○小林(信)
委員 非常に広範囲に、しかもそれぞれ
相当な
内容を持ってお話願ったわけですが、そうするとやはり
学校教育というものを主体にして
文部省としては考えていくというようなお考えのようにお聞きするわけですが、それも今お述べになった非常な画期的なものもあるわけです。
相当青少年諸君も救われると思うのですが、しかし今までの大体そういうものについての
文部省の施策を考えてみたときに、定時制、通信
教育、こういうようなものは、今の
教育機関としては
相当これは重視されておる問題ですが、これに対する
文部省の予算等の措置はきわめて少いわけなんです。かえって最近の地方財政等の事情から考えれば、定時制というふうなものは順次減らされていくような運命にあるわけです。それだから充実できない。
文部省としてはその対策が果してできるかどうか。これはかなり疑問に考えるわけです。青年学級等も今
文部省においてはいろいろ考えておるかもしれませんが、地方の実態というものは、青年学級といえば青年諸君が集まってレクリエーションをするぐらいがせいぜいであって、もうほんとうにこれが青少年の指導育成の機関だというような機関がないわけなんです。しかしその青年を見、また青年自身のこれに対する希望というものは、ただ一つの自分
たちの
教育機関だということで要望するものが多いわけですが、しかし年々数百万を対象にするこれらの者に対する国の考えというものは、わずかに数千万円ぐらいしか計上されていない。こんなことで果して大きいことが言えるかどうか。まあ今までもそう私
たちは考えるわけですが、おそらく総理がああいうふうな広言を切られておる以上は、これらに対する施策というものは私は
相当なされると思うのです。しかしそういうものだけでは現在国が考えている青少年対策というようなものはまだ不満足だと思うのです。もっと大きい視野に立つならば、今の社会事情というふうなものは青年を怠惰にし、青年を堕落させ、青年に希望を持たせないという社会事情があると思うのです。政界の汚職が常に続いておるというようなことも、これは青少年を対象にして大きく政策に打ち上げんとするならば、こういう問題をどうするかというようなこともなされなければ、私はほんとうに広言を切るところまでいかないと思うのです。あるいは農村の青年なんかは一応勤労青年として青年学級はある、あるいは定時制
学校があると申しましても、青年諸君がほんとうに技術の面で、あるいは
仕事をすることから、精神的な鍛練をするというような事実を考えてみたときに、青年学級はレクリエーションにすぎない。定時制
学校は単に何か単位を獲得するだけの問題である。一番の農村の青年なんかがほしいものは、自分
たちに技術を指導してくれる者、これがほしいのです。三百年来のいささかも発展しない農業技術というようなものを何も指導される
機会が与えられないから、悩みつつも、やはり昔ながらの農民で終っていくような姿を見るときに、こういうような者に対してこそもっと画期的な施策がなされなければならぬ。私は農村の青年諸君と常に接しておるわけですが、自分
たちが今の経営の方法を変えようというような場合に、一番たよりにするのは改良普及
事務所の人
たちなんです。何カ村かを対象にして、二、三人の改良普及
事務所の所員がいるわけなんですが、こういう人
たちを毎晩引っぱってきて、おれば今度は麦作を果樹に転換しようと思う、果樹に転換しようというときに、どういう果樹がいいかとか、あるいはいろいろな作物の場合にも、こういう方法はどうだ、こういうことに対するところの考慮というものは、何ら
文部省から出ておらぬと言っても差しつかえないと思う。社会
教育というふうな面で、何か補っていると言うかもしれませんが、各府県に駐在する社会
教育の指導主事というものは二人か三人しかおらぬ。この人
たちが出ていったときに、大がい抽象的な精神的な面だけで終っておるわけなんです。こういう問題をああいうふうに政府が大きく掲げんとするならば、こういうものに対してどういうふうな考えを持っておるのかということが、私
たちの最も期待するところだったわけですが、やはりそういう点にはお触れになっていただくことができなかったということは残念ですが、そういう点も考慮しておられるかどうか。そういうことは大臣に私はお聞きして、大臣のほんとうの決意をお聞きしたいのですが、おそらく大臣等も、そういう実情には接しておられない。かえって
局長なんかの力が専門的にお考えになっておられると思うのです。そういうふうな面でどんなお考えがあるか。先ごろ社会
教育指導主事の
全国の
組織があって、その
会議の結果というふうなものが新聞に大きく出たのですが、その中で四つの希望というのが述べられておるわけです。その指導主事連中が希望することは、できるならば
学校の先生が
——中小
学校、高等
学校を含めた先生
たちが、社会
教育の方に出ていただければいいということが出ておったのですが、実際今
学校の先生
たちあたりも、こんなに何でもかんでも
学校だ、先生だというふうに負担が大きくなるし、しかも担任するものは
相当な児童数であるし、それにもってきてややこしい
勤務評定だとか、新しい道徳
教育もどうだというふうなことになれば、社会
教育というふうな面に出ていくことはできないのですが、しかし指導主事あたりは、非常にこれを要望しておるわけです。こういうふうな問題をどういうふうに見ておられるか、あまり窮屈に先生
たちを義務的に働かせるというようなことでなくて、子供
たちの
教育はその環境の
整備もその一つだというようなことで、全村
教育というふうな立場に立たせるとするならば、そんなにしゃくし定木で
規定された形でなくて、先生方の自覚、
責任というようなことで
教育されることに、大きな成果があるのじゃないか、青少年の問題を重視するならば、そういうふうな面にも先生
たちを十分活躍できるようにしなければならぬと思うのですが、そういう点はどういうふうに考えておられるか疑問だと思うのです。そうしてそう社会
教育指導主事あたりが言うこと、これはおそらくわれわれの考えもそうなんですが、社会
教育をする場合に、今の
局長のお話は、科学技術というようなことを根底にしての青少年対策なんですが、もっと精神面の問題が非常に多いのです。この指導主事あたりが憲法というふうなもの、あるいは政治的な基礎
教育というふうなものをしようとして、憲法に忠実であり、正しい政治的な知識を与えようとすれば、すぐ赤だと呼ばれる。従って私
たちの行き方も非常に自分自身偏向
教育をしなければならぬような形になるというような悩みを訴えておる。そういう点でも、今度は指導する者の立場から大きな問題が出てくるわけなんですが、こういう点も、やるとするならば十分考えてほしいと私は思うのです。
以上きわめて雑駁に申し上げたのですが、問題はきわめて多いということなんです。
文部省はこれに対して、
相当な度量をもって対策を講じてほしいと私は要望しておるわけなんですが、これから予算を要求する立場に立って、しかもこういうふうな問題を国民にきわめて大きく訴えておる政府とするならば、これに対してほんとうに熱意をもって当っていただけるかどうか、当っていただきたい、こういうことを考えておるわけなんですが、
一言御
答弁願って、終りにしたいと思います。