○本田
参考人 本田でございます。ちょっと流感ぎみでございますので、マスクのまま
お答えいたすことをお許し願いたいと思います。
まずもちまして、今回の事故によりましてとうとい数多くの人命を失いましたこと、私、ほんとうに心から申しわけなく思っております。これは国民全部の皆様方に対して、深甚のおわびの意を表します。
先ほどから伺っておりますと、今回の事故につきまして、東京瓦斯は何をしていたかというようなことが、御
質問の要旨のように思います。また、今後どうするかということについても、自然言及しなくてはならぬと思いますが、ガスの漏洩ということは、
会社にとりましては、これは危険この上もないことでありますと同時に、また、これは国家的に申しましても、ほんとうにもったいないことでございますので、われわれとしては、終戦直後から、この漏洩防止ということについては、できるだけの
努力をして参ったつもりでございます。
その
経過を一応簡単に申し上げますと、ちょうど終戦直後、空襲のためにガス漏洩が非常に多うございまして、昭和二十一年の二月には、漏洩の率が五四・八%もございました。これは、当時黒ダイヤと言われました貴重な石炭を使って、半分以上のガスの漏洩ということでは、国家的にも大へん申しわけないことでありますし、
会社の
経営上も、とんだことになるということで、たまたま、そのころ労働
組合の方から待遇改善の要求もありましたし、それでは
一つ総動員でこの漏洩防止をやって、それによって浮くものを待遇改善の方に回そうじゃないかということで、三月の二十二日から、本社も営業所も工場も、あげてそのガスの漏洩防止の運動に参加したのであります。御
承知の
通り、当時は、東京都の大半が焼け野原でございまして、ガスも、そのころ石炭が少いものでありますから、五時半から七時くらいまで、一時間半ぐらいしか出ていないのであります。われわれは総動員をもって、非常に原始的なやり方でありますが、その焼け野原を、においをかいで回って、そこへしるしをつけて、昼間になってそれを直したものでございます。いわゆる栄養失調時代で、これは並み大ていのことではありませんでした。しかし、人の一心といいますか、みんなの
協力を得まして、ちょうど三月の二十二日から七月二十九日まで百三十日の間に、延べ人員五万四千人の労力によりまして、七月には漏洩率が二五%下りまして二十九・八%になりました。同時に十一万四千三百五十本のむだな引き込み管を整理し、これを全部本管から取りはずして回収を施行しました。
しかし、これではまだ十分でございませんので、これを根本的にやらなくちゃいかぬ。ということは、結局焼け野原の本管を、布掘りと申しまして、ほとんど洗いざらいに掘りまして、それから出ている無用の引き込み管を整理する。これは昭和二十二年の八月一日に、営業部に漏洩対策本部というものを設置しまして、焼け跡、疎開跡の本、枝管の整理をやりました。それがちょうど二年かかりまして、昭和二十四年の八月一日に漏洩対策本部が解消した次第であります。
そのときやりました具体的な数字を申しますと、実施しました延長が百四十一万九千メートル、整理しました
供給管が八万二千二百個、修理しました延長が三十八万七千メートル、掘さくしました面積が八十二万九千四百平方メートル、整理したブランチ・パイプが一万三千二百個、ゆるみましたプラグを締め直したものが七万個、
供給管の入れかえが一万五千メートル、これに参加しました人員は延べ十六万七千人を数えております。
私ども、どうしてそういう布掘りなどという、手数と金のかかることをやりましたかというと、結局、一本でも残っていることは、禍根を残すことであるから、金や時間はかかっても、スロー・バット・ステディでどうしてもやらなくちゃいかぬということで、他のガス
会社に先がけてこれをやったわけであります。その後も引き続きまして漏洩防止ということは、何か漏れの修理がありますと、伝票の端を赤で染めておりまして、ほかのものはうっちゃってもやるくらいにいたしております。
それから、昨年来、今年の春にかけまして、皆さん御
承知のように中毒事故がございまして、これに対しまして、二月から急遽総動員して一巡いたしましたが、それでも追っつきませんので、この五月の十一日から十月の十五日まで、約五カ月をかけまして、ここに参っております安西副
社長が
委員長となって、需要家を全部巡回しまして、要するにお客さんの不注意のものが中毒のもとになっておりますので、そういうことがないように、できるだけの御注意を申し上げ、その他テレビ、ラジオ、あらゆる
機関を動員して、この冬は、もうほんとうにガスの漏洩が少くなり、中毒がなくなるようにと思って、そこに希望をつなぎ、さらに引き続いて現在も瓦斯協会といたしまして、全国的にガスの安全使用強調を推進しているわけであります。そのやさきに、こういう事故があったということは、ほんとうに神様から見放されたのかと思って、ほんとうに打ちのめされたような気持になっております。
自分の品から申し上げるのはなんですけれども、私は、これほどよその何よりほんとうに力を尽してやっているにもかかわらず、こういう事故が起きる、やはりわれわれの
努力のどこかに至らないところがあるのか。実は私は毎朝神様にお祈りして、ガスの中毒事故その他の事故がないように、私はそれをひたすら神様にお願いしております。それにもかかわらずこういう事故があったというので、きのう、ほんとうに何というのですか、一度は打ちのめされたような情ない気持になりました。しかし、これではいかぬ、とにかく申しわけないことをしたのだから、ほんとうに今後絶対にこういうことのないようにしたいというふうに
考えております。
この事故の起りました不使用管というのは、私どもが万全を尽す意味で布掘りをしましたその布掘りのうちで、大ぜいのやることで、たまたまその整理の漏れ、あるいはその当時整理しようとしても、道路に家のこわれた塵芥というようなものが山ほど積んであって、そこの整理ができなかった。それがとれたあとでやろうと思っておったのが、たまたまそのとれたあとにやらなかった。そういう真相は究明されておりませんけれども、その辺の工事をやったのは社外組の郡司組がやったということまでは、ちゃんと突き詰めております。いずれにしましても、そういう禍根を一掃しまして、少しでも早く、都民の皆様、国民
一般の方々に安心してガスを使っていただくようにということは、私ども本来の使命であるし、どうしても早く皆様に御安心いただけるようにと
考えて、実は昨日以来、対策本部をこしらえまして、その案を練っているわけでございます。
衷情かくのごとくでございまして、全くこういう事故を起しまして、とうとい人命を数多くなくしましたことにつきましては、幾らおわびしても、おわびし足りない。またその御供養の意味からいっても、私は
会社として万全の策をして、そういうことが絶対にないように、そうして皆様方が安心してガスを使えるようにしたいと思います。
これをもって私の陣述を終ります。