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平岡委員 きょう大蔵大臣等もおりますれば、一番いいと思うのですけれども、ドイツの輸出がものすごく伸びた。具体的には、五十億ドルを国際収支の黒において保有している。ところが日本では、保有五億ドルか六億ドルに転落しております。そういう違いがどこから出てくるかという原因をたどりますと、いろいろあると思うのです。ただ私どもがドイツに行きましてヴイルヘルム・ホッケに会いまして、ほんとうに印象づけられた一点があります。ドイツの輸出伸張には、
理由はいろいろありましょうが、ヴイルヘルム・ホッケとの会見でわれわれがくみ取ったことは、マルクの価値維持に対して精魂を打ちこんできた、この点に心を打たれました。日本におきましては、財政金融一体論ということでやっています。ところがドイツの場合は、これと対蹠的に、財政と金融は別だという建前に立っております。両者はチェック・アンド・バランスに立つべきだといっております。私どもがヴイルヘルム・ホッケに会いましたときに
質問を呈しました、この
事情を
一つ御披露したいと思うのです。私どもがフランクフルトのバンク・ドイッチェレンダーに彼を訪れました七月四日の日であります。そのときに私どもは、四つの
質問を用意したのです。これは、めったに応諾を示さない会見を、われわれが日本の国
会議員であり、大蔵
委員であるという
理由のために、まれなる応諾として示してきたのですから、私どもとしましても、これはわれわれ自身もためされる、こういうふうに思いましたので、ホテルに着きましたのが夜ずいぶんおそくだったんですが、一時ごろまで話をしまして、この
質問事項を練ったのです。そこで呈しましたヴイルムヘルム・ホッケヘの
質問の第一は、貴下は財政と金融は全然別個の性格と使命を持つものとして、かつその方針を堅持されている様子だが、日本では、財政金融一体論の財政を行なっているが、これの講評をしてくれ、これが第一点でした。そうすると彼が言うのに、一九四八年、通貨改革が行われ——この内容は、マルクを十分の一に切り下げたことです。その際ドイツ連邦
銀行ができ、十二州の州中央
銀行を統轄する現ドイツ連邦
銀行制度ができ上った。自分が総裁になったが、就任以来自分の
考えは一貫している。それは、第一次世界大戦後のインフレの災禍の経験に徴して、マルクの価値維持はドイツにとって至上命令であるという立場である。財政は選挙民に迎合する予算作成を反映し、時の政治によって浮動し、大体において拡大していく。ところが政治、財政等は時の
政府の方針ゆえ一時的なものだが、マルク価値維持は永久的な大切な国家の事柄である。私は、価値維持のためには、金融は独自の立場を貫くべしとして、ドイツの金融施策の衝に当ってきた。断片、現象的なものの恣意にドイツ・マルクの永遠的価値をまかせてしまうわけにはいかない、少くともドイツにおいては、今なおこの方針を私は堅持しておる、こういうことです。これは非常に示唆の多いことなんです。日本の場合でも、租税特別
措置法とか、そういうことでいろいろやりますが、根本的には、日本のバック・ドア・マーケットの為替レートが示すように、対米費比価は三百六十円ではなしに、四百二十円くらいです。二割の格差がございます。こういうことがすべて現在の日本の国の輸出振興をはばんでいる大元であろうと思う。だから輸出振興を真にやるのなら、やはりこの価値維持の問題、日本の円貨の価値維持の問題、こういう点が根本的に顧みられなければならぬと思うのです。貿易施策というものは、麦の穂を引っこ抜いて成長の度合いをはかるというような短兵急な施策ではなしに、やはり時はかかっても、こういう基本的な立場というものを貫いていく、こういうことでなければならぬと思います。ですから、そういう基本尺度から、われわれはここへ出てきた
法律案というものも吟味していかなければならぬと思うのです。日本で、五月に初めてとられた政策金利、公定歩合の引き上げ、これは日本では初めてなんですが、イギリスにしても、ドイツにしても、四年来、数えてみましても、おのおのの国で七回以上とられています。こういう点を顧みまして、日本の貿易振興のための総合施策が一日も早く完成されることを心から希望するわけなんです、たまたまここに出てきた租税特別
措置法があまりにもお粗末なんで、われわれは日本のためにほんとうに憂えざるを得ない感じを抱くわけなんです。
それからついでですから、ヴイルヘルム・ホッケに対しましての他の
