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1958-03-17 第28回国会 衆議院 決算委員会 第16号 公式Web版

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  1. 会議録情報

    昭和三十三年三月十七日(月曜日)     午前十時三十一分開議  出席委員    委員長 坂本 泰良君    理事 井原 岸高君 理事 關谷 勝利君    理事 田中伊三次君 理事 田中 彰治君    理事 山本 猛夫君 理事 神近 市子君    理事 吉田 賢一君       松岡 松平君    淡谷 悠藏君       小川 豊明君    上林與市郎君       細田 綱吉君    山田 長司君  出席政府委員         検     事         (刑事局長)  竹内 壽平君  委員外出席者         議     員 綱島 正興君         検     事         (刑事局刑事課         長)      河井信太郎君         大蔵事務官         (主税局税関部         長)      木村 秀弘君         大蔵事務官         (為替局総務課         長)      小島要太郎君         農林事務官         (食糧庁業務第         二部長)    松岡  亮君         農林事務官         (食糧庁業務第         二部食品課長) 筒井 敬一君         通商産業事務官         (通商局通商参         事官)     長橋  尚君         証     人 勝間 敏雄君         証     人         (弁護士)   邵  元培君         証     人         (前通商産業省         通商局農水産課         長)      日比野健児君         専  門  員 黒田 久太君     ————————————— 三月十七日  委員青野武一君辞任につき、その補欠として山  田長司君が議長の指名で委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  歳入歳出実況に関する件      ————◇—————
  2. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 これより会議を開きます。  歳入歳出実況に関する件につきまして、前回に引き続き調査を進めます。本日は各位のお手元に配付いたしております通り、三名の証人出頭を求めておりますので、ただいまより各証人証言を求めることといたします。御出頭になられました証人の方々は日比野健児君、勝間敏雄君、邵元培君ですね——相違なきものと認めます。あらかじめ文書で御通知しておきました通り、ただいまから歳入歳出実況に関する件につきまして、証言を求めたいと存じますが、証言を求める前に各証人に一言申し上げます。昭和二十二年法律第二百二十五号、議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならないことと相なっております。宣誓または証言を拒むことのできるのは、証言が、証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係のあった者及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき、及び、医師歯科医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士弁理士弁護人公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあった者がその職務上知った事実であって黙秘すべきものについて尋問を受けたときに限られておりまして、それ以外には証言を拒むことはできないことになっております。しかして、証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは三月以上十年以下の懲役に処せられることとなっておるのであります。一応このことを御承知になっておいていただきたいと思います。  では法律の定めるところによりまして、証人宣誓を求めます。御起立を願います。  宣誓順序勝間敏雄君、邵元培君、日比野健児君の順に、それぞれ宣誓書の御朗読を願います。     〔証人勝間敏雄朗読〕    宣誓書  良心に従って、真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。            勝間 敏雄     〔証人邵元培朗読〕    宣誓書  良心に従って、真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。            邵  元培     〔証人日比野健児朗読〕    宣誓書  良心に従って、真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。            日比野健児
  3. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 それでは宣誓書署名捺印して下さい。     〔証人宣誓書署名捺印
  4. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 これより証言を求めることになりますが、証書は証言を求められた範囲を越えないこと、また御発言の際にはその都度委員長許可を得てなされるようお願いいたします。なお、こちらから質問をしておるときはおかけになっていてよろしゅうございますが、お答えの際は御起立の上御発言を願います。  証言を求める順序は、勝間敏雄君、邵元培君、日比野健児君、以上の順でございます。それでは勝間敏雄君以外の方は元の控室にお待ちを願います。  それではまず委員長から二、三概括的に証言を求め、次いで各委員より順序証言を求めることになりますので、御了承願います。  第一にお聞きしたいのは、勝間証人は現在の御職業は何ですか。勝間証人
  5. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 現在は軽車両のメーカーの役員をやっております。
  6. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 立川研究所との関係はいつからいつまででしたか。その間どんな資格でどのようなことをなされましたか、その点お聞きします。
  7. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 立川研究所立川博士と私は、終戦直後から交際をしております。立川研究所に正式に私は入って給料をいただいておったわけではございませんのですが、虎木綿日本における企業化ということにつきましては、いろいろな点で相談に乗り、協力しておったのであります。従って立川研究所理事でもありませんし、その当時は立川研究所企画部長という名前関係しておりました。その程度です。従って報酬などは全然受けておりませんでした。
  8. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 それではもう一つお聞きしますが、立川研究所昭和三十年台湾東方貿易行に虎木綿のパテントを供与し、その対価として砂糖輸入する契約をなし、これに対する大蔵省役務及び決済に関する許可を受け、また通産省から無為替輸入許可を受けておりますが、あなたはその申請書連絡員として署名もありますが、その間の経緯、特に特許の内容、その実施状況について要領よく簡単に御説明願います。
  9. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 台湾東方貿易行なる会社から、立川万国特許でありますところの人造繊維製造法という特許を置いたいという申し入れがあったのは、たしか三十年の暮れであったかと思うのでございます。日にちの点はちょっとはっきり覚えておらないのでございますが、そのときにはさっそく大蔵省にその書類を持って参りました。ただしそのときに台湾為替事情から現ドルでは決済できない、何か物でとっていただきたいということを書いてありましたものですから、それで最初大蔵省へ行ったのであります。その当時立川はドイツへ行き、ベルギーへ行き、いろいろ外遊しておったことが非常に多かったものでございますし、私が古い関係でございますから、勝間君、君がこれを担当してやってくれないかということを委任を受けて、私が全部官庁連絡に当ったのであります。最初大蔵省に行きまして、物の決済は認められるものであるかどうかということを聞きましたところが、必需物資であるなればよろしい、必需物資以外の物の決済であれば許可がしにくいということを言われまして、必需物資が何であるかということで、今度は通産省に行きましたところが、通産省の方では米でとれということを言われたのであります。従って米または塩をぜひとも送れという書類を出しました。それに対してまた台湾の方から、米や塩は専売になって出せないんだ、従って砂糖でいけないかという書類が折り返し来たわけなんであります。それでその書類を再度通産省へ持って行ったのでありますが、砂糖は非常に利潤の多いものであるから、思わぬ疑惑を招くことは困るということを言われまして、徹底的に断わられました。その間約二年間近い、一年半でございますかの間通産省に日参いたしまして、ようやく絶対砂糖ではもうけない、そのまま精糖工業会に引き渡す。そうしてお前のところで売った百万ドルの円貨に換算した特許料だけはとってよろしい。そうしてどこへ渡すかということは、精糖工業会へ全部渡して、値段も百万ドル、円貨に換算して二億六千万円だけは取ってよろしいという絶対的な約束をするなら、何とか認めようということになって認められたわけなんであります。ところがここに一つ問題がございましたのは、渡しますのは製法特許でありまして、技術指導を伴っておりまして、技術指導が終らなければ——この特許は従来日本でやかましくいわれながら、日本ではまだ現実化されてない、開発銀行現実にこれに対して金を出そうという状態でありながら、どういうことであるか、立川研究所に対してはなかなか政府資金が出なかったものでございますから、日本現実製造化が行われておらなかったものであります。従ってこの特許も完全に技術指導が終るまでは、砂糖を持っていっても、いわゆるその金を使われては困るという条件がついたのでありますので、保証をしてもらいたい。そこで保証ということは無理であるからどういう保証をしたらいいかということを聞いてやりましたところが、台湾側から、一流銀行または一流商社が、この特許は間違いなく技術指導が終るという保証をしてくれればそれでよろしい、ということを通産省に対して表明してきたわけなんであります。従ってわれわれは非常に困りまして、第一物産、三菱商事、住友商事、もう一つ東京食品、これらが——事実砂糖輸入を扱うインポーターとしての権利をとった場合には、かなりの利益があるという当時でございますから、そのインポーターに預けて、それをやらせるということを一つ条件にいたしまして、この四社がこの立川研究所特許に対しては間違いなく技術指導は完全にするという一札を入れたのであります。これは通産大臣あて書類になりまして入っているわけなのであります。ところが間もなく、この民間取引にそういう役所が関係をするのはいけないということで、その保証を取り下げてしまったわけなのであります。従ってまた、商社側も初めは簡単に砂糖を扱いたいというために、この保証をやったのでありますが、よく調べてみると、技術指導というものは、強度がどのくらいあって、性能はどうで、こういうような品物ができるというところまで技術指導をするということになりますので、これはあくまで技術保証になるということから、やはり日本で初めての特許であるだけに、そういう保証は不可能であるということで、その保証を破棄してしまったのであります。その保証がなくなったために、この砂糖の引き渡しということについては非常にもめまして、がたがたやっている間にもう期限はきてしまう、ライセンスはエキスパイヤーしてしまったということになったのであります。
  10. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 大体そういう要領ですね。  そこでお伺いしたいのですが、この砂糖輸入についての無為替許可大蔵省役務決済に関する許可を受けるについて、あなたは立川の代理みたような格好で仕事をされたわけですが、第一に、民間であなたと関係を持たれた方はだれだれですか。
  11. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 民間でこの許可に対して協力してくれた人は、開発銀行の今の担当の方でありますとか、三菱化成の担当技術屋さん、そういうなにであって、この許可に対するなには、これははっきり言いますが、どなたの力でやってもらったということは絶対ございません。そのためにまた一年半もかかったのであります。
  12. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 東方貿易側の人はどういう人に会いましたか。
  13. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 最後の砂糖にもめましたときに徐という人が向うからやって来ました。
  14. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 それから……。
  15. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 その方だけでございますね。それまではほとんど全部電文なり、書類なり——これはみな検察庁に行っております。書類はすっかり検察庁に取られているわけであります。
  16. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 次に、大蔵省通産省、その他農林省もあると思うのですが、そういう官庁側にはだれとだれに交渉されましたか。
  17. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 最初に、大蔵省では東条為替局長、それからその下に、名前はちょっと忘れましたが、為替管理課というものがございまして、そこの課長、係長三人ばかりと折衝いたしました。
  18. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 それだけ……。
  19. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 それから通産省通産省はほとんど全員にお目にかかりました。大臣愛知大臣から石橋大臣にまでわたっておりましたから、従ってそのときの次官も二人ばかりおかわりになっておったと思いますが……。
  20. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 農林省は……。
  21. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 農林省は全然関係ございません。
  22. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 それでは委員長よりの尋問は以上をもって終ります。  発言の申し出がありますので、順次これを許します。吉田賢一君。
  23. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 勝間証人に伺いますが、過日当委員会において立川所長は、あなたを立川研究所顧問だと言っておりましたが、今聞けば企画部長だという、その点はいかがですか。
  24. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 立川はどういうふうに申しておりましたか知りませんが、私は現実立川と一諸に一年半も動きまして、企画部長名刺立川の承認のもとに——一諸に官庁なんかにも通っておったのであります。
  25. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 台湾東方貿易行はいつからどういう関係で知ることになりましたか。
  26. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 それは三十年のころに向うから手紙がきたのであります。そのころからの折衝であります。
  27. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 立川所長の話によると、東方貿易行に対する虎木綿特許を受ける権利売買契約一切は顧問勝間敏雄君がやってくれております、こういうふうに言っておりますが、その通りでありますか。
  28. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 立川はほとんど京都におりまして、東京官庁方面には非常に接触が少かったことが一つと、それからベルギーへほとんど行っておりました関係もございますから、そういうことについて一切私が事務的なことをやったという意味だと解釈しております。
  29. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 どういう手紙が三十年に東方から立川にきたのですか。
  30. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 それはどうもスイスの方面から話を聞いたらしいのであります。そうして人造繊維製造について香港並び中国——台湾でございますね。それだけにおける製造権並び特許を受ける権利というものを譲ってもらいたいといういきなりの手紙がきた下げなのであります。その手紙の文章につきましては私は今深く覚えておりませんが、検察庁に行っていただきますと、最初からの書類が全部そろっておるはずであります。
  31. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 結局立川所長が外遊しておったので、事実上東方貿易行に対する特許を受ける権利売買はあなた自身が一切を担当してやった、こういうふうに理解してよいのですか。
  32. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 私は私の考えでは、立川研究所としてやっておったと思うのでありますが、立川研究所から給料をもらってなかった関係から、どういうふうに解釈されても仕方がないと思うのであります。しかし一切の取引立川あてに全部の名義がきておったわけであります。
  33. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 そうしますと、あなたは未知台湾貿易商社から立川への手紙を受けて、それを端緒に東方貿易行を知るところとなった。そこで虎木綿特許権を売り渡すということになったというのは、それだけのいきさつから東方貿易行に交渉することになったのですか。それとも東方貿易行を相手に売り渡し契約するについては、だれかほかの人、たとえば台湾事情に詳しい人とか、あなたの方に特別の利害関係があるとか、あるいは東方貿易行に利害関係があるとかいう何らかの人が介在するということがあったのですか。これは常識で考えましても、かかる場合において未知の外国の商社から手紙を受けて、直ちにそれと契約するということにおいては事あまりに大であり、その他のむずかしい条件から考えましてもいかがかと思うのです。今申しました何らかの関係者がこれに介在しておるのではないのですか。
  34. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 そういう連中は絶対ございません。
  35. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 ここでは宣誓をされておりますので、どうぞその辺をよく御注意になりまして、御記憶の通りに述べていただかぬと、委員会といたしましてはあとでいろいろと問題を起しましても遺憾でありますから、どうぞよろしくお願いします。
  36. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 けっこうでございます。
  37. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 伺いますが、あなたは東京日本橋にある三共商事株式会社社長杉本善郎という人を知っておりませんか。
  38. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 私は戦友であって知っております。
  39. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 またかって昭和二十六年まで福井県の副知事をしておりました北栄造という人を知りませんか。
  40. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 北さんという方はお名前は聞いておりますが、全然知りません。私はむしろ小幡知事をよく知っておったのであります。
  41. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 そのあなたの戦友であった三共商事社長杉本氏、福井の副知事をしておった北君、こういう人もあなたの方の虎木綿特許権台湾商社に売り渡すことについて何らかのあっせんをして介入した事実があるのではありませんか。
  42. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 私は英語が完全じゃないのであります。そのために杉本氏のところにおりました堀内というタイピストに全部訳していただいたり、われわれの手紙をまた訳してもらったりしたのであります。そういう関係で、杉本はよく知っております。
  43. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 杉本をよく知っておるのは、あなたは戦友関係で知っておるのでしょう。
  44. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 そうであります。
  45. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 何もタイピストを介してどうということはないのじゃないですか。あなたの今のお話によっても、戦友としてタイピストよりも前からの知り合いでしょう。  それならこういう点から聞きますが、その三共商事からは数千万円の金が、具体的にいうなら二千万円の金が立川研究所につぎ込まれておる、こういう事実は聞いておりませんか。
  46. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 全然そんな会社じゃございません。三共商事という会社は、もうとっくにつぶれてもおりますし、そんな大きな金を動かすような男じゃございません。また事実私を通じてでなくて、立川杉本が知っているということは考えられないわけでありますから……。
  47. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 あなたは報酬も受けておらないで、単なる企画部長名刺をもって活躍せられた人である、立川研究所立川博士虎木綿研究等について莫大な経費を要したということもわれわれは聞いておるのでありますが、しかるときに、商事会社でない立川研究所は他人の物質的援助を得るということも常識で考えられます。そう考えてくると、今のようなことも考えられるのであります。これはわれわれの調べた範囲からの話です。それをもしあなたが知らないならばそれでよろしい。現在つぶれておろうとおるまいと、そんなことは関係のないことであります。いかがでございますか。
  48. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 私が報酬を取ってないということが誤解を招いておるようでございますが……。
  49. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 問うたことに答えていただけばよろしいのでございますよ。
  50. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 それでは、今の二千万円出ているというようなことは絶対ございません。
  51. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 それなら聞きますが、立川研究所は一カ年にどのくらい経費を要して、資金はどこから得ることが建前になっているのですか。
  52. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 立川研究所立川個人かなりの金を持っているわけなんであります。本人はどう言っているか知りませんが、それでつないでおったことは事実なんでございます。私も、兄弟も大勢おりますし、自分関係でも京都で旅館をやったり何かしておりますので、食うに困るようなことは決してないのであります。それだけの何でつないでおったわけなんです。
  53. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 一カ年どれほど経費を要して、経費の出所はどこかということをあなたにお伺いするのであります。  まあそういうことは一応問題に付随する点でございますから多く追及はしません。聞きますが、実はそうではなくして、三共社長杉本氏の方では二千万円の金を立川の方につぎ込んでおるので、台湾人にこの特許権を売ってその方面から回収しようというような計画も漏らされておったということ、そして中に介在したということ、こういうことは実際はあるのじゃないですか。念のために聞いておきます。
  54. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 絶対そんなことはございません。
  55. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 あなたは絶対とか何とかそういうはっきりしたことを言われるお立場でないように私は思うのでありますけれども。ともかく立川という人が責任者であって、あなたは部長資格であるのでありますから、一部の仕事をしておられる人である、あなたが特許権権利者でも何でもないわけであります。  まあしかしそれはいいとしまして、この台湾東方貿易行というのは何を目的にした会社なんです。どのくらいの資本を持って何をしておる会社なんですか。
  56. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 まあ中国会社のことでございますから、私は中国の何がどのくらいの資本金でどうかということもはっきり調べておらないわけなんです。ただ私の方はすべてを、為替関係大蔵省、そして取る品物については通産省へ全部持っていっただけなんです。
  57. 田中(彰)委員(田中彰治)

    田中(彰)委員 関連。ちょっと証人にお尋ねしますが、あなたの方の社長立川さんをこの前呼んだときに、あなたを顧問だと言っておった。今あなたに聞くと企画部長だとおっしゃる。月給もらっておらぬとおっしゃる。そこで今のあなたのおっしゃるのには、親類が旅館しておるとかなんとか言われますけれども、われわれも相当資産を持っておるけれども、自分の子供でも一カ月、半月は金をあれするけれども、あなたほどの生活をされる人を、そう親類が毎月金を送ってあなたの生活を助けるわけもないし、またあなたもそういうことをしておられるわけもないでしょう。からだが病気でもないのだから……。それを給料もらわないであなたが立川のところで働かれる、この一点はどういう意味なのか。もう一つは、使っている人が顧問だと言っておるのに、あなたは部長だと言われる。企画部長というと、それはこういう運動をするために企画部長という肩書きがなければ困るから企画部長にしたのか、あるいはあなたが実際企画部長としての値打があって、あなたが企画部長でなければならないような立川の当時の状態だったのか、その点をちょっとはっきりお聞きしたい。
  58. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 私がそういう無報酬で働いたことは事実なんであります。ことに砂糖が売れた場合、砂糖が入って金にかわった場合、その金によって京都化繊製造所という立川がやっておる会社があるわけですが、その会社の有力なメンバーとして私が迎え入れられることになっておったのであります。事実お調べになっていただくとわかると思うのですが、私も立川と一緒に役員になっておったはずなんです。われわれがどういう点の欲で動いたかというその目的というものは、この新しい会社ができて、この虎木綿役員になるということが私の大きな目的だったのであります。
  59. 田中(彰)委員(田中彰治)

    田中(彰)委員 あなたが無報酬で働かれた期間はどのくらいですか。
  60. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 約一年間であります。
  61. 田中(彰)委員(田中彰治)

    田中(彰)委員 あなたは証人として宣誓されておるのだし、うそはおっしゃらぬと思いますが、相当義侠心のある人もありますが、一年間無報酬で、ただその会社ができたらその会社役員に使おうというような簡単なことくらいで——こういう砂糖なんという問題は下手すれば刑務所へ入ってしまうような、無為替無籍砂糖みたいなもんです。それをあなたが飛んで歩かれたのはおかしいじゃありませんか。運動費なんかだれが出したのですか。
  62. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 今無為替無籍砂糖で警察に入るとかほうり込まれるとおっしゃいますが、それは現在の状況なんです。われわれは堂々と許可をもらって、堂々とこの砂糖を持ってきたのであります。許可をもらうところまではあくまでも堂々としておるのであります。あとの処分についてはわれわれ全然わからないのです。それといま一つ質問されましたが、私の家庭生活なんかも、調べていただけばわかるのでありますが、私はそのために非常に貧乏いたしまして、ほんとうに食うや食わずのことをやっております。
  63. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 どれだけの金を使ったのですか。
  64. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 一カ月にやはり三万円ないし五万円の仕送りを受けておったのであります。
  65. 田中(彰)委員(田中彰治)

