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1958-03-12 第28回国会 衆議院 決算委員会 第14号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十三年三月十二日(水曜日)     午前十時四十八分開議  出席委員    委員長 坂本 泰良君    理事 井原 岸高君 理事 田中伊三次君    理事 田中 彰治君 理事 山本 猛夫君    理事 神近 市子君 理事 吉田 賢一君      大久保留次郎君    松岡 松平君       青野 武一君    淡谷 悠藏君       小川 豊明君    細田 綱吉君       山田 長司君  出席政府委員         農林政務次官  本名  武君  委員外出席者         検     事         (刑事局刑事課         長)      河井信太郎君         大蔵事務官         (主税局税関部         長)      木村 秀弘君         農林事務官         (食糧庁業務第         二部長)    松岡  亮君         農林事務官         (食糧庁業務第         二部食品課長) 筒井 敬一君         通商産業事務官         (通商局通商参         事官)     長橋  尚君         参  考  人         (オリエンタル         ・エキスポータ         ー商会東京支店         支配人)    中島幸三郎君         参  考  人         (香港上海銀行         東京支店輸入         課)      柴谷 重夫君         参  考  人         (元通産省通商         局農水課長) 日比野健児君         参  考  人         (千葉精糖株式         会社会計課長) 久保田顕三君         参  考  人         (千葉精糖株式         会社製造課長) 兼子 善一君         参  考  人         (鈴江組倉庫株         式会社取締役倉         庫部長)    北島秀治郎君         参  考  人         (千葉精糖株式         会社東京出張         所)      鈴木 公直君         専  門  員 黒田 久太君     ————————————— 三月十二日  委員松岡松平辞任につき、その補欠として松  浦周太郎君が議長指名委員に選任された。 同日  委員松浦周太郎辞任につき、その補欠として  松岡松平君が議長指名委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  歳入歳出実況に関する件      ————◇—————
  2. 坂本泰良

    坂本委員長 これより会議を開きます。  歳入歳出実況に関する件について、前会に引き続き調査を進めます。本日は、昨日に引き続き参考人より実情を聴取することとなっておりますが、この際お諮りしたいことがあります。すなわち鈴江参考人が病気のため出頭できない旨の申し出がありましたので、つきましては鈴江組倉庫株式会社取締役倉庫部長北島秀治郎君を参考人として選定し、実情を聴取いたしたいと存じますが、これに御異議ありませんか。
  3. 坂本泰良

    坂本委員長 御異議なしと認め、さよう決しました。  なお宇井参考人糖尿病兼肺結核のため出席できない旨診断書を添えて申し出て参りましたので、御報告いたしておきます。     —————————————
  4. 坂本泰良

    坂本委員長 参考人各位には御多用中のところを当委員会に御出席下さいまして、まことにありがとうございました。それではこれより参考人各位より質疑応答の形式で実情を聴取することといたしますが、この際一言御注意申し上げます。委員よりの質疑に対し、参考人において御答弁の際は、必ず委員長の許可を受けた後に御発言なさるようお願いしておきます。  それでは発言申し出がございますので順次これを許します。山本猛夫君。
  5. 山本猛夫

    山本(猛)委員 きのうは参考人に長い間御苦労をおかけいたしましたので、きょうはなるべく短時間に済むようにということを原則として考えまして、私は端的に必要な要件だけをお尋ねいたしたいと存じますが、申すまでもなく、私ども当委員会委員参考人のどなたに対しても恩線はございません。しかし国民疑惑として解明しなければ相なりませんことは、これは率直に申し上げてお尋ねをいたさなければなりません。従って事柄はすべて具体的なお尋ねになりますので、あるいはまた御都合の悪いようなお尋ねを申し上げるかもしれない、あるいはお気にさわるようなお尋ねに相なるかもしれませんけれども、それらはすべて国民疑惑を解明したいという当委員会の切実な念願をお含みとりいただきまして、前もってお許しを得たいのでございます。  まず柴谷参考人お尋ねを申し上げます。この十日の午前九時にあなたをあなたの銀行に訪問された政府役人が二名おります。それはだれとだれでございますか。
  6. 坂本泰良

    坂本委員長 この際御報告しておきますが、政府側からは、大蔵省関係木村税関部長農林省関係食糧庁松岡素務第二部長通産省長橋参事官法務省河井刑事課長、以上出席しております。柴谷参考人
  7. 柴谷重夫

    柴谷参考人 政府のお役人ですか。この議院のこういう調査の方じゃないですか。
  8. 山本猛夫

    山本(猛)委員 あなたのところを十日の午前九時におたずねをして、二時間にわたってあなたといろいろなお打ち合せをしている人物が明らかにございます。これは的確なる情報によって、権威ある筋から入りました情報でございまから、これはあなたが不定なさることはできないはずでございます。それは政府機関の人々でございます。あなたは御承知でございますから、当委員会において明確に公式にお答えを願いたいのでございます。私の方ではわかってはおりますけれども、あなたから明らかにお答えを願いたい。
  9. 柴谷重夫

    柴谷参考人 お答え申し上げます。島村幸雄さん、池田孝道さんだと思います。
  10. 山本猛夫

    山本(猛)委員 その職名は。
  11. 柴谷重夫

    柴谷参考人 名刺を持参いたしておりますので申し上げます。衆議院決算委員会調査員です。
  12. 山本猛夫

    山本(猛)委員 それ以外の方はおたずねになっておりませんか。
  13. 柴谷重夫

    柴谷参考人 お越しになっておりません。
  14. 山本猛夫

    山本(猛)委員 調査員の方事実ですか。
  15. 黒田久太

    黒田専門員 日は判然としませんけれども、委員長の命によって、池田調査員島村調査員を派遣して事情を聞いて参りました。それの報告はお手元にも配布されておるはずでございます。
  16. 山本猛夫

    山本(猛)委員 日は違いませんか。十日の午前九時……。
  17. 黒田久太

    黒田専門員 月曜日だったそうです。
  18. 山本猛夫

    山本(猛)委員 十日ですか。
  19. 黒田久太

    黒田専門員 そうです。
  20. 山本猛夫

    山本(猛)委員 そのほかにはあなたをおたずねした者はございませんか。
  21. 柴谷重夫

    柴谷参考人 私はずっと在行中でございましたから、どなたもお越しになってございません。
  22. 山本猛夫

    山本(猛)委員 税関部長おいでですね——税関部長お尋ねいたしますが、周という人はあなたのとにろへ何回くらいおたずねになりましたか。
  23. 木村秀弘

    木村説明員 私その当時は税関部長をやっておりません。前の税関部長に聞いてからお答えいたします。おそらくそういう話は何も聞いておりませんから来ておらないのじゃないかと思いますけれども、なお前の税関部長に聞いてみます。
  24. 山本猛夫

    山本(猛)委員 あなたはきのうその周という人にお会いになったということをお話になったのじゃなかったですか。
  25. 木村秀弘

    木村説明員 いいえ、これは速記を調べていただきましてもわかりますけれども、私の調査したところでは、この周という男がこうでございますと申し上げたのであります。
  26. 山本猛夫

    山本(猛)委員 わかりました。それでは日比野さんにお尋ねいたします。周という人にお会いになったことございますか。
  27. 日比野健児

    日比野参考人 会ったことございます。
  28. 山本猛夫

    山本(猛)委員 何度ぐらいあなたのところをおたずねになりましたか。
  29. 日比野健児

    日比野参考人 一回か二回だと記憶しております。
  30. 山本猛夫

    山本(猛)委員 オリエンタルエキスポーター商会中島さんにお尋ねいたしますが、周という人御承知でございますか。
  31. 中島幸三郎

    中島参考人 昨日申し上げましたが、会ったのは約十回ぐらいと記憶しております。
  32. 山本猛夫

    山本(猛)委員 この周という人はどこの人でございますか。
  33. 中島幸三郎

    中島参考人 国籍は存じておりませんが、香港トレーディングカンパニーというところを代表して、この砂糖の処理についてわれわれの方へ相談及び解決のために見えたというふうに承知しております。
  34. 山本猛夫

    山本(猛)委員 あなたとその周という人がお会いになりました場合に、どこの国の言葉用談をなされましたか、それを伺いたい。
  35. 中島幸三郎

    中島参考人 英語でございますが、非常にわかりにくい、いわゆるピジョン。イングリッシュというやつでございました。
  36. 山本猛夫

    山本(猛)委員 そのわかりにくい英語で用件はすべてお足しになれましたかどうか。
  37. 中島幸三郎

    中島参考人 すべてとおっしゃいますことが意味がわかりませんので、御説明願いたいと思います。
  38. 山本猛夫

    山本(猛)委員 これは御承知の通り、非常に込み入った商取引であったろうと思いますが、私の申し上げておりますのは、この一万トンの無為替輸入と称せられる当委員会で議題に供せられておりまする事柄につきまして、あなたと用談をされたことと思いますが、その用談は、そのわかりにくい言葉をもってしてあなたとの間にこの事柄すべての事態が運ばれていったのかどうか、あるいはわかりにくい言葉であったとするならば、どなたかが通訳されて、そうして用談の目的を達せられたのであるかどうか、こういうことを伺いたい。
  39. 中島幸三郎

    中島参考人 すべての用談に対して、周という人が使いましたわかりにくい英語は大体わかっておりますが、周以外の人がこの件に関して来たかというお尋ねのようでございましたら、心当りがございますが、いかがでございましょうか。
  40. 山本猛夫

    山本(猛)委員 それでは周という人の言葉はわかりにくかったためにということでもけっこうですし、またこの用向きを運んで参りますために、そういう言葉ではわかりにくいということも、周という人が自覚されたかどうかわかりませんが、いつもお一人でございますか、どなたかと御一緒に来られておりましたか。
  41. 中島幸三郎

    中島参考人 こういうふうにお話していきますと、あとで釈明しますと手おくれになるかと思いますので、今のうちに申し上げておきますが、私きのうも申し上げたと思うのですが、大体この件に関しては、代表者であるところの前の日本におりましたM・クレバノフがやっておりまして、その補助的な役割をやっておったのであります。今私の答えました印象において、私が直接の交渉の担当者であったというふうな印象があってはいけませんので、ちょっとその点を御釈明しまして、うちの会社と周さんとの間における話におきましては、わかりにくい英語ということが理由でなくて、それ以外に、別の人物が周さんの仕事を促進するというふうな格好で私どもに見えまして——一緒に見えたか別個に見えたかということは覚えておりませんが、その用向きからして、別個に見えても一緒に見えても同じ方向に向って働いておられたと思います。
  42. 山本猛夫

    山本(猛)委員 その一緒に来られた方の名前は。
  43. 中島幸三郎

    中島参考人 昨日どなたかから出ました松平さんという方であります。
  44. 山本猛夫

    山本(猛)委員 松平だれでございますか。
  45. 中島幸三郎

    中島参考人 失念いたしまして、名前は覚えておりません。
  46. 山本猛夫

    山本(猛)委員 日比野君にお尋ねをいたしますが、あなたが周にお会いになりましたときは、周のほかにだれかついていたと思いますが、いかがでございますか。
  47. 日比野健児

    日比野参考人 昨日申し上げましたように、だれか通訳の方が一人来ておられたように記憶しております。周さんは日本語は全然わかりませんので、通訳の方が来ておられたように思います。
  48. 山本猛夫

    山本(猛)委員 その通訳の人の身分、名前はおわかりになりませんか。
  49. 日比野健児

    日比野参考人 中国人の方であったことは覚えていますが、名前は的確に承知しておりません。
  50. 山本猛夫

    山本(猛)委員 柴谷さんはお会いになったことはございますか、周に。
  51. 柴谷重夫

    柴谷参考人 昨日も申し上げましたように、私は会ったことはございません。
  52. 山本猛夫

    山本(猛)委員 日比野さんにきのうお尋ねをいたしましたが、どうもあなたのお答えでは、つかみようのないような結果になってきのう終ったわけでございますけれども、私の方でどういうふうに情報を集めてみましても、本件中心人物はあなたであるというようなところに焦点がどうしても合ってくる。あなたのほかにもう一人食糧庁におられる人がおりますが、しかしそれはまだ話題に出す段階じゃないですから、どうもこの問題を事務的に処理された中心はどうしてもあなたへいくのです。  そこできのうも申し上げたように、これは単なる無為替輸入にまつわるものではなくて、為替輸入すべきものでないことは、これはもう担当農水課長をされたあなたは、百も承知の上でおやりになったことなんです。これは無為替でなんかやる性質のものではないのです。いずれの観点から考えても、これは無為替などでやる性質のものでないものが、無為替輸入というようなところに無理やり焦点を合わされて運ばれていった。それの中心焦点はどうしてもあなたへ行く。しかも今お尋ねをいたしました周という人間のなくなりましたのは、オリエンタルエキスポーター中島さんは、香港でなくなったとこうおっしゃられておりますけれども、これは三十一年の十二月二十五日に駒込東京第一というアパートでなくなっている。表面のなくなった理由ガス自殺ということになっている。しかし実際はこの事件にまつわって暗殺をされたということが定説になっている。これにはただ旅人であるということの跡始末というのではなくて、しかもこの告別式には百人もの関係者が集まって、東京でやっている。そういう事件をも含めた台湾香港東京舞台とした台湾政府疑獄事件日本政府疑獄事件、しかもこれはあろうことかあるまいことか、真偽のほどは全くわかりませんけれども、これには七名の代議士も介在しているといわれている。ことほどさようにまことに複雑怪奇な事件で、しかもどういうふうな角度から焦点をしばっていっても、あなたが焦点になってくるのです。もう一人おりますが、それは食糧庁にいる。これは今名前を出す段階ではありませんから、名前は出しません。そうしてきのうどうにかしてあなたの参考になるお答えの中からこれを解明したい、あなたの言葉を見出そうとして努めましたけれども、これはあなたは怒るかもしれないけれども、言を左右にして、それは輸入二課の問題であって私の知ったことじゃないというようなことで、きのうは終ってしまいました。しかし私はまだあなたに強い言葉をもって追及するという段階ではないので、きのうもそれ以上の追及はやめましたし、きょうもまだその段階ではないと思いますから、あなたがこの国民疑惑焦点となりました本件の問題に関しまして、誠意をもってお答えにならなければこれはいけないものだと私は思います。これはあなが握っている。あなた以外にはわからない問題がたくさんにございます。私は与党の議員でございますから、でき得ることであるならば、現在の政府関係仕事をしておられるあなた方を擁護していきたい。しかしそれでは天下の疑惑を解明することはできない。しかもその焦点はあなたである。中心はあなたの農水課長当時に行われたことであるということになり、ますと、これはどうしてもあなたを中心にしてこの解明をしていく以外には道がないのでございますから、どうか一つあなたも——重要なる今日もおありでございますから、国民疑惑を解くことに当委員会に御協力をなさるお考えでやっていただきたい。重ねて申し上げます。これは台湾香港東京舞台といたしました国際的な大問題であると私は思うのです。向うの政府からもその文書が出ておりますということは、ほぼ明確でございます。出ておりましたその文書が、一体どこにいっているのであるか。大蔵省にも関係がございましょう。あなたの方、の輸入二課にも当然関係がございましょう。しかしきのうお尋ねしたところによりますと、その国民政府財政部から出ました手紙はあるのかないのかすらもわからないような事態に立ち至っている。しかもそこには暗殺事件がある。あちこちにまたこれをもみ消そうとする運動も抬頭してきたかのようにも感ぜられる。証拠隠滅のおそれもある。立川研究所代表者を呼んで聞きましても、あいまいもことして当を得たような御回答を得られない、こういうことでございますれば、せっかく当委員会において国民疑惑を解こうとして始まりました本件の問題も、疑惑のままに終らなければならないというのでございますから、ともかくあなたが知らないということはないのでありますから、あなたのおやりになつたことでございますから、どうかあなたも親切に当委員会に御協力願うようにお願いをいたしておきます。とりあえず私の質問はこの程度であとに譲りたいと思います。
  53. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 質問あとでしたいと思いますが、ただいまの山本委員の御発言のうち、重要と思われまする点についてもう少し詳しく御発問があれば大へんけっこうなんです。たとえばきのうから周何がしが活躍しておることは大体見当がつくのでありますが、中島参考人香港において死亡したということを聞いておる。山本委員東京において他殺せられたということを聞いておる。しかもそれは東京駒込東京第一というアパート、こういうことでありますが、もうちょっとそこは何か具体的に住所をわかりませんか。東京駒込何町何番地、その辺がわかれば、少しわれわれの質問も……
  54. 坂本泰良

    坂本委員長 山本委員、どうですか今吉田委員のおっしゃったようにもう少し具体的にできませんか。
  55. 山本猛夫

    山本(猛)委員 これは名前駒込の第一東京というアパート、そしてこの事件を取り扱った警察駒込警察、それからこのアパートにはその当時の管理人が今でもおります。ですから詳細のことを知る場合には、駒込警察署長及びこのアパート管理人が現存しております。それから周と一緒に歩いた者も今東京におると伝えられておりますから、このアパート管理人あるいは当時この事件を取り扱った警察責任者、こういう者をお呼びになってお調べになれば、より明確になると思います。
  56. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 中島参考人、あなたは周何がしに十回ほど会ったとおっしゃっております。その周は、みずから単独個人資格で来たのか、何々会社代理人、使用人で来たのか、その辺の資格関係代理関係等はどういうことになっておりますか。
  57. 中島幸三郎

    中島参考人 昨日も申し上げたと思うのでございますが、香港香港トレーディング代理として来ておるというふうに承知しております。
  58. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 香港トレーディングカンパニーというのは、本件ドミニカ砂糖につきまして、同じく香港のインター・アイランドとの間に売り契約をした相手方の商社ではないのですか。
  59. 中島幸三郎

    中島参考人 売りと申しますか、買いと申しますか、砂糖の買い手であります。売り手から見ると、売った先の売り契約でございます。
  60. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうしまと、その周の立場はやはり相当重要な関係にあります。そこでもうちょっと具体的に、周はあなたの方へ何をどうしたいという申し入れないしは商談協議に参ったのでありますか。
  61. 中島幸三郎

    中島参考人 周さんは日本に着いたアリストテレス号に積みました砂糖の引き取り及び支払いの責任を有しているところの香港トレーディング代表でありますから、それが荷物が着きましてから長い間放置されておって、買手としての責任を果してない。それに対し売手のインター・アイランド・エキスポータースが強硬に契約の履行を迫りましたので、それについて結局現地であるところの日本で解決するのが早いからというので、香港からよこされたものと承知しております。
  62. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうしますと、これは概括的に言えば、横浜に仮陸揚げしておる約一万トンの砂糖の処分ないしは引き取り、そういったことの折衝に香港トレーディングから派遣されてきていた、こういうふうに理解してよろしゅうございますか。
  63. 中島幸三郎

    中島参考人 さようでございます。
  64. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 相当重要な役割を持っておるようでありますが、これがもし山本委員発言のごとくに、三十一年の十二月末日に東京都内において自殺ないしは他殺せられたということであれば、前後の事情とこれによって幾多の問題が起っている事情にかんがみまして、何か相当深い原因がそこに伏在しておるように考えられます。もしあなたが昨日お述べになったごとくに、香港へ帰ってから死んだというのであれば、これまた問題は別でありますが、今山本委員は日時も明確にし、場所まで明確にしておられます。周が同名異人であればこれまた問題は別であります。そうでないとすれば、これは何か相当重要な事情がなければみずから死に、あるいは他人に殺されるということはなかろうと思います。これらにつきましてあなたは前後十回も会われ、香港トレーディング代表者でありますか、そういう資格で、そういう重要な協議商談に見えた人が、もしそのような身辺に異変があったとすれば、相当あなたの方においても関心を持つべき何か事情があると思うのですが、それとも全然あなたの方は知らないというのであるか、何か聞き知ったことがあるというのであるか、その辺について一つぜひとも聞かしてもらいたい。
  65. 中島幸三郎

