○長橋
説明員 通商産業省といたしましては、この立川研究所問題でございますが、この話の起りは二十九年秋くらいでございまして、この立川研究所でいわゆる虎木綿と称せられます人造繊維の製造法についての特許と申しますか、ノー・ハウを持っておったわけでございます。ちょうど台湾の東方貿易行の方から、台湾と中国本土、香港にこれを実施する
権利を立川研究所から買い取りたいというふうな話がございまして、立川研究所としては、特許の国内における実施化のためには、台湾その他に対して一定の局限された地域についてこの実施権を与えて、対価を得る。そうして企業化の資金を得るというふうな意味合いで非常にけっこうであるというふうなことで、両当事者間で二十九年の秋以降話が進んでいたわけでございます。その際対価といたしまして、百万ドルという話が先方との間に出ました。しかしながら台湾としては、特殊な経済事情のもとにありまして、対価を立川研究所にドル現金で渡す、あるいはオープン・ドルで一括支払うということができない。中華民国の経済事情からして政府によって認められない。それで物によって
一つ引き取ってくれないかという話が東方貿易行から持ち出されたわけでございます。物といたしましていろいろなものが両当事者間で検討されたようでございますが、結果において百万ドル相当の砂糖を引き渡すことによって、対価として認めてほしいというふうな話になりまして、たまたま東方貿易行の
関係会社が、キューバの砂糖を手当てしているので、これの百万ドル相当分を渡したいというふうなことになりまして、政府に話が正式に持ち出されましたのは三十年の一月になってでございまして、通産省の方には、対価として物で受け取る、砂糖百万ドル分についての無為替輸入の許可
申請が出て参りました。一方特許の実施権を東方貿易行に与えるというような面につきましては、役務契約の許可
申請——為替
管理令の十七条に基く
申請が
大蔵省に持ち出されました。両省協議いたしまして、結局台湾経済の特殊事情というふうな点を勘案いたしまして、物で対価を認めるという点はやむを得ないというふうな結論になりまして、三十年の三月一日付で役務契約の許可が
大蔵省の方でおろされまして、通産省の方で三月の二十三日付で無為替輸入の許可をおろしたわけでございます。そういうことで一応その立川研究所は
一つの輸入の
権利を——無為替輸入でございますが、取得いたしましたものの、その後先方側との話がうまく進みませんで、なかなか砂糖の現物がつかめない。一方東方貿易行の方で手当てした分は、話がなかなか日本政府の方との間で難航したというふうなことを理由に契約を破棄されるというふうなことで、延び延びになって参ったわけであります。一方先ほど申し上げました通産省でおろしました無為替輸入の許可期限は七月の二十三日、四カ月をもって切れるというふうな事態になりましたが、せっかくの話であるし、船積み日数の
関係、航海日数の
関係でやむを得ないということで、三カ月の延長をいたしました。その間においてもなお現物引き取りの事態に至らないということになりまして、三十年の十月の二十三日をもって無為替輸入の許可が切れた際、立川研究所の方からはもうしばらく延ばしてほしいというふうな交渉の申し出がございましたが、もうこれ以上そういう不確定な話を延ばすわけにはいかないとはっきりこれを拒絶いたしました。それで立川研究所の方といたしましても、現物をもって対価として受け取るという台湾の東方貿易行との間の技術援助契約の話をあきらめたわけでございます。そういうふうな形で、先ほど食糧庁第二部長から御
説明いたしましたように、これが結果において実現しなかったという
経緯は以上申し述べた
通りでございます。
さて台湾側の東方貿易行の方では、キューバ糖をつかむ努力をしていたわけでございまして、ちょうどこの許可期限が切れるのと前後いたしましたころに、今度はまた新しい海外の商社が現物をつかんで、これをぜひ日本で引き取ってほしいというふうなことで、香港貿易という
会社が日本で引き取られることを期待いたしまして、見越し輸入と申しますか、そういうふうな形で日本の港に持ち込んだわけでございます。これがやはり当初からの話にも百万ドル相当、大体当初の話の持ち出されましたころに比べますと、糖価も上っておりまして、大体一万トン弱という
数量であったわけでございます。ところがもう無為替輸入の許可が立川研究所に与えられました分は、十月の二十三日をもって失効しておりまして、もうそういった無為替輸入ということで認めることはできない。そこでこれが勝手に日本で買い取られることを期待して、香港貿易が日本の保税上屋まで持ち込んだというふうなものが、どのように日本に引き取られるかは、いわゆるアフロートと申しまして、こういった事例はままあるわけでございます。砂糖のような投機的商品、国際商品にはままあるわけでございます。それで保税上屋まで持ち込んだものを、外貸の割当を受けた商社、あるいは割当を受けた需要家から発注を受けた商社が、これを直接新たにキューバなりドミニカに発注するよりは割安で採算に乗るという認定をしました場合には、すでに日本の保税上屋まで持ち込まれておるものを引き取るというケースがあるわけでございます。そういったものとして、適当に
民間業者の方の商業活動としての判断によって引き取ることになるわけでございます。このケースにつきましても、私
どもその後の情報として仄聞いたしておりますところでは、
昭和三十一
年度の第一回の砂糖の外割は、ポンド貨で買うならばどの地域から買ってもよろしいという形で、三十九万トンの第一回の割当が行われたわけでございます。その分のうち、私
ども仄聞いたしておりますところでは、これが商社にいわゆる実需割当ではございませんで、商社割当——それからもう
一つ、これに対応いたすものといたしまして、再精糖業者に対する発注証付の割当というものがございますが、それではございませんで、商社に割り当てられたワクの中でこれが引き取られたというふうに聞いております。従いましてその
数量は一万トン弱ということでございますが、種類といたしましてはドミニカ糖ということでございます。要約して申し上げますと、立川研究所との
関係の問題は、三十年の十月二十三日に無為替輸入の許可期限が、一回延長いたしました後切れますと同時に、もう全然
関係なくなっております。それからその残りの品物と認められますものが引き取られました分——商社割当の分はそれによって引き取られたというふうに聞いております。以上でございます。