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公述人(今井一男君) 私に与えられました課題は、社会保障
関係でございます。明年度の
予算案におきまして、
政府がいろいろと新しい面その他にかなりな
予算の
増額を見ておりますことは、
説明書にございます
通りでありまして、その限りにおきまして、われわれ
関係者として、まことにけっこうとは存ずるのでありますが、しかし、これを掘り下げますれば、問題は幾らも出て参るかと思います。しかし、時間が限られてもおりますので、なるべく問題点をしぼりまして、しかも、あまり
一般に言われておらないような角度から一言さしていただきたいと思います。
結論的に申しますというと、何と申しましても、社会保障という観念は、戦後
わが国に導入されましたものでありますだけに、
相当の浸透はいたしましたけれども、まだ観念的な確立はいたしておらないようでありまするし、さらにまた、その基盤となるべき社会連帯の
考え方といった点におきましても、まだまだ今後の問題でございまするし、さらに、これを進展させますためには、社会保障制度がより
技術的に、より合理的に、本格的に、
計画的に進められなければならぬという段階が近づいておるように思います。
最初に
一つ申し上げたい点は、まあ社会保障の前提というような点におきまして一言いたしますが、
一般に、よく国家
財政の中で、社会保障
関係の費用が何。パーセント占めておるか、あるいは国民所得の中でそれがどういう比率に達するか、こういったことがよく議論されるのでありますが、この議論も確かに
一つの見方には違いありませんが、そういう観点だけでものを
考える
考え方には、私はいささか疑問を持つものであります。と申しますのは、申すまでもなく、社会保障は、国民の最低生活が社会的に保障されていく仕組みのことでございますから、従いまして、いわば国民所得の第一次分配と申しますような、
最初の国民所得の分配がどういった形で行われるか、一定の線以下の
人間がどれほど多くできるかということによりまして、それを調整し直す第二次再分配の段階であります社会保障制度のもつ役割の比重が変って参るわけでありますからして、その意味におきましては、まず第一次におきまして、極力そういった層が発生しないような工夫ということがなされることが必要だと思うのであります。戦後間もなく、
日本の
経済は、復興のためにかなりな苦難の道を歩みまして今日に至ったのでありまするから、その間におきまして、あるいは残念ながら、
相当の不労所得、やみ所得のようなものも発生はせざるを得なかったのでありましょうし、また、自由競争の長所が極力取り入れられなければならなかったことも十分了解できるのでありますが、しかし、今や
自立経済がこのように確立したと官民ともに確信ができる段階になりましたならば、今後の分配の問題につきましては、まず、基本的に何らかの
考え方が必要ではなかろうかと思うのであります。ところが、その点につきまして、
一般的に
政府の施策は、施策と申しますか、
考え方につきましては、決して十分なものがあるとはどうも了解しにくい点がございます。たとえば、生産が前年よりも何パーセントふえたと、
石炭が何万トン掘れた、
電力が何キロワットアワーになったと、あるいは物価指数はこうなった、あるいは国際収支がこうなったと、こういった見方は、これは常になされておりますけれども、すべて議論の重点が、
総額でありますとか、あるいは平均値の問題でありまして、その上下の幅、その分配がどういうふうに行われておるかということにつきましての
配慮は非常に不十分なものがあるように感じます。まあ一例をあげますれば、最近、社会保障
関係で問題となっております五人未満の
事業所の点にいたしましても、昨年ようやく厚生省が調査を始め、本年度
予算におきまして、初めて労働省の勤労統計が本格的に及ぶといったことなども、その端的な表われではなかろうかと
考えます。特に
わが国は、
世界的に最も人口稠密な国でございますと同時に、さらに、ここ数年を出ずして、生産人口が急激にふえる段階に達しますことを
考えますというと、まず第一に、雇用問題ということが前提として一番真剣に、まあ国政のほとんどその最大の眼目といってよろしいほど大きく取り上げられてしかるべきだと
考えます。幸いにして、今回、労働省の
予算にも、雇用審議会の
考え方はとられたようでありますが、
わが国の産業がどういうふうな構造に組み立てられることが一番雇用の機会を多くするかというような観点で産業問題が取り上げられたことがまあないと言っては言い過ぎかもしれませんが、非常に不十分な感じを持つものであります。と同時に、いわゆる最低賃金の問題にいたしましても、労働基準法こそ、