    田中(彰)委員 今証人は、一年間、月三万円ないし五万円生活費を受けたというのは、それは毎月持ってくるわけじゃないでしょうから、何か証拠があるでしょう。そういうものを一つお取り願いたいと思う。  もう一つ、あなたはこの砂糖を堂々たるりっぱな砂糖だとおっしゃいますが、あなたの方でやられた特許権、それは偽造なんですよ。それから向うから来るのも、これは正式の砂糖になってきておりません。正式なものでないから、それを正式なルートに乗せるのに、相当な人が運動したり騒いだりしていろいろなことをやったのです。堂々たる砂糖であるならば、何もこの運動なんかに、こんなことに金なんかかかりっこないじゃありませんか。あなたは正式な砂糖だと思っていらっしゃるのですか。今ルートに乗ったから正式なものになったのです。特許そのものが偽造じゃないですか。向うから輸出するのも、書類も偽造じゃありませんか。それは山本猛夫君がよく知っておるからお聞きなさい。そういうものを正式なものだとあなたがおっしゃるということはおかしいじゃないか。そういう考えであなたがやられるから、みなそのために正規に運動した人々までが、国会議員あたりがみな名前を出されて迷惑しておるのです。君の考え方が間違っておる。偽造の特許権でとった砂糖を輸出するのに、やはり偽造の書類で出した砂糖だ、それだからうまく来なかった。そして契約がおそくなったから、あなたの方で契約を破棄された。それだから宙に浮いたとあなたはおっしゃるのですが、もともと取ることが偽造なのだ。それは山本猛夫君から聞きなさい。委員長、山本猛夫君にそういう砂糖が正式なものであるかどうかをよくお調べになって、そういうことがあったら偽証罪でやらしたらよろしいと思います。
  66. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 今あなたは東方貿易行の資本状態は知らない。営業の目的は知らないのですか、何をしておる、どのくらいの規模でどの程度の資産、信用を持っておったか、それも知らないのですか。
  67. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 その問題については通産省市場第二課か、市場第三課と申しましたか、いろいろ調査をしておりまして、どういう系統の会社かという程度のことなんかは調べておるはずであります。
  68. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 通産省が調べた、大蔵省が調べた、それはよそのことであります。官庁のことであります。あなたは所長代理で百万ドルのこの膨大な財産権を外国人と売買取引しようというような重要な仕事をなさるのです。相手方の資本も信用も知らない、何をするのか知らないということではいかがかと思う。それでは聞きますが、この東方貿易行というのは、あなたの方から虎木綿特許権を譲り受けて、台湾の土地においてこれをいかに実施するか、どういう受け入れ態勢をするかということの御調査はあったのかないのか。
  69. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 東方貿易行を私が知らないというのは資本力の問題でありまして、資本金とか、構成メンバーとか、そういうものは全部通産省で調べたものを見せてもらったわけであります。それから向うの方はどこでこれを実施するかという問題について、いろいろやはり疑義があったわけなんです。これは少くとも香港地区の近辺で、今から考えると、やはり大陸関係の何に入っていくのではないかというふうに見られておったわけなんです。
  70. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 台湾においていかに実施し、従ってあなたの立川研究所はいかに技術指導をするか、ともかく技術指導を完全にするということが、政府が無為替輸入許可した条件であるということは、あなたは何回も繰り返しておる。
  71. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 そうです。
  72. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 しからばどこで実施するのか、受け入れ態勢はどういうものか、資本力はどういうものか、資金関係はどういうものか、こういうことを調査してなくて、百万ドルの特許権を売り渡す相手方に選定するということは、ちょっと普通考えられないのですが、どうなってもいい、向うに渡して、百万ドル相当の砂糖が入りさえすればいいというのが、ほんとうの腹であったのか、どうですか。
  73. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 私たちは台湾のことで調べられるだけのことは、もう逐一原文を役所の方へ持って参りまして、その点で突っ込んでもらったわけなんであります。それからどこで受けるかということについては、追って知らすということにしかなっていなかったわけです。日本でもし立川研究所ができた場合には、向うの関係技術者を日本へ送って、こちらで養成してもらう、こちらで指導を受けるということも言っておったわけです。
  74. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 台湾にあなたは行ったことはないのですか。
  75. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 ございません。
  76. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 台湾に渡らずに、文書で往復する、調査等は政府におまかせする、まるで政府まかせであなたの方はそれにたよっていた、こういうふうな印象を受けるのですが、そう理解してよいのですか。
  77. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 向うの事情を一々こちらの方から調べるよりも、役所にいろいろやってもらった方が、こういう許可関係に関連しておることでございますから、一番安心な方法だったわけです。
  78. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 立川参考人はあなたが台湾に渡ったという証言をしたと私は記憶するのですが、ほんとうですか。行かなかったのですか。はっきりして下さい。
  79. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 絶対に渡りません。これは立川氏が言いそこなっているか、聞き間違っているか、私は全然わかりませんのですが。
  80. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 あなたは立川研究所虎木綿特許権を売り渡すと言うのだが、実は台湾におきましては特許権を受けておらない。受けるべき権利を譲り渡す、将来の期待権にすぎない。そしてそれはどう売り渡されるか、どう具体的に実施するか、それがはっきりしないというのが、その売買をすべき目的物の様態であった、こういうふうになるのではないですか。
  81. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 特許権ベルギーの場合でも、全部特許を受くるの権利ということで売買しておったはずであります。
  82. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 ついでに聞いておきますが、ベルギーに幾らで売って、実際は売買して金を受け取ったかどうか。
  83. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 ベルギー関係は、立川氏のところの高松さんというのがやっておりまして、私は深く記憶はしておらないのですが、たしか一時金で二十万ドルでございますか、ということで契約がきまって、あとはロイアリティをもらっているという形になっておると聞いております。
  84. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 あなたがこの特許権台湾に売り渡して、そして無為替輸入許可を受けようというものは、みずからの発意によるのですか、だれかの入り知恵ですか、だれかに教わったのですか。その点どうなのか。
  85. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 これは向うから書類が来たから始まってきた問題なんであります。
  86. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 始まりはともかく、当時百万ドルで売るのであれば、現金百万ドルを受けるのが正常な姿であります。事を変えて砂糖で受け取ろうとしたから、ここに無為替輸入の問題が起ったわけであります。そこでこれはだれかの入り知恵かでそうなったのか、こう聞くのです。
  87. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 砂糖で受け取ろうとしたことは、初めから絶対にないのであります。初めは米と塩でだいぶ運動したのであります。砂糖でもいいということを言われたのは、最後に通産省で言われたわけなんです。
  88. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 通産省で、砂糖でよろしいと言ったのはだれですか。
  89. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 そのときの輸入課長だったと思います。
  90. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 砂糖輸入するということは、米その他のものとの関連におきましても、なおさらいろいろと利害が伴ってくるのでありますので、かえって複雑な事情になるおそれもあるわけなんであります。あなたの方でむしろ砂糖輸入をだれかがそうしろというふうに、しろか、あるいはそれを希望するか、勧めるか、そういうことをして、そしてそれを軌道に乗せることにした。つまり言いかえますと、あなたの方は何も言わないのに、通産省砂糖輸入をしたらばどうか、砂糖を代金にかえてはどうかということを言ったのではなしに、こちらからの提案によって、通産省なり大蔵省がこれを認めることになったのではないか、こういうふうに思うのですが、その点はいかがですか。
  91. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 その点の文書は全部検察庁にいっておりますのですが、どうしても米または塩でとりたいということに対して、それが出せないという理由がずっと書いてあって、結局必需物資のワクの中で砂糖に落ちついたわけなんです。大蔵省はあくまで必需物資以外のものはいけないということだったわけなんです。
  92. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 大蔵省で、技術を提供する、供与する契約をすることになって、許可を受けておりますね。その奔走の尽力はあなたがやったのですか。
  93. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 尽力といいますか、手続の一つ官庁でありますから、通産省に行って、その点は大蔵省に行けと言われれば大蔵省に行くわけなんであります。
  94. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 今検察庁書類を押収されたというが、いつどういう事件で、どこの検察庁にどんな書類を押収されたか。
  95. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 これは事件が問題になりましたのは、この砂糖を処分した直後であります。そのときに東京の地検の特捜の方で、私の許可をとったいきさつについて全部の書類を持っていかれたのであります。往復文書から全部であります。
  96. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 あなたは被疑者として検察庁に呼ばれたのですか。要するに何のために検察庁は、特捜が調査しておったのか、その点はどうだったのですか。
  97. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 私は被疑者として呼ばれたのではありません。参考人として、その許可のいきさつを説明しろということで説明させられたのであります。
  98. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 それは無為替輸入ではない、あとのドミニカの砂糖輸入の一件でありますか。——私がだんだん今伺っておりますことは、以前の段階で、立川研究所台湾へ百万ドルの代価で虎木綿特許を売った。それにかわる無為替輸入のいきさつを聞いたのです。今特捜の方でと砂糖の受け取りがあった後のようなことを言っておりましたが、そんならあとでドミニカの砂糖が一万トン前後入ってきた、これの割当等をめぐっての参考人にあなたは呼ばれ、かつ立川研究所が持っておった今までの無為替輸入許可の奔走をした一切の書類を押収せられた。こういういきさつなのでありますか。
  99. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 その通りであります。
  100. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 ちょっと委員の方に御報告しますが、ただいま政府委員の方の御出席は、法務省の刑事局長竹内壽平君、農林省食糧庁松岡業務第二部長、筒井食品課長通産省事官長橋尚君、以上であります。
  101. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 あなたは通産省に非常におたよりになっておりました。大蔵省にもたよっております。一切の現地調査、相手方の調査等々は全部そこにおんぶしておったような実情にあります。そういうようなことは、どうもあなた一人の知恵としては、これは企画部長の立場からすれば少し何ですね、逸脱しておるのではないかとさえ、ちょっと印象を受けるのでありますが、そういうことは全部立川所長と御相談の上なのか、それとも立川所長の背後にあるところの、いろいろ御尽力になった人々とも、それぞれ御協議になってやっておられたのですか。
  102. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 私が一々通産省にこういうものを調べていただきたいとか、何とかいって依頼をしたわけではないのであります。この問題についてはいろいろ疑惑も多いじゃないかというようなことから、通産省自体でいろいろ徹底的にお調べになったと私は解釈しておるわけです。
  103. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 あなたの方は百万ドルの価値のある特許を受くる権利を外人に売り、百万ドルの代金が入ってくれば正常な姿である。代金が入らないので、それにかえる物の給付を受けようとした。それも別にあなたの立場からすれば疑いを受くべき筋合いではなかろう。何か疑いを受くべきことであるから、そこで向うにおまかせするということは、ちょっと私どもふに落ちない。あなたが最初からお述べになっておる前後のいきさつから聞いても、別にどうもないような感じがするのですが、何の疑いを受くべき筋があるのですか。
  104. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 今の百万ドルという金額は、中国がこれだけの物をとにかく人造繊維によって買っていくかという問題ですね。そういうようなことについて、やはり現在でも皆さんもお疑いになっているのじゃないかと思うのです。その当時許可をとるころの無為替輸入許可というものは非常に重要な許可だったらしくございまして、通産省はやはりいろいろなことを徹底的にお調べになったのです。私らの方にはもちろん自信はありましても、向うの方は疑っておられるのだから仕方がないわけです。
  105. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 それは本末転倒なんです。第一あなたの方自身が東方貿易行の実態を知らないのです。あなた自身が、相手方の資力、信用を知って、代金ないしは物の給付が確実に履行されるかどうかを確認するということが、物を売るあなたの責任でもあるし、当然のお立場であります。それを通産省なり大蔵省の方におんぶするのはおかしい。通産省大蔵省が相手の状態に対していろいろと疑いを持つというが、疑いを持つべきものはあなたの立場で、あなたの方が確認して、しかる後通産省大蔵省は行政的な考慮をするというのが事の順序で、あなたの言っておるのはさかさまなんです。いかがですか。
  106. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 この取引立川に対しては、——私の方には全然危険はないのであります。百万ドルの——普通の特許権を売る場合には一時金をもらいまして、あとはロイアリティを生産量に合せてもらっていくのがほんとうなのでありますが、絶対にわれわれの方に危険のないような仕方を持ってきましたから、私の方ではそう心配——向うに持っていって、物がもらえないのではないか、そういう懸念は何もなかったのです。
  107. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 そうおっしゃる事柄はいろいろと解されるのです。要するにこの間立川所長のお述べになったところによると、まだ台湾において特許権を実施する段階に至っておらない。受くるべき権利である、将来の権利である、こういうことは契約の条文によっても、第一条にはっきりそのことはうたってあるのであります。でありまするから、まだはっきりと相手の国においてこれを実施する段階に至っておらない、こういうことなんです。その意味におきましてはなるほどあなたの方は何も損はない、物が来てから手続したらいいのだということに解されるかもしれません。しかし立川所長のいわくには、話がちゃんとできたならば、向うにおいて、相手の国において、これを実施の段階に至るような手続も事前にするのですということをつけ加えておったのです。事前にするのですということであれば、事前にする、その上代金相当の物を受け取る、こういうことの順序になるのだから、あなたの方自身が疑えば疑う、確認すれば確認する、信用して取引を終了するなら終了するというふうにせねばならぬ立場はあなたの方自身にあるのです。何も政府が疑ってどうというわけはないのですよ。しかるにそれは疑わしいから厳重に調べるとかなんとかそういうようなことは、あなたのお立場からは政府にそんなことを、政府の立場を御説明になるのは本末転倒であります。どうもそう考えるのです。要するに私はなお疑問にしておるが、あなたの方はまだ台湾において特許権は実施の段階に至っておらない、将来の権利である、だから将来の権利を相手に売ろうとしたのだ、こうなんですね。
  108. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 台湾の方に実施の手続を、いよいよきまればするんだということを立川が言ったというのですね。今おっしゃいましたのはそういうことでございますね。
  109. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 あなたの方の御答弁じゃないのです。立川所長の御説明はそうだったから、それを引用したにすぎないのであります。そこであなたの信じておったことは、いまだ台湾においては特許権を受けておらぬ、将来受くるのである、それは間違いありませんか。
  110. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 それは間違いありません。
  111. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 それならば、台湾特許権を受けられるやら受けられないやらわからないものを、相手方がそれを目当てにして、そして百万ドル相当の砂糖を送ってくるということは、これまたその意味においておかしいじゃないか。
  112. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 そのために保証を要求されたのであります。
  113. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 保証というのは、さきにおっしゃった技術指導を完全にするという意味なんでしょう。
  114. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 特許の完全な向うに対する委譲と、それに伴って技術指導を完全にするということの保証なんであります。
  115. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 実はそういう点についてはあいまいな状態にあって、そしてまだ相手国においてこれを確実に実施するやいなやについての見通しもはっきりあなたの方ではしておらぬ。何となれば、政府をたよりにしておるにすぎないのだから、あなた自身も現地に渡っている事実もないのだから、文書の往復にすぎないのだから、そういうようなお立場らしい。そういうようなあいまいなお立場にあるのだから、実は向うから確実に品物が来ることになった上であなたの方は諸般の義務履行をしよう。そういうことが実際の心組みであり、そのつもりで事を運びつつあったのではないですか。
  116. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 それはライセンスを受けると同時に各一流商社保証をもらったのであります。
  117. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 もうこれでおきますが、一流商社保証はついに立ち消えになってしまったのですね。そうですね。実質的な指導はおそらく技術指導の完了ということになるのだろうと私は思うのです。商社というのは、将来日本におきましてそれを配分する、引き取るということの段階において必要な事項であります。相手が百万ドル相当のものをほんとうに商業行為として行うということであるならば、あなたの方の物を受け取るというのは権利です。権利が実施の段階に至っておるということの確信を得なければ、百万ドルを渡しはしませんよ。どっちも疑いながらやるということであるならば、非常にあいまいな要素もあって、そして思惑もあって、あなたの方は引き取ろうとする。向うの方はあなたの方の物を受け取ろうとする、そういうあいまいな姿でいったんじゃないだろうか。言いかえますと、当初の計画はあるいは正確であったかもわからぬが、途中におきまして少しあいまいな要素がだんだん加わってきたのではないだろうか、こういう疑いを私ども深くしておるのですが、その点いかがですか。
  118. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 私たちの説明といたしますと、結局保証ができなかったために円満な受け取り方ができなかった、その間にもちろんライセンスも延期してもらえないんですし、ごたごたしているうちに変な形になってしまって、われわれと関係がない砂糖になってしまったわけなんであります。
  119. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 通産省におきまして数回、三回にわたって延期しておりますね。
  120. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 二回であります。
  121. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 二回にわたって延期しておる——延期というのは実に異例な感じを私ども受けるが、延期はおもにだれが申請して、そうして延期するのなら確実に次の期日には入るという見通しでもあって延期を願い出たのであるか、見通しはないけれども、とにかく延期を願い出たのかどうか、その点はっきりしておいて下さい。
  122. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 延期のときにはいろいろ向うからも砂糖の送り得るような、通産省の納得しそうなような書類とか電報とかが入っておったのであります。今にも積み出せそうな感じの電報がきておったわけであります。そのためにもう一回だけ延期をしてやろうということになったのであります。
  123. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 何か知らんが、あなたが今も述べているがごとくに、途中において非常にあいまいな要素がだんだんふえてきておる。要するに無為替輸入許可というもの、事実それが非常に重要なことで政府も非常に重要なこととして調査したとあなたはおっしゃっておる。のみならず異例なことである。このことはこの委員会で明らかである。相当な無理があったのではないだろうか。無為替輸入自体に無理があったという印象をどうも受けるのであります。今日はもうあなたはそう関係がないのだから、あっさりと言うてもらっていいのだが、とにかく当時の無為替輸入許可というものは相当無理だというふうに思われるのですが、あなたはいかがでありますか。
  124. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 全般的に無為替輸入をやめておったころでありまして、無為替輸入は非常にむずかしかった。ただし立川に対しては、どうせ政府資金を出さなければならないのではないかということから、われわれは開発へ行って説き、大蔵省へ行って陳情したのであります。だから日本の外貨が節約できて、必需品の砂糖ができて、しかもそれも別ワクではなしに、輸入計画のうちの一万トンというものは完全に入って、しかも開発銀行から立川に出そうとしたかしないかは知らないが、出すというような経費がそれによって節約できれば国家的じゃないかという感じ方で私は話をしておったわけであります。
  125. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 淡谷悠藏君。
  126. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 ちょっとお伺いしたいのですが、あなたの方から通産省に出ております無為替輸入申請書は、四通になっておると聞きましたが、その通りですか。
  127. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 四通になっております。——ちょっと覚えませんが、四通か五通かと思います。
  128. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 これは一体こんなに分割をしなくても一通でいいと思うのですが、なぜこれがあなたの御記憶によって四通だとか五通になっておるのか、どういう理由でこうされたのかお聞かせ願いたいと思います。
  129. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 それはその砂糖インポーターが四社そのときにはございましたのです。そのインポーターが同じ一通のなにでは非常にやりにくいから、四通に分けた方がやりやすいということで、四通にしたわけであります。
  130. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 そのインポーターの四社の名前一つお聞かせ願いたいと思います。
  131. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 三菱商事、第一通商、東京食品、住友商事、その四社であります。
  132. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 この無為替輸入の承認は、昭和三十年の十月二十三日までになっておりまして、そのあとは失効しているはずでございますが、その通りでございますか。
  133. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 エクスパイア・デートを若干今記憶しておらないのでありますが、二回延期をいたしましたのです。その最後がたしか十月二十三日になっていたのではないかと思います。
  134. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 その際これは失効したのですが、一方大蔵省関係役務に関する契約及び決済に関する許可というのは、延長の結果十一月の末までであったように調べておりまするが、いかがでしょうか。
  135. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 大蔵省許可通産省許可というものは絶えずタイミングが食い違いまして、大蔵省の方が早くエキスパイヤーしておったと思うのであります。大蔵省のエキスパイヤー・デートの方が早かったと思うのであります。
  136. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 あなたの御記憶が確かでなかったら、あとで何か書類でも出していただきたいのですが、どうも通産省の方は早く失効しまして、そのあとでなお大蔵省が残ったようですが、同じ官庁で両方あなたがずいぶん交渉されたようですが、時期の合わない点をなぜ調整されなかったか、どうしてできなかったか。あるいは前の方は失効した場合に見込みがないものとして放棄されたのか、その点を明らかにしておきたいと思います。
  137. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 最初許可を受けましたライセンスの通りの延長の場合には、大蔵省は非常に簡単に延長してくれたわけなんであります。むしろ通産省の方がその延長の許可取り消しどうのこうのということについてはイニシヤチブをとっていたように私は思うのであります。大蔵省の場合は無条件で延期をしてくれていましたのです。従って最初もらいましたのが通産省が先だったか、若干そこに二週間か三週間のずれがございまして、大蔵省のことの方はあまり私の方は聞いてなかったわけなんであります。通産省許可をすればそれを持っていけば大蔵省の方ももちろん許可をするという考え方をしておったわけなんであります。日付の点にはちょっとあいまいなところがございますから、また新規にその書類を調べまして、検察庁にでも行きましてもらって参ります。
  138. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 それではもう通産省の方ではこれ以上の延期はできないということになったので、あなたの方はあきらめた、こういうふうに了解してよろしゅうございますか。
  139. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 二回延期をいたしまして、三回目のときにはわれわれも保証問題としてどうしてもこれを受け取ることができなかったわけなんであります。従ってこれも頭から通産省で私たちも言われまして、もうこれはあきらめろ、またわれわれも自発的にその前にあきらめておったわけなんであります。
  140. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 このドミニカの砂糖昭和三十年の十一月十八日に横浜に入港しておりますが、この砂糖があなたの方に入るということの通知が出ましたのは一体いつごろになりますか。またどういう関係台湾砂糖がドミニカの方に変ったのか、その辺の関係の御答弁を願いたいと思います。
  141. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 それは東方貿易行から委任状を持って周さんという人が来たわけなんであります。それからドミニカと台湾との差はドミニカでもキューバ糖でもいいかということをまた通産省あてに了解を向うから電報で求めてきたことがあるのです。そのときにもう需給物資に出ているわけでありますから、完全なものであればどこの砂糖でもけっこうだということは農水産課の方で私は許可をもらったわけなんであります。
  142. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 周さんがあなたの方に来たのは砂糖が着いてからですか、砂糖が入港する前に周さんとの関係があったのですか。
  143. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 砂糖を積み出した直後くらいだと思います。
  144. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 そうすると、周さんはあなたの方に了解を得る前にもう砂糖を出して、それと同時にあなたの方に別に来られた、こういうふうになるのでございますか。船を向うの方で出してしまってから周さんが来たのか、あるいは積み出す前に周さんがあなたに会っているのか、その点はどうですか。
  145. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 向うを積み出してから、こちらに飛んで来たと思います。
  146. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 そうすると、あなたの方はあらかじめこの砂糖に対してはドミニカの砂糖でもよろしいという返答を東方貿易行へお出しになったのですか。
  147. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 それは通産省許可を得まして、その前のときであります、一回目するときでありますけれども、ドミニカまたはキューバでもよろしいということは通知をしております。それはしかしその砂糖じゃなしに、第一回目のライセンスが切れたときに通産省の了解を求めているわけなんです。
  148. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 それではこのドミニカの砂糖については周さんがあなたの方に話をして初めて知った、こういうわけですか。
  149. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 そうであります。
  150. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 そのときこの入港したあとで通産省になぜ無為替輸入の申請をされなかったのですか。この砂糖にはもう無為替輸入の承認がついているのですか。
  151. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 その点が解釈の仕方でありますが、私の方としては完全に引き取れるものであれば何とかこのライセンスを延期して立川のために引き取りたいという考え方を持っておったわけなんであります。しかし通産省の考え方は、もうこれ以上待ってもだめだというような結論をそのときに出してしまったのじゃないかと思います。その当時には、何といいますか、延期に対しては絶対だめだということを強硬に言われましたですから、この砂糖をどういうふうに考えておられるのか、これは私はわからないのです、お役所の考え方は……。この砂糖立川で持ってきた砂糖であるのか、全然立川とは関係のない砂糖であるのか、そういうことは役所の判断に待つより仕方がないと思うのであります。
  152. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 周さんは東方貿易行から了解をもらって、あなたの方に砂糖を持ってきて、申し入れをした。あなたの方ではその前に通産省から一応は無為替輸入許可を得た。それをたよってきたのですから、周さんから申し入れを受けたならば、あなた方の方ではもう一ぺん通産省にこの砂糖を入れたいからという申請をするはずなんですが、あなたの方はそこで周さんの申し入れを断わったのですか。
  153. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 それについては何度ももう向うを出たから何とかしてやってくれということは私の方は通産省に頼んでおります。
  154. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 そのときは通産省だけに頼みましたか。ほかにまだ頼んだ人がございますか。
  155. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 これは通産省だけに頼みました。
  156. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 どうもあなたの方はそれじゃ砂糖がなければ台湾東方貿易行に売り渡すという、特許の方もだめになると思うのでありまするが、この砂糖に対してもう少し熱意を入れて運動をするはずなんですが、それは全然おやりになっていないのですか。
  157. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 保証金を積んでまで引き取るということは、これは絶対できない状態だったのです。私は、だから精糖工業会へ参りまして、その保証金に対する保証だけでもしてくれないかということも頼み回ったのであります。ところが精糖工業会はがんとして一銭でも高く買うことは辞退したわけなんです。私は金で要らないから銀行の保証だけしてくれということを言ったのでありますが、それも不可能に終ったわけなんであります。従ってこの砂糖を引き取ることはどうにもできなくなりまして放棄をした、こういうことであります。その間に周さん自体も非常に私に憤慨いたしまして、とにかく強引に私は何というか詰め寄られまして、そのまま私も立川からやめてしまうというような状態になったわけなんであります。
  158. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 あなたは藤岡芳蔵という人を御存じですか。
  159. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 藤岡芳蔵はこの京都化繊の今度の会社関係をやる人でありまして、私もよく知っております。
  160. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 この砂糖との関係についてあなたは藤岡さんをしばしばわずらわしておるようでありまするが、どうしてこの藤岡さんをわずらわす必要があったのですか。
  161. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 藤岡さんはやはり電力界関係でございまして、立川さんの京都における京都化繊の連中というものは、立川さんの兄さんも日本電力にいたわけなんです。従って今度できる会社に対してはりっぱな連中に入ってもらって会社をやろうではないかということから、絶えず仲よくやっておりましたから、藤岡さんが通産省に対して一緒に行ってもらっても決してそんな力のあるとか、強引になにするという人じゃないわけなんです。
  162. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 さっきあなたはほかの方にかまわぬと言いましたが、今聞いてみますと、藤岡さんとか、その他いろいろ精糖工業会とかにドミニカの砂糖を入れるように尽力されておるようですが、もうちょっと人があるのじゃないか。一つ証人として良心的にお答え願いたいと思うのです。それからもう一つお聞きしたいのは、京都化繊というのは一体できた会社ですか、あるいはこの砂糖が入って、立川特許料が何らかの形で入ってきた場合に、それを資本として新しくやろうという計画だったのですか、どっちなんです。
  163. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 京都化繊という会社は現存しておる、でき上っておる会社であります。それからどういう連中に会ったかと言われましても、私はこの砂糖関係では一軒々々頼み回ったりなんかしたことは事実ございます。しかしそういうことを私の方で一々お答えするのは、非常に範囲がわからなかったものですから、先ほどの、人に会わなかったかと言われたときにあえて言わなかったのでありますが、そういう関係は砂穂に関する限りはもちろんずいぶんあります。
  164. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 京都化繊が、まだできていない会社だそうですが、できているんですか。
  165. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 一回お調べ願いたいと思うのでございますがね。
  166. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 それじゃ京都化繊のどういう役にこの藤岡という人がついておられるのですか。
  167. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 藤岡さんは立川さんも顧問にしておるわけなんです。顧問々々と言っておるのは、おそらく藤岡さんのことだろうと思うのであります。
  168. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 一体藤岡芳蔵という人はどういう生業を持った方なんですか。ふだんの職業はどういう職業の人なんですか。
  169. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 あの方は石炭関係でございますね、一番おもなる仕事は。石炭のたしか富士鉱業と言ったと思うのでございますが……。
  170. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 石炭関係もいろいろございましょうけれども、富士鉱業の重役もされているんですか。
  171. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 代表社員でございます。
  172. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 この人がいろいろ政界とつながりのあるようなうわさが立っておるのですが、あなたはそういううわさを聞いたことはございませんか。
  173. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 ずいぶん古い方でありまして、もう七十四、五の方でございます。もちろん政治屋の方たちにも、いろいろお知り合いもございますでしょうが、このケースに対して私がほんとうにはっきり言えることは、許可をとるまでは絶対政治屋さんは関係してございません。もしこれが政治屋さんが関係しておったら、私は相当もめたと思うのです。そのくらいのことはよく私はわかるのです。絶対に私は政治屋さんには頼んでおりません。
  174. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 何も私は許可を得るときに——もう一度申しますが、あなたの言われる政治屋さんとは一体どういう人なんですか。政治屋さんも広うございまして、いろいろございますが。
  175. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 私の解釈では、政治屋さんというのは、代議士先生を動かして利権をあさっている連中のことを政治屋さんというのだろうと私は思っているのでございますけれども、そういう範囲内で今私は言っておったけわなのです。
  176. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 あなたはこの藤岡さんについてそういう言葉を言われたのですがね。許可を得るまでには政治屋さんを頼まぬというのですが、このあとであなたが交渉を持った場合には、やはりこの藤岡さんを政治屋さんとしてあなたが利用されたかどうか。これは政治屋さんですか、この藤岡さんという人は。この点を私ははっきり確かめておきたいのです。
  177. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 許可をとるまでは私は関係しておりまして、そうして、とっていよいよ処分するときからは、藤岡さんも立川さんも、どういう関係通産省の方たちも、僕というものはもうくそみそにやられたわけなんです。だから私はもうあとのことはほんとうにわからないんです。
  178. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 いや私は藤岡さんをあなたが政治屋さんと考えておるかどうかという問題です。あなたに関係あるかないかじゃない。この藤岡芳蔵という人物は、あなたのおっしゃる政治屋さんかどうかという問題です。
  179. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 この方は私は政治屋さんじゃないと思っております。
  180. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 それであなたはどうしてこの人にいろいろ話をされたんですか。政治屋さんの利用価値じゃなくて、この富士鉱業の代表取締役か何かとして利用されたのですか。
  181. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 私が藤岡さんを頼んだというわけではないのです。立川さんの兄さんが藤岡さんの部下だったわけなのです。だから私は同じ会社立川研究所におるものですから、やはり一緒に動き、何するというだけのことでございまして、私はあの方は別に力のある人だともちっとも思わないわけなのです。
  182. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 あなたがさっき京都化繊に入られるような見込みの話をされましたが、目下入っておられますか。
  183. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 私は一度重役に登録されまして、このケースで非常に検察庁から呼ばれたり何かしたときに、意識的にもう一切のことに関係しないでくれということを立川に言われまして、その当時に私はもう辞任して、現在は何の関係もございません。
  184. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 それじゃあなたが立川関係を持たれたのは、この砂糖が処分されて、あるいはこれが砂糖でなくても、入ってきた特許料の三億六千万円が立川研究所に入ることを条件にして京都化繊にあなたが入る、こういうふうに理解してよろしいのですか。この砂糖の問題の失敗があなたの京都化繊に重役として入ることを妨げた、こういうふうに理解してよろしいですか。
  185. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 その問題はちょっとデリケートなものですから、私わからないのですが、ただ私としては立川とけんか別れのような形になっておりますから、別にその条件があろうとなかろうと、当然私はやめさせられたと思うのでございます。
  186. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 大へん重大なことですが、立川とあなたがけんかをされた理由というのは何ですか。けんかをするようになったいきさつを詳しくお知らせ願いたい。
  187. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 それは要するにけんかということじゃなしに、たとえば立川というのは、こういうところへ呼び出されたり、検察庁に呼び出されたりすることが——まあ、だれでもいやですけれども、いやな男なんです。そうしますと、ああいうような、自分は何も知らないんだという一本で行きたいという言い方をすると思うのです。そのために、私がこのいきさつについて一番知っているものでありますから、私をいつまでもそばに置いておくということは、何かあったときに自分も同類と見られる、何か一歩下っていたいというような線から、絶えず私に対するそういう態度を見せるわけなんです。むしろ逆に私は、向うから、運転手から何から全部現在では世話してやって、立川研究所の連中はみなほとんど私のところに残っているというような状態なんです。
  188. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 一体この話を持ち込んだのは、立川の方から持ち込んだのか、あなたが持ち込んだのか。同類と見られるというが、あなたは企画部長か何かとして立川氏が使っていた人だと思うのですが、それがどうもあなたの答弁では納得いかないのです。この砂糖の問題あるいはこの特許の問題はどっちから持ち出したのか。立川から頼みに行ったのか、あなたから持ちかけたのか。
  189. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 大体外国からの特許の引き合いというものは、立川に対して相当来ているわけなんです。そのうちの一部なんです。しかし私の方としては、立川は非常に欧州を喜びまして、中国とかそういうところはいやがっておったのでございますけれども、そんなことをせずに、もったいないから何とかこれを一つ許可をとってやっていったらいいじゃないかというので、極力奨めたのが私なんです。しかし書類最初に来ているのは、立川京都の本社あてに来ております。
  190. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 この際お諮りいたします。綱島正興君より委員外発言を求められておりますが、これを許可するに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  191. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 御異議なしと認めます。綱島正興君。
  192. 綱島正興君(綱島正興)

    ○綱島正興君 証人にお尋ねしますが、勝間さん、あなたは立川研究所の正式委任状を所持されて、周君との間に砂糖一万トンの無為替輸入契約をされた事実がありますか。
  193. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 香港から東方貿易行の委任状を持ちました周さんが来られまして、そしてその当時に私は、保証問題で非常にもめておったわけなんでございますが、一応周さんが今のライセンスの委任を受けてこちらへ持ってきたんだということで、私はそれを引き取るというなにに署名したことがあるのでございます。これはあくまで周さんがこういう形で引き取ってもらいたいということを言われたときに署名したものであります。
  194. 綱島正興君(綱島正興)

    ○綱島正興君 私は弁護士で、最初弁護士事件としてこれは取り扱った事件ですが、従って証拠書類というようなものは割合たんねんに調べておるのです。そういう事柄でなくて、あなたは立川研究所の代理人の委任状に、通産大臣及び大蔵大臣の承認がある無為替輸入許可証を添えて、そうして周君との間に無為替輸入をして砂糖の引取代金を支払う、こういう契約をされたのじゃありませんか。
  195. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 ちょっと先生のお話には食い違いがあるのですが、私の方の委任状をもらいましたのはライセンス・ナンバーが入っておりまして、そのライセンスによって持ってくる砂糖に関する一切の権限を私に委任するという委任状を立川さんが書いたわけであります。それのコピーをつけまして東方貿易行の代理としての周さんとして私は交渉に当っておったわけなんです。
  196. 綱島正興君(綱島正興)

    ○綱島正興君 もちろん周君は個人ではございません。代表者であることも、私は弁護士でございますので、特に当時の荷為替をつけておった香港上海銀行からの証明をとり——ただいまは辞任したときに書類をみんな渡しましたから手元にはありません。けれども記憶がございます。その証明で周は会社の二名の代表者の一人です。そうしてその周は現在は日本に滞在しておる。それは香港銀行からの私の問い合せに対する答えでございます。そこで周はもちろん東方貿易行の代表者としてあなたと約束をしておるので、周とと申し上げたことは私が不用意に申し上げたが、法律的に言えば東方貿易行の代表者周と契約した、それは間違いございませんか。
  197. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 それは間違いございません、それはその通りであります。
  198. 綱島正興君(綱島正興)

    ○綱島正興君 ただいまコピーをつけたと言われましたが、その委任状の原本を私は一時は手に持っておった。立川に示してこの印鑑には相違ないかと言ったら、立川研究所の印鑑に相違ないというお答えをしておる。だからあなたの今コピーとおっしゃったのは間違いで、委任状の原本であったことは間違いございませんか。
  199. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 今の周さんに渡しましたときのあれでございますね。それは原本でございます。そのコピーの方は立川が取り上げたのですが、一応立川に残っておるのは返してしまったわけなんです。
  200. 綱島正興君(綱島正興)

