○多賀谷真稔君 私は、
社会党を代表して独占禁止法緩和と
中小企業政策の関連性並びに
労働、文教の諸
政策につき、
政府の所見をたださんとするものであります。(
拍手)
戦後直ちに
農民に対しては農地関係法が制定せられ、農亀の解放が行われ、
労働者に対しては
労働三法ができて
労働基本権が付与されたにもかかわらず、ひとり
中小企業者は何らの保護が加えられず、
政府の
政策のらち外にあって放置せられ、戦後十二年の今日、ようやくにして
中小企業に関する法案が院の内外に脚光を浴びてきたことは、おそきに失するの感ありといえども、まことに喜ばしき次第であります。(
拍手)しかし、しさいに
政府の法案を検討するに、
中小企業の最大の課題である
独占資本の圧迫から
中小企業を守れという、この点については、大いに欠けておる点にわれわれは気づくのであります。(
拍手)
独占資本は、中小資本の支配を、大体次の方式によって強行して参りました。その第一は、大
企業が原料製造よリ最終製品まで一貫
生産を行い、
中小企業の強力な競争者として市場に現われてきたということであります。たとえば、紡績、化繊の大メーカーが染色加工から縫製工場まで手を伸ばし、自家商標マーク入りのワイシャツ、ブラウス、学生服まで製造しておるような現状であります。第二には、加工部門を下請として出し、下請の低
賃金による収奪を行う一方、市況の変化に対処するために危険分散をはかりつつあるのであります。大
企業の合理化対策は、まさに
中小企業の不合理化強制と化し、その負担は全部
中小企業に転嫁される仕組みになっておるのであります。第三は、
生産制限、出荷制限等を行い、独占価格を形成して販売価格をつり上げているということであります。これが
中小企業を、原料高、制品安に追いやっておる大きな
原因であります。この三つの方式を強行することによって、独占集中は進み、わが国の
独占資本強化の体制はますます確立されつつあるのであります。
この中にあって真に
中小企業を保護育成するためには、この
独占資本強化の方式に対して徹底的にメスを加える必要があると思うのであります。(
拍手)わが党提出の
中小企業の産業分野の確保に関する法律案、
中小企業に対する官公需の確保に関する法律案はまさにそれであり、
独占資本の進出防止、
中小企業の市場確保の法案であります。この法案について
政府はいかに
考えられておるか。もし反対であるとするならば、
政府の
中小企業対策は、
独占資本との対決の意味における
政策ではなくて、
中小企業者間の
調整または消費者の方に向っての対策のみであって、真に
中小企業の保護育成をする何ものでもないことを立証するものであります。(
拍手)
しかも、さらに重要なことは、
中小企業の保護を唱えながら、次期通常
国会には、不況カルテル、合理化カルテルの
条件の大幅緩和をなし、
投資調整カルテル、価格安定カルテル等を届出制にして独禁法の骨抜きを企図せんとしておるようであります。独占禁止法は、過度
経済力集中排除法とともに、
経済民主化法制として発生したものでありますが、
昭和二十四年、二十八年の再度の改正にあい、多くの適用除外立法の制定により、独占禁止法体制は漸次後退の一路をたどっておるのであります。
独占資本強化の前に、この
経済憲法の番人といわ拠る公正取引委員会が悲壮な決意をもって孤城を守っておることは、皆さん御承知の
通りであります。(
拍手)
カルテルは、自由競争のもとに価格形成が行われる市場に人為的に干渉を加、にようとする組織であり、自由競争を制限するものであります。
岸内閣は
自民党の政党内閣であり、
自民党は自由主義、資本主義をその党の党是とされていると聞いております。自由競争は、資本主義社会における進歩の原動力であり、各人が最大利潤の追求のもとに創意を搭難しながら自由に競争することによって往会における進歩があると説かれ、自由競争は
資本主義経済における金科玉条のものと
考えられておると、私ほ承知しておるのであります。ところが、カルテルはその自由競争を制限するのであるから、自由競争は進歩であるという看板をおろされたのであるかいなか。もし、
政府が、カルテルを結成しても、なおカルテルの内部の競争をあげて弁明するとするならば、それはきわめて形式的、観念的口実であり、全く詭弁であると断ぜざるを得ないのであります。(
拍手)カルテル統制が真に市場の安定をもたらすものとするならば、それは常に私的
企業の利潤動機と結びついているところに問題があることを忘れてはならないのであります。カルテル統制によって真に
経済の安定1を求めようとするならば、利潤追求乏結びついた私的独占を排除して、消費者、
労働者にまって管理された社会的独占によって行われるべき竜のであります。(
拍手)すなわち、わが党の主張する社会化に訣って行われるべきものであります。
自民党政権の竜とにおける私的利潤追求の
手段として行われるカルテル、トラストは悪の行為であるといわなければなりません。もし独占禁止法が緩和されるならば一般消費者が困ることはもちろんのこと、原料高も製品安に悩む
中小企業はますます苦境に陥わも現在
中小企業救済の福音のことといわれておる
中小企業団体組織法案も、
