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瀬藤参考人 私は
瀬藤でございますが、本日お招きを受けましたのは、どういう
意味かということははっきりいたしませんが、前々に、
理化学研究所時代に、あすこの中に
一つの
研究室を持ちまして、
主任研究員として
相当長い
期間研究をいたしておりましたことと、
大学教授として
本務をやっておりましたことと、現在ある
会社の
役員をいたしております、この三つのことが、私のこの問題に
関係して
意見を申し上げる根拠と
考えていただいていいんじゃないかと思います。
自分のことを少し出し上げておく方がいいかと思いますが、
理化学研究所が
大正の六年ごろに設置されましたときに、私は先輩の
鯨井教授のお勧めを受けまして、
理化学研究所の
研究のことを、
大学の職員である
本務のかたわらいたしておったのであります。その後、
大正十五年と思いますが、
主任研究員を言いつかりまして、
理化学研究所の中に
瀬藤研究室というものが設置されたのであります。主として
電気関係のことを
研究いたしておりまして、その
研究の
成果の中には、
皆様御
承知の
アルマイトというものがございます。これは
アルミニウムもしくは
アルミニウム合金の表面に電解的の方法で酸化をいたしまして、
相当しっかりした被幕を形成する、
そのものが
アルミニウムを主体とする
器具類の
摩耗腐食を防止する性能を持っておりますので、これを工業化することに努めましたのであります。
アルマイトという
名前は私
どもがつけたのでありまして、
世界では、そういう
仕事を始めたのは
最初のものであります。その後、
世界各国でいろいろなことが行われるようになりましたが、それは私
どもの
あと続いていろいろなものができ上った、こう言っていいと存ずるのであります。これは、そういうことを作り上げようという意図を持って始めた
研究でありませんので、熱に耐える
電気絶縁物を作り上げるという
研究の、その
最初の
目的から新しい事実が見つかったことに基因しまして、
最初の
目的と離れたけれ
ども、有用なる
応用が見出された
一つの例だと存ずるのであります。後に申し上げますことに
関係があるから、それを特に取り立てて申した次第であります。
日本の
学術界、
産業界に対しまして、
理研が今までになし遂げた
業績というものについては、ここに御臨席の
皆様方が十分御認識をしておられることと思います。ところが
現状はどうであろうか。私は最近しょっちゅう参っておるわけではありません。もう
主任研究員をやめて数年になりますので、ときどきしか参りませんのでありますが、かつて
日本有数の
研究機関であったそのおもかげというものは全く消え去ったと言っても過言ではない。ちょっとひどいところは化けもの屋敷のようなところで、必死のあがきをして、
研究者が勉強をいたしておるという
状況と申してよかろうと思います。
どうしてこんなことになったがということを少しお話し申し上げたいと思います。終戦直後でありましたが、
GHQ——連合軍司令部の中に
経済科学局というものがありまして、その中に
科学技術課というのがありました。そこの次長をしておりましたH・C・
ケリーという男がおったのでありますが、この
ケリー氏がいろいろの
方面で
日本の
科学技術を立て直すことに非常な好意を持って、かつ熱心に進めておってくれたのであります。その全体の功績は非常な大きなものでありまして、これはみなこの
関係方面の
諸君が感謝しておるところであるのであります。ところが、その
ケリー氏が、この
理研というものを
株式会社にして出発したらいいだろうということを、当時としてはアドヴアイスという
言葉を使いましたが、大体において
指令をしたと同様であります。その結果、
昭和二十三年の初めでありましたか、
株式会社科学研究所として
理研が最出発をすることになったのであります。今から約十年前であります。
ケリー氏のやったことの中で、この
指令を出したということは、
一つの
失敗であったと思います。当時、
理研の再興に当ったのは
仁科芳雄君でありまして、ときどき私も
仁科君からそのときの
状況を聞き、かつ、たまには
ケリー氏にも会って私の
意見を申したのでありますが、彼の言っておる
株式会社として
研究を
商売にするということは、
日本ではとうてい成り立たない、少くとも当分の問は成り立たないことであるということを私は
相当強い
言葉でもって申したのでありますが、しかし、
ケリー氏は
米国の例を引きまして、
米国では数多くの
研究所が
研究を
商売として成り立っておる、
日本は今後
科学技術で国を立て直すほかないのであるからして、
理研が
