○
綱島参考人 私が
周嘉チン君の
訴訟依頼を受けまして
本件に
関係いたすに至りました
事情は、
関仁甫というかねて
知り合いの人が、
昭和三十年の十二月の中旬と覚えますが、参りました。この
関仁甫という人は
中和党という
華僑の
政党の総裁でございます。そうして、この人は、たしか私の記憶によれば蒋介石よりももっと先輩でございます。かって
中華民国政府のたしか
陸軍大臣だったように記憶しております。相当な要人でございます。この人が参りまして申しますことには、
華僑は大体二十億ドルから二十五、六億ドルのドルを保有しておる、これはみな東洋において
商業資本であった、ところが、だんだん未
開発地が開発されるに従って
華僑が独占的な
商業だけをやることは困難になってきたので、それぞれ
企業資本にも変えなければならぬ、なおまた、
中国が
共産国になったから、ここによるわけにもいかない、
台湾政府も、実は
政府の強固な
立場を、
政府としての存在をそう信頼しかねる
事情もある、アメリカに持っていけばまことにけっこうであるけれ
ども、これは
預金利子がつかないので実は非常に困るんだ、そこで、
日本にこの
資本を持ってきて、
企業資本に転換することは
華僑の
利益と一致するんだ。それならやってくれればいいじゃないかという話をいたしました。ところが、
関仁甫が言わるることには、いや、そういうことはいいけれ
ども、
日本国ではまるで
華僑の持ってきたものをどうにもならぬようにするようなことが現われておるので、
華僑は信頼しかぬるのだ。それは何のことだと言ったら、
砂糖を
契約に基いて持ってきたところが、代金も払ってくれない、そうして非常な
費用ばかりかさんで、にっちもさっちもいかなくなっておる。それは気の毒だと言ったら、足下は
弁護士だからこれを何とか処理してくれぬか、こういう話でございます。とにかくその
本人をよこしてみなさいということで別れたのでありますが、それからこの
シュウカチンン君が単独で参りました。この人は
日本語が
一つもできません。英語を少しやるが非常な
ブロークンでございます。私も
ブロークン。
両方の精密ある話をするのには不適当でございましたので、筆談をいたしました。それでも要を得ませんから、
一つ通訳を連れてきてもらいたいというので一切の
書類を
通訳のもとに拝見してみましたところが、その
契約の
内容は、
立川研究所が無
為替の
砂糖を
輸入する
権利を持っておる。その
権利を持っておることの
証明として、
通産大臣及び
大蔵大臣の
許可がある
許可証の
写真版をつけてございました。それによって一万トンの
砂糖を
輸入するということを一切委任するという
委任状でございます。その
委任状を受けた人間は勝間という人でございます。これには何ら疑う余地のない
委任状でございましたので、これは
ほんとうだと思って、どういうわけで
立川研究所はその荷物を引き取らないのだと言ったところが、金を支払わないのだ、
砂糖だけなら取るのだけれ
ども、金を払わないのだから渡せないのだ。それはもっともだというわけで、
立川研究所にも
電話をかけてみましたが、やはり金は払えない。そこで、実はちょうどそのときは、それらの
用意をちょっとするうちに一週間くらいかかりましたし、十二月の中旬も過ぎるころになりましたので、周君にも僕は断わりまして――私
どもは与党でございますので、年末から
正月の十日ぐらいまでは、毎年
予算編成のために昼夜わかたず
正月なんぞは一日も
ひまがございませんほどでございます。そこで、
正月の十日を過ぎなければ私
どもは
ひまができないが、それでもいいか。それでいい、こう言うので、実はこの
シュウカチンンの
依頼を受けまして――それは
訴訟委任でございます。私の考えといたしましては、どうしても正式の
ルートに入れてもらわぬことには、
訴訟をするといっても
訴訟ができないことは
保税倉庫に
物件が所在しておりまして、
日本の裁判の対象とならざる以前の
物件でございます。これをどうしても関税を通過しなければ、
荷主の
権利を擁護することを
日本の
裁判所で御決定願うことが不可能な
物件でございます。そこで、実は周に、これは
幾ら金がかかっておるか、これを
通関するのに幾らかかるかと言ったら、ランディングその他の
費用でおそらく七百万円つか八百万円かかる、それから一日の
保管料が大体十万円でございます、もうすでにそのときは六、七十日になっておるので六、七百万円のものが要る、
両方で大体千四、五百万円の金が要るのである。それができるかと言うたら、できないと言う。どうしてもその金の工面はつかないと言う。さらに、君が本国に帰って工面してくればいいじゃないかと言うたら、その見込みもないと言う。そこで、私は
通産省に参りまして、当時の農水産
課長である
日比野君に、これを
通関してくれぬかと言いましたところが、これは
立川研究所あてに送ってきているものだから、
立川研究所の
同意書がなければできないと言う。
立川に
同意書をつけてもらえば
立川に
品物を渡して、そうして金は
あとから払うという
条件で……。これはどうすることもできないから、
契約は事実上不履行に陥って、これは破棄をして話分れになっておるのだから、
一つ日本の
政府でフリーな
砂糖として
輸入手続をしてくれぬか、
外貨割当がもうないのかと言うたら、まだあると言う。
外貨割当がなければなるほどできないだろうけれ
ども、
外貨割当があって