    中島参考人 周さんがなくなったということは、昨日申し上げましたように、また聞きでありまして、事実であるかどうかということは私としては述べていなかったのであります。従って昨日一番最後に、日本でなくなった、あるいは他殺の疑いがあるというふうなことは昨日全然初耳でございます。  それから今言われましたことに関して会社としてどういうふうなニュースを受け取っておったか知りませんが、今おっしゃいました三十一年の十一月十五日といいますと……。
  66. 山本猛夫

    山本(猛)委員 周の死んだ日は昭和三十一年十二月二十五日です。
  67. 中島幸三郎

    中島参考人 私、思い違いしました。十一月十五日というのは、ちょうど入院中だったものですから、それについて御説明しようと思ったのでありますが、十二月二十五日でありましたら、私は会社におりましたが、そういうことは全然聞いておりませんでございます。
  68. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 この問題は、どうもこういうことを繰り返しておっても仕方がありませんので、私はきょうの議事進行につきまして、一応この人らはちょっと別室でお待ち願いまして、千葉精糖関係者が参っておりますし、それから倉庫関係者も参っておりますから、それについて質疑応答をして、そしてその後入っていただいてさらにこれらの問題を究明する、こういうふうにしたいと思いますが、漸次そういうふうに区分けして進行するようにお計らいを願いたいと思います。
  69. 坂本泰良

    坂本委員長 ちょっと速記をとめて下さい。     〔速記中止
  70. 坂本泰良

    坂本委員長 速記を始めて下さい。  それでは参考人の方々に大へんお気の毒ですが、柴谷参考人中島参考人日比野参考人はしばらくの間別室で御休憩願いまして、北島参考人久保田参考人兼子参考人はここへお残り願って審議を進めたいと思います。  それでは委員長から先に総括的なことをお聞きしたいと思います。まず鈴江倉庫北島参考人にお聞きしたいのですが、昭和三十年の十一月、砂糖約一万トンがドミニカ国からアリストテレス号横浜港に入港いたしました際に、お宅の倉庫でこれを格納せられ、そうして翌年の六月の荷出しまで保管をしておられましたが、その事実と、それからそれに関する荷主はだれであるか、それから倉庫料金は幾らであるか、それは完済になっておるかどうか、この点についてお伺いしたいと思います。
  71. 北島秀治郎

    北島参考人 お答え申し上げます。昭和三十年十一月十八日入港のアリストテレス号砂糖約一万トンが入るという情報を得まして、そしてこの貨物の入荷につきましてさっそく折衝したのであります。まず香港上海銀行に参りまして、果してこの荷物が入るのかどうかということについて質問をいたしましたところが、この荷物オリエンタルエキスポーターで結局やるようになるというお話を伺いましたので、オリエンタルエキスポーターの、今おられました中島さんのところへ行きまして、入荷の折衝をいたしました。結局この船が十一月十八日に入ることに確定いたしまして、その荷役全般につきましては私どもにすべてをまかせて、一応それではお前のところにやらせるという御承諾をいただきましたので、関係書類をいただいた上で横浜にこれを倉入れした、こういうわけでございます。倉入れしました数量は、すでに御存じと思いますが、約一万トンでございますが、ちょっと端数がございます。全部を私どもの倉へ入れるわけには倉のスペースの空坪の関係から参りませんので、これを他の倉庫会社にも保管するという形式をとりました。寄託者の御都合もございましたが、寄託申し込みその他は香港上海銀行になっております。実務はすべてオリエンタルエキスポーターがおやりになるということで、チャージその他の折衝はすべてオリエンタルエキスポーターがおやりになったのであります。  次に委員長質問の保管料収入でございますが、香上名義で入れまして、オリエンタルエキスポーターからいただきました保管料は、この貨物については全部残りなく完済しております。金額は、オリエンタルエキスポーターの手を離れますまで、合計いたしまして二千百十九万六千六百八十三円となっております。なおこの中には船内諸掛り、はしけ諸掛り、倉入れ諸掛り並びに保管料が含まれております。
  72. 坂本泰良

    坂本委員長 千葉精糖株式会社の方がお二人お見えですが、お聞きしたいのは、ただいまの、昭和三十年十一月十八日に砂糖約一万トンがドミニカ国からアリストテレス号横浜に入港しておりますが、その砂糖について何か交渉されましたかどうか。さらに当時、この砂糖について特別の割当を受けるような何かの方策を講じられたかどうか、この二つの点についてどなたからでもいいですから、お聞きしたいと思います。
  73. 兼子善一

    兼子参考人 この二つとも私自身はございません。
  74. 坂本泰良

    坂本委員長 参考人に御注意しますが、あなたにお聞きするけれども、あなたとか社長とかそのほかの人がやつても、やはり千葉精糖会社のこととしてやられたのだから、そういう意味で一つお答え願いたい。
  75. 兼子善一

    兼子参考人 個人でなくして会社と関してでございますね。
  76. 坂本泰良

    坂本委員長 そうして株式会社としてだれがやったかということも、おわかりならあわせて御説明願いたいと思います。
  77. 兼子善一

    兼子参考人 それでは久保田君から……。
  78. 坂本泰良

  79. 久保田顕三

    久保田参考人 お答え申し上げます。当時われわれ中小メーカーである精糖協会メンバーが、実績六〇、能力四〇の割合にて政府からの粗糖の割当を受けておりました。われわれの方は中小メーカーでありまして、大メーカーは能力のまさることは御承知の通りと思いますが、当時われわれの方は、どうしても実績をふやさなければならない、そうしないと原価コストも下げられないし、そういう事情から実績をふやすにはどうしたらよいかということにわれわれの苦労もなされていたのであります。そのとき当時たまたまうちの兼子がこの問題を他から聞いて参りまして、それがきっかけで立川研究所のこの砂糖の問題になったかと思います。
  80. 坂本泰良

    坂本委員長 それではもう一つ重ねてお聞きしますが、そうお聞きになって、その後この砂糖について割当をもらうとかどうとかいう運動と申しますか、いろいろの方法をとられましたが、その点についてお聞きしたい。
  81. 久保田顕三

    久保田参考人 この問題に対しまして運動いたしました。
  82. 坂本泰良

    坂本委員長 運動をしたというだけではわからぬから、運動をしたら、どういうような方法をとられたか、その具体的内容をお聞きしたい。
  83. 久保田顕三

    久保田参考人 お答え申し上げます。当時先ほどもお話に出ておりましたように、いかにしたら私どもの方の実績がとれるようになるかということについて、この問題が始まったのでありますが、昭和三十年の九月ころと記憶しております。そのときに私どもに出入りしております岡部という石炭業者がおりまして、その者が千葉精糖砂糖のことについてはまだ新しい、新しいから、今後のいき方については相談するよい相手の人が要るから、その人を紹介しよう、こういうことで連れてこられましたのが先ほど申し上げました松平守弘という人であります。それでその人と私どもが第一回目に八重洲口の国際観光ホテルのロビーで会見しました。その後数度の実需者割当とか消費者割当等の砂糖の問題についていろいろと私どもの方へそういう資料を出してくれまして、今後の実績をふやすにはこういうふうにしなくちゃならないということについて協力を得たのであります。
  84. 坂本泰良

    坂本委員長 ちょっと速記をとめて。     〔速記中止
  85. 坂本泰良

    坂本委員長 速記を始めて。
  86. 久保田顕三

    久保田参考人 先ほど述べましたように、松平と会ったのはそういうきっかけがもとでありました。なおその後において結局立川研究所の問題が出て参りましたのですが、これについては今後こういう問題を解決するのには、どうしてもそうした上の人たちの協力を得ないとできない、それには私どもにはこういう関係があるということについて、当時私のもらいました名刺にもありましたように第二議員会館大石武一一室、こういうふうに記載をされてありました。そのために私どもの方では松平の当時のそうした運動に必要なものに対しては要求される通りに出す、なお実績の割当をとるために協力してきたのでありますが、最終的に言いまして、当時の問題は何ら結を得ず、今で考えますと詐欺をされたというような結果に終っております。
  87. 坂本泰良

    坂本委員長 それではこれから各委員の御質問をお願いいたします。小川豊明君。
  88. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 兼子さんに伺いますが、あなたはさっき立川の万トンの砂糖輸入については私は知らなかったというようなお話でしたが、あなたはこの問題をどなたから聞いて、しかもあなたは長い間塩水港製糖におられて、砂糖について権威者であられて、その調査等を依頼されたことがあるはずですが、その点ちょっとお聞きしたいと思います。
  89. 兼子善一

    兼子参考人 先ほど久保田さんから申し述べたのと私とが順序が少しなにしたようですが、実は私は立川の問題については自民党の綱島正興先生から、私が二十数年間の砂糖の経験者であるというところから依頼を受けたのです。実は立川の問題があるが、長期にわたって在庫にもなっておる、日本政府としても何とかこれを早く解決するような立場にもあるというので、君砂糖の方は専門家だから一つ調査してみてくれぬか、こういう依頼が、私が千葉精糖の技術顧問として在職中に起きたのでございます。それで私も砂糖のことならばいささか自信を持っておりますから、それじゃ調査いたしましょうというのがこの立研の問題にタッチいたしました事情なんでございます。その当時綱島先生にこの問題について御報告を一応申し上げておいたのです。これは私のあくまでもこの問題に対する私案でございまして、いささか公表すべき性質のものでもございませんが、こうなりますと先生に御報告申し上げた内容を申し上げて、この問題に対する私の砂糖の経験者としての見解をいささか申し上げたいと思うわけです。これはあくまでも私が先生に御報告申し上げました私案でございますから、そのお含みの上にお聞き取り願いたいと思います。  それはこの立研の砂糖を私が依頼されたときにはもうすでに業者並びにメーカーの人は知っておられたのですが、私自身はまだ技術屋だもので、工場に引っ込んでおった関係上知らなかったのです。それで調査をちょっといたしたのです。それでこういう国際的な問題をいかに解決するか、しかも日本倉庫に入っておるということが当時の実情であったのです。それで実は当時通産省の農水課長をやっておられた日比野さんにもお伺いいたしましたり、また友人の業者の人にも聞いてみまして、あらゆる角度から研究した結果、私が得ましたこの原糖の処理案というものを御報告しておいたのです。まずこれのあいまいもことしておりますのは、先ほどもお聞きしておりましたけれども、輸入の方式というものが、一体この砂糖がどういうふうな方式で入ってきたのかということにまず私は疑念を持ったわけです。これは無為替で入っておるということも当時聞きました。それでこんなことはどういうものだか私には想像できませんでしたので、これは外割として許しにより無為替を取り消したらどうか、これが私の私案であったのであります。そしてこの場合には外割は原糖トン当り農林省で聞きましたら九十二ドル五十セントと言われましたから、九十二ドル五十セントでおやりになったらどうですかというのが、これが私の案の輸入方式なんであります。それから次に割当方式はどうしたらいいかということを考ますと、メーカー割当とする場合は第一番に日本精糖工業会と協議をする、それか立研の割当は当然白紙として、さらに新たに再割をする、それからここにまた日本精糖協会というものがありますから、日本精糖協会に対しては精糖工業会との協議に準拠する、こういうことに割当方式はしたらいいだろう。それから、もしこれを商社割にした場合、どうしたらいいかというと、ちょど三十年度の割当は完了しておるというお話しでありましたから、それならば明年度の割当と組み合とせて、特別割当方式を、明らかな理由においてメーカーを承認せしむることというのが、この原糖処理案の私の私案であったのであります。  そしてこの原糖処理の最もむずかしい点というのはどういう点にあったかというと、また調査いたしますと、立研原糖輸入に関してはメーカー割当を一時されたということは、私の調査した当時は周知のことであったのです。これが第一番目でありまして、第二番目は、輸入業者にも知れ渡っておる事実であったために、これが処理は最も公平なることというのが、私の原糖処理案の難点の第二番目であったのです。第二番目には、日本精糖工業会及び日本精糖協会の両協会と輸入業者がともに納得し得る処理案でなければ解決できないと考えるからして、政治的にも行政的にも無理をしないということが私の第三の条項であったのであります。そして最後に、行政指導の方式をどうするか、いわゆる日本精糖協会が承認し得るような数量と金額の処理方式を、行政官庁で立案したらどうですかというのが、この立研処理に対する私の調査報告であったのであります。ですから質問の要点からいささか離れるかもしれませんけれども、今日こういう問題が起きるということは——それで綱島先生には、こういう複雑怪奇な日本の糖業の状態であるならば、あなたは手をお引きになったらどうですかというのが私の意見だったのです。それでこの問題に関する限り、私はこれですぱっと手を引いてしまったのです。
  90. 坂本泰良

    坂本委員長 久保田参考人に私ちょっとお聞きしたいのですが、さっきの御発言の中に、最後的にはもう取れなかったから詐欺されたようなものだ、こういうお話があったですね。これに対して費用というか金というか、これはあわせて、大略でけっこうですが、どれくらい出ているのですか。
  91. 久保田顕三

    久保田参考人 私の記憶しているところでは現在残って、まだ未収になっているものが二百五十万、当時何度かに分けて約五百万くらいのものが流れておったように思っております。
  92. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 そうすると兼子さんの方は、綱島正興さんからこの立川の一万トンの砂糖が入っておるが、この処理はどうすることがいいか、政府でも困っておるからその方法があったら意見を出してくれ、こう言われて、あなたは今申し述べたような意見を出された、その結論としては、こういう複雑怪奇なものに手をつけておったのではいけないから、あなたも手を引くがよろしい、私もこの問題から手を引く、こういう御答弁なんですが、それでそれ以後あなたはこの問題からは完全に手を切られておるわけですか。それからもう一つ綱島正興先生もこの問題にはそれ以後は関知しておらなかった、このように想像してよろしゅうございますか。
  93. 兼子善一

    兼子参考人 私はそれ以来、今久保田参考人が虚しましたように、同じ会社におりましたから——今松平の問題が出ましたけれどもその後はそういう事情に移行したものと解釈しております。それから綱島先生は、私は報告を出しまして、それきり先生のところには出入りしませんから、その後の先生の御行動に関しましては、私はわかりませんです。     〔委員長退席、神近委員長代理着席〕
  94. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 そうするとあなたは、これはこんな形で行われいてもだめだ、見込みがないから、私も手を引くが、あなたも手を引くがよろしいと言って、以後綱島さんとはお目にかかっていないから、私は、この問題について綱島さんがあとはどうであったかわからない、こういうことですな。
  95. 兼子善一

    兼子参考人 はあ。
  96. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 それからもう一つあなたは千葉精糖に行かれてどういう仕事をし、たとえば何の課長であるとか何部長であるとか、何の顧問であるとか、そういう職名を持って仕事をしておられたのですか。
  97. 兼子善一

    兼子参考人 私は、最初から千葉精糖の顧問ということで入ったのであります。
  98. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 さてそこで久保田さんにお伺いしたいのですが、この二万トンの砂糖が入ってきて、今兼子さんもおっしゃられたように、この立川の砂糖というものは、これはあなたの方での質疑応答の中では、立川という問題は打ち切られてしまって、その後香港から入ってきている。ただその量は関連のある一万トンなんですが、その立川にまだ入ってないときに、入るということをいつごろ知ったか。それから同時に、その入ると言われる立川の砂糖というものは、業界ではその配分というのか、割当というのか、そういうものまでも受けておったというように、今までの皆さんの意見で聞いているのですが、あなたの方でそういうことを知っていましたか。立川に入る砂糖というものが、すでに入らない前にどの社は幾ら、どの社は幾らという配分が行われておったが、その記憶はありますか。
  99. 久保田顕三

    久保田参考人 その記憶はあります。当時私の記憶で、よく調べればわかりますが、三十何トンか内示を受けております。
  100. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 その内示というのは、食糧庁の食品課から内示を受けるわけですか。どこから受けるわけですか。
  101. 久保田顕三

    久保田参考人 食糧庁から受けております。
  102. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 それからさっきあなたが言ったように、今後実績主義で行くから、実績をふやしていかないことには割当が受けられなくなるので、この一万トンというものをめぐって中小企業に属する各精糖会社が非常に運動をした。あなたの方もその運動をなさったわけですが、あなたのところだけが運動したのじゃなくて、ほかの会社もそれぞれ運動しただろうと思われるのだが、あなたのところだけだと思われましたか、それともほかの会社も運動した、こういうふうに記憶していますか、どうでしょうか。
  103. 久保田顕三

    久保田参考人 これは入る前に、立川研究所の方にこういういきさつの砂糖が入るのだというようなことで、当時私どもが関係する前に、かなりその問題に対して運動したということも聞いておりますし、その後やはりこの砂糖をめぐって、これを何とか自分らの方に持っていきたいということで、運動したということは聞いております。
  104. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 ほかの業者も盛んに運動した。あなたの方でも当然運動しなければならないから、運動なすったわけですが、その運動をするために、あなたの方では手づるがないから、そこへたまたま岡部という人が——今のあなたの御答弁では石炭の仕事をしておる方だというが、この岡部という人が見えて、松平守弘という人を紹介されて、この運動が展開された、こういうふうな御答弁ですが、この松平守弘という人はどういう方であったか、あなたの知っている限りにおいて答えてくれませんか。私の聞いているのでは、松平頼寿という貴族院の議長か副議長かをなさった方の子供さんだとあなたの方へは言っていかれたという話だが、私はこの松平頼寿という方のおいごさんだというふうに聞いているのですが、その点はあなたの方では何と言っておられましたか。
  105. 久保田顕三

    久保田参考人 その当時はおいということで聞いております。
  106. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 その松平さんはどういう資格であなたの方へ行かれたか、資格というのは、肩書きですね。ちょっとこの名刺を見てくれませんか。松平守弘、衆議院第二議員会館衆議院議員大石武一一室という名刺になっているのですが、この名刺を持ってあなたの方へ行かれたのですか。
  107. 久保田顕三

    久保田参考人 松平はそうした砂糖輸入の問題をめぐっては非常に博学だ、こういうことで岡部氏が連れて参りまして、松平も当時はその砂糖のことについてはいろいろな商社を幾つもあげまして、その商社との関連もある、自分としてはこういうことに従事しているという言葉を聞いておりました。
  108. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 この松平さんと、台湾の人か香港の人かわかりませんが、周という人がある。あなたはこの周という人の名前を聞いたことはありますか。
  109. 久保田顕三

    久保田参考人 聞いたことがあります。これはどういうときに聞いたかと申しますと、立川研究所砂糖がなかなか処分ができないために、周が心配をして向うからかけつけてきた。それでこっちにいる間のホテルにいる滞在費、そういったものが非常にかかるのだ、それに対してこれと協力してくれなければ困るということで、当時その周という名前が何度か出されておりました。
  110. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 こういうことを聞いていましょうか。周という人が、日本に入った一万トンというのは倉庫にくぎづけされておって、これでは金利や倉敷が非常に高くて困るから、早くこれを解除するようにしなければならない、この解除の運動をすると同時に、解除したものをあなたやその他の業者に分けてやるのだ、こういうのが周と松平という人の運動というか、その根幹をなしたものだと聞いているが、あなたの方ではどういう話をされましたか。それと同じですか。
  111. 久保田顕三

    久保田参考人 当時の記憶から言いますと、松平がその当時は、この問題を解決することによって、協力したということで、今後私どもの方で分けてもらうことができるのだ、そういうことを聞いておりました。
  112. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 くぎづけされておるものが解除されれば、それにあなたが協力したということで、その一万トンは割当を受けられるから、これに対して協力しろ、こう言われた、こういうことですか。
  113. 久保田顕三

    久保田参考人 その通りでございます。
  114. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 そうすると、あなたの方でさっき御答弁になりました、五百万円ほどの金を松平に渡した、その五百万円ほどの金は松平を通じてこの周という人の手に渡ったのですか、どこへ行ったと思われますか。おれが必要だからといってとられたのか、どこどこにやらなければならないから持ってこいといって、あなたの方では持っていったのか、あるいは聞くと四回か五回に分けたと言うが、その記憶があればなおけっこうですが、これはどこへ持っていって使われたと思われますか。
  115. 久保田顕三