質問の経過をちょっと申してみたいと思うのです。第二問といたしましては、ドイツの近来のすばらしい輸出増高はヨーロッパを席巻し、ためにEPUの存在に危機を招来しているといわれているが、御所見いかが、こういう
質問をしたのです。そうしたら、彼が言うには、ヨーロッパのEPUの危機がドイツの輸出増高のために起っておるというならば、これは当らない。道を譲るべきはドイツの側ではない。フランスの悪口を言いたくはないが、フランスこそフランを切り下げればよろしい、そうすればこのEPUの危機の問題ばかりでなしに、すべてのヨーロッパの
経済の暗雲が取り除かれる、こういうように答えていました。参考までに申し上げますが、その後、八月の十日ですか、フランスはフランを切り下げました。
それから第三番目に呈した
質問は、これは、日本はぴいぴい言っておるのですから参考にはなりませんが、シャハトの、ドイツの保有外貨五十億ドルを、またはその多くの
部分を、在外投資すべしとの所論があるが、あなたはこれをどう思われるか、もしいなとするならば、あなた自身ならば、この運用をどういうふうにやっていくか、こういう
質問をしました。そうしたら、彼はきわめて、にべもなく言いました、シャハトは現在
政府の責任の衝にない人なんだ、だから、こういう思いつきのことにはわれわれは関心を持っておらない。責任の衝にないシャハトの所論は、
一つも興味を持っておらぬ、こう答えました。彼には、国会答弁の技術のごときものはみじんもありません。非常にまともに答えてきます。後段の、もしあなたがいなとされるなら、あなたはどういうように運用されるかということについては、三十五分の会見時間ではとても間に合わぬから、後刻私の独文でのパンフレットを差し上げますといって、これをよこしました。これは全部翻訳して御紹介すればいいのですが、結局大要は、五十億ばかりのものをわいわい言うことはない、こんな額は大したことはないというのが結論のようです。
それから第四問として、ドイツの対米ガリオア借款が、調べてみますと十四億一千六百万ドルあるわけです。日本でも大体同じケースがあるわけなんで、これをちょっと聞いてみたんです。十四億一千万ドルのガリオア借款は返済の義務ありと
考えるか、なしと
考えるか、御所見を承わりたい、こういうことを聞いてみたんです。これは、社会党には少し都合が悪いけれども、彼の答えはこういうことでした。自分は、自分の所管事項ではないから、ドイツの公的表明は差し控えます。しかしあえて私見を申せというならば、次のように
考えておる、大戦の残滓、これは一切きれいにすべきものと
考えておる、あたかも対英借款十億ドルを直ちに返した方がよいのと同様だ、こういう答えをしました。以上われわれの四つの
質問に対しまして、彼は右の通り、まともに答えてきています。しかも回答は、いずれも筋が通っておりまして、明快であります。西ドイツの戦後の
経済、産業を指導して誤またざりし金融操作によって空前の繁栄をドイツにもたらした、金融政策の大元締めとしての風格と達識がうかがわれました、わずか三十五分の会見でしたが。
そこで特に第四に関しまして補足の要がございます。彼が潔癖である、ドイツのガリオアの借款というものはすぐ返した方がいいということに聞き間違って、それ見ろ、社会党と違って、自民党はそれを言っているからといって、自民党の方が即断されたら、これはまた間違いなんです。彼が言っているのは、大戦の決済というものは敵国にも求めているのです。要するに、米国だけにあるドイツのたな上げされ、凍結された現金預金だけでも三億ドルでしょうか、他の資産とか、そういうものを合せれば莫大なものになります。いわんや他のヨーロッパにおける敵国によって凍結されたドイツの資産は、ものすごくたくさんありますから、大戦の残滓は一切きれいにすべしというのは、どうもそろばんをとってみると、ドイツの方の取り分が多いということを計算しているのです。ドイツの金融の焦点に立つ人ですから、達識であることは、これは当りまえといえば当りまえでしょうが、この問答を通じても、ドイツ人の、バック・ボーンというものはしっかりしているということがわかります。だから、私どもの貿易施策の論議と立法におきましても、やはり根本的なものをもう一回よく見きわめるということ、いたずらに枝葉末節において、時とすれば業界に迎合しておるとすら疑われるような
法律案を出し回っても、貿易の振興にはならぬということを申し上げたかったのであります。いささかこの法案とは直接
関係なかったかもしれませんが、この際こういう
事例を申し上げまして、大蔵省当局の各位の一そうの御奮起を願うわけです。そこで、大蔵大臣等にはまた
質問の機会があろうと思うので、きょう私自身としましては、この
程度で終ります。