    ○綱島正興君 そこで大体私がお尋ねしたいことははっきりしたのでございますが、その当時あなたの御存じのことをお聞きしたいと思うが、周の方では砂糖をこっちに持って来た。東方では砂糖を持ってきた。そうして保税倉庫に入れた。それからあなたの方では金を払ってくれない。金を払えば周の方は通関を求めて正式にあなたの方に引き渡す。ところがあなたの方——あなたの方というのは立川研究所立川研究所が金を払わぬのに砂糖だけを渡すことはできない。そこであなた方が延期をされた輸入延期期間中にも、通産省はこの砂糖を扱うのならば、ぜひ立川が同意しなければ困る、こういう問題があったのです。その当時あなた方の方で日本円が調達できて、それによって外貨が支払われるようになって、周が受け取ることができれば、この問題は何にもなかった。そう理解していいですか。
  201. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 周が持ってきたものに対しては、われわれが特許権を渡して、あと保証金を積むことができればそれでスムーズに、そのライセンス通りに片づいた問題なんです。ところがどうしてもその保証金ができなかったわけなんです。われわれも現実にその砂糖を売った金がこちらで使えないということであれば、これは大蔵省許可事項にも触れてくるわけなんであります。そのために非常に悩んだわけなのであります。それからしばらくしている間にもうあなたたちには頼まない、立川にはだまされたんだということで非常に憤慨いたしまして、それから僕が会おうとしても会えないし、もう何の交渉もできなくなってしまったんです。
  202. 綱島正興君(綱島正興)

    ○綱島正興君 これは少し余談になりますけれども、その後私のところに法律上取り扱うように依頼を受けた。それで私はあなた方の方に直接交渉は必要なかったのでありますが、しかしそのあなた方の方の不履行によって砂糖があなた方に渡ることもできぬし、周はやむを得ず正常な軌道に乗せなければならないことになった。当りまえならばあなた方のライセンスがちゃんとつけておればそのままでいけるはずのものではないですか。不履行はあなたの方にあるのじゃないですか。
  203. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 このライセンスについての延期ができないとか、円満な引き取りができないということは、われわれに十分責任があると思うのです。しかし契約というものはあくまで双務契約でありまして、向うの方もそういう状態を承知して持ってきたのだから、そんなにまで責任を追及することは僕はないと思うのです。なぜ立川だけがそんなに言われなければならないのかというのは、ちょっと僕は不思議なんです。特に立川というよりも私個人が非常にがんがんやられて、もう実際僕としては不愉快でしょうがないのです。
  204. 綱島正興君(綱島正興)

    ○綱島正興君 これでよろしゅうございます。また別な証人に尋ねますから……。
  205. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 委員長からちょっと聞きますが、立川の方が不履行をしたのじゃないというあなたの主張なのですが、保証金がなかったからやむを得ず……。
  206. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 履行ができないわけなんです。
  207. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 保証金がないからできなかったかどうか、その点をはっきりしてもらいたい。
  208. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 保証金がないから結局履行することができなかったわけなんです。
  209. 田中(彰)委員(田中彰治)

    田中(彰)委員 関連してちょっと証人にお尋ねしますが、あなた特許権特許権と言われますけれども、この前立川所長が来たときに、あれは特許権ではないのだ、特許の実施権だというようなことを言っておったのだが、それに対してはどうなんです。
  210. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 実施権というと特許を受くるの権利というのでございますね。特許の実施権になるわけですね。
  211. 田中(彰)委員(田中彰治)

    田中(彰)委員 特許権じゃありませんよ。
  212. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 特許権台湾では申請中なんですから、それを受くるの権利ということになっておるのです。それはベルギーでも全部そうでございます。
  213. 田中(彰)委員(田中彰治)

    田中(彰)委員 しかし特許権というのはちゃんと特許になって、どこに持っていってもほかのものではまねできないということなんです。実施権というのはそこでは使っても、ほかでまた使っていいことになる。実施権だ、特許権ではありませんということを、この前証人に出たとき立川さんが言っているのです。  それともう一つ聞きたいのは、先ほどあなたは企画部長給料をもらわぬで、砂糖のことでやっているようなことをおっしゃいましたが、今綱島議員の話を聞きますと、やはりあなたが周と砂糖契約をされているのだが……。
  214. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 立川としてやっております。
  215. 田中(彰)委員(田中彰治)

    田中(彰)委員 それは立川としてやっていらっしゃったのですか。
  216. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 そうです。
  217. 田中(彰)委員(田中彰治)

    田中(彰)委員 あなたはそれだけの何億円の契約を、委任状を持っていてやるあなたが無給料で働かれているのもおかしいし、またそれはそれとして、いい契約があったとすれば、今あなたは京都の何とかいう会社、約束があった会社の相当なメンバーになられなければならぬと思うが、それも今やっておられぬということになりますと、そこに何かあなたに対する非常な手落ちがあったのか、何か不正でもあったのか、それで立川さんがあなたというものを自分関係した会社役員にすることもよくないというところまであなたをけられておるのか、それとも立川さんがそういういろいろの問題の責任をあなた一身に負わして、自分だけ逃げたというのか、一体これについてどう考えておるのですか。まずその一点です。それから今言う通り特許権じゃないんだ、実施権なんだと言われているその一点、これについてあなたから忌憚ない御答弁を願います。
  218. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 私は今も言われましたように、立川に対して何もそんなことで引き下ることはないじゃないか、一応の要求があってしかるべきじゃないかということをおっしゃるのは当然だと思うのです。私は立川という人物をよく知っております。またあの男にそんなことを言ったって、全然一銭も出すようなやつではないのです。逆に私は若干金を貸しているくらいなんです。だからそういう点の御質問は了解してもらいたいと思うのです。  それから実施権の問題なんですね。これは契約書をごらんになるとわかりますが、特許を受くる権利というのでいっているわけなんです。契約は全部そうなっておるわけであります。
  219. 細田委員(細田綱吉)

    ○細田委員 一点だけ伺いたいのですが、周君というよりも、東方貿易行の代表者である周君と利害関係が非常に対立しておったという方面はどちらですか。当時いろいろ経済界その他を見て。
  220. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 私が想像する範囲内でありますが、周さんにも若干利益があったのでしょうから、その利益の処分をめぐってもめるような問題とか、あるいは東方貿易行との間に委任の問題でごたごたしたか、そんなところ以外にはちょっと考えられないのであります。
  221. 細田委員(細田綱吉)

    ○細田委員 そうすると東方貿易行と周君との間に利害関係は、利益の分配か何か知らないが、そういうことで、あった。しかし日本商社もしくは個人との利害関係というものは、別にあなたたちはあるところは知らないわけですね。
  222. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 はあ、そういうことです。そのあとの日本商社との関係、そういうものは私は全然タッチしておりませんのでわかりかねるわけであります。
  223. 細田委員(細田綱吉)

    ○細田委員 いろいろ周君は個人的に金を貸しておったということを細君が言っておる、こういうことを聞くのですが、そういうことはあったのでしょうか。また立川も金を借りたことがあったのですか、これはどうですか。
  224. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 立川はもちろん借りたことは全然ございません。それから一般のことは私はわかりません。
  225. 坂本委員長(坂本泰良)

  226. 山田委員(山田長司)

    ○山田委員 証人立川博士に何回ぐらいお会いになっていますか。
  227. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 何回といいましても、同じところにずっとおったのでございますから、私の事務所は立川の中にあるわけなんですから、会っておるといえばずっと会っておることになるわけです。
  228. 山田委員(山田長司)

    ○山田委員 実は数日前の立川所長の話によりますと、数回しか会っていないようなことを言っておるのです。一体常識的に、あなたが法律的に代理の仕事までするのにかかわらず、数回の面接しかないということは、理解できないわけですが、いつごろが代理の仕事を、委任を受け始めたという最初であったのですか。
  229. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 この書類が、向うから来信がきてから、ずっと初めから一緒にやっておるわけでございますから、その点は役所でお聞きになっても絶えず二人で一緒に行っておったのでございますから、数回とかそういうようなことは問題にならぬと思います。
  230. 山田委員(山田長司)

    ○山田委員 そうするとあなたは、東方貿易行の代表者である周と、立川研究所の委任を受けた、要するに代表者として契約を結ばれたということを先ほど言われましたが、どういう契約を結ばれたのですか。
  231. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 それにつきましては、ライセンス・ナンバーに基いて日本に持っていったものを引き取る。ただ保証がなければどうしてもそれを立川に完全に渡すことはできないと周さんが言っております。やはり特許の完全な引渡しがつくまで、その金は円貨保証してもらわなければならない。それを使ってしまわれたら特許権というものはインチキな結果が出た場合困るからという意見でした。この保証問題に最初から問題があったわけです。そのために円貨保証するという何を入れておるわけです。ほかに変った何はないわけなんです。
  232. 山田委員(山田長司)

    ○山田委員 周と最初にお会いになったことは理解されますが、その後何回くらいお会いになったのですか。
  233. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 周と交渉をやりましたのは十回くらいでございましょうか——十回くらいであります。
  234. 山田委員(山田長司)

    ○山田委員 いよいよこの問題が暗礁に乗り上げてからだと思うのですが、通産省大蔵省の中に合同査問委員会のような形で、輸入品についての何か審議をする機関ができたようですが、これについてやはりあなた方の方に関係があると思うのですが、何かそのことについて知っている範囲があったら詳細に申し述べていただきたいと思います。
  235. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 そういうお話は私は初耳でございまして、全然知りません。
  236. 細田委員(細田綱吉)

    ○細田委員 関連……。あなたたちは無為替で一万トンという大きなものをとにかく扱っておられて、為替のそうしたものが最終の決定をされるという審議会か何か知らないけれども、そういう機関が通産省もしくは大蔵省、もしくは合同のものがあるとかないとかぐらいのことは、知らぬということはないだろう。それはどうなんです。
  237. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 今もう一方からお聞きされたのですが、最近そういうものができたということをおっしゃられたのですが、私のときはそういうものはなかったと思いますけれども……。その許可をもらいました当時は、ただ通産省から大蔵省とか農林省に農水産課がいくというような、事務折衝はその辺でやっておったと思います。
  238. 細田委員(細田綱吉)

    ○細田委員 わかりました。そうすると結局この砂糖輸入についての許可は、あんたを中心にした立川東方の代表の周君、そういうことですが、ほかにまだいろいろ了解を得るために奔走された、あなたのいわゆる政治屋といいますか、業界その他のそういうような人で、何か一生懸命で了解を求められたという人があったんですか。
  239. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 私の立川研究所として履行ができなかったわけなんでございますけれども、それまではそういう人たちに頼んだことはなかったわけです。ところが履行ができないということで、周さんとしてはそれは砂糖は着いてしまうし、困るわけでございますね。それからあとどういうふうにされたか、私は全然これはつんぼさじきで、わからないわけでございます。それがどういう結末になったかということすら私は知らないわけなんです。
  240. 山田委員(山田長司)

    ○山田委員 外国為替の管理委員会が二十七年八月に廃止になって、廃止になって後もやはり入れるわけですから、そのことは最初から承知の上で、あなた方としては取り計らいをしていたわけですね。ですからそのあと周がどう処理するかということについて理解ができぬようにおっしゃるけれども、どうもその点が私としては最初から無為替であることは承知しておると思うので、そこのところを、周と手を切るような事態になったのはどういういきさつで手を切るようになったのですか。
  241. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 何度も申し上げておりますように、特許権を渡して、特許の義務を履行するまでの間、保証をしなければいけないということになっておったのです、最初の無為替許可のときには。それをもう一度反復いたしますが、結局、一流商社保証するからいいじゃないかということで、三菱、住友、第一通商それから東京食品の四社が、この特許は間違いなく履行できるものだという一札を保証したわけなんです。それによって非常にスムーズにこれがいくことになっておったのでございますが、その後に技術の検討をいろいろやってきて、結局技術保証になってしまうから、これは取り下げようじゃないかということで、保証を辞退したわけです。それがもめてきた原因です。そして私は、この砂糖をとった場合、こちらで特許権利立川が渡す、渡すと同時にその技術指導が完全に終るまで、それをどっかに積んでおかなければいけないわけです、砂糖を処分して。まだ完全に砂糖立川研究所のものにならないわけです。外人の砂糖になるわけです。これは為替管理法違反になるわけなんです。それはどうしても解決方法がなかったわけです。そのうちに相手方の周は、どう解釈したのかしらぬが、非常に憤慨いたしまして、もう周さんは殺された殺されたというのですが、ほんとうは私が殺されそうになったんです。ほんとうでございますよ。ほんとうに私はがんがんやられたんです。しかし方法としてはどういう方法もできない。そのうちに周さん自体もいろいろな線に頼まれまして、何とかこれを政府の正式なものに乗せて解決されたということを聞きまして、私もむしろほっとしたような形になっておったわけなんです。
  242. 山田委員(山田長司)

    ○山田委員 今の言葉の中に、私も殺されそうになったという話がありますが、一体どういう事情で、あなたがそんなに危険にさらされた事態というものが、どうもわれわれにはわからぬですが、その前後の事情一つ……。
  243. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 それは周さんとしては、持っていったものに対して私たちが円満にこれを引き取らないものですから、非常にかんしゃく持ちの人のようなんです。私も別に深くつき合いがあるわけじゃないのですが、もちろん非常に、今にもぶんなぐられそうになって、僕はいつも交渉を受けておったということを言ったわけなんですけれども……。
  244. 山田委員(山田長司)

    ○山田委員 ぶんなぐられそうになったというくらいのことじゃ、これは殺されるという感じはちょっと理解できない。いつもの会談は二人だけの会談ですか、それともだれかほかに立ち会う人があったんですか。
  245. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 どなたか通訳のような人を連れてきておられました。一人、日本語のりゅうちょうな方を連れてきておりました。
  246. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 小川豊明君。
  247. 小川(豊)委員(小川豊明)

    ○小川(豊)委員 お尋ねしますが、周さんは日本語はよくできなかったのですか、どうでしたか。
  248. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 日本語はあまりよくできなかったようでございます。
  249. 小川(豊)委員(小川豊明)

    ○小川(豊)委員 そうすると、あなたと話を取りかわす中には、通訳をしてくれる人がおったはずです。その人は郭という人であったと思うのですが、あなたは名前を御存じないのですか。
  250. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 私は名前を別に、通訳としてその人が絶えずしゃべっておりましたですが、郭という方ももちろん知りません。どういう方であるかわかりませんですが、本人を見れば、この方だということはわかると思います。
  251. 小川(豊)委員(小川豊明)

    ○小川(豊)委員 そうすると、当時周さんとあなたとの話の中に出てくる人は郭という人であったわけですが、それが郭という人であったかどうか知らない……。
  252. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 そういう意味でございます。
  253. 小川(豊)委員(小川豊明)

    ○小川(豊)委員 それからもう一つ、あなたと周さんとの交渉の途中から、松平という人が登場してくるわけですが、その方にあなたは会ったことがありますか。
  254. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 松平という方は、名前にはよく聞いておりましたが、私は一度も会っておりません。
  255. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 山本猛夫君。
  256. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 証人に伺いますが、この特許権による製造方式を日本のどこの工場で実施しておりますか。
  257. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 実施方式は、今東洋紡が取り上げようとしているというふうに聞いております。
  258. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 いや、取り上げようとしているということを伺っているのじゃありません。伺うと、この特許権は非常に権威のある特許権のようでございますが、さすれば、日本の繊維工業界でも当然この特許権の実施権を実施していなければならない。そこで日本の繊維工業界で、どこの工場でこの特許権を実施しているか、それを伺っているのです。
  259. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 これは事実大日本セルローズという名前で鐘紡の防府工場でずっとやっておったわけです。その後鐘紡と合併いたしまして、鐘紡が大日本セルローズを合併いたしまして、鐘紡がそれを引き継いでおるはずなのであります。ただ、そのときも鐘紡と立川研究所との間にまたいろいろトラブルがありまして、現在それを実施しているかどうかということは私にはわかりません。現在の状況はちょっとわかりかねます。
  260. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 私はそういうことを伺っているのじゃないのです。立川研究所からこの特許権を買うなり、あるいは特許の実施権を買うなりして、どこの日本の繊維工場が現在実施をしているか、これだけを伺っているのです。
  261. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 現在はどこも実施しておりません。おりませんと私は思います。これは私の想像です。現在私は立川研究所の人間じゃないのですから、現在がどうなっているか、私にはわからないのです。
  262. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 それでは証人に伺いますが、あなたが立川研究所関係しておられたときの現在において、日本のどこの繊維工場がこの実施権を実施しておったか。
  263. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 その現在では、日本の実施権というものは全然どこもやっておりませんでした。
  264. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 それでは伺いますが、日本の繊維工業の生産設備といえば、あなたが立川研究所関係しておられたという時期においては、台湾の繊維工業関係の生産設備よりもはるかにすぐれておりますことは、これは論を待たないのです。すなわち台湾の繊維工業の生産設備よりはるかに進んでいる日本の繊維工場において実施のできないような、すぐれた権威ある特許権の実施を、台湾の生産設備をもってしてこれを実施できるとあなたはお思いになっておられたかどうか。
  265. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 これはあくまで人造繊維でございまして、原料面とか、そういう問題にいろいろ関連性があるのでございます。それで日本における立川研究所の立場というものは絶えず話題になっておったわけなんです。スタックでもAクラスの上に格づけをせられて、開発銀行でもこれをぜひ国策としてやらなければいけないということを言っておったのです。しかしながら、本筋からいえば鐘紡がやるべき筋合いでありますが、鐘紡と立川と非常に問題がありまして、そういうものを取り上げなかった。
  266. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 証人に申し上げますが、私はそういうことを伺っているのじゃないのです。
  267. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 簡単に説明できないですね、この問題は。
  268. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 そういうことを伺っているのじゃないのです。よろしゅうございますか。日本の繊維工場の生産設備は、あなたが立川研究所関係しておられたというあのころの台湾の生産設備よりもはるかに上位にあり、すぐれた生産設備を持っていた。しかるにもかかわらず、立川研究所特許権と称するものを実施をする過程には、まだほど遠いものがあって実施できなかった。そこで日本の繊維関係の生産設備よりも劣っている台湾の繊維工業界において、このすぐれた特許権を実施できるとあなたは思っておられたか、それだけでよろしいのです。
  269. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 台湾、香港、それから大陸を含むというその契約書面に出ておりますことなんで、どっかの線でやれば、これは必ず実施することは簡単だと思うのであります。
  270. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 それはそれでよろしゅうございましょう。日本の生産設備をもってしても、これをこなし切れないような権威のあるものであったと伺っておりますので、従って台湾のようなちゃちな、とお話をしたら怒られるかもしれませんけれども、台湾のおくれた生産設備をもってしてはそうできない、こう伝えられておるのです。  それでは次をお伺いいたします。その台湾へ持っていかれて契約を結ぼうとされた技術の輸出、これは特許権でございますか。それとも特許権の実施権であったか。
  271. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 これは、その当時の何では特許権だったと私は思うのでございますけれども、特許権利という形であれしたわけなんです。
  272. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 立川研究所長である立川さんが、ここで参考人としてお述べになったところによりますと、特許権ではなくて、特許権の実施権を契約しようとしたのである、こういうのでございますが、もし特許権でなく、その実施権であるといたしますならば、常識的に考えてべらぼうに高いものであると思いますが、あなたは砂糖一万トンに代償するものであるとお考えになっておられたかどうか。
  273. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 私は、この特許は、私自体が技術者でございませんですから、技術的な自信という意味ではなくて、百万ドルということは決して私は高くないと思うのです。一時金の百万ドルでございますから、あとのロイアリティは全然取らないのですから、その点は誤解のないように判断していただきたいと思うのです。
  274. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 それでは別なことを伺います。あなたはさいぜん藤岡芳蔵という人をあまりよく知らないということをおっしゃっておられましたが、この藤岡芳蔵という人は、その道の方面では相当著名な老政客でございまして、七十何才かのお年寄りでという、いかにも、もう何か消えてなくなりそうなような印象を与えるような御発言でありましたが、しかもこの方は今日本倶楽部を中心として盛んにその方面と申しますか、老政客としての敏腕をふるっておいでになる方でございます。  そこで証人は、最初立川研究所に献身的な努力をせられたことを買われまして重視をせられておったのでございましょうが、途中で政治的な手腕を必要とする斯界の老政客としての立役者である藤岡さんにあなたがすりかえられた、その役割をすりかえられたというような印象はございませんか。
  275. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 私はそういうような印象は別に受けておりませんですが、ずっと初めから藤岡さんのことはよく知っておるのでございますし、急にかわったという感じではございませんです。
  276. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 関連。一点だけ勝間証人に念を押しておきますが、台湾東方貿易行へ売り渡す、いわゆる特許を受ける権利、これは日本国内におきましても、つまり日本政府に対しましても特許出願中であって、いまだ特許登録を特許法によって受けておる状態、いわゆる特許権ではない、こういうふうにお述べになったように思うのですが、その通りでありましょうか。
  277. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 それは先方との契約書でも全部つけておりますから、特許を受くる権利ということで申請を出しております。
  278. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 特許を受くる権利というのは、台湾においてということは別といたしまして、日本国内において、なお特許を受くる権利特許を受けている特許権ではない、こういう趣旨に理解していいのでございますね。
  279. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 日本特許は全然関係ないのでございます。
  280. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 関係があるないよりも、その虎木綿でございますね。
  281. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 虎木綿でございますが、フランスもベルギーもそれぞれ別の特許の受け方がしてあるわけであります。
  282. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 それぞれの特許の受け方がしてあるけれども、それは別としまして、日本国内において日本の政府に対して、特許法によって特許の出願中であっても、まだ特許を受けておらない、特許の登録はまだされていない状態であった、こういうふうに理解していいのでありますか。まだ日本の政府においては、特許を登録せられておらない状態であった、そういうふうに理解すべきじゃないですか。
  283. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 先ほどから特許を受けておるのじゃないかと盛んに言われますが、われわれのときには、特許ナンバーから何まで全部持って行ったわけであります。どうして日本特許がおりていないか、どういう点で言われるのか、私にはわからないのであります。
  284. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 その特許ナンバーというのは、特許出願中、こういうふうな趣旨に理解していいのか、こういう意味なのです。
  285. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 それは公告、公示でございますね、そういうものを全部終っておるはずなんであります。
  286. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 特許を受けるためには、特許出願中でもなお譲渡はできることに日本法律上なっております。そこで当時立川研究所特許出願中であって、いまだ特許権が登録されておらない以前の状態であった。出願中であった特許を受くる権利である、こういう趣旨に理解していいのじゃありませんか。こういうことです。その点だけずばっとお答えいただきたい。
  287. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 それは日本特許の場合でございますか。
  288. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 さようでございます。
  289. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 日本特許の場合、そういう——このケースで日本特許の場合が関係がございますでしょうか。
  290. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 関係があってもなくてもよろしい。
  291. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 それは私の方ではわかりませんが……。
  292. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 そうすると、全然日本の政府においては、いまだ特許登録をせられておらぬ。
  293. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 登録じゃなしに出願いたしまして、それから公示がありまして、決定するとかならぬとかいう状態だったのです。
  294. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 委員長から聞きますが、それは出願中だったというのですね、まだ許可になっていない、こういうことですね。特許出願中であった、こういうことになるのですね。はっきりして下さい。
  295. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 特許の問題につきましては、日本特許のことは私はあまりわからなかったのでありますが、通産省から言われたときにも、ナンバーをみんな持って行って、こういう特許だといって承認しておるのであります。
  296. 神近委員(神近市子)

    ○神近委員 関連して。大体いろいろの経緯はわかるような気がするのですけれども、この前立川さんがお見えになったときには、大体年間四百数十万の金が研究所の機構に要るとおっしゃったのです。あなたは、立川氏はそれだけの財力のある人だというふうにさっきおっしゃった。ところがそのあとで、自分も貸金があるくらいだということをおっしゃったのですが、それはちょっと矛盾していやしませんか。
  297. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 個人攻撃のようになりますが、これは立川さんの性格でありまして、私は従来から長いつき合いをしているのでございますけれども、立川さんに、先ほど御質問があったときに、どうしてもらわないんだ、もらうのは当りまえじゃないかと言われたから、それに対して受け答えをしたのでありまして、私自体は、立川さんに少々金を貸しても返してもらえないような仲なんです。それは、わあわあ言ってもめんどうだから、何も言っていかないだけのことなんであります。
  298. 神近委員(神近市子)

    ○神近委員 それから今特許権のことでいろいろ御質問があったようですけど、ベルギーということをしきりにさっきからおっしゃって、ベルギーにロイアリティが入るようになっている、そしてヨーロッパに関心が強くて、東洋にはあまり関心が立川さんになかったということをおっしゃるのですけど、そのベルギーのほかに、どこに特許を分譲してあるのですか。
  299. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 今話がきまっておるのは、ベルギーのフアベルターだけだと思うのであります。そのほかに、西独、オーストリア、フランス、そういう方面にいろいろな折衝は進行中だと思います。
  300. 神近委員(神近市子)

    ○神近委員 そうすると、日本特許をとると同時に、国際的な機関に発表されて——スイスで発表されたとさっきおっしゃったようでしたね。それを台湾が発見して、それによって申し入れがあった、照会があった、こうおっしゃいましたけれども、ヨーロッパでは、考案というか、その今の立川特許のそれは相当知られているという意味ですか。
  301. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 立川日本よりは、むしろあちらの方面においてかなり評価されているように思います。
  302. 神近委員(神近市子)

    ○神近委員 それからもう一つ、この問題がこじれてくるのは、東方貿易行が台湾砂糖を積み出せなかったことに問題の起りがあるわけですけど、この通産省のライセンスには、砂糖の産地も、積み出し港も指定してないですね。どこから持ってきてもいいようになっている。そうして、結局ドミニカ糖が来るということになるようですけれども、このあなた方が持っていらしたライセンスが切れた翌日、船がドミニカを出ているのです。そうすると、私どもから考えると、二回も延期しておいて積み出しができたということになると、すぐ電報が入るわけでしょう、通産省なりあなた方の方なりに。日が切れた翌日積み出したということがはっきりわかっていれば、その今まで延期してきたのを、どうして通産省が再延期をしなかったかということが、私どもには疑問なんですけれども、その点はあなたはどういうふうに理解していられますか。
  303. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 その点は、私がさっき言いましたように、これを保証金を積んで取るということはできないという点を、はっきり通産省にも言っておりましたし、結局保証金を積んであった場合には、この許可と、若干許可事項が変って参りましたものですから、そういう意味で、この何は引き取りができないのじゃないかというような、通産省の考え方もあるんじゃないかと思うのでございます。
  304. 神近委員(神近市子)

