を申し述べてみたいと存じます。連呼行為につきましては時間的制約約と場所的制約とあって適当な案とも考えられまするが、ただ、実際上の問題といたしまして、時間的取締りが的確に行われるかどうか疑問の点があると存じます。地方選挙の場合におきましては、特に相当喧騒にわたるおそれがあると思います。このことにつきましては、これはまあそう大した問題でもございませんが、一人ルールを破りますと、連鎖反応みたいに全部がこの連呼行為を行いまするので、特にこの法律の時間的あるいは場所的制約なんということは、実際問題としてこれは行われない。従いまして、選挙が終盤戦でもなりました場合には、演説者の趣旨が通らない、喧騒で何を言ってるかさっぱりわからぬという場合がある。特に駅前広場なんかにおきましては、がちゃがちゃして、何を言っているんだかわからぬ。連呼行為はこういう点におきまして非常に弊害があると存ずるものであります。でありまするから、これはまあ禁止——禁止してあってもやるんです。これはもう禁止してあってもなかなか守られない。これをちょっとゆるめたならば大へんなことになると思うのであります。これはまあおよしになった方がいいと存じます。  第二に、立会演説会の開催数を七十回以上にすることにつきましては、先ほど申し述べました通り、現状では従来の回数以上に開催することは困難な実情であります。と申しますことは、かりに二十五日といたしますると、十八日間立会演説会の日程に使える。ところが、二十日になりますると、せいぜい十四日しか使えないことになります。従いまして、東京都あたりの例にしますると、入口が百万以上もふえております。法定されておりまするところは人口四万に対して一回、こういうことになっております。従って、現在の法律でも、東京あたりは、この次の選挙には三百二十回ぐらいやらなければならぬということになるのであります。これは、都におきましては、目下この法律を守りまして、きわめて忠実に三百二十回の数を行うつもりでありますが、しかし、現在の市町村選挙管理委員会の弱体では、私ども現在の法律でも責任者としては非常に不安でございます。従いまして、これを七十回以上にすることは、現在の選挙管理委員会の弱体におきましては、とうてい耐えがたい過重になると思うのであります。これはまあ、人口がふえた上に、ことに二十日間になりました場合には、これは、東京都あたりでは、けっこうな案でございますけれども選挙管理委員会といたしましてはとうてい過重に耐えられない。こういうことをやりましたならば、必ずトラブルが方方に起りはしないか、こういう心配があるのであります。従いまして、どうか現在の法令通り一つおきめを願いたい、こう考えるものであります。  第三、寄付行為でございますが、これはもちろん異議はございません。けっこうと存じます。  最後に、私は法改正の時期につきまして希望を申し上げたいと存じます。公職選挙法は現在まで数次にわたり改正されておりますが、いずれも選挙を直前に控えての改正でございまして、選挙人に対して周知徹底する余裕もなく、改正趣旨浸透を見ないうちに選挙が行われる結果、選挙の執行事務に混乱を生ずるばかりでなく、法の不知による違法行為が多いのでありまして、法の改正は法公布後施行までに相当の期間を置いてされるよう、特に将来に対してお願いいたしておきます。  以上で私の陳述を終ります。
  8. 南好雄

  9. 斎藤きえ

    斎藤公述人 公職選挙法の一部を改正する法律案の政府案と社会党案に対して、思いつくままに私の考えを述べてみたいと思います。  まず、政府案について申しますと、第一点は、選挙区の修正の問題でございます。私どもは、選挙区修正といいますと、すぐに例の小選挙区法案のことを連想いたしまして、それの前触れではないかしらんというふうに早合点をするのでございますが、今回の政府の改正案は、町村合併に伴って自然に修正をされるべき性質のものである。その場合にゲリマンダーなどはしないのだ、事務的な修正であるというふうな解釈のもとに、この選挙区の修正は問題ないというふうに考えて、賛成をいたします。  第二は、選挙運動用のはがきポスターのことでございますが、はがきは五割、ポスターは六割ふやすというふうなことは、これは選挙公営面を広げるというふうな意味合いから賛成でございます。ふえたポスターなりはがきなりは、なるべく有効に賢明に使ってほしいと思うのであります。  第三に、選挙管理委員会委員をふやすということ。この人数をふやしますならば、ふやされた部分はなるべく婦人を補充してほしい、こういうふうに考えます。  政府案の一番の問題は、やはり選挙運動期間の短縮の問題だと思います。その点、新聞やラジオの論評では、顔の売れた旧人に有利である、新人候補には不利だというふうな論評が載っております。また、ある新聞などは「御老体喜ぶ」というふうな小見出しをつつけているところもございますが、まことに適切な批評だと思います。私どもは、日本の政治の若返りを望む、老朽化を防ぐというような意味合いからも、選挙運動期間の短縮には賛成をいたしかねるわけでございます。選挙運動期間が短縮されますと、必然的に個人演説会が減りますし、街頭演説会、立会演説会というふうな回数が減らされてくると思います。私ども選挙民にとりましては、政党政策候補者の人物や経歴を知り、これを比較検討するというふうなことに、相当長い期間をかけて、じっくりとこれを勉強してみなければならないと思うのです。特に家庭の婦人が立会演説会に行くというふうなことになりますと、しょっちゅうは行けません。時間的にも制約がございます。従って、なるべく家庭の婦人の都合のいい時間を選んでいただきたいというふうなことを考えますと、今度の選挙運動期間の短縮ということは賛成いたしかねます。特に、この点では、公職選挙法の百五十三条の四項には「事情の許す限り、その回数を多くするように努めなければならない。」と書いてあるように記憶いたします。そういうふうにいたしますと、この選挙運動期間の短縮はこの条文にももとるのではないかというふうに考えます。  次に、社会党案についてでございますが、以上私が述べましたことで大体御判断いただけると思いますが、繰り返して、申しますと、一の選挙運動期間の短縮に反対立場をとっておられる社会党案に賛成でございます。  それから、立会演説会回数をふやすこと、これもけっこうでございます。ただ七十回以上というふうに明記する必要があるかどうか、この点私にはよくわかりません。  それから、候補者の名前を冠した後援会の名による寄付行為、これを禁止するというふうな提案には賛成いたします。本来なら、こういう禁止規定がなくても、候補者寄付行為をしあるいは候補者名義の後援会名義寄付をするというふうなことは遠慮さるべきだと思います。禁止規定があっても、法の盲点をくぐって何とかしよう、法すれすれの違反行為をしようという議員の心理、候補者の心理は一種独特のものだと思いますが、そういうふうなものからいえば、禁止規定を明白にしておく必要があるのではないか、こういうふうに思います。  社会党の島上議員の提案理由の中に、選挙運動を受ける国民立場から十分に考えなくちゃならないというふうなお言葉があったように思うのでございます。これはまことに同感でございます。この点、私ども選挙民立場からいいますと、政府案にも、社会党案についても、選挙民立場からする改正という点の配慮が少いように思いまして、不満でございます。私ども有権者立場から見ますと、ポスターの大きさが一センチ長くなろうが、少くなろうが、細くなろうが、そういうことは大して問題ではないのであります。一人の私ども有権者にとって望む改正の点というふうなものはどういうことなのかということを一、二申し上げて、御参考にしたいと思うのでありますが、たとえばこういうことを私ども有権者として改正してほしい。それは、公職選挙法四十五条、四十六条の改正、記名式を記号式に改めるというふうなこと、それから百六十七条、「選挙公報の発行」のことでございますが、今の公報は人物本位の公報になっておるようでございます。候補者の経歴のことばかり書いてある。しかし、特に衆議院の選挙の場合には、政党本位の政策公報に切りかえてほしいと思っております。むしろ、今のような候補者の経歴とかあるいは主張とか、そういうようなものは政策公報に付随した付録のようなものでけっこうではないかと思います。今の公報を見ますと、候補者が勝手な熱を吹いておる。同じ党の中の候補者が、一つの問題について全然違ったことを平気で言っておるようなことがございます。こういう今のような公報を見ますと、有権者は、同じ党内のどっちの人の言い分が一体ほんとうなのかといって惑わされる場合もございますし、極端にいえば、今の公報というのは、判断の材料を与えるというよりも、むしろ迷わせる材料が多いような気もいたします。従って、衆議院の選挙公報の場合には、今後政策本位に切りかえていただきたいというふうに、私は、私見でございますが、お願いしたいと思います。  以上が私の今度の改正案をめぐる感概でございますが、公職選挙法改正というふうな場合、いつでも感じますことは、さっきもどなたかおっしゃいましたが、非常にどろなわ式な感じがする。それから、やはり議員本位の感じがいたします。今後は、やはり選挙民本位の改正案ということで、どろなわ式ではなく、じっくりと腰を落ちつけて、あまりちょいちょい変えなくてもいいようないい改正案を出してほしいと思います。
  10. 南好雄