世界に最高水準を誇るようなものが十年前にできましたが、これに対しまして、画龍点睛と申しますか、一番重点であります賃金の保障的な面におきましては、いまだにまあ暗中模索から一歩出ようか出ないかと、こういったことに相なっております。こういうような、社会保障の前提問題と申しますか、こういったことに対する
配慮を一方において十分尽しませんと、社会保障の受け持つ役割はますます大きくなり、しかも、
技術的に困難を加えて参るわけでありまして、この前提の問題につきまして、もっともっと本格的な取り組み方がなければならぬであろうと、もちろん、統制
経済一本やりで参ることが決して策を得たものとも
考えるわけではございませんが、しかしながら、そういうところへ持っていきませんでも、まだまだ残された方法はあるのではなかろうかと
考えるのであります。たとえば、明年度の
予算関係におきまして、拡大
均衡ということが大きく取り上げられ、これも、われわれの立場から申しまして、まことにけっこうなことには違いないのでありますが、一方において、投資の過剰がすでに叫ばれておる。しかも、拡大
均衡のためには、産業間、企業間の歩調のとれた進展がございませんと、そこに雇用あるいは賃金的なロスを生ずることは申し上げるまでもないところでありまして、隘路打開のために、
財政投融資が大きく取り上げられたことはけっこうには違いありませんが、私の
考え方からいたしますと、ほかにより大きい、民間資金の面におまきして、そういった立場から比較的に
政府といいますか、国の意思の入りやすいようなところに資金がより集まるような
配慮、すなわち、拡大
均衡ということを進展させますために、その意図が乗りやすいような
配慮という面におきましては、非常に不十分な点があるのではないかと、何事によらず、
一般的に、単なる資本蓄積が叫ばれ、たとえば増資なり、あるいは証券市場への資金の導入なんというものがすべて自由放任に
考えられますこと自身は、
均衡ということを
考える場合におきましては、
一つの問題点ではなかろうかと
考えます。そういう点におきましては、まあインフレ等の問題からも議論がございますが、同時に、私どもの立場から申しましても、そこにいま少し、もう一段進んだ
配慮があってしかるべきではなかろうかという気がいたすのであります。そういう見地でいたしますというと、明年度の
予算にいたしましても、まだまだ食い足りない点が出てくることは、勢いと申すことに相なろうかと思います。ただ、社会保障
関係の論者の中に、あまりに社会保障を強調いたしますために、これが全体の体系の中のいわば補充部隊と申しますか、調整部隊と申しますか、要するに予備的な分野であるということを忘れまして、あまりに社会保障を中心にものを
考えるような
考え方までされる向きがあるようでありますが、私は、社会保障の受け持つ役割ということには、おのずからなる限度があると
考えるのであります。しかし、それにいたしましても、こういった
自立経済の一応の確立を転機といたしまして、今後の
日本の
経済の見通し、雇用の見通し、国民所得の見通し等の上に立ちまして、思いつきにとにかくどれからでも取り上げていくということでなく、いま少し
計画的に国民所得の増加なり、
負担力の増加なりといった面から、
計画的に今後何年後かの社会保障制度のでき上った姿というものを想定いたしまして、そこへ順序よく持って参るような
配慮が望ましい。不幸にいたしまして、
わが国の一番こういったことを預かっております
経済審議庁におきましても、ほとんど重点は常に物と金の問題でありまして、こういう国民生活なり、国民の福祉なりというような面から、つまり人という面から
配慮されることが非常に少いように思われます。こういった傾向は、ぜひ今後改めてほしいものだと
考えておるものであります。
前段の問題はそのくらいにいたしまして、具体的な社会保障
関係におきまして、本年度の新施策の中で一番大きく浮び上っておりますものは、
政府の決定されました医療におきましての国民皆保険への踏み出しであります。これはまことに歴史的に大きな意義を有するものでありまして、御同慶にたえないところであると
考えます。何と申しましても疾病が貧困の最も大きな原因でありますことは、もう実証されておるところでありまして、従いましてこれを国民健康保険でやるとか、あるいは普通の健康保険でやるとかいうような問題は、むしろウエートは私は非常に小さくなると思います。さらにやかましい問題になっております一部
負担等の問題、国庫
負担等の問題等も、さらにそのウエートは小さい問題かと私は
考えるのでありますが、ただ、この医療保障ということが所得の保障と並びまして、社会保障の二大根幹であるという立場から
考えますと、医療保障という問題がいかにむずかしい問題であるかということが
一般に
理解されておらないようでありますと同時に、また非常に金のかかるものであるという点も、まだまだ