独占資本の猛威の前にはトウロウのおのにすぎなくなることは。火を見るよりも明らかでありますむ(
拍手)これらに対する
岸総理並びに前尾
通産大臣の
答弁を承わりたい。
次に
労働政策についてお尋ねいたしたい。
岸内閣の
労働行政は、ビスマルクの故知にならってか、あめとむちの
政策を持っているといわれておるのであります。まず、その、あめといわれている最低
賃金法案について検討してみたいと存じます。
自民党の
労働問題特別委員会において発表した最低
賃金法要綱にまれば業者間協定を主体としてでき上っており、その業者間協定が一亀城において大部分の
労働者に適用するに至ったときは他の
労働者にも適用する等の、かなり細部にわたって作られておるのであります。しかし、問題は、業者間協定が土台になっておるということであります。もし業者間協定が自主的に結ばれないならば、法律そのものは全く動かない法律と化すの乏あります。死文と化するのでありますまた、その業者間協定がどしどル締結されて動く法律として活動する
状態になるときには低
賃金の固定化法案としての役目を果す結果を招来するのであります。(
拍手)かように、
政府及び
自民党の法案は、低
賃金を排除し、最低生活を維持すべき真の最低
賃金法案ではなくして、ソーシャルーダンピングを初めとする内外の非難を糊塗する、まことに似て非なる最低
賃金法案といわなければならないのであります。(
拍手)
政府が鳴り物入りで宣伝しておりました静岡県のミカン、マグロの業者協定も、実はもこの安い
賃金では中学、高校の卒業生は全くそっぽを向き、清本のカン詰協会では、三十数名募集したにもかかわらず一八の応募者もなく、この
賃金では新しい
労働力は得られない実態であったといっておるではありませんか。業者間協定たる最低
賃金法案に対して、
労働大臣の
答弁を承わりたい。
石田労働大臣は、先般、
労働基準法施行十周年の式典に当って、白の土着、黒のズボンといういでたちで現われ、
労働者のサービスボーイだと強調されたそうでありますが、石田労政は、今やサービス行政より警告威嚇行政べ移行されたといわれておるのであります。公労法第十北条の統一的解釈を発表して、よき
労働慣行を作ると称し、定時出勤、順法闘争まで違法なりときめつけておるのでありますが、公労法制定以来牲公労法をじゅうりんしてきた
政府に軸一体よき
労働慣行を作れと言う資格があるのかどうか。(
拍手)
政府はこの際謙虚に反省する必要があると思うのであります。争議権を奪われ、その代償たる仲裁まで履行されず、やむを得ず行なってきた、ささやかなる団体行動を、しかも、平常規律がルーズになっていることはたなに上げて
労働運動のときだけ違法であるといも変則的解釈は、
労働法の生々発展の歴史もわきまえす、
労働法の精神を忘れた、まさに三百代言的言辞であるといわなければならないのであります。(
拍手)
杵島炭鉱の争議の支援ストに対する違法声明も、炭労の単一組合たるの
性格を忘れ、直接間接の利害関係を持つ同種の
労働者の同情ストは違法にあらずという多数説に反してまでこの警告を行なったことは、あまりに一方的解釈であると断ぜざるを得ないのであります。(
拍手)公労法第四条第三項の逆締めつけの規定は、本来の
労働法の大
原則に違反するものであり、ILOで採択されました結社の自由及び団結権の擁護に関する条約にも抵触するものであり、民間労組であれば、使用者か従業員でなければ組合員または役員となることを得ないということを
要求すれば、逆に使用者は不当
労働行為に問われるのであります。このことは、
昭和二十四年から二十五年、
労働省の労政局長名をもって都道府県の知事に通達いたしましたその指導通牒に明白に書いてあるのであります。(
拍手)かような不当な規定を法制化し、被解雇者が代表者になっておるということを
理由に、団交を拒否L続け、昇給等を一方的に行なって組合を威嚇し、ついに組谷をして公労委あっせん案をのまざるを得ない
状態に追いやり、まさに力関係において解決した事実を、われわれは見のがすことができません。これを推進した
政府の行為は
労働行政上許し得ない問題であると思うのであります。(
拍手)なるほど、一時的には解決しておるようでありますけれども、決して
根本的に解決したものではありません。
公企体の労使関係の不安定な
根本原一因は、当局にその団汰交渉の当事者能力がないということであり、
労働組合に基本的権利がないということに起っておるものであります。団体交渉が十分行われず、
政府は裁定を履行せず、いびつな闘争が行われ、そのつどに処分者を出すということは、本末転倒もはなはだしいものといわなければなりません。(
拍手)これを
幾ら繰り返してみても、問題は解決しないのであります。むしろ、組合に争議権を与えることによって労使の責任体制を確立し、世論の支持の中に問題を迅速に解決さすべきことが、私は至当であると思うのであります。私
企業ならば争議を前にして瞬時にして解決する問題が、公否体落義権妻いが豊に庫も二年も延ばされておるという現実を直視しなければなりません。このことを
政府はよく
考えていただきたいのであります。関西
労働法学界、関東
労働法学界が、あげて、公企体