    久保田参考人 その当時の記憶から言いますと、二、三の代議士の方にそれをお渡しするのだ、そういうことを聞いております。
  116. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 その今言われた二、三の代議士というのは、あなたの方では金を渡すことだから、ある代議士ということで持ってこいと言われたのか、こういう人とこういう人にやらなければならないから持ってこいと言われたのか、この点金を渡すことだから、相当確かめておやりになるのではないかと思う。あなたの方にはそういう人の名前は言わなかったか、ただ二、三の代議士にやるから持ってこいと言われたのか、その名前も聞いておるならば、ここで発表していただきたい。
  117. 久保田顕三

    久保田参考人 松平から、当時これに対して運動している皆さんは大石武一先生、稻富先生、綱島先生、こういうふうに私は聞いております。
  118. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 それでこの金をあなたは何回くらいそこへ運ばれたのでしょうか。松平という人に渡されたでしょうか、どこで渡されたでしょうか。
  119. 久保田顕三

    久保田参考人 会社で三回くらい…。
  120. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 会社というのは、あなたの会社ですか。
  121. 久保田顕三

    久保田参考人 うちの会社は神田にありますが、その神田の会社で三回、なお岡部が代理として松平に届けたのが四度くらいあります。七、八回にわたってそれを渡しておりすます。
  122. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 あなたの会社で三回ぐらい、それから四回はちょっと私聞き落したのだが、持っていったんですか。
  123. 久保田顕三

    久保田参考人 これは順序が非常に違っておりますけれども、当時松平がその問題を処理するために国際観光ホテルに滞在しておるときに、岡部が松平のところに届けてなおその後にいろろいろな松平との会見のときに、そのことは松平は認めております。
  124. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 あなたもしくはあなたのところの社長その他の会社の方で、今あなたの方であげられた大石、稻冨、綱島、いろいろ国会の方々にあなたの会社の方ではどなたか会われたことがありますか。
  125. 久保田顕三

    久保田参考人 当時東京の出張所長である私どもの鈴木というのがおりまして、それがその後大石先生の政務次官室でお会いしております。
  126. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 今出てきたその鈴木さんという方、これはあなたの会社の方ですか。
  127. 久保田顕三

    久保田参考人 ええ、そうです。
  128. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 これはどこにおられますか。
  129. 久保田顕三

    久保田参考人 本日傍聴に来ております。
  130. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 ここに……。
  131. 久保田顕三

    久保田参考人 はい。
  132. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 この鈴木という方は鈴木何とおっしゃいますか。
  133. 久保田顕三

    久保田参考人 鈴木公直と申します。
  134. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 そうすると、その鈴木さんという方はお会いになったが、あなたはこのお三名の方にお会いになったことはございませんか。
  135. 久保田顕三

    久保田参考人 私は当時は東京の経理の責任者としておりましたので、そういう交渉の経過は、会社へ来てみなにも聞くし、なお松平とは私が一番最初に会っております。なおその後の経過については岡部、鈴木、小林という者が……。
  136. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 そうするとあなたは経理をやっておられたので、当然金の支出の方、調達の方をあなたはおやりになったと思うのです。従って五百万円程度の金があなたの会社から支出されるについてはやはり当然だれだれに何のためにどういう用で出されるということは、この鈴木さんとかその他の方から要請があってあなたの方で出すことになっただろう、会社でしたらならざるを得ないだろう。間違いありませんか。そうなっていますか、聞いていますか。
  137. 久保田顕三

    久保田参考人 それは当時の松平の言う言葉に従って私どもはそうした砂糖の実績をつけなくちゃならない、そのためにはこういう運動もしなきゃならないのだというのが常識づけられたように考えておりました。
  138. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 そこでその松平と、周という方の名前が出てくるのですが、この周という人はこの一万トンの砂糖をめぐってかなり大きな実力というか実権というふうなものを持って日本砂糖業界にも役所にも臨んでおったというふうに聞いていますが、あなたはやはりそういうふうにどなたからか聞いていますか。松平とか周のそういう力というものを聞いていますか。
  139. 久保田顕三

    久保田参考人 周の直接のそうした力というものは当時聞いておりませんでした。
  140. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 この松正平という人と周という人は、この問題では全く一緒になって行動したのではないか、こう思われるのです。あなたの方はそれだけの金を持っていく、そして松平の運動費と、それからさっきお聞きすると周が日本に滞在しているときの費用等も負担をしてやらなければならないから、これも出せと言われてあなたの方では出したとさっき御答弁になっているのですが、そうすると周という人がどういう人であるかということはあまり知らないで、ただ松平だけ信用して出した、こういうことになるのですか。
  141. 久保田顕三

    久保田参考人 松平のそのときの報告によりますと、周が荷主である、そういうことを聞いておりました。荷主であるからこそそうしたこともできるのだ、周とのそうした関係も、松平はいろいろな手づるをとってつけたのだということで、その当時何度も報告を受けておりました。
  142. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 さらにいま一点お聞きしますが、こういうことを聞いておりませんか。その一万トンの砂糖がくぎづけにされておるので、これではどうにもならぬから、これを早く正式な線に乗っけて処分できるようにしなければならない、その運動をしなければこの問題はどうにもならぬのだからというので、松平並びに周がその運動をやった、そしてその運動が、八カ月は過ぎたけれどもまあ成功したわけです。そこで日本の各精糖業者——であるか何であるか、僕は精糖業者であろうと思うが、それらの人が二千万もしくは三千万の金を局並びに松平に礼にとられた、こういう話を私は聞いておるが、あなたはそういうことを聞いたことはありませんか。
  143. 久保田顕三

    久保田参考人 御質問に対し前後しておりますが、最初から申し上げますと、この問題を一番最初に兼子が綱島先生から依頼を受けて調査をしました。それを当時私のところに松平が出入りしておりまして、それを自分が——兼子参考人の方から先ほども述べたように、自分がそれを横取りしたような格好になっております。それで、当時の松平の動きとしましては、その後綱島先生に松平は何度もお会いしておりますし、そういう事実も聞いております。松平のこれを処分する順序の報告からいきますと、第一回目には、まずこれは無国籍な砂糖である、どこの所在かわからない、この砂糖日本国籍にもってくることにすることが第一だ、それを完了したら、今度はそれをどういうふうに処分するか。今の御質問にありましたが、その当時に動いた金というのは、周が荷主であって、だれも引き取り手のない、どこの砂糖であるかというのがわからないような状態のときに、これを国内へ流し込むのに、それをこっちの日本の方で受けられるように松平が計らい、それを計らったために、周から松平並びに——私はその名前は詳しいことはわかりませんが、松平がその当時受け取った金が、三千万ほど受け取った、こういうことを聞いております。
  144. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 その日本へ持ち込まれた砂糖を正式に処理できるようにするための運動をしなければならないという、その運動がなされ、その運動が成功したために、三千万もの金が、謝礼というか、運動費というか、取られた。こういう金を出すとするならば、砂糖の業者でなければ出す人はないだろうと思うが、あなたの考えでは、これはやはり砂糖業者以外にこんなものを出すばかはないと思うが、あなたどう考えますか。
  145. 久保田顕三

    久保田参考人 その後この問題をやっているときに、私は八重洲口の国際観光ホテルで松平に会いました。当時はその国際観光ホテルの一室を松平が借りまして、商社を次々と呼んでおったように思います。
  146. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 松平は国際観光ホテルに陣取って、商社をそれぞれ呼んで、あなたはお聞きになっておったかどうかわからぬが、交渉をしておったのですね。  ところであなたの方で出た五百万というのは——さっきの御答弁だと総計五百万だが、まだ決済にならないのは二百万幾らというお話でしたが、これはどういうことなんですか。
  147. 久保田顕三

    久保田参考人 当時私は経理の責任者でありましたが、砂糖は一トンも来ない、その後の処分については、インポーターの方にそういう処分をしたということを松平から聞いているものですから、これについてはそういうばかな話はないじゃないか、それじゃ今までの分について一日も早く返済しろということで迫りまして、その後松平が何回かに分けて返してきております。なおあとの二百五十万についてはここ一年ぐらい決済されておりません。
  148. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 そうすると五百万のうち二百五十万については何回かに分けてあなたのところに返した、あとの二百五十万ほどがあなたのところに返ってきてない。従ってあなたの方は二百五十万もだまし取られたんだ、五百万のうち二百五十万ほど返ってきたから、結果的には二百五十万ほどだまし取られたということになるのですか。
  149. 久保田顕三

    久保田参考人 その通りです。
  150. 神近市子

    ○神近委員長代理 吉田君。
  151. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 久保田さんは千葉精糖の会計課長でございますね。
  152. 久保田顕三

    久保田参考人 東京の経理の責任者です。
  153. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうすると本社の経理の責任者ではないわけですか。
  154. 久保田顕三

    久保田参考人 本社も兼務しておりました。
  155. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そこで鈴江の北島さんにちょっと伺います。過日横浜税関でわれわれが調べましたときには、千葉精糖に、百十五トン、二百三十七トンが鈴江組倉庫から三十一年六月前後に引き取られておるようですが、そういう事実はあるのですか。
  156. 北島秀治郎

    北島参考人 お答えいたします。詳細なデータを持ってきておりませんがデリヴアリ・オーダーが出ますのは各インポーターあてに出ますので、実際に引き取られますのは各精糖会社が引き取りまして、書類の面では残っておりませんから、調べればわかりましょうが、現在は持っておりません。
  157. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 久保田さんに伺いますが、一万トンのドミニカ砂糖について、あなたの方が今申したような数字の砂糖を引き取った事実はありますか。
  158. 久保田顕三

    久保田参考人 立研の砂糖はキューバ糖であると記憶しておりますが…。
  159. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうするとこれはあるいは文書の説明の仕方が悪かったのかもしれませんが、東京食品が引き取ってあなたの方に渡しておる事実はあるのでしょうか。これは三十一年の九月二十六日になっておりますね。
  160. 久保田顕三

    久保田参考人 立川のこの砂糖に関しての割当もしくは内示といったものは、三十年の暮れに受けて、それがキャンセルになっておるように私は記憶しております。
  161. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 キューバ糖じゃなしにやはりドミニカ積み出しのアリストテレス号の積荷であった砂糖、こういうふうになっておりますが……。念のために聞いておくだけですが、わかりませんか。
  162. 久保田顕三

    久保田参考人 ドミニカ砂糖の内示、割当をして、受けたことは覚えております。
  163. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうすると、ドミニカ砂糖をあなたの方はやはり割当を受けたことになるのですか。
  164. 久保田顕三

    久保田参考人 それは私の方では立川研究所の当時の砂糖としては考えておりません。
  165. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうしますと、今松平守弘を通じて運動をなさった結果受けたという趣旨ではない、こういうことですか。
  166. 久保田顕三

    久保田参考人 その通りです。
  167. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 それではちょっと確かめておきますが、私は中座しておりますので、聞き落としたかもしれませんけれども、松平に五百万円ほど金を渡したというその年月日と場所と現金であったのかどうか、だれが立ち会っておったのかということ、これをもう一度はっきりしておいてもらいたいのです。
  168. 久保田顕三

    久保田参考人 三十年の十月から始まりまして三十一年の夏ごろまでに何回かに分けて渡しております。そのときに岡部というのが立ち会っております、なお日にちの点はよく調べてまた申し上げたいと思います。
  169. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 概数をただいま覚えておりますまいか。それから場所も…。
  170. 久保田顕三

    久保田参考人 あとでよく調べましてまた報告させていただきたいと思います。
  171. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 正確にはあとでまた聞くとしまし、何回ぐらいに渡しておるか、百万円ずつ渡したのか、だいぶ金額が大きいから、数十回ということでもないだろうと考えますが……。いかがです。
  172. 久保田顕三

    久保田参考人 百万円、五十万円、五十方円、二十万、三十万というふうに七、八回にわたって先ほど申し上げましたように渡しております。
  173. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 お渡しになった場所はどこでした。同一の場所ですか、もしくは違う場所でありましたか。
  174. 久保田顕三

    久保田参考人 松平の当時の仲介役として岡部がおりまして、その岡部が持っていったのと、私どもの方からぢかに持っていったのと、松平自身が持っていったのと……。国際観光ホテルで松平が自分で構えておりまして、当時その岡部にここへ持ってこいということで持って行ったことが何度かありました。
  175. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 つまりあなたが現金で渡したのか、小切手で渡したのか、直接本人に渡したのか、岡部に渡して岡部が松平に渡すと言うてあなたから受け取ったのか、そこらをちょっとはっきりしてもらいたい。
  176. 久保田顕三

    久保田参考人 岡部を仲介として持っていったのと、金額は少いですが、私のところからじかに持って行っしたのもあります。
  177. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 これは重大な人の名誉にも関することでありますので、落ちついて言っていただいたらいいのですが、あなたが直接渡したのならば、現金か小切手か、場所はどこで金額は幾らか、覚えておられるでしょうね。
  178. 久保田顕三

    久保田参考人 神田の会社で私渡したように覚えております。
  179. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 神田の会社なら神田の千葉精糖東京出張所であるのか、あるいは神田何町何一番地のどこであるのか、ちょっとその辺をきちんとわかるようにおっしゃってもらいたいのです。
  180. 久保田顕三

    久保田参考人 千代田区神田鍛冶町三ノ一ここに合同ビルというのがありまして、これが千葉精糖東京出張所になっております。私は当時はそこの三階におりました。そのときに渡しております。
  181. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 それは松平に直接ですね。
  182. 久保田顕三

    久保田参考人 はい。金額は私は二十万らいだと思っております。なお、この問題に対して出しておる金は全部現金で出しております。
  183. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうしたら、今の百万とか五十万円とかいうのは、あなたが直接松平へ渡した分に当らないのですか、その点どうですか。
  184. 久保田顕三

    久保田参考人 岡部というのを通じまして松平が受け取ってでおります。なお後にそうしたいきさつについて、いろいろと松平と言い合ったのですが、そのときに松平はそれを全部認めております。
  185. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうしますと、岡部を通じて松平に手渡した。すべて現金である。それをあなたはそこで現場を見ておらぬけれども、後日松平に請求したり、その他言い合って、受け取ったことは松平は確認した、こういうことですね。
  186. 久保田顕三

    久保田参考人 その通りでございます。
  187. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 それからその金の趣旨につきまして、私が運動するのだから、私にほしいという意味であるのか、あるいは国会議員その他の方へ運動してもらうのだから、それに渡さなければならぬという趣旨なのか、その点についても、もうちょっとはっきりできませんか、あなたもせっかく出したのだから。
  188. 久保田顕三

    久保田参考人 当時の松平の言うことによりますと、台湾から来ている周に、そうしたホテルの滞在費というものに使うというのと、なおこれを解決するためにいろいろとお世話になる先生方に上げるというのと、こういうふうに聞いております。なおそのことは先ほど申し上げたと思います。
  189. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうしますと、周の滞在費と、解決にお世話になる先生方に渡す、こういう趣旨で千葉精糖は渡した。ところが号の結果は、あなたの方では割当を受けておらぬで、別のキューバー糖かを東京食品から受けたことはあるけれども、それは関係ない。さっきそうお述べになっておりましたね。だから、これは金を渡した、その結果砂糖の割当を受け、引き取りをしたというわけではない、こういうことになるわけですね。
  190. 久保田顕三

    久保田参考人 その通りでございます。
  191. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 それで二百五十万円ほどは交渉して返してもらったと今言っておりましたね。結局二百五十万円ほどが残額がある。その二百五十万円というのは、松平自身が自分で出金することになったのか、それとも周の滞在費に渡したのだから、周に返してもらう、先生方に渡す金だから、先生方に返してもらう、こういうことからあなたの方は受け取ったのか、そこの辺はどういうことになりますか。
  192. 久保田顕三

    久保田参考人 私の方では、そういう人たちには直接関係しておりませんので、松平からその返済要求をいたしました。
  193. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 つまり私の伺いたい点は、松平が実はまだ周からもらわなければならぬ、先生方から返してもらわなければならぬとかなんとか、そういうようなことは、あなたは聞いておりませんか。
  194. 久保田顕三

    久保田参考人 これはこの問題が解決してから後において、私どもの方でそういう要求をしたのでありまして、その当時、こういうふうにもう解決しているじゃないか、私の方ではそれを協力して、商割になって解決した、それだけのものは必ずくるということを言っておりましたが、それは一トンも来ませんし、なおそのときには、岡部を通じて、私どもの方へいろいろと聞いておりましたのですが、当時は周からは三千万円の金を松平がもらったという事実をはっきり聞いております。
  195. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 松平が周から三千万円の金をもらったと、こういうのですか。
  196. 久保田顕三

    久保田参考人 その通りであります。
  197. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 それはいつごろもらったらしいのですか。
  198. 久保田顕三

    久保田参考人 三十一年の十月か十一月ごろじゃないかと私は記憶しております。
  199. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 三十一年の十二月に、周が東京駒込のホテル第一とか第一東京とかいうホテルで死んだということが伝わっておるのですが、そういうことをあなたは何か聞いたことはありませんか。
  200. 久保田顕三

    久保田参考人 私はそのことについてはこの間、二、三日前ですが、うちの当時の東京出張所長であった鈴木から、そうした死亡ということは聞いておりませんが、周は死んだんだそうだということを私は聞きました。
  201. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 周から松平が三千万円受け取ったという三十一年の十一月ごろ、翌月間もなく東京自殺とか他殺とか、そういうようなことをあなたは何か聞き及んでおりませんですか。
  202. 久保田顕三

    久保田参考人 それは聞いておりません。二、三日前にその周の死んだということを聞いたのであります。
  203. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 議事進行につきまして、この際暫時休憩していただきたい。
  204. 山本猛夫

    山本(猛)委員 関連して、あなたにちょっと伺いますが、さいぜんから伺っておりますと、松平某のためにあなたが御苦労なすったというふうに伺うのでございますけれども、そのあなたのお答えの中に代議士の名前が出て参ります。たとえば大石武一君、綱島正興君、稲富君というふうに出て参りますが、これらは何でございますか、この三代議士にあなたはお会いになったことがございますか。
  205. 久保田顕三

    久保田参考人 私は会ったことはありません。
  206. 山本猛夫

    山本(猛)委員 そうしますと、従ってこの金が大石武一、綱島正興、稲富代議士、この三人の政治家に手渡されているか手渡されていないかということも確認がおできになりますか、なりませんか。
  207. 久保田顕三

    久保田参考人 それは当時松平からその様子をいろいろと聞いたのでありまして、松平がよくこれを知っておると思います。
  208. 山本猛夫

    山本(猛)委員 御承知の通り、代議士は国民代表であり、従ってあなたのおあげになりました各代議士の名誉信望に関する重大な案件でございます。ことにその当時、大石武一君は農林政務次官であったかとも思います。あるいは綱島正興君は農林水産委員長であったかとも思います。稲富代議士はまた農林委員であったかもしれない。こういうふうに考えますると、職責上からいっても重大な問題でございまして、それはあくまであなたの発言というものは重要な関連性を持つのでございます。でございますから、あなたのお考えで、松平から、あなたの言われたように、果してあなたがおあげになりました代議士たちにその金が渡っているとお思いになりますか、お思いになりませんか。
  209. 久保田顕三

    久保田参考人 実際のそうしたこまかいことについては、それを私どもがじかに渡したことではないし、見ておりませんので、なおうちの会社の者は大石先生に当時の農林政務次官室でお会いしております。
  210. 山本猛夫

    山本(猛)委員 あなたの会社のどなたであって、あなたの会社のどういう職責におありになる方ですか。
  211. 久保田顕三

    久保田参考人 東京出張所長鈴木公直でございます。
  212. 山本猛夫

    山本(猛)委員 当時農林水産委員長であったかと思いますが、綱島正興代議士に対してはいかがでございますか。
  213. 久保田顕三

    久保田参考人 綱島先生に対しては、先ほど兼子参考人が綱島先生との最初のいきさつを申し上げたのでございますが、その後に松平がおれにこの仕事をまかせろ、あなたは工場の方を管理しろ、こういうことで兼子からその仕事を奪ったのじゃないかというふうに私は考えております。
  214. 山本猛夫

    山本(猛)委員 それでは兼子参考人に伺いますが、あなたが綱島代議士にお会いになりましたときには、綱島君は農林水産委員長でございましたか、それともその職から離れておりましたか。それからもう一つ時期は。
  215. 兼子善一