    南委員長 以上で公述人意見開陳は一応終了いたしました。  これより公述人に対する質疑に入ります。質疑は順次これを許します。  島上善五郎君。
  11. 島上善五郎

    島上委員 最初に吉田さんにお伺いいたしますが、前回の改正によって、立会演説会回数事情の許す限り多く開催するように、こう改正したわけであります。これは、前回、与野党一致しまして、立会演説回数はなるべく多くしよう、こういうところからこの改正が行われたのです。ところが、前回そういう改正を法文でしたにもかかわらず、実際には、その改正をする前、つまり前々回と事実上は変りがなかった。そこで、私ども回数を法文の中に明記する必要があるのではないかと考えたのであります。七十回という回数は、現在の選管の弱体な機能では耐え切れないという御意見でしたが、確かに現在の選管の機能からいえば負担が重くなることは事実であります。しかし、たとえば、土曜日、日曜日の午後二回くらい開くことは、私は不可能なことではないと思うのです。また、今まではどこもやっていないようでありますが、街頭のしかるべき場所で一日一回くらい立会演説会をやることも、これは負担が重くなることは事実ですが、不可能なことではないと思うのです。私の考えている通りできるかどうか知りませんが、かりに私の考えを申しますれば、トラック一台借りて、拡声機を備えつけて、うしろへ立会演説者の氏名掲示をするような仕組みを考えてやれば、比較的容易に一日一回程度ならば街頭の立会演説会ができると思う。そうしますれば、二十五日間の期間を短縮するということになれば別ですが、私どもは短縮すべきではないという建前に立っている。二十五日間ということになれば、七十回は決して不可能ではない、こう考えております。現在の選管では今までよりも非常に負担が重くなることは考えられますけれども、私どもは、かねがね、選管に対しては、事務局を必置するようにすべきである、予算措置についてももっと考慮すべきであるという考えを抱いておりましたが、現在の選管の機能をこういうふうに強化すればできる、また私が指摘したような方法ならばできるというふうにお考えになられないかどうか伺いたい。
  12. 吉田直治

    吉田公述人 お答えいたします。  ただいまの御意見まことにごもっともとも存じますが、現在、市区町村選挙管理委員会事務職員というものは、直接専任の事務職員というものはまことに貧弱なんです。せいぜい六人しかおりません。選挙になりますると、他の事務局部から応援に来てもらう。こういうようなわけで、実際選挙管理のいかなるものであるかということを知らない方々が多く選挙事務に携わられる。従いまして、私ども立場において責任を持って選挙管理をいたす者といたしますると、どうも不安でしようがない。東京都の場合におきましても、人口は御承知の通り先の選挙に比較しますと百万以上ふえております。従って、今私ども計画を立てておりまして、ほぼこれもでき上っておりますが、法令では人口四万に対して一回、こういう法定になっております。これを忠実に守ってやってきておるのであります。まあ二十日間でもできないことはなかろうというので計画を立てておりますが、相当過重の面があります。ずいぶん私どもといたしますれば不安を感じます。ばかな過重をしましてトラブルが起った場合には、責任はこっちにあります。どうぞその点を御配慮いただきたい。現在の法定されている線ではぎりぎりの線だろうと私ども考えております。とうてい七十回などということはむずかしい。ことに、現在の法定でいきましても、東京都全般にわたりましては三百二十回の立会演説会をやることになっております。従いまして、七十回なんという数になりますと、大へんな数になります。まあ、やられる方におきましては、何でもないじゃないかというようなお考えもあるかもしれませんが、しかし、なかなか責任を持ってこれを無事故に管理するということは、ずいぶんむずかしいことであります。先ほど申しました通り、これも、手がそろっておりますれば、できないことはありませんが、選挙管理というものは、必ずしも立会演説会だけでなく、ずいぶんいろいろな面がありますので、全部の吏員をそっちにさくわけにいきませんし、実際申しますと候補者方々は必死ですから、それは大へんなんです。従いまして、この点は、今まで通りの四万人に対して一回という法定通りの線でごかんべんを願いたい、こう考えております。
  13. 島上善五郎

    島上委員 吉田さんにもう一ぺん伺いますが、日曜、土曜日の牛後の立会演説会とか、あるいは街頭の立会演説会ということを全然お考えになったことがないかどうか。一体不可能なのかどうか。先ほど斎藤さんからの公述もございましたが、私は、婦人が立会演説会に聞きに来れるような便宜を考えますならば、やはり、昼間、ちょうど昼食の跡片づけをしてから夕食の支度をするまでの間の時間といったようなものを、特に婦人に道を開くために立会演説会考えてもいいのじゃないかとかねがね思っておりましたが、そういうことは一体できないものなのかどうか、考えたことがないかどうかということを一つ……。
  14. 吉田直治

    吉田公述人 ただいま街頭で立会演説会を開催してくれという御希望でありますが、街頭で予定いたしますと、もし雨でも降りました場合は、聴衆が全然困ってしまいます。また、やられる方々も、ずいぶんこれは困ると思います。従いまして、立会演説会に限り、そういうことを考えたことはございません。  それから、夜間に立会演説会を婦人のためにやったらどうかというお話でございますが、もちろん夜分にやります。七時後または昼間と二回もやる区がございます。ことに、島上議員の区におきましては、とても立候補者数が多いわけでありまして、二班に分けてやらなければおさまらない。従いまして、昼間もやり夜もやるというふうにやっております。計画もそのように立てております。どれだけの数の候補者が今度立候補されるかわかりませんけれども東京都におきましては、少くとも八、九十名、百名近くの立候補者が現われるのではないかというふうに考えて、スケジュールも立てておる次第でございます。どうぞさよう御了承願います。
  15. 島上善五郎

    島上委員 吉田さんにもう一点伺いたいのですが、今度の政府案によりますと、例の百五十九条一項に改正を加えております。それは立会演説会の問題ですが、「立会演説会の会場において演説を妨害し又は立会演説会の会場の秩序をみだる者があるときは、これを制止し、命に従わないときは会場外に退去させることができる。」こうありましたものを、「退去させなければならない。」こういう強い義務的な規定にしたわけです。そこで、私ども心配しますのは、「させなければならない」という義務的な規定にしたために、かえって会場の中の混乱が収拾つかないような事態を起すおそれはないかということであります。この制止をきかない、命に従わないということは、悪質な妨害者がある場合を予想しているわけです。そういう悪質な妨害者が、かりに、聴衆が五百人、千人とぎっしり入っている会場の中に、計画的に数カ所に五人、十人と配置されているというような場合に、一体現在の、あなたがおっしゃった弱体な選挙管理委員会の力をもってして、これを実際上退去させることができるかどうか。「退去させなければならない。」こうなっておりますが、退去させることができるかどうか、私ははなはだ不安なきを得ない。そうすると、「退去させなければならない」という義務規定があるのだから、演説者から、「退去させなければならない」という規定があるじゃないか、どうして退去させないのだ、こう言われた場合には、選管としては非常に困ってしまうという事態が起る。そうなれば、勢い警察官の出向を求めなければならぬ。警察官の出向を求めるには相当時間を要するということになれば、その立会演説者の定められた二十分とか二十五分とかいう時間は、そのために大きく食い込んでしまう。私は、この場所で先般も質問いたしましたが、大きく食い込んだ場合に、それじゃその時間を延長することができるかどうか。これはできない。延長すれば、その次の会場、その次の会場と全部狂っていってしまうのですから、これは事実上不可能です。こういうようなことを考えるならば、これは現在の選管にはできないような重荷を背負わせるという結果になり、今言ったように、そのことのために会場がよけいに混乱し、収拾しがたい状態に陥るのではないかということを私ども心配するわけですが、選管の委員長であり長年経験しておられるあなたは、どういうふうにお考えになるか。
  16. 吉田直治