    ○神近委員 もうちょっとありますけれども、今あとを急ぐそうですから、私のは午後まで保留をいたします。
  305. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 勝間証人に対します尋問は、この程度をもって一応終ります。勝間証人には、御苦労ですが、元の控室でお待ち下さるようお願いしたいと思います。長時間御苦労様でした。退席されてけっこうです。  それでは次に、邵元培証人に対する尋問に入ります。  まず、委員長から二、三総括的にお尋ねして、それから各委員のお尋ねがあると思います。  第一にお伺いしたいのは、邵証人は現在弁護士をしておられると思いますが、いつごろから弁護士をしておられ、日本弁護士会にはどういう関係におられますか、その点をお伺いいたします。
  306. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 昭和二十七年の七月に、最高裁判所の外国人の弁護士資格の人の免状をもらって、第一東京弁護士会に入会しまして、日本において開業をいたしました。
  307. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 そして現在……。
  308. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 現在に至る。
  309. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 次にお尋ねしますが、すでに新聞等で御存じと思いますが、シュウカシンという方を知っておられますか。おられますならば、いつごろから知っておられますか、またどういう御関係であるか、その辺をお伺いいたします。
  310. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 シュウカシンとは、昭和三十一年の秋ごろは、朱文虎という人の紹介で東京において知り合いました。そのときは外国人——アメリカ人と思いますけれども、何か自動車の抵当事件についてトラブルがあるから、私に法律上の手続をとってもらいたいというお頼みがあって、知り合ったわけです。
  311. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 次に、このシュウカシンという方は、昭和三十一年十二月三十日に、第一東京アパートというところで、ガス関係で死亡しておられるようですが、それについてあなたは御存じがありませんか。
  312. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 知っております。当時の事情は、私は昭和三十一年の十二月の二十八日に最後に周さんと会いまして、友達の朱という人を羽田飛行場まで迎えに行きまして、一緒に帰りまして、夕飯食べて、十時半ごろまで一緒につき合って、それから二十九日、一日置いて三十日の朝、多分十時半ごろだと思いますけれども、さっき話した朱さんから電話が来まして、シュウカシンさんはアパートにおいてガス中毒で死にました、一緒に行ってくれないか。それで朱さんと一緒に行きました。現場に行くと、すでに周さんの友人たち大体五、六人が来ておりました。私も十二時半ころまでに現場に着きました。
  313. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 その点についてもう少しお聞きしたいのですが、この周さんのガス中毒死は過失によるのでなくて、他から殺害されたんじゃないかというようなことをその当時お聞きになりませんですか。さらに、現場に行かれましたが、特にあなたも弁護士として法律家でもあられるのですから、そういう他殺ではないかというような疑いはなかったかどうか。それから、その後他殺であるというようなことを聞かれたかどうか、その点をお伺いいたします。
  314. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 実は私は現場に着いてからすぐ周さんが死んでおる部屋に入りました。周さんは口から血が少し出ております。そのアパートヘは僕は初めて行きましたから、部屋の中の様子を見ますと、六畳もないくらいの小さい部屋でした。ベッドがありまして、周さんはそのベッドに寝たまま死んでおりました。すぐ隣に台所兼トイレットの小さな部屋がありまして、そのトイレットのところに小さい窓があいております。周さんはガス中毒で死んだ、どうして口の方から血が出ているか。私はガス中毒で死ぬ場合は常識的に考えると、血が出ないはずだと思った。それで事故死ではなく他殺ではないかと私は実は疑念を持ったのであります。それでそのアパートの管理人、名前は今覚えていませんけど、聞いたところが、ガス中毒で死んだと思う、だれかが八時ごろよそから電話をかけてきて、それで周さんを呼びに行ったところ、周さんはガス中毒で死んだと言いましたけれども、ガスのにおいはどのくらいの強さをしておりましたかと言うと、おばあさんは自分は鼻が悪いから、あまりガスのにおいはわからなかった。それで私はよけいに疑念が深くなりまして、いろいろなことを聞いて、あなたはどういうふうに入りましたか、ドアをたたいて、ドアはカギがかけてなかったからすぐ部屋に入りました。それで私が聞いたところは、ガスはどこのガスのせんから出てきたか。——私は台所へ入って見ましたが、ガスのせんは二つあります。左の方のガスのせんにはゴムはついていない。右の方はゴムが通っております。それでガス火の出る道具が置いてあり、その上になべがかけてある。聞いたところが、このガスは左の方、ゴムのついていないところから出てきております。それで自分が入って、少しひゅうひゅう音がしておりますから、ガスは出ておるではないか、そのせんを締めた。だから周さんがガス中毒で死んだと思った。私はその点についてもちょっとおかしいなと思った。周さんは、ガス中毒で死んだ中国人の友だちもその前におりまして、ガス中毒はいつも心配しております。だからそのうしろの台所の小さい窓は常にあいております。そんな細心の人で、ゴム管のついておるガスのせんを締めようと思って間違ってゴム管の通っていないガス管のせんをあけたということは常識上は私はあり得ないと思います。たとえばゴム管の通っておる方に火がついておるときに、この元のせんを締めようと思ってもし間違っていつも使っていないせんをあけましたら、第一ひゅうひゅう音がします。時間的には大体十二時以後になっておりますからガスが一番強いときです。それでもし間違ってこれをあけまして、締めなければ火はそのままついておるはずです。それで気がつかないはずはない。たとえばこのガスの火を先に消してから、ガスが危いから、わざわざ元のせんを締めに行くときには、締めようと思って間違って片方をあけたという、そんな非常識なことはよけいないだろう。だから私はたとえばガス中毒で死んだとしても、周さんが自分の過失で間違ってあけて死んだか、あるいはだれか部屋の中へ入ってあけたのではないか、そう思いました。私はその疑念を持っておるから、なるべく解剖してほんとうの事実を究明したらどうでしょうかと思ったのです。それで私は個人的に、三十日の午後でした、東大の法医学教室に電話をかけまして解剖のことについて依頼しようと思ったけれども、女の事務員が電話口に出て、たしかその日は日曜日でした。きょうは日曜日ですからだれもいない、あしたなら返事できます、きょうは何も返事できない。それで周さんの奥さんは、京橋に事務所を周さんと一緒にやっておる日本の友だちの杉本喜三郎という人から、周さんの奥さんに報告して、それで周さんの奥さんの方から、どうしても自分の方から日本に来るまで火葬しないでくれ、最後に一目したいから頼む——それは私はもちろん、普通の中国人もみな一般にそう考えますから、死んだ場合は最後に一度会って火葬するのは普通だけれども、それなら、もし奥さんが香港から日本に来るまでは、いろんな入国の手続上きょう、あしたは日本に来るわけにもいかぬから、多分四、五日か一週間のひまがかかる。もし周さんの奥さんを待つなら、死体をどういうふうに保存するか、それも私は青山斎場に電話かけまして、その死体保存のことを頼んでおったのです。それで青山斎場の責任者は、名前は今覚えていますけれども、冬だから死体はすぐ腐らんすることもない、たとい十日でも一週間でも、保存しようと思ったらわけはない、ただ割合にいい棺おけを使って、それを毎日一度ドライ・アイスを入れかえすれば、十日か一週間くらいはもつだろう。それで私は、たしか六万円だったかで割合にいい棺おけを頼んで、毎日ドライ・アイスを入れかえて、青山斎場の紹介で、青山斎場の近所の寺に預けることになったのです。ところが、あとでまた杉本氏の方から、周さんの奥さんも、もう死んでしまったから、自分はもう一度も会わなくてもいいから、日本の習慣通り火葬にしてくれ……。それで私も、いろんな手配はしましたけれども、奥さんの意思がそうだったら、私が一人強く主張してもむだだから、それで死体の保存のこと、解剖のこと、すべて私個人としてはその意見を放棄しました。  それで、私は現場に十一時半過ぎに行きまして、約一時間ちょっと現場におりました。この周さんの事務所というのは、京橋にあることは私は聞いたことがありますが、行ったことはありません。それで、周さんの事務所にだれがおるか。死んだから、その遺産がもし紛失したら困るから、われわれ友人としては早く事務所へ行って、一度整理して、みんなで保管しようじゃないか。それで、京橋事務所で一緒に仕事しておる杉本氏はここに、現場に見えてないかと聞いたところが、杉本氏は一番早く現場に来まして、約三十分くらい部屋の中へ入ってすぐ帰りました。その後は電話一本の連絡もなかっだ。それで私は、どうもこれはおかしいじゃないか、仕事も一緒にしておる周さんの一番の友だちで、現場に三十分くらい来て、すぐ事務所に帰って、その後何も、電話一本もかけないのは、とにかくおかしい。それで私は現場におった中国人の周さんの友だちに、事務所に一度行ってみようではないか、みな行く必要ありますというので、私を入れて四人で行きました。みな周さんの友だちであって、一人は朱文虎といいます。一人は女の人で張掌珠、もう一人はこの張掌珠のおじさんに当る張鳳挙という人です。この四人で、大体十二時半前後に京橋の周さんの事務所に行きました。事務所といわれたけれども、入ってみたらマージャン屋です。それで地下室がありまして、割合広いマージャン屋でした。それで入って、杉本氏に私も初めて会いました。それで杉本氏に聞いたところ、昔上海の工部局の警察官であって、上海の言葉はとても達者だった。私と一緒に行った三人は日本語はあまり話せないから、それで杉本氏とときどき会ったこともあるが、いつも上海の言葉で話しておった。私はそのとき初めて会ったのです。私は名刺も何も出さなかった。ただ一緒に四人で入って、それで杉本氏に会って、周さんの奥さんと今国際電話を頼んでいるから、間もなく奥さんから電話で連絡して、葬式のことについて打ち合せよう、それではそうしなければならないことだから、それでみんなで話したところ、ここは周さんの事務所である、周さんの事務所の部屋はどこにあるかというふうに聞くと、その杉本氏の返事は案外に私の予想外だった。ここは周さんの事務所ではない。店でもない、ただ周さんがときどき私の事務所を利用して、手紙をここに送ってきて、私が周さんに連絡して手紙を届けるか、周さんを呼んで、手紙をとりに来るか、このくらいの連絡場所にしか使っていない。それでは、私の知っている範囲はそうではありません、確かに周さんはあなたのところを事務所として使っている。約三十分間もめてもなかなかはっきりしたことを言わない。それで私は杉本氏に、あなたがほんとうのことを言わなければ困ります、ほんとうのことを言ってほしいということを私から言うと、杉本氏は上海の言葉で「ノンズ・サーモズ」、日本語で言うと「君は何者ですか」、それで私はいよいよけんかしなければならないなと思ったのです。それであなたは何者だと聞かれたから、私は名刺を差し上げます、私は名刺を出して初めて、私はこんな者だ、周さんの友人であって弁護士である、周さんがあなたと一番いい友だちだと私は聞いております。それで周さんの事務所がここにあると聞いたから、みんな参りまして、あなたと話しにきたじゃないか。私の名刺を見てから、初めて杉本氏の態度が変ってきた。それなら話しますけれども、実は周さんは奥に部屋が一つありまして、この部屋は倉庫として使っておる。鉄の門がありまして、この鍵は周さんと自分二人しか持っていない。その中に周さんがときどきものを入れたり出したりしておりましたけれども、どんな物が入っていて、どんな物を出しているか、自分は知らない。それなら皆で立ち会ってあけようじゃないか。それじゃあけましょう。三十分間けんかして、初めてこのドアをあけてみたのです。このドアをあけると、中国式のトランクが小さいの、大きいの五つくらいありました。一番下のトランクは、このくらいの大きさのトランクでありまして、鍵はかかっていない。それで杉本氏が一番初めに入って、すぐトランクをあけて、周さんはいつもこのトランクを利用している。このトランクは私のものであるけれども、周さんはいつもこのトランクを利用して、物を入れたり出したりしていた。あけてすぐ、書類なんかのカバンを一つ出したのです。それからもう一つ、紙の袋が一つありまして、これも周さんのものだ。それで私はこれだけですかと言った。これだけです。それじゃよくわかりました。部屋で皆で立ち会ってあけてみようじゃないか。それでまず紙の袋をあけてみたのです。あけてみたところが、現金が百七十万円出てきたのです。それでカバンの中には、いろいろな書類が入っていましたけれども、みな一つ一つ見るのも相当時間もかかりますし、それじゃカバンはあとにしよう。とにかくカバン一つと現金百七十万円が出てきたのです。それなら僕は、杉本氏としてますます周さんに対して申しわけないことが別にまだあるのではないかと思ったのです。ほんとうにこれだけですか、と私は聞いた。そうすると杉本氏は、そのすみのところにもう一つ物を置く場所があるから、あるいはその中にまだ何か入っているかもしれません。それなら、もう全部周さんのものなら、全部出してみようじゃないか。それでまた紙で包んだ袋が一つ出てきました。これも周さんのものだ。二度も私追及して出たものです。それじゃみんなであけましょう。あけてみたら、その中にスイス製の高級の時計五、六十個入っております。その時計も周さんのものだ。もう一度念のために聞いたのです。ほんとうにこのほかに何もないのですか。今度ほんとうに何もない。それで今度出てきた品物と現金をどうしたらいいか。それで私は、みんなで保管しまして、周さんの奥さんが日本へ見えましたら、周さんの奥さんに渡すべきだ。それで私は杉本氏に、あなたのところから出てきたものだから、皆の前であなたが保管したらどうですか。そのかわりに預かり証を僕ら四人に対して出してくれ。それで杉本氏は応じなかった。私が保管すると工合が悪い。私は自分で考えたけれども、たとえば初め私たち四人が行って、すぐこうこうこうだと話したら、私は何も疑わないのです。もめてから、けんかをして、今度こんなものが出てきた。それから自分が保管するのも何か工合が悪い。それなら、もしあなたが保管しなければどうしたらいいかと私が聞いたら、杉本さんは、それじゃあなたは弁護士だから、あなた保管したらどうですか。それも私はちょっと考えて、もちろん私が保管しても差しつかえないけれども、たとえば私がこの品物を保管して、あとからこの品物杉本氏の事務所から出たことを、杉本氏が否認すればどうするか。私はまだ別に何か周さんの財産がほかにあると思って、否認すれば何も方法はないから、それじゃ、私はよろしいです。とにかく私が保管しますから、そのかわり預かり証を私からあなたに書いてあげますから。それでカバンはそのままにして紙に包んで、それから厳重に封をして、その上に紙をはって、杉本氏を入れてわれわれ五人がこの上にサインして、とにかく周さんの奥さんが見えましたら、皆の前であけまして、そのまま周さんの奥さんに渡す。内容は当分調べないことにしよう、そういう経過がありました。だから、もし私がそのとき京橋のマージャン屋に行かなければ、今私が話した現金は百七十万だけれども、あとで周さんの奥さんが来て、カバンの中の書類をいろいろ調べたところが、約二百四、五十万の権利書類が入っております。私が行かなければ、権利書類と現金は杉本氏はどうするつもりか。私はこれはとにかく横領されるおそれがないかと思ったのです。それであとでそのカバンの書類は、周さんの奥さんが五日ごろ見えまして、奥さんに渡しました。現金もそのまま渡しまして、カバンの中のいろいろな書類を調べると、約束手形もあるし、抵当権を設定している権利書類もあるし、外人の自動車の売買書類も入っているし……。それで、そのとき周さんの奥さんは相当感激しまして——私そのときは実際のことをみな話したのです。あるいは杉本氏は、周さんの奥さんが来たらおとなしく直接周さんの奥さんに渡す気持があるのかもしれません。しかし私は、当時私たちにすぐ話せばそういう気持があると認めますけれども、こんなにけんかしてからあとで出たものは、私はどうもすぐ周さんの奥さんに渡す気持があるかないか、ちょっと疑問だと思います。大体三十日の私が関係しておったことはこのくらいであります。
  315. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 それでもう一点お聞きしますが、このシュウカシンさんに、あなた方法律専門家はそういう疑いがあるというのに、滝野川警察では簡単にガス中毒の災害死として解剖も何もせずに、そして火葬したのじゃないか、こう思うのですが、その間の事情をあなた方は解剖か何かして他殺かどうかということを確かめるような努力はされなかったのですか。その点をお伺いしたい。
  316. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 私現場に行ったところ、警察の調べはちょうど済んだところです。それで聞いたところがアパートの管理人に対していろいろな事情を聞いて、簡単にガス中毒の事故死だという判断をして警察が帰りました。しかし、私がさっき話した他殺ではないかという疑念は、少くとも私個人はそう思いました。ほかの中国人の友達も、どうもおかしい、おかしいと言うけれども、しかし、何も方法ないではないか。だから私は、友人の二、三に相談しまして、私の個人の意見としては、周さんの奥さんが大てい一週間くらいして来るなら、周さんの奥さんが来るまで火葬しない、そして奥さんが来て解剖するかしないか奥さんにきめさしたらいいではないか。奥さんはとにかくいやだ、中国人は大てい死体なんか、けがなんかを加えることはとってもいやがるんです。だから、もし周さんの奥さんが、解剖なんかしたら、かえって死んだ周さんに気の毒だからしない方がいいということを言ったら、それは仕方がない、そのあとに火葬しようじゃないか、火葬のことについて、奥さんが初めはどうしても自分が来るまで火葬しないでくれという希望だけれども、あとで奥さんが同意しましたというその経過がどうなっているか、周さんの奥さんに聞かなければちょっとわからない。杉本氏の話によると、奥さんは同意しましたからあしたでもすぐ火葬するのではないか、それで杉本氏と周さんの奥さんとの間にどういうふうに連絡をして、周さんの奥さんはどういうふうに話したか、ちょっとわからないのです。
  317. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 そこでもう一度お伺いしたいのですが、あなたはそういうふうにして単なるガスの災害死とは認められないわけですね。だからもう少し警察に対しては慎重に死体を検案して、こういうような場合には解剖するのが普通なんですね。そういうような点について、あなたは疑念を持ち、さらに警察なんかに交渉されなかったのですか、どうですか、この点を一つ
  318. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 実は三十日の晩でした。ちょうど赤坂に赤坂飯店という中華料理屋があります。それでその晩夕食に行きまして、私もそのときに赤坂飯店の経営者である程乃昌という人とそのことについて話しまして、私はそう思うけれども、あなたはどう思いますか。その程さんも、どうもおかしいことはおかしいけれども、しかし解剖するようなことではないが、死体なんか解剖するのは中国人の一番きらいなことだから、あなたあまり強く主張しなくてもよいじゃないかという、風俗的観念から私にあまり強く主張されない方がよい、私は自分の職業上からどうも疑念を持っておるのだからすべきだ。それでちょうどその赤坂飯店に支配人として使っておる孫という人がおります。この孫さんも熱心で、それなら警察に頼もうじゃないか、警察なら赤坂が自分の管轄署だから、そこに友人がおりますから、その人に頼んでみようじゃないか。それで孫さんはすぐ赤坂の警察に電話したのです。その友人も電話口に出て、名前は孫さんに聞けばわかりますけれども、孫さんが話してから、私も電話口に出たのです。実は友人の周はけさガス中毒で死にまして、どうも少し疑念を持っておるから、警察に頼んでよく調べて解剖するなら解剖してもらいたいということを電話で話しましたけれども、その警察官の返事は、自分の管轄の署でもないし、解剖するならやはり東大の法医学教室に頼んだら一番よいじゃないか。それで私さっき話した東大の法医学教室に電話をかけたわけです。警察に厳重に調べてもらいたいという私の気持だった。しかし友人たちはみなそういう態度で、それからまたその後周さんの奥さんは、もう解剖なんかしなくて、すぐ翌日火葬した方がよいという話を聞いたから、私はそうしようと思ったけれども手を引いたわけです。
  319. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 それでは委員長の質問はこの程度にいたしまして各委員の御質問を求めます。
  320. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 時間もだいぶ経過いたしておりますので、私はきわめて要約しまして二、三の点だけを証人からお伺いいたします。  先週の金曜日に私の手元に入りました情報によりますと、本件に関連して日本の羽田飛行場から香港に、今日は名前を差し控えておった方がよいと思いますが、某という中国人が飛んだといううわさが伝えられておる、こういうことでございますが、あなたは御承知でございましょうか。
  321. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 そういう話、聞いたことありません。
  322. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 あなたはただいま委員長のお尋ねに答えられて、杉本という人の事務所に行かれたとあります。これはあなたは亡くなられた周さんの財産の保全を考えて行かれたのか、あるいは周さんの友人としての単なる友情から行かれたのであるか、伺っておきます。
  323. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 周さんの遺産を保全するために行ったんです。
  324. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 それはあなたは友人としての友情ということなのか、あるいはさらに弁護士としての職責上から責任感の上でのことであったのか。
  325. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 友情の関係上はもちろん、自分も周さんの顧問弁護士になった上は自己の職務上も感ずるところです。
  326. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 あなたはその場合、そのカバンの中に百七十万円の現金があったと、こう述べられておるのでありますが、ドミニカ砂糖取引による金額というものは相当膨大なものでございます。この砂糖の金額は百万ドルといたしましても相当な価格です。さらにその経緯は時間がございませんから申し上げませんが、究極においては十二億四千五百万円に達するものであると伝えられておるのであります。こういうような膨大な金額の結果を生みましたその数字に比べましては、あなたが最初発言されました百七十万とは相当以上の開きがございます。これについてあなたは砂糖取引関係のことには御承知及びになるような、機会はございませんでしたか。
  327. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 今先生の質問に砂糖の代金はもちろん何億円の金になります。この何億円の金は、たとえば現金としたら銀行に預けるか、安全な方法を講ずることが普通の常識です。まさかその何億の現金がその事務所に、カバンの中に入るわけにもいかぬだろう、その砂糖のことについては、私は当時知らなかったし、私と周さんと知り合ったのは、おそらく砂糖事件の後であると思います。さっき御質問された現金百七十万円じゃわずかなものだから、その差異はどうしたか、その金額について知っていることはないか。それで私は思い出しまして、周さんが京橋の事務所に現金をいつもトランクにかぎもかけずに入れておく。それで百七十万円の金額は私も疑念を持っておったのです。きっとそれ以上の現金が入っているわけです。それで私は中国人の周さんと金銭関係のある友だちにできるだけのことを聞きました。それで調べた結果は、その年の十二月の二十七日に沈泰魁という人から四百二十万円の現金を周さんに渡したことは事実でした。それで二十八日は一緒に羽田空港へ来まして、一日しか、そして二十九日は土曜日、それでこの金は周さんは中国関係には支払った事実は聞いたことはない。だから私の関係は、少くとも四百二十万円の現金は、さっき話した百七十万円の現金が出てきたところに入れておることは間違いないと思います。そのほかのことについては知りません。
  328. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 あなたは朱文虎——新富町三ノ十七泰西ビルの四階にいる人を御承知ですか。
  329. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 知っております。
  330. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 この方は上海語、北京語をお話しになりますか。
  331. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 上海語は達者だけれど、北京語は多少話せるだけだろうと思います。
  332. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 なくなられた周さんは何語をお話しになりますか。
  333. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 上海の言葉です。
  334. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 この失文虎という方は、この砂糖問題と関係があるということを御承知じゃございませんか。
  335. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 朱文虎とシュウカシンとの間には砂糖のことについては聞いたことはありません。シュウカシン直接私にそういう話をしたことはあります。実は自分日本に一万トンの砂糖輸入しまして、持ってきてから輸入ライセンスが出ないから困った。それでいろんな手を打ってやっと解決しましたけど、そのときに自分は約十万ダラーの金を使った。その十万ダラーは、だれに幾ら、だれに幾ら渡したか、詳細については知らなかった、十万ダラーぐらい金を使ったということは周さん自身私に話したことはあります。
  336. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 あなたはさいぜん本員のお尋ねにお答えになりまして、なくなられた周さんの財産保全のために杉本某なる事務所に行かれた。その場合に現金その他書類一切お預かりになった、こう説明されておりますが、その書類の中に砂糖に関連したものはどういうものがございましたか、御承知でございましたら伺っておきます。
  337. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 そのカバンの中の書類は、周さんが死んだ翌年のお正月の五日に、周さんの奥さんが日本に来てから約二、三日に、このカバンと現金を渡しました。それでカバンも同時にあけまして、さっき私が話したいろんな権利書類——これから私にその解決する方法を頼まなければならない書類については一時私が預かりました。砂糖のことについは、確かに私は砂糖売買契約日本語で書いた契約書が目に通ったのです。もちろん周さんが売り主で買う人は——そのときは済んだことで、私の職務上も何も関係ないことだから、一度読んだだけですぐカバンの中にそのまま入れて私はとらなかった。しかし私の今の記憶では、その契約書のうしろに保証人として中国人一人がサインしてありました。このサインした人は郭修竹という——どうして私が一ぺん目を通した書類について今でもその名前をはっきり覚えているか、それは原因が一つあります。実はそのカバンの中にこういう借用証が入っているのです。やはり郭修竹が書いた借用証で、シュウカシンから日本紙幣三十万円を借り、一九五六年一月月末に間違いなく返すという借用証が一枚入っていたから、私は今でも預かっております。この借用証を書いた日にちは、皮肉でもあるかなと思ってね、ちょうどまる一年です。一九五五年十二月三十日と書いてある。そうすると周氏はちょうど満一年の一九五六年十二月三十日に死んだです。それで郭修竹という人は、そのとき周さんの奥さんから聞いた住所は、新宿のメートロッポというホテルかアパートに住んでおったのです。そうして私がそこへ電話をかけたところが、一年前に引っ越して今どこにいるかわからない。それで区役所に住所を聞きに行ったところが、なかなか教えてくれない。それで私は実はこうこうこういうことで住所を知らなければこの借金をとることもできないから、何とか教えてくれないか、しかしお役所の職員は、あなたは弁護士であっても、規則上は人の住所を教えることはできないからかんべんしてくれと、それでその三十万円は今でもそのままになっております。だからこの砂糖契約書のうしろに郭修竹という人が保証人でサインしたことは私ははっきり覚えています。
  338. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 それでそのカバンの中にありました書類、すなわち砂糖取引に関する一件書類を周未亡人は持ち帰らなかったのですか。あとに残っている懸案等もあるので、それは日本に残しておくのだということで、その書類日本に残されたはずであると伝えられております。こういう関係御承知ですか。
  339. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 この書類は当時私は一度目を通してすぐ周さんの奥さんに渡しまして、ほかの全然私の仕事関係ない書類も別にありますから、周さんの奥さんはそのままカバンの中に入れて、その後このカバンを周さんの奥さんが香港に持ち帰りましたか、あるいは日本のだれか友だちに預かっているかということについては、詳細は知りません。
  340. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 この事件は台湾政府をろうらくし、日本政府をろうらくし、そうしてでっち上げられた基盤の上に立った取引であるとさえ伝えられまして、問題は重大化したのでございます。そこでその書類は、今日なお日本に残されていると伝えられておりますが、あなたは御承知ないとすればやむを得ません。しかしそれはあなたがよく御承知であるということも世上伝えられておるのでございます。それと数日前に、香港に在住する周未亡人のところへ飛んだという問題、それから本件に関する証拠隠滅というような、伝えられるものと何か関連性があると私ども思うのでございます。よって書類は伝えられるように、日本に残っているとあなたはお思いになりますか。あなた御自身こういう話題の中へお入りになったことは非常に御迷惑でございましょうが、世間ではその書類日本にあるということを、あなたなれば知っていると、こうも伝えられているのでございます。御承知ございませんか。
  341. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 さっき私が話した砂糖売買契約ですね、目を通してすぐ周さんの奥さんに渡しまして、それで周さんの奥さんは追悼会が済むまで日本に約一カ月おりました。それで周さんの奥さんが帰るとき二、三の友人が見送りに行きましたけど、しかし飛行機に乗る、だから周さんの残した書類とかいろんな荷物が重過ぎるから、飛行機で持っていくことはたいへん料金がかかるから、そのカバンは三つか四つと思いました。それでこのカバンを杉本氏のところに預かっていることは間違いない。このカバンはその四つのカバンの中に入っているか入っていないか、私は詳細知りません。あるいは周さんの奥さんが帰るときにそのままこのカバンの中に入れて持って帰ったか、あるいはその預かっている荷物に入れて、その荷物をあとから友だちが香港に行くときに持って行ったかということについては、証人としては知りません。
  342. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 さいぜんあなたが述べられた、最初は周未亡人から、自分日本へ行って死体を引き取るまでは火葬に付さないでほしいという厳重な申し入れがあったにもかかわらず、途中で変更されて、周未亡人が日本に到着する前に火葬に付されたのであると、こう言われているのでありますが、そうだとすれば、それは手紙などでは時間の関係から問い合せが不可能である、当然国際電話等で問い合せたものだと思うのでございますが、香港に在住する周未亡人と、その周さんの火葬に付するや付せないやという問題について、打ち合せをしたという人はどなたでございますか。
  343. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 当時の周さんの火葬のことについて直接周さんの奥さんと交渉したのは杉本喜三郎です。初め火葬しないでくれという言葉も杉本氏から聞きまして、あとで奥さんは同意しまして、火葬してもよろしいという話も杉本氏から聞いたのです。
  344. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 伝えられるところによりますと、証拠隠滅のためにさように仕組んで火葬を非常に急いだ、こうわれわれは聞いておるのでございますが、あなたはそういううわさをお聞きになったことがございますか。
  345. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 今新聞でも報道されたような砂糖の事件は、私は今回初めてそんなことあったのかなと思って、今まではそんなことは知らなかったです。だから当時私はもう他殺ではないかと思ったけど、しかし証拠も何もないし、警察の調べも不十分であるし、それも火葬してから一年たっての今日において、また周さんがその砂糖の問題にあるいは関連性があって殺されたのではないかということは、初めて新聞報道から聞いてびっくりしました。そのとき初めは奥さんの方はぜひ待っててくれ、そのあとまた意思を変更しまして、日本の習慣通り——杉本氏の話によると、日本の習慣は、死んだ人は一週間も五日間も置くことはいけない。とにかく日本の習慣だったら、二日目にしなければ、三日目にはしなければならぬ。それであとから杉本氏の方にも伝えて、周さんの奥さんも火葬してもいいからというので、それで翌日の三十一日はもうすでに大みそかだ、あさってはお正月だから、大みそかの日に早く片づけなければ困るから、みんな友だち協力してその日に火葬しようじゃないか、それで友だちがみんな一緒になって寄り、隣人にみな知らせて、その三十一日の午後三時ごろアパートから出て、日暮里の近所の火葬場に持っていって火葬を済ましたわけです。
  346. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 田中彰治君。
  347. 田中(彰)委員(田中彰治)