株式会社として立っていけるはずである、もしこれで立っていかないようならば
日本自身がだめなんだ。必ず
株式会社で立っていかれるようになるべきだというのが彼の主張でありました。しかし御
承知のように、その当時のことから今に至るまで、私
どもが見るところでは、
研究を
商売として成り立たないということは事実として明らかになって参りました、余談でありますが、私は一昨年アメリカへ参りましたときに、二回とも
ケリー氏に会いました。そのときに、君が
日本で在勤中にやったことは大体ばいい結果に向っておる、ただ
一つ理研を
株式会社にしたということは
失敗であったと率直に申したのでありますが、彼も、彼が帰った
あと理研がどうもうまくいっていないということを人ずてに聞いたのでありましょう、
自分もそう思う、今非常に後悔しておるということを、しょげた顔をもって言うのであります。あまりしょげるものですから、君も神様でないから、必ずうまいことばかりはないので、
失敗するのはやむを得ないんだということでなぐさめたぐらいであります。もちろん今はわれわれ
日本人が
自分たちの問題として、現在の
科研をどうすればいいかということを
考えるべきでありまして、
ケリー氏がやったことだとして、彼に罪を着せて済ませておくというわけにば参りません。
私は平生から
研究所というもののことをこう
考えておるのです。
研究所は
研究者というものを
中心として、土地、建物、
設備など合せて、
一つの生きた生物のようなものである、
研究所は固定した無生物ではなくて、生まれて
栄養をとって育っていくべきものである、こう思うのであります。生まれてきてからたどってきた境遇とか環境とかいうものとともに、
一つの
性格を形作っていくことはその結果当然でありますが、
理研か戦前にたどっていった経路というものは、
大学の
研究室あるいは
大学付属の
研究所、あるいは各
官庁の
研究所あるいは
会社の
研究所などの、そのいずれとも幾らか違ったものがあると思います。すなわち、
理研としての
一つの独自の
性格を持って育ってきた生きものであるというような感じがときとしてはするのであります。今やその
性格なるものが
日本にはもはや必要がなくなったのであるということとは、どうしても
考えられないと思うのでありますが、独自の
性格というのは何かと
考えてみますと、これは単なる
学問研究の
機関でない点で
大学の
研究室と違っておる。また各
官庁の
研究所というものはそれぞれの
官庁の
使命、職責を果すために存在しておるのが本来の
使命でありますが、
そのものとも違っておる、
会社の
研究所はそれぞれの
会社の
製品品種の改良、進歩、
開発を
使命とするものであるので、その点においても、必ずしも
理研のようなものと一致した点ばかりではないと
考えるのであります。
理研の場合には、
各種の
基礎科学というものを逐次発展させつつ、その
成果を
産業に
応用して実用化するということか今までたどってきた
一つの行き方であります。すなわち一方において
自然科学から生まれるところの
成果を
産業に
応用するという面であります。他方、
産業の要望する新
方面を
開発するのに何が隘路であるかということを見定めまして、
自分の
研究所の中に持っておるところの
基礎科学をその
隘路打開のために総合して、その解決をはかるという面を持っておるのであります。数々の
理研の
業績の中には、この
二つのことが両方とも達成された実績を持っておると
考えられます。総合してそういう結果があげられるという
一つのバランスのとれた
研究組織というものは、これは一朝一夕にできるものではありませんので、現在の
科研か持っておるこの
素質というものは十分尊重され、かつそれを伸ばしていくことによって、
国民の要望するところの
科学技術の
成果が、
ほんとうに
国民の幸福、
国民の
経済生活の向上に役立つことができることと
考えるのであります。
素質が十分あるということは、これは私一人の
考えでなく、
皆様もお
考えなさることと思うのでありますが、しかし、今までのようなやり方で、また
科研の
現状のように荒廃した
設備そのままで、また聞くところによれば、
研究者の
給与のごときも、およそ
考えられる同種の
仕事をやっておる
人たちに比べますと一段と低いというような、その
状況のままでこの
素質を生かして、
国民の
期待するところを達成されるということは、これは
相当無理なことと思うのであります。
今度の
特殊法人理化学研究所法案というものは、その
目的の項の中で、「
科学技術に関する
試験研究を総合的に行い、新
技術の
開発を効率的に実施し、並びにこれらの
試験研究及び新
技術の
開発の
成果を普及することを
目的とする。」こう記載しておられるのでありまして、御