    吉田公述人 その点、私どもちょっと憂慮している点でございます。先ほど坂公述人からもちょっと触れられたようでございますが、今までの「退去させることができる」ということを、「退去させなければならない」ということに表現が強化された場合を考えますと、まことに島上議員のお言葉のようなことを感ずるのであります。だが、この表現が強化されても、私どもは従来の通りやればいいのだというような考え方で今おるわけであります。東京都におきましては、従来の経験では、割合に御心配になるような点は今までなかった。中には酔っぱらってきて、大きな声を出して妨害をするというような聴衆もおりましたが、大体、全般的に見まして、静粛に候補者の所論を聞くという態度の聴衆が多いのであります。私どもは、この表現がこういうふうになろうとなるまいと、そう心配はないじゃないか、こういうような気持でおります。しかし、警官を入れてどうこうというようなことは考えておりません。警官など入れた日には、またえらいことになりますので、そういうことは考えておりません。できるだけ責任者に会場の整理はしてもらうが、こういうこともあるんだというようなことで整理の言葉を与えられることは、やはり会場整理に一つの、何といいますか、圧力を加えるのじゃないか、こういうような考えでおります。別にこういうように表現が強化されようとされまいと、今までと同じような態度で会場を整理すればいいじゃないか、こういう気持でおります。どんな結果になりますか、やってみなければわかりませんが、そういう考えでおります。
  17. 島上善五郎

    島上委員 私は、実はこの法律改正と関連があると思っておりますが、立会演説会一つやめようじゃないかという意見が、かなり政府与党さんの中にはあったそうですが、今度の改正にそれを出すと工合が悪いものだから、今度は見合せましたけれども、そういう相当強い意見があったことは事実であります。その理由一つに、立会演説会はヤジがあったり妨害があったりして効果がない、こういうことをあげているわけです。しかし、私どもは、今までの経験からすると、今吉田さんの言ったように、東京などでは、ほとんど感きわまって激しく発言する場合もあるが、あっても、これは演説を妨害すというほどの強いものではない。それから、だんだん選挙民の良識が発達して参りまして、そういう妨害もだんだん少くなってきた。それから、候補者がもし計画的な悪質な妨害をすれば、そういう妨害をすることによって、かえってマイナスになる。マイナスになることをあえてするということは、だんだん考えてくるわけですから、そういう意味においても、悪質な妨害というものは、事実上だんだん少くなってきておるし、これからも少くなると思います。ですから、むしろ、こういう義務規定というものは、ここで考えるのはどうか、こう思っておる。これは言葉の表現が変っただけとおっしゃいますが、退去をさせることができるというのと、退去をさせなければならない——これははっきりとした義務規定なんですから、かりに、私が演説中にある妨害があった。退去をさせなければならないという規定があるじゃないか、退去さしてくれ、こう要求があったら、選管では困ってしまうと思うのです、退去をさせなければならぬという義務規定なんですから。そういうような選管で困るような大きな重荷をこの法文の改正意味している、含んでいるというふうに心配するわけです。東京は幸い悪質妨害者はありませんけれども、地方にはなおまだ若干あるそうですが、そういう悪質な妨害があった場合に、このような強い規定がありますと、ほんとうに選管としては措置に困ってしまうような事態が私はないとは言えないと思うのです。これに対する御答弁はよろしいですが、もう一点吉田さんにお伺いしたいのは立会演説会回数の問題です。政府は、この二十五日を二十日に短縮するということを提案しました際に、二十五日を二十日にすれば立会演説会回数が非常に少くなる。また個人が街頭を回って演説する機会も非常に少くなる。これは、候補者にとって都合が悪いばかりでなく、選挙運動を受ける国民政策や人物を知る機会を多く得ようとする選挙民にとっても非常に不都合な改正である。こういうふうに私ども指摘しましたが、特に、立会演説会回数については、選管に一生懸命に準備の努力をしてもらって、二十五日の場合と二十日に短縮した場合とは、実質的に立会演説会を減らさぬようにできると、こういう答弁をしておった。自治庁長官が、どこか今逃げてしまったのですが、午後からまた来てもらって質問しますが、私はそうではないと思うんです。あなたが答弁したのがほんとうだと思うんです。二十五日の場合には立会演説会十八日ぐらいできる。二十日に短縮した場合にはせいぜい十四日ぐらいであろう。これはほんとうであろうと思うのです。どうしたって前後の準備というものがかかるのですから、立候補者が立候補の届出をして、受け付けて、立会演説会の班別編成をして、しかも掲示の印刷物の準備をしてということになれば、どうしたってその間準備の日数がかかるわけで、あなたのさっきの公述によりますれば、二十日になった場合にはせいぜい正味十四日、二十五日の場合は十八日くらいである、こういうことです。そうしますと、二十五日の場合には、準備に、おそらく最終日の立会演説会ができない日をも入れていると思いますが、一週間を見ておる。二十日に短縮した場合には六日間と見て、一日だけは今までよりも準備期間を少くするという選管のこれは努力の結果だと思いますが、これだけの違いがありますけれども、結局は、二十日にした場合には、二十五日の場合より正味四日間立会演説会が少くなる。一晩に三回やれば十二回少くなるという結果が、あなたのさっきの公述で出てきたわけです。政府では、そういうことはない、実質的には今までと変りないようにやれる、こう言う。そんなことを言って、それは机の上のその場限りの答弁なんだ。実際に選挙管理の衝に当っている管理委員会の人から私はあとから聞くが、そういうものではないといって質問しましたが、政府では、あくまでも、実質的には今までと変りのない演説会をやれるのだ、こう答弁をしておりました。この点についてもう一度あなたの御意見を伺いたいと思います。
  18. 吉田直治

    吉田公述人 先ほどもこの点申し上げたのですが、これは非常に努力は要しますけれども、今まで通り回数はできなくはございません。決して減るものではございません。先ほどそんなことを申し上げませんでしたが、何かお聞き違いじゃなかろうかと思います。法令では人口四万人に対して一回ということになっております。従って、先のときには、たしか三百五回そこそこの回数であった。今度は人口が百万ばかりふえましたので、東京都におきましては約二十回ばかりふえます。従って、東京都においては、先のときよりかたいへんな数がふえることになります。決して私どもはそれを避けるものではありませんで、法定通りのスケジュールを立てまして、約三百二十回この立会演説会をやることにほとんど決定しております。また、各区の選管にも集まってもらいまして、そのようなスケジュールを立てている次第であります。これは政府でどういう御答弁をなさったか知りませんが、選管といたしましては、二十日になりましても法定通りをやる、従いまして前回の回数は確保できるという考えを持っている次第であります。
  19. 島上善五郎

    島上委員 回数は前回程度確保できる、こういう御答弁でしたが、先ほどのあなたの公述の中には、二十五日の場合には、立会演説会をやる日は正味十八日ぐらいである、これは二十日に短縮すると十四日ぐらいである、こういう公述がございました。そうすると、そこに四日間の開きがある。四日間の開きを単純に考えますと、一日三回やったとすれば十二回の回教が減るわけです。それを埋め合せするには、他の日に今までより回数を多くしなければならぬ。多くしなければならぬといっても、夜間たしか最後に三回やったと思いますが、三回を四回ということは不可能である。そうしますと、その回数を実質的に今までと変りないように確保するためには、昼もやらなければならぬ。私がさっき言ったように、土曜日、日曜日の昼間やらなければならぬ。あるいは場合によっては街頭も考えなければならぬ。こうしないと、十二回という回数は埋め合せできないと思う。日数から計算しますと、どうしてもそうなる。ですから、その減る四日間の日数の回数減を埋め合せするためには、三回を四回にするか、それとも昼間やるのかという具体的な方法考えられていなければ、実質的には減らないようにするといっても、私どもはそのまま信用するわけにはいかぬわけです。具体的にどういうようになさる案をお持ちですか。
  20. 吉田直治

    吉田公述人 お答えいたします。実は仰せの通り夜三回やっておった場合がございます。今回日数は減りましたし、東京都におきましては人口もふえました。そこで、二回のところと三回のところとあったのですが、その二回のところを三回にいたしますれば、もちろん昼間もやりますし、夜もやりますが、どうやら法定回数だけはやれる、こういう今事務当局の話です。
  21. 島上善五郎