輸入するものがあるのならば――御承知のように、
輸入するには、二カ月ないし三カ月前からクレジットを積んで、その間の利息は
買人が払わなければなりません。しかるに、このものは、もう
通関手続をすれば
外貨を割り当ててすぐ
品物が手に入るのであります。そこで、
需要者のためには
利益であるから、お前さんこれをフリーの
立場で
輸入してくれろということを私が迫りましたけれ
ども、何だかんだと言うてしない。どうも僕は不思議だと思っておるうちに、もう日が過ぎて、三十一年の一月十日ごろだったろうと思いますが、ちょうど
農林委員会がございまして、そこに
清井という
食糧庁長官が
出頭いたしました。
日にちははっきり覚えませんが、そのころでございます。ちょうど
委員会が済んだ
あと、十一
委員室でありましたが、
政府委員の前の場所で、
清井君知っているか、
立川のところへ来た
砂糖を知っているかと言うたところが、それは知っております、それなら君
輸入してくれぬかね、あれを
通関してくれぬかね、
輸入ができなければ
通関だけでもいい、こういう話をいたしました。
通関すれば何でもない、
裁判所に向って
換価手続をいたしますれば金にかわるのです。かわったら、その
契約との差額を
債務者に請求すれば、それでよろしいのでありますから、
訴訟手続とすればそれは正当な
手続でございます。ところが、これもどうしてもずらずらしておる。その後また
日比野君のところに行きました。ところが、これもまたうまくいかない。そうすると、たまたま農林省に行っておるときに、
廊下で
食糧庁長官を見ましたので、君、あれはどう頼んでもしないか、しない理由は何か法律上不法な
適法でないことがあるのか、それなら頼まぬよ、
適法なことであったら
事情上これはしなければならぬのじゃないかと言いましたところが、
適法には間違いないけれ
ども、というようなことで、どうも話が進みません。そこで、私はかねて
知り合いの兼子という
千葉精糖の技師――
砂糖には非常に詳しい人であるということでかって紹介を受けておった人ですが、その人に連絡いたしましたところが、行こうという話だから、来てもらいました。実は
友人の
関仁甫から頼まれて、
本人は僕を――実は言い落しましたが、周に会いましたところが、周が私のところに
契約の原本をみんな置いていくから……。それは困る、すべて写しを作ってくれたまえ、そうしないと僕は困るのだ、
弁護士というものは火災にあわないような設備をちゃんと持って
事務をするのでありますが、私は戦後そんなものを持たないから、重要な、三億円にわたる
権利書を手に握ることは私も非常にいやでございましたので、実はそれは持って帰れと、そう言うたときに、あなたは私は知っております、どうして知っておるかと言ったら、サッスーンの家でお目にかかりました、ああそうかということで、向うは初対面ではないから、あなたに全部お願いしますということであった。それから実は鈴木君に問い合せました。あなた、この
砂糖というものはどういう
事情で
正規の
ルートに乗らぬものか、
一つ調べてくれぬかと言うたところが、それじゃ三、四日
日にちをかりますということで、三、四日しましての報告で、
先生、これはおやめになった方がよろしゅうございます。やめるといっても、これは
日本の
国際信用に関することだからとてもやめるというわけにいかぬよと言いましたところが、いや、これはとても
先生なんぞにできるものじゃない、業者の
了解を得たり、いろいろしなければなりません、
先生の性格ではできませんよ、こう言う。だから、それでわかった、
行政官庁に話してもはっきりした話をしない、よくわかった、それじゃやめようというので、周を呼んで、一切の一件
書類を返して、
最後に、そのときはすでに
日にちが、引き受けてから七十日――引き受けてからじゃございません、
輸入があってから七十日くらいたっておりました。そこで、周さん、今から
訴訟の
用意をするのに一カ月くらいかかろうが、百日分の
保税倉庫料一千万円、それからランディング・チャージや何かみんな加えてあなたの説明によれば六百万円か七百万円、それだけの金を
用意せぬか、それで
裁判所に仮処分を申請する方が、
行政庁にうだうだするより早いと言うたところが、どうしてもその金ができない。それではお返しするほかはないと言うて
書類を一切返して、私は事を絶ったのであります。
そうして、その後官報を見て知ったので、詳しいことは――それが
通関されたのは三、四カ月後である。私がふしぎにたえないことは、何で正当な
訴訟代理人が正当な
書類を――周が
ブローカーであるような、この
委員会でお
言葉が出ておるようでありますが、断じてそうではありません。
弁護士が
訴訟委任を受けるには
所有者が何であるか必ず調べます。
香港上海バンクの荷
為替で参っておるけれ
ども、
香港上海バンクに問い合わせましたところ、
香港トレーディング・カンパニーの
品物である、そうして、
一定額の立てかえの金を払ってさえもらえれば、いつでも
品物でも
為替状でもお引き渡しをする、その
香港上海バンクの
代表者の一人は
周嘉チンといってただいま
日本に滞在しておるというような
証明書をよこしておる。何ら疑いのないところでありまして、周は
荷主でありまして、
ブローカーでも何でもありません。こういうこともよく
一つ御
了解を願いたい。こういう
事情でございまして、これが私が
関係いたしました一切の
事情であります。