    兼子参考人 私は技術屋なものですから、数字はよく覚えておりますが、日をよく忘れるのです。いつか日はわからないのですが、この問題が起きたとき、そのときの先生は、名刺をいただいたんですが、衆議院農林水産常任委員、自民党政策審議会審議委員、こう書いてあります。
  216. 山本猛夫

    山本(猛)委員 だれの名刺ですか。
  217. 兼子善一

    兼子参考人 綱島先生のです。
  218. 山本猛夫

    山本(猛)委員 明確な日にちはよろしゅうございますが、大体何年の何月ころか御記憶はございませんか、去年とかおととしとか。
  219. 兼子善一

    兼子参考人 古いですから私はっきりわからぬのですが、冬服を着ておったのじやなかろうかと思うのです。三十一年の十月くらいですかな、どうもその点はっきりしません。
  220. 山本猛夫

    山本(猛)委員 三十一年の十二月二十五日には周がなくなっております。この問題が始まりましたのは二十九年の十一月ころでございますから、冬服を着ておったという御記憶でございましたら、そのころか、あるいは三十年の冬か。
  221. 兼子善一

    兼子参考人 そうすると二十年かもしれません。何しろ私がこの調査を依頼されたときはもう知らない者がないくらい、知らないのはこっちくらいでした。だから三十年の、冬服だから十月か十一月くらいだろうと思います。
  222. 山本猛夫

    山本(猛)委員 兼子参考人でも久保田参考人でもけっこうでございますが、松平のほかに藤岡という人物にお会いになったことがありますか。
  223. 久保田顕三

    久保田参考人 私は会ったことがありません。
  224. 山本猛夫

    山本(猛)委員 それではおそれ入りますが、兼子参考人に、初めて綱島代議士にお会いになった時期を思い出していただけますようにお願いいたします。
  225. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 兼子参考人お尋ねいたしますが、砂糖というのは倉庫に長く置くと悪くなるのじゃないかと思うのですが、品質とかそういうものは変化はないのですか、どういうものですか。
  226. 兼子善一

    兼子参考人 これは非常にむずかしい問題であって、日本にくる粗糖の結晶の表面にまだ多分の糖みつが残っているのであります。  それでこれは長く置きますとこの糖みつの中の菌が醗酵しまして腐敗してきます。もっともこれはそのときの倉庫の内容ですね、コンクリートとかあるいは木造とか倉庫の内容にもよりますし、また太陽の当る日照時、外気の影響にもよりまして、一様に何カ月置けばどうなるかという全面的なことは申し上げられませんが、大体において品質はある時期がくれば加速度に悪るくなってくる。
  227. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 それから久保田参考人に伺いますが、一万トンの割当について松平という人が非常に実権を持っておったというか、方々に対して働きかけていたのですが、その当時砂糖輸出入協議会というものがあった、今でもあるはずです。この砂糖輸出入協議会と松平が一万トン——これは無為替で入ってきた、あなたがさっき言った無国籍的なものなのです。それを正当化しようとする運動がなされたときに、この砂糖の輸出入協議会の代表幹事が置かれておって、その人が絶えず交渉していたはずです。その当時の砂糖輸出入協議会の代表幹事とでもいいますか、当時の当番幹事はどこの会社であったか御存じありませんか。
  228. 久保田顕三

    久保田参考人 私の聞いておる範囲では、その当時は第一物産と記憶しております。
  229. 山田長司

    ○山田委員 久保田参考人に伺いたいのですが、先ほど大石、稲富、綱島、三氏の議員の名前が出ましたが、稲富君の場合は詳しく御説明がなかったのですけれども、稲富君はどういうときにお会いになったのですか。
  230. 久保田顕三

    久保田参考人 先ほど申し上げましたように、私じかに稲富先生とお会いしておりません。当時松平の口からこれに大へんお世話になったということを何度も聞いております。
  231. 山田長司

    ○山田委員 もう一つ伺いますが、実需者割当について、あなたの方だけじゃなくて、全部の業者が競争をしているように思いますが、何かこれに心当りがあったらこのことについて御説明願いたい。
  232. 久保田顕三

    久保田参考人 一番最初私が申し上げましたように、われわれは実績を本位として、どうしても溶糖実績をつけなければ政府からの割り当てられる砂糖というものはふえない。だからして、この実績を作るためには、精糖工業会以外の業者がみんなそれに運動しております。
  233. 山田長司

    ○山田委員 鈴江倉庫の方に伺いたいのですが、今度の場合、ちょっと法規上例外的な、異例の処置として砂糖が長くあなたの倉庫にあったわけですが、この間あなたの方としては、今までこういう例がなかったと思われるのに、こういう長く倉庫に保管しておく期間があったわけで、これについて何か不思議じゃないかとか、これについての倉敷料の問題とか、そういうことについての疑義その他は全然お持ちにならなかったのですか。
  234. 北島秀治郎

    北島参考人 元来輸入する品物につきまして、BLなりLCなりが正規通りにつく場合とつかない場合など、さらにまたBLが実際つかないで船積みされて、それが輸入港に入ってきてどういう処分になるかはっきりしない場合、貿易形態はいろいろございます。この砂糖の場合には、入りましたときにライセンスその他が間に合うという想定のもとにお受けした品物でしたが、これが間に合わないために、保税貨物として保税蔵置されたわけでありますから、これが十一月十八日から十一月、十二月と日を経るに従って、これのライセンスが下りるのかという疑義は倉庫としては持ちました。そのためにこれが何カ月か経過いたしますと収用される懸念もございますし、また倉庫業者といたしましては、保管料収入にさしつかえて、保管料の実際の支払いがなされないという懸念も起きますので、本件につきましては立研のライセンスの問題がからんでいるということはあらかじめ承知しております。それを承知しましたのはだいぶあとでございますが、先ほども申し上げました通り、保管料につきましてはお約束通りの金額が入金しております。
  235. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 今の松平の口から、稲冨に世話になったと聞いたのはいつごろですか。
  236. 久保田顕三

    久保田参考人 三十一年の五、六月ごろと記憶しております。     —————————————
  237. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そこでこの機会に、千葉精糖東京出張所長鈴木公直、この人がいろいろと重要な関係があるようでありますので、自民党委員の御同意も得ておりますから、一つ参考人としてきょう御喚問を願いたい、こういう動議を出します。
  238. 神近市子

    ○神近委員長代理 ちょっと速記をやめて。     〔速記中止
  239. 神近市子

    ○神近委員長代理 では速記を始めて。  この際本件につきまして、さらに実情調査するために、千葉精糖株式会社東京出張所長鈴木公直君を参考人として出頭を願いたいと存じますが、これに御異議ございませんか。
  240. 神近市子

    ○神近委員長代理 御異議なしと認め、御承認を願ったものと決します。  それではこの際、暫時休憩いたします。午後一時半から再開いたしますが、参考人の方は御苦労様ですが、全部お残りを願いたいと思います。     午後零時四十五分休憩      ————◇—————     午後二時四十分開議
  241. 坂本泰良

    坂本委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  それでは午前中に引き続き参考人より事情を聴取することといたします。吉田賢一君。
  242. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 兼子参考人に伺います。あなたは時間をお急ぎのようでありますので、できるだけ簡潔に伺いまして帰っていただきます。  午前中の小川委員質問に対しまして、綱島代議士から、何か横浜にある一万トンの砂糖対策と申しまするか、この問題につきまして、いろいろ御相談を受けなすったようでありますが、第一あなたは綱島さんとの関係はどういう関係になりますか。
  243. 兼子善一

    兼子参考人 これは綱島先生が、前に会長をしておられる会社に、私の友人がおったのでありまして、そうしてそれからの話で綱島先生にお会いするようになったわけです。そういう関係でございます。
  244. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうすると久しく御懇意の間柄ですか。特にあなたをさしていろいろと御依頼になるというような御関係にあるわけですか。
  245. 兼子善一

    兼子参考人 私が長い間、二十数年間砂糖関係しておったという点から、たまたまこういう話し合いが起きたのであります。依頼を受けたのであります。
  246. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 あなたは二十数年砂糖をいらっておられたというのだが、どういう地位で、どんな範囲のお仕事をおやりになっておったのですか。
  247. 兼子善一

    兼子参考人 私は塩水港製糖に大正十三年の暮れから入社いたしまして、それ以来終戦に至るまで内地、台湾に勤務いたしまして、戦争中はビルマの塩水港の事業部長として約五カ年間現地に行って参りました。そういう関係で、職責としては、最後は塩水港ではビルマの事業部長というのが私の砂糖における最終の職責でありました。
  248. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 あなたはそうすると、内外の砂糖につきましては、業者もしくは会社担当者として長い経験を持っておられたのだが、そこで午前の質問に対してのお答えに、綱島代議士に手を引きなさいというようなお勧めをなさったのですね。これに関与しなさんなというようことをおっしゃっておられましたが、私どもといたしましては、綱島君も長い間常任委員会の農林水産委員長をお勤めになった方だし、農林問題、砂糖問題にかなり精通しておられる方と思いますが、そういう権威のある方が親しいあなたに御依頼になって意見を徴し、あなたは綱島さんに手を引けというようにお答えになった。手を引くことが適当であるという御判断は一体どこからくるのであろうか。それほど複雑怪奇な何か事情でもあるからということであるのか。ならばあなたは一万トンの砂糖についての性格というか、そういうものをめぐりまして、どういう御判断に到達したのか。私は綱島さんに手を引きなさいとお勧めになったあなたの心境はどこにあったかということは、やはり大事な問題だと思いますから、伺ってみたいと思います。
  249. 兼子善一

    兼子参考人 実は綱島先生が、この問題に興味と申しましょうか、どういう点から先生がこういうことをお考えになったかということは、当初私が先生にお会いしましたときには何かよく明瞭にはわかりませんが、関仁甫という有名な支那の方がおられる、もし間違っておりましたら綱島先生からお聞き取り願いたいと思います。それでこの砂糖が長い間宙に浮いている。これは国際的にいっても何とか解決してあげなければならぬ問題だということを、政治家としてお考えになったろうと私は判断しておる。それで先生、そういうわけならば、早く処理できるものならば、何とかいい案があれば処理されるのもけっこうでしょうというお答えを申し上げたのであります。しかるに調査の結果は、この砂糖というものがまことに異例の分に属するという判断が私の頭にひらめいたのでございます。調査すればするほどなかなかむずかしい。これは砂糖に長年関係しておる者ならばすぐ判断がつくだろうと思うのです。これはまことに異例の問題に属するものであるから、言葉は悪いかもしれませんが、一政治家、一行政官、これらの二、三の人によって業者と話し合いをして簡単に片づけるということは、この問題に関する限り非常にむずかしい問題である、こう私は判断いたしました。それで一政治家、一行政官が明確なる判断を下して、あらゆる角度から見ても非難攻撃を受けないという成案を得るならば、これはまことにけっこうなことである、こう私は判断した。しかし一政治家が何らかの働きによって解決するということはまことに至難な問題である。さればこんな問題に対して、私どもからいえば非常にむずかしい問題に対して、先生が一政治家として深入りされることは、先生の国際的な観点から、日本政府としても何とか解決しなければならぬという先生のいわば崇高な国際的な考えから椎されると、これは一政治家が出てきて、うまくこれを処理するということは至難であると判断したものですから、お志はまことにけっこうであるけれども、問題そのものがまことに異例であって、これは一政治家の解決する問題ではない、こう私は僣越ながら判断した。それで先生には、こういうことは五人、六人の政治家の方が集まられてもむずかしいでしょう。ですから先生の国際的な視野からいって、また日中の関係からいっても、御趣旨はまことにけっこうだが、私の判断する限りは、これはとてもむずかしいからおやめになったらどうでしょうか、こういうことなのです。
  250. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 最初におっしゃった関仁甫ですが、関仁甫といったらこれはどういう人ですか。新しい名前が出てきましたが……。
  251. 兼子善一

    兼子参考人 これは私も聞いただけで、見たことも何もないのです。これはりっぱな人格者なんだそうです。
  252. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 これは台湾政府の重要な役人というふうにはお聞きになっておりませんか。
  253. 兼子善一

    兼子参考人 台湾関係とは当時私は聞きませんでした。
  254. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 異例に属するとは一体どういう意味ですか。この問題は一万トンの砂糖横浜に滞貨というか、仮陸揚げしてある問題、異例に属するのでというような前提がついておりましたが、どういうことを意味しておられるのですか。
  255. 兼子善一

    兼子参考人 それは無為替ということです。
  256. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうしますと、砂糖丁は無為替輸入するということは異例に属する——あなたは二十数年ですか、長い間砂糖界に従事しておられて、こういう例はかって見なかった、こういうことになるのですか、しばしばあるのですか。
  257. 兼子善一

    兼子参考人 これは私は的確な材料は何もありませんが、巷間聞き及ぶところによりますと、かつて宗教団体とかそういうところで一応利用されたんじゃないかと、これは証拠はありません。しかしそういうことも聞き及んでおりましたから、あるいはそういうものを日本に持ってきて慈善事業やその他に使うんじゃないか、初めは私はそんなふうにも考えておりました。
  258. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 あなたはむずかしい問題だから五人や六人の代議士がいろいろと御介入になってもなかなか解決しにくい問題だということをおっしゃっておられますが、われわれが考えれば何もむずかしいことがないように思うのです。軌道に乗せて割当をする、あるいは引き取らす、国内の需要に充てるということに軌道に乗せていけば何でもないことのようにも思うのですが、どういうわけでむずかしいのですか。
  259. 兼子善一

    兼子参考人 それは政治家の方からお考えになればどうにでもできるようにお考えになるかもしれませんが、私は少くとも砂糖の配給なり何なりというものの機構は、皆さんが衆知を組合されてでき上った機構だと考えておったのであります。これは政治家という面から離れた私どもの考えであります。ですから、これは正規の農林通産の組織を活用して、正々堂々とやるべきものであるということは、われわれは一個の業者とすればそう考えるわけです。こういうことは国の組織がすでにでき上っているものに対して、今度は一、二の政治家が関与するということはよほどの何らかの理由がなければ、これはむずかしいんじゃないかというのが政治家でない私の政治的判断であったのです。
  260. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 私の伺いますのは、軌道に乗せて公正に処理すれば別にむずかしいことはないように思うので、それをまたむずかしい問題だから関与なさるなというのがちょっとわかりかねる、こういうふうに思うので聞いたのであります。それはどうです。
  261. 兼子善一

    兼子参考人 私はこれで大体尽きていると思いますが、それは御研究になればはっきりします。これはなぜかというと、日本砂糖の配給というものがどういうふうになってきたか、戦前はどうであったか、戦後はどうであったかという変遷をよく御研究になれば、これは私の判断に近い判断がお出になるんじゃないかと思うのです。
  262. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 結局綱島先生はどう言ったのですか。
  263. 兼子善一

    兼子参考人 それで綱島先生は、よくわかった、それならそれでいいだろう、こういうふうにおっしゃいました。
  264. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 兼子参考人につきましては、私はこの程度でよろしゅうございます。
  265. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 立川研究所がこの砂糖を受け取ることを拒絶しておりますが、立川研究所が受け取っておればこんなことにならなかっただろうと思う。立川研究所が受け取ることを断わったので、こういうふうに混乱したと理解しておりますが、それで立川研究所が断わる理由として、台湾から砂糖をとって、何か登録の実施権を百万ドルで売るということが目的であったようです。それを立川研究所が断わったというのだから、それは台湾砂糖でないから断わったのか、あるいはドミニカ砂糖だから悪いというのか。その点がわれわれにはわからないんですが、あなたの観点では断わった理由はどう思われますか。
  266. 兼子善一

    兼子参考人 私は立川研究所とその砂糖輸入に関しては全然わからないのでございます。と申しますことは、日本に来てからの話でございますから、その前のいきさつは私には全然わかりません。
  267. 坂本泰良

    坂本委員長 それでは兼子参考人は退席されてけっこうです。長時間当委員会調査に御協力いただきましてまことにありがとうございました。
  268. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 さっき久保田参考人は綱島代議士に対して手を引きなさいといって勧めた理由として、この砂糖が無国籍の砂糖だということですが、無国籍の砂糖だということはどういう意味なんですか、もっと詳しく御説明願いたいと思います。
  269. 久保田顕三

    久保田参考人 言葉は的確な言葉でなかったかわかりませんが、当時無為替ということも皆さん周知の上だし、なおこれは周という台湾の人が持ち主であって、それが日本の国内では受け入れ態勢ができていないということの上から申し上げたのであります。
  270. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 周という人が一万トンという大量の砂糖をほとんど見込みなしに持ってきたわけはないんですが、立川研究所とこの周という人との間には何らの関係もなかったんですか。
  271. 久保田顕三

    久保田参考人 それまでの事情については、私の方で私自身が調べておりませんので、詳しい御説明はできかねると思います。
  272. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 それでは久保田参考人には、この一万トンの砂糖日本へ入ってきて国内でこれを受け取る態勢ができてないので困っているという点からタッチされただけなんですか、その前の事情はお知りにならないんですか。
  273. 久保田顕三

    久保田参考人 先ほども兼子参考人が申し上げましたのと同じで、なお松平よりそうしたいきさつについて聞いている程度でございまして、それがどういう理由でこっちに来たか、特許権の問題とかそういうことを聞いている範囲で、なお詳しいことについては存じておりません。
  274. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 松平という人から聞いた範囲でよろしいのですが、どうして周さんが日本砂糖を持ってきて引取人がなくて困ったかという事情をお知りの範囲で御説明願いたいと思います。
  275. 久保田顕三

    久保田参考人 詳しいことはちょっとわかりかねますけれども、立川研究所と向うのインポーターとの間のバーターというような形式で入ってきているというようなことを聞いておったのですけれども、それまでのことしかわかりません。
  276. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 一体あなたが五百万円もの金を渡しておる松平という人は、生業は何なんですか、どういう商売をしてどういう性質の人なんですか。
  277. 久保田顕三

    久保田参考人 当時は、先ほども申し上げましたように、大石先生の一室にある事務所という名刺をもらいまして、その以前のその人の行跡というものは石炭を扱っておったように聞いております。
  278. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 大石さんの一室の中に事務所を持っておる、どういう機関なんですか、何という事務所なんですか。
  279. 久保田顕三

    久保田参考人 松平守弘、職責は何も書いてありませんが、衆議院第二議員会館、衆議院議員大石武一一室と、こういうふうになっております。
  280. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 あなたがお会いになったときは、その事務所はどういう仕事をする事務所かという話し合いはなかったか。
  281. 久保田顕三

    久保田参考人 非常に親しい間柄のために、そこへ出入りをしているということを私は聞いておりました。
  282. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 大石さんとの間柄の親しいことはわかったとしても、松平という人物がふだんどういう仕事をしているのか、見当はつきませんでしたか。いわゆる生業と申しましょうか、ブローカーでも何でも、とにかく生活のために何らかの仕事を持っておったか、この点はお聞きになりませんでしたか。
  283. 久保田顕三

    久保田参考人 その点については、私どもの判断では、別にこれといった生業を持っておられるような人に見受けず、一つ変った、われわれと離れた貴族的な感じを当時は受けておりました。
  284. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 松平さんがあなたに金を要求して五百万円持っていったときは、やはり砂糖の配給を受けてやるといったような、反対給付みたいな条件はついておったのですか、ただ無条件に運動するから金を出してくれと、こういったわけなんですか、その点はどうなんですか。
  285. 久保田顕三

    久保田参考人 先ほどから何度も申し上げておりますが、われわれ中小企業のメーカーは実績というものがありまして、それを今後ふやしていかなければならないのだ、それについてはそういう砂糖行政に明るいこういう人たちに世話になって、いろいろと詳しい事情を聞く、なおそれによって勉強すること、が何よりじゃないかというので、うちに出入りしおりました岡部という石炭業者がありまして、それの紹介で私のところに出入りするようになったのです。
  286. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 そこまではわかりますけれども、それじゃあなたの出された金は、このドミニカ砂糖の配給はなくとも、あなたの方から返してくれという請求ができないような筋合いになるのですか。結局この五百万円の金を出すと、この砂糖の配給を受けられるからという約束で、その約束が果されなかったのであなたの方で請求して、この五百万円を返してくれと言っているらしくわれわれには考えられるのですが、そうじゃないのですか。
  287. 久保田顕三