    島上委員 どうも少し御答弁があいまいで具体性がないのですが、ぜひ一つ実際に減る四日間の分を他の日にやるような具体的な案を一つ考えてやっていただきたいと思うのです。これは御答弁は要りません。強く御希望申し上げておきます。  最後に、私ばかりというわけにいきませんから、坂さんに一つだけ伺いますが、私どもの方で寄付制限の改正を百九十九条の四として出しました。それは、先ほど、坂先生の公述の際に、趣旨には賛成である、しかし技術的に立法技術としてはどうかという御見解の表明がございました。御承知のように、今日百九十九条は「特定の寄附の禁止」、百九十九条の二は「公職の候補者等の寄附の禁止」、百九十九条の三は「公職の候補者等の関係会社等の寄附の禁止」でございます。百九十九条の二には「公職の候補者又は公職の候補者となろうとする者は、当該選挙に関し、当該選挙区内にある者に対し、寄附をしてはならない。」とあり、また百九十九条の三には、公職の候補者または公職の候補者となろうとする者が取締役、理事、監事等代表の地位にある法人、団体等が、公職の候補者となろうとする者の名前を表示し、または類推されるような方法寄付をしてはならない、こういうふうにあるわけでございます。それで、私ども、この二点との均衡考えまして、百九十九条の四に、公職の候補者または公職の候補者となろうとする者の名を冠した、つまり俗にいう何々君後援会という団体の寄付を、この前三条との関連において、この四に挿入いたしたい、こういう改正案を出したわけです。私は法律についてはしろうとでございますけれども、この均衡の上から、百九十九条の四に、そういうような公職の候補者の名を冠した団体、後援会寄付を制限することが適当ではないかと考えて出したわけでありますが、これが立法技術上、こういうような形式では何か非常に大きな難点でもございましたならば、御指摘願いたいと思います。
  22. 坂千秋

    坂公述人 私の申し上げ方がちょっとまずかったようですが、そういう意味ではなかったのです。これは、大体御趣旨はよくわかるし、賛成です。だが、こういう規定を作るときは、えてして抜け道があるものでありますから、立法技術の上で相当考慮すべき点があるかもしれない、まあその程度に申し上げたつもりでございまして、あるいは言葉が不十分であったかもしれませんが、この点で、当初に申しましたように、私は、法文を一々詳しく実はまだ勉強もしておりませんので、そう強く申し上げる準備がまだありません。ただ、ここに、氏名が表示され、または氏名が類推されるような名称が表示されておる団体というようなところに——あるいはこれでいいのかもしれませんが、何々君——島上善五郎後援会というようなはっきりしたものもありましようし、何とか会といって、わけのわからない会もありましょうし、そういうものがこれに入るかどうかということにちょっと疑問を持ったものですから、その程度に申し上げたわけであります。
  23. 島上善五郎

    島上委員 確かにそうです。それは春秋会とか箕山会とかいうのがあります。ありますけれども、せめて名前をはっきり冠した団体が寄付することを制限しませんと、前の取締役をしておる、あるいは理事、監事をしておる会社が、その者の名前を類推されるような方法寄付することを前段では制限しているわけですね。そうしておきながら、片方では、古川丈吉後援会、こういうのがあって、それがほとんど寄付してもいいということになると、均衡を失しているわけですね。選挙という言葉があるために、やはりまだ抜け穴があると思いますが、せめて、現行法均衡上からいっても、それくらいのことをしませんと、私は、この前も指摘しましたので、ここでは二度と言いませんが、ある戦犯の大物が実にはなやかな寄付をしておる。社会党の会合まで来て、賀屋興宣君後援会でございますと言って、金一封を出しておる、こういう事実があるんです。伝えられるところによると、三千万円使った、四千万円使った、こういうことを言っている。今度の選挙では少し手おくれかもしれませんけれども、せめてこの次の——来年は地方選挙もありますし、参議院の選挙もありますから、この次の選挙には、現在の均衡上からいっても、その程度改正をしておきませんと、こう考え——幸いこの点は自民党さんも賛成して下さっているようですが、ただ私ども法律はしろうとなものですから、立法技術の上では、これは非常に難点があるというものであれば、また御指摘願えればと思って伺ったわけであります。
  24. 坂千秋

    坂公述人 先ほど申し上げましたように、非常に難点があるというふうには考えておりません。大体これでいいのではないかと考えております。
  25. 南好雄

    南委員長 青木正君。
  26. 青木正

    ○青木委員 坂先生に一点だけお伺いいたしたいのです。  これはあるいは公職選挙法調査会等で問題になったかどうか存じませんが、地方議会の、つまり都道府県議会の議員選挙区の問題であります。御承知のように、現行法によりますと、たとえば、金沢のごときは、県会議員の選挙区、つまり金沢市から十二、三名出るわけであります。そうかと思うと、一選挙区から一人しか選出しない選挙区があるわけであります。つまり、府県会の議員選挙については、各区に定員の制限がないわけでありますが、これで果していいのかどうか。つまり、府県会の議員選挙区についても、一選挙区三名なり五名なり、そういうような最高限の制限をする必要があるのじゃないか。あまりに懸隔があるわけでありまして、同じ府県の中にありましても、ある選挙区は十二、三名の県会議員が選出され、ある選挙区では一名の県会議員しか選出されない。つまり、郡市の区分によっておる結果として、当然そういう結果が出てくるのでありますが、そういう場合に、たとえば、非常にたくさんの定員を持っておる府県会の選挙区については、衆議院の選挙の場合と同じように、三名なり五名なりということに定員の制限をする、つまり、郡市の区分によるとしても、大きい選挙区については分区することができるというような規定を置く必要があるのじゃないかという意見もあるわけであります。そういう点について、公職選挙法調査会において話がありましたか。また、それがないとすれば、坂先生は選挙の問題については昔から御経験がありますので、坂先生の御見解でもけっこうでありますから、これについての御見解をお聞きいたしたいと思います。
  27. 坂千秋

    坂公述人 その点は選挙制度調査会でも話は出ました。そして、選挙制度調査会は、たしか大きな郡でも市でも——北海道の支庁管内というのは非常に大きいので、十人も十五人も出るのですが、そういうところは分けるという道を講じたらどうかという意見もありまして、答申にもそれが入っているのではないかと思いますが、この改正案にはそれが入れてないようです。それは、当時から反対と言うと語弊がありますが、そうするとどこまで分け得られるかわからぬでしょうし、極端な小選挙区みたいに——金沢の例を引かれましたが、金沢が十二に分け得られるかどうかわかりませんけれども、十二に分けてしまうことは、ゲリマンダーの問題も起りますし、ほかの郡とのつり合いもございまして、郡ばかりむやみに小さくすることはどうかと思う。今の三名、五名という標準もございますけれども、これはやはり各県それぞれの事情もありまして、そういう全国一律というのはちょっとむずかしいのじゃないか。それじゃ、総理大臣といいますか、政府の認可といいますか、同意といいますか、政府と連絡をとった上、あまり変なことにならぬようにという意見もありましたけれども、それはしかし、府県会の自律、ことに府県会の構成の問題ですから、あまり政府が立ち入るということは、自律権、自治権ということの関係もあって思わしくないじゃないかということで、その方もうまくいきません。結局分ける道だけあけたような結果になっております。しかし、いわゆる小選挙区論というのは、普通は衆議院についていうことでありますけれども府県会についても可否の論はやはり十分あり得ることでありますから、これは私の想像ですけれども、そこいらの議論が巻き起ることを懸念して、これが落ちているのではないかと私は想像しております。しかし、あまり大きいのは分けたらどうかという意見調査会にありまして、標準は書いてありませんが、分け得る道を開く答申にはなっております。
  28. 南好雄