    田中(彰)委員 ちょっと証人にお尋ねしますが、周さんが死んだそのアパートですね、それは建ってからどのくらいのアパートですか。
  348. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 そのアパートも私が周さんがガス中毒で死んだという知らせを受けてから初めて行ったのです。行ったところ、なかなか不便なところであって、周さんはそんな金を持っているのにどうしてそんな不便なところに住んだのか、私はそう思ったけれども、あのアパートも外観から見ると四、五年くらいはたっているのじゃないかと思います。
  349. 田中(彰)委員(田中彰治)

    田中(彰)委員 そこでそのガスの口が二つあったとおっしゃいましたね。そのガスの口は普通のねじるだけのせんでしたか。そこにもう一つねじったときに戻らぬようにねじる小さいのがついているでしょう。それがついておらなかったでしょうか。
  350. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 そのことははっきり今覚えませんけれども、もとのガスのゴム管と直接つないでいるところは、おそらくついていると思います。今はっきり覚えません。
  351. 田中(彰)委員(田中彰治)

    田中(彰)委員 そこでそういうものがついていますと、間違ってこうやるといってもなかなかやれないのです。それからあなたはそのアパートは三年、四年くらいたったとおっしゃいますが、ガスも一つしか使っていない。一つあいておった。あれは一年くらいあいていますと、やはり銅ですから、ちょっとした力では、これがついておらなくてもなかなか回らないのですが、あなた、そのガスの出ているせんをこうさわってごらんになりましたか。そのときせんの状態はやわらかかったですか、相当強いものだったですか。
  352. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 私はガスのもとせんを見には行ったけれども、しかし手はさわらなかった。私はどうしてさわらぬかというと、もしも警察なりが調べたとき私の指紋が残るから、だから見るだけ見たけれども、さわらなかったのです。
  353. 田中(彰)委員(田中彰治)

    田中(彰)委員 そこで、あなたはなかなか頭のいい弁護士さんですが、弁護士さんとして、もし周さんがガスを使ったまま締めるのを忘れて死んだ——ガス死というのは大がいねじるやつをねじらぬで死んだとか、こういうのが多いのですが、火の燃えているやつを手でねじった、ひねった、それがガスが消えて、ひねったと思ったやつがひねってなかったために、そのまま火は消えたけれども、ガスが出ておって死んだというようなことが多いのです。火の方はちゃんと消えている。消してしまえば、わざわざ間違えたとしても、先ほどあなたがおっしゃったように、使ったことのないせんをねじってあけるようなことはありません。また彼が寝るときにもしガスが漏れていてはいかぬというので、用意のために行ったならば、そういう注意力を持って行ったのだから、もちろん使ったガスもそうだろうし、使わぬガスなんかにさわることはありませんね。そういう点をお考えになって、あなたはこれはおかしいというようにそのときにほんとうに感じられたですか。
  354. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 私も今あなたがおっしゃった通り実に疑念が深かったです。どうも常識上からもあまり常識にはずれておる話だから、もし自分が注意を持ってガスせんをとめようと思ったら、間違ってその使ってないせんをあけたままで寝るのは、子供ではないし、そんな不注意の人ではない。だから、私この点についてとても疑念を持っておったです。だから、私個人としても解剖した方がいいというように考えたのです。
  355. 田中(彰)委員(田中彰治)

    田中(彰)委員 そこで女中さんが入っていったときにドアのかぎがかかっていなかった。それはガスで死ぬくらいですから、入っていったらとてもくさくて入れないはずです。それがあなたお調べになったときに、管理人は電話ですよと言って、すぐにあけて周さんのところへ行ったのか、行ったけれども、くさくて入れないから、ドアをあけて人を呼んだりなんかして、ガスを出してから死骸のところへ寄ったのか、その点が一点と、それから周さんが非常に苦しんで死んでいましたか。苦しんで、もだえたような死に方ですか、あるいはそのまま楽に死んだような傾向でしたか。どうでしたか。
  356. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 このアパートの管理人の話によると、ドアはかぎがかけてない。それでドアをたたいてすぐ入りまして、入って周さんを呼んだら、周さんはもう返事しないから、そこでガスの音もしゅうしゅうしておるから、それで初めてガスせんのもとを見に行ったところが、ゴムの通っていないガスせんがあいており、ガスが漏れている。それで私は、あなたが入るときそのガスのにおいはどの程度までしていましたかと聞いた。それは普通人間が死ぬようなガスだったら、もう入れないくらいです。しかしこのおばあさんの話では、自分は鼻が悪いからあまりわからない。それでもどうもおかしいと僕は思ったです。
  357. 田中(彰)委員(田中彰治)

    田中(彰)委員 苦しんでいましたか。
  358. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 死体を見ると、ベットの上に寝て、頭はちょっと——手をこう置いて、楽に死んでいたです。別に何も苦しんで死んだ傾向は見られなかったです。
  359. 田中(彰)委員(田中彰治)

    田中(彰)委員 そこであなたが弁護士さんとされて、すぐにドアをあけて死体のところへ飛んで行ったとしてもなかなか行けぬ。それは鼻が悪ければ無理して行けることもありましょうが、しかしガスの漏れているところへ入ったというのですから、これはよほどガスに強い人か、ちょっと普通の人間と変ったような人です。ガスの漏れているところへ入って、それから死んでいるところへ行ったというのですから、これはとてもおかしいですが、あなたが不思議だと思っていらっしゃれば、これは警察か検事局のあれですが、この点はこの程度にいたしまして、周さんが死ぬときに、周さんのところへ日本の二十二、三の婦人が始終秘書みたいになって行っておった、その人と、あしたはスキーに行こうじゃないかといって約束をして、周さんもそうお酒も飲んでおらなかったし、変ったこともなかったということをこの婦人が言っておるそうですが、その点についてお聞きになりませんでしたか。
  360. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 この若い二十二、三才の日本女性は、私も周さんが死んだ日に初めてアパートに行って会いまして知りました。今のあなたが御質問した話は聞いたことありません。
  361. 田中(彰)委員(田中彰治)

    田中(彰)委員 そこで杉本という人ですが、この話を聞いてみると周さんという人は——死んだ人にそう言ってはなんだろうが、いろいろ砂糖のような難問題を片づけたり、時計とかいろいろなことにもちょいちょい関係なさるんだから、そういうことに御心配もあったんだろうが、銀行へはあまり金を預けないで、金は全部現金にして、今の杉本さんの部屋に始終トランク三つくらいに詰めておいた、あすこに行けば、いつ行っても千万くらいの金があるというようにわれわれは聞いているのですが、あなたが書類をお調べになったときに、銀行の通帳とか判というものはございましたか。また幾らくらい銀行へ金を預けてあったのですか。
  362. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 その点私も周さんの遺産がどのくらい残っているか調べたいところですが、やはりカバンの中から預金通帳と判か何か出てきたのです。預金通帳は定期預金です。残っている現金はほとんどないんです。一万円か二万円くらいじゃないかと思います。現在私もその預金通帳を持っておりますが、確かに二万円前後の金しか残っていないと思います。
  363. 田中(彰)委員(田中彰治)

    田中(彰)委員 そこで何千万あるいは何億という取引をしているのですから、金はいつでも現金で持っておった。銀行に預けると税務署の関係とか仕事関係で都合が悪いから銀行へは預けてない。あなたが杉本さんのところに行かれたときに、部屋は貸していない、ここは連絡場所だと言って口論されて、中に入られて金が百七十万出てきたというのです。だから今四百何十万という金の話を私聞きましたが、あの人はそれを受け取らなくても、四、五百万くらいの金はいつでも現金で持っておるということを周さんの知っている人も言っているのだし、今の日本の女の人、秘書というのですか、その人も言っているのだが、あなた方もやはりそう信じられておりましたか。周さんはいつでも銀行へ金を預けないで、現金で持っておった。四百二十万円を渡したのもどこへいったか金の行方がわからない。銀行へもいっておらぬ。友だちに支払ったこともない。あなたがおっしゃるように、やっぱり杉本さんも、ふだん相当な金を持っていることを知っておりながら、周さんが死んだのを見て帰っても電話も何もかけない。あなたが行かれて、うそを言って、あなたに責められて、部屋に行ってみたら百七十万あった。こういうのですから、相当杉本さんという人は金をネコババと申しますか、取っておるような傾向があるように思うのです。正直のところわかりませんか。あなたはやっぱりそのときに現金やられたなとお考えになりましたか。これはもう百七十万しかないので、正直に渡してくれたとお思いになったのですか、どうですか。これはそこに検事さんもおいでになっておられるのですが、非常に重大な問題だと私は思うのです。弁護士さんとしてどうお考えになりますか。
  364. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 当時は現金百七十万しか出てこなかったけど、私は自後調べたところが、二十七日に沈泰魁という人から四百二十万円の金を周さんに渡した。周さんがいつもカバンを持っていることをその日に初めてわかったのですけれども、事務所に四、五百万円の現金はいつでも持っているということは私も聞いたことあります。それで午後初めて僕ら四人で杉本さんのところに行って——なかなか杉本氏ははっきり言わないから、ちょうど私は杉本氏を責めるために、あなたの話によれば何も関係もない、ところが現在ここにおるこの中国人の張さんが二十七日か二十八日の晩に周さんと一緒にここに来て、この部屋の中から現金二十万円出したという話を今のこの張さんから聞いたから、それもうそですかということを私は聞いた、だからいつでも事務所に現金があることも私聞いたことあります。
  365. 田中(彰)委員(田中彰治)

    田中(彰)委員 これはそこに検事さんおいでになりますし、みんな聞いておるのですが、この金は相当消えておるのだが、よくその点を一つ調査していただきたい。それからもう一つ周さんの奥さんから、死んだという知らせがいったときに、私ができる限り早く手続をしていくから、死骸をそのまま置いてもらいたいというので、あなたがドライアイスを詰めて、一週間持つように手続までされた。それが今度急に変って、焼いていい、早く焼いてくれというように変ったんですね。その変ったことについて、奥さんが主人に死なれたら顔を見たいのはだれでもそうだし、周章ろうばいされておるのに、だれの勧めもなく、今まで焼かぬでくれというのを、急に焼いてもらってけっこうだというようなことに変ってきたんだから、あなたが手続されたことは全部無効になったんだが、これについて何か杉本氏がうまいことを言って芝居をしたのか、あるいはまた奥さんが自分の考えで変えられたのか。杉本氏が何かそういうような計略的なことにおいて変えられたのか、あるいはまた奥さんのおられるところの香港の友達あたりが、解剖なんかしていないで早く焼いてしまえということで変わられたのか、友達に勧められて変わられたのか、奥さんの意思において変わられたのか、杉本氏の電話で変ったのか、この三点について、その死骸を焼けということに変った原因、これをどう思われますか、一つお聞かせ願いたい。
  366. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 その点は私直接周さんの奥さんから聞いたこともないけれど、周さんの奥さん自身の、自分自身の意思でないことを私は信じます。火葬のことについては、杉本氏は初めから早くした方がいいということは、私、初め杉本氏と会うときにその話も聞いたことあります。だからその後周さんの奥さんが、自分は会わなくても、火葬してもよろしいという話も、杉本氏のところから出た話だから、だから杉本氏がどういうふうに周さんの奥さんと連絡して、どういうふうに勧めたか私は知りませんだけれども、とにかく私の考えでは、周さんの奥さんはだれかに勧められて意思が変ったことも想像できます。
  367. 田中(彰)委員(田中彰治)

    田中(彰)委員 それからもう一点ですが、先ほどあなたが言った、周さんの友だちと会われたときに、その砂糖がこちらへきた。日本へきたところが受け取り手がない。なかなか正式のルートに乗らないので、十何万ドルというような金を使ったとあなたが言われた。運動費に使ったと言われたが、それは倉庫代に払ったというのではないですか。それを倉庫代に払ったのか、それとも運動費に使ったのか、あなたのおっしゃるのを見ると、約三千五、六百万円の金ですね、支那のさっきの金で言われると。それは倉庫代で使ったと言ったんですか、運動費に使ったと言ったんですか、その点はっきり聞いておきたい。
  368. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 周さんが私に話した砂糖のことで十万ドル金を使ったということは、もちろん倉庫料ではない。倉庫料はそんなにたくさんもかからないし、そういう意味で、とにかく方々に使った金です。この砂糖をどういうふうに解決するか、どういうふうに倉庫から出てくるか、それにかかる金です。
  369. 山田委員(山田長司)

    ○山田委員 ちょっと関連して伺いますが、先ほど杉本さんが周さんにアパートの世話をしたというふうなことを言われましたが、そうなんですか。
  370. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 杉本氏がアパートの世話をしたという証言はしなかったのです。しかしこのアパートは杉本氏が紹介したという話——今から話してもいいからという話がきたことがあります。それから高島俔子も杉本氏の紹介で周さんの事務員として使っていたということも間違いないと思います。
  371. 山田委員(山田長司)

    ○山田委員 杉本さんと周さんの奥さんとは上海時代に親しい仲だった、友人関係だったということが言われていますが、その点の事実はどうですか。
  372. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 杉本氏は戦時中中国の警察署長として長く上海におりました人間で、もちろん中国の人と相当交際も広いし、それで周さんと杉本氏の交際は上海時代からという話も聞いたことがありますし、もちろん周さんの奥さんと上海時代に一緒につき合ったことがあることも間違いないと思います。
  373. 山田委員(山田長司)

    ○山田委員 未亡人はこちらへ来てから顔に表わすような悲しみが出ていたようですか。あなたが未亡人にお会いになられてどうです。
  374. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 私が周さんの奥さんと会ったのは日本に来てたしか翌日だと思います。もちろん日本に来て初めて会う人にはどういう表情をしていたか知りませんけれども、私は何人も会って後ですから、別にそんなに表情は特別に感じなかったけれども、もちろん未亡人としての顔はしている、私はそう感じました。
  375. 坂本委員長(坂本泰良)

  376. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 それではちょっと一、二点だけ伺ってみます。  あなたは周さんの顧問弁護士とおっしゃっておられますけれども、顧問弁護士のお立場ですと、周さんの金銭の出入りあるいは各般の契約法律行為、そういうことについていろいろと御注意になっておりますね。そこで、午前中の勝間という立川研究所の嘱託の証人によりますと、周さんは台湾にありまする東方貿易行の代表者の立場——あるいは代理人が正確かもわかりませんが、代表者の立場で立川研究所勝間という方との間に砂糖売買契約を調印しているそうです。そういう事実を、宣誓した証人が午前証言されておるのであります。そういうことをあなたは何かお聞き及びになっておりませんか。非常に大きな金額にもなるし、またきわめて重要なる法律行為でもあるし、顧問弁護士のあなたの耳に入るべきだと思うのですが、その点いかがでしょう。
  377. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 このことについては私がさっき話した通り、私が周さんと知り合ったのは昭和三十一年の秋です。周さんが初めて私に相談に来たのは、アメリカ人との間に、自動車の担保で金を貸してあって、返さないからそのアメリカ人に対して金を返してもらいたいという相談を受けて初めて会ったのです。だから砂糖契約は、私さっき話した通り、周さんが死んでからカバンの中で初めて砂糖契約書に目を通したことはあるけれども、その前には——あるいは私の知り合う前かもしれません。とにかく砂糖のことについて、普通だったら、もしその前にずっと私が周さんの顧問弁護士になっておるのだったら、あるいは相談を受けたかもしれませんが、おそらくその契約は私が顧問弁護士になる前のことだと思いますから、そのことについては全然知りません。
  378. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 今三十一年の秋ごろだったとおっしゃったが、それは三十一年となると周さんの死んだ年であります。秋ごろということになると一、二カ月の関係ということになりますが、一年食い違ったただいまの御証言と違いますか、三十年と違いますか。三十一年の十二月に周さんは死んでおります。前年の秋ごろ、こういうのが周さんと知り合った最初ではないですか。
  379. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 そういう食い違いはありません。確かに三十一年の秋です。
  380. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 そうしますと数カ月、顧問弁護士関係で周さんとっき合っていた、こういうことになるだろうか、一年以上経過しておるということになりませんか。
  381. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 周氏が死ぬまでの間わずかに何カ月間です。三十一年の秋の八月ごろと思います。
  382. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 そこであなたが死後周さんの倉庫と称するところで見つけた日本文の砂糖に関する書類、これがただいまのものに該当する、こういうふうに今記憶はありませんか、その点どうでありますか。ただいま私が述べました財団法人立川研究所、それの代理人勝間という人、それから売主側を代表いたしまして周さん、台湾東方貿易行の代表者、こういう両者の間に調印された契約書でありますが、それをあなたは記憶しておりませんか。
  383. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 この契約書は確かに目は通したことはありますけれども、周さんとだれとの間に契約をしたものか、全然覚えないです。
  384. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 さきにお述べになりました十万ドルの問題ですが、やはりこれは重大なことでございます。周さんは十万ドルの運動費をどこかへ使って、砂糖の入関手続を完了するということをしなければならぬ、そういう事態に追い込まれておったというような状況は、あなたは一体どういうように御理解し、御判断になったでしょう。
  385. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 私と周氏が知り合ってから、前はどんな商売をしておったか、実は貿易をやっていますけれども、一万トンの砂糖輸入して問題になって、それで十万ドルの金を使ってやっと解決しました。その十万ドル人に払ったということについてはもうすでに済んだことでもあり、私とも全然関係のないことだから詳しいことは聞かなかったです。
  386. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 しかしながら十万ドルを日本の金に換算すると、三千六百万円に相当いたします。周さんはアパートの一室に住み、あるかなきかのような事務所を連絡所にしているようなそういう立場で、それと金の扱い金額が必ずしも習慣上一致しませんけれども、常識上から考えましても、三千数百万円の金を使わなければ、運動費を使わなければ、入関手続はできなかった、そうしてそれを使うことによって解決した、こういうことはまことに注目すべき事態だと考えるのですが、あなたとしましても、弁護士の感覚でこれはというふうにお思いになりはせなんだか、普通のことのようにお考えになったのでしょうか、もっともそれについて、あなたに法律上の御相談の御依頼も、ないからということで看過せられたか、われわれも弁護士の感覚からしますれば、何か大へんなことだと一応考えておきませんと、やはり顧問をする本人に対する親切な弁護士の態度としましてはいかがかと思うのですが、それはどうですか。
  387. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 周さんがそういう不便なところのアパートの一室を借りて生活しているのを、私も死んでから周さんのアパートに行って初めてびっくりしたのです。周さんはこの前相当金を持っているのに、どうしてそんな不便なアパートに住んでいるか、どうも変っている人間だなと思った。もちろん依頼者が私にその問題に対してどんな相談を聞きに来ても、私は法律に基いて自分の知識を十分に依頼者に教えるのは当然のことだけれども、この砂糖のことについてすでに私が知る前のことであってね。ただ、周さんに私もざっくばらんに聞いて、あなたは今までどんな商売しておったか、それで貿易やつてますけれども、砂糖一万輸入してあとで問題になって、それでいろんな人に頼んで十万ドルの金を使ってやっと解決した、だからその前のことだから、私もあまりしつこく聞くとまた向うに僕が何か調べるんじゃないかという印象を与えるから、何も聞かなかったです。
  388. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 そうしますと十万ドルをだれやかれやに頼んで、頼み料として使ったであろう、こういうふうにあなたは法律事務をつとにおとりになっておるから、民事、刑事の事件をずっとお扱いになっておるのだから、十万ドルをいろんな人に頼んで頼み、運動費を使った、だからだれか人にそれは渡したという印象をお受けになりましたですか。
  389. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 この金がだれかに渡したかということについては、私は聞かなかった。そういう済んだことを私質問すると、周さんはどんなふうに考えられるか、自分の全然職務上関係のない済んだことをそんなに質問されたら、私がどこかに頼まれてこの砂糖の事件を調べているんじゃないかという印象を与えるから、何も聞かなかったです。
  390. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 そこで周さんの死因に疑問を抱かれましたのは、ガスのパイプの口の問題とか、あるいは口から血が出ておったとか、いろいろな点からあなたも疑問を感ぜられたのだが、もう一つそういうような十万ドルも運動費を使ったといういきさつもあるし、何かそこに相当切迫した深刻な利害の関係があって、そこでこういうような死ぬことになった、あるいは死なされることになったということは、あなたとして何か疑念の原因、理由になる、心当りのことはなかったのですか、その点いかがでしよう。
  391. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 この周さんの死因は、私は疑念は持っていたけれども、たとえば他殺の場合、だれにやられたかということは、やっぱりいろんな事実に基いていなければ何もしゃべることもできない。私はもちろん弁護士であるが、刑事事件は証拠主義だから、証拠が何もないことをしゃべるのは人の名誉にも関することであるから、たとえばさっき私が話した杉本氏のことについても、周さんが死んであとのこと、どうもそのやり方はあまりひど過ぎるではないかと思った。別にこれはどんな罪に当るということは、私としても言えないことです。  それからもう一つ、今ちょうどそういう話が出ましたから思い出しましたが、例の杉本の今京橋で使っておるマージャン屋ですね、約三十坪くらいの大きさの地下室、その話によると、やはり周さんが金を出して買ったマージャン屋で、それで名義者は杉本名前になっておりますけれども、実際金を出したのは周さんだ。それで私は杉本に笑いながら聞いたことがありますけれども、とんでもない話だ、自分は金を出して買った、それで私は、ただ周さんが金を出して買ったもので、あなたが使っておるという話を聞いておったけれども、あなたに聞くのは別に何でもなしに聞くのだから、そんなに怒らなくてもいいではないかということを——中国人同士では、マージャン屋の権利は、周さんが出して権利を買ったということをみんなうわさしています。
  392. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 その周さんが日本金三千数百万円かの金を渡したというのは、多数人に渡したのか、あるいはまたそのうちに松平某というような、そういうようなことは何かあなたには記憶の端に残っておらぬでしょうか。今のお話によると、そこまで追及しなかったし、聞きもしなかったとおっしゃるから、あるいはないかもわかりませんが、何かそういうようなことは、思い出す節はないもんでしょうか。
  393. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 そういうことは、全然聞いたこともないことだから……。しかし私の考えとして、この間新聞で、松平さんと周さんとの知り合いは、郭という——奥さんの話です。郭という人の紹介で周さんと知り合った。その郭は、すなわち先ほど私が話した郭修竹という人間ではないか、同じ名字だから。その郭も周さんは砂糖のことで困っていることも知っているから、いろんな日本の有力者に紹介し、そして自分も周さんから金も借りられるし、自分の都合のいいことばかり考えておるのではないか。その三十万円の借用書も、昭和三十年の年末に周から借りたそのままです。だから松平と周さんとの間のことについては、郭修竹氏が一番よく知っているのではないかと思います。
  394. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 これでおきますが、さっきお述べになっておりました鼻が悪いと言ったばあさん、これは死体の検視調書によりますと、河原ク二五十九才となっておりますが、そういうふうな人じゃないですか。
  395. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 そうです。
  396. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 その人ですか。
  397. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 ええ。
  398. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 委員長から一言聞きますが、ガスを見に行かれたとき、ガスが漏れていたわけですね。そうすると、漏れていたガスをだれがとめたかということをあなたは聞きませんでしたか。
  399. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 そのアパートの管理人のばあさんがとめた。
  400. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 そのおばあさんがいつとめたか、その点いかがですか。
  401. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 私が聞いたところは、そのばあさんが周さんを呼びにいって、周さんが返事しないから、かぎをかけてないから、自分もそのまま入った、そうして周さんが幾ら呼んでも返事しない、同時にガスのせんの方からしゅうしゅう音が出ておりますから、これは大へんだ、ガス中毒で死んだんじゃないか、そこで自分はせんを締めに行った。
  402. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 細田綱吉君。
  403. 細田委員(細田綱吉)

    ○細田委員 あなたが周さんのアパートへいらっしゃったのは何時ごろですか。
  404. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 私は、三十日の朝十時ごろ朱文虎から電話がきまして、それで朱文虎を迎えに行って、それから探しに行ったところが、もう十二時ちょっと前じゃないかと思いますが。
  405. 細田委員(細田綱吉)

    ○細田委員 そうすると、そのときはもう警察の検視は済んでおったんですか。
  406. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 私が行ったときは、警察の姿は……。ただ私たち部屋にいたから、それで制服の警察が来まして、その部屋の中の者はだれも動かないでくれ、それでこの制服の警察は帰った。そのあとの取調べはその前に済んだと思います。
  407. 細田委員(細田綱吉)

    ○細田委員 あなたが来るまで周さんの死骸をそのままにしておいてくれという電話ですか、奥さんとの打ち合せがあった。そのあと杉本という人の方へ死体は早く処理してくれという話に変った。こういうことをあなたから伺ったんだが、あなたが率直にここで述べられたように、死亡当時疑わしいような状態にあるんだから、奥さんに、もうちょっとあなたの来るまで死骸を残しておいてもらいたい、そうするとなお疑いも十分解けたんだがというような話が出そうですが、杉本氏に、奥さんがあなたに言ったよりもあとに、死骸を早く片すけてくれと言ったことのいきさつを奥さんからあなたは直接聞かなかったのですか。
  408. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 聞かなかったです。
  409. 細田委員(細田綱吉)

    ○細田委員 先ほども伺ったんですが、沈さんという人から周さんが二十八日に四百二十万円という現金を受け取っておる。あなたが見られたときは百七十万円しかなかった。もちろんいろいろ取引もあるでしょうけれども、当時のこの金の出入について、秘書の高島俔子からあなたは何も尋ねられなかったのですか。まあ百七十万円しかなかったんだ、あるいは杉本がおかしいんだというような感じを持たれたかどうかは別として、二十八日は——この事故のあったのは、その翌々日というよりも、むしろ翌日です。従ってその間に現金の大口な取引というか、支払いがあったかどうかということを高島俔子からあなたは聞かれなかったんですか。
  410. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 私、さっき話した四百二十万円の金は、二十七日に沈さんから渡されだものだとあとから聞きました。そのあと高島俔子さんとも二、三回会ったことはありますけれども、それで私の知っている範囲は、高島さんは杉本さんの紹介で周さんのところに勤めている、杉本氏との間は何か親戚関係だということも聞いたのです。私は杉本氏を疑っていることを高島に聞くのは、もし周さんの奥さんを代理にして告訴をする場合はかえって証拠隠滅をされるのではないかと思って、何も聞かなかったのであります。
  411. 細田委員(細田綱吉)

    ○細田委員 僕が聞いているのは、四百二十万円が百七十万に、ほとんど正味一日半くらいの間に払っておられる——払ったかどうかは別として、なくなった。従ってその金の行方について、秘書であった高島俔子から、あなたはお聞きになったことはなかったか、こういうことです。秘書の高島俔子——周さんはあまり日本語が上手でなかった、こう聞いている。もちろん支払い先は日本人か中国人かわかりませんが、日本人であってもなくても、秘書ですから、大体その金の行方というものはわかっておる、大口であればあるほどわかっていると思います。従ってあなたは高島俔子なる秘書にそういうことをお尋ねになったことはなかったか、こういうことを伺っている。
  412. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 高島さんに聞いたこともありません。私の知っている範囲では、金銭関係は高島さんはほとんど何も知らないという話です。
  413. 細田委員(細田綱吉)

    ○細田委員 あなたは、顧問弁護士としてごく短かい間であったようですが、何か対立関係というか、仲が悪かった先とでもいうか、あるいはつけねらわれている人たち、こういうような関係は感じられなかったのですか。
  414. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 それも私は周さんの死因については疑念を持っているから、もちろん周さんの身辺の人たちの関係も、僕も当って聞いたこともあります。このことがあって、周さんはこの人にやられたということはだれも言えない。だけれど、とにかく今のあなたの質問に、周さんと特に何か気持の悪いことがある人間について、三信ビルの下に米慶雲という人があります。この人はシュウカシンと一緒に株式会社を作ってお互いに取締役になっているという話です。この米は、当時金に困っていつも周さんから金を借りて使っている。私も、そのカバンの中から発見した約手と不渡り小切手も、実はこの米さんが出したと思うのです。もちろんあとで払いましたけれども、それによると、証拠の何もないものを百何十万という金は米さんが使っているという話だけれども、米さんはもちろん何も承認しないけれども、証拠のあるものは認めたけれども、証拠のないものは、自分はそんなことはない、それでそのことで周さんと何か口げんかしたという話も聞いたことがあるのです。
  415. 細田委員(細田綱吉)