認識が徹底しておらないようでありまして、こういったことがこれからの医療保障の進展におきまして、非常に大きな摩擦を生じ、将来大へんなことになりやしないかということを、一面において心配しておるものであります。すなわち医療というものは年金等と違いまして、ある人に三千円、ある人に五千円と、こういうふうにきめて渡して始末のできるものではございません。疾病の種類は幾らもございます、ただし医学的に疾病と申しましてもその疾病の中で、社会保険の立場からいって取り上げるべき疾病と、取り上げる必要のない疾病も一部含まれております。さらに社会保険、社会生活の上から見まして、どこからを発病と言い、どこからを治癒と認めるかという問題等も、また医学的な面より違った要素を加えなければなりません。さらに治療方法といたしましては、その人の年令なり病歴なり体質なり症状なり、もろもろの要素から、人々によってすべて個別的に対象療法が異なって参ります。しかもお医者さんのそれぞれの流儀によりましても、またこれは違って参ります。しかしながら、これを社会保険という国民全体が肩を組んだ形におきましての保険という形式に持って参りますためには、すべてをそれぞれの自由にまかし得ないという点がございます。たとえば国民全体に行き渡るためには、まだきわめて不十分な試験的な薬がある。その試験的な薬をある患者に投ずることは、その患者としては確かに利益には違いありませんが、しかし他の患者では
一般的にそのチャンスは与えられないのであります。そういったものを保険という形の中に組み入れること自身には問題がございます。しかしながら今申した
通り、
一つのますではかったような形に押し込めないという非常にむずかしい要素を持っております。さらに医療は医療保険であって、疾病保険ではございません。病気ということが即保険事故の対象になるのではなくて、医者にかかって判断を受け、診療を受けまして初めてそれが保険事故として取り上げられる。疾病というものがすべてしろうとにもちゃんと判断できるものなら、これは問題ございません。他の社会保険のように失業いたしますとか、老齢年金でありますとかいうものは、失業した、あるいは何十才になった、こういったことは当人にはっきりわかります。従いまして当人がもし請求しなかったという場合には、当人の責任といたしましても大した問題はございません。しかしながら疾病の方は、そうは参らないのでありまして、本人に自覚症状のない場合もございますし、また医者にかかれないために、あるいは緊急のために、自分が売薬で済ませますというと、そのままなおってしまったというといったような場合には、これはどうしても保険の対象に取り上げにくいのであります。さらにそういう立場から申しますというと、国民皆保険をやりますためには、全国的に最も公平な医療機関の再配置ということが問題となって参りますが、しかし御
承知の
通り、戦前からすでに
努力して参りました無医村、無医地区の解消ということが、来年度の
予算にも若干頭を出しておりますが、とうていここちょっとの間に解決できる問題ではないようであります。と申しまして、医師を強制的にそういう所へ持って参るということは、これは憲法の職業選択の自由から申しましてもここに大きな問題がございます。従いまして、不公平な基盤の上に皆保険を徹底させるということは、これは大きな問題でありまして、そこにもむずかしい点がございます。また、他の
一般の社会保険でありますならば、失業保険にいたしましても、厚生年金にいたしましても、すべて保険者であります立場にあります者が、その保険事故の発生を確認いたしまして、失業ならば離職票を確認いたしまして、老令年金ならば戸籍謄本で確認いたしまして、その上で保険金を支払う仕組みであることは御
承知の
通りであります。これは
一般保険と同じであります。ところが医療保険におきましては、保険給付そのものは、実質的な給付そのものは、すでに患者か医者のところに参りまして受けてしまうのであります。その受けてしまったあとを、保険者があとになりまして確認をして、医者に払っていくという、そういう仕組み、これはまあ
日本のは進んでいるせいでもありますが、そういった仕組みをとっております。こういった仕組みは非常に、自後の調整でありますからして、そこにむずかしい問題が起ることは当然でありまして、その意味から申しましても、私は少々の保険
経済の食い違いができますことはむしろ当然であり、
世界的にもこの問題はすでに言われておるところであります。
一般には
イギリスの医療保険が非常に理想的なものであるかのように言われておりますけれども、だんだん聞いてみますというと、決してそんなものではないようであります。例の人頭登録制によりまして、医者は自分の受持ちの患者がきまっておる、従って患者が病気にならなかったならば、それだけ所得がふえる。従って医師が疾病の予防にまで
努力する。こういったことはたしかに観念的には優れた制度には違いないのでありますが、同時に、患者は医師の選択の自由が与えられておりません。自分が一ぺん登録いたしました医者、それは登録の変更期にならない限り、その医者でなければ自分の給付は、ただにはならないわけであります。ところが