    南委員長 井堀繁雄君。
  29. 井堀繁雄

    ○井堀委員 お昼の時間に入って大へん恐縮でございますが、重要な点を一、二お尋ねいたします。  先ほど公述人の皆さんからのお話の中で、まず斎藤さんのお述べいただきました中で、きわめて重要な点を御指摘いただいたと思うのでありますが、私どもは、日ごろから選挙法と取り組んで参りまして、絶えず、その改正の必要性の中で、あなたから御指摘いただきましたこの選挙法が、ほとんど毎年といってよいように、選挙のあるたびに、また選挙の種類ごとにひんぱんに選挙区を改正してきている。元来、選挙法は、公職選挙に対する基本的な法案として厳たる法の威厳を維持させたいというわれわれの念願からいっても、そう四六時中変えるべきではないのではないか。ことに、選挙法は選挙民のために十分なる配慮を加えなければならぬにかかわらず、どうも立法府の地位を利用するかのごとき議員の御都合主義に取り扱うきらいがあるという世論の非難を御指摘になりましたが、全くその通りだと思うのです。そこで、あなたが具体的に例をおあげになりました中で、現在日本の議会は理想的な姿にははるかに遠いのでありますけれども、一応二大政党の形を構成しておるわけであります。ところが、この選挙法は、そのことを期待しておる部分もありますけれども、従来の経験では、二大政党に対する経験というものが土台になっていないように思うのであります。そこで、あなたが選挙民の側から候補者の政見を批判される際に、同じ政党に属しながら、その政党政策を正しくその候補者が代表しているかどうかというような点に疑いを持っておるような御指摘がありましたが、全くわれわれもじくじたるものがあります。もちろん、民主政党でありますから、基本的な党の政策については同一でなければなりませんが、それぞれの候補者の持つ持ち味、政見の幅はあると思うのです。しかし、このことをやろうとすれば、結局小選挙区法の問題が出てくると思うのです。私どは、今日小選挙区法を実施するには、もっといろいろな条件を深く掘り下げて、その条件が整わない今日、いきなり小選挙区に持っていくことは危険であって、決して理想追求の前進ではないと考えて、反対をしてきておるわけです。こういうような矛盾もありまして、あなたも御指摘になりましたように、選挙法をもっと根本的に掘り下げて、腰を据えて検討を加えて、抜本的改正をやるべきではないか。こういうことはもっともだと思います。こういう御指摘がありまして、今回も実はごく部分的な改正だと、提案者側では答弁を繰り返しておるわけであります。しかし、必ずしも今回の改正は、単なる条文の調整をするとか、あるいは当面迫られた事務的なものを処理するための法案改正ではないというので、主張してきたのであります。そういう関係から、あなたの発言を非常に私は重視いたしておるわけでありますが、今日の場合、やはり同じ選挙区で同一の政党から候補者が複数的に出てくる場合には、党内における候補者同士の競争もまた熾烈になること、あるいは他党よりはもっとひどい点も出てくると思うのであります。こういう点について、選挙民の側からいいますと、政党本位に選ぶことの不便さやあるいは不合理さを御指摘になったと思うのであります。こういう点を曲りなりにも今日の選挙法の中で解決していこうとすれば、どうしても、立会演説会やあるいは文書による党の政策候補者の持つ政見のニュアンスといいますか、そういうものをあまねく承知してもらうより仕方がないのです。今回の改正の要点でありまする二十五日間を二十日間に縮めるということは、この意味からいきまして私は非常なマイナスだと思うので、こういう点に対してあなたも反対意見のようでありましたが、むしろ、そういう点からいいますならば、もっと選挙期間を大幅に拡大していかなければならぬ。もちろん私は選挙運動期間を長くすることだけがこの目的を達する唯一のものとは考えません。しかし、現状では、現行法によりましては、それ以外に合理的にそういう道を開いていくことができるだろうかどうかという点に疑いを持っているものですから、あなたの発言は非常に重要だと思うので、お尋ねをしておきたいと思います。
  30. 斎藤きえ

    斎藤公述人 実は私は専門家ではありませんので、小選挙制度の問題と、私が申し上げた選挙公報を政策本位に切りかえるべきだということを、つながりをそうつけなくともよさそうに思っておりました。小選挙区制は私ども反対でございますが、それと切り離して、事務的に選挙公報を政策公報に切つりかえることができるように私ども考えておりましたので、そういうことを主張しておったわけでございます。それはもう少しよく勉強してみまして、それが小選挙区法とからんで出てくるのかどうかということは、もっと私は勉強してみたいと思っておりますが、できればやはり政策公報に切りかえてほしい、こう思っております。選挙運動期間を大幅に拡大するというふうなことは、私は、その大幅とはどのくらいか、まだ具体的に考えてみたことはございませんが、今の二十五日を二十日に短縮するということに今さしあたり反対ということで、もっとよく勉強してみたいと思っております。
  31. 井堀繁雄

    ○井堀委員 今の問題に関連いたしまして、坂先生に一つお答えいただきたいと思うのは、先生は選挙制度調査会のメンバーになっておいでのようでございますが、私どもは、やはり今日二大政党を指向して、しかも議会主義を通じて民主主義の政治を押し進めようとする場合には、今日の選挙法では非常に多くの欠陥があるのじゃないか。先ほど齋藤さんから御指摘になったような、もっと抜本的に選挙法それ自身について検討する必要がある。御存じのように選挙法がたびたび変る。ようやく選挙法をのみ込んだと思ったらもう変る。ですから、選挙のたびに実際問題として個々まちまちの解釈をして、ひどいのになると、四、五回前に改正したものをもって答弁するような選挙管理委員会があるようなわけで、それを責める前に、周知徹底のできないほどひんぱんな改正をした責任は、むしろわれわれ議会側にもあるような感じがいたすのであります。それは部分的には改正を要すべきものももちろんありましょうけれども、基本法それ自身に対するもっと思い切った改革を必要とするのじゃないかと思われるのであります。調査会などにおきましては、そういう御意見がきっと出たものと思うのであります。先生の御意見を、いい機会ですから、この機会にお聞きかせ願いたい。
  32. 坂千秋

    坂公述人 今回の調査会は、府県会議員選挙区、それは、市町村の大合併がありまして、その部分の形が妙になりましたので、それに伴う意味府県会議員選挙区の問題と、それからもう一つは参議院の全国区の問題であります。これはまだ結論も何も得ておりません。今回はこの二つが選挙区ということで諮問になっておりますので、選挙法全体ということではありません。従って、今お述べになりましたような点についての議論は、今回の調査会には大してなかったと思います。けれども選挙制度調査会というのは、前からずっと繰り返し繰り返し長くやっておりまして、私も何回か関係しております。しかし、お述べになりましたような意味の、そういう趣旨考えの方はおられるように思います。私もそれはごもっともに思います。ただ、これは申すまでもありませんが、選挙制度だけでありませんで、すべての制度は新憲法によって根こそぎひっくり返ってしまったようになりましたので、一応大ざっぱに作ったものがだんだん手直しが必要になるということは、すべてがそうであります。選挙制度につきましても同様で、非常に手直し的なものも行われております。しかし、だんだん日本全体も少しおさまってきましたので、そういうことも減るかと思います。私は、ただ、個人的に申しますと、選挙制度、大きい意味でいえば現在の選挙法は、昔からずっと継続してちょっと個人本位になり過ぎておりまして、もう少し政党本位に考え直していかなければならぬのじゃないか、こういう感じを持っております。大きな問題でありますから、そういう感じを持っておるということを申し上げておきます。
  33. 井堀繁雄

    ○井堀委員 斎藤さんにもう一度お尋ねしておきたいと思います。  あなたが御指摘になりました今回の改正は、町村選挙管理委員会の三人の定数を四人に増加する、その分の補充を婦人からという主張はごもっともであります。半数以上の有権者を持つ婦人が選挙管理委員の中に四対一くらいの割合で入れないということは、全く不合理だと思う。しかし、実際問題として、選挙管理委員会の今日の実態というものは、あまり責任が重くて、その機能を十分発揮するためには非常な欠陥があると思う。それはやはり個人にその無理がしわ寄せされてきて、選管の今日の存在というものは、理想的な姿から見まして、要求することが非常に多くて、それを補強する方法が全くなっちゃいないということをいつもわれわれは言っておるのでありますが、先ほど吉田さんからも御指摘がありましたように、もう少し事務局を設けるとか、それから専任の書記を置くとかいうようなことは、一般からいうと、そんなものはとっくにあるだろうと思い込んでいるだろうと思うのだが、そういうものがないのです。でありますから、選管吏員の個人の努力というものは、われわれの側から言いまして全く申しわけなく思っているくらいなのです。そういう点で、選挙管理委員の適材を得るということに対してなかなか問題がありまして、この委員会でもひどいのがあるのです。地方の知事の選挙をやるのに、その知事の全く下僚である副知事や部長が選挙管理委員長あるいは選挙管理委員の任に当ったり、それから、地方の市長の選挙をやるのに、現職の助役や収入役が選挙管理委員長をやったりしている。そんなことはむちゃくちゃなのです。しかし、それを追及しますと、なかなか適材を得ることができないので、欠陥を知りながらもそういう選考をしているのだという答弁を繰り返してきております。改めるとは言っておりますが、なかなか一挙に改まらぬというような不平もあるわけであります。こういう点で、私はもっと御婦人がこういう委員会に顔を出せるようなことを念願しておるものですから、ちょうどあなたからいい機会にそういう御発言がありましたので、もっと具体的に、何かこういう方法で見つけたらどうか、あるいはこういうところに気をつけたら選べるのじゃないかという御意見がもしありますなら、この機会に参考に伺っておきまして、大いにそれぞれの関係者に実行させたいものだと思っております。
  34. 斎藤きえ