    ○細田委員 京橋の事務所ですか、そこに、荷物が五個あった、あるいは私の聞き違いかもしれませんが、五個あったということですね。京橋の事務所、マージャン屋に、周さんの死亡当時、荷物と称するものを、杉本が五個を呈示したということですね。そこでその五個は、あなたが預かられたのだが、奥さんが来て全部引き取られたのですか。
  416. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 それは周さんの奥さんが日本に来て何日後でしたかはっきり覚えませんでしたけど、朱文虎という人の住所で、周さんの奥さんとそれから朱さんと、もう一人張掌珠という女の人と、その人たちの立ち会いの前に、百七十万円の現金とそのカバンを周さんの奥さんに渡しました。そのあとのことについては何も聞いたこともない。自分も聞くものじゃないから、ただ渡してしまっただけです。それでそのとき周さんの奥さんはその話を聞いて、百七十万円の現金と、あと中に入っている書類権利書も合計四百万円くらいの値打のあるものだから、それでもし私がそのときに行かなければあるいは人にとられたかもしれません、しかしおかげでこんな金も出てきたから、その中の一部分を報酬として差し上げたい、私はその話を聞いたけど断わったのです。あなたもだんなさんが死んで子供も何人もおるし、これからは金も重要なものだから、私は一銭も受け取る意思もありませんから御心配しなくてもよろしいと、そのまま全部奥さんに渡しました。
  417. 細田委員(細田綱吉)

    ○細田委員 周さんの奥さんが上海から来て、主人は自殺ではないだろう、殺されたんではないだろうかというような疑問の言葉がございましたか。
  418. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 周さんの奥さんが日本に来てから、私はそういう言葉を聞いたことはありません。
  419. 細田委員(細田綱吉)

    ○細田委員 これは妥当な質問じゃないかもしれませんが、あなたが弁護士としてどうもこの死に方はおかしいと思って、奥さんと打ち合せをして、来るまで待とうとされたのに、一杉本が死骸を奥さんとの打ち合せで早く処理するというようなことになったからといって、そのまま死因を十分確かめずして焼いたという当時の心境はどうなんですか。
  420. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 私はとにかく疑念を持っているから何とか原因をはっきりさせてもらいたいという強い希望は持っていますけれども、しかし私と周さんの友情関係はさっき私の話した通りそんな深くもないし、そうして周さんと私より割合に深い友情関係を持っている人間は何人もおりますから、その人たちが私の主張はあまり聞いてくれなかったのです。死体の解剖はよろしくない、奥さんが同意すればそれでいいじゃないかというような関係もあったから、私は疑念を持っていたけど、結局私の希望通りはしなかった。
  421. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 関連して、二、三点伺っておきます。あなたがさっきごらんになったという周さんの貯金通帳の中に最もたくさん預け金のあったのはどれくらいでございましょうか。
  422. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 現在その預金通帳は持っていないが、相当の金が出入りしておると思いますけれども、はっきりした金額は一度事務所に帰って見ればわかるわけです。
  423. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 それから杉本喜三郎という人と杉本善郎という人がございますが、この関係は御存じありませんか。
  424. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 私の言った杉本氏は杉本喜三郎で、もう一人の杉本氏は知りません。
  425. 淡谷委員(淡谷悠藏)

    ○淡谷委員 それからこれはちょっとしたことですが、あなたの御記憶が大へん正確なので気になりますけれども、さっき東大の法医学の教室へお問い合せになったら、日曜日なのでちょっと用が足りないという御発言があったように記憶いたしますが、そうじゃなかったですか。
  426. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 私が電話をかけたら女の事務員が出てきまして、きょうは日曜日だからだれもいない、責任者がいないから何も返事をすることはできないと言う。だから私は昭和三十一年の十二月三十日は日曜日ではないかと——今カレンダーを調べなければわかりませんけれども、とにかく電話の返事は、きょうは日曜日でだれもいないから……。
  427. 山田委員(山田長司)

    ○山田委員 一点だけ……。周さんはお酒をたくん召し上る人じゃなかったですか。
  428. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 お酒はほとんど飲まない人です。
  429. 山田委員(山田長司)

    ○山田委員 あなたが現場へ行って、日本の警察が調べていたその印象から、台湾人だからというような印象で非常に簡単に調べたような印象はなかったですか。
  430. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 私はそれは御質問の通り、私が警察官だったらガス中毒で血も出ているから、あるいは他殺じゃないか、まずその疑念を持たなければならないと思いますけれども、しかし警察は簡単にアパートの管理人だけの調書によってガス中毒事故死だと決定してしまった。それは実は私は外国人として日本の警察が外国人の死ぬことについてあまり簡単過ぎるじゃないか、ほんとうだったらもう少し丁寧にしてくれればいいじゃないかと思っておったのです。
  431. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 委員長から最後にちょっとお願いしたいのですが、三十万円の郭修竹ですか、この借用書をお持ちですか。それからシュウカシンの通い帳ですね。これは委員長が責任を持ってお返ししますから、日を改めてこちらから使いを差し向けますから、お貸しを願いたいと思うのですが、よろしゅうございましょうか。
  432. 邵証人(邵元培)

    ○邵証人 そのほかにも、預金通帳とその三十万円の借用書のほかに、確かに田中敏子という女との間に六十五万円の貸借関係があって、その田中敏子の白紙委任状と印鑑証明書がやはりカバンの中から出てきたから、それも現在保管しておるから持ってきてお見せします。
  433. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 写しをこしらえてお返ししますから、どうぞよろしくお願いします。  以上をもちまして邵証人に対する尋問は終ります。邵証人には長時間まことに御苦労でございました。退席されてけっこうです。  この際暫時休憩いたします。午後は三時から再開して引き続き調査を行います。     午後二時四十一分休憩      ————◇—————     午後三時五十八分開議
  434. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  それでは、午後は日比野証人より証言を求めることといたします。  最初に、委員長から、これはすでに参考人としてお述べになったことと思いますが、これから証言を各委員から求められます関係上、総括的に二点だけ聞いておきたいと思います。証人通産省通商局農水産課長在職中に立川研究所砂糖の無為替輸入許可を受けておりますが、その許可事情条件等について御説明願いたいと思います。
  435. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 無為替許可につきまして、つけた条件と申しますのは、入った砂糖につきまして、立川研究所へは百万ドル相当の円貨、すなわち三億六千万円だけは立川研究所へ渡します、しかし、それ以外の金につきましては通産大臣の指示通りに従うべしという指示を行なっております。許可事情と申しますのは、パテントの実施権を向うへやりまして、それが大体百万ドルだといたしますと、それに見合う大蔵省の方の役務に関する契約及び決済許可証に基きまして、通産省でそれを砂糖というふうにきめまして、砂糖でもよろしいということにしまして許可したわけでございます。その入った砂糖につきましては、今申し上げましたような条件をつけたのであります。  それで、一つ申し忘れましたが、その流し方につきましても、需給計画のワクの中でございますので、台湾糖を一万トン少くその以前に発表しておきました関係上、台湾糖の割当と同様の方式でやりますということで、通産、大蔵で文書のやりとりをやりまして、これは外貨割当がありませんので無為替でございます。外貨の割当はございませんが、外貨の割当が台湾糖についてあったと同じような方式でメーカー、再製糖に流す、こういう指示をいたしております。
  436. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 次に、無為替許可につきまして、二度延期して、三回目に延長を許さなかったのですが、その延長を許さなかった事情について伺います。
  437. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 三回でなしに、一回延長しまして、二回目に延長を認めませんでしたので、自然的にその許可証は消滅したということであります。その事情につきましては、前からシッパーがかわっておりまして、初めはガルバン・ロボという会社があったと記憶しております。それから、七月でしたか、延長したときにはバンクライン・トランスポート・アンド・トレード・カンパ二一と申しますか、そういうシッパーにかわっております。それから、二回目の延長のときに、香港トレーディングとか、インター・アイランドといったような名前が出てきまして、私の方はその点に疑問を持ちまして、これ以上延長するということにつきましては、どうも妙だ、そんなに砂糖のシッパーがかわるというのはおかしい話で、話がしっかりついておれば当然簡単に来るような砂糖じゃないかというふうに考えまして、どうもおかしい。それと、一つは、東方貿易行と香港トレーディングとの間の契約関係がどうも明確でなかったという点がありますので、そういう事情を勘案したのと、無為替で二回も三回も延長をいたしますのは異例でございますので、一ぺん延長して、二回延長するのは、そういう事情からもやるべきじゃない、こういう判断に立ちまして延長は認めなかったわけであります。
  438. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 その点について、午前中の立川研究所連絡員になっておる勝間証人証言によると、保証金がなかったから継続できなかった、そういうことを言っておるのですが、何か保証金という関係がありましたかどうか。
  439. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 保証金の問題につきましては、最初立川研究所に無為替許可を与えたあとだと思いますが、東方貿易行の方で、立川研究所へ入るべき三億六千万円、それが砂糖が入りまして、メーカーに渡りまして、通産省の指示に従って積み立てるものは積み立て、三億六千万円は立川研究所へ入る、もし入ったとしたらそういうことになると思いますが、その入るべき三億六千万円につきまして、東方貿易行の方が立川研究所に対しまして、一応立川研究所がその三億六千万円で日本において工場を作るというふうな構想があるということを聞いておりましたが、その工場が建てられて、動いて、採算ベースへ乗るというまでは、確か六割だったと思いますが、六割は日本というか立川研究所が自由に使ってはいけません、こういうような注文をつけたということを記憶しております。それで、その問題につきまして、立川研究所東方貿易行と相当やりとりがあったことを記憶しております。従って、その事情も、最初のガルバン・ロボの砂糖が早く来なかった一原因じゃなかったかということを当時想像しておりました。
  440. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 それでは各委員の御質問に移ります。山本猛夫君。
  441. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 証人に伺いますが、きょうは他の委員の質問が相当おありなようでございますから、私はきわめて所要な点を二、三点伺います。  あなたは当委員会で先般、台湾糖のワクのうち一万トンを保留して、その分を無為替輸入で埋めることにした、こう言っておられますが、その間の御説明をもう一度願いたい。
  442. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 二十九年度におきましては、記憶しておるところによりますと、台湾との間では三十万トンないし四十万トンを日本輸入するという話し合いになったと思います。それで、上期に十七万トン何がしですかやりまして、下期の予算を組みました十月におきましては、台湾からさらに十六万トン買う、こういう予定にしておったと記憶しておりますが、そのうち台湾糖については十五万トンの外貨割当を行なって、一万トン残したと記憶しております。従って、十六万トン下期に台湾糖をやりますと、そのほかの、当時ブラジル糖がありましたが、そういうものを含めまして一万トンやって年間の計画にマッチする、こういう数字だったと記憶しております。
  443. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 何かあなたの御説明はよく意味がわからないのですが、あなたは、砂糖の中で仕事をして、砂糖のために生まれてこられたように、砂糖に関しては日本では非常な権威者なんです。その権威者のあなたが、この無為替の場合に限ってどうもわれわれが納得するような御説明をされないのです。私のお尋ねしているのは、台湾糖を日本に入れるワクの中で——よろしゅうございますか、あなたが委員会で当時お答えになったことについて伺っているのですよ。台湾糖のワクのうち、一万トンを保留してその分を無為替輸入で埋めることにした、こう言っておられるのです。それをもう少しわかりやすく御説明願いたい。
  444. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 今手元に二十九年度の年間の総額の数字がございませんのであれですが、年間八十五万トン……。
  445. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 いや、そんなことを聞いているのじゃないのだ。
  446. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 十六万トン下期にやるべきところ、十五万トンまず発表しておきまして、一万トンは保留してあった、こう言ったらあるいは簡単かもしれません。
  447. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 それでは伺いますけれども、もしこの台湾糖の輸入のワクに一万トンが特別無為替輸入で埋められているといたしますならば、そのあと四半期の割当の制度の中に一万トンのワクというものは確立されていなければならないはずです。それはどうですか。
  448. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 従って、三十年度のワクの中には、当初は無為替の一万トンが入るということで需給計画は作っておったと記憶しております。
  449. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 それでは、そのワクは持続しているのですか。
  450. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 ところが、十月になりまして無為替輸入許可が失効しましたので、本来から申しますとその際二十九年度一万トン足らぬということになりますので、理屈としては一万トンを三十年十月なり下期なりに追加するという理屈も一応成り立ちますけれども、当時国内の砂糖の価格は、砂糖法案審議中におきましては値段が高かったことも記憶しておりますが、下期におきましてはずっと値段が下りまして、しかも下期に当初の予定計画よりも十万トン追加しまして輸入発表した等のこともあり、今十月になりまして一万トンふやす必要もないということで、この無為替の穴があいた一万トンについては、三十年の下期で追加するという措置はとらなかったと記憶しております。
  451. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 そこで、これは砂糖を知らない人から見ると何でもないのですけれども、多少でも砂糖というものを知っておる者から見るとおかしいのです。あなたはこの台湾糖の輸入ワクの中で一万トン保留したと言っておりながら、あとは存続をさせていない。ですから、砂糖を知らない人から見ると、あなたの説明でごまかされてしまって納得するかもしれませんけれども、多少でも砂糖を知っておる者があなたの説明を聞いていると、どうしてもおかしい。そしてあなたに非常に不利な疑惑がいつまでも残る。  それから、もう一つ砂糖一万トンが送られてきて、保税倉庫で通関できなかったわけですね。このことについてもう一度その間の事情を詳しく説明願いたい。
  452. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 通関できなかったと申しますか、何度も申し上げますように、無為替が切れましてからは、法律上と申しますか、役所の処置の建前は、見越し輸入砂糖だ、こういうことにならざるを得ないわけでありまして、その砂糖につきましては、その後外貨割当があった場合に商社なりメーカーなりが引き取れば引き取る、引き取らなければ引き取らない、こういう砂糖だというようにわれわれは考えておったわけでございます。
  453. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 それじゃ、かいつまんでわかりやすくお尋ねをしますが、つまり、立川研究所特許の実施権というものが向うに買われることに明確にきまっていることはあなたは御承知だったのですか。
  454. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 買われることが明確にきまっておったと申しますか、この間の立川研究所長のお話では、砂糖が入って三億六千万円が自分のところの手に入ったならば契約をする、こういう御説明だったと思います。
  455. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 そうすると、この立川研究所のパテントの実施料に対しての台湾糖の輸入という問題と、ドミニカから輸入された問題とは、因果関係は全然ないわけですね。
  456. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 われわれの立場から申し上げますと、この前も申し上げたと思いますが、十月のときに、立川研究所から二回の延長をしてくれというときに、いやそれは無理だというやりとりをしておりまして、結局、立川研究所は、これはあきらめます、そこで東方貿易行へ電報を打ちます、こういうことで引き下りましたので、われわれとしては、本件についての問題は一切片づいておったものだ、そういうふうに了解しております。
  457. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 もう一度お尋ねしますが、全然別個ですね。ドミニカから入ってきた砂糖立川研究所特許権の実施権を対象とする関係台湾糖の輸入の問題とは全然別なわけですね。
  458. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 われわれから見ますと別個だと考えておりました。
  459. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 これは別な面から一つ伺っておきますが、きょう午前中の証人のお答えでは、なくなった周という人に香港から十万ドルこの工作のためにお金が送られてきている。そうして、その金が、これは証人には私は伺わなかったのですけれども、砂糖輸出入協議会に三千五百万の金を松平、郭その他二名の者と一緒に合計四名の者が持っていって、これは輸入するために奔走しなければならない運動費用に充てるのだということを言って、周という人から金を砂糖輸出入協議会がとっている、こういうのです。そういうことについてあなたはお聞きになったことはございませんか。
  460. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 砂糖輸出入協議会が周さんから金をもらったということは全然聞いておりません。
  461. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 御承知ないかもしれませんが、それによって、たとえば午前中ここに証人に出られた立川研究所関係のあった人であるとか、あるいはまた政界と財界の間を始終いろいろなことで奔走されることを仕事としてこられた、本日も名前が出ておりましたけれども、そういう人たちの動きが活発になった、それから、あなたのところ、あるいは通産大臣のところ、あるいはその他の関係方面にもいろいろな人が動き出している、そういうことでございますが、あなたのところには立川研究所の代理者以外には行かなかったのですか。
  462. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 立川研究所と申しますか、無為替輸入のときには勝間さんが来られました。それから、無為普が失効しましてドミニカの砂糖が来てから、何度も申し上げますように、いろいろな動きがあったということは承知しておりますし、またいろいろなことを私のところに言ってこられた方もあったように記憶しております。今、どういう人がどういうことを言ってきたかと言われましても、今ちょっと思い出せない、こういうふうに申し上げておるのであります。
  463. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 当委員会名前もあげられました三名の代議士の中で、綱島正興君はこう言っておるのです。自分はこの輸入がなされるべきだということを考えて、また弁護士としてこの事件の依頼を受けたので、通産省にお百度を踏んだ、しかし、その当時は顧みられなくて、本件は非常に至難であるという絶望的な回答をあなたから伺っていた、しかるにその後すらすらと入っているという疑惑を綱島正興君が述べられておるのです。綱島正興君の言われておることが事実であるといたしますれば、最初は無為替輸入をもってしてこれを入れるということは非常に難解な問題であった。ところが、その後に至って、綱島正興君は、弁護士として委任を受けたこの問題は、自分のところでは解決不可能であるから返上する、委任解除にしてほしいということを言って、その書類を、なくなった周という人に返しておる。ところが、その返したあとでこの問題がするすると解決している。しかも、これは、綱島君の言葉ではありませんけれども、それから後の各方面の動きは非常に活発になった、こういうことを言っております。そういう事実はございますか。
  464. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 われわれといたしましては、無為替失効後の砂糖につきましては、何度も申し上げますように、見越し輸入砂糖であって、役所で特別処理をするとか、役所でどうこうするべき性質のものではない、こういうことで首尾一貫お話ししておったわけでございます。
  465. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 これは、無為替々々々と言いますけれども、一体無為替で入れられるべきものですか。
  466. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 十月二十三日の有効期間までに入ってくれば、無為替の対象になったと思っております。
  467. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 その有効期間と言うけれども、それはあなたの方で作られた書類に関する有効期間でしょう。
  468. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 その有効期間と申しますのは、その日にちまでに通関しなければならぬという期間でございます。
  469. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 私の伺っているのはそんなことじゃないのです。要するに、有効期間ということを言っているのは、あなたの方で作られた無為替輸入許可に対する対象としての有効期間ということでしょう。
  470. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 その通りでございます。
  471. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 私がお尋ねしようというのはそういうのじゃないのです。この砂糖は無為替で入れるということができないはずのものではなかったか、無為替の対象にはなり得ない性質のものではなかったか、こういうことを伺っているのです。
  472. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 そもそもの無為替輸入の問題だと思いますが、そういうことでございますか。もしそうですと、これにつきましてはいろいろ御意見もあると思いますけれども、通産省としては、それぞれのところで十分検討した結果、無為替の対象になるということでやったわけでございます。
  473. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 それはどういう意味なんですか。われわれの考え方では、これは無為替輸入ではない。有為替、とうてい無為替輸入の対象にはなり得ない。どういうことで無為替の対象になったのですか。
  474. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 私の理解しておるところでは、特許権の実施権を向うへ譲る、それの対価は百万ドルだ、それについて台湾政府でドルとかオープン・ドルでは無理だというようなお話がありまして、貨物で輸入する、貨物なら砂糖でもいいじゃないかということで、通産省の方針がきまりまして許可をしたものだと考えております。
  475. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 あなたは、さいぜん、このドミニカの砂糖と、それから台湾を対象にしたものとは全然別個である、こう言っておるのです。あなたの今答えられておるのは台湾に関連するお答えであって、ドミニカ糖の輸入に対するところのお答えではないはずです。私の伺っているのは、ドミニカから来たこの一万トンの輸入がどうして無為替の対象になったのか、こういうことを伺っておるのです。
  476. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 ドミニカ糖につきましては無為替の対象になっておりません。
  477. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 それではどうして陸揚げができて通関されたのですか。
  478. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 三十一年の上期に二十九万トンのポンド・グローバルによる割当を行いましたときに陸揚げされたと承知しております。従って、外貨の裏づけはあったわけであります。そのときの割り当てた外貨の範囲内で引き取られたものと聞いております。
  479. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 ほかの委員もたくさん質問されることでございましょうから、この問題につきましてはいずれ専門的な見解等も入る問題になりますので、ここで私は論議を繰り返していてもいたし方がありません。いずれ私の質問はいたすことにいたしまして、一時保留をいたします。それでありますから、もう少し国民の疑惑が解けるように、先般の委員会でもあなたに申し上げたように、何といってもあなたが親切にこれを解明して下さらなければ、とうてい国民の疑惑というものは解けません。でございますから、もっとよくわれわれが納得のできるような御説明のできるように御研究を願っておきたいと思います。いずれ私はこの問題をこのままにしておくべきではありませんからお尋ねを申し上げますが、きょうはこれでやめておきます。
  480. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 委員長からもう一点聞いておきますが、証人昭和三十一年の秋東京地検でこのドミニカの砂糖輸入の問題について取り調べられたことがありますか。
  481. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 きのうの夕刊に出ておりましたが、三十一年の秋ではございません。私が六月二十五日でしたか現在のポストに帰ったわけでございますが、その帰ってからあとだと思います。東京地検の特捜部の何とかという検察事務官でございますが、検察事務官がちょっと会ってくれというわけでございまして、どういうことを聞かれたかちょっと覚えておりませんが、経過その他を一時間余りお話ししたことはございますが、三十一年の秋に私呼ばれたということは全然ございません。
  482. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 何月です。三十一年の六月ですか。
  483. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 三十一年の六月です、私の帰りましたのは。
  484. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 それで、調べられたのは。
  485. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 三十一年の六月下旬に一ぺん検察事務官——名前は忘れましたが、特捜部の検察事務官です。のところへちょっと来てくれと言われまして、本件の経過につきまして一時間余りお話ししたことを記憶しております。それ以後この問題で地検に呼ばれたことはございません。
  486. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 その際に検事調書を作りましたか。
  487. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 検察事務官のところでございますので、調書は作られなかったように記憶しておりますが、あるいは作られたかもしれません。お調べ願えばわかると思います。
  488. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 神近市子君。
  489. 神近委員(神近市子)

    ○神近委員 今いろいろ承わっていると、そもそも立川特許権、それを無為替でその取引を許すというところあたりは何か非常に無理があったように思うのですけれども、そのスタートが何か不明朗なところがあるのですけれども、あなた方は虎木綿特許権というものが非常に国家的な功績であって、そしてこれをかばって台湾に輸出してやるということが非常に大事と思われた結果であったのか、それともそのほかの動機であったのですか、それをちょっとお尋ねします。
  490. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 そもそもの無為替輸入の問題につきましては、この前も申し上げておりますように、私、特別逃げるわけではございませんけれども、農水産課と申しますのは、そういうことまで実は権限もありませんし、また専門家もおりませんので、私のところで、そういう特許権の実態がどうとか、特許権の価値がどういうものとか、そういうことは研究しなかったわけでございます。
  491. 神近委員(神近市子)

    ○神近委員 そこで、一体だれの判断でこれを無為替で、非常な無理なやり方をして、十六万トンのうちの一万トンだけを保留して、そして立川との取引に使うという——私ども、そこらでもっとはっきりとした態度をとっておおきになれば、こんなもたもたした事件は起らなかったと思うのですけれども、その特例あるいは異例に近いものをどうして設定されたのか。知らなかったというのでは済まないと思うのです。だれかがこうしてやったがよかろうという強力な勧奨があったのかどうか、それをお伺いします。
  492. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 だれがやったかと申しましても、役所は組織で動くことでございまして、特定の人がどうこうということはしないと思いますが、通商局なり省の方針としまして、私が承知している範囲では、本件は無為替の対象になるということでございました。しかし、私といたしましては、対象が砂糖でございますので、何度も申し上げますように、これが自由に国内で処分されると大へんなことだから、これについてはしかるべく、受出方法なり、価格なり、また差額の処分については厳重に処置をすべきだ、こういう意見を申し入れまして、私の意見がいれられまして、処分については御説明したようなことで指示したわけでございます。
  493. 神近委員(神近市子)

    ○神近委員 さっき三億六千万円だけは立川の分になるというが、そのあとはこれはだれの収得になるという指図であったのですか。指図はまだ行われていなかった、通産大臣の指図は出ていなかったけれども、あなた方はそのあとの利潤はどういうふうに分配をすべきだというふうに考えておりましたか。
  494. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 立川研究所へ三億六千万円渡しまして、それから四千七百五十九万円くらいの金が輸入諸掛りとの差額で残るわけでございます。従って、その分については通産大臣の指示に従え、と申しますのは、大体当時はジェトロへ一応積み立てまして、当時砂糖法案を提案する予定でおりましたから、そういう法案ができれば、その法案の趣旨にのっとって政府へ寄付をする、また、法案ができなくとも、それは当然政府へ寄付すべきものだというふうに考えまして、そういうことは立川研究所へ口頭で指示しております。
  495. 神近委員(神近市子)

    ○神近委員 そうすると、その余分のもうけは何らかの名目で政府へ寄付するという想定のもとに許可されたということですか。
  496. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 さようでございます。
  497. 山田委員(山田長司)

    ○山田委員 関連して。税関の規則にはそういう規則はないようじゃないのですか。
  498. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 税関の規則と申しますが、これはおそらく為替管理法の問題だと思います。御指摘のように、為替管理法の問題につきまして、確かにそういう指示をするのはあるいは越権かもしれませんけれども、またそういう法律も内部にありましたことを記憶しておりますが、ともかく、本件の処置につきまして、そういうことでもしませんと問題が起る可能性がありますので、法律論は法律論といたしまして、行政上の措置としてそういうことを考えたのでございます。
  499. 山田委員(山田長司)

    ○山田委員 だれが考えたのですか。
  500. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 通商局として考えたわけであります。  それで、これにつきましては、前に二十九年の下期だったと思いますが、バナナにつきまして——二十九年の上期までは、台湾で農水産物なり雑貨なりそういうものを輸出した人にバナナの輸入権をやったわけでございますが、このリンクの方式そのものが、IMFという国際通貨基金がありますが、それの会議とか、ガットの総会でひどく非難されまして、二重関税じゃないかとか、不当な輸出振興策じゃないかということで国際的な非難も受けましたので、大体原則は二十九年の上期で打ち切るという方針がきまっておりまして、そのあとでやった台湾のバナナについては差益をジェトロへ積み立てさせたことがありますので、そういう方式を暫定的にとった、こういうことでございます。
  501. 神近委員(神近市子)

    ○神近委員 それで最初のスタートのところはわかった。大へんその点は御親切に、通産省の中のだれという特定の人はないけれども、世論みたいなものでそうなったと今おっしゃっておりますけれども、特定の人が考えたのではなくて何となしにそういうことで——その点に私たち非常に不明朗なものがあると思います。それはてんやわんやでいろいろ言ってきた声がそういうふうに固まったというふうにおっしゃりたいでしょうけれども、それはやはりそれを受けとめて整理して御決定になっただろうと思います。大へん私は御親切なやり方だったと思います。ところが、これを二回ですか延期を要請して、ドミニカ糖はその翌日船積みして船出しておる。それから、さっきあなたはシッパーがあまり変るからこれはあやしいと思って差しとめて再許可しなかったとおっしゃるのですけれども、この通商局の許可書には、これは原産地積出港の定めがしてない、制限してない許可をおろしていらっしゃる。きょうの午前中に伺いましたけれども、それが許可が切れましたのが十月の二十三日でございますね。その翌日船が出ておる。大体船が出ればすぐ電報が入って、こちらには手に取るようにわかるはずです。たった一日のズレである。それほどまで親切に考えていらっしゃった人たちが、どうしてその一日のズレを許さないで、そうしてすっぱりと立川の方は断ち切ったということになるのですか。私どもから考えれば、それほど立川の立場を顧慮しておあげになったのだったら、もう船が出たのだからそれが届くまではこれを見送ってやるというほどの配慮があってしかるべきだと思いますが、その点どうですか。
  502. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 午前中に勝間証人がどう言われましたか、私別室におりましたからわかりませんけれども、当時の経緯を思い出しますと、勝間さんは、私のところに参りまして、本件はあきらめます、従って東方貿易行に電報を打ちます、こういうことを申しただけで、あと二十三日の翌日ドミニカから砂糖が船出するということは一切私どものところで申したことがないと記憶いたしております。
  503. 神近委員(神近市子)

