○白幡説明員
インドネシアでは
日本に留学生を送るということに対しまして非常に熱心でございまして、ただいままでは、大西
委員からただいま
お話のございましたように、
日本の文部省の経費によるごくわずかの留学生とか、あるいはごくわずかのコロンボ・プランが送りました者、それから
民間で若干やってございます、たとえば関西にございます近畿大学で全額出して
インドネシアから学生を呼んでいるものもありますし、それから
民間の商社でもって若干学生だとか研修生を置いているものもあります。
しかしこれらのほかに、四年前でございますが、御
承知と思いますつが、
インドネシアの
政府の経費でもって七十五名ばかりの学生を一挙に送ってきたことがございます。そうしましたところが、実は当時といたしましては、
日本側といたしましても、それだけの大量の学生を受け入れるだけの十分な心がまえと申しますか、ございませんでした。しかし極力世話をいたしまして、各
方面に分散いたしまして教育したのでありますか、向うから参ります学生は、主として
インドネシア政府の
政策といたしましては——
独立戦争中に学業半ばで
独立戦争に参加した者がおるわけでございます。それが
独立戦争が終りましてからまた再び学業に帰ります。これを復員学生とわれわれ俗称しておりますが、その復員学生に対して、国のために奉仕したのだからやはり優先的に何かやってやりたいというのが
インドネシア政府の希望でありまして、
政府出資の場合にも、またプライベートの出資の場合にも、とかくそういう学生が優先的に来ているわけでございます。ところがこういう連中の中には、やはり一時相当荒っぽいことをやってきた連中だものでございますすから、
精神的に、気の荒くなっている者がありまして、そのために
インドネシア政府から送って参りました学生の中に、若干名、どうもおもしろくない学生もおったわけでございます。しかし大部分はなかなかいい成績を上げております。特に
日本の銀行
関係で勉強した者、それから造船
関係で勉強いたしました者は、非常にいい成績を上げました。それで帰りましても相当団結して、現在向うの
政府で相当重要な役割をやっております。ところが中に若干名、そういう分子がありましたために、その他財政上の理由もございましょうが、その後は大量の者を送ることはございません。昨年はそのかわり十数名でございますが、やはり向うの
政府の出資でやってきております。この場合はやはり独身であるとどうも気か荒くなるというので、できるだけ夫婦同伴でやって参りまして、奥さんの方も
日本で勉強しておるという状況になっております。
こういう状況なものでございますので、私
どもが今までわかりました限りでは、やはり
インドネシア政府の経費——これは先方の予算の上から申しますと、文部省とそれから復員軍人省というのがございますが、大体それの共管になっております。それでこの計画を立て、そこの予算でもって送ってきている学生、こういうものを、できれば
日本の
賠償計画に乗せる、
賠償計画で受け入れたいという
考えを持っております。それ以外に私
どもが具体的に話しましたのは、先日
スカルノさんと
一緒に参りました海運相のナジールさんという人が——やはり
インドネシアにとっては造船というのは非常に重大な産業でございますので、こういう造船業に従事すべき工員の研修生を
日本で養成してもらいたいという希望がございます。これもおそらく先方が具体的にそういう案を作りましたならば、やはり
賠償計画の上にも載ってくるのではないかと思います。現在のところ一体どれくらいの規模で参りますか、そこまでは実はまだ話はいっておりません。