    斎藤公述人 今の御発言では、何か選挙管理委員会委員の仕事が非常に煩瑣で、えらいというふうな点から、婦人があまり適任じゃなさそうな印象を受けるような御発言のように伺ったのでございますが、私が知っております二、三の婦人の選挙管理委員も現にございます。大阪などは市に婦人の選挙管理委員長がおりますが、男子以上の仕事をしておられます。煩瑣な仕事とおっしゃいますけれども、煩瑣な仕事といいますのは、事務的にもう少し人数をふやすとか、いろいろな手があると思います。ですから、これは選挙管理委員会事務の面、あるいは選挙事務の面にもうちょっとよけいに国家が予算をやれば、それで済むことではないかと思います。とにかく七十何億も汚職をする余裕があるならば、当然、選挙管理委員会に、もう少しよけいに、事務的な面、あるいは啓蒙宣伝の面に予算をさいて、そうして婦人の選挙管理委員が、そう肉体的な重労働をしないで、婦人の知能を動員して公明選挙にプラスになる、そういう面から、既存の選挙管理委員といいますか、それは大体ボスさんにつながるような人が多いのですけれども、婦人の純粋な立場から、公明選挙への情熱を持った婦人の知能を動員する、そういう意味合いから、今度ふえます選挙管理委員にはぜひ婦人を補充していただきたい、こういうふうにお願いしたいと思います。
  35. 井堀繁雄

    ○井堀委員 私も全くあなたの御主張に同感ですから、ぜひそう願いたいと思っております。  それから、もう一つ、あなたからお触れいただきましたことで、日ごろから私の懸念している点でありますが、それは選挙民としての婦人の立場です。私は、公正に、歯にきぬを着せないで申しますと、男子と女子というように有権者を二つに分けることはどうかと思いますが、分けて考えますと、婦人の投票というものは、あまり無意識のうちに多くの投票が行われておるんじゃないかという見方を私はしておる。あなたの今の御主張は、できるだけ家庭婦人が候補者の政見を直接聞いたり、あるいは候補者に接する機会を多く持たなければならぬということですが そういう点でも、選挙運動期間を短くするということは弊害がある。また、立会演説会回数が減るというようなことなどからも、そういう一点を私どもは非常に気にして、この法案の二十五日を二十日に短縮することについて反対をする大きな理由にあげておるわけであります。ただ、家庭婦人の場合に、一体立会演説会回数をふやしたからといって、演説会に顔を出すことは現状としてなかなか困難ではないか。そういう点で、どういう方法で婦人に候補者と接するような機会を作ったらいいかということを、常々われわれは考えておりますけれども、今のところ名案がわれわれにもございませんし、政府案もその点に対して言及されたような提案がまだ行われておらぬわけであります。いい機会でありますから、この点に対して何か御注意をいただければ、非常にけっこうだと思います。
  36. 斎藤きえ

    斎藤公述人 その点で、さっきもどなたかお触れになりましたけれども、そういう家庭婦人の票が無意識の票に流れがちだというふうな御意見でありました。これはやはり日ごろの啓蒙宣伝をもってしなければならないと思います。そういう意味からも、予算をたくさん取っていただきたいと思うのです。これは、婦人の票が無意識だとかなんとかいって、男女と相当質的に違うような御指摘でありますけれども、そういうこともあるかもしれませんが、何と申しましても、婦人は選挙権をもらいましてからまだ十二、三年です。男子の方々は七十何年間の政治経験を持っていらっしゃるわけで、それに比べると七分の一しかないということになるわけでありますが、そういう比較論からしますれば、婦人の票の質的な面からいいますと、そう低くはない。ただ、啓蒙活動といいますか、身につけた政治意識の長さの年月が少いということだと思います。そういう点からいいますと、私は、割合にこの短時日の間に婦人はここまでよくもきたものだというふうにさえ感ずるのでございます。これは、私は、大阪の選管の委員長になりました村山りゅうさんにこの間申し上げたことでありますが、婦人の票の質が高いのか低いのかということを一ぺん調査してみてくれませんか。——第一次欧州大戦後だったと思いますがドイツで、ある一州だけを限って、婦人と男子の投票用紙の色分けをしましてとったことがあるわけです。そのときの結果は、ドイツの場合には婦人の方が質的に高かったというように、データがちゃん出ております。ですから、多分大阪あたり一つ選挙区を限っておやりになったら、果して、今あなたがおっしゃいましたように、婦人の票が無意識に流れているかどうかということの試験をしてみたらどうかということを、大阪の選管の委員長さんに私お願いしておきました。これは部分的にはできるのではないかと思います。全般論からいいますれば、やはり御指摘のように無意識に流れるのですから、これは特別に選挙管理委員会あるいは兼子さんの方から大いに啓蒙宣伝活動をやっていただくということで、もうちょっと長い目で婦人の票を伸ばすように見ていただきたい、こう思います。
  37. 井堀繁雄

    ○井堀委員 坂先生にちょっとお伺いいたしたいのでありますが、先ほどあなたの公述の中で、二十五日間の選挙運動期間を二十日に短縮するということについては、さしたる実害はないのじゃないかという御見解のようでございます。その例として、候補者側に対するかなり御同情ある御発言でございましたが、たとえば経費の負担あるいは肉体的な労苦に対する軽減といった、ようなものは、確かにこれは二十日と二十五日は非常な違いがあると思います。そういう点では私どもは全くおっしゃる通りだと思います。しかし、それは見方を変えれば五十歩百歩ということであって、それよりも、もう一つ重要なことをおあげいただいたのは、政党政治でありますから、政党が、日常活動の中で、議員があるいは候補者となるべき者が、日ごろから選挙民に常時接触するという日常活動を通じてという御主張がございましたが、これは私は非常に重要な御指摘だと思うのです。しかし、ここで一つむずかしい問題があると思うので、ちょっとあなたにお答えいただきたいと思うのは、きょうちょうど私汽車の中で新聞を読んでみましたが、朝日新聞の「声」という投書欄の中で、農村の人の投書が出ております。これは「青年の公明選挙運動に期待」するという見出しがつけてありまして、その中にこういうことが書いてあるのです。「農村の封建性は、事前運動に対し好個の条件を備えていて、きわめて自然に、容易に票の獲得ができる。近来向上しつつある農民の政治意識も、このような事前運動によって催眠状態におかれ、その政治的関心がふみにじられている。」こう結んで、前に書かれておりますのは、今日の農村をこれは重く見ておるようでありますけれども、言論や文書による発言、いわゆる政見の周知方というものの活用を全くこれは過小評価しておる考え方で、むしろ選挙運動というものは事前運動にある。その事前運動も、ここで言っておるのは先生のおっしゃるのとは全く違いまして、これは情実あるいは買収、供応といったようなものをここではあげておる。これが非常に多い。こういうものと、ここに今先生のおっしゃるのとを考えてみますと、それは常時啓発の運動をもっと積極的にやれということを、予算化の問題などで、これはもう超党派的に政府を督励し、予算獲得のために努力してきておるのでありますが、わずかに一億ばかりの委託費を組んでおるにすぎぬのでありまして、実際はこういう姿であって、そこで選挙運動期間を二十五日を二十日にするということは、先生の言うよい意味での日常活動にいかないで、一番効果の上る買収、供応あるいは情実などを通じて勝利を得ようとする動きに、またそれが移行する傾向の方に、短縮というものの弊害が出てくるのじゃないか。ここに私どもは実際問題と理想とのギャップが思われるのでありますが、この辺に対して先生のお考えはいかがでしょう。
  38. 坂千秋

