○島上委員 ただいまの答弁はいろいろな問題を含んでおりますが、私は、
選挙法というものは、
選挙に
立候補する者、あるいは
選挙運動をする者の側からのみとかく
考えがちであるという、これはどだい間違っていると思うのです。
選挙運動を受ける
選挙民、国の主人公の側を最も重視しなければならぬと思う。今の御答弁によりますと、少くとも、
衆議院に立つような人は、ふだんから何らかの形で名前が知れておる人であるし、知れておることが必要である、こう言っておりますけれ
ども、そうとは限らぬ。ほんとうに
選挙に臨む、政策を訴える、あるいは
候補者としての人物を紹介し、披露するのは、
選挙運動の
期間だけであります。
選挙運動期間以外にも一般に党の政策を訴える機会はありますけれ
ども、しかし、
選挙、投票、
候補者、政策、こう関連さして
選挙民が理解しようとする機会、あるいはそれに積極的な関心を持つ機会というものは、
選挙運動の
期間であります。
事前運動を御
承知のように今日
禁止しておる、あるいは著しく
制限しておるというのも、そこに
意味があるのです。ですから、
選挙運動の
期間、すなわち
選挙に臨む政策、
候補者としての人物、これを広く
選挙民に浸透、理解せしむるためには、
選挙運動の
期間というものは軽々しく
短縮すべきものではない。先ほどの御答弁にもありましたように、かつては三十日であった。それを二十五日、今度は二十日にしよう、こういうのです。この二十五日を二十日にするというのは、
政府ではさりげないような格好で出しておりますけれ
ども、私はそうではないと思う。というのは、この法案を出すまでに、与党の間にはいろいろな
議論があったことが新聞に報道されておる。その中で、立会演説会を廃止もしくは廃止に近い状態にしようというかなり有力な
意見があったことは、事実であります。それから、トラックを廃止しよう、これに伴って街頭演説も廃止しよう、こういう
意見があったことも、これは事実です。その反面、
個人演説会は無
制限に野放しにやらそう、だからこっちの方は
制限もしくは廃止に近い状態にしよう、こういう有力な
意見がある。しかし、そういうことを同時に今度の
改正に際して出したのでは、世論の反撃も強いし、野党の反対のために国会通過がむずかしい。そこで、立会演説会及び街頭演説会の廃止ということを今度はやめにして、二十五日を二十日に
短縮した。それは簡単じゃないか、こういうような顔をして出して参りましたが、私はそうではないと思う。二十五日を二十日にすることによって立会演説会はやめよう、街頭演説会はやめようということの目的を、三分の一ぐらいは達しておると私は思う。二十日になっても立会演説会の
回数は実質的には変らぬ、
兼子君がそういう答弁をしておりましたが、これは大へんなごまかしです。二十日にしましても、二十五日の場合も同様ですが、最初の三日ないし四日はできない。最後の一日は少くともできない。あるいは二日はできない。おそらく、
選挙管理委員会がどんなに努力をしても、最初の三日、最後の一日ないしは二日はできないと私は思う。
候補者の届出があって、初めて、立会演説会の班別編成とかあるいは演説会の氏名掲示とか、そういう
準備に着手するわけですから、今度の場合は、大よそ
解散が予想されましても、どんなに手回しをよくしても、最初の三日ぐらいはできない、最後の一日もできない、こうなりますれば、東京の場合を例にとりますれば、正味五日間、一日三回としまして、立会演説会が十五回少くなる。街頭演説会は、私
どもは終盤戦ごろになれば一日二十回やる。五日
短縮することによりて百回少くなる。これはわれわれにとっても大へん不都合なことですけれ
ども、
選挙運動を受ける国民にとってはなお不都合なことです。
選挙運動を受ける機会がそれだけ少くなるということです。
個人演説会は自由にやるからいいじゃないかということでありますけれ
ども、とにかくこのごろは演説会の入りが少くなって参りました。
個人演説会というものは、たとえば松澤君なら松澤君の
個人演説会となれば、その八割ないし九割は、松澤君を支持する人、好意を持っておる人、演説を蘭かなくても投票するような人です。これは、あまねく政策を訴えて、一般の
選挙民に、政策の批判なり理解なりの上に自由にして公正な投票をさせようとする目的には遠いものがあります。
個人演説会は立会演説会にかわるべきものじゃないのです。こう
考えますならば、今度の五日間の
短縮というものは、
立候補する者、
運動する者、特に新人にとって大へん不都合であるばかりでなく、
選挙運動を受ける国民にとっても、大へん大きな
制限になり制約になると思うのです。これは明らかに公営と逆行です。長官はどのようにお
考えですか。