わが国ではどんな好きな医者でもかかれる。医師選択の自由という最も必要な条件を与えておるわけでありまして、これは
日本の制度が非常に進んでおる点でありますが、同時にそういったことがまたもろもろの問題を起す原因にもなっておるわけであります。さらにまた、診療報酬の支払いの
方式にいたしましても、新医療費体系なりあるいは単価問題なり等におきまして、
相当医師会の諸君との間にむずかしい問題が出ておりますが、最近ややもいたしますというと、
政府側ではとにかく
経済が赤字にならぬということのみに重点が置かれるような傾向もありまして、一方において今の体系自身が医者の能力ということを、あるいは治療効果ということを全然無視
——まあ無視と言っちゃ言い過ぎですが、軽視いたしまして、とにかくなるべくたくさんの薬、たくさんの注射を使って、なるべく患者に長い日数をかけて治した方が所得がふえるという、いわば極言いたしますというと、下手な医者ほどもうかるような仕組みになっておりますこと自身が、これがまた医療費を非常にふくらます問題に相なっておりまして、この傾向が
根本的に改められませんというと、皆保険はできたが、しかし
日本が明治以来誇っておった医者の水準は低下したと、こういったような事態も憂慮されてならないのであります。一方国民健康保険におきまして、国民皆保険に一歩を踏み出そうとはしておりますけれども、しかしながら、ただいまの地方
財政の状況からいたしまして、各地で
相当の問題が起きていることは御
承知の
通りでありますのみならず、ただいまのように半額を自己
負担させるという制度自身が、結局におきまして、地方においては富農層だけしか医者にかかれないというような問題にもなるのでありまして、この意味では、なるべく早い機会に
社会保障制度審議会勧告の線にありますような
程度までの引き上げは必要ではないか。あまりに形式的な皆保険という形にばかりとらわれますというと、一切の基盤が不十分なために、かえってでき上ったものは、国民としてはありがたいものにならないという危険さえ案ぜられてならないのであります。とにかく最低賃金の施行されている国はすでに二十数カ国あるようでありますが、国民全体を医療保険に加入させる、させているという国はまだ
世界に二つか三つしかないようであります。それに目ざして踏み切ろうということは、もう
一つ日本として誇るべきことに違いありませんが、同時にあまりにも早急的な、拙速主義というものは、私は将来に禍根を残すものという意味におきまして、同じ社会保障
関係者の中では、私はやや異例的な慎重説をとりたいのであります。
同時に、
日本におきましてはこれ以外に、年金の面が
世界的に立ちおくれていることも、私の申すまでもないところであります。もう時間がありませんから端折りますが、これにつきましては、私に言わせますれば、大企業における労使ともに、あまり積極的でないということを、私の体験上感じがいたすのであります。すなわち自分の企業に尽したという意味における老後の保障ということにつきましては、これは公務員を込めまして、保障ということにおきましては、
相当思い切ったことをやろうという
事業主も多いのでありますけれども、これを社会的にプールいたしまして、
日本で一番問題のある中小企業層までおろして
考えるという向きが少いことは、非常に残念な次第でありますが、幸いにして厚生省も国民年金に一歩踏み切ろうというのでありますからして、その成果を待ちたいと
考えます。
なお、
最後に一言いたしますれば、社会保障に
関係しておりますものは、何と申しましても自分の仕事熱心の
関係から、個々に非常に膨大な
予算なり何なりの要求をいたすのは世間並みのことでありますが、
わが国には実はそういった各
事業別と申しますか、階層別と申しますか、そういった問題に対しましても、もろもろの勉強をし、運動をする団体、またグループというものは少いようでありますけれども、これを国家全体の立場からながめて、いろいろの点を勘案いたしまして、適切なる分配をするという立場にあるものはほとんどないようであります。まあいわば大蔵省がその役割をやっているつもりかもしれませんけれども、しかし大蔵省はややもいたしますというと、とにかく歳出の
総額が減るということにばかり御熱心になる傾向があるようであります。さらに税と歳入と歳出というものをどういうふうに見合せるかと、こういった経費にはどういう
負担でどうかぶせていくかと、こういった
配慮についても足らないような感じがしてならないものであります。そういう見地から申しますれば、こういう問題に国民的立場に立ちまして、最終的な、最高の判断を下されるものは、実に両院の
予算委員会ただ
一つあるのみと、こう申し上げたいのであります。(笑声)
一つその点よろしくお引き回しのほどをお願い申し上げまして終ります。(拍手)