    坂公述人 大へんむずかしい、しかし重要な御質問と思います。私の自分だけの考えは、先ほど申し上げましたように、根本的には政党というものが政治活動を常時やっておらなければいかぬ。これは、実際見ますと、私は、現在では、社会党というか、革新政党の方がむしろ進んでおりまして、保守系は非常におくれておるのじゃないかと思います。保守系は、むしろ保守党というものはこういうものだ、保守主義はこういうものだと受け身に回らないで、積極的に、保守主義のよさ、保守党というものの存立価値というものをもう少ししみ込ませる努力をなさらなければ、私は近代政党としての発達がとまってしまうのじゃないかと思います。今お述べになりましたごちそうとか、バスに乗せて東京見物、こういうことはもってのほかでありまして、こういうことはいけません。これは明瞭であります。こういうことはいけないのでありまして、そういう意味じゃなく、もっとまじめな方の活動をやっていく必要がある。これは考えておられるようでありますが、はなはだ口幅ったいことでありますが、私はそう考えております。またそういうふうになっていくと思います。たとえば、私も、この前のイギリスの総選挙のありましたときに、ちょうど調査会関係で二、三人視察してこいというので参りまして、あそこの政党へ行って、いろいろ話も聞きましたが、結局、あそこでは、政党は常時選挙区の培養——ということはまじめな意味の方でありますが、そういうことで骨折っておるのであって、選挙というものは、その日ごろの努力がどれだけ実っておるかということを、あぶり出してみる、こういったものの考え方で進んでおるように見えました。そうきっちりといかぬと思いますが、私はそうあるべきものだとそのときも感じたのであります。従って、選挙期間というものにあまり——選挙の告示があってから二十日か二十五日できめてしまうということは、実際はできもしませんし、また、新入といいましても、それは、幾ら新人でも、社会党でも自由党でも同じだと思います。やはり日ごろの努力のない人はだめなのでありますから、あまり新人々々といっても、結局そこだけで勝負をきめ得るものではなかろうし、今申しましたように、政党全体の動きもそうあるべきでありますから、そこで、二十五日が二十日になりましても、そこはあまり違わないという感じを持っておるのであります。しかし、あなたがお述べになりましたことが間違っておるとは毛頭思いません。そういう考え方も成り立つと思います。それから、一番いかぬのは、猜疑心であっても、邪推であっても、現在の議員あるいはかって議員であった人が、顔の売れた人が、自分が得をするためにこういうように縮めていくのだということを、だれが言っておるか知りませんが、そういう声があることであります。新聞も何かそういうことをにおわせることを言っておりますし、何か私の耳にも入ります。これは邪推でしょう。かもしれませんが、しかし、それにしましても、そういう声が上るということは、そのことはいけないことでありますから、それは避けなければならぬことでありまして、非常に残念だと思います。その声が非常に強い声ならば、私はその声も相当聞かなければならぬと思います。思いますが、私の意見はどうだと聞かれるから——公聴会というのはそういう意味であろうかと思いますが、私はそこをそう重きを置いて考えなくてもいいのじゃないかと思います。では二十日、二十五日でも足らぬからというので、三十日、四十日になったら困るのであります。また二十日を十日に縮めろとはだれも言いません。程度の問題で、ほどほどでいいのじゃないかと思います。こういう考えであります。
  39. 井堀繁雄

    ○井堀委員 先生のお考えはよくわかるのでありますが、ただ、先生のお考えというよりは、きょうは、実は、選挙民の多くの人々の意向を代表して、いろいろ御意見を伺いたいというわれわれの希望もあるわけですから、そこで、実際問題として、二十五日と二十日とは五日の違いなんですけれども、非常に大きな開きが出てくる。具体的に申しますと、立会演説会を減らさないと言っておりますけれども、物理的に、五日間縮めましたら、選挙管理委員会ははなはだ困ると思う。その点については、選挙管理委員長一つお尋ねをいたしたいと思うのですけれども東京のような場合には、比較的会場の選択とか交通の関係というようなものについては恵まれていると思う。今度の改正の中で、政府は、四千以上の町村というやつをはずして、選挙管理委員会の自由載量に期待をしておるようであります。これは、言うまでもなく、数をふやせということで書きかえてきていると思う。実際人口の密度の希薄なところで交通の非常に不便なところがあるわけです。事実上それは五日間減りますし、立会演説会を減らすより仕方がない。だから、それを減らさぬようにやれということは、不可能を求めるようなことだと思う。こういう点で、この改正というものは非常に重大な結果をもたらすのではないか。思い過ごしだといえばそれまででありますが、実際問題として、地方の選管が従来の実績を下らない数の立会演説会を、この五日短縮したものを工夫して実施せよ、という意味意見がこの委員会でも述べられ、政府もそういう考えだということを答えておるわけであります。そこで、私どもとしては、困難だという考えもあり、社会党がここに連呼を復活させてきたのですが、先ほど坂先生も連呼に対してはかなりきびしい御見解をお持ちのようであります。私ども、実際やる方からいうと、情ないという感じがするのです。トラックに立って何か物売りをして回っているようなことは、選挙民よりもよほど候補者の方が情なく思う。それはつらいことでもある。そのつらいことをここで復活しようというのには、多くの有権者候補者とどうして接触の機会を作ろうか——一番いいことは、十分落ちついて政見、政策を聞いて批判をして下さる、あるいは、文書活動などによって、紙背をえぐるような御審判が願いたいのでありますが、事実はそういう理想と遠い姿に置かれている。買収が最もいけなくて、供応が悪くて、その次には情実というような形になって、情実まで今退けてしまったら、理想選挙などというものはどうかと思うくらいの実情を、私どもはずいぶん知っているのです。その一番簡単なのは、接触の機会、近親感と申しますか、一度でも会ったことのある者の方が、会ったことのない者より、その政策はどうの政見がどうのという前に——立会演説会に集まる数は有権者のうちの幾割でもありません。しかし、それは直接開いた人だけじゃなくて、その人から間接にいろいろ宣伝するということもありましょう。また批判の声がちまたに広がっていくという作用もありましょう。ですから、私は、連呼をいうのは、何か、その部分だけを見ますと、大声をあげてどなり歩いて、まるで物売りみたいな感じで、非常に残念に思う。私は、ほんとうにきまりの悪い思いをしてやっている間に、幾らかなれてきて、これも仕方がないと思って、勇気を鼓舞しながらやっているのですが、みじめなものだと思う。しかし、それを排斥したら、買収と供応に変っていってしまう。そして、結局理想選挙に近い姿で選挙運動をやっている者は当選できない。今日、それは常時啓蒙が悪いのだ、選挙民の政治意識が低いのだと言ってみたところで、現実の問題としては、そういう選挙をやった経験のある者はひとしく身にしみて知っていると思う。ですから、事前運動で一番手っとり早いのは現ナマだ。こういう実情とにらみ合せて、われわれは、連呼というものは今日まだ必要な存在ではないかというので、ここに復活を考えたのであります。坂先生はきびしくこれをおしかりになったようでありますが、現実としてはいかがなものでしょうか。先生のように達観されている方は別ですけれども、多くの選挙民はどのようにおとりになるかという観点から、われわれの改正案についてでも御検討はいただけぬものか、また御見解が伺えぬものかと思っている。これは坂先生とI挙管理委員会吉田委員長にお答えをいただきたいと思います。
  40. 坂千秋

    坂公述人 私も、連呼というものはどうしてもいかぬものとかいう、そうした強い意味には考えません。どうしても自分の頭でものを判断するものですから、一般の選挙民がどう考えるかということになりますと、非常に困難に思いますが、何々がごあいさつに上りましたとか、そういうふうな言葉にほとんど尽きているようであります。これをよう来てくれたというふうにとる人と、あるいはわずらわしいととる人がありまして、ちょっとどうだろうかという感じもしております。それから、イギリスのことばかり言うようですが、あそこに参りますと非常に静かです。選挙が行われているのか行われておらぬのか実際わかりません。さればといって、関心がないかというと、発表の日にトラフアルガル・スクェアに行っておりましたが、十時になっても、電光ニュースで発表になりますから、何万という人が集まって見ている。各ホテルにもそれぞれ各選挙区ごとの当選者を出しているということで、関心は非常に持っているようです。これは学ぶべきことだと思いますが、しかし表面は実に静かです。今のお話とまたちょっとはずれるかもしれませんが、そういう点を考えましても、もう少しおとなになっていいのじゃないか、こういう感じがします。
  41. 吉田直治

    吉田公述人 私どもから見ますと、先ほど坂先生からもお答えいただいたのですが、どうも、連呼というものは、はなはだしくなるとかえって有権者が反感を抱く場合がある。何だ、うるさいな、あんな者に入れるか、という考えも起る。また実際連呼は候補者にとって百害あって一利なしと言ってもいいと思う。それは、候補者になれば無理もないと思いますけれども、実際終盤戦になると候補者がある盛り場に集中してくる。そうすると、どこかの駅前、新橋の駅前あたりに行って候補者自分の政見発表をやるというときに、おのおの候補者がそこに集まってきて、おのおのそこについている人たちが連呼を始める。そうすると、趣旨を述べ、自分意見を述べる人たちが何を言っているのかお互いにさっぱりわからない。早くいえば、お互いに連呼で妨害し合っているという姿が現われる。私ども、それを見まして、ああこれはいけないな、こう思うのです。そうなりますと、静かなところ、そうでないところに行きましても、連呼しようがしまいが、有権者の腹はきまっているのです。自分投票しょうと思っている候補者が来ると、ああ来たなと思うのですが、またそれが激しくなると、やはり、何だうるさいなと、かえって年じゅううるさく騒ぎ回るというような感じを受ける。私どもはこれは候補者にとってあまり有利な現象ではないと思うのです。それよりか、たっぷり静かな場所で自分の所見、政見をるると申し述べられた方が、よほど私は有効であると思います。実際言うと、連呼なんというものは何も価値のないものです。さように考えます。
  42. 井堀繁雄