    久保田参考人 先ほどの言葉が足りませんでしたが、私の方ではそれを処理することによって、そのために要るんだ、それを処理することによって功労という意味において各社からのそうした要求もでき、なお逆に今度は向うから協力してくるようになる、そういう今考えますれば、結局巧みな言葉を受けておりました。
  288. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 この松平という人物に限らず、以前から砂糖の配給を受ける場合には、そういうふうな要求はございましたか、その前の砂糖の配給は、ほとんどそういう条件なしに受けておりましたか、その点はどうなっておりましたか、慣例になっておりますか。
  289. 久保田顕三

    久保田参考人 私どもは、そうした実績をつけるためにそうした運動をしなければならないということは、あまりそれまで知らなかったのです。ただ実需者に割り当てられるわれわれメーカー割当以外の砂糖、そういうものがある、そういうものを獲得して溶糖することが実績になるのだということは、松平が出入りするようになってからそうしたことが明らかにわかってきたわけであります。
  290. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 さっき兼子参考人から聞きまして、あまり満足に答えられなかったのですが、この松、平さんは立川研究所が引き取りを拒絶したために、その砂糖の処理に困っているというような話はされましたか、どうですか。
  291. 久保田顕三

    久保田参考人 そういうことを聞いております。
  292. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 聞いていると言ったんですね。——それではどういう理由立川研究所がこの砂糖の引き取りを拒絶したのか、その理由までお聞きになりませんでしたか。
  293. 久保田顕三

    久保田参考人 そのときにはいろいろに話が食い違ってきておりまして、先ほど私が申し上げた点までが、私が今記憶している範囲でございます。
  294. 神近市子

    ○神近委員 兼子参考人が、さっき劈頭に、今度の取引は詐欺にかかったようなものだという述懐をなさったようなことを記憶しておいでになるでしょう。結局あなたの方は今までこういう政治的工作にはおなれにならなくて、何とかして実績をふやしていかなくちゃならぬということを考えていられたときに、うまくひっかかって、そして五百万円、そのうち二百五十万円は返ってきたけれども、とられて、さんざんほんろうされて、一トンの割当ももらわなかったということになるのですね。それは事実ですね。
  295. 久保田顕三

    久保田参考人 その通りでございます。
  296. 神近市子

    ○神近委員 それと同時に、何度も金を届けにいったりあるいは人を介したりして観光ホテルに出入なさった、そのときに松平という人がいろんな人を呼び集めて、そしてこの砂糖の割当の交渉していたということをおっしゃったようですが、それはその実需君たちなのかあるいはインポーターの方なのか、どっちだったと考えられますか。
  297. 久保田顕三

    久保田参考人 私が当時その観光ホテルに行きましたときには、松平のそのときの言葉が、ちょうどそのときに来客がありまして、あそこのロビーに待っている人はインポーターの人であるということを聞いたのを私覚えております。
  298. 神近市子

    ○神近委員 あなたの方は今までインポーターを、どこを通じて輸入していらっしゃいましたか。
  299. 久保田顕三

    久保田参考人 一番最初は第一物産、その次は岩井産業、その次は東京食品、この三社でございます。
  300. 神近市子

    ○神近委員 結局あなたが利用していらっしゃるインポーターのところに、あなたの今までの実績が少かったというわけですね。
  301. 久保田顕三

    久保田参考人 インポーターの方に対しては、私どもで割当を受けた砂糖輸入依頼をして、そうしてそれによってインボーダーは今度輸入に対する実績として砂糖の割当を受けております。その輸入の大小によって配分をされて、そうした商社割当なんかもくることがあります。
  302. 神近市子

    ○神近委員 そうすれば、そのとき運動していた輸入業者というものは自分たちの割当でなくて実需者がもらった割当、そこはどうなると考えますか。実需者が指定された割当をインポーターが使おうと思ってそこへ固まってきていたのか、それとも自分たちの指定業者のために運動をしていたのか、自分たちのために運動していたのか、どっちなんでしょう。
  303. 久保田顕三

    久保田参考人 インポーターに対しての運動だ、そういうふうに私は考えます。
  304. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 鈴木参考人お尋ねしますが、あなたここに午前中傍聴に来ておられて、私が久保田さんにお尋ねしていることをお聞きになっておったと思いますから、大よそおわかりになっていると思います。そこであなたに二、三点お尋ねしたいと思うのでありますが、あなたは今問題になっている周という人には会ったことありますか。
  305. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 周は会ったことございません。松平氏が運動しておるときに、岡部氏を通じて、この相手人は周であるということを聞いて承知しております。
  306. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 あなたは会ってない、岡部という人が会っているわけですが、これは久保田さんでも鈴木さんでもどちらでもいいですが、さっき松平という人に頼んで、大石先生外二人等に割当を受けられるように頼んだというわけなんです。また頼むためには、松平に五百万円からの金を数回に渡って出したといいます。そこであなたの方では松平と何回か会っているわけですが、あなた方のその割当をもらいたいという要望というものは、松平という人から、午前中久保田さんが言った三人の方には伝わっていないと思いましたか、伝わっているようなお話を聞きましたか。
  307. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 伝わっているように聞いております。
  308. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 久保田さん、あなた方が松平に、割当をぜひもらいたいと言ったら、松平の方ではこれらの先生に頼まなければならぬと言われた、それで金を出したわけですが、あなたの方として、松と平がこれらを先生に伝えたということがだれかを通して報告されていますか。またそういうふうに感じていましたか。
  309. 久保田顕三

    久保田参考人 当時松平の秘書格になって岡部という人が動いておりまして、なお松平さんも岡部さんも、そういう諸先生方にお世話になっている——事実渡したのは岡部、松平に渡したのですけれども、この先生方の方にそれがどういうふうに渡っているか、なおわれわれの趣旨が通じているということは、われわれの今まで受けた感じから、これはそういうふうに伝えられているのじゃないかというように考えております。
  310. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 そこで、あなた方の出した五百万円というものは一つも成功しなかった、成功しなかったから、あなたの方では、あと松平に交渉してそれを取り返して、二百五十万引っかけられたけれども二百五十万は取り返している、そういう取り返した交渉の中で五百万というあなたの方で渡した金は、向うで受け取ったということは認めているわけですね。それをよそへ出したならば、その五百万円はここへもやった、ここへもやったからと言って、返ってこないはずですが、本人はよそへは出したのか出さぬのか、この点はちょっと私どもの方にはわからぬが、あなたの方ではどういうふうに感じたのですか。
  311. 久保田顕三

    久保田参考人 それは数度にわたってその当時松平、岡部両氏から要求をされまして、当時私の記憶では、もうほんとうにこれまで使って、あとはほんとうにないんだ、これ以上続けるのにはどうしてもこういうふうに必要なのだ、協力してくれということをたびたび言われました。そのたびに私たちには相談あったというように記憶しております。
  312. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 それで、当時立川事件というのは業界では非常に有名な事件であったわけですが、この立川事件で、当時協議会というのがありますね。あの協議会の代表幹事をしておった第一物産の係長は会社をやめられているわけなんですが、それは立川事件によってやめさせられたと私どもは聞いておるけれども、あなたの方ではやめさせられた事実があるかないか、またそのやめさせられたのは立川事件責任を負わされてやめさせられたと聞いておられるか、おらないか。やめさせられたとしたならば、それはどういう理由でやめさせられたかというようなことはおわかりになりませんか。
  313. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 これは、私はうわさで聞いたのですが、松平氏がこの一万トンの砂糖の区正規に乗せることの成功について、国内配分の問題については砂糖協議会その他インポーターの団体がありまして、その団体によってこの砂糖の正当化処分ということの数次にわたる折衝熟談が事実あったように聞いております。その当時の代表幹事の一物の方が、あまりにも松平と接近し過ぎて踊り過ぎたということで、その当時の職責を追われたということを聞いておりますが、これは調べてみればわかることだと思いますけれども、事実あったのじゃないかと思います。
  314. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 それから、久保田さんは会社の経理の方をやっておられたので、五百万のうち二十万だけは自分が持っていったが、あとは持っていかなかった、その他の金は、松平のところに運んだのは主として、取りに来たのもあるのだが、——そういうあなたが運ばれたのじゃないかと思われるのですけれども、あなたが松平のところに金を運んだことはありませんか。
  315. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 私は当時数度にわたって、松平自身が受け取り、あるいは代理となって岡部が受け取ったことは、私どもの神田の千葉精糖の事務所においても見ております。私自身が、当時社長が聖加路病院に入院しておって、そこで松平氏に直接渡した、その金を持っていったこともありますが、松平氏が数度にわたって、この運動のために金を持っていったということを信じておるわけであります。
  316. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 あなたは松平という人とは何回かお会いになっているのでしょうね。
  317. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 私は書記の兼子氏から、綱島先生のこの話の筋をもらって、それを私のところの会社の社長と私と松平氏——現在この名刺にある通りに一番成功の見通しがいいということでもって、松平氏に強く運動を依頼して、松平氏にたよったという当時の状況であったのであります。
  318. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 そうじゃないのです。たよったのもいいのですが、あなたは松平という人に、岡部という人を通じては会っているのだけれども、松平という人に直接何回か会っておるかおらないかということをお尋ねしておるのです。
  319. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 数し切れないほど会っております。
  320. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 そこで、この問題に最も大きな役割を果したのは、松平と周という人なんです。この周という人は、午前中のあれでもおわかりのように、滝野川で自殺したことになっているのだが、当時業界では、周は殺された殺されたという話が非常に伝わっていたはずだと思うが、あなたはそういうことは聞いたことはありませんか。
  321. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 私は最近になって、兼子氏から聞いたのですが、松平氏と同氏は非常に深い関係にありましたから、意外に現在思っておるのですが、その後の詳しいことはちっとも……。
  322. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 あなたは岡部さんとは、そういうわけで、松平氏とも数知れないほど会っている。従って岡部さんとも会っているわけですね。そこで岡部さんからこういうことを聞きませんでしたか。周が死ぬ少し前、前後と言ってもいいでしょう。松平という人はふだんと非常に違った、興奮状態というか、何かそういう状態で、ふだんとは違ったような状態であったということをあなたは岡部さんかどなたかから聞いた、久保田さんでもどちらでもいいですけれども、そういうことはありませんか。
  323. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 この立川事件が済んで、私の方はだまされた、詐欺されたと事実を知ったときに、松平の家に夜半二時ごろまで押しかけていって、その前後を調べてみると、相当生活も荒れ、複雑怪奇な生活状態だったことは、私は直感したのですが、それだけのことです。
  324. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 久保田さんどうですか。私の聞いているのでは、この周という人が死ぬ前後の松正平という人の精神状態というか、何か日常とは非常に違ったような言動であったということを聞いているが、あなたはそういうことを岡部さんから聞いたことはありませんか。
  325. 久保田顕三

    久保田参考人 当時はそうした私どもに対しての要求も通ぜず、一トンの割当も受けなかった、そういうことで、この問題はもう解決したじゃないか、どういうことだということで、この問題が解決してからその後松平と数度にわたって会いました。なお先ほど鈴木参考人が申し述べましたように、松平の自宅で私どもが夜の二時ごろまで松平の帰宅を待ちまして、究明しましたが、もちろん私どもの方からそういう要求をして持っていきながら、その役割を果さなかったということもありますが、その以前に松平と会ったときのような感じは全くなく、何かそわそわとした、おどおどとしたような感じで、私にはあの当時のことが記憶に残っております。
  326. 田中彰治

    田中(彰)委員 あなたにちょっとお聞きしますが、この松平という人が、岡という人が自殺か、ガスで死んだのか知りませんが、死ぬ四、五日前か一週間くらい前から、周から、お前に運動費として金を貸しておいたとか、お前にいろいろなことをやったとかいうような、周から松平氏が初めに金をもらったんだ、その金は、運動費としてとったのか、とり過ぎたのか、またもらったのか、借りておったのか、どういう契約があったのか知りませんが、周さんから松平さんが非常に責められておった。その他いろいろ、この砂糖の割当の運動が一応成功したのだけれども、周の思うようにいかなかったというようなことで、二人の間がもめておった、というようなことをちょっと聞いているのだが、あなた方はそういうようなうわさをお聞きになりませんでしたか。
  327. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 思い出せば、岡部氏から、松平氏は周氏にそういった意味で追い回されて逃げ回っているというようなことは、聞いたことを覚えております。
  328. 田中彰治

    田中(彰)委員 もう一点お伺いしますが、死んだときはお立ち会いにならなかったのだろうが、死んだことについてのうわさで、周のところに女の人が来ておって、御飯か何か食ったあとで、女が帰った。そこヘガスがちょっと漏れておった。それで死んだんだろうというが、口から血を吐いておった。ガスの死にはおかしいのじゃないかというような評判を聞きませんでしたか。そういう評判があったのですが……。
  329. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 そういう、その後のことは全然聞きませんでした
  330. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 もう二点お尋ねしておきたいと思いますが、鈴木さん、あなたは大石さんの政務次官の当時、政務次官の部屋に伺われたように聞いておりますが、伺ったことがありますか。
  331. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 私もこの運動のために松平氏に連れられて、農林省の大臣室の前が次官室であったかと思いますが、あそこで大石先生を紹介されて、ごあいさつして、私としては、この件について懇請した意味でごあいさつしておきました。
  332. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 それは会ったのは一回か。それからもう一つ、あなたの会社でそのほかにお会いになったことがあるか。さらに、懇請したというのは、割当を早くほしいということの懇請であったのか、この点はどうでしょうか。
  333. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 そのときたった一回でございます。あとは会ったことはごぜいませんが、この問答で、話が進んでおると思っておりましたので、一刻も早く成功さしていただきたいと思っておりました。
  334. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 そのとき政務次官は何と答えられましたか。
  335. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 よく記憶しておりませんが、まああまり深い話もなかったようには覚えていますが、私が行ったことは、どういう意味で参ったか了解しておるように、私は感じておりました。
  336. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 ちょっとその点に関連して……。前の久保田参考人は、鈴木出張所長が政務次官の部屋を訪れてお会いになったということを述べておられた。やはりこれは非常に大事な問題であり、自他の名誉、利害その他の立場から見ましても大事な問題でありまするので、ここは、いずれにいたしましても、一つ記憶の存するところをはっきりと述べておいていただきませんと、あまた証人喚問ということになりますとうるさいだろうと思いますので、どうぞその辺は間違いなくお述べ願っておきたいと思います。
  337. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 知り得る限りのことは、記憶にある範囲は、確実にお答えできると思います。
  338. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 いや、今私のお尋ねしたことは、午前中の久保田参考人お答えは、大石政務次官の部屋で会った、だれが会ったのかといえば、あなたが会った、鈴木出張所長が会っておると、こういうお話でありまするので、そこであなたにそれを確めておると、こういう次第なんであります。
  339. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 確かにお会いしまして、人物も存じております。
  340. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 どこで会ったのか。廊下で会ったのか、どこで会ったのか、はっきりしなさいよ。
  341. 坂本泰良

    坂本委員長 どこの部屋で、何室だと言って下さい。
  342. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 あそこに待合室みたいなものがありまして、そこへ行って、一時間くらい待っておって、ひまのときにちょっと出ていただきまして、私どもがあいさつした、こういうことを記憶しております。
  343. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 わかりにくいのですが、一時間ほど待合室で待たしてもらって、待っていて、ひまのときに出てもらったというのならば、そうすると政務次官の部屋ではなくして、廊下もしくはその他でということになるのか、あなたも千葉精糖の出張所長で、重要なお立場でありますから、そういうことは正確にお述べ願いたい。
  344. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 それはあそこに隣に待合室があります。
  345. 坂本泰良

    坂本委員長 あそこというのは、どこです。
  346. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 大臣室の前です。あそこに長いすがたくさんありまして、そこで私は待たされました。政務次官室という意味ではないと思いますが、私は隣の待合室で……。
  347. 坂本泰良

    坂本委員長 その点確かめますけれども、農林省の政務次官がおられる室か、その隣の部屋か、それはどちらですか。
  348. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 それは隣の部屋です。
  349. 坂本泰良

    坂本委員長 それでは秘書官のおるところですか。
  350. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 待合室という感じの……。
  351. 坂本泰良

    坂本委員長 委員長から注意しますが、待合室というものはないんです。あなたは実際行っておられるから、政務次官室なら政務次官室と書いて、秘書官室を通って政務次官室へ行く、その政務次官の部屋じゃないのですか。政務次官の机のある部屋じゃないのですか。
  352. 山本猛夫

    山本(猛)委員 関連質問あなたがお会いになったところは、事務次官と政務次官の間に廊下があるのです。その廊下に、今おいでになればわかるのですが、長い机が置いてあって、そこに小さいいすを十ばかり置いてあります。それは政務次官、事務次官の待合室じゃない。廊下なんです。片方は事務次官の方へ行くドアがあります。片方は政務次官の方へ行くドアがあります。そこは部屋のような形にはなっておりますけれども、つい立一枚置いた廊下なんです。事務次官の方へ行く廊下と、政務次官の方へ行く廊下と、だれでも出入りしているのですから、そこであなたがお会いになったのです。よろしゅうございますか。そうじゃないですか。あれは待合室じゃないのです。そこなんでしょう。大臣室の前に、ドアをあけて入ると、長いすと、つい立が一枚置いてあって、自由にだれでも入れるところでしょう。あれは廊下なんです。そこでお会いになったのですか。
  353. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 さようでございます。
  354. 坂本泰良

    坂本委員長 鈴木参考人にはっきりしておいていただきたい。
  355. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 確かにその部屋です。
  356. 坂本泰良

    坂本委員長 農林省へ行かれて実際会われたところを思い出して下さい。そこですというわけにいきませんから……。
  357. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 私は事務次官の入口を通りまして、そこを抜けて、そこの待合室で会いました。要するに、確かに入口は両方ついておりまして、向うから出て来られました。
  358. 山本猛夫

    山本(猛)委員 鈴木参考人お尋ねいたします。大石政務次官にあなたは何回お会いになりましたか。
  359. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 話はたびたび聞いておりましたが、そのとき初めて一ぺんです。
  360. 山本猛夫

    山本(猛)委員 実はこの問題は重大なる案件でございますので、大石政務次官に私は先刻人を介して聞いてもらった。そうしましたら、確かに陳情に来られた。しかし金銭の授受は、陳情に来られた場合になかった。その前後においてもむろんない、こう言っておられますが、金銭の授受に関してあなたは御承知でございますか。
  361. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 そのことは松平氏に私の方はいろいろ聞いたことであって、私はそのときにはありませんから、その関係は今のところ私もよく覚えておりません。
  362. 山本猛夫

    山本(猛)委員 それではあなたが陳情に農林省においでになったときは、その松平某と御一緒ですか、それともあなたお一人ですか。
  363. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 確かに松平氏と一緒でございました。
  364. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 鈴木さんに伺いますが、あなたは松平と数知れず会ったとおっしゃっている。松平何がしは大石武一代議士の会館の部屋を事務所にした名刺を持ち歩いている。そういうことについて、あなたは松平と大石氏との関係、もしくは大石氏の事務所との関係、そういうものはどういうふうに思っておりましたか。
  365. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 当時松平氏は定職はなかったと思っておりまして、名刺の通りに私設秘書かとも思っておりました。
  366. 田中彰治

    田中(彰)委員 ちょっと参考人に聞くのですが、これは重大な問題ですが、あなたはその松平氏に、初めは五百万円運動費を出しておったのを、二百五十万返してもらったというのであるが、松平さんを通じて今の大石武一君、綱島君、それから稲富君、こういう人のところにその金がどんな意味のもとでも幾らか回っておったのだというような考えを当時持っておられましたか。当時はどんな考えか、今はまたどんな考えを持っているか。おれが運動費としてやったのだから、これが幾らか彼らと一ぱい飲む金になって飲んでいるとか、金そのものをやっているとか、物を買ってやっているとか、当時そういうふうに思っておられましたか。それとも、ただ松平がふところに入れただけで、一銭もそういうことはしていないと思っておられましたか。その当時の正直なところはどらですか。
  367. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 私は松平に運動費を払ってきたもので、金額にしても小さいものですから、そういう深い意味のことはなかったろうと今思っております。
  368. 田中彰治