    ○神近委員 十月二十三日に期限が切れて、二十四日に積み出しをしておるわけです。さっき勝間さんは、もたもたしたことがあって、第一物産だの、三井や三菱の方から二千万円の保証金を借りるつもりでいたところが、これが寝返りを打って貸さないと言い出したということを申された。これはその間のことを御承知なら伺いたいのですけれども、なぜあれだけのインポーターたちが一たん御用立てしますということを言っておいて急にそれを差しとめたのか、こういうことにも私どもはいろいろ疑問が起りますけれども、ともかくたった一口のズレである。御承知になっていてどうして猶予が与えられなかったのですか。その点伺います。
  504. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 要するに、無為替許可をやるときには、私どもといたしましては、ある程度確実なものと実は思っていたわけであります。しかし、一回期間延長をしまして、どうも様子を見ておると、何か当初の計画が変り、しかも二回目の延長のときにはまたシッパーが変って、そのシッパーの買付価格が幾らになるかと聞いても、何とも御説明がありませんし、そこまでいきますと、われわれもこれはちょっとおかしいじゃないかと当然思うわけでございまして、従って、二回目の延長につきましては断わったわけでございます。  それから二十三日の翌日二十四日に船出したというようなことは、私当時全然承知しておりませんし、そういう話を私のところに持ってきた人は全然ございません。そういうふうに覚えております。
  505. 神近委員(神近市子)

    ○神近委員 これは、勝間という方が、立川研究所立川所長といろいろ意見の衝突があって、自分はその辺からすべての権力というか力を託したということを言われたので、大体わかるような気がしますけれども、その第一物産その他四社のインポーターが、一度二千万円ですか、その保証金を御用立てますと言って、これが急に態度を変えたという、そこに、裏に私どもは何かあるんじゃないかということ、そのためにあなたが最初為替でお許しになったこの件が結局おじゃんになってしまうわけなんですけれど、その態度を急に変えたというところに何かあなた方にわかっていらっしゃる事実があるんじゃないですか。
  506. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 その保証の問題につきましては、本来は立川研究所インポーターとの間の話し合いでありまして、役所がその問題にタッチしたことは全然ございませんのですが、当時聞いたところでは、その二千万円あらかじめ出すと言っておいてあとでやめたということは私当時も話を聞いておりませんのですが、ただ、その六割の保証につきまして、インポーターの方へ頼んで、インポーターの方といたしましては、非居住者のためにそういう保証をするということは、これまた為替管理法の許可が要りますし、また商社として、三億六千万円の六割では相当な額でございますので、そういうものを商社保証するというようなことはできない、こういうようなことで商社が受けなかったというふうに承知をしております。従って、二千万円の話は、どういうことでそういうやりとりがあったのか、私自身としては承知しておりません。
  507. 神近委員(神近市子)

    ○神近委員 じゃあ、その二千万円は、ほかのお金と六割の保証金が要るわけですね。
  508. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 六割の問題は、無為替許可をするそのときには、立研から話がなかったわけであります。許可してから立研と相談を受けて、インポーターの方四社、あとで立研の希望もありましてたしか五社にしましたですが、それをきめてから六割の話が出てきたと記憶しております。
  509. 神近委員(神近市子)

    ○神近委員 そこで、そういう事情立川はこれを全部あきらめてしまう、手を引いてしまうというので、ドミニカ糖が入ってくる順序になるのですけれど、これがもう今までの話とはまるで違った見越し輸入の形になって現われた。そうすると、こういうものは見越し輸入あるいは無籍砂糖、物件なんというものは、これを処理する場合に、大蔵省通産省とに、法規的なものではなさそうですけれど、共同審査会というようなものがあるのではないですか。そういうものがありますか。
  510. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 砂糖につきましては、私の記憶では、リンク時代には審査会と申しますか、これは通産省だけでやったと思いますが、それから、三十年以後はちゃんとルールに乗ってやっていますので、特別に通産、大蔵で審査をする必要もありませんので、審査会はやってなかったように記憶しております。
  511. 神近委員(神近市子)

    ○神近委員 審査会という名前、これは私のお尋ねが悪かったかもしれません。合同査問会ですか。査問会です。それは多分連絡協議のようなものではなかったかと思うのです。
  512. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 わかりました。今の査問会は、たとえて申しますと、輸入物資で外割に、どう言いますか、ぬかならぬかということで外貨申請していて、ふすまですか、ふすまはAA物資ですから、外貨申請していて、外割というか、そういうことで、AA物資というと銀行だけでできますから、そういうことで外貨をもらっておいて送って、実際の現物は米の粉が来る、こういうことがございます。そういう場合にはインポート・ライセンスの品目の方と現実に入った物と違いますので、税関でそれを見つけますと、関係各省へ処理方の相談があるわけです。そういう場合のことだと思いますが……。
  513. 神近委員(神近市子)

    ○神近委員 大体この砂糖の問題は、そのふすまや米の粉とは違うのですけれど、何か予定されたものと現実に来たものとが違うわけですね。そういう場合に、査問会にかけるのが常識じゃないですか。
  514. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 その査問会と申し上げますのは、今申し上げましたように、ちょっと本件の砂糖の場合と違うと思います。それは、外割証明書の品目と現実に税関に着いた品目が違うときにどうするか、たとえて申しますと、もう一つ例を私記憶しておりますが、韓国ノリを、青ノリを持ってきまして、それに黒い普通の浅草ノリがまざってておる。それを青ノリということで申請して、実際には青ノリかそれとも普通のわれわれの食べるノリか区別がつかぬ場合がございますが、そういう場合には、査問会と申しますか、大蔵、通産連絡——ノリも入りますが、そういう連絡会でやるのでございますが、本件の場合は砂糖でございまして、それがまだ為替も何も割り当てられてない前の砂糖でございますので、割当証明書と品目が違うとかいう問題は起きておりませんので、そういういわゆる査問会にかける必要はなかったわけでございます。
  515. 神近委員(神近市子)

    ○神近委員 それじゃ、為替審議会にもかける必要はなかったわけですね。
  516. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 為替審議会と申しますか、閣僚審議会でございますね。
  517. 神近委員(神近市子)

    ○神近委員 法定の為替審議会というのがあるのでしょう。
  518. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 閣僚審議会と法律上きまっておりますが、為替審議会というのは私承知しておりません。あるいは大蔵省でやっておられる委員会にそういうのがあるかもしれませんが、各省共通の為替審議会というものはございません。
  519. 神近委員(神近市子)

    ○神近委員 それで大体経路がわかるようですけれど、今度わからなくなるのは、鈴江倉庫に陸揚げされているものが、日の目を見るようになるという過程なんですね。ここに一番みんないろいろな納得のできないものを感じているのですけれど、さっきあなたはこういうことをおっしゃった。三十年度の輸入予定の中にそれを入れて、そうして外貨をとってルールに乗せたとさっきおっしゃったのですか、よくはっきりわからないのですが……。
  520. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 外貨に入れたと申しますか、そういう特別入れたわけではなくて、三十一年の上期に、五月の初めだと思いますが、三十九万トンの——ポンド・グローバルと申しまして、ドミニカなりキューバなりペルーなり、あちらの中南米中、中米地域ですね。中米地域は本来ならルドで買うべき砂糖でございますが、ポンド割当いたしましても、ロンドンの市場でドルにかえる道があります。対象が砂糖の場合は……。ですから、ポンド・グローバルと申しますが、ドルと同義に考えていただいてけっこうですが、そういう砂糖を三十九万トンやったわけであります。なぜ三十九万トンかと申しますと、毎年の例で台湾とは協定をやっておるのでありますが、台湾との協定は、台湾のかけ引き、こっちのかけ引きもありまして、大体六月、七月ごろになりませんと、三月から始めましても協定がはっきりできませんので、その穴埋めという意味もありまして、従来は四月の初めにはそういうドルの砂糖を割り当てる、こういうのがルールでございまして、その発表をやったときにとられたということでございます。従って、その場合には、商社に横浜の砂糖をどれだけ割り当てたとか、幾らで引き取るとかいうようなことは一切役所としてはノー・タッチだった、こういうことでございます。
  521. 神近委員(神近市子)

    ○神近委員 あなたの今おっしゃった中に、小さな声でおっしゃったのでよくわからないところがあったのですけれども、そのレールに乗せる——今の三十九万トンですか、それに乗せるあとさきに、いろいろあなたは陳情をお受けになったようなことがうわさされているんです。その中に、前に福井県の県知事をされた小幡さんの県知事時代に副知事をやられた北栄造という人が、たびたび通産省に見えたはずですけれども、その記憶がございますか。
  522. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 北栄造さんでございますか。
  523. 神近委員(神近市子)

    ○神近委員 ええ。
  524. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 北栄造さんというのは全然記憶しておりませんが……。
  525. 神近委員(神近市子)

    ○神近委員 名前が違っているかもしれません。前に、やはり福井県の出身で、福井県の副知事をしていらっしゃる人ということで記憶はありませんか
  526. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 記憶しておりません。——福井県の方と申しますと、前半戦の場合ですが、だれか一人来られたことを覚えております。的確に名前を覚えておりませんが、福井県出身だということで来られたことをうっすら覚えておりますが、その方は副知事とか県庁に関係のあった方というふうには覚えておりませんが、勝間さんの知り合いだったと思います。
  527. 神近委員(神近市子)

    ○神近委員 それではもう一点、小幡知事は見えましたか。
  528. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 記憶にございません。
  529. 神近委員(神近市子)

    ○神近委員 そのレールに乗るということは、そのときはどこが決定権を持っておったのですか、大蔵省ですか。
  530. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 その当時、レールに乗るということの御理解が不十分だと思いますが、実は三十九万トンやりましても、これは別にこの砂糖があるなしにかかわらず発表すべき数量でありまして、この砂糖を頭に置いて三十九万トンをきめた、こういうことじゃなしに、農林省の方の需給の見通しと打ち合せまして二十九万トン第一回のポンド・グローバルでやりまして、次には、大体台湾糖がきまれば、台湾糖はオープン勘定でございますのでポンド、ドルを使わぬでもよろしいので、台湾なり、当時インドネシアもオープンでしたし、そういう地域を優先に考えるべきでございますが、ただ、台湾糖の協定がおくれますので、さしあたり三十九万トン、ポンド・グローバルでやろう、こういうことだけ話したわけでございます。その三十九万トンをきめたということは、別に横浜にある砂糖をどうこうしようということを全然離れまして、通常の行政べースできめたわけでございます。
  531. 神近委員(神近市子)

    ○神近委員 通常の行政べースに乗せて、横浜のお砂糖のことは頭になくて、そして今度はどういうことで横浜のお砂糖がそれに乗っているわけですか。
  532. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 私が想像しますには、商社関係者、周さんなり周さんの代理の方とお話があって引き取られたものだ、こういうふうに了解しておるわけです。
  533. 神近委員(神近市子)

    ○神近委員 だれと、業者とですか。たとえば精糖工業会のような業者の団体ですか。その割り当てられたポンドなりドルなりを使って、これを横浜の方から受け取るというのは、それはあなたの方の許可は要らないわけですか。
  534. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 私の方の許可は全然要りません。と申しますのは、三十九万トンのポンドの割当を申請をいたしまして、それを一定のルールで各商社——最終的には商社にいきますが、商社がその割当をもらうわけでございます。商社は、もらった範囲内で、商社とメーカーとあるいはおそらく話があったかもしれませんが、そういうことで話し合いが行われて引き取られたものだろう、こういうふうにわれわれは考えております。
  535. 神近委員(神近市子)

    ○神近委員 その話し合いのところがわれわれはいろいろ疑惑を感じるのです。今あなたもおっしゃった、午前中問題になった周、それから松平なんという方、北栄造、あるいは杉本ですか、こういう人たちが、やはり同じその期間に運動を最も猛烈に行われたということが伝わっているのですけれども、あなたはこの人たちに御面接になったということは、大体どのくらい度数があったんですか。
  536. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 周さんには、この前申し上げましたように一、二回だと思います。それから、松平さんは三、四回役所に来られたと記憶しておりますが、大体その程度でございます。
  537. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 小川豊明君。
  538. 小川(豊)委員(小川豊明)

    ○小川(豊)委員 お尋ねしますが、この三億六千万というのは百万ドルに相当する価格ですが、当時の東京市場の精糖価格でいうと、一万トンの砂糖というのはどのくらいになるわけですか。
  539. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 今資料がございませんので、当時精糖市場幾らだと言われましても、もう一年半も仕事をしておりませんので、ちょっとぴんとこないのですが、何でしたら、農林省通産省がおられますので、お聞き願ったらけっこうだと思いますが……。
  540. 小川(豊)委員(小川豊明)

    ○小川(豊)委員 立川はこの延長が切れたときに遮断されたとあなたはおっしゃっておるわけですね。その後入ってきたドミニカの一万トンというのは、立川はやはり盛んに関係しておるように午前中に証言されたのです。これはどういうことですか。あなたの方では遮断された、関係ないのだとおっしゃる。立川の方ではそう言っているが……。
  541. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 きょう午前中勝間証人がどういうことを言われたか、私存じませんが、ともかく、通産省としては、立川研究所でもうあきらめますと言って、しかもあとで、今思い出せば、勝間さんがまたのこのこ私のところに来まして、砂糖が出たから何とかならぬかという話を持ってこられたことを記憶しておりますが、そんなばかなことがあるかと言って言葉ひどく怒ったことを思い出します。
  542. 小川(豊)委員(小川豊明)

    ○小川(豊)委員 それから、この一万トンの割当は為替管理法違反の疑いさえ出てくるわけなんですが、なぜこうした違反の疑いのあるようなものを、そういう措置をとったか。そうしなければ本件は解決しないからやむを得ず無為替輸入を許した、こういうことをおっしゃっておるわけですが、それならば、逆に、何のためにそんなに便宜を立川に与えなければならなかったか。
  543. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 先ほども何のためだという御指摘がございますが、当時といたしましては、百万ドル相当というのは高過ぎるじゃないかというような議論もあったように記憶しておりますが、いずれにしても、台湾からドルを取るというのは、これは事実上不可能なことでございまして、今でもその問題がございますが、こっちの輸出が伸びまして一定の金額以上になりますと、ドルを払うことになっておりますが、とても今の状態でも台湾からドルを取ることができぬ状態でございますし、当時としては、砂糖の一万トンは、二十九年の総数量としてはとにかく入れるべき数量であったし、それをパテントの身がわりで入るなら砂糖の面から見れば別にそう大した問題はない。しかも国内できびしい条件をつけて流せばということじゃなかったかと私記憶しております。
  544. 小川(豊)委員(小川豊明)

    ○小川(豊)委員 そういう異例の措置に近い措置をとってまで、一万トンの砂糖——外貨さえ割り当てれば幾らでも入ってくるわけでしょう。それを無為替立川にそれだけの便宜を与えなければならなかった理由というもの、これは、パテントを向うへやるから一万トン持ってこさしてもいいのだ、こういう考え方かもしれませんが、何でこの問題がこんなにこんがらかってくるのですか。非常にあなたの方では立川に便宜を与え過ぎておるような気がするのだが。そういうあれはないのですか。
  545. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 何度も申し上げますように、私自身といたしましては、そのパテントの輸出とかいう問題については、非常に恐縮な話ですが、役所には組織、機構がございますので、私のところでそう詰めてやる能力も権限もございませんので、     〔委員長退席、神近委員長代理着席〕 私の方では入った砂糖についてはこういう条件でぜひやってくれという意見を出しまして、その無為替の問題、パテントの輸出の面につきましては、それぞれ担当のところで御検討を願うということで、最終的に通商局の意見がパテントの身かわりで砂糖一万トンということできまった、こういうように御了解いただきたいと思います。
  546. 小川(豊)委員(小川豊明)

    ○小川(豊)委員 砂糖行政については精糖工業会の力というものが非常に強く役所に作用していることを私は知っておるのです。そこで、この一万トンを当然外貨のワクでなくその外ワクで入れているわけなんです。——為替なんだから。そこで、これは、外貨割にすると外貨がそれだけ来るので、工業界の方からかなり苦情があって、無為替にあなたの方でしたのじゃないですか。そういう御答弁はできないかもしれませんが、私の方ではそう感じられるのですが、どうなんです、その真相は。
  547. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 その点は、台湾糖を買えば当時百十五、六ドルでございまして、無為替引き当てに使うという点も考慮し、また当時の国際価格は九十ドル台だったと思いますが、そういう点を勘案して、メーカー売り渡しの値段は百十ドルというところできめておりますので、別に当時工業会の反対があったとは承知しておりません。
  548. 小川(豊)委員(小川豊明)

    ○小川(豊)委員 これはこの前に御答弁になっているのですが、危険は自己負担で一万トン持ち込んだ、こういうことですが、私どもの常識から言うと、そんなばかげたことがあるはずはないと思う。従って、これは引き取られるということの了解がなければ、いかに何だといっても、一万トンは三億五、六千万円ではない。もっと膨大な金額なんです。というのはそうでしょう、三億六千万円というのは百万ドルの対価であって、一万トンの砂糖はもっと高い。非常に高かったはずだ。従って、一万トンの砂糖を危険自己負担で持ち込んでくるというようなことはちょっと考えられない。危険自己負担で持ってきたというのは、引き取られるということの一応にも一応にも約束があるから持ってきたのじゃないか、こういうふうに考えるわけですが、あなたの方では、そうじゃない、危険自己負担で持ち込んできた、こう言っていますが、この点業者との関係はどうなっているのです。
  549. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 役所としましては、その砂糖について、それを持ってきてよろしいとか、持ってくれば処分してやるぞというようなことは全然言ったことはありません。ただ、私は本日の午前の証人発言であるいは明らかになったかならぬかわかりませんけれども、私の見ているところでは、立川研究所と申しますと、勝間さんかだれかが、通産省へはもうあきらめますと言っておきながら、裏で、香港トレーディングなり何なりに、持ってくれば何とかなるぞということを言われたのではないか。またそれが事実真相じゃないかというふうな気がしておりますが、これは証人から午前中お聞きになったかどうか知りませんが、私はそういうふうに考えられるわけでございます。従って、役所としては、その砂糖については全然指示もしなければ、むしろこれでもうきれいさっぱり無為替の問題は済んでほっとしたというのが当時のわれわれの偽わらざる感懐だったわけであります。
  550. 小川(豊)委員(小川豊明)

    ○小川(豊)委員 それから、その当時あなたの方では、その砂糖の割当の実需者に対する均等割というのを廃止しておったのを、その当時になってまた復活していますね。これはどういうわけで均等割を復活しましたか。
  551. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 均等割と申しますのは、おそらくメーカーの段階の配分の比率だと思いますが、これについては、農林省の問題だと思いますので、私の方では当時全然タッチしておりません。
  552. 小川(豊)委員(小川豊明)

    ○小川(豊)委員 ちょっと農林省の方、来ておりますね。——お伺いしますが、当時この均等割が廃止されておったのを、この当時に均等割の制度を復活しておるわけですね。どういう理由で廃止し、またこれを復活したのはどういう理由で復活したのか、この点をお伺いしたい。
  553. 松岡説明員(松岡松平)

    松岡説明員 突然の御質問でありますので、すぐにお答えいたしかねるのでありますが、メーカーの内部の割当につきましては、一定の算定方式を毎年きめておるわけであります。それが必ずしも毎年同じようには動いていないのでございますが、そのときどきにおいて、メーカーの間で一致してこういう形の方がいいというような意見がありまして、それがもっともだと思われる場合には、それを変更することがございます。たとえば三十二年度の割当方式は製品の実績と溶糖の実績を見ましてきめておりますが、これが三十三年度においてそのまま採用されるかどうかは、必ずしもまだ申し上げられないわけでございます。
  554. 小川(豊)委員(小川豊明)

    ○小川(豊)委員 この均等割制度を廃止するというのは実績主義になるわけでしょう。そうすると、実績主義ならば、当時実績の少い業者は非常に割当が減るのです。そこで、実績を増すために猛烈な運動をあなたの方にしておるわけです。ところが、ちょうどこの一万トンのドミニカの砂糖が入ってきた当時に、今まで実績主義をとっておったのを、このときには均等割を復活させておるのです。そのときにはどういう事情で均等割を復活させたか。
  555. 松岡説明員(松岡松平)

    松岡説明員 確かに、二十九年度までは、メーカーに対する割当につきましては均等割というのが五%ぐらい残っておったようでありますが、その後において復活したことはないようでございます。
  556. 小川(豊)委員(小川豊明)

    ○小川(豊)委員 このとき、実績を重点に置いたものを、あなたの方では均等割を復活していないと今言っております。均等割というのは非常に比率を重く見て割当しておったでしょう。していませんか、そのとき。
  557. 松岡説明員(松岡松平)

    松岡説明員 具体的に数字で申し上げますが、二十九年の下期におきましては、能力割が三〇%、実績割が六五%、均等割が五%になっております。その後はずっと今年に至るまで、能力割四〇%、実績割六〇%でござまいす。
  558. 小川(豊)委員(小川豊明)

    ○小川(豊)委員 そうすると、能力と実績と均等割五%というのは、二十九年後今日まで一つも動いていない、こういうことに了解していいわけですね。
  559. 松岡説明員(松岡松平)

    松岡説明員 今申し上げましたのは、精糖工業会に関する分はその後動いておりません。
  560. 小川(豊)委員(小川豊明)

    ○小川(豊)委員 それじゃ、この精糖工業会のほかに、実需者の方は精糖でしょう。工業会と、実需者に割り当てるのは精糖協会でしょう。精糖協会の方はあなた直しませんか。
  561. 筒井説明員(筒井敬一)

    ○筒井説明員 実需者といわれるのは、どういうことか、私ちょっとわかりませんが、一般にわれわれが実需者と申しておりますのは……
  562. 小川(豊)委員(小川豊明)

    ○小川(豊)委員 実需者じゃないです。精糖工業会と精糖協会です。この業種の相違によって二つに分れているのです。
  563. 筒井説明員(筒井敬一)

    ○筒井説明員 現在は四つの段階に分れております。
  564. 小川(豊)委員(小川豊明)

    ○小川(豊)委員 その精糖協会という小さい方のメーカーに対する均等割というのをあなたの方では改めているはずだと思いますが、あなたの方は改めておりませんか。
  565. 筒井説明員(筒井敬一)

    ○筒井説明員 ただいま申し上げましたのは、現在団体は四つあるのでございます。精糖工業会と精糖協会と製糖会と再製糖工業会、この四つの団体があるわけでございます。ただいま第二部長が申し上げましたのは精糖工業会と精糖協会でございまして、そのほかに再製糖の工業会と製糖会というものとがあります。この製糖会の方は一割の均等割がございます。再製糖の方は二割の均等割を現在も認めております。
  566. 小川(豊)委員(小川豊明)

    ○小川(豊)委員 現在も認めておるが、その当時その均等割をいつ復活したか、今まで廃止されていたのを復活したか、あるいは均等割の比率を増したか、そういうことがこの二十九年、三十年、三十一年の間にありはしませんか、こう言っておるのです。精糖工業会でなくてよいのです。
  567. 筒井説明員(筒井敬一)

    ○筒井説明員 ちょっと私もその当時のことはあるいは記憶に薄いのでございますが、その後均等割をふやすという傾向はとっておらない、大体減らしていくという傾向をとっております。
  568. 小川(豊)委員(小川豊明)

    ○小川(豊)委員 傾向を聞いておるのじゃないのです。この二十九年、三十年、三十一年にあなたの方でふやさなかったのかと聞いておるのです。
  569. 筒井説明員(筒井敬一)

    ○筒井説明員 精糖協会のお話だと思いますが、これはふやしておりません。減らしてこそおりますが、ふやしてはおりません。
  570. 小川(豊)委員(小川豊明)

    ○小川(豊)委員 その点一つはっきりしておいてもらいたいと思います。実は、ドミニカ糖をめぐっていろいろ問題があって、松平という人があなたの方へ大へんに骨を折って、精糖協会の方の均等割を増してやった、従って、この精糖協会からは五百万円の謝礼というか運動費というか、松平に出されておる、こういうことを私のところへ来た協会の業者は言っておるのですが、あなたの方では増してないとすると、片方はもらった、こう言っておるのですが、この食い違いはあとではっきりしなければならないが、あなたの方ではそういうことは全然ないというのか、ここのところをはっきりして下さい。業者がうそを言っておるか、それはわかりません。
  571. 松岡説明員(松岡松平)

    松岡説明員 松平という人は一、二度食糧庁へ来た人であります。当時、何かそういう実需者割当でありますか、今小川先生のお話がありましたような趣旨の陳情であるか、そういうような陳情をちょっとしていったそうでありますが、農林省としては何らかのアクションを起さなかった、こう聞いております。
  572. 小川(豊)委員(小川豊明)

    ○小川(豊)委員 これは業者の方を確かめなければならぬが、確かにこれをもらったということで、そういうのを業者で出し合って五百万円の礼をした、こういうことを言っておるので、まさか金を出して砂糖をもらったというのをうそをつくはずがないと思うのですが、あなたの方ではやらなかったとすると、その人たちはどこから持ってきたか、あるいは松平という人はどこから持ってきたかわかりませんが、そういう砂糖をよそから持ってこられるはずはないので、あなたの方で増した、変更したと思っておるが、そうでないとすれば、もっとあとで明確にしたいと思います。  それから、さっき一万トンを立川に処分させると大へんなことになるという御答弁ですが、大へんなことになるというのは、砂糖の価格なりルートなりが乱れるから大へんなことになるというのか、大へんというのはどういうことを言うわけですか。
  573. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 一つはルートが乱れるということであります。それから、価格が——価格と申しますか、立川研究所の取り分が三億六千万円以上になりまして、三億六千万円以上の対価を得る、こういうことになる心配がございましたので、通産省としては、たびたび申し上げました条件を指示したのであります。
  574. 小川(豊)委員(小川豊明)

    ○小川(豊)委員 いま一点、これはあなたの方として直接関係があるかないか、よく私もわからぬが、砂糖輸入協議会というのがありますね。この砂糖輸入協議会は八重洲口のブリヂストン・タイヤの向い側に事務所があるそうです。三十一年の十一月十二日ごろでしょう。十二日か十三日か、ちょっと一日くらい明確でないが、周、郭、松平とこの砂糖輸入協議会との間に三千五百万円の金の授受が行われているわけですが、これはもちろんドミニカ糖の輸入をめぐっての問題なんですが、別にそういうことをあなたの方では知らないわけですか。砂糖輸入協議会というのは、一体どういう役割を果し、どういう形で構成をされており、メンバーはどういう人でできておるのですか。
  575. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 砂糖輸入協議会は、できましたのは二十八年でしたか、これは正確に記憶しておりませんが、二十八年のころにできまして、メンバーは、砂糖輸入資格ある商社と申しますか、原則として砂糖輸入資格ある商社資格ある商社と申しますのは、通産省の方で大体実績で何千トン以上のものにだけ外貨割当を受ける資格がある、こういうふうにきめておりますので、そういう商社を中心にした任意団体でございます。それで、経過がありますので、あるいは現在では砂糖輸入資格のないものでも入っておるかもしれませんが、原則は砂糖輸入資格があるというか、外貨割当を申請する資格があると申しますか、そういう商社が三十七、八社だと思います。それで構成しております。
  576. 小川(豊)委員(小川豊明)

    ○小川(豊)委員 まだこれから実は本論に入りたいと思ったのですが、時間がきて、あとの質問者があるそうですから、きょうはこれでやめます。
  577. 神近委員長代理(神近市子)

    ○神近委員長代理 山田長司君。
  578. 山田委員(山田長司)

    ○山田委員 三十年度の下期の大体の輸入計画トン数というものは十七万トンだったと思うのです。     〔神近委員長代理退席、委員長着席〕  しかるに、その後の台湾糖の輸入を見ると一万トンというものが入ることになって、この十七万トンの中の数量というものは全部精糖工業会へ回ったものなのですか。
  579. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 三十年の下期でございますか。
  580. 山田委員(山田長司)

    ○山田委員 そうです。
  581. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 三十年の下期は全部では十七万トンというようなわずかな数字ではないと思います。
  582. 山田委員(山田長司)

    ○山田委員 この台湾糖の一万トンというのは、これは無為替で入ってきて、そうするとこの砂糖の行った個所というのは全部貿易商社に行ってしまったわけですが、一体台湾糖の入るはずだったものが、どういうときにドミニカに変る条件になったのですか。
  583. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 どうも恐縮な話ですが、もう一ぺんあらためて申し上げた方がいいと思いますが、最初は、そもそもの経過におきましては、台湾糖を持ってくるというような話があったわけでございます。従って、台湾糖なら台湾糖を一万トン少く発表しておけば需給価格が合うわけでございますが、それが、最終的に無為替許可したときには、その間の事情はつまびらかにいたしませんが、キューバ糖に変ったわけでございます。しかし、キューバ糖に変っても、砂糖そのものに変りはありませんので、価格をしっかり押えれば、台湾糖を入れたと同じような方式で流せば、別に問題はない、こういうふうに考えたのでございまして、キューバ糖に変って、それからドミニカに変った、そういうふうに変転しておるわけでございます。どういうわけで変ったかといいますのは、これは東方貿易行なり勝間さんの方が御存じじゃないかと思いますが。われわれの方は書類上だけ見ておるのでありまして、現実の裏でどういうやりとりがあったかということは承知してないわけでございます。
  584. 山田委員(山田長司)