    ○井堀委員 選管の委員長さんは連呼の価値を御否定なさいますが、そういう御見解をお持ちになる吉田先生、坂先生のような、いわば政治意識については指導的な立場をおとりになる方については、これは全く無用の問答だと思う。しかし、現実においては、連呼があった時代とない時代における統計はございませんけれども、連呼が棄権防止の運動に大きな働きをしているという事実は見落してはいかぬのじゃないか。ということは、逆にいえば、棄権する者のおる時代に、棄権するより投票する方がいい。その点は、坂先生のように、私どもも、四、五年前にスエーデンの選挙を見て、うらやましく思いました。ぜひああなりたいものだ、またなれる可能性も十分あると信じておるのでありますが、しかし、そこへ行くのには、ここだけを変えたってだめだと思う。そういう意味で、先生に選挙法全体の問題について実はお尋ねをしたのであります。どうも日本の国民性としてお祭が好きだという。ああいうところがインテリのなかなか理解しがたい味のあるところじゃないかと思うのです。これは大衆としょっちゅう接しておられる岡本さんにお答えいただければ、すぐお答えがどんぴっしゃり出ると思いますが、存外そういうところでは、私はだれそれでございます、今日は、おはようございます、なんという、それが投票になるなんということは、まことにもってナンセンスに近いことなんですけれども、しかし、全然あいさつにも来ない、顔も見たことがない、選挙公報だけ読んで投票するというような気分にもなれぬ、いっそ投票に行くより昼寝でもしようかなんという者が相当あると思うのです。岡本さんどうですか。これは、あなた方の経験からいって、棄権防止の点などでは確かに相当投票が伸びておることは事実だと思う。この点についてのあなたのお考え一つ伺いたい。
  43. 岡本丑太郎

    岡本公述人 私が先ほどむしろ連呼は適当に許していいんじゃないかと申し上げたことは、これは、今井堀先生の言われたように、一つは棄権防止の問題もあるし、それからなお、候補者の連呼の問題も、あまり柄の悪い連呼というのは、これは非常に工合いが悪いんですけれども、そうでない、やはり各町会なり、あるいは適当に人の集まる場所、駅前あたりで連呼合戦をする、これは非常に何が何だかわからない、こういうようなお話もありましたが、このことは、街頭演説の場合でも、駅前に集中して行われることですから、連呼をやめても、やはり街頭演説が盛んになるときは、駅前に集中して少しがあがあしてくる。いうことは連呼の場合とそう変りがないのです。しかし、そういうがあがあがすることはいいことではないけれども、まあ工場であるとか、勤労者の場合なんか、なかなか演説会に聞きに行けない場合も相当ある。夜間作業しなければならないとか、あるいは疲れてあらためて行くことができないとか、こういう際に、しかもそういうところで長いこと話をしているというようなこともできない。従って、そういう工業地帯なんかでも、連呼で、おはようございますとか、とにかく街頭を流しながら簡単なあいさつをしてくるということなんかは、われわれ勤労者の立場からすると大へん便利です。こういう意味で、私は連呼もそう一がいにいけないといえないのじゃないか。しかし、これは時間的な問題として、早朝、深夜というようなときはもちろん避けた方がいいと思っておるのですが、そうでない限りにおいては、ある程度これは許してしかるべきである。確かに日本の選挙はいろいろと騒々しい面があると思います。私も、数年前ドイツの選挙を見たり、それからイギリスの選挙も見ましたけれども、確かに静かであることは事実です。静かであることは事実ですけれども、それには、やはり、国民の政治意識というものが総合的に高められて、その中で長い間の選挙を通じて訓練された一つのものを持っておると思います。日本では、選挙が始まって長いことなるけれども、今日なお一番いけない買収であるとか、供応であるとか、ないしはその他の問題が選挙を通じてしばしば起きてる。こういうような事実を見ても、まだほんとうに、政治に対する国民の意識、あるいは選挙そのものに対する国民の意識というものは総合的に高められていない。こういうところに原因をするわけですから、一挙に静かな選挙をやろうとし、あるいは理想選挙をやろうとしてもなかなかできないわけですから、漸次理想的選挙に近づける、こういう上に立って、一番いけないものから厳重にこれをなくしていく、こういう形の中でやっていく必要があるのじゃないだろうか。従って、連呼の問題も、柄の悪い、あまり騒々しいということは、お互いの良識をもってやらないようにすればいいことで、従って、今言うように、私どもとしては、連呼というものについては、むしろ許していった方が、勤労者の立場からすれば非常にいいのではないか、こう思います。
  44. 井堀繁雄

    ○井堀委員 ありがとうございました。  最後に、投票の日時をいつにするかということは、今非常にデリケートな時期にあると思うのですが、一般には、日曜を避けた方がいいのではないかという意見と、それから、従来とかく日曜日を投票日に選んだ例が多いといったようなものがございますが、これは公述人四人のお方にそれぞれの御見解を率直にお聞かせいただきたいと思います。日曜日を避けた方がいいだろうか。日曜日にした方が適当だろうか。これは皆さんのそれぞれの御見解もありましょうが、多くの選挙人の立場から判断して、お聞かせいただきたいと思います。坂先生から順次御見解を……。
  45. 坂千秋

    坂公述人 外国では、ごく最近は知りませんが、日曜日にしようとか、あるいは、ある日を投票日にきめれば、その日は、日曜になるといいますか、休みになるというようなことまで書いたのがございました。向うでは、それが相当広く行われておるのではないかと思います。日本でそれをまねて最近ずっとやっているんでしょう。例外はありますが、よく存じませんが、しかし、日本人の日曜観は外国人と少し違うところがありまして、日曜だと、かえって遊びに行ってしまうというようなこともないことはないと思います。私は、どっちかといえば、日曜にした方がいいかと思います。その方が何か筋が通るような気がします。しかし、そう強い意味で言うことがどうかには疑問を持っております。そういう程度であります。
  46. 岡本丑太郎

    岡本公述人 私も、日曜がいいか、ふだんがいいかということには、決定的な考え方がないと思います。ということは日曜の日の選挙の場合を見ますと、この前なんか、やはりスキーをかついだり、多く若い連中が土曜日の晩あたりには地方に遊びに行ってしまう、こういうようなことで、かえて日曜を、むしろそういう意味においては避けた方がいいように感ずるのです。ただし、選挙の場合には、官公庁は別として、中小企業の工場なんかで、勤労者に投票機会を十分に与えてくれるかどうかの一つの問題点もありますから、そういう問題とにらみ合せて、日曜日を選ぶか、ふだんの日を選ぶかということをきめてもらうことがいいと思っております。
  47. 吉田直治

    吉田公述人 私ども立場からいきますと、日曜に選挙をやりますと、選挙費用がよけいかかります。超過勤務手当がうんと要る。非常に違うんです。ふだんの日にやっていただくと、選挙費用は少くて済む。それから、統計の示すところでは、日曜であろうと月曜であろうと投票率は同じです。今までのなんでは別に変りません。日曜だからよけい投票者があるとか、月曜だから少いというようなことはないように思われます。  これはこの問題じゃないのですが、ちょっと連呼の問題に触れておきます。選挙管理委員会におきましては連呼をさしていただきます。なぜかというと、棄権防止の連呼を選挙管理委員会では大いにさしていただこう、こういう考えを持ってスケジュールを立てておりますから、どうぞ御了承願います。
  48. 斎藤きえ

    斎藤公述人 私はどっちがいいのかちょっとわかりませんが、やはりこれは選挙事務当局でおきめになる方でいいんじゃないか。日曜出勤でなくて、普通の日の方でいいんじゃないですか。そうすれば、国家の方も手当のよけいな費用が節約できるというふうなことで、この問題はよくわかりませんが、日曜に一応反対しておきます。
  49. 井堀繁雄

    ○井堀委員 どうも長い間いろいろと貴重な御意見を拝聴いたしまして、まことにありがとうございました。私の質問はこれで終りにいたします。
  50. 南好雄

    南委員長 ほかに御質疑はありませんか。——なければ、公述人に対する質疑は終了いたしました。  公述人各位には、御多用のところ御出席をお願いいたしまして、しかも、長時間にわたり、きわめて貴重な御意見をお述べいただきまして、まことに御苦労さまでございました。ここに厚く御礼を申し上げます。  これにて公述人に関する議事は全部終了いたしました。公聴会はこれにて終了いたします。  なお、午後二時から委員会を開会いたします。     午後一時十三分散会