    田中(彰)委員 金額が小さいとおっしゃるけれども、何百万円でしょう。ここにおられるたくさんの公務員の人がたは、あなたが使われた金は一生かかっても残らぬくらいです。われわれ代議士の月給でも……五百万円、あとで返してもらったとしても、何百万円の金でしょう。あなたは小さいというが、われわれは一カ月に八万か七万の給料しかもらっておらぬ。四、五年の月給だから大きいですよ。これは名誉のために聞いておくのですが、それをやられて、おれは五百万円やったが、松平が自分のふところに入れて一銭もやっておらぬ、自分でぽっぽしているか、使っているだろうと思ってあなたはついて行かれたのか、運動されたのか。いや、そうでない、あれだけの金をやったんだから、社会党と自由党だから、稲富君のところに五十万円やったろう、自由民主党には六十万円やったろうと思われたか知らぬが、そういうものがいったと思われたのか、いかぬと思われたのか。金は自分がぽっぽに入れて、一銭もやらぬで、一ぱいも飲ませないで何もしていないのに、あなたは松平と農林省に行かれて、稲富さんに会っておられたり、綱島さんに会っておられたり、なぜそういうふうにお会いになったのか。幾らか回っていると思ってお会いになられたのか、それをお聞きしたい。
  369. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 期間もなかったものですから、その辺は、松平氏がいろいろ政治交渉しているというような考えがあって、金銭の授受に対しては深くは現在も考えておりません。
  370. 田中彰治

    田中(彰)委員 あなたの言葉は非常に衣を着ているが、政治交渉をしているということはどういうことです。金を何百万とったということは——あなたは商人です、実業家ですよ。あなたが五百万出されたのは、政治資金と違い、何も条件をつけないから使ってくれというのならいい。不正な砂糖があったから一袋でもよけいとろうと思って金を出した。いわばそれで政治家がひっかかっている。あなたが五百万出したのに、松平がとって、自分で芸者買いか何かしちゃった、私有財産にしちゃった、こうあなたが思われておる道理がない。出してあるんだから……。先に金を渡したかあとに渡したかわからないけれども、どっちかへ渡してくれるだろう、あるいは渡してあるだろう、そういうふうな空気が通っているだろうと思って運動されたのか。無関心か、無関心となれば、あなたの出された金は何の条件もない、運動費じゃないと思われる。そういう条件のない金を出されたのなら、砂糖がこないからといって、五百万円返してくれといってとりにいくのはおかしい。恐喝になってしまう。河井さんのような鬼検事なんかにやられたらこれは恐喝罪になりますよ。その点をよく聞きたいのです。どうなんです。
  371. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 たびたび申し上げましたように、金額も小さいし、長いつき合いでありますので、松平がどうしたか、それまでは詳しく聞いておりませんが、その後に周さんあたりから、三千万円も費用が出たというようなことを聞いたものですから、私の方のものについては、大した金額でなかったということですから、今のところ松平にしてやられたというような気持でおります。
  372. 田中彰治

    田中(彰)委員 そうすると、あなたの方で五百万出したが、これは小さい金だ、そのほかに三千万円も出たということをあなたは聞かれておる、それはそれでいいです。  そこでさっきの政務次官の部屋ですが、これは山本君は廊下と言っているけれども、廊下とは少し違う。政務次官も事務次官も同じような両端にある部屋におる。そのまん中に一つの部屋を設けまして、そこをつい立で仕切って、そこに政務次官に用事のある人は政務次官のドアの入り口に待っている。事務次官に用事のある人は事務次官のところで待っているんで、廊下よりあなたの言う待合室の方が当っている。そこでお待ちになってそこでお会いになったのか、待っておったとき政務次官がドアをあけて、どう岸でお入り下さいといって、政務次官の部屋に入ってお会いになったのか、政務次官がドアをあけて、そこへ来て話したのか、どっちかでしょう。そのくらいのことはあなた頭がはげているんですから、はっきり言って下さい。
  373. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 それはたびたび申し上げておりますように、その部屋に政務次官がおいでになったのです。
  374. 神近市子

    ○神近委員 鈴木さんが少いものだけれども五百万お出しになった、そうして自分たちだけが五百万円出したとはお考えになってないと思うのです。それで観光ホテルに行ってみたら、大勢来てわさわさやっている。そこからも金が出ただろうということは御想像になっただろうと思うのですけれども、どうですか。
  375. 久保田顕三

    久保田参考人 この当時の私の観察からいきますと、松平なる者は、私のところに来た当時は金というものを持つような人間に見えなかったわけです。それからもちろん生活状態も困窮の状態だということは、私はその後にも聞きましたし、なおこの問題が全部終了してからも松平のうちへも二回ほど行っておりますが、全然最初に行った当時と変ったような状態になっております。もちろんこれだけのものを処理するのには、今まで何度もここで御説明申し上げておりますように、こういう難題を松平、周という間によって、どの問題にも松平、周というものが出てきておりますから、確かにこれに対しては松平は私の方から持って行った金によってこういう運動が相当なされておるのだ、私はこういうふうに確信しております。
  376. 神近市子

    ○神近委員 どうせしょっちゅう松平にお会いになっておる間には、そういう人なら必要以上のこともしゃべるに違いない、そうするとお宅のために運動しておるのだということのほかに、またほかの会三社の名前も出しませんでしたか。想像できるような形ででもどこらが運動したかということの何かのヒントを与えるようなことは言わなかったかどうか。今の鈴木さんのお話でも、三千万円という額の金がすでに出ておりますから、その三千万円のうちの一部はあなた方がお出しになったかもしれないけれども、その三千万円というのは、どこからかき集めてきたか、想像なり認定はできませんか。
  377. 久保田顕三

    久保田参考人 これは先ほどからも何度も申し上げておりますが、松平氏のそば役をしておりました岡部というのから、その当時周から問題の解決を頼まれて、無為替できたものが日本の国内に入れない、それを入るように松平氏がいろいろ運動した、それで日本の国内に入ったという一つの功績として周からその三千万円の金を受け取ったということを私は聞いております。
  378. 神近市子

    ○神近委員 周はどのくらいの年ごろの人でございましたか。死ぬときにアパートに女がいたということから考えれば、そう老齢ではなかったと思いますが、大体どの程度の年ごろで、そうして日本には初めて来た人でございましょうか。
  379. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 周は五十前後じゃなかったかと思いますが、岡部氏の話で想像した程度ですが、私の方の会社の者は、周についてはあまり深く知りません。
  380. 神近市子

    ○神近委員 その周がかき集めた金のうちから三十万円松平によこした、その周の金は、砂糖を売って得た金の中から出たと考えられますか。それはすべて問題が解決したあとの話ですか。
  381. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 それは岡部氏が——局の方の資金から出たもので、松平氏は、われわれの方を犠牲にして、もう周と近しくなって、とてもうちの話は通りそうにもないというようなことで想像をしておるわけであります。
  382. 神近市子

    ○神近委員 最後の周という者がなくなる前にお会いになったときに、非常にそわそわきょときょとしていた、周との間に利益の分配ですか、そういうことで何かいきさつがあったというような感じを受けられたようなお話がさっきございましたが、それは獲物の取り合いであったのが、あるいはどうもこれが法規に触れそうで、その責任のな旧すり合いだったのですか、どちらとお考えになりますか。
  383. 久保田顕三

    久保田参考人 当時の、私の記憶からみますと、非常に神経が高ぶっているようで、最初私どもがいろいろ何度も会っている当時のおだやかな顔じゃなかった。そういうふうにこれは何かあるんじゃないかというような自分の勘はありましたが、ただ私どものそうした要求にこたえられないから、そうした松平としての動揺があったのじゃないか、こういうようにも思われます。
  384. 神近市子

    ○神近委員 その松平は三千万円の金を受け取っていれば、そんなに生活自身困っているわけはない。三千万円をふところに入れたのだったら、お宅に五百万返しても二千五百万は残るわけです。あなた方の支払えという請求に対してどうしてそんなにあわてたり、また非常に苦悶したりしたのか、それはわかりませんか。
  385. 久保田顕三

    久保田参考人 当時私どもはこの問題が解決してからこの究明に行ったのでありますが、そのときの松平は、私どもが岡部氏からそういう話を聞いた、周さんからそうした金も入っているようじゃないか、それなら、一応こっちの要求に応じられなかったのだから、それを返済するのが順序でないかということを私の方は要求したのであります。松平のそのとき言った言葉は、私一人がそれだけの金を全部とったんじゃない、ほかへもその金は持っていかれちゃっているのだというようなことを言っておりました。
  386. 神近市子

    ○神近委員 そのほかへもというのは、それはブローカー仲間とあなたはそのときお受け取りになったのか、それとも皆さんから見てもっと高い方の、たとえば政治家仲間に渡したというような——どうせその言葉のニュアンスでおわかりになるよりほかないわけですけれど、仲間に分けてやったのか、それとも献金したというのか、そうでなければあなた方が二百五十万ですか、五百万の請求に行って、簡単にああそうかとおっしゃるはずはないと思うのです。もう少しこまかく釈明したに相違ないと思うんですけれど、それはいかがですか。
  387. 久保田顕三

    久保田参考人 当時の様子としましては、松平がだれだれにどういうふうにしたとか、彼にこういうふうにしたという詳しいことは、松平の口からは出ておらなかったけれども、もちろん御承知の通り砂糖そのものがこういう状態にありますし、決していろいろな——いろいろなといって私の記憶では、おそらく上層階級の諸官庁の方にもお受けになっている人もあるんじゃないか、また政治家の方もこれによってお受け取りになっている方もあるのではないか、これは私どもの判断でございますけれども、確たる証拠がありませんから、それについては別に……。
  388. 神近市子

    ○神近委員 そのときの印象で、あなたは官界にも入った、役人にもいっただろう、また政治家にもいっただろう、これは言わず語らずわかったような感じがする。そうすると大体ねらいというものはあるはずです。あなた方が砂糖業者に長い間タッチしてきて、そうしていろいろ御苦労なすっていれば、その想像をしたとおっしゃる以上、大体どこらにということぐらいはわかるはずだと思うんですけれど、それはいかがですか。
  389. 久保田顕三

    久保田参考人 もちろんこれを扱うのは農林省、それから通産省でございます。そのほかに松平が動いておったというのはインポーター関係、結局日本国内に物を入れるにしても、その国内での処分ということにも、いろいろ関係があるだろうから、その処分をさせるのにも諸官庁の許可を得なければならない、そういう関係でだれにどうした、こうしたということは私は言えませんけれども、当時のそうした約束を持っておられた方々にそういうことをしているということも、松平がだれだれにこういうことをしているということ——たとえば先ほど二、三述べましたが、そういう方々にも御協力を願っている、それからそのためにこうしているんだということも、松平は当時口にしておりました。
  390. 坂本泰良

    坂本委員長 田中彰治君。
  391. 田中彰治

    田中(彰)委員 ちょっとあなたにお聞きしますが、そうするとその当時松平は、今言った稲富、綱島、大石といったような人にも運動も頼んでいるし、金も出しておる、金がいっておるということを言っておったのですか。
  392. 久保田顕三

    久保田参考人 これに対する確たる証拠はありませんけれども、当時の松平言葉から、世話になった先生のことは言っておりました。
  393. 田中彰治

    田中(彰)委員 証拠といったって、別に金をやったのを見た人もないから証拠は別にして、その松平さんが、そういう人たちの名前を言って、その人たちにも多少のお礼をしたと言ったのですか、ただ世話になったと言って、お礼のことは何も言わなかったのですか、どうですか。
  394. 久保田顕三

    久保田参考人 それはさっきも述べております岡部から、この先生にもこういうふうにいっておるよりだ、この先生にもこういうふうにいっておるようだということを、間接的に聞いたのであります。
  395. 田中彰治

    田中(彰)委員 そこで鈴木参考人にちょっともう一点お聞きしておくのですが、あなたは五百万円の運動費をあなたの会社が出した、そこであなたは松平に農林省に連れていってもらったということだが、その松平という人と大石さんという人は相当近しいと思うのですか。
  396. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 先ほどの名刺を私も見ましたけれども、行ってみますと、私たちいなか者にはわかりませんが、あそこの中に非常に気やすく出入りしておられるということを感じました。
  397. 田中彰治

    田中(彰)委員 それについて、大石さんとこの松平氏と会って親しく話をしている現場を見たとか、あるいはそういう現場を何回も見られたようなことはないのですか。
  398. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 そういうことは私ども存じません。見ません。
  399. 田中彰治

    田中(彰)委員 そうすると、あなたが松平さんと農林省へ行ったとき、そこで大石さんと松平さんとあなたも会われたのですね。そのときどうです。二人の間は相当親しいような間柄でしたか、ただ普通の人が陳情するというような間柄でしたか。
  400. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 それは親しい人だと感じました。
  401. 田中彰治

    田中(彰)委員 そこであなたにお聞きしたいのだが、五百万円はあなたは小さい金だとおっしゃるけれども、われわれは大きい金だと思うのです。五百万円をあなたの会社が出されて、それからあなたが松平さんと農林省へ行った。そのときに——普通陳情に行きましても、政務次官室のお客がなければ、親しい人なら政務次官が自分で部屋に入れてお話するのがほんとうなんです。それが今言われた通り、山本君は廊下と言うのだが、待合室だか廊下だかわからぬが、そういうほかに人もいるところに出てきて、ああ、話はわかったよという態度をとられたことについて、あなたはどう思われましたか。わざとそうしておるのか、あるいは松平が金をふところに入れておって使わないから、あんな工合なのだと思ったか、あなたはどう思いましたか。
  402. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 松平氏は自由に出入りして先生のところへ行っていましたが、私は一人待って、それで松平さんが出てきて、先生に連れられて行ったのですから、その中へ入った松平氏の話は私は存じませんけれど……、要するに出入りの動作だけの感じです。
  403. 田中彰治

    田中(彰)委員 その動作をどんな工合に感じられたのですか。そういう取引があるから人に知れないように、わざと冷たいように出てきて、やあと言っておるのか。なぜあなたを応接間に入れて——本来なら上座にあげて、献金をもらったんだからお茶ぐらい出してあなたを優遇しなければならぬ。それをしないで廊下だか待合室で会ったということは、金を取っいるからそうしたと思うのか、金が行っておらぬからそうしたと思うのか、どうなんですか。
  404. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 それは先生方のところによくお伺いしているころ、私の方は商人ですから、商人をやすやす先生の部屋に入れることはまずないだろうと思います。それから私も直接社長でもありませんからして、松平氏にしてはおれは先生に親しいのだぞという程度のことを見せるくらいのつもりだと思って、私も大して気にもしないで帰ってきました。
  405. 田中彰治

    田中(彰)委員 どうもあなたの言うことはちっともぴんとこないのだが、あなたが社長でもないのなら別に農林省までついて行かぬでもいいのです。あなたは農林省へついて行ったのでしょう。しかも五百万円運動費として献金をしておることは、あなたはわかっておる。そこで松平さんは大石さんの名刺を使うくらいの人です。だから何もなければ堂々と、よう、来たかと言って、一つ松平君頼むとか、今度遊びに来なさいというくらいのことを、政治家なら言うのです。これも一つのとりょうです。またもう一つ、どうも松平君からあなたの方の金が回っているから、感づかれてはいかぬからちょっと薄情にしたというようにもとれる点がある。そうでしょう。それからまたいろいろにとれるのです。あなたが行って、そういうような取り扱い方をされたということは、代議士として言えば、ここにも代議士はたくさんおられるが、いわば三等客です。その取扱い方はあまりいいお客ではないということです。その三等客が五百万も——あなたは大きな金ではないと言われるけれども、五百万も運動費を出している。そのときにあなたが、ぴんとどう感じているか。おれは五百万も運動費を出してせっかく来たのに、粗末にしやがるなと思ったのか、それとも人前だからわざと薄情にしたと思ったのか、それを聞いておるのです。あなたはここに参考人として出てきているくらいだから、はっきりしたことを言いなさい。時間ばかりたってしょうがないから。
  406. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 私はあの運動期間も長かったし、一ぺん行ってそういうふうに感ずるほど頭がよくなかったものですから、先生に会えたということだけで感激して帰って参りました。
  407. 田中彰治

    田中(彰)委員 もういいです。
  408. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 それから新しい問題ですが、久保田さんにお尋ねしますが、周は一万トンの解除のために三千万からの運動費を出したという話をあなたは聞いておると言ったと思うのですが、もう一つは一方精糖協会と精糖工業会と二つあるでしょう。この一万トンの割当が精糖工業会よりも精糖協会の方が比率的に割当が多かった、これは松平の骨折りであるというように考えられて、あなたの五百万円とは別な口で、精糖工業会が松平に五百万円札を出した、そういうことは聞いておりませんか。
  409. 久保田顕三

    久保田参考人 精糖工業会の云々ということについては、私は聞いておりません。
  410. 坂本泰良

    坂本委員長 淡谷悠藏君。
  411. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 ちょっと時期の問題で二、三お伺いしたいのですが、あなた方が松平にだまされて、これはもう詐欺にひっかかったと気がついたのはいつごろなのですか。
  412. 久保田顕三

    久保田参考人 三十一年の十月ごろと記憶しております。
  413. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 問題の砂糖が大体割当がきまったということがわかったのはいつごろですか。ほかの方に渡ることになって、あなたの方にはこないということに気がつかれたのはいつごろですか。
  414. 久保田顕三

    久保田参考人 令のはちょっと私間違っておるかもしれませんが、何でも三十一年の暑いときですから、この話が私どもでこういうふうに向うへ流れていったのだ、こういうふうに処理されるのだということを知ったのは暑いころですから、六月か七月ころですね。そうしてなおこれを知ったのはそのころで、あとこまかいことについては、松平のところに責めに行きましたのは暮れになってからであります。
  415. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 それから鈴木参考人が大石政務次官を農林省に訪問したというのはいつごろになりますか。
  416. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 三十一年の春か初夏ころです。
  417. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 さっき松平守弘を訪問して大へん様子の変っておるということに気がついたと言われましたが、それはいつごろですか……。
  418. 久保田顕三

    久保田参考人 三十一年の九月ごろと私は記憶しております。
  419. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 そうしますとだまされたということは、そのころはまだ気がつかなかったのですか。十月にあなたはだまされたと気がついたとお述べになっておりますが……。
  420. 久保田顕三

    久保田参考人 先ほども申しましたように、暑いときにその問題が——今間違ったということを先ほど申しましたが、暑いときに、七月か八月ころにその問題を松平がこういうふうに処理したということを感づきまして、それで松平あとを追っておったのです。それで松平のうちへ行って最後に究明したのが十月ごろです。
  421. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 松平という人間の住所は一体どこなんですか。
  422. 久保田顕三

    久保田参考人 私二度ほど行っておりますが、住所ははっきりあとで調べればわかりますか駒込です。
  423. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 あの周という中国の人がふだんおったのはどこですか。
  424. 久保田顕三

    久保田参考人 私が周さんを知っておったのは、帝国ホテルに泊っておったということを私は当時聞いておりました。
  425. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 さっきお述べになったと思いますが、周という人がガス自殺か何かした、あるいは他殺かで死んだホテルというのは、松平のおった駒込とは遠いのですか、近いのですか。——第一東京アパート松平君の住居との距離はおわかりになりませんか。
  426. 久保田顕三

    久保田参考人 そのアパートの所在はどの辺か、私はとにかく今日当委員会に来て初めてその周の状態を知ったのでございますが、松平家一家というのはあの周囲に全部一部をなしておる、こういうふうに私は当時聞いておりましたし、なお同じような家がございました。
  427. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 さっき鈴木参考人でしたか、あなたでしたか、どっちかがお述べになりましたが、松平守弘の生活が非常に乱れておって複雑怪奇な様相を呈しておったというふうに聞きましたが、内容は一体どういうふうな複雑怪奇さであったか、そこをお述べ願いたいと思います。
  428. 久保田顕三