労働者に争議権を許せと主張しているではありませんか。争議権を評すことは、むしろ紛争を少くするということを銘記していただきたいのであります。(
拍手)
さらに、最近における
政府の和歌山県の公安調査局によるスパイ強要事件、福島大学の全学連スパイ事件、大分県菅生事件のおとり捜査等を見るときに、やがて
岸内閣労働行政は、サービス行政より一警告威嚇行政べ、さらに特高謀略行政へと三転ずるのではないかということを憂慮するのでございます。(
拍手)昨日、総理は、施政方針において、集団によるいわゆる実力行使によって法の秩序を乱し、あるいは公務の執行を妨害するような組織的暴力があると言っておるが、一体これは何をさすのか、不明にしてわからないのでありますが、もし軍事基地反対闘争あるいは
労働争議等の社会運動をさしておるとするならば、全く近代的政治家としての適格性を疑わざるを得ないのであります。(
拍手)これらに関し、民主的政治家として再登場された総理の所見を承わりたい。
第三に、
政府の文教
政策について
質問いたしたいと思います。
岸総理は、全国遊説において、総評をたたき、日教組を目のかたきにして攻撃してきたようであります。
岸内閣は、
労働、文教の二
政策に重点を置いて、保守政権の長期安定化をはかり、民主的諸勢力
弾圧の上に、アメリカヘの従属体制をますます強化しようとしておるようであります。このことは、
労働運動の
弾圧と教育の反動化を意味するものであり、特に教育は、内容、
制度の両面から国家統制、中央集権化がはかられ、戦前教育逆行への真に憂うべき様相を示しているようであります。教育の地方分権化、教育の自由は、言うまでもなく、民主主義の基本的
原則であり、戦後の民主的教育を貫く大きな柱になっておるのであります。しかるに、現在、
国民道義の高揚、愛国心の癒養という美名のもとに、教育課程を改悪し、国家制統の疑いのきわめて濃厚なカリキュラムを押しつけたり、実質的修身科の復活や、あるいは教科書国定化の方向を企図している事実は、明らかに教育反動化の推進を物語るものと
考えなければなりません。(
拍手)
われわれも、決して道徳教育の必要性を否定するものではありません。しかしながら、きわめて重要なことは、道徳の教育は、他の教科のように知識体系としての教科によってはならないということであります。かつて、ペスタロッチは、生活が陶冶するという原理を発見し、教育の歴史に偉大な貢献をいたしましたが、道徳の教育は、なすことによって学ぶのであります。道徳の教育は、特定の科目を設けることによって行うのではなくて、全教科の中においてこそ取り上げていくべきものであってこれが児童の生活の中に血となり肉となって入っていくのであります。修身科復活は、論語読みの論語知らずを作るものであり、まさに無用の長物といわざるを得ません。もし政治家が道義の頽廃を感ずるならば、われわれは、政治の貧困こそその最大の
原因であることをお互いに反省しなければならないと思うのであります。(
拍手)
次に、教員の勤務評定の問題でありますが、地方公務員法が制定されて以来、久しく実施を見なかった評定を急に強行しようとする意図は、これまた教育の自由を侵し、教育を中央集権化する以外の何ものでもないと
考えるのであります。地方の委員会においては、教員の勤務評定は不可能だといっているところもあるごとく、今日までできなかったというのには相当の
理由一があるのであります。(
拍手)教育に従事する教員の勤務評定は、最終的にはその教師が行なった教育の
効果そのものを判定しなければなりません。画一教育を排し、個人の尊厳を前提に、二、の完成を目ざしていく新教育の
効果が、一校長や一教育委員によって果して評定が可能でありましょうか。主観によって評定されるがために、教師は、子供に情熱をささげる前に、まず校長、教育委員の顔色をうかがわなければなりません。そういう卑屈な雰囲気で、どうして自由な教育ができるでありまし、占うか。教師が自由に情熱を持って教育に打ち込める雰囲気を作ってやることこそ行政官の役割であると思うのであります。(
拍手)今まで評定が実施されなかった真の
原因を、この際真剣に再検討すべきではないでしょうか。
労働運動
弾圧の一環として、この問題が取り上げられたことは、きわめて遺憾であり、われわれはここに教育の
危機を感ずるのであります。
政府が真に教育に重点を置くならば、修身科復活や勤務評定以上に緊急なる問題が山積しておることを指摘せざるを得ないのであります。一学級六十名に上るすし詰め学級の解消、百六十億に上る父兄負担の軽減は、一体いかにするつもりであるか。義務教育
水準の確保、父兄負担軽減の公約は、いつ果されるつもりであるか、これらに対する総理並びに文部
大臣の御
意見を承わりたい。(
拍手)修身科の復活、勤務評定の強行、紀元節の復活等は、撃ちてしやまん、——撃ちてしやまんという戦争愛国心を鼓舞する教育であり、
労働運動の
弾圧とともに、再軍備べの
基礎工作であると断ぜざるを得ないのであります。(
拍手)
わが党は、かかる
労働運動と教育の
危機に際し、平和と民主主義を守るために党をあげて戦うことをここに強調し、
質問を結ぶ次第であります。(
拍手)
〔
国務大臣岸信介君
登壇〕