    ○山田委員 どうもこの点がわれわれの理解のできないところですが、さらに伺いますけれども、この間の十二日に私があなたに質問したときに、この問題の割当その他をめぐっては、影響するところが大きいし、自分がもう少し確認を持たなければ発表できないというようなことを言われた記憶があるのですが、割当その他をめぐってのこの確認を持たれたか持たれなかったか、もう少し伺いたい。
  585. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 陳情された方々という意味でございますか、そうじゃなしに、その割当の方法なりその他の問題でございますか。——それはたびたび申し上げておる通りでございます。これ以上付加することは何もないと思います。
  586. 山田委員(山田長司)

    ○山田委員 あなたの場合が割当については実際上の一番の責任のある立場だと思うのです。それが、精糖工業会に割り当てられていた数量が、どういう経過でこの一万トンが商社割当に変っていったのか、許可をもらった今度のドミニカのものが、どうもよくわからぬ。この点について伺いたい。
  587. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 そもそもの無為替許可のときに、私のところでつけた条件は、必ずしも工業会だけでございません。再製糖——ただいまお話に出ました精糖協会、当時は団体は三つでございましたが、大きな精糖工業会、それから小さいメーカーで日本精糖協会、それから黒い砂糖を作っております再製糖工業会、こういう三つの団体に、本来台湾糖割当のときにはその三つの団体へそれぞれ一定の、今ちょっと問題になりました割当基準というものがありまして、それに基いて外貨割当の申請をする資格が出るわけでございます。ちょっと混乱いたしますが、二十九年までは、メーカーに割当てる分は、——今申し上げましたメーカーというのは三つの団体ということで御了解願いたいと思いますが、必ずしも工業会だけでございません。二十九年まではメーカーに割り当てる分はメーカーが直接通産省へ外貨申請ができたわけでございます。従って、メーカーの名前で通産大臣が外貨資金の割当証明書をメーカーに割り当てた。三十年からは方式が変りまして、すべて外割を受けるのは、原則としてインポーターだ、しかし、メーカーの方には農林省の方で発注限度内示書というものを発行するわけでございます。それで、三十年からは、よく話に出ます、八割がメーカー、二割がインポーター、こういうルートが確立しまして、その八割につきましては、農林省が、先ほど話題になりました団体別の割当基準、それから団体内の配分につきましては、それぞれの団体内で作った各個の構成に対する割当基準等について農林省で承認した場合にはその基準に従って発注限度内示書というものを食糧庁長官名で各メーカーにやるわけでございます。それは総量で申しますと八割、年間百万トン入れれば、八十万トンが一方にあるわけであります。それから、二割のインポーター割当と申しますのは、先ほど話の出ました日本砂糖輸出入協議会の構成メンバー、三十七、八社だと思いますが、それに通産省の方で別に、現在は前年度輸入実績何千トン以上のものということで限定しておると思いますが、私がやっておりましたときは、過去三年間の輸入実績が何千トン以上、五千トン以上ですか、前年度輸入実績五千トン以上あるものがそういう資格を受ける。二割につきまして、そういう資格のあるものに前年度の輸入実績を基礎に置いて按分比例で二割の外割資金をやるわけでございます。そうしますと、インポーターの方はメーカーの方から内示書を集めてくるわけでございます。食糧庁からメーカーに出した発注限度内示書というものをインポー夕ーが集めまして、それと自分のところのもらう資格のある商割分とを含めて通産省へ外貨資金の割当を申請する、こういうルールになっております。従って、その台湾糖一万トンについて、本来ならば有為替なら当然二十九年ですからメーカーにはっきり外貨割当証明書がいくべきものでございましたが、無為替ということでございますので、外貨割当をやりませんで砂糖は入ってくるわけでございますね。それについては外貨割当をしたと同じ基準で流しなさい、売り渡しなさい、価格は百十ドルですよ、港の岸壁のはしけ渡しと申しますか、そういうことでやったのでございます。それはそれとして、一応もう切れちゃったわけでございますね。十月二十三日でその許可証というものは失効しましたので、従って、あとはそういう関係は一切なくなって、ドミニカから砂糖が来た。これをどうするかということでございますが、これにつきましては、特別にそのために外貨割当を新しく起すということも、役所側から見れば、無為替が切れた砂糖であるのに持ってきたのだから、そういう措置をする必要はないし、またそういう措置をするということは妥当でないということで、首尾一貫しておった。それで、三十一年の五月になりまして、三十九万トンをやったときに、これも一般の輸入発表のルールとしてやったわけでありまして、その結果、その三十九万トンという外貨の割当の金額が相当大きかった関係もあると思いますが、商社といいますか、メーカーといいますか、そこにはあるいは話があったかもしれませんが、その外割の発表で引き取られた。従って、商社が引き取ったとか、メーカーが引き取ったとか、最初はメーカー割当であったものが途中で商社割当に変ってしまったというような割り方では、ちょっと理解が困難と思いますが、今申し上げたように御理解り願えば、また事実その通りでございますが、ある程度御納得ができるのじゃないか、このように考えます。
  588. 山田委員(山田長司)

    ○山田委員 溶糖実績があるいは輸入資格者の場合においても一つの既定事実を与えてしまって、それ以上の輸入というものについても一定の数量を持たなければ輸入資格がないというような形であるとすれば、これは新たに仕事を始めるような人はなかなか不可能なことだと思うのです。それから、工場設備の実績が基礎になるというようなことになるとすれば、これまたワクがとり得ないという状態なんですから、これ以上溶糖実績を持った人がふえるなんという事態はあり得ない。そうすると、もう日本の糖業界というものにとっては、全く一つの固定された形で、しかも利益の場合においても全く固定された形でこの人たちだけは役所に保護されているという形が出てくると思うのです。こういう場合、このままの保護政策という形でいかれるとするならば、しかも世界の砂糖の市場の状態というものは非常にニューヨーク相場というものが下っている状態にあるにかかわらず、日本の場合はそれが下った姿を打ち出さないで、これは前に昭和二十八年に長沢武という人が自殺しておりますが、代々課長はかわってきても、やはりこの仕事に携わっている人たちだけは依然として保護政策をやっているとしか考えられないと思うのです。一番衝に当ったあなたとして、どうすればニューヨークの相場に同じような姿を日本の糖業界は打ち出すことができると思いますか。あなたは実除にそれに携わった一人なんですから、私は必ず一つの案を持っていると思うが、どうですか。
  589. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 私個人の意見といたしましては、自動承認制と申しますか、だれでも自由に砂糖を入れる制度をとるのが一番スムーズだと思います。ただ一面これは外貨事情があると思いますけれども、私個人の意見はどうだといえば、自動承認制に踏み切るといいますか、その制度に持っていくのが、すべてのトラブルをなくする一番いい方法だと考えます。
  590. 山田委員(山田長司)

    ○山田委員 あなたの個人の意見でけっこうですから、そういう形でいきますと、今のような為替事情というものは、どういうふうにすればいいのですか。
  591. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 為替事情をどういうふうにするというよりも、自動承認制ということは、為替の制限なしに、いつ、だれでも銀行へ申請すれば砂糖が引けるという制度なのです。従って、見通しとして、そういう制度をとった場合に、年間一体何万トン入るかという見通しが一つの基礎になるわけでございますが、従って、今の外貨事情も承知しておりますので、そういう議論は議論としては非常に理想的な議論でございますけれども、AA制を一ぺん開いて、百五十万か百七十万入るかもしれない。その場合に、外貨事情が窮屈になったから、これはストップだ、こういうおそれがある場合には、また思惑の対象になる。思惑輸入になると、輸入しておいて、ストップ、ストップということになって、早く入れたものはべらぼうなもうけをする。こういう例は砂糖だけでなしにいろいろあります。従ってAA制実施については、原則として、どんな問題があってもAA制をストップしないというところまで踏み切らないと、AA制の議論は言うはやすいけれども、実際問題として反面の利害が伴う、こういうふうな問題がございます。
  592. 山田委員(山田長司)

    ○山田委員 私もあなたの考え方に自動承認制の問題については同調できます。しかし、日本の今の政府のやり方から考えてみますと、やはりこれはカルテル化していると思う。このままの姿でやはり資本家を保護するやり方が進められるんじゃないかと思うのです。外貨の事情なども勘案してみて、一番いい方法としてはどういう姿であれば砂糖行政というものはうまくいくと思うのですか。一番衝に当っているあなたとしてもう一ぺん御意見を伺いたい。
  593. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 方法はいろいろあると思いますが、それは食糧庁で管理するとかいう問題も一つだと思います。またこれは反面この利害も相当考えなければいけませんので、いつ払い下げるかということになりますと、これまたシーリアスな問題が起る、あるいは民間でプールして一定のストックを持たせる、二カ月分なら二カ月分の原糖は、各メーカーの倉庫に置いておかずに、それは特別の第三者といいますか、別の倉庫でストックを持っておる、そうして値段が割れかけたらそれを放出していくということも一案だと思う。また、前に返りまして、差益をとるというようなことも一つの方法だと思います。いずれの方法をとりましても、私の率直な意見は、それぞれの方法に利害得失はあると思いますので、これについては、農林省なり通産省なり十分御検討を願って、現段階において最も適正な方法というものを考えていただくよりほかないと思います。
  594. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 細田君。
  595. 細田委員(細田綱吉)

    ○細田委員 あなたの今のいろいろな意見が出たのですけれども、どうも日本は恒常的に砂糖が足りないにきまっている。北海道のテンサイがちょっとぐらいしかできない。これだけまた業者がもうかると、何といっても、あなたたちも煩わしくて困るが、運動が激しくなるのは当りまえだ。専売制はどうですか。
  596. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 専売制は申し上げましたが、専売制も一案だと思います。管理の一方法でございます。
  597. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 この際、勝間証人を日比野証人と同席させた上で、両証人より証言を求めることといたします。
  598. 細田委員(細田綱吉)

    ○細田委員 私、さっきから伺っているのですが、台湾糖からキューバ、ドミニカと、どうして変ってきたのか。あなたは当の責任者だから、わかるわけだと思いますが……。
  599. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 最初台湾糖から移ったと申しますのは、最初に話が持ち込まれた当時、そういう話があったように記憶しているのでございます。従って、通産省許可の上に現われてきたところは、最初はキューバ糖、許可がなくなってからはドミニカ糖、こういう二段でございます。それで、あとでどういうわけでそれが変ったかということは、実は役所ではそういうことはよくわかりませんので、御承知になるならあるいは勝間証人が知っておられるかもしれませんが、役所というのは、大体書面でやりまして、あといろいろ聞いてはおりますが、ほんとうにどういう事情でキューバ糖がドミニカに変ったかということは、情報については私何も承知しておりませんし、また通産省の当時の人も何も承知しないと思います。
  600. 細田委員(細田綱吉)

    ○細田委員 三十年下期は十七万トンの外貨割当ですか。
  601. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 今聞きますと、三十年度の輸入は、上期が五十八万トン、下期が四十七万トン、総計百五万トンになっております。
  602. 細田委員(細田綱吉)

    ○細田委員 そうして、無為替で入れるというのはどれだけあるわけですか。
  603. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 三十年度は無為替で入る砂糖は、無為替許可が続いておった間に入ってくれば、結果として一万トンあるということでございます。
  604. 細田委員(細田綱吉)

    ○細田委員 そこで、結果論だけれども、結果として無為替が一万トンあったわけだ。それが台湾糖がドミニカに移った。ちょうど一万トン入った。話がうま過ぎるじゃないですか。実際あなた方の方でちゃんとそういうワクをこしらえておいて、それで入った。それじゃあまり話がうま過ぎるよ。それだから、こういううまい話にアリが飛びついて、ひどい運動が起きたんじゃないかと思うのですが、どうですか。
  605. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 どうもまだ御理解が不十分だと思うのですが、要するに、無為替の一万トンは一万トンでございます。それからあと内部でどういうやりとりがあったかは承知しておりませんが、あとキューバの一万トン、それからあとドミニカの砂糖が一万トンというか、九千何百トンは横浜商会に着いたということでございます。これは、役所というか、為替管理法の面から見れば全然無関係砂糖でございまして、ドミニカの一万トンは無為替だとかなんとかという話は全然断ち切れた話になる。これはどこまでも為替管理法上の問題だ。ただ、実際の内部と申しますか、裏でどういう話し合いがあってきたかということは承知しておりませんので、そういう実態的な面から見れば、あるいは無為替関係のあった砂糖だということまでは言えるかもしれませんが、為替管理法上の法規の建前から言えば、これは関係がない砂糖だということでございますし、またわれわれはそういう観念で処理をしたわけでございます。
  606. 坂本委員長(坂本泰良)

  607. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 それでは、だんだん時間も迫りましたので、大体六時に終了する予定で、二、三の点を伺うことにいたします。  日比野証人に伺いますが、砂糖につきまして無為替輸入許可をしました前例があるのでございますか。
  608. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 私、二十九年の七月からちょうど二年間農水産課長をやっておりましたが、その間に砂糖を無為替の対象にしたのは本件一件だけだったと記憶しております。
  609. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 あなたの在職中のことはそうであって、ただし、やはり重要な職責にあったし、また異例な事実であるならば、その以前にも前例があったかどうか、これは通産省では調べておりますか。もしくは、あなた自身もお調べになって、前例は全くなかったというならなかった、あったのならあった、どっちでもいいのです。
  610. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 実は私前例を調べたことはございませんので、はなはだ恐縮ですが……。
  611. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 しからば、あっただろうと思うのか、あるいはなかっただろうと思うのか、それはどうですか。
  612. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 無為替砂糖ということはなかったのじゃないかというふうに考えております。
  613. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 砂糖を無為替輸入するということ、ないしは一般に無為替輸入許可するということにつきましては、何か省内において基準あるいは規則、内規、省令、何でもいいですから、そういったものを作っておりますか、おりませんか。
  614. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 本件の当時は、別に内規はなかったように記憶しておりますが、その後思い出しますと、あれはバーターのときでしたか、私はちょっと記憶ありませんが、無為替についての内規というものは的確な記憶はございません。無為替の所管は、何回も申しますように、輸入課でやっておりますので、買い入れのときなんかでそういう話が出たかどうか、的確に思い出せません。
  615. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 それは所管が違うから知らないと言えばそれまでですけれども、しかし、大事な問題でありますから、そのくらいのことは一応常識で、お隣の所管事項でも知っておくということは当然だと思いますので、伺った次第なのでありますが、何かこれを規制すべき、もしくはものさしとすべき何かがあるのかないのか。それとも、輸入管理令八条の解釈というものをただ恣意に法律上解釈してやるということにもなるのか、それはどうですか。
  616. 日比野証人(日比野健児)

    ○日比野証人 私の考えは、無為替の理由のあるなしの問題は別としまして、入ってきた砂糖について厳正な規制をするということをのみ重点に私考えておりましたので、深く無為替の問題に関心を持たなかったというのは非常に恐縮でございますが、正直申し上げまして、そういうことでございます。
  617. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 勝間証人に伺いますが、あなたは、さきには商社などへ保証の交渉をして、不調に終ったことを理由にその後砂糖輸入から手を引いた、こういう趣旨にお述べになったように思いましたが、そうじゃなかったのですか。
  618. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 保証の問題で、この砂糖が円満に引き取れなかったことは事実なのであります。そのために、円満に引き取れないままにずっと遷延しておりまして、ライセンスが切れてしまっておるし、延期も認められないという状態になったのであります。
  619. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 精糖工業会にしろ、ないしはその他の輸入商社にしろ、非居住者のために保証をするということは、法律許可を要し、もしくは一般に制限をされておる事項である、こういうことはよく御承知であっただろうか、もしくはそういう事実について一体どういうふうにお考えになりましたか。
  620. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 この保証書類というものは通産大臣あてに出したのであります。
  621. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 私の伺うのは、保証の交渉が失敗したので、あなたの方はもう引き取りをあきらめることにした、こういう趣旨にお述べになったと思いますが、交渉が失敗したというのは、他の証人は、これはやはり法令の上で許可事項でもあるので、そういった事情から拒否したのだろう、こういうふうに言っておりますが、その点についてどうなっておるか、こう伺うのであります。
  622. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 保証を拒否するということは、大蔵省の方のライセンスに疑義を生じることになるわけなのであります。そのために、保証しなければ向うが渡さないという場合には、その砂糖がどうしても受け取れなかったのであります。
  623. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 保証しなかった理由を伺ったのですが、まあそれはよろしい。いずれにしても保証を受けられなかったのでといいますね。そこで、あなたは、あくまでも個人でなしに立川の代理人として行動せられたものと考えるのでありますが、立川特許を受ける権利を譲渡し、実施することを、それを相手に与えることによって、対価として百万ドル、これにかわる砂糖を受ける、こういうことで無為替輸入許可を受けたわけですね。ところが、三十年十月二十三日以後失効しておるのですね。有効期間延長は許されぬ。そうなりますね。そこで、同年の十一月十八日にアリストテレス号がドミニカ糖を積んで横浜に入港しておるのですね。すでに失効後、あなたの方で立川の代表者としてこのドミニカ砂糖に関与していくというのは、そもそも少し筋が違っておるのではないか、こう思うのですが、それはどうなのですか。
  624. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 それはあくまでわれわれもその延長を認めてもらおうというつもりでおったわけなんであります。
  625. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 以前にですか。
  626. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 そのあとでもでございます。それが認められなかったのであります。
  627. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 ですから、延長を認めてもらおうと思って三度目延長方を申請したらしいけれども、今申し述べた十月二十三日以後は失効しております。失効しておる後は、もう関係を絶ってしまったことは立川正三氏がみずから言っております。ところが、きょうだんだん三人の証人がお述べになり、またあなた自身も述べられておるところによりますと、そうではなしに、すでに失効してしまったんだから——失効は失効ですよ。無為替輸入許可はもうなくなってしまった。ところが、今度は無為替輸入でない段階になって、そうして十一月になってからドミニカ糖が入ってきた。それにあなたは立川の代表者として依然として関係を継続しておられる。これはまたどういう次第か、どうもわれわれは納得しにくいのです。
  628. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 関係を継続したということは、向うとしては、何とか通産省許可をもらって延長してこれを引き取るべきじゃないかということを盛んに言うておった。そういう交渉に対して受け答えをしておったのであります。
  629. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 あなた方は、すでに失効すれば、当初の売買契約の趣旨はもう履行できなくなってしまうのですね。従って、それからは無為替輸入許可というものがないのだから、全然条件、前提が変ってしまった。変ってしまっておるときに、どうも理由を明らかにしないまま行動しておられるきらいがあるのですが、相手がさらに、有効といいまするか、状態を回復して引き取ってくれというので、それに受け答えしておったとおっしゃるのだが、どうもそれが納得しにくい。あなたの方ではもう無為替輸入はできなくなった。しからば、外割を受けた場合にこれが引き取りができる、こういう状態以外にはないように思います。だから、全く前提条件がもうなくなってしまっておるにかかわらず、あなた自身依然として相当活躍しておられるし、通産省へも出入りしておられますね。その後そこに並んでおられる日比野課長とも御面接になっておられますね。どうしてそういうことになるんだろう。一方、立川氏自身は、もう私は遮断してしまいました、こう言っております。もう関係しておりません—。ところが、そうでなくして、依然として周との関係も継続しておられるですね。最後といいますか、かなりあとまでいろいろな関係を持っておられるようでありますが、どうもあなたの今の消極的な御答弁では一向納得しにくいので、いま一応もっともとわれわれをうなずかす御答弁を願いたい。
  630. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 立川氏がライセンスが切れたと同時にそのときに放棄したということを言われるのでありますが、それは若干日にちが僕は相違があると思うのであります。ライセンスが切れて、もう切れたからこれでやめようじゃないかということを言われたことは私は一回もないわけなんであります。一応継続のことを頼んでみて、それが認められなくて、初めてここで放棄することになったのであります。私としては、このライセンスを延長してもらうことを極力日比野課長にもお願いしたはずなのであります。
  631. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 日比野課長にお願いしたところが、もう大臣がこれは許可すべきまた承認すべき案件であるししますので、このところ日比野課長にお願いするという段階ではない、こう思いますが、結局私どもがいろいろ推測をたくましゅうしておるところによれば、虎木綿権利の譲渡ということは別として、入ってきた砂糖をめぐっていろいろと工作し合う、おそらく相当な経費も要ったであろう、目的も達しない、こういうので最後までいろいろと努力してこられた、これが真相でないかと思いますが、そういうことではないのでございますか。
  632. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 そういう点で私が最後まで努力しておったというような事実は全然ございません。
  633. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 そうすると、最後に通産省日比野課長にお会いになったのは一体いつなんです。
  634. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 日にちははっきり覚えておりませんが、ライセンスがエキスパイヤーしてから約二十日後ぐらいじゃなかったかと思うのであります。
  635. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 そうしますと、あなたはその以後はこの砂糖つまりドミニカ糖につきましてはシュウカシンにも何らの交渉もなかったということになるのですか。
  636. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 私は今の日にちの点がはっきりわからないのでありますが、最後の努力として何とか延長してもらおうと思ったことがどうしても通産省でだめだと言われたときに手を引いたのであります。それ以後は絶対周さんとかその通訳の方にも全然お目にかかっておりません。
  637. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 周が死んで、おらぬのだから。ですが、あなたと周との間には無為替輸入許可証まで添付した売買契約書の調印せられたいきさつもありますので、そのような執着をお互いが持っておる場合には、もっと相当な交渉があるはずだと思います。これは一応私の推測した意見にしておきましょう。  なお、ちょっと日比野証人に伺っておきますが、だんだん無為替輸入許可の当否につきましていろいろと質疑応答が繰り返されておったのでございますけれども、しばしばの期間延長があり、それからまた、さかのぼれば、これを対象とするということが少し無理じゃないかということも考えられる。期間延長の間に、あなたも御指摘になるごとくに、買い先がしばしば変る。いろいろとその辺の変化があって、従って経済条件等々もいろいろと変化していく。これは、私がしばしば言うごとくに、いかにも不確実な要因の多い契約でもあり、状態が断続しているんですね。こういうことに対する十分な見通しと判断なしに許可がされておったというところに、私は、神近委員御指摘のごとくに、今日から考えれば、ただあなたら、あるいは通商局長だけじゃなしに、もう一つ上の大臣ないしはそこいらの発言ないしは何かがここに加わったということを想像せざるを得ないのであります。非常に無理な無為替輸入許可であったということを今日は感想として持っておるのであります。これはあなたにこの点を聞かずに、当時の上司に伺うことにいたしますが、私はそういう感想を強くする次第です。  法務省にちょっと伺いますが、どなたが見えておりますか。
  638. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 河井刑事課長が見えております。
  639. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 午前中の証言によれば、ただいま在席せられている勝間敏雄君は、立川研究所企画部長で、本件の特許を受ける権利売買並びに代金の授受、砂糖輸入等に関しまして一切所長を代理して行動した人であります。及び立川研究所を代表して死んだ周何がしとの間に砂糖売買契約に調印した方であります。この重要な人が、三十一年のその後東京の地検で重要な参考人として取調べを受けて、一切の重要書類を押収されたままになっている、こう言うのです。そうすると、もう三十二年、三年目になるのですが、今日なお事件は終了しないのかどうか、また、そのような場合に、まだ押収した書類が返還されずにあるのかどうか、この辺についてあなたの方は何らの報告も受けておりませんかどうか。突然のことで御迷惑かもしれませんけれども、これは非常に大事な問題で、解決のかぎになる書類が全部検察庁に行っているというのですから、これはどういうことになるのですか。
  640. 河井説明員(河井信太郎)

    ○河井説明員 午前中にさような御証言があったというので、東京地検の方へ照会いたしました結果、当時、ここで今御調査になっておるような事実まで明確にはなっていなかったのでありますが、砂糖をめぐって勝間という方が何か被害にかかられたのか、あるいはその一万トンの砂糖輸入をめぐって不正があるやの投書がありました。それに基きまして、東京地方検察庁におきましては、犯罪の成否を確定するために内偵をいたしたのであります。ところが、その結果、犯罪の成立を認むるに足るような証拠は得られなかったという報告を受けております。しかし、証拠品がどうなっておるかという点は実は確かめて参りませんでしたので、要すれば次会までにその点を確かめて参ります。
  641. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 なお、日比野証人は、三十一年六月に東京地検の事務官に取調べを受けた、こういうふうにおっしゃっておるのであります。そうすると、今の投書による事件で、それは勝間君が被害者、ないしはそこに何か犯罪があるかのような投書であった、その事件に関連するのですか。それとも、何かほかに汚職的な事件というのであろうか、あるいは為替管理法違反というのであろうか、何かその他の事件であろうというのか、その辺についてはただいま報告的御答弁は得られませんか。
  642. 河井説明員(河井信太郎)

    ○河井説明員 それはもちろん同じ事件というふうに聞いております。聞いておりますが、この事件につきましては、まだ刑事事件として取り上げて捜査に着手するという、いわゆる私どもの事務的な扱いでは立件すると申しますが、その段階に立ち至っていなかった、従って、いわゆる内偵の状態にあった、そこで、極力証拠を収集してみたが、何らかの犯罪の容疑を認めて刑事事件として取り扱う段階には至っていなかった、さように聞いております。
  643. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 残余の質疑は次会に譲ります。
  644. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 関連して伺いますが、私どもの聞き及んでおりまするところによりますと、証拠書類を収集したり、相当程度までお調べになった結果、これを立件するか立件せざるかということで議論が分れて、相当その議論が沸騰した結果、それを取り扱わないことにしたんだ、こういうふうに伺っておりますが、そういう事実はございますか。
  645. 河井説明員(河井信太郎)

    ○河井説明員 その点は、今報告を聞いておりませんので、必要があれば次会までに調べて参ります。
  646. 吉田(賢)委員(吉田賢一)

    吉田(賢)委員 山本さんは弁護士でないからその辺のことはどうかと思うのだが、検察庁で議論が対立したという、そんなような事情はちょっとわれわれが知ることはできないのですが、それは一体どうなんですか。そういうことまで一体わかりますかな。お調べになって御回答願うことはけっこうでございますけれども、それはどうしたものでしょうね。
  647. 河井説明員(河井信太郎)

    ○河井説明員 今山本委員がお尋ねのような、犯罪の容疑がありまして、それを立件するかどうかというようなことで議論が分れるというようなことは、私の経験ではございません。従って、検察庁にそういうことはあり得ないことだと思います。ただ、しかし、一応犯罪の嫌疑が認められるというので立件するかどうかというふうなことについては、お尋ねのような、立件するかどうかというふうな議論があったかどうかという点は、当時の係の検事に聞いてみればすぐわかることでございますから、その点は明確になるだろうと存じます。
  648. 山本(猛)委員(山本猛夫)

    ○山本(猛)委員 それでは、お尋ねをやめようと思いましたが、もう一点だけ。証拠品として収集されたものの中に、この一万トンのドミニカ砂糖輸入に関する一件書類があるということでありますから、それも返さずに保管をせられたままでおられるのか。証拠書類として検察庁に行っているということを伝え聞くのでございますが、お調べの上で一つお知らせいただければお知らせいただきたい。
  649. 河井説明員(河井信太郎)

    ○河井説明員 承知いたしました。
  650. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 それでは、委員長からちょっとお聞きしたい。今投書か何かで内偵されたというのですが、松平、それからシュウカシン、日比野農水産課長、それから勝間、そういう関係者はずっと調べられておるということは御調査でわかっておりますか。
  651. 河井説明員(河井信太郎)

    ○河井説明員 私はそういうことを聞いて参りませんので、ただ午前中連絡のありました方だけのことは取り急いで聞いて参りましたが、必要があれば次会までに調査をいたします。
  652. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 その点一つ調査していただきたいと思います。  それから、勝間証人にお伺いしたいのですが、先ほど来話がありましたように、東京地方検察庁砂糖の一万トンの輸入についての関係書類を全部検察庁に提出されて、まだそれはもらっておらない、そういうことですが、その点はどうですか。
  653. 勝間証人(勝間敏雄)

    勝間証人 その通りであります。
  654. 坂本委員長(坂本泰良)

    坂本委員長 以上をもちまして日比野証人並びに勝間証人に対する尋問を終ります。  両証人には長時間まことに御苦労でありました。退席されてけっこうです。  本日はこの程度にして散会いたします。     午後六時九分散会