    久保田参考人 私どもが松平を最後に究明に行きましたときに、金銭的な問題で奥さんとの間に非常にいざこざがあったということは事実でございます。
  429. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 他人との間に金銭的な問題があったということはわかりますが、奥さんとの間の金銭的な問題というのは一体どういうことなんですか。
  430. 久保田顕三

    久保田参考人 その当時の松平言葉からいきますと、奥さんはそれだけのことをやって、それだけのものを受け取っておるということを知っておった。ところがそれが自分のうちの方に入ってこない。ところが私どもの見た感じでは、最初に来たときと今では、まるっきり家の様子が違うじゃないか、荒れほうだいに荒れておった家の中も、直すところは直すというようにして金をかけたというところが私どもに見えたのであります。最初に行った当時は非常に荒れておりまして、生活程度なんかも非常にきついんだなというような感じを受けたのであります。その後に、最後の究明に行ったときには、非常に家の中は、そういうふうに整理されておりました。なお奥さんの不満は、そうした中に、家にはあまり金を置かないというようなところに私はあったように覚えております。
  431. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 さっきの御答弁でちょっと聞き違えたのですが、最初がよくてあとが悪いのではなくて、最初が悪くてあとでは生活がよくなっておったのですね。そうして生活がよくなっておって複雑怪奇な生活というのはどういうふうに解したらいいか……。家庭には金を入れないが、よその方にはどんどん金を使うという意味ですか。
  432. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 その運動中に、相当個人的な生活が乱れ、かつまた周とのいろいろな約束のたがいがあったように見受けられまして、そういうあと始末の面で苦慮しておったように思います。
  433. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 これは問題は、あなたの方で出した五百万円という金を政治家の面に、あるいは官庁の方面に運動資金として使ったか、あるいは松平がそれを取ってしまったか、ここに非常に大きな分かれ目があると思いますが、結局松平の生活を見た場合に、まじめに運動したか、あるいは運動だと称して自分の生活の方に使ったのか、これは一体率直にあなた方はどうお感じになりましたか。
  434. 久保田顕三

    久保田参考人 私らの感じでいきますと、当時地検のそういう問題が終了するころの松平の様子というのは、全然変ってきております。生活状態なんかも。最初は確かに松平は、私どもから持って行ったものを、かなりそれをもとにして運動しておったということは、私はその当時の態度並びにそのそば役でおりました岡部からそういう問題を一々聞いておりました。
  435. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 刑事局長は見えておりましょうか。
  436. 坂本泰良

    坂本委員長 いえ、刑事課長が見えております。
  437. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 お聞きの通りの事件で、大へん複雑怪奇な事件らしいのですが、周という人の自殺あるいは他殺について、何かお調べになったことがございますか。あるいは疑念を持たれたことはございますか。
  438. 河井信太郎

    ○河井説明員 お答え申し上げます。午前中の問題がございましたので、東京地方検察庁に照会いたしました結果、名前がシュウカチン、住所は北区中里町百二十四番地、第一東京アパート内、年令は四十六歳、これの変死の報告が参っております。その結果これに対して検事は検視の指揮をいたしております。その結果検視の調書が参っております。
  439. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 その調書の内容、もしお差しつかえなかったらお答え願いたいと思います。
  440. 河井信太郎

    ○河井説明員 まず、御承知のように正常でない死体が発見されますと、刑事訴訟法の規定によりまして、変死の報告が所轄警察から管轄地方検察庁の検察官に参るのでございます。それによりますと、昭和三十一年十二月三十日午前十時三十五分に滝野川警察署の小暮警部補から、東京地検に報告が参っております。その報告によりますと、今申し上げましたシュウカチンという者が、本日、すなわち十二月三十日の午前零時三十分ごろ、アパート内においてガスせんを明けたままでいたために、ガス中毒で死亡していることが発見された。その発見の日時は十二月三十日午前八時三十分、発見の原因は同アパートの使用人河原クニの届出によって。こういう報告が参っております。その結果検事はこれに対しまして検視の指揮をいたしております。その結果小暮与一警部補から検視の報告書が参っております。これによりますと、昭和三十一年十二月三十日午前八時三十分ころ申告があって、その申告者の言によると、三十一年十二月三十日発見人が、電話が今の周のところにかかっておるという知らせによって、二階の洋間のドアを明け、声をかけたが返事がないので、寝台に近ずいて手を当ててみると死亡しておられることを発見した。こういうことであります。そして死亡の推定時間は、同アパート自室において、午前二時ごろ死亡したものと推定され、発見された場合もその場所である。そして検視の場所及び死体の状況は、死者は寝台にふとんをかけ、あおむけに寝ており、右手はやや斜め右方に伸ばし、口より少量の血液を出したあとがあり、身体に外傷もなく、乱れも認められない。それからこの変死に対しまして、検事は東京監察医務院の監察官に監察の結果を求めておりますが、東京都の監察医は、境野良一。南多摩郡忠生村根岸三百三十二番地に住んでおられる境野良一監察医の検視の結果によりますと、過失による一酸化中毒死というふうに報告が参って、そして検視者の判断によりますと、ガスによる中毒死、災害死と認められる。この認定をいたしましたのは死者は昨日、その前日の午後十一時五十分ごろ帰宅して、炊事をしていたような音を立てており、本朝午前八時半ごろ、電話の知らせで死者の部屋に入って返事がなく、ガスの音がしており、使用していたガスせんの口があいていたということで、その間に何かガスの口が二つあるように聞いておりますが、元せんを間違えてあけたのじゃなかろうかというふうに推定される、こういう報告になっております。それから死体は死者の使用人の高島視子に引き渡した。この検視の時間は三十一年十二月三十日の午前八時三十分から午後三時三十分までかかっております。以上のような報告が参っております。
  441. 細田綱吉

    ○細田委員 関連して。しろうとでよくわからないのですが、ガス中毒なんかでも血を吐くようなことがあるんですか。
  442. 河井信太郎

    ○河井説明員 私はそのことはどうもしろうとでございますから……。必要があればよく調べて参りまして、お答え申し上げたいと思います。
  443. 細田綱吉

    ○細田委員 しかしこれは、今あなたの結果を伺っても、少量の血を出しておる。また周囲の環境は、今お話しのような環境になっておる。血を吐くということと、ガス中毒ということに、普通因果関係がないとすれば、あなたの方でもそういう報告に接してそのまま看過した、こういうことにもなると思うのですが、こういうことは普通どうなんですか。
  444. 河井信太郎

    ○河井説明員 もちろんそういう点については、変死でございますから、変死は、犯罪に基因するかいなかということを判断するために、報告を求めておるのでございます。その結果少量の血が出ておるということで、おそらく監察医も行ってその点も詳細に調べた結果、こういうことがあり得るかあり得ないか、あるいは自然にさような結果になるかという点については、医師の報告を担当検事は当然求めておると考えます。従いまして、その結果、そういう点について当然そういうことも起り得るということで、おそらくそれ以上の捜査に進まなかった、こういうふうに考えるのでございますが、一般的に申しまして、かりにガスがあけてありましても、変死の報告があれば、まず第一に、寝台等に寝ておりますれば、これは絞殺ではなかろうか、索溝があるかないか、それから周囲の乱れはあるかないか。たとえば所持品なりたんす等が引きあけられたりなんかしていることはなかろうか。あるいは犯人が外部からガラス等を破壊して侵入したような形跡があるかないかということは、もう現場に参ります警察官はもちろんのこと、その報告を受けて指揮いたします検事も、私ども長年現場におりまして、第一に考えることはそれでございますから、当然この事件についてもそういう面はしてあろうかと存じております。
  445. 細田綱吉

    ○細田委員 それでは、ただいまの監察医ですか、それの検死の結果と申しますか、死体を見た結果の報告を、当委員会参考として御提出を願いたいと思います。
  446. 坂本泰良

    坂本委員長 委員長からちょっと聞きますが、ガス中毒の場合に——今の調書を読むと、発見者が、電話がかかったから、ドアをあけて中に入って寝台のところに行ったら、寝ていて死んでいた。ガス中毒の場合には、ガスが充満して、そうやすやす入れない、こう思うのですが、そういう点が、その調書によると疑問が起るわけですが、その点どうでしょう。
  447. 河井信太郎

    ○河井説明員 実は午前中私ここに参っておりましたので、この死体を検案した医者も、監察医務院におれば電話で聞いてみようと思って、実は探したのです。それで住所がわかったのですが、何かからだをこわして、監察医務院をやめて南多摩郡の方に帰っておるというので、それで実は連絡がとれないもので、十分お答えができないようないきさつがあるのでございます。それから今委員長お尋ねの点も、まことにその通りでございまして、その点も、実は滝野川の現場に参りましたその警察官に尋ねればわかると思って、これも電話で連絡したのですが、連絡がつかなかったものですから、それでちょっとお答えしかねるような——ただ私は、東京地方検察庁に参っております報告書だけをとりあえず持って参って、お答え申し上げたような次第でございます。医師の検案書ではなくて、これは医師がその報告をいたしまして、そして検察官が死体検案書というのを書いて、検察庁の方へ提出いたしておりますもので、それはございます。必要があれば御提出申し上げてけっこうでございます。
  448. 田中彰治

    田中(彰)委員 ちょっと河井課長にお聞きしますが、今委員長の言われた通り、午前一時から午前八時までガスが出ておったんだから、中に入ったら大へんです、その人が倒れるという状態。これに一つ不審を抱くのと、それからふとんの中に入って寝てたんですね。その当時、酒をうんと飲んでおったのか飲まぬのかというようなことも、調査によって——普通ならガスが臭いんですから。酒にでも酔っておればわからないかもしれない。だから、そういうような点に触れてお調べ願いたいことと、それから監察医がおった所はその近所なんですか、それとも、今言った住所から呼んだんですか、そこなんですね。監察医の住所はだいぶいなかの方ですね。監察医がその近所におったらばそれでいいが、わざわざいなかから呼んだとすれば、近所に医者があるのにそんないなかの監察医だということに、不審が抱かれる。それから、彼は相当な資産家であります。この一万トンのものを相当な運動費を出してやるくらいだから、死んだときには相当な財産——預金の通帳とかそういうものが相当なければならぬ。あるいは借金をするにしても、相当なものがなければならぬ。その死んだあとの騒ぎにいろいろな問題が起きなければならぬ。そういうことに一向触れないで、片づいているわけです。その前に女が来ておったという——周さんの友人が東京に来ておるそうです。これは山本君が知っているが、どうもあの女が来ておったそのことが怪しいんだというようなことを言っております。その点は一つ、あなたは日本で有名な方だから、お調べ願って、決算委員会に一応納得するようなものを出していただきたい。
  449. 神近市子

    ○神近委員 今の田中委員の何に御調査の注文が出たようですから、私は追加いたします。あのかいわいはよく知っておりますけれども、松平家の地所がたくさんあるということも、事実でございます。ひょっとしたら、その第一東京アパートというのは松平家のどの分家の地所内かにあるアパートかもしれません。非常に近い距離の所だと私は理解しますから、もし御調査になるなら、その点も御調査いただきたいと思います。
  450. 河井信太郎

    ○河井説明員 田中委員お尋ねの監察医は実は血を出しておるという点も、現場の模様を伺おうと思って探した結果、南多摩郡というものがわかりました。御承知のように死体解剖保存法によりまして、東京都内でございますと、大塚仲町のそばにあります東京都の監察医務院、ここに医師の資格を持たれた監察医が、十数名も常勤しておられます。宿直もおられまして、こういう変死体があれば、車で現場へ飛んでいかれて、そこで死体をごらんになる。そうして医師の立場から、その死因が何であるかということを一応ごらんになるというふうな制度になっております。もちろん境野医師がおられたときも、監察医務院におられて、そこからおいでになった、こういうふうに承知いたしております。
  451. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 河井刑事課長にもう一点だけお伺いしたい。そういう場合、ガス中毒であるか、毒殺、他殺の疑いがあるかということは、これはいろいろ微妙な段階でしょうけれど、死体の解剖をする、しないということは、どういう点でおきめになるのですか。この問題については、そういうような疑点が一つもなかったか、解剖の必要はなかったか、この一点だけお聞きしたい。
  452. 河井信太郎

    ○河井説明員 検案の報告書には、今申し上げましたような程度しか記載はございませんけれども、もちろん担当いたしました警察官は、現場へ行きまして、家族なり遺族なりに、その前夜の状況から、平素の素行、その他全部のことを尋ねております。これは当然尋ねなければならないことでございますので、尋ねております。その結果は検事のも、とへ報告して参ります。そして解剖するかどうかということを電話で報告して参りまして、逐一それにつきまして判断をいたしまして、それから現場へ参りました警察官の意見を尋ねまして、これはもうガスの中毒に間違いないということはいろいろな状況から判断いたしまして、間違いないと思われればその場合に単に行政検屍にする。それからこれはどうも少し怪しいという場合には、直ちに判事の令状をとりまして司法解剖及び鑑定の嘱託をする、こういうふうな手続になっております。東京地検の刑事部におきましては毎日そういうことをいたしておるわけでございます。
  453. 坂本泰良

    坂本委員長 河井刑事課長にお願いしておきますが、今の報告は単なるガスによる過失死みたいなことになっておりますが、しかしこの問題は周という人物がこの一万トンの輸入に対して相当の役割を演じており、三千万、四千万というこういう金も動かしたというような点もありますから、これはやはり当時の係官その他の方々について一つ詳細に御調査をいただいて、当委員会に御報告していただきたいと思いますが、いかがでございましょうか。
  454. 河井信太郎

    ○河井説明員 承知いたしました。
  455. 坂本泰良

    坂本委員長 淡谷委員もこの点はこの程度で、ほかの問題に……。
  456. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 いま一点。今の委員長の要求と同じものでありますが、できればこの間の報告言などもございましたら当時のままで御提出願いたいと思います。  それから参考人に一点だけお聞きいたしますが、松平が金を取りましたのは、あなたの方の会社であったかどうか、金を取られたような形跡がなかったかどうか、観光ホテルにはたくさんの人が来ておったという話も聞きましたし、そういう点あなたの方でお知りのことをお知らせ願いたいと思います。  なおほかに、周という中国の人が一体どういうふうな運動の仕方をしておったか、おわかりになった点だけ御説明願いたいと思います。この二点だけ伺っておきます。
  457. 久保田顕三

    久保田参考人 皆さん御承知の通り、これが非常に複雑な問題で、こっちの日本倉庫におさまっておりますので、それは周が荷主であるということを私どもも松平からも聞きましたし、松平がその周という人を援助して、自分がこの解決の道をたどった、なおこれに対して松平が周からその問題を解決したということで、周からそういう報酬を受けたということを私は聞いております。
  458. 山田長司

    ○山田委員 この砂糖は実需者割当としてあったのか両社割当として許可をもらったものか、何かその点わかったら……。
  459. 久保田顕三

    久保田参考人 この最後の方法についてはインポーターにそれを割り当てられた、こういうふうに私は聞いております。
  460. 山田長司

    ○山田委員 この当時の精糖工業会というものの幹事はどこだったのですか。何かおわかりの点がありましたら一つ……。
  461. 久保田顕三

    久保田参考人 精糖工業会の幹事は、ちょっと私記憶ございません。
  462. 山田長司

    ○山田委員 精糖工業会の当時の幹事は第一物産ということを聞いているのですが、その点どうですか。
  463. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 輸入協議会というのは砂糖を扱う商社の団体なんです。ですから工業会はメーカーでございますから、メー力ーとは関係なく、商社の団体でございます。その商社の団体の軒事が当時第一物産であったと記憶いたします。
  464. 山田長司

    ○山田委員 きのうからいろいろい伺ってみますと、通産省の日比野さんから、いろいろな人が出入りをしておったということはきのう参考意見を述べられたんですが、一万トンの砂粒をめぐってもかくのごとく私たちの想像できないようないきさつがずいぶんあるわけです。おそらくこれはこれ以外の百万ドル以上の砂糖の動きについては、私たちの想像できないほどの暗闘があったものと思われるわけです。きのうはほとんど知らないというような答弁であったんですが、あなたの知っている範囲でどんな人たち、政治家が動いているんですか。よもやこれだけの話をうしろで聞いておって、きのうのように大勢の人が聞いておって、何もわからぬということでは済まないと思う。あなたはどう思いますか。
  465. 日比野健児

    日比野参考人 昨日は途中で退席を命ぜられて、あとでちょっとお聞きしましたが、お三人の名前が出たということを聞いておりますが、きのう申し上げましたように、私のところへは本件だけでなしに、いろいろな問題についていろいろな人が来ますので、そういう意味で正確にどなたということを申し上げるだけの記憶がありませんと申し上げたのであります。これは非常に慎重な問題ですから、記憶違いで妙なことを言いますと、影響するところが大きいものですから、そういう記憶違いのないように自分で安心できるまで記憶を呼び起して御答弁申し上ぐべきだと思いまして、まだ今のところ十分私は自信を持ってどなたが動かれたというにとまで記憶を呼び戻すことができませんので、そう申し上げておるわけであります。
  466. 山田長司

    ○山田委員 久保山さんにもう一ぺん伺いますが、とにかくあなた方が先ほど議員三人の名前をあげましたが、このほかに実需者割当及びそのほかの割当を通して、議員及びそのほか人たちが、松平さんが動いているように動かれておると思うのです。あなた方は知っている範囲のことをきょうはいろいろ言われておると思うのですが、さらにもう一ぺん何かこのことについて知っていることがあったらお知らせ願いたいと思います。
  467. 久保田顕三

    久保田参考人 この問題に対しましては、私どもの一番身近であるところの、そして一番われわれの苦しんだこの問題についての御協力に対してはどのようなこともお答えいたしますが、その後のほかのことについてはただうわさばかりが流れておりまして、現実に砂糖というものは非常にいろいろな問題が起りやすいものでございますし、そしてもちろん的確なそういう言葉も私どもは覚えておりませんので、それだけしか申し上げられない、こう思います。
  468. 細田綱吉

    ○細田委員 あなたはうわさは聞いておるというのですが、その当時のうわさではどういう人を聞いておりますか。
  469. 久保田顕三

    久保田参考人 うわさというのは、砂糖についてはいろいろ新聞でも御承知の通り、砂糖の漫画にも砂糖会社の煙突から代議士の方が飛び出しているようなものが見受けられるので……。どなたということは記憶に残っておりま
  470. 細田綱吉

    ○細田委員 おかしいじゃないですか。うわさという限りは、そのうわさに上った人を覚えていないとか、最初から気がついていないということはおかしいじゃないですか。
  471. 久保田顕三

    久保田参考人 私はうわさの人をあげておりません。そういううわさはあるということだけのお話なんです。
  472. 山田長司

    ○山田委員 もう一点お尋ねしますが、この松平という人はその後あなた方と全然行き来はないのですか、また行き来はなくても今消息がわかっておるようでしたら、どなたでもけっこうですからお答え願いたい。
  473. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 現在のところ行き来はありません。住所は駒込から荻窪辺に移ったというようなことはちょっと聞きましたが、それだけでございます。
  474. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 長橋事官に伺いますが、まず立川研究所に対しまして無為替輸入の許可をしておるのでありますが、これの前提となった役務に関する契約及び決済に関する許可書が三十年の三月一日に一萬田大蔵大臣によって行われております。ところで昨日の立川正三参考人の御説明を聞きましても、どうも台湾の方の役務を提供すべき相手の事情等も確実に把握した答弁がないのであります。あなたの方としましては、大蔵省が許可をしたのだから、そこで輸入貿易管理令の八条一項による無為替輸入の承認をせられたことと思うのでありますが、大蔵省がこの役務を提供する契約、従ってその契約の状況とか契約履行の確実性とか、あるいは確実でないおそれのあるような状況とか、そういうことを通産省においてさらに検討するとか、ないしは詳細に大蔵省と打ち合せをするとか、大蔵省の検討の状況をさらに照会するとか、そういう手は打っておらぬのでございましょうか、その点いかがでしょうか。
  475. 長橋尚