趣旨は非常にけっこうと存じます。ただ
考えておかなければならないことは、現在の
科研は、先ほどから申し上げましたように、戦後長い間
栄養不良で、
着物もずたずたにちぎれたものをまとって着せられておる。まあ極端にいえば半病人のような状態にあるということであります。これに
栄養を与えて、
着物も一応まともなものを着せて、そして元気を回復させることが第一であろうと思います。元気を回復したならば大いに働くということか可能でありますが、あしたからすぐ走り出せ、走り、かつ、
短距離競走ですぐ
ゴール・インせよというようなことを
期待するのは、これは私の
考えでは無理なことではないかと思うのであります。従いまして、今ここに掲げられてありますところの
法案自体は、けっこうでありますが、それに準拠してとられまする
予算的措置あるいは
運営の
実態については、何がしかの
希望を申し述べたいと思います。
その第一は、何よりもまず大切なこととして、
研究者に対して将来に対する
希望を持たす、よく勉強するならば必ずあの
理研というものを一生の
働き場所として守り続けることができるのだという気持を持たせることだと思います。これかありませんと百般の施設はむだに終るのではないか、こう思うくらい重要と思います。
第二は、従いまして
研究者の
給与が
研究に悪いようであるのを、これを
世間並みに改めるような
措置が講ぜられることであります。
第三には、さっき申した
設備を
相当更新しなければならない。現実にあれだけの力を持っている
研究所で、
相当りっぱな、かつ大
規模な
研究規模を持って
研究させておる
公立、
官立研究機関が非常にたくさんございますが、それに比べますと、まるで見劣りがし、かつ実力に応じたものとしての
設備とは申せないと思います。
四番目には、
経営費を
自立経営として支弁していけるようになるまでの
期間のことでありますが、これをあまりせっかちに短かく設定しないことか肝要であろうと思います。あまりに短
かい期間に
ゴール・インせよということばかりしいますと、その
研究の
成果はごまっちい、小さいものばかりをねらうことになり、長い間に
成果を上げて、
ほんとうに
国民の
希望を満足させるようなことに向けにくいことになろうと存ずるのであります。
第五には、今の
科研では、これはどういうことか知りませんが、
役員としては、
現職の
研究員はだれもいないようであります。これは
研究に専念することを第一の目標として、その
人たちには
役員というようなアドミニトレーティヴな
仕事をやらせないのがいいのだという見地かと想像されますが、今度の
特殊法人理化学研究所の
役員の中には、その
理事としては
現職の
研究員の中からだれか適任の人を選任されまして、
研究者の
考えを
役員会の
業務運営方針に直結して反映させるようにされることが、この
研究所の
運営上肝要なことであろうかと存ずるのであります。
次に、
理研以外で、実験室的の
規模などで芽ばえた新
技術を
理研が取り上げて
開発するということが、この
法案の意図されておる中にあるのかと想像される節が見えるのでありますが、これを新
理研の
業務範囲ともし
考えておられるものとすれば、これは必ずしもそううまくいかないかもしれない。何となれば、
理研の
性格上といいますか、専門の分野におきましても、よそで芽ばえたものを取り上げてそれをものにするというだけのところまでは、
範囲を広く持っておらないと
考えられますので、そのことにあまり大きい
期待をかけますと、
期待はずれということになろうかと思うのであります。
最後に、これは小さいことのようでありますが、現在の
科研の
経済からではできないことのように思いましたので、つけ加えて申しますが、優良な
発明が新しい
理研の中に生まれた場合に、
国内はもちろんのことでありますけれ
ども、主要な
外国に対しては
特許出願かできるだけの
措置が
考えられておることを必要と思います。これは一件について十五、六万円というような費用がかかるのでありますから、もちろん厳選しなくちゃなりませんが、せっかくできた
発明が
国内だけにとどまって、これを
外国までその権利を確保することができませんと、現在でもすでに
外国からの
技術に対して
日本が
相当の
特許料を
外国に払わせられているということに対するしっぺい返しはできないことになるので、これは厳選はしましても、
相当の果敢な
出願方針をもって臨まれることを要望したいと思うのであります。
以上、私は平生
考えておりましたことを一応申し上げたのでありますが、何かまた御質問でもありましたら、申し足りないところを補わさせていただきたいと
考えておりますので、一応これでもって私の陳述を終りたいと思います。ありがとうございました。