    長橋説明員 本件につきましては当然に大蔵省側にも、通産省通商局にも、その辺は十分に打ち合せをいたしまして、履行の確実性とかあるいはその他の問題につきましても十分調査をして処理いたしたわけであります。
  476. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうしますると、相手の台湾の東方貿易行に特許を受けるべき権利を譲り受けてどうこれを実施するか、こういうことについても詳細に通産省は知っておらねばならぬと思うのであります。ところがその点につきましては前回から現われました経緯にかんがみまして、われわれを納得させるものは何も出てこないのです。たとえば実施については経済的にどれほどの投資が必要であるとか、相手においてどれほどの受け入れ態勢ができておるとか、その調査が立川に対してどういうふうに来ておるとか、立川に文書が来ておるかどうか、そういうことも何も来ておらぬのです。ということになると、役務供与というものがどの程度に確実性があるかということもわれわれとしては納得しにくいのであります。それをあなたの方では十分に把握しておられるということになるのですか、それはどうですか。
  477. 長橋尚

    長橋説明員 その点は当時相当突っ込んで検討いたしたわけでございまして、まず本件の処理に当りまして問題になります第一点としましては、これが特許権そのものの譲渡であるのか、あるいは特許を受ける権利の譲渡であるのかという点につきまして、立川研究所の特許を受ける権利の譲渡であるという申請点につきましては、特許を受ける権利であって、しかもそのもとになる権利が昨日も立川参考人から述べられましたように、すでに立川博士から台湾政府の方に台湾において施行されております特許法、これを専利法と言っているようでありますが、その特許法に基いてすでに申請が行われているかどうか、申請登録済みになっているかどうかという点についてはっきり確認するというのが問題の第一点でございます。その点につきまして当時の処理状況を調査いたしました結果では、立川研究所の方では台湾政府の特許当局が発行いたしました登録済証というものの提示を受けまして、その点を確認いたしました上で、これは特許を受ける権利の譲渡であることに間違いない、そういうことであれば、大蔵省の方の所管になりますので、そういう形で大蔵省の方の役務供与の許可申請として受理するということになったわけであります。  それから問題の第二点といたしましては、本件のような特許を受ける権利の譲渡人というふうな形でございますれば、その対価は当然ドル現金あるいは台湾とのオープン・アカウントというもので回収されるのが最も望ましい姿であるということで、立川研究所に対しまして、どうして現金決済ではできないのかという点について十分な説明を求めたわけでございます。  それから第三点といたしましては、この特許を受ける権利の対象になっております技術そのものの価値判断でございます。この点につきましても、昭和二十七年当時のスタックあるいは関係の国立の試験所といったようなところで、その技術について調査いたしました資料がございまして、その辺の資料を検討いたしまして、技術そのものも百万ドルの対価を受けるに値いする技術であるというふうな点も確認いたしました上で本件が処理いたされたわけでございます。
  478. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 いろいろな点から見ましてあなたは詳細な資料を現実に提示しての佃説明でないのと、あなた御自身が当然そうあるべきだという前提で御答弁になっておるので、私どもといたしまして、あなたとの問答では、確実に真相を把握しにくいのであります。ただ、たとえば立川正三の言うところによっても、相手に対してこれを供与して実施せしむるということの相手の条件も、第三者に委任しておるというのですから、十分つかんでおるかどうかよくわからぬのです。果して三億六千万というような評価の価値があるかどうかということにつきましても、国内においてこれを判定すべきものは何ら示されておらぬのであります。のみならず向うで現実にすでに特許を受けておる権利ではないのです。将来受ける権利である。これは立川との間に私は問答をしております。従ってこのような常識的な疑いというものは、一応政府はこれをぶちまけて、そうして十分な確信を得るために回答を得なければならぬと私は思う。これは十分に得ておらぬと思うのであります。それにもかかわらず無為替輸入の承認がなされておる。この点が少くとももっと慎重に扱っていただくべき案件でなかったか、私は最大好意を持ってお伺いしてもそう思うのであります。もっとこれに想像をたくましゅうするならば、その後出てきたたとえば関仁甫というような人も台湾の要人と聞いております。すでに立川との縁が切れてしまった後に、台湾の要人が来てうろうろなさるということは一体何事か、こういうことも考えますので、その辺の前提が、不確実な要因が多いのに対して、無為替輸入が承認せられたということを疑わざるを得ないのであります。一体こういう砂糖について従来無為替輸入をやった過去の実績でもあるんでありますか。それも業者に聞けばないということなんであります。またほかからあるというような説明も何もないのであります。でありまするので、たまたま無為替輸入というものが特殊なそういう事情に基いてできたのか知りませんけれども、そこは私どもとしても何か納得しにくいものがなお残っておるというふうに判断せざるを得ないのであります。そこであなたの方といたしましては、大蔵省調査を前提にして無為替輸入を承認したということになるのであろうが、これはきわめてまれなことであって、従ってこの場合は慎重の上にも慎重に検討して、そうして実際にその後にいろいろと災いのないようにしておかなければならぬのが、できておらぬというふうにも思うのだが、その点はどうなりますか。
  479. 長橋尚

    長橋説明員 当時の通商局における関係官といたしまして、御指摘のような点は十分にその当時の状況におきまして調査した上で、事情を認めるもやむを得ないという結論に達したものと了解いたしております。いいかげんに処理したということは絶対になかったと確信いたしております。
  480. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 あなたはそう言わざるを得ない立場だからそう言うだけのことで、事実の解明にも何にもならぬのだから、これだけは申し上げておきます。  それから八カ月の長い間、仮陸揚げをして保税上屋に保管されておった問題についてでありますが、これも私どもは今なお釈然としないものか残っておるのであります。これについて河井刑事課長に伺いたいのだが、実は他の委員会において朝鮮からくるノリの問題がこの種のケース——この種のケースというよりも、やはり保税上屋に保管されたまま、安い値で入ってきて、日本人には高い値で売りさばかれて、いつでも巨大なものが断続して入ってくるということを聞いております。これはあるいは一つの大きな盲点かもわからぬ。あるいはこれが一つの犯罪の巣くつとなっているかもわからぬ。あるいは不当の利益がそういうことを利用して行われている面が今日脱法的に、ないしは見のがされておるのかもわからないが、こうも実は考えられるのであります。そこで一方において二千数百万円の倉敷料その他が完全に居住者の立場でそれぞれ支払いがされて、それの支払いを受けたということを答弁しておる。これは制度の問題として一応考えてみたいと思うのですが、こういうようにあなたの方においても、多くの輸入をめぐっての違法事件を取り扱った最近の経歴もおありのことと思うのです。この場合においてはやはり貿易を管理する立場において、疑って調査してみなければならぬ問題が伏在するのじゃないかとも一応われわれは推定しているのですが、こういうことについてどういうふうにお考えになるのでしょうか。あなたはこの辺についての具体的事実の推移というものをお聞き下さっておるのでありますから、どういうふうにお考えになりましょうか。
  481. 河井信太郎

    ○河井説明員 問題の点につきましてはこれが為替管理法あるいは関税法等の犯罪の容疑がございますれば、もちろんその捜査をいたすことは私どもの職務でございますから、捜査に着手いたすのでございますが、それについては犯罪の容疑と認むべき証拠の有無ということが第一に問題になると思うのでございます。ただ一般的な問題としては吉田委員御指摘のように、朝鮮のノリにつきましても保税倉庫に入っておるものが、うわさとしては繰り返して出ていって、あとの穴埋めがされておる。あるいは犯罪捜査の面に現われてきます外車、いわゆる外国自動車が関税を浦脱してそのまま町に流れていくという点につきまして、しばしば法の不備あるいは取扱いの不備というふうなものが発見いたされますので、さような点につきましてはそのつど関係各省とも打ち合せをいたしまして、かような事故のないように、また免れるもののないように十分善処いたしておる次第でございます。
  482. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 これは一般論になって、具体的な事実の問答になりませんが、ちょっとほかの方へ参ります。  香港上海銀行東京支店の柴谷さんに伺いますが、あなの方では、この輸入入関手続以前の段階におきましては、この一万トンの砂糖につきましては、あなたの方がその所有者ではなくて、その代価はニューヨークにおいてあなたの方でお払いになった。従ってその後は船積み書類、船荷証券などを担保にとり、そうしてその客体である砂糖も担保として考えていく、こういう立場におありになるのですね。
  483. 柴谷重夫

    柴谷参考人 ただいまおっしゃいました通りでございます。ただ取引の発祥地は香港でありまして、香港からニューヨークに信用状、書類が出ているわけであります。それでニューヨークから香港の方に書類が参りまして、香港から東京の方にその船積み書類を送ってきたわけであります。ということは、香港の私の店がニューヨークに対して借りができている、従って香港でその手形の決済が済むまでは、この荷物香港の支店の手形に対する担保物件であるというふうに考えております。
  484. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 東京支店は独立の日本の居住者である法人なんですね。
  485. 柴谷重夫

    柴谷参考人 東京支店は東京の法人でございます。
  486. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 要するにこの一万トンの砂糖は、その後ももちろんでありますが、入関手続の完了以前の段階におきましては、あなたの方の所有物ではない。あなたの方は債権を持っておる、ないしは二千数百万円の倉庫料その他の支払いをなさることによって、これはだれかに債権が発生するという関係が生ずるのではないですか。要するにあなたの方は鈴江倉庫に対して倉庫料を払ったでしょう。
  487. 柴谷重夫

    柴谷参考人 私の方は銀行業務でございまして、一応輸入に生じますそういう倉入れ貨物に要する費用、そういうものは一般的に業者の方で負担することになっております。従って私の方から鈴江組に払ったことはございません。
  488. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうするとあなたの方は、保税上屋にある間生じた倉庫業者の保管料その他の経費等につきましては、全然支弁せず、もしくは債務の負担をする契約をしない、こういうことになるのですか。
  489. 柴谷重夫

    柴谷参考人 お説の通りでございます。
  490. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 鈴江の北島さんに伺いますが、どちらから二千数百万円の支払いを受けられたのですか。
  491. 北島秀治郎

    北島参考人 先ほどお答えいたしました通り当貨物の名義人は香港上海銀行になっておりますが、しかし実際の支払いはオリエンタルエキスポーターを通じてすべていただいたわけであります。
  492. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 オリエンタルエキスポーター中島さんに伺いますが、あなたの方はどういう資格でどういう法律上の債務者として今の鈴江組倉庫へ二千数百万円お払いになったのですか。
  493. 中島幸三郎

    中島参考人 法律上の資格者ということに関しましては研究しておりませんのでここで即答できませんが、私どもが払いましたのは、私どもの姉妹会社から送りつけてきた荷物に関して、船が港に着いた、これを揚げなければならぬというのではしけに入れ——これは鈴江組に頼んでございますが、はしけに入れ、そして倉庫に入れる。そうしますと金を取りにくる。その場合に払ったのでありますが、究極は国内貨物になった場合——通産省その他の資金割当でも、国内貨物に対する国内経費はドルその他では割当がありません。円貨でまかなうようになっておりますので、究極は国内貨物になったものに対して円貨を支払ったというふうに自分では解釈しております。
  494. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 あなたの方は代理業として本人のために鈴江組に倉庫料などをお払いになった、こういう関係ではないのでありますか。
  495. 中島幸三郎

    中島参考人 さようでございます。
  496. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 その本人とはだれをさすのでありますか。
  497. 中島幸三郎

    中島参考人 香港にありますインターアイランド・エキスポーターであります。
  498. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうすると香港のインターアイランド・エキスポーター日本に在住しない会社もしくは個人でありますね。それに対して、あなたの方は営業上の行為として、代理業の業務として二千数百万円お払いになる、そういうことになるわけですね。そういたしますと、本人に対しまして相当な債権が発生するということになるわけではないのですか。
  499. 中島幸三郎

    中島参考人 お説の通りであります。
  500. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そういたしますると、やはりその点は非居住者のために居住者として支払いをする、こういうことになるので、これは制限を受ける関係ではないのでしょうか。
  501. 中島幸三郎

    中島参考人 そこまで正研究しておりません。
  502. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 刑事課長に伺いますが、もしそういうことが中断せられるとか制限を受けることがありましたならば、この種の、八カ月ないしそれ以上にもなるおそれのあった長い間倉庫に居眠りをすることを防ぎとめることができたかもしれぬ。もっとも半月、一カ月で収用処分し、公売処分することの結果がどういうことになるかはこれはまた別個の問題として、対策が講じられなければならぬのですが、そういうことになるのではないかと思うのであります。これは今すぐに御判断を求めることもいかがかと思いますけれども、一応法律常識といたしまして、やはりそこいらに問題があるのではないかと思われるのであります。いつまでもこういう状態が繰り返し繰り返し行われましたならば、第二の一万トン砂糖ができ、第三の一万トン砂糖ができ、こういうことになりまして、日本の正常な貿易に対して悪影響をかもし出す危険があるのではないだろうか、こういうことさえ実は考えるのでありますが、あなたはこの道をいろいろと御研究になっておる方だから、一応あなたの御意見を承わっておきたい。
  503. 河井信太郎

    ○河井説明員 お尋ねの点は、こういう点についてどのような点に刑事責任が生ずる点があるかという点に帰すると思うのでございますが、先ほど御指摘のように非居住者に対する居住者の支払いという問題が、他の事実関係から明確になって参りました場合には、あるいは為替管理法違反の問題が起る場合もあるかと存じますが、それはよく事実関係を明確にいたしませんと、簡単に結論は出ないと思いますけれども、そういう点につきましては十分検討いたしたい、かように考えております。
  504. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 やはりこの問題につきましては、税関を所管しておる大蔵省あるいは貿易を所管しておる通産省、いずれもが長らく保税小屋に放置されておるということのその経済的ないしは貿易秩序、利害、いろいろな角度から私は研究に値するものだろうと思うのですが、これは税関部長に伺っても仕方ありません。いずれ大臣にでも伺う機会を作ることにしておきましょう。  そこで次に伺いたいことは、立川研究所がこの砂糖を当初の予定通りに台湾から入って受け取ったとするならば、原価といいますか三億六千万円、百万ドル相当額を控除した四千七百余万円が差益となって、これを政府に吸い上げるか何かの方法を講じろというような意見があったことも前回の当委員会に出ておったのでありますが、差益という趣旨ではないだろうけれども、いずれにいたしましても砂糖の原価が若干違い、ないしはこれに伴う諸経費などが若干、いわゆる無為替輸入——この際の無為替輸入の場合とは若干ここの積算の基礎が違ってきておるであろうけれども、やはり少くとも差額数千万円は利益となって浮いてくるというふうに考えるのだが、そういうことも中小企業者が実績をねらって、これにアリのようにたかっていくこともさることでありまするが、そういう利益もやはり多くの人を踊らすことになった一つの誘因ではないかというふうに思うのであります。たとえば周が踊り、松平が踊ったことの一つの原因でなかったかというふうにも考えるのですが、その点はいかがなものでしょうか。これは日比野さんどう考えますか。
  505. 日比野健児

    日比野参考人 砂糖の差益の問題につきましては、御承知のように二十九年度上期までは輸出振興の立場からリンクに砂糖を使ったわけです。これが三十年度からはリンクの方式が行き詰まりましたので、そうかといってまだ外貨事情もはっきりしませんときに、必要量を十分入れるということも他方ほかの物資の輸入に影響しますので、ある程度輸入量はしぼらざるを得ないだろう。そうしますと、当然商社なりメーカーなりの純粋の商活動に基く利益のほかに、外割が少いということによる反射利益が出るだろうということで、当時砂糖差益法案と申しますか、差益徴収の法案を国会に提出したわけでありますが、いろいろの事情で三十年の七月ですか、審議未了となりまして、すぐ当時閣議了解で、法案の趣旨にのっとって行政措置で差益の徴収を継続する、そういうことで済んだのでありますが、三十一年の一月ごろになりまして、結局三十億の金を精糖関係のメーカーから自発的な寄付を受けるということで、その法案にまつわる跡始末は一応済んだのであります。そのときに通産、農林、まあ政府といたしまして決定した方針といたしましては、差益徴収というのは事実上いろいろ技術的な難点があるから、将来は外貨事情も相当明るいし、量をある程度ふやすということと、関税を上げるという措置でいこうということで、三十年からはそのような方式をとっておるわけであります。
  506. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 私の聞いたのはそうじゃなくして、いろいろな人が大いに活躍して運動費を使って詐欺にかかったということもあるので、その一つの誘因として利益が相当あったんであろう、この利益をねらったことも一つの誘因ではなかろうか、こう聞いたのでありますが、それに適切に答えておらぬ。答えておらぬが、きょうはあなたにはやめておきます。  それでもう一点伺っておきたいのでありますが、この問題につきましてきょうの段階で大きく浮び上って参りましたことは、松平何がしという人の詐欺類のこういう案件であります。そこでこれは久保田君に伺いますが、あなた方といたしましては、これは鈴木氏も詐欺にかかったというような御答弁になっておるのだが、詐欺をしたということならば、こんなにひどいことは私はないと見ておるのでございます。それならば松平が加害者か、グループがあって共犯者がぎょうさんあるのか、それは知りませんけれども、そういうことをもっと積極的にどこかへ相談するとか、あるいは何か対策を講じるとか、そういう手でもあなたの方はその後打っておりますか、その点はどうなんですか。
  507. 鈴木公直

    ○鈴木参考人 松平氏に対しては、彼の支払い得る範囲で返却を交渉しまして、現在のところ手形も加味しまして、二百五十万ばかりの手形がきましたけれども、それが不渡りになっておるような状態で、しかしもう彼の生活状態から見て、時日をかすより仕方がないというようなところで、現在はそのまま放置されております。
  508. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 鈴木さん、あなたに聞いているんじゃない、久保田君に聞いている。あなたもそういう言葉はあったけれども、るる述べられたのは久保田君なんです。久保田君の説によりますと、現金を百万円、二十万円、三十万円とだんだんと持っていって、結局これは詐欺にかかったという最後の判断に落ちついているのです。それをあなたが変にお述べになったから、きわめて重大な問題と私は考える。ことにそれが国会議員の名前が出てきた。私どもも何年も国会におりますけれども、単純なる贈収賄の問題なら、これまた一応いろいろと検討もしてみる。しかし詐欺事件で被害を受けた、しかも五百万円になる、あとで弁償したかどうか、そんなことは問題でないのであります。それが砂糖の割当についての運動費である、それに国会議員の何人か名前が出てくるということは、きわめて重大なことであると考えます。そこであなたは会計課長としての責任もある、あるいは本社並びに東京におけるその責任者でもあるし、あるいは岡部との関係もあるし、あなたがむしろ主役といいますか、あなたが最も大事なお立場であるから、だからあなたとしましては、社長とも御相談になりあるいは内部で御相談になって、これは相当な対策ないしは告訴ないしは調査、交渉したかどうか。普通はこういうことまでしなければならぬ。個人ならばまた別ですよ、しかし千葉精糖株式会社というのは法人でありますから、いわば株主が法人の資産、それを役員として管理しておりますか今質問中ですよ。     〔「五時を過ぎているじゃないか、委員長散会」と呼び、その他発言する者あり〕
  509. 坂本泰良

    坂本委員長 静かに願います。
  510. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 だから問題は、その点においてあなたにほんとうに聞かねばならぬ、こういうことなんです。それで答弁はやはりあなたからしてもらわなければならぬ。
  511. 久保田顕三

    久保田参考人 先ほど鈴木参考人も述べましたように、松平から五百万円のうち二百五十万円を手形で返して、あと二百五十万円残っていたのですが、その手形が不渡りになっておるので、まだ未決済であります。それで私の方ではなお松平あとを追いまして、人を介して松平を究明しております。もちろんそのままではおけずに、現在松平の家屋、財産というものに対して、それを差し押えしております。
  512. 坂本泰良

    坂本委員長 ほかに御質問もありましょうが、本件に関する調査は、本日のところはこの程度といたします。  参考人各位には、御多用中のところ、長時間にわたり当委員会調査に御協力いただきまして、まことにありがとうございました。御退席されてけっこうです。  本日はこの程度にして、散会いたします。     午後五時十八分散会